文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.6.13 「経験と勘」

2018/06/14

 社会の中で個人は自らの経験で培った勘で
動いていることが多いが、意識して思考して
いれば物事の道理に適った動作を行おうとす
るだろうし、勘で動こうとしているのを、改
めて思考を働かせて、道理に適っているかど
うかを確かめようとして、動作の正しさを確
認してから動こうとするわけで、そういうと
ころで知識として学んだ情報が活きてくるわ
けだが、具体的に何をやるかに関しては、世
の中で他の人が行なっていることが参考にな
るだろうし、自分独自のやり方にこだわるに
しても、他人のやっていることを応用しなが
ら行うことが多いだろうし、そういうところ
で人は最初は他人のやり方を模倣しながらも、
徐々に自分独自の方法を編み出そうとしてく
るわけで、ただ単に真似ているだけでは満足
しないのだろうし、自分なりのやり方で工夫
を凝らして、何とかうまくやろうとしている
わけだ。そしてやっていることが他人に認め
られたら喜ぶだろうし、他人の共感を期待し
ながらも自分独自のことをやりたがるわけだ
が、それが往往にして独りよがりなことに陥
りがちとなって、他人から賞賛されないこと
を逆恨みしたりする過ちも招きやすく、ただ
自己主張するばかりでごり押し的な行為をや
ってしまうと、賞賛されるどころか逆に迷惑
がられてしまうだろうし、しかもなぜ迷惑が
られているのかその理由がわからないまま、
逆恨みが高じて世間に対する復讐心に凝り固
まってしまうと、中には無差別テロなどの凶
悪な事件を起こしてしまう人も出てきて、そ
うやって勝手に自爆してしまう人がニュース
などで話題になることがあるが、それが世相
の暗さと相まって世の中の行き詰まりや閉塞
感などを感じさせてしまうだろうし、たぶん
その背景には個人として求めていることが、
他人を介した形でしかわからないことが挙げ
られるのかもしれず、自分では何をやればい
いのかわからないから、他人とコミュニケー
ションしてそれを知りたいのに、うまく意思
疎通が図れないうちに、勝手にそれを他人の
せいにしながら被害妄想に陥り、そうやって
自分の殻の中に閉じこもっていくうちに、何
かのきっかけでそれが他人に対する暴力衝動
として爆発してしまうのかもしれず、そうい
う意味で現代社会の中では精神的に依存する
対象がうまく見つからないままであっても、
孤独を恐れずに自立する勇気が湧いてこない
だろうし、何をもって自立とみなすかもよく
わからないのかもしれないし、できればそん
なことまで考える暇が生じないようにスケジ
ュールを目一杯詰めておけば、ただそれらを
与えられた課題のようにこなしていれば気が
まぎれるだろうが、それでも実際にやること
がなくなってしまうと、心の隙間を埋めるも
のがなくなってしまって、そうなると自らの
空っぽさに我慢がならなくなってしまうだろ
うし、普通はそんな空隙を埋めるために趣味
や仕事や私生活に熱中しようとするのだろう
が、そんなごまかしにも限度があるだろうし、
そうしたどうにもならない空っぽの自己に耐
えられなくなってしまうと、やはり精神的に
おかしくなってしまうだろうし、それを他人
のせいにできなければ、大抵の人はそこから
自殺へと向かうのかもしれないが、それも選
択肢としてはありふれていて、他人と同じこ
とをやっているのでは我慢できない人は、少
しは気の利いた人生を送れるように工夫を凝
らそうとするわけで、それがたわいない趣味
に向かうにしても、それなりに楽しいことを
やろうとするのではないか。

 それに関して自己とは他者であると言った
わかったようなわからないような屁理屈では
満足できないのはもちろんのこと、自己に関
するおまじないような理屈を見出せない方が
普通だろうし、そもそもそんなことまで考え
る必要もないのだろうが、人は他者との結び
つきや関係の中で、他者との比較において自
己を見出そうとするだろうし、できれば他者
よりも有能であったり優秀であったりすれば
自己満足に浸れるだろうし、そうでなければ
他者への攻撃衝動に不満をぶつけるような成
り行きにもなりかねず、そうした反社交的な
社交性が対立や抗争というありふれた動作や
現象を生み出すわけだが、それをスポーツな
どの競争として制度化すれば、何やら経済的
な効果を引き出すことにもなるわけだが、実
際にそういう制度的なゲームが遊びとして広
く世の中で定着している実態もあるだろうし、
興行として成り立っているプロスポーツでな
ければ遊びの段階でとどまるのだろうが、程
度や方向性が遊びとは異質の状態に至ってし
まう可能性もあるわけで、それが現実に起こ
っている戦争の類いだろうし、別に戦争が遊
びが高じて起こるわけではなく、政治の延長
上で起こるわけだが、それに関してはスポー
ツの方が戦争ごっことして発展してきた経緯
があるのだろうし、それとは別に個人と個人
が果し合いの決闘のような形態で殺し合う場
合もあるわけで、そういう状況では他者の危
険性が最高度に高まるわけだが、それが場合
によっては自己表出としての主体的な行為に
なる面もあるだろうし、そうした自己表現が
他者へと向かって攻撃形態をとることで、あ
らゆる手段を使って他者を倒すことが、自分
の価値を証明することになると思い込むわけ
だが、あるいはそこで他人に勝つのではなく
自分に勝つことが重要だと思うこともできる
だろうし、よく格闘技などの試合ではそうい
う倒錯した心境になることが、何らかの境地
だと思われているわけで、それがやっている
ことを正当化する言いわけになるようだと、
本来のニュアンスから少しずれてしまうかも
しれないが、たぶん己に勝つという表現は自
己の美学化にもつながってくるわけで、そう
やって自己と他者との葛藤から他者を抜いて
しまうと、自分にとって都合のいいまやかし
の他者ではなく、その他者さえも心の中から
消し去ってしまうわけだから、さらに自分の
都合が強化されてしまうのかもしれないが、
そうではなくそこから自己を滅却するという
表現も出てくるわけで、他者だけではなく自
己さえもなくしてしまえば煩悩にとらわれる
ことなく悟りの境地へと至れるわけで、その
自己を滅却することこそが自己に勝つという
表現の真髄だとも言えるのかもしれないが、
そうした何やら神秘的な奥義を極めることに
幻想を抱くことができなければ、たぶんそこ
に至るのをあきらめたままでも構わないのか
もしれず、自己を卑下するわけでも尊重する
わけでもなく、フラットな感覚で自己と接し
ていけばいいのかもしれないが、そうした自
己とは別にその場の程度や傾向に応じた対応
ができれば、とりあえずその場を乗り切れる
ような気がするだろうし、別に乗り切ろうと
しなくても構わない場合もあるだろうが、自
己にこだわったり他者にこだわったりする事
情が生じる限りで、それらに関係しているこ
とを自覚できるわけで、無理に自覚しようと
しなくても必要に応じて自覚できたりできな
かったりもして、それがそこに至る経験から
導き出された暫定的な答えであり、答えだと
気づかない場合もあるわけだが、結局はそこ
で何かに気づいたり気づかなかったりするか
ら、それなりに偶然の巡り合わせを体験でき
るわけで、そうした何かのきっかけから巡り
会う出来事に巻き込まれながらも学ぶしかな
いわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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