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福沢諭吉の名言

2019/10/12

発行人のリーダー塾(とくたけ)です。
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今日は「福沢諭吉の名言」についてです。

日本の武士(中津藩士)、蘭学者、啓蒙思想家、教育者、慶應義塾の創設者。近世の教育に功績ある明治六大教育家の一人とされる。
国: 日本・摂津国大坂堂島浜(現在の大阪市福島区福島) 
生: 1835年1月10日 
没: 1901年2月3日(享年66歳) 
1835年1月10日、摂津国大坂堂島浜(現:大阪市福島区福島)に豊前国中津藩の下級藩士の次男として生まれる。 
諭吉という名前は、儒学者でもあった父が『上諭条例』(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に彼が生まれたことにちなむ。 
1836年、父の死去により大坂から帰藩し、中津(現:大分県中津市)で過ごす。諭吉は当時の一般的な武家の子弟と異なり、孝悌忠信や神仏を敬うという価値観はもっておらず、悪童まがいの溌剌とした子供だったという。 
諭吉は5歳の頃から漢学と一刀流の手解きを受けはじめる。 
1854年、19歳で長崎へ遊学して蘭学を学ぶ。黒船来航により砲術の需要が高まり、「オランダ流砲術を学ぶ際にはオランダ語の原典を読まなければならないがそれを読んでみる気はないか」と兄から誘われたのがきっかけであった。 
幕末の時勢の中、無役の旗本で石高わずか40石の勝海舟らが登用されたことで、1858年、23歳の諭吉にも中津藩から江戸出府を命じられる。 
諭吉は築地鉄砲洲にあった奥平家の中屋敷に住み込み、そこで蘭学を教えた。この蘭学塾「一小家塾」が後の慶應義塾の基礎となったため、この年が慶應義塾創立の年とされている。 
1859年、諭吉は日米修好通商条約により外国人居留地となった横浜の見物に出かける。そこでは英語が用いられ、オランダ語がまったく通じないことに衝撃を受ける。英語の必要性を痛感した諭吉は、英蘭辞書などを頼りにほぼ独学で英語の勉強を始める。 
1859年、24歳の諭吉は、日米修好通商条約に伴い派遣された咸臨丸の艦長の従者として渡米する。咸臨丸の指揮官を務めた勝海舟とはうまくいかず、晩年まで険悪な関係が続いた。 
1861年、26歳で中津藩士、土岐太郎八の次女と結婚。1862年には翻訳方として欧州各国の使節団に同行する。途上、香港で植民地主義・帝国主義を目の当たりにし、イギリス人が中国人を犬猫同然に扱うことに強い衝撃を受ける。 
1863年に帰国後、『西洋事情』などの著書を通じて啓蒙活動を開始。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/yukiti.pdf

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