文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ

2012/04/16

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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成24年(2012)4月17日(火曜日)
        通巻第636号  
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 書評 
岩田 温 『政治とはなにか』 (総和社) 
評  玉川 博己 
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 新進気鋭の政治学者である岩田温氏の最新著である。岩田氏はすでに『逆説の政治学』(ベスト新書)と『日本人の歴史哲学』(展転社)の著作があるが、今回の新著は全編大変面白く私も一気に読んでしまった。 
 著者はまず序論において、アリストテレスを引用しつつ共同体とは何か、共同体の理念とは何かを論ずることから「政治」の再生がはじまると述べる。
そして「国民」とは歴史的な概念であって、歴史に支えられたものであるとする。これを筆者は「物語」と名付け、その中心にナショナリズムを位置付ける。

筆者はいう。
「我々ひとりが共同体の歴史の中に範とすべき物語を求め、自らもそうした物語を引き受ける覚悟を定めるということ。粗野で凶暴なナショナリズムではなく、我々の倫理の核となるべきナショナリズムを自覚的に引き受けることが必要なのではないでしょうか。」

ここはクロ−チェを論じ、歴史とは再生であり復活であるとした平泉澄博士の歴史観をも想起させる文章である。 
そして著者は「友と敵という区別」を政治の本質としたカ−ル・シュミットを引用しつつ「『政治家』とは何か」という章において、安倍晋三元首相を政治の過酷な一面を引き受けるだけの気概と胆力に欠けた人物であると批判する。またその対極的な存在として野中広務を評する。ただしあくまでも「戦後レジ−ム」の中の政治家としてであるが。 
また著者は「『保守主義』とは何か」の章で三島由紀夫を論ずる。著者は三島の行動とそれを支えた心情を「悲劇的パトス」と名付ける。
著者はいう。
「それは猛然と悲劇へと奔り続けざるをえない高貴なる情念である。そうした悲劇的パトスが迸るのが三島が最後に残した『檄』に他ならない」と。
さらに著者は続けて
「三島由紀夫が日本に絶望するのは、日本を愛するが故である。歴史と伝統の国日本が日本でなくなりつつあるという危機感と哀しい確信が彼を悲劇へと追いやるのだ。」と。
正に至当な論である。 

著者はエドモンド・バ−クにも触れつつ、保守主義の核心は「時効」と「国体」の擁護にあるという。その解説をする紙幅はないので割愛するが、ここで「国体」が本書の後半のテ−マとして登場する。「国体」とは何か。昭和前期の日本が国体論をまとめたものが『国体の本義』(昭和12年、文部省編纂)である。
本書で紹介されている佐藤優氏の『国体の本義』の評価、すなわち欧米思想と科学技術との調和を目指した極めて柔軟性をもつ、すぐれた、いわば「当時の日本の英知の結集である」とする評価は、かつて三浦重周が行った評価とも一致するものである。
ただ著者は『国体の本義』のような公定国体論が本来あるべき多様な国体論を固定化してしまう危険性を指摘する。
国体について著者は次のように総括する。「国体とは、自国の歴史への愛情の裡の中に生きている。愛する祖国の歴史を顧みたとき、そこに或る精神の輝きが存在するはずである。そうした精神を精神たらしめ、我が国を我が国たらしめているもの、それが国体に他ならないのだ。」
分かりやすい表現である。 

岩田氏はまた「思想的可能性としての『昭和維新』」を論ずる。戦後民主主義のイデオロ−グたる丸山真男の「超国家主義(=日本ファシズム)論」や司馬遼太郎の「司馬史観」の観念性と虚構を鋭く論破し、一方で竹山道雄の再評価を行うなど、説得力のある論旨を展開している。
著者がいうように、戦前の昭和維新運動の思想は現在も尚直視され、検証されるべき価値があると思うのである。 

本書の最後の章であるとともに最も面白く読んだのが「日本国憲法と『革命』」である。 
岩田氏はまず「八月革命説」を唱えた宮沢俊儀と宮沢とは異なる立場ながらも天皇が統治権の総攬者でなくなったことをもって国体変更論を述べた佐々木惣一の両名の学説を比較検証する。
つぎに日本歴史において天皇はかならずしも統治権の総攬者でありつづけたわけでなく、文化的統一の表現者であったことに意義を求め、佐々木惣一を批判した和辻哲郎の天皇論を紹介する。 

さらに戦後の神道界に大きな影響を与えた葦津珍彦の法律論よりも国民の国体意識の強固さを重視する国体論に触れ、次いで基本的に和辻哲郎の立場に立ちながら、それを乗り越えて「象徴天皇」の意義を更に根源的に追及したのが坂本多加雄であるとする。
ここで紹介される坂本多加雄の説は日本国憲法制定における「上諭」を重視し、統治の意義を「しらす」として解釈し、よって日本国憲法においても「革命」も「国体の変更」もなく、日本の伝統的な国体は維持されているとするものである。
竹田恒泰氏の国体不変論もこれと軌を一にするものである。だが日本国憲法は日本国民が主体的に定めたものとする坂本多加雄の主張は占領体制の過酷な実態に目をそむける、本末転倒した議論であると岩田氏は批判する。 

最後に岩田氏は、レ−ニンの革命における「前衛」論を引用しつつ、結局戦後の占領と日本国憲法は、国民の大多数が気づきもせずまた望まず、極めて少数の人間、占領軍によって企てられた「前衛」革命と規定する。
そして現在の日本はこの「前衛」革命の基本法であり「国民主権」を掲げる日本国憲法と、しかし「主権者」であるはずの国民が天皇を敬愛してやまない確固たる「国体」の存在が奇妙に併存する状態とみる。岩田氏の結論は以下に明快にしめされている。 

「幾度の辛酸を経た後にも、日本国民の天皇に対する敬愛の念は揺らぐことがない。『国民主権』という近代国民国家の原理を解さない『土人』と罵られても、日本国民の天皇に対する敬愛の念は揺らがない。天皇を国民の下位に位置づけ、国民の動向如何によってはその存在も廃絶も可能だと考える『国民主権』など日本国民は望んでいないのだ。日本国民が望みもしなかった『国民主権』を『前衛』的に定めている日本国憲法こそ廃絶されてしかるべきなのではないか。結局のところ、現在の我が国の憲法を問うことは、我らの過去を如何に振り返り、今後の我が国の理念を如何に定めるかを問うことに繫がる。」と。 

実に清々しい読後感がのこる熱のこもった力作である。政治学とは決して難しいものではないと感じた。 

デ−タ  
『政治とはなにか』 (総和社、定価1,900円+税) 
著者略歴 岩田温(いわたあつし)昭和58年生、早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同大学院政治学研究科修了、拓殖大学日本文化研究所客員研究員、同大学客員教授を経て現在秀明大学助教
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三島由紀夫と川端康成(補遺2)
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三島由紀夫と川端康成(補遺2)
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西 法太郎

(前後635号の拙稿をやや改稿し、以下を定稿とします)

▲判明した出処


4月12日付け本メルマガ掲載の小論に以下のように記した。「『三島由紀夫「日録」』P136に、これに関連した箇所がある。
(引用開始)
「林房雄さんの最初の奥様(繁子さん)の亡くなった時のことですが、御通夜の席で三島さんから私に、それとなく娘との結婚話が出されましたので、私もさりげなく、しかし、きっぱりとお断りしたことがあります。= 川端康成夫人秀子」(引用止め) 秀子が半生を綴った『川端康成とともに』にあたったがそのようなところは見当たらず、その元になった川端康成全集(昭和55年〜59年)の月報に秀子が連載した中にもない。この件の出処はいずこなのだろう」

以上だが、この箇所について、白百合女子大学の井上隆史教授から筆者に連絡があり、この件は川端康成全集補巻2の附録に秀子が寄せた「続・川端康成の思い出(二)」の中にあるとご教示いただいた。35巻の全集が出た後、間を置いて出た補巻の附録をチェックしもらしていた。この場を借り、井上教授に謝意を申し上げる。


秀子の全集附録への連載を一冊にしたものが『川端康成とともに』だが、その際この箇所は削られた、おそらく三島のラブ・アフェアーに触れたものに過敏だった瑤子夫人が動いたか、それを新潮社が慮ったかのどちらかだろう。筆者はそう思い掛けた。
しかし『川端康成とともに』の発行年は昭和58年で、補巻はその翌年だから本には載せようがなかったのだ。
亡夫の十三回忌を無事に終えた安堵感からなのか、補巻附録の秀子はいささか饒舌で三島のこと以外にも暴露的な書き付けがある。川端の通夜、葬儀での今東光和尚の勝手無謀な振舞いや和尚が無理やり葬儀場にした上野寛永寺からの法外な請求書への憤懣、それを三分の一近くまで値切ったことを実金額まで入れて書いている。

▲解けてくる三島と川端家のアヤ


この出所が間違いなく秀子だと確認出来たことでいろいろなことが見え、説明できる。
まず『川端康成とともに』の次の箇所だ。

「戦後(昭和三十二、三年でしょうか)三島由紀夫さんから、お願いしたいことがありますので、鹿島さんの次女の方(平泉渉さんの奥様になっています)を連れて行きます、という電話がありました。鹿島家で私たちの土地をぜひ譲ってほしい(鹿島の森ロッジを建てるためでしょう)ということでした。それなら電話で話はわかりましたから、別に御挨拶にいらっしゃらなくても結構ですと、三島さんに御返事しました」
(引用止め)

平泉渉の実父はあの平泉澄だ。十年後三島と相渉り楯の会結成への軌跡をたどることになる萬代、中辻、持丸はその門下生や流れを汲む者たちだった。これは三島の人生のアヤだろう。
さて秀子が『川端康成とともに』で三島を登場させているのはこの箇所だけなのだ。一見すると取るに足らない出来事で、なんともドライな扱い方だ。それが亡き夫が妻に遺した三島への気持ちだったのだろうと思わせる。

じつはこの軽井沢の土地は昭和15年ころ、川端が秀子に「大変今まで世話をかけたからみな君にあげるよ」と言って渡してくれた、改造社から出した選集の印税で買ったものだった。
それを川端は秀子に了解を得ず鹿島に渡してしまう。そして売却金をすべて書画骨董に注ぎ込んでしまった。秀子はその恨み辛みを三島に向け、そのエピソードを「思い出」として記したのだ。男の嫉妬の次に怖いのは女の怨念だ。

本家から川端家の養女にもらった大切な政子にアプローチしていた三島が、こんどは交際中の鹿島家の娘をこれ見よがしに連れてあらわれ、「私の」土地を奪ていったのだ。秀子は一度ならず、口惜しかったり不快な思いをさせられたのだ。

昭和32、3年の三島は、昭和27年結婚話をおずおず秀子に持ち掛けた三島とまったく違う。当時三島はまだ「女性」との付き合がなかった。
ガールフレンドを連れ堂々とあらわれた三島は『潮騒』『金閣寺』『鹿鳴館』『永すぎた春』『美徳のよろめき』などを世に問い文壇の寵児に躍り出ていたのだ。
秀子は、結婚話を断った自分だけでなく政子への当て付けに三島が大ブルジョアの娘を連れて来たと思ったはずだ。三島にもその意図が無かったとはいえない。
秀子の三島への悔しい思い、腹立たしさはかなりのものだったろう。
しかし苛立つ感情を押し殺して、さりげなく三島とのエピソードを書いている。さすが文豪川端康成の妻である。

▲香男里のルサンチマン


一方、香男里は晩年の川端に気に入られた主治医から、その友人として川端家に紹介され、政子と養子縁組をした。その香男里も三島に対する相当なルサンチマンを抱えているのだ。

平成22年鎌倉文学館開館25周年を記念して「川端康成と三島由紀夫」展が開催されたが、それにちなんだ香男里の講演があった。
その中身はちゃらんぽらんで奇妙なものだった。三島が生前くやしがっていたことが二つあり、それはノーベル賞が川端にいってしまったことと、「やんごとなき女性」にふられたことだと言うのだ。
その次に香男里がしゃべったのは、三島には他に付き合っていた女性がいた。それは鹿島一族の娘で、二人が一緒に川端家にやって来て軽井沢の所有地を鹿島に売ってほしいと頼んできたという話だった。

鎌倉文学館開館記念らしからぬ散漫な中身で呆れてしまった。
しかし秀子が三島から蒙った嫌な思い出は彼女としてはゆるがせにできないものだった。香男里は怨みに結晶化した養母の思い出をしっかり受け継いでいたのだ。    
その心情を察知できたのは香男里と一緒に登壇したり会場にいた三島由紀夫文学館関係者くらいだったろう。

香男里からしたら、自分が政子と知り合うずっと前、まだ中学生、女学生だった(その頃の写真を見ると美人で純真可憐な)彼女の歓心を、三島がケーキを手土産にして買おうとしていたのだから面白くないだろう。
結婚話を断った養母と政子への当て付けのように金持ちのガールフレンドを連れて来た三島を許せないだろう。

大文豪の娘をめぐるいざこざといえば、夏目漱石の娘筆子、彼女に果敢にアタックし奇行にまで及んだ久米正雄、それと兄弟弟子の松岡譲の三角関係が思い浮かぶ。これは筆子そのものより漱石の印税目当ての確執だった。
母鏡子に気に入られず思いを遂げられなかった久米は、その後生活のために書きまくり、片隅とはいえ文学史に名を留めた。一方、筆子を妻にした松岡は書く意欲を失い何も残せなかった。

香男里と三島の間に政子をめぐっての三角関係はなかったが、共通点は思いを遂げられずハングリー精神を持ち続けた方が名を成したことだろう。

▲川端康成「死の真実」


香男里と三島の間の最大のミステリーは、何といっても川端もからむ「三島最後の手紙焼却」事件である。香男里は、昭和45年11月初め富士の自衛隊分屯地から三島が投函した手紙が川端宛ての最後のものだったと主張している。
香男里がその手紙の存在を言い出したのは受け取ってから14年も経ってからだった。
その中身に踏み込んだ発言をしたのは、それからさらに13年後だった。

川端は三島から、その自決三週間前に最後の手紙を受け取り、「びっくり仰天」した。それを見せられた香男里は「これは大変なことになる」と判断して川端と語らって焼き捨てたというのだ。

川端はそれから一年五ヶ月後に自死に限りなく近いかたちで亡くなっている。この手紙が本当に存在していたのなら香男里はその内容を明らかにすべきだろう。
川端康成の「死の真実」は、主治医と称する方のオモチャではないし、川端家だけのものでもない。
(了)
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 編集部よりお知らせ
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憂国忌発起人でもある富岡幸一郎氏が鎌倉文学館館長に就任
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まことに慶賀にたえません。富岡氏が我々の運動に加わったのはまだ氏が高校生の頃、ときの流れを感じるとともに富岡氏の一層のご活躍を祈念するものです。またきたる6月には富岡氏を講師として公開講座が開かれます。是非ご来場ください。 
また4月7日には上記でも書評をのせた岩田温氏の新著『政治とはなにか』の出版記念パーティが都内で開かれました。弊会関係としては井尻千男、藤井厳喜、山崎行太郎、稲村公望、宮崎正弘、筆者などの顔ぶれが出席し、盛大な記念パーティでありました。岩田温氏の益々の活躍を期待するものです。 

北朝鮮の自称「人工衛星」もわずか2分足らずで空中分解、7百億円ものお金が文字通り線香花火で吹っ飛んでしまいました。ところで保守右派の中には核やミサイルを開発して米国と対峙しようとしている北朝鮮を「大日本帝国の残置国家」として反米主義の観点から評価する向きもあります。拉致問題をかかえているわが国としてそれは如何なものか(?)というのが筆者の感想です。 

今年は10月まで公開講座など講演予定がびっしりと目白押しです。いずれ劣らぬ強力講師陣のラインナップで内容も国防論、昭和史論、天皇論、三島とイタリア文化論さらに市ヶ谷事件の生き証人である寺尾克美元陸将補にも登場を願うことになっております。寺尾閣下は今年で83歳になられますが、憂国の情熱はいまだに盛んでその雄弁を期待します。そして11月の憂国忌についても目下鋭意企画をすすめております。 
昨今の論壇においては一見保守派、民族派が優勢なように見えますが、正直なところその実態は皮相、浅薄な論議が目につき、ある意味で論壇の知的頽廃が進行しているのではないかとさえ危惧されます。
三島由紀夫の思想と精神の継承を掲げる弊会としては、常にレベルの高い議論を喚起し、文化防衛の旗手でありたいと念願しています。会員の皆様の一層の叱咤激励をお願いするものです。 
(HT生) 
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 会報「三島由紀夫の総合研究」(メルマガ合本)バックナンバ−について
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 弊会会報(「三島由紀夫の総合研究」メルマガ合本)のバックナンバ−についてのご案内です。現在下記バックナンバ−が事務局にございます。ご希望の方には1部200円で頒布いたします。事務局までお申込み頂ければ振込用紙とともにお送りします。送料無料。ご利用ください。

第16号 (平成23年5月25日付)
 内容 ○第40回憂国忌シンポジウム後半 ○芳賀建介「ニュ−ヨ−ク憂国忌の思い出」他
第17号 (平成23年8月25日付)
 内容 ○井上隆史「三島由紀夫“幻の遺作”を読む〜もう一つの『豊饒の海』」
    ○竹田恒泰「天皇と憲法」他
第18号 (平成23年9月25日付)
 内容 ○西法太郎「鎌倉と水戸にて」○後藤修一「わが友ヒットラ−」他
第19号 (平成23年12月25日付)
 内容 ○田中秀雄「満洲事変の意義と石原莞爾」○関岡英之「中国を“拒否できない”日本」ほか
第20号 (平成24年3月25日付)
 内容 ○第41回憂国忌記念講演・新保祐司「三島由紀夫と崇高」
○赤星慶治「中国の海軍戦略と我が国の対応」そのほか。
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◎例会、公開講座、勉強会など連続開催のお知らせ
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国防講演会(主催:国防問題研究会、後援:三島由紀夫研究会)
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日時:  4月20日(金)18:30 (18:00開場)
会場:  中野サンプラザ8回研修室2
講師:  佐藤 守閣下(元航空自衛隊空将)
演題:  我が国を取り巻く2012年問題
<講師プロフィール>昭和14年、樺太生まれ、福岡県立修猷館高校卒、防大卒(第7期)、戦闘機パイロットを経て空幕勤務、空自幹部学校教官、第三航空団(三沢)、第四航空団(松島)、南西航空混成団(沖縄)の司令など常にわが航空防衛の第一線で活躍された。空将。現在は軍事評論家として活躍中。『日本の空を誰が守るのか』(双葉新書)など著書多数。

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三島研究例会(弊会会員を講師に迎えて行う会員勉強会です)
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日時:  5月25日(金)18:30(開場18:00)
会場:  中野サンプラザ8階研修室6
講師:  田中 秀雄氏 (会員、近現代史研究家)
演題:  石原莞爾の最終戦争論、そして支那朝鮮
(昨年9月に行われた満洲事変80周年記念講演の続編に当ります。)
<講師プロフィール>昭和27年、福岡県出身、慶應義塾大学文学部卒業 近現代史研究家、石原莞爾平和思想研究会、台湾研究フォーラム幹事。著書として『石原莞爾と小澤開作 民族協和を求めて』、『石原莞爾の時代 時代精神の体現者たち』(いずれも芙蓉書房出版)など多数。


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公開講座 富岡幸一郎氏を招いて
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日時: 6月22日(金)18:30〜2030(18:00開場)
会場: アルカディア市ヶ谷(私学会館)4階会議室
講師: 富岡幸一郎氏(鎌倉文学館館長。文藝評論家)
演題: 三島由紀夫は女系容認論者か?
      〜 その天皇論の意味するもの 〜
会場分担金  おひとり2000円(会員千円)


<講師プロフィ−ル>昭和32年生、中央大学文学部卒業、文芸評論家、関東学院大学文学部比較文化学科教授。著書 『仮面の神学三島由紀夫論』(構想社)、『新大東亜戦争肯定論』(飛鳥新社)など多数。 


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三島研例会 金子宗徳氏を招いて
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日時: 7月30日(月)18:30〜 (18:00開場)
会場: 中野サンプラザ8階研修室1番
講師: 金子宗徳氏
演題: 三島由紀夫と国体論

<講師プロフィ−ル>昭和50年生、京都大学総合人間学部卒、同大学院修士課程修了、同博士課程修了退学、政治学者、里見日本文化学研究所主任研究員、日本国体学会理事(『国体文化』副編集長)など。著書に『安全保障のビッグバン』(共著 読売新聞社)、『保守主義とは何か』(共著 ナカニシヤ出版)など。


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公開講座 ロマノ・ヴィルピッタさんを招いて
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日時: 9月24日(月)18:30〜2030(18:00開場)
会場: アルカディア市ヶ谷(私学会館)4階会議室
講師: ヴィルピッタ・ロマノ氏
演題: 三島由紀夫とイタリア
会場分担金  おひとり2000円(会員千円)



公開講座 寺尾克美閣下(退役陸将補)を招いて
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日時: 10月22日(月)18:30〜 (18:00開場)
場所: アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師: 寺尾克美閣下 (退役陸将補)
演題: 三島由紀夫事件の真相
会費: 二千円(会員は千円)
講師プロフィール:昭和4年生。愛媛県出身。昭和28年早稲田大学卒業、保安隊(当時)幹部候補生学校入校、以後経理将校畑をあゆむ。三島事件当時は41歳の3等陸佐。旧陸軍では経理畑では主計中将が最高位でしたが、自衛隊では陸将補(少将相当)が最高位です。昭和59年退官。
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  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@mishima.xii.jp
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(C)三島由紀夫研究会 2011  ◎転送自由
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