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JOG-mel No.1094 大東亜戦争で真に反省すべき事 〜 茂木弘道『大東亜戦争 日本は「勝利の方程式」を持っていた!』

2018/12/23

■■ Japan On the Globe(1094)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

         地球史探訪: 大東亜戦争で真に反省すべき事
〜 茂木弘道『大東亜戦争 日本は「勝利の方程式」を持っていた!』

「勝てる戦争をなぜ負けたのか」という反省をしていないので、我々は当時の弱点を今もひきずっている。
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■1.開戦直前に正式に採択された「勝てる戦略」があった。

 大東亜戦争に関する自虐史観には、次の二つの側面がある。

 1)「世界を侵略した悪い戦争」
 2) 何十倍もの国力を持つアメリカと戦って「勝てるはずのない愚かな戦争」

 このうち、1)の「悪い戦争」のウソはアメリカの共和党系の歴史学者や政治家により明らかにされつつあり、特にスターリンが日米を戦わせて漁夫の利をさらった史実が近年の秘密文書の公開などでも裏付けられてきた。[a]

 もう一つ、2)の「勝てるはずのない愚かな戦争」という見方に関しても、歴史文書の解明が進み、それが捏造された自虐史観であることが分かってきた。最近、出版された茂木弘道(もてき・ひろみち)氏の『大東亜戦争 日本は「勝利の方程式」を持っていた!』[1]は、この点を史実で明らかにした労作である。

 それも歴史の後智恵から「こうすれば勝てた」という「タラ・レバ」論ではなく、開戦直前に大本営政府連絡会議で正式に採択された国家戦略があった、というのである。

 茂木氏は、日本がこの戦略をそのまま実行していたら、十二分に勝てた(といっても、アメリカを征服するのではなく、日本の自存自衛とアジア諸国の独立を勝ち得て、有利な停戦に持ち込む)戦略であることを史実をもとに論証している。

 しかも、なぜ、この戦略が実行されなかったのかも、史実を通じて分析している。そこから出てくるのは、なぜ勝てる戦いをみすみす負けてしまったのか、という真の反省である。その真の反省が行われていない事から、当時の弱点を現代日本も引き摺っている。


■2.開戦前は日本の戦力が優勢だった

 まず戦略の前提として、開戦前の日米の戦力を比較しておこう。[1, p89、一部弊誌にて簡略化] 日本に比べて、米国太平洋側、および米国全体の優劣を○×で表しておく。

        日本    米国    米国
           (太平洋側) (大西洋側を含む合計)
  戦艦    10    11○   17○
  空母    10     3×    7×
  巡洋艦   38    32×   37×
  駆逐艦  112    84×  172○
  潜水艦   65    30×  111○
  航空機 4800     ?  5500○

 戦艦数では若干負けていたが、翌年完成する大和、武蔵を含めれば米国の太平洋側戦力は上回っていた。空母、巡洋艦では日本は米国全体に対しても優勢だった。駆逐艦、潜水艦でも米国の太平洋側戦力は凌駕していた。

 航空機数では日本は米国全体の87%。数は多少劣勢だが、零戦の性能ははるかに米軍機を上回っていた。開戦劈頭のフィリピン攻撃では、台湾から渡洋攻撃した零戦34機を2倍近い米戦闘機群が包囲して大空中戦が展開されたが、米軍機44機が撃墜されたのに対し、零戦の損害は1機のみであった。

 米国が工業力をフル回転させて大艦隊、大航空戦力を投入できたのは開戦2年目以降であるから、当初2年ほどは、日本が質だけでなく、量的にも米軍を凌駕していたのである。

 このデータから見れば、日本が米国相手に「勝てるはずのない愚かな戦い」をした、という見方は事実に悖(もと)る事が分かる。開戦2年以内に勝負をつければ、日本が日露戦争のように優勢のまま停戦に持ち込む、という可能性は十二分にあった。そして、実際にそれを目指した戦略が立てられていたのである。


■3.「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」

 開戦直前の昭和16(1941)年11月15日、大本営政府連絡会議は「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を採択した。アメリカ、イギリス、オランダ、蒋介石政権に対する戦争の「終末を促進」するための戦略案である。当時気鋭の経済学者たちを動員して各国の抗戦力調査を行い、それに基づいて立案された戦略であった。

 その冒頭の方針が、すべてを語っている。()の数字は説明のために弊誌で挿入したものである。また、かな、漢字などは読みやすく変えている。正確な原文は[1]を見ていただきたい。

__________
方針1 (1)速やかに極東における米英蘭の根拠を転覆して自存自衛を確立するとともに、(2)更に積極措置により蒋政権の屈服を促進し、(3)独伊と提携してまず英の屈服を図り、(4)米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。[1, p47]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 (1)の「極東における米英蘭の根拠を転覆して自存自衛を確立」とは、当時のわが国はABCD(米英中蘭)包囲網で資源輸入を絶たれ、国家の生存を脅かされていたからである。そこで日本は、開戦劈頭、電撃的な攻勢によりマレーシア、インドネシアなど南方資源地帯を確保した。

 特に石油に関しては、昭和17年2月、陸軍空挺部隊の活躍でインドネシアのパレンバン石油基地を無傷で確保できた。当時の日本の年間石油必要量およそ4百万トンに対して、年産約3百万トンの石油が確保でき、さらに技術者の努力により、これを6百万トンにまで拡大できた。こうして、(1)「極東における米英蘭の根拠を転覆して自存自衛を確立」する戦略は、見事に達成されたのである。


■4.「英米の主力艦は、もはやインド洋にも太平洋にもいない」

 (2)の「蒋政権の屈服」と(3)の「英の屈服」の鍵がインド洋にあった。まず、米英から蒋介石政権への軍事援助物資は、大西洋からアフリカ喜望峰を回ってインド洋を北上し、インドのカルカッタ港などから中国大陸の奥地に逃げ込んだ蒋介石政権に送られていた。

 インド洋の制海権はどうだったのか。開戦直後のシンガポールを拠点とするイギリスの不沈艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスは日本の航空戦隊の爆撃と魚雷攻撃により沈められていた[b]。

 イギリスのチャーチル首相はこの報告にショックを受けて、「英米の主力艦は、もはやインド洋にも太平洋にもいない。・・・このひろびろとした海域のいたるところで、日本は主導権を握ったのだ」と書いている。

 チャーチルの言うように、インド洋で日本は「主導権」を握る事ができた。112隻の駆逐艦や65隻の潜水艦の相当部分をインド洋に投入すれば、蒋介石政権への軍事物資を積んだ輸送船を次々と沈めて、その「屈服」を実現することは容易だったろう。

 そうすれば、蒋介石は日本との講和に応じたはずだ。もともと日本は中国大陸に領土的野心があったわけではない。蒋介石が英米の支援をあてにして、和平交渉に応じないからこそ、孫文の門下で蒋介石の先輩格にあたる汪兆銘に政権を樹立させていた[c]。英米からの支援が途絶えれば、蒋介石も膝を屈して汪兆銘との連立政権に参加し、中国戦線も終結していたろう。


■5.ドイツの懇請

 (3)の「英の屈服」もインド洋が鍵だった。というのは、英国はインドやオーストラリア、ニュージーランドからの食料や資源の輸入に頼っており、インド洋を抑えれば、イギリス経済の息の根を止めることができるからである。

 さらに、ロンメル将軍率いるドイツ・イタリア軍はアフリカ北岸をスエズ運河に向かって進撃していた。スエズ運河を抑えればイギリスへの中東の石油供給をストップできる。さらに東進すれば、中東の油田そのものが手に入る。

 スエズ運河を守っているイギリス軍を支援していたのはアメリカで、その援助物資はアフリカ東岸を伝ってインド洋を北上していた。これも日本軍がインド洋を抑えていれば、止めることができる。実際に昭和17(1942)年3月27日の日独伊混合専門委員会でドイツは日本に次の懇請をしている。

__________
 日本海軍がこの際、独伊のエジプト侵攻に策応し、アフリカ東岸を北上する敵側の補給動脈を撃滅する作戦を実施するよう、特別の配慮を望む。[1, p121]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 実際には、日本海軍はこの懇請を無視したので、アメリカは「アフリカ東岸を北上する補給動脈」を通じて最新鋭のM4戦車300両と自走砲100門を送る事ができ、これが決め手となってロンメル将軍は退却を余儀なくされたのである。ドイツからみれは、日本はなんと頼りにならない同盟国かと地団駄を踏んだ事だろう。


■6.米英の悲鳴

 インド洋の制海権の戦略的重要性は、ドイツのみならず、米英もも気づいていた。アメリカのマーシャル参謀長もこう悲鳴を上げている。

__________
 ドイツのロンメル将軍やクライスト(JOG注:ドイツの名将)が中東からやってくる。中東の全域がドイツとイタリアに制圧される。東から日本軍がやってきてインド洋が制圧されそうだ。アメリカとしては打つ手がないではないか。[1, p123]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 チャーチルもルーズベルト大統領あての書簡で、こう書いている。

__________
 今、日本がセイロン島と東部インドからさらに西部インドへ前進してくれば対抗できない。蒋介石支援ルート、ペルシャ湾経由の石油ルートやソ連支援ルートが遮断される。[1, p123]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「ソ連支援ルート」とは、アメリカの軍事物資がこれまたインド洋を通り、インドやイランを経由してソ連に送られていたのである。その量たるや、航空機1万4700機と、日本の零戦の全生産量に匹敵した。それ以外に戦車7千両、トラック37万台、食料448万トンなどのおよそ半分がインド洋経由だった。これらを止めれば、ソ連はドイツの攻勢に屈服していただろう。

 そうすれば、ドイツ軍は全勢力を対英戦線に投入できることになり、英国の運命は風前の灯(ともしび)だった。実にドイツの勝利の足を引っ張ったのは日本軍がインド洋を無視したことであった。


■7.「インドの独立を刺激す」

 チャーチルが恐れた「日本がセイロン島と東部インドからさらに西部インドへ前進してくれば」という作戦は、ごく一部だが実施された。昭和17(1942)年4月、南雲機動部隊がセイロンのコロンボを空襲して基地施設に損害を与え、付近の洋上で重巡2隻を撃沈、さらに西岸のツリンコマリ基地を空襲して大打撃を与え、小型空母ハーミスを撃沈した。

 この頃にはマレーシア、シンガポールの英軍から離脱したインド兵たちを日本軍が組織化して、シンガポールで4万5千人からなるインド国民軍が発足していた[d]。5月にはインド独立運動の指導者スバス・チャンドラ・ボースが東京で東條英機首相と会見し、インドに向けて独立を呼びかけるラジオ放送を行っていた。[e]

 ボース率いるインド国民軍をセイロンからインドに上陸させていれば、全インドが立ち上がって即座に英軍を追い出したろう。実際に「腹案」では、「英の屈服」のための「要領」の一つに「インドの独立を刺激す」を含めている。

 東南アジアとインドの植民地を失い、オーストラリア、ニュージーランドからの資源食料輸入が途絶え、中東の油田も失ったら、イギリスも屈服せざるを得ないだろう。日本はイギリスの命綱を断ち切る力を持っていた。チャーチルの悲鳴も当然であった。


■8.なぜこの「腹案」が実行できなかったのか

 中国もイギリスも「屈服」したら、自ずから「(4)米の継戦意志を喪失せしむる」が実現したろう。もともとルーズベルト大統領は「海外のいかなる戦争に巻き込まれることもない」事を選挙公約として当選したのである。それほど、米国民は遠くはなれたアジアやヨーロッパでの戦争に巻き込まれることを嫌っていた。

 そのためにルーズベルトは苦心して、日本を経済的に追いつめ、真珠湾攻撃という最初の一発を撃たせて、米国を「裏口からドイツとの戦争に巻き込んだ」(共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員)のである[e]。

 日本がこの「腹案」をきちんと実行していれば、蒋介石政権とイギリスが「屈服」し、そうなればアメリカも継戦意志を失って、適当なところで日本の優勢のうちに「戦争終末」を迎える事ができた可能性が高い。

 しかし、現実の大東亜戦争は、この「腹案」から大きく逸脱して、真珠湾攻撃で米国民を激昂させ、さらにミッドウェーやガダルカナルなど、戦略的にほとんど価値のない戦線で日本軍は消耗していったのである。

 なぜ、大本営で正式採択され、しかもドイツが懇請し、英米指導者が恐れたこの「腹案」を実行できなかったのか。茂木氏は著書の後半で、この分析を行っている。読者には、ぜひ直接、氏の著書にあたって、この問題を考えていただきたいと思う。

 一つだけ種明かしをすると、真珠湾攻撃であまりにも鮮やかな戦果を上げたので、さらに米国を痛めつけて米国民の志気を喪失させよう、という方向に走ってしまった事が挙げられる。やられたらかえってファイトを燃やすという米国民の気質も、また米国の工業力も無視した空想的戦略だった。

 経済学者たちの冷静な分析の結果から引き出された現実的な戦略を無視して、何の裏付けもない空想的な戦略に走る。これは現在の9条教と同じ非合理な精神構造ではないか。「勝てるはずのない愚かな戦争」という自虐史観に目くらましされて、真の反省をしていないので、我々はこの非合理的精神構造から抜け出せないのである。
                                        (文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(951) ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」 〜 日米戦争、冷戦、そして共産中国
 共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。
http://blog.jog-net.jp/201605/article_4.html

b. JOG(270 もう一つの開戦 〜 マレー沖海戦での英国艦隊撃滅
 大東亜戦争開戦劈頭、英国の不沈艦に日本海軍航空部隊が襲いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog270.html

c. JOG(140) 汪兆銘〜革命未だ成功せず
 売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平に賭けた。中国の国民の幸せのために。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog140.html

d. JOG(508)  インド独立に賭けた男たち(上)〜 シンガポールへ
 誠心誠意、インド投降兵に尽くす国塚少尉の姿に、彼らは共に戦う事を決意した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog508.html

e. JOG(509) インド独立に賭けた男たち(下)〜 デリーへ
 チャンドラ・ボースとインド国民軍の戦いが、インド国民の自由独立への思いに火を灯した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog509.html

f. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog096.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 茂木弘道『大東亜戦争 日本は「勝利の方程式」を持っていた! ―実際的シミュレーションで証明する日本の必勝戦略』★★★、ハート出版、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4802400713/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

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