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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 181号 2011.12.15

2011/12/15

∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
      「Zakka Films便り」
      アメリカでドキュメンタリー映画の配給会社を立ち上げてみよう!
       (3−最終回)
        小野 聖子
 †02 ■自作を語る
       『“私”を生きる』  土井 敏邦
 †03 ■列島通信≪名古屋発≫
    映像の3.11以後〜「第16回アートフィルム・フェスティバル」を終えて〜
        越後谷 卓司
 †04 ■ドキュメンタリー時評
      山形国際ドキュメンタリー映画祭2011雑感(2ー最終回)  萩野 亮
 †05 ■広場
    ■追遡時光:中国ドキュメンタリー監督とワイズマンの出会い
       秋山 珠子
    ■neoneo「わが一押しのドキュメンタリー映画2011」アンケート大募集!
    ■「自作を語る」などの原稿募集!
    ■上映を告知するには─
 †06 ■編集後記  伏屋 博雄


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┃01┃□ドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■「Zakka Films便り」 
┃ ┃ アメリカでドキュメンタリー映画の配給会社を立ち上げてみよう!
┃ ┃ (3−最終回)
┃ ┃■小野 聖子
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●土本作品の宣伝に着手

地震発生後は、多くの日本人がそうであったように、ニュースに釘づけになりまし
た。日本への国際電話は不通になり、メール・スカイプで、家族や友人の安否を確
認し、ジェローも日本から無事戻りました。ひと安心をしたものの、寝ている間に
何か起こるのではと1時間ごとに起きてはパソコンを開き、日本の報道をチェック
し、それとも友人から寄せられた情報を手がかりに、日本で、福島で、何が起こっ
ているのかを、悲惨な映像・ニュース・サイト・ブログをとめどもなく見続け、読
み続け、見続ける。緊急事態下ということでネット上に配信されたNHKライブニュー
スのすぐ横にはツイッター欄があり、速読法の鍛錬者でなければ、とても太刀打ち
できないような速度でメッセージが届きます。最初はうっとうしくて、画面からは
ずしていましたが、有効な情報も流れてくるので、ツイッターにも時々眼を向けな
がらの、身体や精神がおぼつかないような連日連夜。10日ぐらいも経った頃でしょ
うか、人々の切迫したツイッター発言の中に、時折、アダルト系の宣伝が流れてい
ることにふと気がつきました。それはある間隔ごとに繰り返し流れてきます。未曾
有な状況につけこんでの宣伝に、半ばあきれつつも、その揺るぎない反復と静かな
違和感に、なぜかアクセスしてみたい誘惑にふと駆られました。その時、急に、自
分自身がばかばかしいほどの贅沢な時間に身をゆだねていることへの自責の念が感
覚的に沸き上がってきたのです。
そうだ、私は土本典昭シリーズの宣伝をするところだったのだ。

思い返してみると、このプロジェクトは、アメリカでの土本監督の痕跡を調べるこ
とから始まりました。その源泉は、いかにして土本典昭監督をアピール・宣伝して
いくかを探求するためのものでした。驚くことに、70年代に『水俣―患者さんとそ
の世界』が配給されており、ニューヨークの映画館で上映された際の当時の新聞記
事も発見。86年以降には、その配給会社の記録が途切れ、ましてやフィルムの存在
にゆき着くことはできませんでしたが、その時代的な共有のダイナミック性に圧倒
されました。監督自身が参加なさった2003年のロバートフラハティーセミナーにお
いての多くの作家や評論家たちへの影響は、宣伝する上で、支柱的な役割を果たし
たのは、前号でも触れた通りです。『土本典昭 ニューヨークの旅』(監督:藤原
敏史、2003)を大いに参考にしたことも付け加えておきます。『ひろしまのピカ』
(1987)が女優スーザン・サランドンのナレーションを売りにして『Hiroshima No 
Pika』としてFirst Runという配給会社から2005年にDVDが発売されているのを知っ
た時は、土本作品はZakka Filmsが初めのDVDとしたり顔になっていた自分に水を浴
びせられたかのような気分を味わいましたが、同時に、そのDVD裏表紙の最下段にク
レジットされた“Noriaki Tsuchimoto”のフォントサイズのそのあまりの小ささに、
さらなる決意が加わりました。それらの痕跡をひとつひとつ拾い上げていく旅は、
子どもの頃に好きだった宝物探しゲームのような感覚です。ひとつのメッセージを
見つけ進んでいくと、次のメッセージがある。もしかして、土本監督が事前に周到
に仕込んでいてくれ、誘導していてくれているのかもしれないなと、そんなことを
秘かに思い描いてみたりもしました。
シリーズのDM用の文言は地震直前に既に用意していました。準備していた文面を、
改めて読んでみると、明らかに311以前のものです。今さらこんな文章をどの面さげ
て送るつもりなのかと、書き直しをすることに。日本の将来が危ぶまれるような大
災害直後に『水俣―患者さんとその世界』を扱うことの、この奇妙な符号に、仕込
みはまだ続いているのかと驚き、不謹慎な表現かもしれませんが、感動すら覚るほ
どでした。

顧客リストもさらにパワーアップし、環境学・医学史学研究者、アフガニスタンの
二作品に合わせて中東・南・中央アジア学も網羅。DM発送後は、多くの有名私立大
学図書館関係が土本シリーズを購入してくれたし、どこのルートからなのか、アメ
リカ以外からの注文もよくあります。宣伝トレイラーの制作とYouTubeへのアップ、
学会・研究会でのチラシ配布、学会誌・図書関係ニュースへの情報の提供、影響力
のあるサイトへのレビューの掲載などなど、『The Roots of Japanese Anime』で学
んだ知識・経験・コネクションをフル活用し、地道な宣伝活動を続けています。イ
ギリスの『Sight and Sound』という映画雑誌には、クリス・フジワラ氏による土本
典昭シリーズについての記事が掲載され、ドイツからもインタビュー記事を受けて
います。土本作品は、ゆっくりとですが、着実に世界各地に認知・配布され始めて
います。

●いかに普及させるか

現在、「産地直送Filmmakers Market」というものを企画しています。
Zakka Filmsで今後やりたい作品はたくさんありますし、土本典昭作品シリーズへの
旅も続いています。コツコツと作業を進めながらも、コストを考慮すると、扱う作
品数に限界があります。基本はひとりなので、時間もかかります。それらの問題を
超えていく方策として、今風で言えば、“ザッカフィルムズ・マルシェ”というと
ころでしょうか。せっかく英語字幕版があるのに、日本以外でほとんど活用されな
いのは、残念なことです。もっとたくさんの作品を気軽に北米で配給する方法とし
て、作家やプロデューサー各自に直接作品を持ち込んでもらって、Zakka Filmsを通
して、販売してもらうことを考えています。現段階で決まっているラインナップは、
『三池 終わらない炭鉱の物語』(監督:熊谷博子、2005)『沈黙を破る』(監督
:土井敏邦、2009)『まひるのほし』(監督:佐藤真、1998)『Blessed-祝福』
(監督:崟利子、2001)で日本以外のアジアのドキュメンタリー作品も視野に入れ
ています。サイトを大規模にリニュアル中で、近いうちにお披露目する予定です。
宣伝めいて申し訳ありませんが、参加したい方がいらしたら、Zakka Filmsまでご連
絡ください。

問題と在庫は否応無しに山積していますが、多くの方に助けられながら、ここまで
来ました。山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局、映画祭時代からの仲間・
知人たちには、何から何までお世話になっておりますし、土本基子さんは仕事関係
を通り越して、今や大切な友人のひとりです。
家内工業は相変わらず盛んで、ジェローは、英語の直しに四六時中駆り出されてお
りますし、息子はDVDシュリンクラップ包装担当。3枚ほどDVDケースをヒートガンで
溶かした後、腕をメキメキ上げ、今や彼の右にでるものはいません。
この場を借りて、家族を始め皆様に、お礼を申し上げます。

最後に、このささやかな物語の連載におつきあいいただきましたことに深く感謝す
ると共に、寄稿の機会をいただいたことに拝謝いたします。

2012年がいい年になりますように。

                       コネチカット州ハムデンにて

☆Zakka Filmsの公式サイト: http://zakkafilms.com/ 
☆Zakka Filmsのメールアドレス: onoseiko@zakkafilms.com 


■小野 聖子(おの・せいこ)
アメリカのコネチカット州で、Zakka Filmsを運営。
アメリカに来た当初の頃、想像以上に激しい社会格差に愕然とした。よくも暴動が
起きないものだと思っていたら、ウォール街の占拠が起こった。わが町でも、グ
リーンと呼ばれる中心部で占拠が起こっている。今朝、車の中からチラリと見たら、
冷たい雨の降りしきる中、テント群は、なんだか切なく悲しげな様子。一度、デモ
に参加してみたら、その老若男女ぶりに驚いたが、その大半は白人であった。例の
We are the 99 %を一緒に合唱しながら、数ブロックほどの小さなダウンタウンを
練り歩くと、その横で、慌ただしくアフリカ系アメリカ人がバスに大挙して乗り込
んで行った。アジア人は、私ただひとりで、誰にも聞こえないようにWe are the 
1%とつぶやいてみた。



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┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『“私”を生きる』
┃ ┃■土井 敏邦
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「長年、“パレスチナ”を追い続けてきたあなたが、なぜ日本の教育問題をテーマ
にしたドキュメンタリーなのか」――ドキュメンタリー映画『"私"を生きる』の企
画・制作の過程で、また完成後も多くの人にそう問われてきた。
私はジャーナリストとしてパレスチナやアジア、そして国内の現場で「問題」を追
い伝える一方、取材を通して数えきれないほど多くの人と出会うなかで、それぞれ
の“人の生き方”を目の当たりにしてきた。それは同時に、それら様々な人の“生
き方”の“鏡”に私自身の“生き方”を映し出すことでもあった。そして自問させ
られるのだ。「では、お前はどう生きるのか」と。

『“私”を生きる』で、私は「教育問題」や「日の丸・君が代問題」を論じようと
したのではない。もし私が教育現場に身を置き、根津公子さん、佐藤美和子さん、
土肥信雄さんの立場に置かれたら、私はどう行動しただろうかと、彼らをカメラで
追いながら、ずっと自問していた。正直に告白すると、私は彼ら3人のような行動は
とれないと思った。私なら、生活の基盤である職場で「あえて荒波は立てず、周囲
の環境と状況に順応し、穏便に過ごす」道を選んだはずだ。その方が楽だし、「心
穏やかに」日々を過ごせると思ったからである。しかし、彼らの生き方を追えば追
うほど、私はもう一度、自問せざるをえなくなった。「穏便に順応することで、ほ
んとうに自分は『心穏やか』にいられるのだろうか」と。自分が心から納得できな
い行動をとり続け、“ほんとうの自分”を偽って生きることに、自分は「心穏や
か」であり続けられるだろうか、そんな自分を受け入れられるのだろうか、いった
い自分はどういう生き方をしたいのか――。この映画の制作は、そういう自身への
問いを追う作業でもあった。

もう1つ、私にはこの『“私”を生きる』を制作する動機があった。それは“日本人
ジャーナリスト”として、日本の現状を前にして何をすべきか、という問いから始
まった。この制作を思い立つ直前、自民党の安倍政権下で「教育基本法」が改悪さ
れ、軍備の放棄を謳った日本国憲法の改悪の議論も高まっていた。“戦前への回
帰”とさえ思えるほど急激に右傾化する日本社会を目の当たりにし、日本人ジャー
ナリストとして、遠い“パレスチナ”を伝えるだけでいいのか、足元の深刻な現実
を前にして日本人ジャーナリストとして果たさなければならない責務があるのでは
ないか――そういう焦りに似た思いが私の中で抑えがたいほど膨らんでいった。で
は何を伝えるべきか。長い暗中模索の末、思い当たったのが、東京都の“教育現
場”だった。石原都政の下、急速に進行する"教育現場での思想・言論統制"は、日
本の右傾化の象徴のように私には思えたのである。
その教育現場での言論・思想の統制と右傾化は、この映画の企画から数年が経った
今、東京に留まらず、大阪など全国に波及しつつある。今、ドキュメンタリー映画
『“私”を生きる』を全国で劇場公開する意味がますます大きくなっている。


☆『“私”を生きる』
(監督・撮影・編集:土井敏邦/日本/2010年/138分)
2012年1月14日(土)からオーディトリム渋谷で緊急ロードショー!
1月27日(金)までの2週間限定公開。連日12:50〜
初日は関係者舞台挨拶あり、上映期間中はトークイベントを予定
詳細は公式HPまで  http://www.doi-toshikuni.net 


■土井 敏邦(どい・としくに)
1953年佐賀県生まれ。フリー・ジャーナリスト。85年以降、パレスチナをはじめ各地
を取材。93年よりビデオ・ジャーナリストとしての活動も開始し、パレスチナやアジ
アに関するドキュメンタリーを制作、テレビ各局で放映される。2005年に『ファルー
ジャ 2004年4月』、09年には「届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人々」全4部作
を完成、その第4部『沈黙を破る』は2009年度キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門
で第1位を獲得。現在、『飯舘村−故郷を追われる村人たち−』、「ガザに生きる」
全5部作を制作中。著作多数。



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┃03┃□列島通信 ≪名古屋発≫
┃ ┃■映像の3.11以後〜「第16回アートフィルム・フェスティバル」を終えて〜
┃ ┃■越後谷 卓司
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去る11月22日(火)から12月4日(日)まで、愛知芸術文化センターで「第16回アートフ
ィルム・フェスティバル」を開催した。この上映会は映像表現の新たな可能性を切
り開くような先鋭的な作品を、実験映画やビデオ・アート、ドキュメンタリー、劇
映画など、従来の映像ジャンルの枠組みを越えてセレクトし、映像表現の今日的な
状況を照らし出す試みとなることを意図している。

今回、ジャンル的な境界線を取り払う形でプログラミングすることで、最も意義が
あったと思えるのは、ヴェルナー・ヘルツォークの『The Wild Blue Yonder』(2005
年)と、「マティアス・ミュラー&クリストフ・ジラルデ作品集」3プログラムを連
続する形で上映できたことだろう。『The Wild Blue Yonder』は、地球から数万光
年離れた惑星ワイルド・ブルー・ヨンダーから飛来した宇宙人が、我々人類が進め
ている宇宙開発計画ついて、やや批判的な視点を持って語るという構成の作品なの
だが、ここで用いられるのが黎明期の頼りなげに飛ぶ飛行機や、NASAによる宇宙船
やステーション内での乗務員の活動を記録した既存の映像で、フィクションながら
も科学的な裏付けをもって語られるストーリーと奇妙なマッチングを見せて、現実
と虚構がないまぜとなるような感覚を観る者にもたらすことになる。

一方、1990年代以降の実験映画を代表する作家であるマティアス・ミュラーとクリ
ストフ・ジラルデは、一例を挙げると『フェニックス・テープ』(1999年)において、
アルフレッド・ヒッチコックの膨大な作品郡から、キス・シーンや人物が列車から
落下する場面、あるいは絞殺の場面などを抽出しつなぎ合わせることによって、ハ
リウッド映画の構造を批判的に暴いてゆく。これは既存の映画から一部の場面を引
用し、解体/再構築してゆくファウンド・フッテージと呼ばれる手法によるものだ
が、『The Wild Blue Yonder』とも共通性を見出せ得る。科学ドキュメンタリーと
フィクションの中間にあるようなこのヘルツォーク作品と、ミュラー&ジラルデに
よる知的で分析的な実験映画とは作品としての肌合いは大きく異なるが、ファウン
ド・フッテージという手法のジャンルを越えた広がりと表現における可能性を感じ
取った者も少なくないのではないか。

今回の上映会でもう一つ特徴的に表れたのが、今年3月11日に起こった東日本大震災
の影響である。仙台短篇映画祭製作による、震災からの復興として映画祭を開催す
るという思いに、この映画祭と縁のある監督たちが応えて作られた『明日』(2011
年)と、映画監督の河?直美が震災後の世界における重要な概念として提示した
“家”というキーワードに、ジョナス・メカスやビクトル・エリセら世界各地の監
督たちが応えた、なら国際映画祭製作『A Sense of Home Films』(2011年)という、
震災をきっかけに生まれた2本のオムニバス映画は、この地方でも話題となり会期中、
最も多くの観客が集まるプログラムとなった。

一方、期せずして震災の影響が反映されることになった作品もある。SOL CHORD企画、
前田真二郎監修による『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』(2011年)は、ある一日を
撮った映像に、前日とその翌日のナレーションをかぶせるという指示書に基づき、
様々な作家が5分間の作品を作るオムニバスである。監修した前田の意図は、映像メ
ディアが抜き差し難く持ってしまうリアルタイム的な記録性に対し、前日と翌日の
ナレーションを対比させることで、批評的な客観性を提示することだったのではと
思うが、3月11日の未曾有の大震災によって、この二つの要素のせめぎ合いがより明
瞭に表れ、印象深い作品となっていた。また当センターのオリジナル映像作品最新
第20弾として初公開された牧野貴『Generator』(2011年)は、その製作の最終盤に震
災が重なった作品である。作品には震災前に空撮された東京の風景が用いられてい
るのだが、今それを観る我々は震災後の世界を生きていて、3.11の体験を重ねて観
てしまう者も少なくないのではないか。作者のコンセプトは震災を経ても一貫して
変わらなかったが、その画面を我々がどう受け止めるかが、結果的に映像とその意
味するものは何かの問い掛けとなっているようで興味深い。


■越後谷 卓司(えちごや・たかし)
1964年東京生まれ。愛知芸術文化センター・文化情報センター主任学芸員。「アー
トフィルム・フェスティバル」等の上映会や「オリジナル映像作品」を担当。今年
刊行された金子遊編著『フィルムメーカーズ』では、『部屋/形態』(1999年)や
『フーガの技法』(2001年)などで知られる石田尚志の解説執筆と、全体の監修を行
った。



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■山形国際ドキュメンタリー映画祭雑感(2ー最終回)
┃ ┃■萩野 亮
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映画祭の会場のひとつであるフォーラム山形には、ふだんの映画祭ではあまり見か
けない年配のかたが多くつめかけていた。各作品上映後のQ&Aセッションでは、
地元東北のかたの発言が多くあり、東北一円から観客が集まっているようだった。
これもまたわたしの印象に過ぎないが、代わって海外からの観客やゲストが例年よ
りも少ない。おそらくこれは、諸外国での福島原発事故報道によるものだと推測さ
れた。今年の映画祭には、開催地山形により近い観客が集まったといえそうだ。そ
れは東日本大震災の被災地により近い、ということでもある。フォーラム山形では、
「アジア千波万波」とともに、東日本大震災についての特集「ともにある Cinema
with Us」のプログラムが組まれていた。

●〈報道〉と映画

いまなお作られつづけている東日本大震災とその被災地についての映画(以降ここ
では「震災映画」と記す)について考えるときに重要なことは、ひとつには撮影さ
れた時期である。3月のうちに撮られた作品と、それから半年後に撮られた作品を同
列に並べることはおそらくできない。地震発生直後は主としてマスメディアによる
〈報道〉の領域であり、何よりも現状を速く正確に伝えるために撮影がなされる
(ただしその報道映像の一部は、津波を目の当たりにした個人がケータイなどで撮
った映像によって構成されていた)。今回の特集でわたしの見たなかではもっとも
早い、地震発生後およそ2週間で被災地に入った『大津波のあとに』(森元修一監
督)と『311』(安岡卓治、森達也、綿井健陽、松林要樹共同監督)は、後者が撮影
の目的を「被災地の状況を現認すること」(大意)と字幕で簡潔に伝えていたよう
に、より〈報道〉の領域に近い作品だとひとまずはいえる。そして、ここで確認し
ておかなければならないのは、テレビ局などを母体とする報道とは違い、製作母体
をもたない映画作家たちの撮る映像は、その「出口」が明確ではないということだ。
そもそも作品として完成させられるのかどうかさえ、白紙の状態でしか撮影を始め
られない。

『大津波のあとに』は、まさに作品化することなど念頭にないまま、とにかく被災
地に駆けつけて撮られたものなのだと、森元は本誌で連載された撮影日誌(*1)で
述懐している。この文章の筆致にも如実に表れているが、この作品はきわめて慎重
な姿勢で撮影がなされている。仙台、東松島、石巻へと、人びとに話を聞きながら
北上したどり着いた大川小学校で、津波に呑まれた子どもの所持品を捜す家族に会
ったとき、「震災の〈取材〉をしている者です」と思わず名乗ったことに、森元は
逡巡する。これは〈取材〉なのか、と。そうした自己懐疑の念が、鏡に自身のすが
たを映した直後のショットに、痛々しいほど素直に反映されている。被災し、近し
い人を喪った人びとに話を聞くことへの深いためらいと、出来事の巨大さそのもの
へのおそれを、『大津波のあとに』は撮影者の声と手指のふるえを通して画面に跡
づけている。いくつもの小学校を訪ね、何よりもまず子どもへの気遣いを感じさせ
るこの作品は、時系列で素っ気なくつながれているにもかかわらず、「子ども」と
いう主題を一貫することで、作品を未来に開こうとしているように見えた。

これに対し『311』もまた、石巻にたどりつき、人びとへとカメラを向け始める。撮
影の経緯については安岡卓治の文章(*2)に詳しいが、四人の連名から成るこの作
品は、それぞれがカメラをもって自由に撮影し、安岡が編集し完成に至っている。
当初はこのようなかたちでの作品化は考えられてはおらず、それぞれがそれぞれの
仕事にもち帰るべきものとして撮影されていたという(その限りでは、この作品の
「監督」は、むしろ編集した安岡であるともいえる)。
先陣を切って人びとにカメラを向けてゆくのは森達也である。森は明らかに「ハ
イ」になっている。そうした森こそを冷静にフレームに収めているのは綿井健陽だ。
森のカメラは、『大津波のあとに』の「ためらい」や「おそれ」を微塵も感じさせ
ず、当然のように人びとの怒りを買う結果となっている。奇しくも森元がカメラを
向けた同じ人物に森もまたカメラを向けているが、その表情の違いを見れば、森の
カメラがいかに「暴力的」にふるまっているかがよくわかる。森もまたかつては森
元と同じように鏡に自身のすがたを映す繊細さをもち合わせていた(『放送禁止
歌』)はずが、『311』での彼の撮影行為はあまりにもひどい。そして綿井のカメラ
がそうした森の「ひどさ」を収めることをエクスキューズとして、『311』は〈撮影
者/対象者の非対称性〉という、むしろ撮影行為の前提条件とすべき論理に作品を
回収してゆこうとする。この作品が森達也を筆頭とするビッグネームの威光によっ
て衆目を集め、また『311』というタイトルで震災の経験を代表しようとすることに
は違和感以上のものを感じずにはいられない。

●「暮らしながら撮る」――『相馬看花−第一部 江井部落−』

『311』の共同監督として名前を連ねている松林要樹は、もう一本単独での作品を同
じ特集のなかで発表している。『相馬看花−第一部 江井部落−』だ。
『311』では断念された福島原発の「20キロ圏内」に写真家の友人とともに分け入り、
相馬市江井部落の人びとにねばりづよく、かつ軽やかに向き合ったこの作品は、ほ
とんど『311』をみずから批判し乗り越える記録表現の地平をかたちづくっている。
『311』であれだけ頻繁に画面を占領していたガイガーカウンターはついに一度も画
面に現れることなく、放射能という目に見えないものの脅威とその不条理が、人び
との暮らしを通して描かれている。いや、松林の関心は放射能などにはすでになく、
人びとの暮らしそのものなのだといったほうが正しい。許可を得て避難所にともに
寝起きし、同じものを食べる彼は、東京での暮らし(三畳間)をいっぽうに抱えつ
つも、被災地での生活のリズムにみずからを同調させてゆく。そのことが、人びと
との距離を、とても自然に縮めてゆく。撮ることの〈非対称〉な関係性は、そうし
てゆるやかに解除されてゆく。
前作『花と兵隊』(09)でも、対象者となる人びとの家に寝起きしていたという松
林は、かつて佐藤真がロバート・フラハティや小川紳介の映画について評した「暮
らしながら撮る」方法論を、独自に継承しつつある。また「原発の土地は、もとも
と陸軍の用地だった」というような老翁の話に興味深くうなずく彼は、前作から一
貫して〈歴史〉への関心を明らかにしており、小川プロの三里塚シリーズが六作目
『三里塚・辺田部落』(73)に至って村を成立させている〈歴史〉へと沈潜してい
ったように、現在も継続されている『相馬看花』シリーズにおいて、相馬の歴史へ
と分け入ろうとしている。「相馬野馬追」に焦点を定めたという第二部を楽しみに
待ちたい。

●〈物語〉を記録する――『なみのおと』

そしてもう一本忘れてはならない作品は、『なみのおと』(濱口竜介、酒井耕共同
監督)だ。今回山形で見られたあらゆる作品のなかで、わたしはこの作品にもっと
も衝撃を受けた。監督の濱口と酒井はともに東京藝大大学院映像研究科の一期生で、
劇映画の領野で活躍する俊英である。ほかの多くの震災映画が、たとえば瓦礫を背
景にした路傍でのインタビューをおこなっているのに対し、『なみのおと』は一貫
して室内に座して、人びとの話を長く記録している。地震発生直後の混乱がいくら
かは沈静した夏に撮影をおこなっていることが、これに関係しているといえる。場
面に応じて、作り手自身が直接に話を聞き、また二、三人による自由な「対話」
dialogueを記録しているのだが、いずれもが話し手の正面から撮られた表情を、切
り返しによってあたかも劇映画のように編集している。一見した限りではどのよう
に撮影されたかわからない「ありえないカメラ位置」から、3月11日のいくつもの
〈物語〉が紡ぎだされる。津波に流されながらも必死の思いで生還した壮年の夫婦
の対話や、故郷と海への思いを語り合う若い姉妹の対話は、くだけた話しぶりがと
きに笑いを誘いつつ、夫婦や姉妹であっても震災の経験にはたしかな隔たりがある
ことをあらためて認識させる、細部のゆたかさに富んでいる。このような機会がな
ければ話さなかったに違いない〈物語〉の交換が、彼らの関係を少しだけ更新して
ゆく。
3月11日から数カ月が経ち、あの日の出来事を幾度も反芻するなかで、経験は〈物語
化〉を余儀なくされる。「がんばろう日本」というような大きなメッセージに収ま
るはずもない、そうした個人の小さな〈物語〉こそを『なみのおと』は記録してい
るのであり、劇映画的な修辞によって最小限の演出を加えることで、その〈物語〉
は成立している。押し寄せる津波や瓦礫を直接に映さずとも、彼らのことばのなか
には、彼らの目にした光景が画面いっぱいに立ち現われてくる。あえて選ばれたと
しか思えない殺風景な室内は、わたしたちの想像力を受けとめる余白として機能し
ている。この作品はドラマの領域からの、一種のドキュメンタリー批評をはらんで
いるのだ。徐々に年の若くなってゆく対象者たちのいくつもの〈物語〉を聞き届け、
あたかも冒頭で老婆が読みあげる、明治の大津波を描いた紙芝居の〈物語〉に回帰
してゆく『なみのおと』は、〈物語〉もまた災害の経験を〈記録〉してきたのだと
いうことを如実に示している。なお、両監督は続編となる作品を現在制作中である
という。こちらも楽しみに待ちたい。

  ****  

これからも震災映画は続々と完成を見るだろう。いまわたしが懸念することは、そ
うした作家たちの営みに対する批評の不在である。映画祭で今年新しい試みとして
始められた「映画批評ワークショップ」で、おそらく対象作品に含まれていなかっ
たのだと想像されるが、震災特集の作品が一本も批評の俎上にのぼらなかったこと
は、どこか腑に落ちなかった。「批評の不在」などとそれらしいことを書いたが、
単純に、もっと語るべきだと思った。少なくともそれがものを書く者としての、わ
たしの震災との向き合い方なのだと山形で思いを新たにした。(了)


*1 「東日本大震災を撮影して―『大津波のあとに』制作の経緯」(本誌174号−
178号)
*2 「突き刺さる声 ドキュメンタリー映画の仕事」(『映画芸術』436号)


■萩野 亮(はぎの・りょう)
映画批評。「映画芸術」などに寄稿。本文でもふれた『大津波のあとに』は、『槌
音』(大久保愉伊監督)と併映で全国巡回上映中。劇場用パンフレットに寄稿しま
した。あわせて読んでいただければ幸いです。



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┃05┃□広場
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■寄稿
■追遡時光:中国ドキュメンタリー監督とワイズマンの出会い
■秋山 珠子

今秋、東京渋谷のキノハウスで二つの本格的なレトロスペクティブが開催された。
ユーロスペースでフレデリック・ワイズマン、オーディトリウム渋谷で王兵(ワ
ン・ビン)。それに、封切られたばかりの富田克也『サウダージ』が加わり、各映
画館が集まるキノハウスは、連日、豊作の年の秋祭りのような熱気を発していた。
充実の上映作品群の中でも、中国ドキュメンタリー映画に関わってきた私には、と
りわけ見逃せないプログラムがあった。ワイズマン監督の『動物園』―中国ドキュ
メンタリー映画に大きな変革をもたらすきっかけとなった作品である。息せき切っ
て劇場に駆けつけ、シートに身を沈めると、18年前のある夜の記憶がまざまざとよ
みがえってきた。

1993年10月、私は、まだ夏の名残の暑さを感じさせる東京を離れ、涼やかな空気流
れる山形にいた。前年、北京で知り合った呉文光(ウー・ウェンガン)監督の紹介に
より、山形国際ドキュメンタリー映画祭の中国語通訳を務めるためである。中国か
らの映画祭ゲストは、呉文光、段錦川(ドゥアン・ジンチャン)、○智強(ハオ・ジチ
ャン)の三人。うち呉文光は、中国インディペンデント・ドキュメンタリーの嚆矢で
ある『流浪北京』を引っさげて前回の映画祭にも参加しているとあって、多くの映
画人と親しげに語らい、既に常連の風格を漂わせている。初参加であり、年少の段
錦川、○智強の二人は、やや緊張の面持ちで弟分よろしく常に呉の脇を固めつつ、
連日作品を見、呉を介して知り合った佐藤真監督らアジアの映画人と酒を酌み交わ
し、そこで語られる生前の小川紳介監督の様子に耳を傾けつつ、映画祭で吸収でき
るものすべてを吸収しようと、貪欲な目を輝かせていた。

映画祭が始まり何日目かのある晩、私は、三人の中国人監督に同行し、ワイズマン
監督の『動物園』を見に、町の中心から少し外れた映画館まで足を伸ばした。人通
りもまばらな日暮れの通りを20分近く歩き、映画館に着くと、あまり広くない客席
は満席に近い。三人の監督たちはそれぞれバラバラに座り、私は館内ほぼ中央の座
席に陣取る呉文光の斜め前の席を辛うじて確保した。この町外れ(?)の映画館に
これだけの人を集めるとは、どんな作品なのだろう?明かりが消え、期待を込めて
スクリーンを見つめる。しかし、5分経ち、30分経ち、1時間経っても、画面に写し
出されるのは動物園の平穏な日常ばかり。時おり、獣医師の診察にうなり声を上げ
て抵抗する動物などが登場し、すわ、これが物語の主役か、と思わず身を乗り出す
が、とりたてて劇的な展開を見せないうちに、彼らはスクリーンから姿を消してし
まう。ワイズマン作品のみならず、それまで映画館でドキュメンタリー映画を見た
ことなどほとんどない私は、もしやこの調子で延々130分続くのだろうかと不安にな
り、恐る恐る辺りを伺う。すると、多くの観客がスクリーン上の平穏な光景に熱い
視線を送っているではないか。斜め後ろの呉文光など、前のめりになっている気配
だ。時々睡魔に襲われつつ、しかしこの「単調」な日常風景が畳み掛ける謎に次第
に頭を占拠されていくうちに映画は終わる。

客席に明かりが点くや否や、不意に背後から肩を揺すぶられた。
「おい、Tamako、見たか今の! 君はどう感じた?」
普段より一層早口になった呉文光が、上ずった声を上げている。ただならぬ彼の様
子にたじろぎながら、「あ…、いや、不思議な作品だった。何の変哲もない動物園
の風景かと思っていると、動物も人間も、何かのシステムの一部みたいに見えてき
てしまうから…」私が精一杯の中国語でそこまで答えると、彼はにんまりと笑いな
がら、
「ちゃんと見ていたんだな。寝ていたのかと思ったよ」
―そう満足げに言うと立ち上がった。
観客でごったがえす館内を出ると、外はもう真っ暗だった。映画館を出た路上で合
流した三人の監督たちは、たった今見たばかりの『動物園』について語ろうと、皆
がうずうずしている。夜の山形の空気はすでに冷え冷えとしていたが、彼らの顔は
上気し、うっすら汗ばんている。呉文光、段錦川、?智強の三人は、口々に興奮を語
りながら、バッファローの群れよろしく、夜の闇の中を大股で足早に進み、私は慌
ててその後を追った。

その上映以来、中国のドキュメンタリー監督たちは、小川紳介に並び、ワイズマン
の名前を、特別なものとして崇拝をこめて語るようになった。映画祭が幕を閉じ、
日本を発つ際、呉文光は「映画祭に来られない中国の仲間たちに見せたい」と、
『動物園』をはじめ何本かのワイズマン作品や他の監督の作品のビデオを持ち帰っ
た。帰国した呉文光は、北京のアパートに仲間を集めては、こうしたビデオの上映
会を開いた。上映会の常連の中には、後に段錦川とともに、天安門広場の日常を
ノーナレーションで描く『広場』(1994)を共同監督する張元(チャン・ユァン)もい
た。『広場』の2年後、段錦川は「ダイレクトシネマの方法を用いて」ラサ市内の行
政の末端組織を描いた『八廓南街16号』(1996)で、シネマ・ドゥ・レエルのグラン
プリを得た。それは、中国ドキュメンタリー作品が、初めて海外のドキュメンタ
リー映画祭で獲得した大賞だった。

2011年、ユーロスペース。『動物園』の上映が終わり、ゆっくりと明かりが点く。
窓から見える渋谷の街にはまだ日が残り、ふらふらと階段を下りると、2階のオー
ディトリウム渋谷では王兵作品が上映されている。不意に、3階と2階を結ぶキノハ
ウスの階段が、18年の時の隔たりをつなぐトンネルのように見えた。王兵『鉄西
区』、李一凡(リ・イーファン)・○雨(イェン・ユィ)『水没の前に』らによる中国
ダイレクトシネマの流れが、1993年10月の一夜の出来事に収斂していく。夜寒の山
形の街を口角泡を飛ばしながら闊歩する、大柄な男たちの後ろ姿へと。


■秋山 珠子(あきやま・たまこ)
映画字幕翻訳・通訳、中国文化研究者。中央大学・東京大学非常勤講師。80年代末
より中国の思想・美術・映画がクロスオーバーする領域の研究を手がけ、その過程
で草創期の中国ドキュメンタリー監督と出会う。字幕翻訳作品に、張元『クレイ
ジー・イングリッシュ』、王兵『鉄西区』や『鳳鳴』など。今月17日開催の「轟轟
烈烈!中国インディーズ・ムービー」パート4では、封印してきた(?)若き日の呉
文光と『流浪北京』の物語を語る予定です。



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■neoneo「わが一押しのドキュメンタリー映画2011」アンケート大募集!

(1)「わが一押しのドキュメンタリー映画2011」
2011年にご覧になった作品のうち、これこそ一押しのドキュメンタリー!
と思う作品とその理由。旧作でも構いません。(200字程度)

(2)「私のゆく年くる年」
印象に残った出来事、これからの抱負など、映画に限らず思うことは?
(200字程度)

上記の2問のうち1問でも構いません。お名前とお仕事を明記のうえ、
ご応募ください。締め切りは2012年1月10日です。
1月15日号に新年特集として発表します。
送信先: visualtrax@waltz.ocn.ne.jp 



■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の5日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@waltz.ocn.ne.jp  伏屋まで


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■上映を告知するには─
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
掲載は有料にしています。なおカンパにもご協力くださいますよう、お願い申しあ
げます。

(1)上映等の掲載料は、 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき
3,000円(税別)です。それ以上の行数の場合は比例して加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。

送金先:みずほ銀行小金井支店、普通口座、1211958 ビジュアルトラックス
(入金を visualtrax@waltz.ocn.ne.jp にお知らせください。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



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┃06┃■編集後記:伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●小野聖子さんの最終回は、土本作品を周知させようとする動きを綴る。
日本の震災を気にしながら、懸命に取り組む様子が伝わってくる。

いうまでもなく、日本のドキュメンタリーが海外に十全に紹介されているとは言い
難い。海外からも「見たいけれど、見られない」という不満が沈潜している。そう
した現状を打破するにはどうしたらいいのだろうか?小野さんが在米の強みを生か
してZakka Filmsを立ち上げたのも、そうした危機感の現れからだ。しかし、
仕事は緒に就いたばかり。経営規模は小さく、扱う作品数も限りがある。仕事の効
率をもっと上げたい…
そこで考えられたのが、「産地直送Filmmakers Market」である。これは、「作家や
プロデューサーが各自に直接作品を持ち込」み、Zakka Filmsを通して販売する方
法」である。―ここに至って、わたしは、「なるほど、こういう手があるんだ」と
合点したのだった。
読者の中には、英語バージョンがあるにもかかわらず、英語圏に届いていないと感
じている方は多いのではないかと思う。そういう人は、Zakka Filmsに挑戦の意を伝
えるなり、問い合わせるなりしてみてはどうだろうか。
メールアドレスは小野さんの文章の末尾に掲載している。

●「自作を語る」に、土井敏邦さんの新作『"私"を生きる』について投稿があった。
本作は今年のヤマガタで上映され、1月中旬からの渋谷を手始めに、各地に順次公開
されてゆく。なお公式サイトの「コラム」欄には、土井さんの映画祭期間中に見た
作品評がびっしり書かれている。

●意欲的な企画を次々と打ち出している愛知芸術文化センター。主任学芸員である
越後谷卓司さんによる「第16回アートフィルム・フェスティバル」のレポートを読
むと、名古屋まで飛んで見に行きたくなるような企画に魅了されてしまう。本企画
には「映像の3.11以後」と副題がつけられているが、「3.11」はわたしたちの背に
べったり張り付いている。

●3.11関連では、萩野亮さんがヤマガタで上映された「震災映画」を批評。
それらは撮影した時期によって、さらに撮影者の向き合う姿勢によって、大きな差
異を生み出すことを詳細に示している。萩野さんが指摘する「震災映画」評の不在
は、映画の自立に不安を抱かせる。

●秋山珠子さんは中国語通訳の第一人者である。と同時に、中国のインディペンデ
ントの監督たちと親しく交流している方でもある。今回の寄稿によって、1993年の
ヤマガタを訪れた呉文光たち一行が貪欲に最前線の映画を吸収しようとしていった
様を、とりわけワイズマン映画との出会いがいかに衝撃的だったかを知ることにな
る。

●「わが一押しのドキュメンタリー映画2011」のアンケートを募集する季節になり
ました。今年見た作品のうち、ひとつでも琴線に触れる作品があったなら、応募し
ませんか。皆さまの回答をお待ちしています。

今年もご愛読くださり、ありがとうございました。



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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
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