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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 176号 2011.10.1

2011/10/01

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 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
       東日本大震災を撮影して─『大津波のあとに』制作の経緯(3)
         森元 修一
 †02 ■自作を語る
       『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』  大浦 信行
 †03 ■ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
       タブーを壊す元大統領  岡村 淳
 †04 ■ドキュメンタリー時評
       『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
        (監督:バンクシー)  桑垣 孝平
 †05 ■広場
     ■「全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する」の
        編集を担当して  田中 朋子
     ■『無言歌』公開記念ワン・ビン全作一挙上映!@オーディトリウム渋谷
        Part1:10/8―10/14 Part2:11/5―11/11
     ■「自作を語る」などの原稿募集!
     ■上映を告知するには─
 †06 ■編集後記  伏屋 博雄


★バックナンバー閲覧はこちらまで
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┃01┃□ドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■東日本大震災を撮影して─『大津波のあとに』制作の経緯(3)
┃ ┃■森元 修一
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3月25日、仙台を出発、三陸道で石巻に向かいました。
対抗二車線の三陸道、石巻方面には自衛隊、救急車、物資輸送車、重機を荷台に積
んだトラックなどが列をなしていました。
東松島市に入り鳴瀬奥松島の料金所にさしかかると、警視庁特殊車両の大型電光掲
示板が「この先 地震のため 車両規制中」と表示し、
緊急車両以外不通になっていました。料金所を通過して一般道へ降りましたが、こ
れまで通ったことがない道です。
カーナビのついていない車であることに加え、単独行なので自分で地図を横目に見
ながら運転し、奥松島方面と石巻方面に分かれる大きな交差点に出ました。
赤信号で停車し、そこにあった標識に奥松島、そして野蒜という文字を認めました。
野蒜、それはテレビや新聞が震災後の早い時点でその大きな被害を報じていたこと
で記憶していた地名でした。
長い信号待ちのあいだ、どちらの方向にハンドルを切るか考えていました。
やがてシグナルは青に変わり、私は野蒜にむかってアクセルを踏み込んでいました。

鳴瀬川沿いの道を海に向かって進むと、陸地側にすこしずつ漂着物、破壊された住
宅の木片や車がどんどん増えていきました。
やがてそろそろ河口だというところで、一階部分が津波に破壊された建造物が視界
に入ってきて、さらに海沿いを走る道に入ると、
海岸から丘と称するにはやや緩やかすぎる斜面までのせまい範囲が根こそぎ押し流
された様相が目に飛び込んできました。
車を停めて辺りを見回しても、遠くでかすかに重機の作動音が聞こえるだけで、人
影はまばらでした。
消防団員と自衛官、そして多くの墓石が倒れている墓地にひとりの男性がいました。
ほかに住民とおぼしき方は見当たりませんでした。仙台市の荒浜地区のことを思い
出しました。
あのとき、見回りの消防団員の方にカメラを向けたけれど、きちんと人の話を、そ
の声を聞いたとはいえませんでした。
その翌日にも私は同じ場所に足を運んでいました。
荒浜地区の光景がほんとうにこの世のものとは思えなかったから、もう一度その実
在を確かめにいく、そんな心持ちでした。
そして残念ながら、前日と変わらず目の前に広がっていた世界は夢幻でなく、私の
足下には住民の生活のさまざまな物品、そして営みの痕跡が白日のもとに晒されて
いました。
私は無人のカメラフレームを見つめながら、津波で破壊されてしまったこの場所に
は人がいたのだ、そのことを忘れてはいけない、とくりかえし自分に言い聞かせて
いました。
そうしなければ、誤解をまねく表現かもしれませんが、非日常の風景が持つ一種異
様な迫力、それを撮影するという行為に淫してしまうかもしれなかったのです。
ここに人がいて、ありふれた日常の安息があった。それこそが真に尊ぶべきもので
あり、よって立つ大地が揺れ動くこの不安定な世界で実に得難いものだったのだ、
震災に遭遇した人々がそんなことをかみしめているこの瞬間、撮影するべき対象は
やはり人ではないのか、そう自分に語りかけていました。
しかしそれは私の観念的な考えであり、すさまじいまでに日常が破壊された風景の
なかにいる地元の方にカメラを向けることはその日もできませんでした。
今日こそは試みなければ。

私は墓地にいる男性に話しかけて、東京から来た東日本大震災を撮影している者だ
と名乗りました。
こんな大変なときに申し訳ありませんが、差し支えなかったらお話聞かせていただ
けませんか、差し支えないわけないじゃないかと自分自身につぶやきながら話しか
けました。
しかし男性はやさしい口調でいいですよと答えたのです。
あまりにすんなり許可がおりたことに意外な気持ちのまま名刺をお渡ししました。
私は仙台からの道中のことを世間話のように話しながら、自分としてはできるだけ
さりげないつもりでビデオカメラのスイッチを入れました。
そして、本題の質問を口にしました。「津波のときはどちらにいらっしゃったんで
すか?」
そんな直截すぎる、残酷な質問を受けてもその男性は不快そうに表情を変えること
もなく、話し始めてくれました。

「仕事に行っていて津波を見ていないんですよ。うちの奥さんとかは車で避難した
んです」その避難した場所がこのあたりで一番高いから、と示された先は車二台分
くらいの高さしかありません。
すでにテレビやネットで津波の映像を観ていた目にはあまりに頼りなく映りました。
男性は話を進めます。「車停めて降りたら波が来ちゃって流されちゃって」。
わるい予感が脳裏を走りました。奥様は亡くなってしまったか、いまも行方不明な
のではないのか。
この目の前の男性がもっとも心を痛めている事柄を聞き出そうとしているのかもし
れない。
そのようなことを思い戦慄がよぎった瞬間、つぎの言葉が耳に入ってきました。
「そのあたりで人に助けてもらってなんとか助かった」。
男性は先ほどの場所を指さしています。
感情が反転しました。そうか、ああ助かった!。
それは奥様の生還へのよろこびであると同時に、自分が凶事を耳にしなくてよかっ
たという浅ましい感覚でした。
しかし男性はさらに言葉を続けました。「子どもだけはダメでしたね」。
反射的に聞き返していました。「お子さん、流された?」。
「三ヶ月の子どもを奥さんが抱いてたんですけど、いなくなっちゃたんですよ」。

外から来た人間にたいする気遣いだったのかもしれません。
なぜか申し訳なさそうな口調でした。
もしかしたら、こんな話を聞かせて悪いねといった気持ちではないか。
そんな想像をしてしまうくらい、朴訥なお人柄のようにお見受けしました。
その口調、そして表情がよけいにショックで、一瞬感じた安堵の思いがまた反転し
ます。
しかしそんな風に動揺していながらも、同時に会話の接ぎ穂をさがしていました。
何秒か沈黙が続いたら、彼は口をつぐんでしまうかもしれない。そうならないため
には質問を続けなければならない、とっさにそう思いました。
「二週間経ちましたけど…」、
「見つかんないですねえ」。
「警察とかも分からない…」、
「分からない。一応、遺体安置所に行ってもダメですね」。
そんな質問とも呼べない問いかけの言葉にも男性は答えてくれていました。

「奥様はいま?」「避難所にいますけど」。
「家も流されてしまって?」「家は基礎しか残ってなくて」。
「お子さんと三人で暮らしていらした?」「四人で。子ども二人いたんだけど。一
人は実家の祖母が抱っこしてたから助かったんですけど」。
頭のなかで奥様のお話を聞けないだろうか、と奇妙な冷静さで考えている自分がい
たことは認識していました。
そんな自分に対して、なに取材ごっこしてんだよ、と皮肉るもう一人の自分。
目のまえにいる人の話に動揺しながら、一方で事実を突き放して見ていることは否
定しようがありませんでした。

しかし結局、三ヶ月の赤ちゃんを亡くしたばかりの女性にどんな言葉を、そして質
問をかけられるのかわからない私は、
まあ今はそんな状況です、といった風情の男性に会話の終わりの空気を感じ、お礼
の言葉とともにその場をあとにすることしかできませんでした。
東日本大震災の発生からちょうど二週間目の日のことでした。(つづく)


☆『大津波のあとに』上映予定(『槌音』と同時上映)
・10月7日(金)、山形国際ドキュメンタリー映画祭。16時からフォーラム山形4に
て。
  http://www.yidff.jp/2011/schedule/11s07.html#v6 
・10月15日(土)、NPO法人「ニュースタート」主催上映会。14時から。
  http://www.new-start-jp.org/event.php?fn=tsunami 
・10月1日(土)ー11月23日(水)、神戸ビエンナーレに映像で参加します。
  http://www.kobe-biennale.jp/kikaku/tohoku/index.html 
『大津波のあとに』『槌音』公式ホームページを開設しました。ぜひご覧ください。
  http://fartheron.soragoto.net/index.html 


■森元 修一(もりもと・しゅういち)
1970年鹿児島生まれ。東洋大学印度哲学科卒業後、フリーの助監督として小林政広、
サトウトシキ、瀬々敬久などの作品に参加。



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┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』
┃ ┃■大浦 信行
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2007年8月下旬、ぼくとカメラマンの辻君は、奄美にいた。見沢知廉の映画をつくる
ためのロケハンに来たのだ。レンタカーを借りて4日間程、奄美本島と、その奥座敷
とも云うべき加計呂麻島を回った。
海に囲まれた小さな島、雲の間(ま)に間(ま)に飛び交う鳥たち。散り散りになって
流れ去っていく雲。おぼろな山と谷。影深く、透きとおった水の流れ。渚にたたず
む我々を、波が遠くにいざなっていく。この奄美という異界から見沢映画を開始し
ようと、ぼくは当初から硬く決意していた。

見沢知廉の映画をつくろうと思ったそもそもの動機は、実は彼とぼくは、コインの
裏表なのではないかと思ったからだった。ぼくは、彼のようにはアクティブに生き
れなかったけれど、彼の心の奥底に巣くう深い闇が、ぼくが抱え込んでいるどうし
ようもない焦燥感と世界に対する異和として、お互いに共鳴し合っているのではな
いかと思ったのだ。いってみれば、見沢とぼくは、「双子の兄弟」なのかもしれな
いと密かに思ったのだ。

この映画の主人公、見沢知廉は十代の頃から暴走族、新左翼へとひた走り、1978年、
三里塚闘争の最前線で戦うも、やがてその左翼にも失望。新右翼へと身を転じゲリ
ラ活動を指揮する。1982年スパイ粛清で同志を殺害、懲役12年の刑を受け千葉刑務
所に収監される。獄中で書いた小説「天皇ごっこ」が新日本文学賞を受賞、出所後
は作家活動を展開する。しかし出所10年後、自宅マンションから投身自殺を図る。
享年46才であった。日本近現代の闇を一身に抱えて苦闘し、何物かを?み取ろうとも
がきながらも、志し半ばで力尽き、宙空に散っていった見沢知廉。その彼が必至で
捜し求めていたものとは?それはぼくたち一人一人に課せられた宿題ではなかった
だろうか。

ぼくはかって、昭和天皇をモチーフにした版画シリーズ<遠近を抱えて>をつくっ
た。それは、ぼくがニューヨークにいた1975年から1985年の間に生まれたものだ。
日本とニューヨークという位相のずれがつくり出す時間と空間の中に宙吊りにされ
た自分自身の"自画像"をつくろうと思ったのが、そもそもの動機だった。この生身
の身体が、自己を決定させる唯一絶対のものではなく、この身体を剥ぎ取っていく
作業を通してこそ、もう一つの自己に出会えるのではないかと思ったのだ。

膨張と収縮を繰り返しながら、拡散し増殖していく"私"という存在。そして皮膚の
毛穴の中にまで染み込んでいる"内なる天皇"と自分を重ね合わせることによって、
自己は益々見えなくなっていくだろう。身体の内部を空洞化させ、自己から最も遠
くに投げ出していく作業によってこそ、自分を発見する糸口が見えてくるのではな
いかと思ったのだ。

そのような行為の延長線上に、いくつかの映画は生まれた。『遠近を抱えて』
(1995)、『日本心中』(2001)、『9.11-8.15 日本心中』(2005)、という映画
のそれぞれ。そしていままた『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』が完成
した。

映画ではぼくの分身として、「双子の妹」という架空の人物を設定した。そして双
子の妹は、この現実と虚構のはざまを往還する死者でもあるのだ。その死者の視点
を通して、ぼくと妹は、見沢知廉に出会うに違いない。その時、「もし夢が現実に
先行するものならば、われわれが現実と呼んでいるものは、逆に不確定なものにな
る。すると夢こそが現実である」、という声が遠くから谺する。それは闇にうごめ
く無数の死者たちの、交響する声だ。その死者たちの赤い吐息にいざなわれるよう
にして、ぼくたちは異界である奄美に来たのだった。『天皇ごっこ』は、そのよう
な"死の場所"としての自己のありようを求めていくものとして在った。

未だ見ぬ兄を捜して、かつての友人や知人を訪ね歩いていく妹の旅を通して、次第
に明らかになってくる見沢知廉の全貌。その彼の無念の想いを、神話的悲劇の旅と
して描いていった。それはポリフォニック(多声音楽)に奏でられる交響する映画の
めくるめく旅である。無数の色彩を持った見沢知廉の像。それは私たち一人一人の
自画像それ自体だ。と同時に、その先に見えてくるものは、実は日本そのものが閉
鎖病棟であり、果てなき監獄であったという事実である。そこからの脱出は果たし
て可能だろうか。死者の視点を通して、この日本と見沢知廉を多層的に描いたのが
『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』なのだ。

☆『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』
 (2011/日本/HD/カラー/115分)
激動の時代を駆け抜け、自死を選んだ作家・見沢知廉の実像に迫るドキュメンタ
リー映画
監督・脚本・編集:大浦信行 撮影・編集:辻智彦 録音:川嶋一義 音響設計:
塩浜雅之 制作:葛西峰雄・宮下昇 特殊効果:船越幹雄・近藤佳徳 撮影助手:
佐藤洋祐・満若勇咲 出演:あべ あゆみ/設楽秀行/鈴木邦男/森垣秀介/針谷大
輔/雨宮処凛/蜷川正大/田村泰二郎/多田脩真/西林未羽/漣圭佑/中島岳志/
高橋京子 特別協力:高木尋士(劇団再生)/濱田康作
製作:国立工房 配給:太秦 (c)『天皇ごっこ』製作委員会

☆10月29日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開
公式サイト: http://www.tenno-gokko.com/ 


■大浦 信行
1949年生まれ。1976年より86年までニューヨークに滞在。昭和天皇を主題としたシ
リーズ<遠近を抱えて>が話題となる。また、美術・文芸評論家針生一郎を主人公
に据え、戦後日本の歪みとねじれの構造を描いた映画『日本心中 針生一郎・日本
を丸ごと抱え込んでしまった男。』(2001)、その続編ともいうべき『9.11-8.15 
日本心中』(2005)を公開している。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
┃ ┃■タブーを壊す元大統領
┃ ┃■岡村 淳
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一国の元首クラスの出演する映画。
すぐに思い浮かぶのが、レニ・リーフェンシュタール監督のドキュメンタリー「意
思の勝利」(1934年)のアドルフ・ヒトラーだ。
わが祖国日本では、どうだろう。ブラジル移民となって久しい私に思い当たるのは、
特撮映画「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」(2009年)で小泉純一郎
元首相がウルトラマンキングの声優を務めたことぐらいである。

わが居住国ブラジルの若手監督フェルナンド・アンドラーデは元大統領のフェルナ
ンド・エンリッキ・カルドーゾ(任期1995年−2002年)をドキュメンタリー映画の
アンカーに起用してみせた。アンドラーデ監督のフィルモグラフィにはブラジルの
有名どころのミュージシャンのクリップや、ブラジル音楽の巨匠カエターノ・ヴェ
ローゾのアメリカおよび日本の音楽ショーに同行した長編ドキュメンタリー「CORAC
AO VAGABUNDO(バガボンドのハート)」(2009年)などがある。

アンカー役を務めたカルドーゾ元大統領は大蔵大臣時代にブラジルのハイパーイン
フレを沈静させた立役者で、民主主義とリベラリズムの象徴としてFHCのイニシアル
で国民に広く親しまれている。社会学者であり、ブラジルのアカデミズムの最高峰
であるサンパウロ大学のほか、カリフォルニア大学バークレー校やパリ大学などで
も教鞭をとってきた。さて、日本の「ウルトラ一族の長老」とどちらが格が上か。

映画のタイトルはずばり「QUEBRANDO O TABU(タブーを壊す)」。ブラジルをはじ
めとする世界の麻薬問題を直視した。カルドーゾ元大統領はラテンアメリカ麻薬・
民主主義委員会のブラジル代表でもあるため、監督の出演依頼を受け入れたという。
ちなみにラテンアメリカは世界最大のコカインと大麻の輸出国だ。ブラジルでは麻
薬は犯罪組織の主要な収入源で、その収益は銃器の購入に当てられ、犯罪組織の武
器の量と性能は警察当局をしのぐとさえいわれるほどだ。リオデジャネイロのスラ
ムに巣くう犯罪組織の掃討に向かった警察のヘリが組織に撃墜された事件は、記憶
に新しい。

映画ではカルドーゾ元大統領が中南米およびアメリカ、ヨーロッパ諸国を実際に訪
ねて現地の若者たち、政治家、保健関係者、さらに麻薬依存者や服役者などと直接、
話し合っていく。世界的なビッグネームも続々と登場する。アメリカのビル・クリ
ントン、ジミー・カーター、日本でも知られるブラジル人作家パウロ・コエーリョ
(「星の巡礼」)、メキシコ人男優ガエル・ベルナル(「モーターサイクル・ダイ
アリーズ」)など、まさしくオールスターの観がある。
アメリカ合衆国ではおよそ40年前に「麻薬戦争」が国策としてとられたが、その結
果は暴力と犯罪組織を増長して、HIVや肝炎などの伝染病を広めることになったこと
が明らかにされていく。コロンビアなどの生産地の撲滅作戦も、いたちごっこに終
始してしまった。いっぽう麻薬が合法化されて、医薬としても使用されているヨー
ロッパ諸国の実情を麻薬問題の平和的解決法として探っていく。

ドキュメンタリー映画によって、今日の人類の避けて通れない課題に正面から議論
を提起したことは特筆に価するだろう。
わが祖国でも、ウルトラ系はさておいて、脱原発依存を唱えた管直人元総理をアン
カーに起用して、GENPATSUというタブーに挑むという企画はいかがでしょう、伏屋
プロデューサー?


■岡村 淳(おかむら・じゅん)
記録映像作家。在ブラジル。1958年東京都生まれ。日本映像記録センターの牛山純
一代表にTVドキュメンタリー作りを叩き込まれた後、フリーとなり、ブラジルに移
住。小型ビデオカメラによる自主制作ドキュメンタリーのひとり取材とひとり仕上
げ、本人立会いのライブ上映活動を日本とブラジルなどで継続中。11月に訪日して
列島各地で上映を予定。
詳細は「岡村淳のオフレコ日記」 http://www.100nen.com.br/ja/okajun をご参照
ください。



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(監督:バンクシー)
┃ ┃■桑垣 孝平
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公開から少し時間が経っているし、台風の影響で雨も降り出したので、客足は芳し
くないだろうと思われたが、9月20日19時、渋谷・アップリンクはある程度の入りだ
った。この日は本作と併せて二本の映画を観た。一本目のチケットを買う際に、二
本目の分も一緒に買ったのであるが、一本目の上映が終わった後、トイレに立とう
とするわたしに、スタッフが声をかけくる。代金をとり過ぎたので返しに来た、と
言うのである。わたしはそのスタッフからお金を受け取って、今どき親切心があっ
たもんやなあ、と感心したのであるが、『スルー・ザ・ギフト・ショップ』の監
督・バンクシーも、ティエリー・グエッタに出会った時はそう思ったに違いない。

バンクシーはおそらく世界でもっとも著名なグラフィティ・アーティストで、イギ
リスを拠点としながらも、世界中の街をキャンバス代わりに活動を続けている。ヨ
ルダン川西岸地区のパレスチナ側に、2005年に彼が描いた九枚のグラフィティなど
は、マス・メディア等でご覧になった方も多いことかと思われる。同作の一部を含
め、公式ウェブサイトで彼の作品を見ることができる。
( http://www.uplink.co.jp/exitthrough/top/index2.php )
公共物や他人の私有物をキャンバス代わりにすれば、法に触れることもある。なの
で、彼の活動や作品がこれだけ有名になっても、その素性は謎に包まれたままだ。
74年ブリストル生まれとされているが、裏が取れているのかどうかはよくわからな
い。本名とされる名前も複数ある――ついに、バンクシーが自らの全てをさらけだ
すのだ!

作品の冒頭、アトリエと思われる部屋にカメラがセットされると、バンクシーがフ
レームインして、どっかとソファーに座る。もちろん逆光で顔は見えない。ヴォ
コーダーで声もわからない。そして――「これはおれのドキュメンタリーを作ろう
としたやつのドキュメンタリーだ」。ティエリー・グエッタが、その人である。テ
ィエリーはフランスからの移民で、ロサンゼルスで古着屋を営んでいた。なかなか
の人気店のようで、作中に映しだされる店内は客であふれ返っている。家族もいる。
おそらく一緒にアメリカに移住したのであろう、なまりのある英語を話す奥さんと、
まだ小さな子供が何人か。極めて幸福そうに見えるティエリーであるが、彼はある
奇癖の持ち主だった――ビデオカメラをかた時も手放さないのである。彼は人生の
全てを撮影した。家族や自らのお店はもちろんであるが、トイレの中、自身の運転
風景、街で見かけたセレブにも臆せずにカメラを向ける。

ティエリーは、フランスに里帰りした際のある夜、グラフィティ・アーティストを
している従兄、スペース・インベーダーの野外活動に同行する。そこでグラフィテ
ィ・アートのスリルに取りつかれ、「映画を作っている」と自身を紹介しては、さ
まざまなグラフィティ・アーティストの活動風景を撮り始める。界隈でのコネもま
たたくまに広がってゆき、ティエリーはグラフィティ・シーンの一員となる。が、
「映画を作っている」というのはただの建前で、撮ったテープはラベルも貼らずに
箱にしまってしまうのである。インタビューに答えて曰く「撮ったらそれでおしま
いなんだ」――中平卓馬さんのような言い分であるが、この時、彼はまだただの古
着屋で、本作の最後に劇的な転身を遂げてからも、彼の言葉は説得力を帯びないま
まなのである。

ある日、バンクシーがロサンゼルスに来た際、コーディネーターとして同行してい
た人物が税関でつかまる。その時にはロサンゼルスの壁という壁を知りつくしてい
たティエリーが、その代役を務めることとなる。ティエリーは、神様・バンクシー
のために、家族持ちの人間には危険に思われるようなこともやってのける。ディズ
ニーランドのアトラクション、ビッグサンダーマウンテンに、グァンタナモ米軍基
地の囚人の格好をさせた人形を設置するというプロジェクトにも、彼はカメラを向
けるのである(Wooster Collective)。
 http://www.woostercollective.com/2006/09/breaking_the_story_disneyland_doesnt_wan.html 
このプロジェクトが決行された日は9.11の記念日に近く、警備が厳重で一時はアト
ラクションの一部が停止されるに至り、ティエリーは尋問を受けることとなる。FBI
に対して「何も知らない」でつき通し、その場でカメラを起動させて映像を消す。
が、靴下の中には、しっかりとテープを隠していた。親切心があったもんやなあ、
とバンクシーが思ったかどうかはさだかではないが、これが一種の踏み絵となって、
ティエリーは彼の信頼を勝ち取り、それまでひた隠しにされてきた彼の創作の裏側
を撮影するようになるのである。折しも、時代はオークション・ハウスでグラフィ
ティ・アートに異常な高値が付き始めた頃だった。バンクシーは「グラフィティ・
アートのリアル」を世に知らせるため、ティエリーに撮りためた映像を編集するよ
うに伝える。

「情熱的なやつだと思っていたら、ただの気が狂ったやつだった」――出来上がっ
た映画を観て、バンクシーはおどろいた。とてもではないけれど、人にお見せでき
るものではなかったのである。バンクシーもそう伝えればよかったものを(もしか
したら伝えたのかもしれないが)、「アーティストになった方がいい」とティエ
リーにアドヴァイスするのである。ご神託をうけたティエリーは、財産を投げ売っ
て、アトリエを借り、従業員を雇い、ウォーホールばりの制作環境を整える。グラ
フィティ・アーティスト、ミスター・ブレインウォッシュの誕生である。そして、
彼は無謀にも750〜800人を収容できるスタジオを、ミスター・ブレインウォッシュ、
一回目の個展会場としておさえるのである。個展の名前は「ライフ・イズ・ビュー
ティフル」――この辺りから、ティエリーはバンクシーやシェパード・フェアリー
といったグラフィティ・アートの先輩たちの手に負えなくなってくる。芸術的に何
の下積みもないティエリーが、この規模の個展を、そして、アーティスト「ミス
ター・ブレインウォッシュ」のブランドを、いかなる方法でマネージメントするの
か、映画の後半はそれをダイナミックに追いかける。

バンクシーは、おそらくものすごく頭のいい作家だ。ティエリーの強烈な個性が際
立つ本作であるが、この作品は他の誰でもないバンクシーのものである。ティエ
リーがミスター・ブレインウォッシュに転身してから映画が終わるまで、背筋の伸
びるような批評性がまたたくまに構築されてゆく。バンクシーは、暴徒の手にして
いる火炎瓶を花束に変えて描くだけで、とっつきにくい政治的な意図を柔らかにそ
してスタイリッシュに訴える。そのどこか大喜利的な、最小の努力で最大の効果を
生む清潔さが、映画の後半を支配している。映画を観終わった後、渋谷の街を歩い
ていると、笑えたけどもしかしたら洒落じゃなかったかも、とふと思った。


☆『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
(2010/アメリカ、イギリス/90分)
監督:バンクシー/出演:ティエリー・グエッタ、スペース・インベーダー、
シェパード・フェリー、バンクシー、ほか/提供:パルコ/配給:パルコ、アップ
リンク
公式ウェブサイト: http://www.uplink.co.jp/exitthrough/top/index2.php 
一部をのぞき全国で公開中。


■桑垣 孝平(くわがき・こうへい)
早稲田大学文学研究科現代文芸コース在学中。近々「戸山翻訳農場」というウェブ
サイトが公開される予定です。翻訳家・青山南の監修の下、青山ゼミの学部生・院
生が、オー・ヘンリーの短編をアップしていきます。「お涙ちょうだいもの」の作
家と思われがちですが、実はびっくりするような作品を書いています。ご期待下さ
い。



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┃05┃□広場
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■「全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する」の編集を担当し

■田中 朋子

私にとってのこの本の出発点は2002年11月23日のなみおか映画祭である。当日上映
の『霊長類』を見てほんとうにショックを受け、「ワイズマンの本をつくりたい」
と思い立った。ワイズマン作品はそれまでにも見ていて相当に好きだったが、本に
するという考えはなかった。これにはあの作品のもつ衝撃性とある種の「駄目押
し」加減、そしてなみおか映画祭の独特の雰囲気が大きいと思う。ほどなくワイズ
マン論を各所で発表されていた鈴木一誌さんにお目にかかって企画は始動した。そ
れから土本典昭さんに編者をお願いできたのはひとえに鈴木さんの御蔭である。岩
波書店で企画が正式に通ったのは2004年3月。土本・大津幸四郎・久保田幸雄氏によ
る鼎談は2005年2月、3月に実現した。

当初は320頁・3800円の本を想定していて2004年内にも刊行するつもりでいたのだが
(!)、ワイズマン監督にインタビューしようとの案がもちあがり、企画は大きく
変質した。舩橋淳さんが単独ボストンで三日に及ぶインタビューをおこなったのは
2006年4月。舩橋さんはワイズマン・ファンであるうえに映画監督で、ドキュメンタ
リー/フィクションを問わず詳しく、当時アメリカ在住で英語が自在であるという願
ってもない方だった。インタビューがおこなわれているだろう時間帯、「いよいよ
だ」とドキドキしていた。その後英文起こしを経てインタビューの日本語訳ができ、
同年年末にはスイスで休暇中の監督のもとにゲラを送ったのだが、荷物がなんの手
違いか途中で行方不明になってしまい自分を呪った。ここでこの企画の大変さを実
感した。多忙な監督ゆえ、こちらに時間を割いてくれるタイミングを逃すと半年や
一年はあっという間に経ってしまう。そして次の段階でワイズマン監督は、最終的
にテキストは日本語で掲載されることを念押ししても、自分の話し言葉の英語を書
き言葉に改めると主張し、校正し通した。監督が削ってきた発言部分惜しさの復活
折衝に際して舩橋さんは、書面で個別に「なぜ残したいのか」の理由をつけて粘っ
てくれた(結果としての復活率は半分くらいか)。校正は先方のアシスタントの方
も巻き込み、じっとりと進んだ。

しかし刊行までにこれだけ時間がかかったのはそういったやりとりの困難のみなら
ず、こちら編集側にもさまざまな事情があったからだ。インタビュー原稿の完成を
待ちつつ、すでに320頁のプランは現実的でなかったので新たな執筆者への依頼もお
こなっていったが、ワイズマン監督は毎年のように新作を発表していく。本書の内
容をアップデートする必要が増し、常に焦りを感じていた。そして土本さんは編集
作業が停滞気味のこの苦しいころ、2008年6月にお亡くなりになってしまった。この
本の完成を見て頂けなかったことは痛恨であり、非常に責任を感じている。

土本さんへの思い、すでに原稿を寄せて下さっている方々への責任、御世話になっ
た方が多いこともあり、この企画が立ち消えになるという可能性は頭から打ち消し
てきたけれども、ワイズマンという岸壁、このキャリアと作品群を前に、英語もで
きずアメリカのことも知らず映画の教育も受けていない、あまりに無謀なことをし
ている自分を顧みてぞっとしたことは何度もある(今も)。なので途中から、自分
はもう体を動かして時間を捧げるしかないのだと開き直った。刊行が見えてきた
2010年12月にはボストンのワイズマン事務所を訪問しレイアウトされたゲラを置い
てきた。事務所の人たちと会ったのでその後の連絡がしやすくなった。早くそうす
れば良かったのかもしれないがこのタイミングが残された。監督は海外で留守につ
き、お会いできなかった。残念半分、会えていたら、くじけていたかもしれない
(?)。

そして編集過程の後半で印象深いのは、本書収録のフィルモグラフィ「画面の展
開」の執筆のために、担当の作品を最低二度は見ることになったことだ。大変だっ
たがファン冥利に尽きる作業でもあった。ワイズマン作品は繰り返し見ているとい
よいよ面白くなり、編集の意図を想像し「そうか!」と膝をうつことが少なくなか
った。会社の会議室に籠もってパソコン上でメモをとりながらビデオを見ていて泣
いてしまったこともある(その作品は『コメディ・フランセーズ――演じられた
愛』です)。どの作品にも好きなキャラクター、忘れられない顔が幾つもある。た
だ、字幕のない日本未公開作品は自分は英語が聞き取れないので併せてスクリプト
を見、辞書をひきひき英文解釈して書いた。ここでも無謀を押し通したわけで、冷
や汗ものだ。このパートに限らず、読者の方の厳しいご指摘をまちたい。

ワイズマン監督側とのやりとりや私個人に課されたことばかり書いてしまったが、
執筆者の方々からいただいたお原稿についてはそういう意味で苦労などなく、ただ
読むのが喜びだった。最終段階で通称「Moma/ガリマール本」からP・ルジャンドル
の論考(元々は『カイエ・デュ・シネマ』に収録されたこの文章をワイズマンは
「自分について書かれた最良の一文だ」と言ったらしい。『ルジャンドルとの対
話』より)と、E・モリスのエッセイを掲載することができたのはせめてもだった。
そして編者の鈴木さんが常に「大丈夫ですよ」という姿勢を貫いていてくださらな
かったら、この本は出ていなかったとも思う。

山形映画祭、京都・立命館大学での特集上映、金沢映画祭、Momaでの通年レトロス
ペクティブなどへ追っかけて見たあれこれのワイズマン作品と会場の思い出、ワイ
ズマン監督に土本作品のビデオを送ったこと、パソコンが壊れ本書関係のデータを
救い出すのに必死になったこと、何度も変更された本文レイアウト→ゲラの山、現
在のものとデザインは同じだが色調の違う「幻のカバー」があったことなど話は尽
きないが、ともかく本は出来上がり、日々反響に気を揉んでいる。高すぎるという
ご批判も受けるが実際経費のかかった本なので、そこはお許しいただければとせつ
に願います。あとは10月下旬からの映画祭を待つばかり。93年、97年の山形映画祭
はもちろん前回来日時(98年)の興奮を経験していないので、ワイズマンが日本に
くるということがまだ信じられず、恐ろしいような気持ちである。


☆「全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する」
土本典昭・鈴木一誌編 A5判・上製・622頁 定価6510円(本体6200円+税)
2011年8月24日 岩波書店より刊行
  http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0258130/top.html 


■田中 朋子(たなか・ともこ)
1993年岩波書店入社。担当の近刊に「移民社会フランスで生きる子どもたち」(増
田ユリヤ)、「いま、先生は」(朝日新聞教育チーム)。教育といえば、今年三月
に刊行した翻訳書「学校を変える力-イースト・ハーレムの小さな挑戦」の著者デボ
ラ・マイヤーは今回日本初公開のワイズマン作品『高校2』の(メイン)登場人物で
す。「学校を?」の企画が決まったときにはこの学校がワイズマン作品の舞台になっ
ていることは知りませんでしたが、結果、作品世界を相互に参照することができま
した。これも何かの縁だと思っています。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■『無言歌』公開記念 ワン・ビン全作一挙上映!@オーディトリウム渋谷
期間 ●Part1:10/8(土)―10/14(金) ●Part2:11/5(土)―11/11(金)

中国のワン・ビン監督。山形国際ドキュメンタリー映画祭に於いて、『鉄西区』
『鳳鳴―中国の記憶』で、史上初の二度の最高賞に輝くという快挙を成し遂げ、日
本にも熱狂的なファンが多いことでも知られる、この10年に登場した最も重要な映
画監督の1人です。
この度12月に新作『無言歌』が初の劇場公開されることを記念し、世界で初となる
全フィルモグラフィー6本を上映する本格的レトロスペクティブを開催いたします。
Part1期間中には12月17日の公開を前に『無言歌』の特別先行上映も決定。上映後に
は、プロモーションの為に来日中のワン・ビン監督が登壇し、柳下毅一郎氏(映画評
論家)と、市山尚三氏(東京フィルメックスプログラム・ディレクター)とトークも行
います。さらに、入場料無料で、どなたでも参加できる、ワン・ビン監督とのQ&Aセ
ッションもあります。この機会をお見逃しなく!

◆上映作品一覧(製作年、上映時間) 
『鉄西区』(1999 - 2003、545分(3部構成))*10/8(土)は一挙上映
『鳳鳴―中国の記憶』(2007、184分(2部構成))*10/9(日)は一挙上映
『世界の現状』(2007、101分)*ペドロ・コスタら6人の監督によるオムニバスの
一篇
『原油』(2008、840分)*日本初上映,英語字幕のみ
『石炭、金』(2009、53分)*日本初上映,英語字幕のみ
『名前のない男」(2009 96分)

●スペシャル・プログラム
1:10月10日(月・祝)15:00 『無言歌』特別先行上映+トークショー
2:10月12日(水)16:15   ワン・ビン監督とのQ&Aセッション(無料)

※作品詳細、スケジュールは、オーディトリアム渋谷HP
 ( http://a-shibuya.jp )まで。
※お問い合わせ ムヴィオラ;03-5366-1545
        オーディトリウム渋谷;03-6809-0538


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の5日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@waltz.ocn.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映を告知するには─
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
掲載は有料にしています。なおカンパにもご協力くださいますよう、お願い申しあ
げます。

(1)上映等の掲載料は、 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき
3,000円(税別)です。それ以上の行数の場合は比例して加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。

送金先:みずほ銀行小金井支店、普通口座、1211958 ビジュアルトラックス
(入金を visualtrax@waltz.ocn.ne.jp にお知らせください。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃■編集後記:伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●森元修一さんの連載が始まる前に、彼から『大津波のあとに』のDVDを送られてき
て、わたしたちは知り合いになった。本作品には、震災の被害は様々だが、被災者
たちが口々に語る言葉が抑制された風景に刻まれていた。本作は、近く山形映画祭
で上映されるのを始め、各地での予定が増えていっているようだ。連載はあと2回続
く。

●『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』については、わたしの友人もブロ
グで「いやー面白い映画でした。」と書いていたから、興味をもっていたのだが、
見逃してしまった。このところ見逃す作品が多くて、反省しきり。

●『全貌フレデリック・ワイズマン』が誕生には、出版元の編集者である田中朋子
さんのたいへんな熱意があってこそと痛感した。特にワイズマンへのインタビュー
は彼の方法論と作品を丸ごと知るうえで、格好の企画だ。
このインタビューがあるからこそ土本典昭、大津幸四郎、久保田幸雄の鼎談が生き
た。なかでもいわゆる「四無い主義」(ナレーション、テロップ、音楽、インタビ
ューが存在しない)に対する土本の疑問、異議は、両者の映画づくりを把握するう
えで、本書の白眉と言える。ふたりの方法論は、ドキュメンタリーの地平を拓く方
法として屹立している。
本書には膨大な写真が挿入されている。どれも興味は尽きない。とりわけ編集室を
様々な角度から撮った写真やノートは、編集に没頭するワイズマンの姿を彷彿とさ
せ、しばし眼が釘付けとなった。
折しも「フレデリック・ワイズマン レトロスペクティブ」が近々公開の予定と聞
く。
ワイズマンの来日も予定に入っている。

●今回は「自作を語る」欄に大浦信行監督から『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一
人の革命』についての寄稿があった。感謝したい。

岡村淳さんは本誌では唯一の南半球からの執筆者である。今回も日本では容易に知
りえない情報が寄せられた。



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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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