映画

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

全て表示する >

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo 142号 2010.3.15

2010/03/15

∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
       小川紳介映画の彼方へ (1)  戸田 桂太
 †02 ■列島通信 ≪大阪発≫
       大阪アジアン映画祭とデジタルシネマ  江利川 憲
 †03 ■ドキュメンタリー時評
      『アメリカ―戦争する国の人びと―』(監督:藤本幸久)
      『ONE SHOT ONE KILL―兵士になるということ―』(同) 萩野 亮
 †04 ■広場
      ■投稿:『牛の鈴音』を見て  本田孝義
      ■「自作を語る」などの原稿募集!
      ■上映の告知の有料化とカンパのお願い
 †05 ■編集後記  伏屋 博雄

    ★バックナンバー閲覧はこちらまで
     まぐまぐ配信   http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/
     melma!配信   http://www.melma.com/backnumber_98339/



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃01┃□ドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■小川紳介映画の彼方へ (1)
┃ ┃■戸田 桂太
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●フィルムで映画を実感する

最初に表題の「小川紳介映画の彼方へ」についてすこし説明をしておきたい。

あらためて言うまでもないが、小川紳介+小川プロダクションの映画はその後のド
キュメンタリー映画の表現や製作体制に大きな影響を与えてきた。そのことは小川
紳介の映画がどんなもので、個々にどんな影響力を発揮したかという作品論的な理
解だけではなく、小川とその仲間たちの20数年間の行動の軌跡として記述されなけ
ればならず、1960年代半ばから現在へと連なる時間のなかで捉えられなければなら
ないと思う。

小川映画について考えることとは、大きな山脈の連なりのように見える作品群に分
け入って、ある時代の表現として映画を見直す作業であり、作品が現在の我々に突
きつけている或る種のアウラを確認することでもある。そのためにはキャメラワー
クや音声録音についての微細な検証を拠りどころに、小川紳介の映画製作思想その
ものを俯瞰し、作品とはすこし離れた"彼方"から小川映画を見つめることが必要だ
ろう。表題の“彼方へ”とはその地点へ向かおうとする批評の視野を示したもので
ある。

そして、「小川紳介映画の彼方へ」とは武蔵大学社会学部が2007年11月に発行した
小川映画についての研究冊子の表題でもある。この冊子の内容については後述する
ことになると思うが、映画学科や映像学科があるわけでもない大学がなぜこのよう
な冊子を発行することになったのか。

実は武蔵大学は小川紳介+小川プロダクションの主要な16本の作品を所蔵している。

そこには『青年の海』(1966)から『1000年刻みの日時計』(1986)まで、ほぼ20年
間に作られた長編作品がすべて含まれており、いずれも16mmのニュープリントフィ
ルムである(小川作品は現在のところビデオやDVDにはなっていない)。冊子『小川
紳介映画の彼方へ』はこれらのフィルムの視聴と研究のための参考資料(副読本)と
して作られた。

武蔵大学は2004年度から社会学部にメディア社会学科を開設した。その際、新しい
学科での教育や研究のための設備・資料が整備された。そのなかで、ドキュメンタ
リー映像資料の収集も計画され、過去の映像資料、例えば旧岩波映画製作所の作品
や映像文化製作者連盟の「文化・記録映画ベスト100」シリーズなどビデオ等で購
入可能な記録映画の収集と資料化が進められた。小川作品のフィルムでの購入もそ
の計画のひとつとして提案されて実現したものである。

はじめ、小川作品の所有者であるアテネフランセ文化センター(とユーロスペー
ス)も、小川の主要な全作品を購入したいという武蔵大学の申し出には半信半疑だ
ったかもしれない。「こういう話はこれまでにもあったが、実現したことはない」
とも聞いた。たしかに、一大学がひとりの映画作家の主な作品すべてをDVD等では
なくフィルムで所蔵するという例は稀有なことではある。

しかし、私はふたつの理由でこれをぜひ実現させたいと考えた。ひとつは小川の映
画が戦後の日本社会の記録として不可欠な映像資料であるという、ごく当たり前の
理由だが、もうひとつの理由はこれがフィルムで撮影・編集された映画であり、フ
ィルムで上映する以外には視聴出来ないということだった。実はそれは映画を学ぶ
上で大きな意味がある。

デジタル機器による映画制作を否定するものではないし、私自身、学生と一緒に
DVカムとパソコンで映像作品を作ってもいるが、大学の映像教育にとって、フィル
ムで撮影・編集されてきた映画の歴史とどう向き合うかは、実は大きな課題なのだ。

映画のフィルムを直接手でさわる機会はほとんどない。映画館の映写室の大きなプ
ロジェクターに掛かったフィルムをガラス越しに眺めるくらいのものだ。古い映画
もビデオやDVDで見る。しかし身近に16mmフィルムがあれば、映写機に装填したり、
巻き戻したりする作業を通じて手でフィルムにさわり、映画というものがフィルム
という物質にプリントされた静止画像の連続で成り立っていることを自分の眼で確
かめることができる。自分の手でさわり、自分の眼で見つめるということが大事な
ところだ。つまり、フィルム自体にさわることやフィルムに焼き付けられた1駒の
画像を見ることこそ、映画の歴史を実感するキッカケであり、映画・映像教育その
ものではないかと思うのである。

武蔵大学では、小川紳介映画をドキュメンタリー研究のための貴重な映像資料とし
て活用するだけではなく、“映画を実感する”ための教材としても大いに役立てて
いきたいと考えている。

ちょうど今週末には下記の上映会を予定している。研究上映だが、一般の方々にも
公開しているので、この場を借りてお知らせする。

(つづく)


☆小川プロダクション1967−1982 映画上映会(入場無料)

武蔵大学が所蔵する小川紳介+小川プロダクション映画16作品のうち60年代から
80年代にかけて時代を疾走した小川プロの軌跡をたどる次の5作品を上映します。
すべてフィルム上映です。

3月20日(土)・3月21日(日) 於:武蔵大学8504教室

3月20日開場12時半・上映開始13時(途中休憩あり)終映19時頃予定
■現認報告書─羽田闘争の記録 1967年(58分 モノクロ)
■パルチザン前史 1969年(120分 モノクロ)
■三里塚・辺田部落 1973年(146分 モノクロ)

3月21日開場12時半・上映開始13時(途中休憩あり)終映19時頃予定
■どっこい人間節─寿・自由労働者の街 1975年(121分 モノクロ)
■ニッポン国古屋敷村 1982年(210分 カラー)

大学へのアクセスは武蔵大学HP( http://www.musashi.ac.jp )「交通案内」を
ご覧ください。


■戸田 桂太(とだ・けいた)
早稲田大学卒業後、1963年、NHKに入局。カメラマンとして勤務し、白黒フィルム
からビデオまで、30年以上にわたってドキュメンタリー番組の取材・制作に携わる。
1997年からNHK出版に勤務し、雑誌『放送文化』編集長などを経て、2002年から武
蔵大学社会学部教授。映画・映像論、ドキュメンタリー研究などの専門分野で研究
活動を続け、授業を担当する。現在、武蔵大学名誉教授



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃02┃□列島通信 ≪大阪発≫
┃ ┃■大阪アジアン映画祭とデジタルシネマ
┃ ┃■江利川 憲
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この原稿を書いている今、「大阪アジアン映画祭2010」の真っ最中。私は主催者側
の一員として、ポスター・チラシ・公式カタログなどの校正をし、会場では裏方に
徹している。拙稿が宣伝になれば嬉しいのだが、掲載日の15日には、残念ながら
「おおさかシネマフェスティバル」部門も、メイン企画の「アジア映画最新作初上
映」も終わってしまっている。しかし、他の企画の「アジアン・ミーティング大
阪」は3月19日までプラネット・スタジオ・プラス・ワンで、「韓国映画特集」は
3月26日までシネ・ヌーヴォで、「シネ・ドライヴ」は3月20日から4月9日まで上記
のプラネットで開催される。この期間に大阪へお越しの節は、ぜひそれらの会場へ
足をお運びいただきたい。

問い合わせ先=大阪アジアン映画祭実行委員会事務局
(TEL 06-6373-1225、FAX 06-6373-1213)
公式ホームページ= http://www.oaff.jp 

いっぽう、映画祭直前の3月5日には、シネ・ヌーヴォのデジタルシネマ化工事が行
なわれた。ご承知の方も多いと思うが、このデジタルシネマとは、映画の上映をフ
ィルムなしで、データ送信だけで行なうというシステムで、映画がサイレントから
トーキーへ移行したのと同等の大転換だともいわれている。もちろん、デジタルシ
ネマ化ができても、フィルムでの上映がなくなるわけではない。ただ、フィルムか
らデジタルへの移行は、数年のうちに加速度的に進むとも予測されていて、そうな
ると、フィルム映写機だけの映画館は、上映したくてもできない作品がどんどん増
えてくるということになる。われわれのような弱小映画館にとって、デジタルシネ
マを導入できるかどうかは、死活問題なのだ。

このデジタルシネマ化工事には、1500万円ほどの費用が必要になる。われわれにそ
んな金があるはずはないが、幸いなことに経済産業省がこの事業に積極的で、申請
して審査に通れば、工事費の三分の二を補助してくれるという。これに乗らない手
はない。例によってややこしい書類を山ほど提出し、なんと審査に通った!(聞く
ところによれば、関西で審査に通ったのは3館だけだという)

だが、一難去ってまた一難。経済産業省からの補助金は、工事が完全に終わり、施
工業者への支払いを済ませ、その領収証を提出してからでないと下りないという。
つまり、一時的ではあっても、1500万円をわれわれが用意しなければならない、と
いうことだ。さあ困った。どうするか。

結論としては、シネ・ヌーヴォの株主をはじめ、一般市民から立替金を募ったのだ。
当然、経済産業省からの補助金が下りれば、直ちにお返しするという条件でだが。
すると、ありがたいことに、目標金額がなんとか集まった。やれやれ、である。

「大切な税金だから」ということなのだろうが、補助金をいただくほうは、自由に
なるお金がないからそれが欲しいのであって、両者の隔たりは大きいと言わざるを
得ない。この隔たりを、なんとか埋める方法はないものだろうか。


■江利川 憲(えりかわ・けん)
1951年、神奈川県辻堂生まれ。フリー編集者、「シネ・ヌーヴォ」取締役、NPO法
人「コミュニティシネマ大阪」理事。どこで売っているのか知らないが、「大阪ア
ジアン映画祭2010」の公式カタログを東京で買ってくれた友人がいて、感激してい
る。今回も、それらの印刷物作成には全力を尽くしたつもりだが、最近とみに視力
の衰えを感じ、そろそろ引退せよというサインかな、などと思っている今日このご
ろです。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃03┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■『アメリカ―戦争する国の人びと―』(監督:藤本幸久)
┃ ┃ 『ONE SHOT ONE KILL―兵士になるということ―』(同)
┃ ┃■萩野 亮
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

全八章から成る『アメリカ―戦争する国の人びと―』(以下『アメリカ』と略記)
のエピソード1「高校」で、安易な入隊をさせないための活動を続ける元教師の女
性は、堆く積み上げられたクッキーの塔をおもむろに高校生たちの前に並べはじめ
る。
彼らの暮らす国が、他国に比べてどれだけ多くの予算を軍事に割り当てているかを
示すためだ。ロシアの軍予算はクッキー何枚分、中国は何枚と半分、イラクは……。
もちろんその「塔」は、クッキーである必要はない。その女性が何を意図していた
かは知るよしもないが、けれども「軍事」のイメージから限りなく隔てられたこの
庶民的な焼き菓子は、かえって生なましく、不気味に現実を突きつけてくる。

2005年の『Marines Go Home 辺野古・梅香里・矢臼別』、およびその2008年版で、
沖縄と北海道、また韓国における市民の米軍基地反対闘争を描いた藤本幸久監督は、
今回上映される二本のフィルムにおいて、米軍そのものの内実に深く分け入ってゆ
く。
「……世界で一番豊かな国の若者たちは、なぜ兵士になるのだろうか」(プレス
シートより)。日本には現在三万人を越える米軍の兵士が駐留しているといわれて
いるが、けれども彼ら一人ひとりの「顔」は、まるでわたしたちに見えてこない。
これは、当然のことながら報道のみの問題ではない。軍隊という組織そのものに、
個の「顔」を見えなくする論理が働いているからだ。藤本監督の『アメリカ』と
『ONE SHOT ONE KILL―兵士になるということ―』(以下『ONE SHOT』と略記)は、
そうした兵士の「顔」を見据えたフィルムだといえるだろう。

かつて社会学者ゴフマンが「全制的施設」total institutionの一例として分析し
たように、そして『ONE SHOT』が如実に写し取ってみせたように、軍への入隊はま
ずもってアイデンティティの剥奪とともに開始される。「I」や「me」という一人
称の主語は禁止され、「this recruit(この新兵)」という三人称でもって応答を
余儀なくされる。それぞれにまったく同じ装備が支給され、指の位置に至るまでま
ったく同じ行動を強制される。まるで一枚いちまい同じ焼き色をもったクッキーの
ように、彼らは「生産」されるのだ。『ONE SHOT』が静かに描き出すのは、ブート
キャンプの120日にわたるプロセスで、思いおもいの大志を秘めて入隊した彼ら新
兵が個人の「顔」を失ってゆくさま、あるいは「顔」とその喪失とのはざまの揺ら
ぎである。

「顔」とその喪失、それは個の論理が組織の論理にかすめとられてゆく過程として
ある。横顔に幼さの残る新兵たちが次々にあたまを坊主頭に刈られてゆくなか、あ
るひとりの青年はうっすらと左の瞳に涙をたたえ、やがてはそれをこぼしてしまう。
キャメラが静かにとらえたその無言の表情は、この映画の忘れがたいショットのひ
とつだ。映画は冒頭と結末に新兵たちの貴重なインタビューを収めているが、入隊
の動機をたずねた前者と、キャンプ卒業時の後者とでは、彼らの顔、そして全身の
身のこなしや話し方が明らかに変化している。卒業の折のインタビューで、インタ
ビュアーは年若い彼らにフランクに話しかけながらも、しだいに「何のために戦う
のか」、「戦場で人を殺せるのか」という核心にふれてゆく。ある青年は、おそら
くキャンプの中で教えこまれたのだろう、「国と家族のために戦う」というような、
紋切型といいたい応答を無表情でテンポよく繰り返す。「戦場で人を殺せるか」と
いう問いにも「Yes,ma'am.」と即答しつつ、けれども「彼に家族がいても?」と立
て続けに問いが続くと、同じ調子で「Yes」と答えるまでにわずかな間を置いてし
まう。その一瞬の沈黙のうちに、彼らが失いつつある「顔」が、最後の相貌を覗か
せている。

『ONE SHOT』がこうした個の「顔」の喪失を描き出すフィルムであったとすれば、
日本のドキュメンタリー映画史上の大作といっていい『アメリカ』が8時間14分に
わたって描き出すひとつの中心的な主題は、元兵士たちの喪失された「顔」の回復
へのたたかいであるといえるだろう。2006年から7回にわたって200日に及ぶ旅を記
録した一種のロード・ムーヴィーでありながら、それでいて見る者に感じさせるの
は距離の踏破であるよりも、むしろ出会った人びとに粘り強く向き合う作家の確固
たるまなざしである。『アメリカ』の494分を貫くそうした軽やかでいてゆるぎな
い視線は、列車の傷だらけの窓から朝日の昇る都市を見据え続ける、オープニング
の長いフィックスショットにおいてまず明確で美しい表現を与えられているといえ
るだろう。
映画は八つのエピソードから成る構成をとり、元兵士や帰還兵、その家族たちのそ
れぞれの物語を描き出す。冒頭にもふれたエピソード1の「高校」が、高校生への
プレゼンテーションであると同時に、観客への基礎的な知識をも提供してくれる。
そしてエピソード2「イラク戦争」、エピソード3「戦死」で近年のアメリカの戦争
が扱われ、エピソード4からはいまを生きるヴェトナム帰還兵の問題にもふれてゆ
き、そしてエピソード7「抵抗」において戦争拒否兵の闘争がドラマティックに描
かれてゆく。最後のエピソード8「それぞれの春」では、彼らの新しい生活をさわ
やかに描きながら、新兵たちがそれでも日夜生産されてゆく現実にも注意を促す。
長い映画でありながら、こうした構成の卓抜さと、人びとに軽やかに向き合う旅人
の視線によって、壮大さよりも等身大の距離を感じさせる。ここにあるのは、かつ
て「顔」を喪った元兵士たちやその家族たちの、表情ゆたかないくつもの忘れがた
い「顔」の数々なのだ。

印象深い彼らの表情を思い起こせばきりがないが、やはりエピソード7「抵抗」は、
109分ともっとも長い上映時間を持つことからもわかるように、この映画全体のク
ライマックスとして位置づけられている。あるアジア系の戦争拒否兵が、演説やイ
ンタビューでみせるいかにも凛とした清冽なその表情は胸を打たずにはおかない。
そしてエピソード1において、高校生たちに軍の事情を語っていた元海軍兵士がこ
こでも登場し、戦争を拒否し除隊するまでを語る。日本人の女性を妻に持つ彼が、
続く最後の章で日本語を学んでいるシーンは可笑しくも感動的だ。同じような境遇
にいる兵士たちのサポートを必死に行ないながら、高校生たちにこそ事実を伝えな
ければならないと強く言明する。そうして映画はあたかも冒頭へと戻ってゆく。映
画は長い旅を締めくくりつつも、決して閉じられることはない。このような円還構
造は、卒業生を送り出してはまた新たな兵士を迎える『ONE SHOT』の結末でも強く
表現されている。それはいまも戦争を続けるアメリカに対する、作家の現在進行形
の危機意識の表れであるに違いない。同じ映像断片を含むことからも明らかである
ように、二本の映画は相互に補完しあう関係にある。いや、フェンスの内と外を隔
てた『Marines Go Home』もこの一連のなかに含めなければならないだろう。藤本
監督の作品群は、個々の作品としてみごとな体裁を保ちながらも、状況に応じて不
断に更新されてゆく。闘争の現在をともにするこれらの映画は、たえず注意を差し
向けるべき現実として、いまわたしたちに提示されている。

☆上映:
『Marines Go Home 2008 辺野古・梅香里・矢臼別』
藤本幸久監督作品/2008年/115分/ビデオ/カラー/日本語字幕
☆〜3/19 現在ポレポレ東中野で緊急レイトショー中。

『アメリカ―戦争する国の人びと―』
藤本幸久監督作品/2009年/494分/ビデオ/カラー/日本語字幕
☆3/20〜4/16 ポレポレ東中野でロードショー。

『ONE SHOT ONE KILL―兵士になるということ―』
藤本幸久監督作品/2009年/108分/ビデオ/カラー/日本語字幕
☆4/10〜 渋谷UPLINKでロードショー。
公式サイト: http://america-banzai.blogspot.com/ 


■萩野 亮(はぎの・りょう)
立教大学大学院現代心理学研究科修士課程在籍。映像身体学、映画批評。渋谷ユー
ロスペースで3/26まで上映される、女性監督たちのオムニバス「桃まつり
presentsうそ」のパンフレットに『迷い家』(竹本直美監督)へのコメントを寄せ
ました。どれもみずみずしい短編ばかりですのでぜひ。パンフはチケットについて
きます!



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■投稿:『牛の鈴音』を見て

■本田孝義(映画監督)

韓国で大ヒットしたと言われるドキュメンタリー映画『牛の鈴音』をやっと見るこ
とが出来た。結論を先に書けば、私にはあまりいい映画には見えなかった。

まず気になったのは音の使い方だ。映画を見始めてしばらくして、老牛が首に付け
ている牛の鈴音が耳に残る。いい音だな、と思ったのもつかの間、その後のべつ幕
なし鈴音が鳴り続け次第にうるさく感じる。なぜだろうと更に見ていくと、どうも
後から仕上げの段階でかなり音を足しているように思える。実際ははどうだか分か
らないのだが、現場で録られた音を生かすというよりは、スタジオ内で録り直した
鈴音を重ねている印象を持った。なぜこうしたことが気になったかと言うと、画面
と合っていないシーンが続出するからだ。例えば、牛が佇んでいるアップのカット
ではどう見ても鈴は動いておらず鈴は鳴っていないはずなのだが、画面では鈴の音
が鳴っている。あるいは、遠近法もでたらめで、ロングのショットもアップのショ
ットも変わらない音の大きさ・響きで鈴の音が鳴っている。

もっとも、こうした音の使い方は一種の心象表現として使われていることも分かる
のだが、それでも適材適所、効果的な場面で使ってこそ意味があるはずで、始終鳴
り続ければ耳にうるさいだけだ。なお、私自身はドキュメンタリー映画の音におい
ても、音を足したり省いたり演出があっても構わないと思っており、常にリアリズ
ムを追求すべきとも思っていない。要はどのような効果があり、何を聞かせたいの
かには気をつけるべきだと思うのだ。

こうした演出は撮影・編集にも感じた。この映画では劇映画のようなカット割りが
多数出てくる。例えば、老夫婦が口げんかをしているシーンでは二人を交互に見せ
つつ、途中、牛のアップが挟まれる。いかにも牛が二人のやりとりを聞いているよ
うに見せている。こうした編集は明確な演出によって生ずる。これも音と同じで、
演出自体が一概に悪いとは思わない。私が違和感を持ったのは、映画が描く内容と
演出が違いすぎるのではないか、ということだ。『牛の鈴音』は、老夫婦と老牛の
静かで素朴な暮らしを描いているのだけど、その描き方に過剰な演出が鼻につくの
だ。例えてみれば、採れたての新鮮な食材をうまく生かさず、余計な化学調味料を
使いすぎている、といった感じだろうか。

とは言え、私は映画を見ながら、自分の祖父母のことを思い出していた。私の祖父
母も牛を飼っていて、祖父は映画の中のおじいさんと同じく、毎朝早く草を切る作
業をしていたものだ。また、映画の中で老牛が涙を流すカットがあるが、私も売ら
れていく牛が涙を流すのを見たことがある。祖父母も映画の老夫婦のように、いつ
も口げんかをしながら仲がいい夫婦だった。こうした郷愁を誘うからこそ、韓国で
ヒットしたのかもしれない。


     ◇────────────────────────◆◇◆


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の5日前までに、下記に送信ください。
E-mail:visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なおカンパにもご協力くださいますよう、お願い申しあ
げます。

(1)上映等の告知料は、 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき
2,000円(税別)です。それ以上の行数の場合は比例して加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。

送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛に
お知らせください。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃■編集後記:伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●7、8年前のことだったと思う。アテネフランセ文化センターのロビーで、武蔵大
学の教授である戸田桂太さんと遭遇した。戸田さんは開口一番、「小川さんの作品
を16本、買うことに決めましたよ」と私に告げた。しかし、私は咄嗟に反応できな
かった。すでに小川プロは解散し、作品の権利は映画美学校に委譲されていたとは
いえ、小川プロのプロデューサーだったことから、以前にも外国を含む数か所の大
学などから購入の打診があるもののいずれも実現されていないと聞いていたから、
容易に信じられない想いが駆け巡ったのだ。未だに小川作品はビデオテープにも
DVDにもなっていないので、フィルムで購入するしかない。しかし、それには多額
の資金が必要とする。映画学科がなくマンモス大学でもない武蔵大学が果たして可
能なのか。…事が現実味をおびてきたことは、今号の戸田さんの文章を読んでいた
だいたとおりである。

私が戸田さんに初めて会ったのは今から40年以上も前の1968年に遡る。当時NHKの
撮影部に所属しておられた鈴木志郎康さんとお会いした際、同僚の戸田さんも同席
されたのだ。戸田さんはその後も長くNHKに在職され2002年から武蔵大学の先生
になり、一方、鈴木さんはほどなく退職し映像作家の道を進み、詩の世界でも活躍
されていくことになる。お二人のことを思い浮かべるとき、鮮明に記憶する一事が
蘇ってくる。それは、たった二人で発行されていた映画批評誌「眼光戦線」のこと
である。

1967年、「眼光戦線」は三里塚シリーズの第1作『日本解放戦線 三里塚の夏』
の映評を対談形式で掲載した。本作品は私が小川プロの製作部スタッフの一員とし
て初めて取り組んだ作品だった。厳しい製作条件のもと金策に駆けずりまわって完
成しただけに、苦労した作品の映評に私の心は躍った。最も迅速に反応してくれた
のだった。しかも極めて好意的な一語一語が身に浸みた。批評がこれほどまでに人
を鼓舞するのか、私は何度も読み返したのだった。B5のざら紙に印刷された誌面
にはアナーキーな風が吹いていて、他のページにも夢中にさせる記事が満載だった。
今では忘却の彼方にあるが、なんでもござれのゴッタ煮感の漂う「眼光戦線」につ
いては、鈴木さんが下記の言葉を残している。参考までに紹介したい。

「友人と二人で、空想的なというか、虚構的な映画批評のパンフレット『眼光戦
線』というものを出していた。このパンフレットの空想性というか虚構性は、超俗
流大衆路線とでもいうべきところに置いていたのだった。私たちはその『眼光戦
線』を1968年10月から69年の11月までに13冊発行し、(中略)空想的な超俗流大衆
路線の上に立って、友人と二人でやたらにぺンネームを作って、外国映画や日本映
画をめちゃくちゃにぶった切るということをやっているうちに、自ら解体して行く
ような筋道を辿ることになった。(中略) 私はNHKという一流企業に勤めていて、
あのNHKが白々しく自ら口にしている「皆さまのNHK」というのが恥ずかしいという
よりも、内臓にこたえるような気分になっていて、『眼光戦線』はその解毒剤のよ
うな表現的な意味での空想的俗流大衆路線であったわけである。」

●江利川憲さんが政府のデジタルシネマ化助成金制度について言及している。助成
金が下りることが決定したものの、まずは工事費は映画館が工面し支払った領収書
を出さないと助成金は受け取れない。こうしたシステムは、資金繰りに苦しむ館主
にとって厳しいことは容易に想像できよう。同じようなことは、映画製作をする者
にとっても当てはまる。製作した後に周到な手続きを経たうえでしか、助成金は支
払われない。私も助成金をいただいたことがあるが、有り難いと思うものの、いつ
も製作途上で一部金でもいいから貰いたいと思ったものである。江利川さんの言う
ように、なんとかならないものか。

●『ニュータウン物語』の監督、本田孝義さんから『牛の鈴音』の寄稿があった。
本作品については、1月15日号で東野真美さんが、老農夫と妻と牛のハーモニーが
素晴らしいことと、牛の鈴音の使い方に積極的評価を与えている。また2月15日号
では中村のり子さんが、「ドラマ性が強い」ことを指摘しているが、本田さんは音
の扱いと編集方法に大きな疑問を投げかけている。本作品については、ドキュメン
タリー映画の方法を巡って賛否両論に分岐する問題を投げかけているように思われ
る。



規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
Score!: 72 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。