映画

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

全て表示する >

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 118号 2009.2.15

2009/02/15

∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
       道具としてのドキュメンタリー(4) 媒介者の役割  川村 雄次
 †02 ■自作を語る
      『つぶより花舞台』  鯨 エマ
 †03 ■ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
      ブラジル・オウロプレット 世界遺産の古都での映画祭(2)
         岡村 淳
 †04 ■映画時評
      『空とコムローイ〜タイ、コンティップ村の子どもたち〜』
         中村 のり子
 †05  ■neoneo坐 2月後半の上映プログラム
 †06 ■広場
      ■小谷忠典監督『LINE』を巡って想うこと  宇野 治
      ■「自作を語る」などの原稿募集!
      ■上映の告知の有料化とカンパのお願い
 †07 ■編集後記 伏屋 博雄


    ★バックナンバー閲覧はこちらまで
     まぐまぐ配信   http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/ 
     melma!配信   http://www.melma.com/backnumber_98339/ 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■道具としてのドキュメンタリー(4) 媒介者の役割
┃ ┃■川村 雄次
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
●第6期 “情報の格差”を埋める

2006年12月 NHKスペシャル「シリーズ 認知症 その時、あなたは 第1回
“常識”を変えよう」

2003年、私たちは、クリスティーンが書いた文章で「パーソンセンタードケア」と
いう言葉と出会った。“人”を中心にしたケア。何と明快な表現だろうと驚いた。
だが、こんな言葉が新鮮に聞こえるのは、それだけ“人”を中心にしないことが当
り前だったということである。認知症の“人”が何に不自由を感じ、苦しんでいる
かに焦点を当ててそこに手を差し伸べるのではなく、周囲を困惑させる言動を封じ
込めたりやり過ごしたりするなど“問題への対処”がケアであるとされていた。そ
れは、本人の側から見れば、「ケアなきケア」であった。パーソンセンタードケア
では、前者を「新しい文化(ニューカルチャー)」、後者を「古い文化(オールド
カルチャー)」と呼ぶ。この表現の明快さにも驚いた。ケアは、その時代、その社
会で、人が何に生きる価値を見出し、人をどのように見ようとし、人を扱おうとし
ているのかという「文化(カルチャー)」と切り離せない。認知症がなくても人が
“人”として扱われない社会で、認知症の人が“人”として扱われるはずがない。
逆に、認知症の人が“人”として生きられる社会なら、すべての人が“人”として
生きられるだろう。認知症は、そういう新しい文化を作り出すきっかけであるとい
う考えに、私は夢中になった。

そして、日本各地で世界史的に見て突出したケアの現場が生まれていた。認知症の
人が“人”として“生活する”姿が生まれていた。それは、「認知症特有の症状」
「認知症らしさ」と思われていたものの多くが、「古い文化」の産物であったこと
を実証していた。そして、そうしたケアをいつでもどこでも誰でも行い得るように
するためのツールも開発された。「認知症の人のためのアセスメント センター方
式」である。日本の現場から生まれた世界に誇るべき到達点であった。だが、世間
は「最先端」を評価することが出来ない。評価するための尺度を持たないからであ
ることを思い知らされた。ケアの「古い文化」が根強く日本を覆っていた。私たち
が「ケアの力」を示す番組を作っても、「あの施設は軽い人だけを選んで入れてい
るので、現実はあんなものではない」と、決めつけられた。

そんな中、前述のETVワイドの放送後、NHKスペシャル事務局から投げかけがあった。
「認知症の医学とケアの到達点と、現実との間には大きなギャップがあるようだ。
そのギャップを生むのは、“情報の格差”ではないか。この格差を埋めることが出
来たら大きな変化が起きるのではないか…」。
そして、「認知症キャンペーン」として番組やイベントを全局的に展開することが
企てられ、私も一員に加えられた。そして、キャンペーンの中核となる番組として
作られたのが、2006年12月のNHKスペシャルである。私が担当したのは、「新しい
ケア」の力の実証だった。アルツハイマー病のため記憶力や言葉を失い、大声をあ
げたり暴力をふるうなど、「手に負えない」とされていた女性が、新設された施設
に移り、彼女の言葉にならない訴えを汲み取ろうとする職員たちとの暮らしの中で
、笑顔ややさしさを取り戻していく過程を3か月間、施設に居続けて記録した。職
員たちは「センター方式」を使ったミーティングで、彼女が時折発する短い言葉や
しぐさから、おそらく彼女自身が見失っていただろう「やりたいこと」や思いを見
つけだしていった。

●第7期 “医原性”という問題

2007年6月 福祉ネットワーク「シリーズ 認知症 訪問診療専門医の現場から 
認知症と“薬”を考える」2008年1月 NHKスペシャル「認知症 なぜ見過ごされる
のか 医療体制を問う」など。

上記の番組の取材を通じて、私は、先進的なケアの現場で、「医者にかかると悪く
なる」というのが“常識”であることを知る。出来る限り「医者の世話にならない
こと」が目指され、成果をあげていた。認知症の人の「手に負えない言動」を抑圧
するため、さまざまな薬が使われている。睡眠薬、気分安定剤、統合失調症の薬、
てんかんの薬…。病院に行けば、点滴を抜かないようにと手を縛り、歩き回らない
ようにと、体を縛ることが当り前である。結果として、表情を失い、よだれを垂れ、
前かがみで小刻みに歩いたり、体が硬直して動けなくなる、「認知症の進んだ姿」
が作り出される。ケアによってせっかく「生きる姿」を取り戻しても、医者にかか
ると元も子もなくなってしまう…。

そんな折、先輩カメラマンを通じ、自宅で暮らす認知症の人たちを訪問診療専門で
みる一人の医師を知った。彼の診る患者の3割以上は、「医原性」の症状を持つと
いう。診断の誤り、薬の誤用、身体拘束などによって作り出される、「医療が作り
出した症状」である。そんな場合、「薬を抜く」「減らす」ことが治療になる。そ
んな現場から生まれた医療の内側からの問題提起とケアの現場の問題意識とが出会
い、いくつもの番組が生まれた。2008年1月のNHKスペシャルは、スタジオに認知症
に関わる医療、ケアの専門家、大臣、そして、本人、家族が集まり、求められる医
療体制について語り合った。

実は、「医療とケアの連携」とはいうが、認知症に関わりのある人同士が立場をこ
えて集まり、語りあうこと自体、今まで皆無だった。収録後、「もう一回こんな風
に集まれるといい」という声から、2か月に一度のペースで居酒屋に集まる「お福
の会」が始まった。
では、何のために集まるのか?議論を重ね、「認知症になっても人生と生活を続け
ることを支える医療・ケア・社会を目指す」という「お福の会宣言」が生まれた。
そして、そうした問題意識のもと、また何本もの番組が作られた。

●第8期 “人生”と“生活”を続けるために

2008年7月 福祉ネットワーク「シリーズ 認知症の介護施設は今
(1)札幌 “最期”までその人らしく(2)石川 地域とともに」
 2008年11月 ETV特集「長すぎる休日 若年認知症を生きる」など

     (つづく)


■川村 雄次(かわむら・ゆうじ)
1990年NHKに入局。ドキュメンタリー、教養番組などを制作。2005年から制作局文
化・福祉番組に所属。2月上旬、オーストラリアでロケしました。「クローズアッ
プ現代」で、17日ごろ放送の予定です。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『つぶより花舞台』
┃ ┃■鯨 エマ
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●熟年男女の底力、舞台の上で花開け!

これは、熟年男女のアマチュア劇団が初舞台を踏むまでの7ヶ月の記録である。30
代の私が親子ほど年のはなれた人たちをあつめて、演劇をやろうと思ったのは、
2006年のこと。きっかけは、以前から取り組んでいた劇場のバリアフリー活動(障
害者が、芝居を観るための手助けをする)を、障害者だけでなく高齢者に向けての
サービスとして広げてゆこうと考えたことだ。
しかし、高齢者が観たい芝居というのは、おおかた大劇場の華やかな演劇で、私が
やるような小劇場演劇は、あまり興味がないようだ。そこで、演劇を「観る人」の
サポートではなく、「やりたい人」のサポートをしようと思いついたのだ。「還暦
(かんれき)」にかけて「かんじゅく座」、資格は60歳以上ということだけ。新聞
の募集記事を見て集まった14名の熟年男女は、ほとんどが演劇未経験者だった。最
高年齢69歳。「子供の頃の夢にチャレンジしたい。」「なにか、夢中になれること
をみつけたい。」「認知症の予防に…」と、動機はじつにさまざまだった。

演劇は人を変える力がある。感動こそ、私たちの心を広く深く育んでゆくが、それ
は若者に限ったことなのだろうか。60を過ぎた14人が、どんな変化を遂げてゆくの
か、私は期待に胸を膨らませながら稽古にのぞんだ。第1日目から、撮影を始めた
が、実際に稽古に入ると私自身は芝居の演出をしなければならないので、ほとんど
カメラマンにお任せ状態になっていた。

発声練習、シアターゲーム、体操、セリフの稽古、そして裏方のスタッフワークに
ついてと、基礎の基礎から学んでゆく。もちろん、若手俳優に教える10倍以上の時
間がかかる。公演のための稽古では、さらにいろいろなことに時間がかかるのだ。
断っておくが、今の60代は「初老」とはいえないほど若い。着ているものも、若者
とほとんど変わらない。髪もきれいに染めて、とてもオシャレだ。
仕事を続けている方も多い。専業主婦の方も、日々習い事、スポーツジム通いと、
忙しく活動していらっしゃるので「リタイア」ましては「御隠居」なんていう雰囲
気は微塵も感じさせない。それでも、演劇畑に15年以上いる私には想像もつかなか
ったようなハプニングが起こるのだ。セリフを覚えること、舞台の上手(かみて)
と下手(しもて)の認識、歌詞を覚えること、歩き方など、同じ説明を何度もする。
限られた稽古時間がどんどん足りなくなる。焦ってきたのは私のほうだった。しか
し、「演劇による人間活性化」、つまりプロの俳優たちとは端から目的がちがう
「かんじゅく座」なのだから、楽しまなくてはどうしようもない。まずは私が気持
ちにゆとりをもたなければならなかった。

しかし、焦燥感は座員たちにもあった。思うように声がでない、若い頃のように早
く覚えられない、何度も同じことを聞いてしまう、娘・息子と同じくらいの年齢の
私から、ああでもないこうでもないと、「ダメだし」(演技をよりよくするための
サゼスチョン)される…これは日常生活の中では考えられないことのようだ。特に
男性にとっては、30代の女性にトコトン修正されてゆくことは精神的にかなりきつ
かったようだ。
しかし、かんじゅく座が、他の習い事と確実に違うのは、どこまでも諦めないこと。
「これでOK」というところがない。役に近づくための努力を惜しまないこと、つ
まり、プロと同じ姿勢を皆さんに要求をしたために、かえってモチベーションは上
がったと思う。しかし、この努力をしてゆかないと、観客が納得するものは創れな
い。観客が納得しないものは、ただの自己満足で、それでは次にまたやろうという
気持ちにはならないのだ。

かんじゅく座は、今も続いている。次が3回目の公演になる(2009年4月)。ひとつ、
皆が大きく変わったことがある。それは「笑われる」ことが「快感」になったとい
うこと。始めは自分の演技に笑いが起きると「恥ずかしい事をやってしまった
か。」と反省していたのが、いまは「笑をとれる!」自分をさらけ出すことの気持
ちよさを体が覚えてしまったのだろう。まさに、「役者と乞食は3日やったらやめ
られない!」のだ!

観た人が元気になる映画を創りたいと思った。スポーツと違って、歳をとることが、
なんともいえない味わいとなって現れるのが演劇。これから熟年を迎える全ての方
に観ていただきたい。

☆『つぶより花舞台』(DVcam、78分、カラー)
現在、ポレポレ東中野で、モーニングショーで上映中(2月20日まで)
10:45〜 1日1回上映
毎回、終映後に(火曜・金曜をのぞく)、かんじゅく座の座員が日替わりで舞台挨
拶をします。
鯨エンターテイメント: http://kujira-enter.sakura.ne.jp/ 


■鯨 エマ(くじら・えま)
1973年生まれ。演劇家(俳優・劇作・演出)。青年座を経て、現在はj.clip所属の
俳優。
NHK『女将になります!』『御宿かわせみ』映画『釣りバカ日誌11』などに出演。
2005年ドキュメンタリー映画『マンゴと黒砂糖』監督ほか、舞台公演の企画、劇作、
演出、をてがける。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃03┃□ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
┃ ┃■ブラジル・オウロプレット 世界遺産の古都での映画祭(2)
┃ ┃■岡村 淳
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2008年の「民衆のイメージ」国際映画祭が開催されるまで、私は自作のことにしか
関わらなかったが、それだけでも紆余曲折たっぷりのプロセスだった。乞われるま
まに何作品もの素材を送り、新たにそれらのポルトガル語の作品概要の書き下ろし
も頼まれて、本業の作品編集の合間にヒーコラと応じたものの、いったい何がどう
なっているのか、そもそも私が本当に映画祭に招待されるのかは直前までわからな
いままだった。映画祭の開始される8月になっても映画祭のサイトは工事中のまま
である。
結局、最低2本は私の作品を上映する、という話が「予算と上映時間の都合」との
ことで拙作『ブラジルの土に生きて』の前半のみの上映、ということになってしま
った。手違いも多く、サンパウロ在住の翻訳者のところに上映日の前週にカントク
の私自らが素材を届けに行かなければならない始末。
それからまともな翻訳とテロップ付けが間に合うのだろうか?先方の指定する現地
までのフライトまでが直前に変更されてくる…

日本からの招待者は今回の映画祭の日本特集のキュレーターも務めた評論家のマー
ク・シリングさんと『バイブレーター』『きみの友だち』などの映画監督、廣木隆
一さんの二人。マークさんの名前は日本語で検索をかけてもほとんど引っかからな
いが、「THE JAPAN TIMES」紙や「VARIETY」誌に日本映画や日本のサブカルチャー
を紹介している日本以外では国際的に知られる在日アメリカ人だ。お二人とは映画
祭の開催されるミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテの空港で合流した。日本
語を専攻したというブラジル人女子学生が通訳として同行するが、かなりきわどい
レベルのため、でしゃばらない程度にさりげなくフォローさせてもらうことにした。

州都にさきがけて上映が行なわれるオウロプレットは世界遺産にも登録されている
ブラジルの古都だ。17−18世紀のブラジルのゴールドラッシュの時期に金の集積地
として栄え、山峡の地にブラジル風バロックの教会群と石畳の道が広がっている。
現在の人口は7万人足らずだが、国立大学があり、世界遺産効果もあって学生と観
光客でにぎわうカルチャーの香りたっぷりの街だ。どんな時間、どんな光線、どん
なアングルからも絵になってしまう。廣木監督はさっそく食指が動いたと見え、デ
ジカメを構えるのに余念がない。

古都に到着後まもなく、段取りの説明も打ち合わせもないまま、オープニングセレ
モニーとなった。
アメリカ大陸で今日も使用されている劇場としては最古というオペラ座が会場。
1922年に製作された「アマゾンのルーツ(NO RAIZ DAS AMAZONAS)」という無声の
ドキュメンタリーがアマゾンから来た二人の音楽家の生演奏とともに上映された。
映像そのものも貴重ながら、場所、演奏とともに実に意欲的な試みである。日本か
らのゲスト二人は時差と長旅の疲れで、上映前に宿に引き上げたが。

今回、日本の劇映画は廣木監督らの最近の作品の他、クロサワ・オヅ・ミヤザキハ
ヤオといった有名どころの古典が上映された。日本のドキュメンタリー特集では先
述の拙作『ブラジルの土に生きて』と大西暢夫さんの『水になった村』の2本の上
映となった。大西作品はマークさんの推薦によるという。日本のドキュメンタリー
概史を私がプログラム用に書き下ろすことになり、わが師・牛山純一とテレビドキ
ュメンタリーの功績、そしてセルフドキュメンタリーにとどまらない単独取材の作
品の存在について書くことになった。牛山の業績がポルトガル語で書かれるのはこ
れが初めてかもしれない。

私は大西暢夫さんとは旧知の仲だ。私の「ひとり取材」のデビューは90年代初め、
日本のCS放送局「朝日ニュースター」の「フリーゾーン2000」という番組である。
私自身この番組の存在と担当プロデューサーの厚意のおかげで、ひとり取材の道を
続けることができたと感謝している。写真家である大西さんも当時、スチールカメ
ラの他にHi8のビデオカメラも構え、ひたすら徳山村を題材にしたビデオを「フ
リーゾーン2000」で発表し続けていたのだ。
奇しくもフリーゾーンOBの二人の作品が、ブラジルの古都で上映されることにな
った。上映会場には一般市民、学生、観光客、ブラジルの映画製作者や評論家が訪
れていた。ブラジルの観客たちに日本的ひとり取材の2作品は想像以上に好意的に
受け入れられ、細かい部分でもよく反応してくれていた。

ブラジルのドキュメンタリーでも小型カメラを用いたひとり取材は見受けられるが、
メインカメラのサポートとしての使用の位置づけが多い。何よりも被写体の人物を
あくまでも素材として扱い、いかに観客や評論家に受ける表現をするかに主眼が置
かれている印象が強い。大西作品や拙作のように、被写体との「他の追随を許さな
い」人間関係と信頼関係をベースとしての何年もかける継続的な長期間撮影という
のは、とても新鮮だったようだ。
ブラジル人にも、きちんと見せれば通じる。ひとり仕事で基本的に日本語バージョ
ンしか作らず、自作の営業活動よりも「いま撮っておかなければ」の取材と家事を
優先して追われる私としては、このことが大きな支えとなりそうだ。


■岡村 淳(おかむら・じゅん)
記録映像作家。在ブラジル。1958年東京都生まれ。小型ビデオカメラを用いたひと
り取材と、制作責任者本人立会いのライブ上映会を続ける。2月下旬より訪日、東
京で最新作のお披露目上映ののち、3月に台湾、南米チリをまわってライブ上映の
予定。
上映詳細は「岡村淳のオフレコ日記」
  http://www.100nen.com.br/ja/okajun をご参照ください。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□映画時評
┃ ┃■『空とコムローイ〜タイ、コンティップ村の子どもたち〜』
┃ ┃■中村 のり子
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

萩野亮さんが執筆されているこのコーナーを、今回から私も交替でつとめさせてい
ただくことになった。映画について文章を書くのは久しぶりだが、自分の意識を改
める場にしたいと思う。よろしくお願いいたします。

三浦淳子監督の『空とコムローイ』の劇場に駆け込んだ私は、スクリーンに映し出
された女の子の優しげな表情に惹きつけられた。カメラの向こう側と会話するその
様子には親しみがこもっていて、同時にカメラを向ける方も女の子を愛おしく思っ
ていることが伝わって来た。ビデオからダビングされた16ミリフィルムの質感が温
かかった。見ているうちに私の中に浮かんだのは、作り手がカメラを介して人を見
る時の、眼差しの個性のことだった。

タイ北部のアカ族のためにイタリア人神父が開いたコンティップ村の日々を撮って
いる。7年間も毎年通ったというから、おそらく膨大な量の撮影が行われたはずだ。
しかし、作品のタッチは基本的に淡々としている。カメラはいつも控え目といって
もいい姿勢で静かに回されている。それがよそよそしいものとは違うことは、すぐ
にわかる。大きな声は出さないけれど好奇心をもってズームアップやパンをするカ
メラは落ち着いていて、周囲からその存在が受け入れられていることが伝わる。相
手の許しなく、こっそりと撮った映像ならば、同じカメラワークのようであっても
やはりわかる。それは映像の不思議な作用のひとつだといえる。その点で、コンテ
ィップ村にいる三浦さんのカメラは、単なる遠慮ではない静かさであると感じられ
る。かけがえのない、優しい人間関係で成り立っているこの村の空気を非常に尊重
していて、それを無下に壊さぬようにと願いながら撮影している印象を与えるのだ。
それが結果的に、穏やかだけれども背後に辛さや悲しさをも持っている村の現状を
表しているようである。

カメラを介して誰にどんな眼差しを向けるかは、人それぞれだ。『空とコムロー
イ』の三浦さんは、見守るように撮影している。最初にまだ2歳に満たないファと
出会った時も、無闇に近づいたりはしない。実際に仲良くなるには触れ合ったりも
しただろうが、カメラを使って近づくと意味が違ってくるのを作者は知っている。
それだけに、年月が経つにつれてだんだんとファが三浦さんを認め、またファの母
親が亡くなったことで三浦さんの思いが深くなっていくのが、見る方にじわじわと
伝わる。
しかし同時に、ファにとっての母の喪失には軽々しく立ち入れない、ということも
感じさせる。母親の墓を訪ねる彼女をカメラはそっと見つめるだけだ。また、神父
に対しても、直接インタビューする時のカメラは少し戸惑っている一方で、建物の
窓に彼がいることに気づいてじっとズームしたりもする。そして映される人々は、
そんな三浦さんのカメラに対して、見つめ返すことができるようだ。子どもも大人
も、安心してカメラと視線を交わすのがわかる。そして見ている私もそのやり取り
の中に包まれる。

最近見た映画の中で、やはりカメラの眼差しが印象に残る作品があったのを思い出
した。アレクサンドル・ソクーロフ監督の『チェチェンへ アレクサンドラの旅』
だ。軍人である孫に会いたくて、お祖母さんが戦争の前線の駐屯地を訪ねる物語だ
が、この作品のカメラの動きが与える印象は『空とコムローイ』とはまったく違う。
老女と兵士や現地の商人が交わす視線の会話には緊張感が漂い、そこ信頼が生まれ
るたびに少し緩みながらも、ずっと張りつめたものが続く。このピリピリした眼差
しの応戦で、ソクーロフは戦争というものを伝えている。

カメラによる眼差しは人それぞれで、作品のテーマを左右する。どんな内容であれ、
カメラを用いるからにはそれを覗く人の個性が存在する。『空とコムローイ』を見
てそのことを再認識した。ちなみに前号の「自作を語る」で三浦さん自身は、ナ
レーションの問題を取り上げている。私の印象に限っていえば、やはりナレーショ
ンもカメラワークと同じくらい思慮深く、威圧的なものとは遠い響きを持っていた。

☆『空とコムローイ〜タイ、コンティップ村の子どもたち〜』(90分)
監督・撮影・編集:三浦淳子、プロデュース:岩永正敏、構成:伊勢真一
録音:米山靖、音楽:横内丙午、整音:井上久美子、編集技術:世良隆浩
  http://www.tristellofilms.com/scom.html 
2月27日(金)まで渋谷・ユーロスペースで毎朝10:30から上映

☆三浦監督とゲストによるトーク
2月15日(日) 藤岡朝子(山形映画祭東京事務局ディレクター)
18日(水) 大久保賢一(映画評論家)
22日(日) 萩原朔美(エッセイスト)
25日(水) 野中真理子(映画監督「こどもの時間」)

■中村 のり子(なかむら・のりこ)
1984年生まれ。明治学院大学芸術学科在学時にドキュメンタリー作品を見ることに
ハマる。2007年卒業後、イメージフォーラム映像研究所へ入る。卒業制作の『中村
三郎上等兵』が昨年のゆふいん文化記録映画祭松川賞を受ける。ひょんなことで日
刊工業新聞社に就職してしまう。三浦淳子さんはイメフォの大先輩であることに気
づき、驚きました!



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□neoneo坐 2月後半の上映プログラム
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
  http://www.neoneoza.com/ 

「知られざる短篇映画を見てみる」上映会
「短篇調査団」
Shortfilm Researchers
毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)

日本のカーペンターズ5本立(113分)
(84) 大工の巻…2009年2月25日(水)20:00〜 
『東京の古建築』  
1977年/25分/カラー
制作:日本記録映画作家協会+東京を記録する会/企画:東京都教育庁文化課
監督:山本升良/脚本:徳永瑞夫 
■寺、城門、民家、江戸期の建築技術・道具、明治期の洋風建築(ニコライ堂、旧
日銀本店など)、農村舞台(にのみや歌舞伎)などを紹介。

『大工道具―その技と心―』
1984年/23分/カラー
制作:日本映画新社/企画:竹中工務店
プロデューサー:谷川正幸/脚本・監督:山田哲夫/撮影:高比良昇
■1984年、神戸に「竹中大工道具館」が開館した。同館に収集・保存されている大
工道具の数々を見ながら、日本の建築をつくりあげてきた大工と、その技を授けた
大工道具、道具鍛冶の技術と精神を描く。

『着工式―』  
1970年/14分/カラー
制作:理研映画/企画:清水建設
プロデューサー:合津進/脚本・監督:広瀬涼二/撮影:岡進明
■木やり真棒地形とは、江戸時代の大工事の着工式に町火消によって行われた儀式
である。昭和45年10月、浅草寺五重塔再建にあたり、江戸消防記念会の人々によっ
て再現された。

『建築塗装の世界―漆塗り技法・松村秀夫―』(1,000万人の話題 No.465) 
1994年/5分/カラー/制作:東京都映画協会
■全国建築塗装技能大会日本一の栄誉に輝く松村さんの仕事を紹介する。彼が目指
すのは、工場では作り出せない手づくり塗装の復活であり、人々の感性に訴える深
みのあるインテリジェント塗装へのチャレンジである。

『木組・銅葺・漆喰壁―愛染院本堂建立記録―』 
1981年/46分/カラー
製作・脚本・監督・撮影:堤哲朗
■伝統的な木造寺院の建築は極めて少なくなった。東京・練馬の練月山愛染院本堂
建立の過程から、昔ながらの木組や銅葺・漆喰壁に取り組んだ市井の匠たちの技と
巧みを克明にとらえる。

【料金】会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料) 
【お問合せ】清水 E-mail:shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■投稿
下記の原稿は前号に掲載しましたが、脱字の部分などがあったため、改めて全文を
掲載します。(編集者:伏屋博雄)

■小谷忠典監督『LINE』(日本/2008/52分)を巡って想うこと 
宇野 治

映画祭の選考員自らが、自己と世界の未知に向かって、生活世界への死にものぐる
いの探求をすることをやめ、業界内の凭れ合いと、会議室のモニター前でのふんぞ
り返った選別という愚行に安住してしまったとき、その映画祭の命脈は尽きたと言
わなければならないだろう。映画祭とは選別の権力が行使される業界の「庁」であ
ってはならない。より開かれた交流を創設し続ける、変容の網の目の交錯場でなけ
ればならない。初期の山形にはそういう精神が溢れていた。

去年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭2007」で選外となった一本の映画が、今
年の「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー山形in東京2008」で初上映となった。
小谷忠典監督による「LINE」である。驚愕の52分が隠蔽されていたということにな
る。この映画を山形国際ドキュメンタリー映画祭が選外にしていたという事実は、
痛恨の極みである。そして、この映画を遅ればせながらも上映したDDSプログラ
マー・藤岡朝子さんの決然たる意志には、最大の敬意を表したい。(さらに
「LINE」は、今年のスペイン・パンプローナで行われるドキュメンタリー映画祭の
コンペティションにノミネートされたという朗報が入った。)
 
「LINE」という映画は、その表現の果敢さ、凄まじさにおいて他に類例をみない。
ドキュメンタリー映画という偏狭なジャンルを越えて、映画という表現の消失点に
静黙して屹立している。そして、この映画の表現を素通りできるほど、もはや私た
ちは安穏とした時代にはいない。
大阪大正区と沖縄・コザ吉原、左翼運動家である過去を持つアル中の父と、血のつ
ながらない子供の父親になろうとする息子。
「此所と他所」を結びつけるもの、私たちは、それをもはや「愛」とは言えなくな
った。そんな圧倒的な断絶をまえに、それでもなけなしの表現でもって「此所と他
所」を結びつけようとするとき、ほんの一瞬そこに一握りの「愛」としかいえない
ギリギリの生の様態が浮かび上がる。通りのいい物語も上手い演出もわかりやすい
フレーズもそこにはない。奇形の断片をなんとか手縫いで継ぎ足したボロボロの表
現があるだけだ。だが、いま、それだけが「映画」たり得るのではないかと思う。

小谷監督は、彷徨の末、沖縄のコザ吉原の路地裏で、不意に映画を発見する。コザ
吉原の裸の女たちの膚と顔を見つめることで、「生きる倫理」としての映画を発見
したのだと思う。私たち観客もまた、この映画を見ることで、発見する。それは人
がなけなしの自身の生を、なおも生きていくことの倫理としか言えない何ものかで
ある。小谷監督のカメラには、女たちの膚と顔の背後に、安易な物語を読み取ろう
とする破廉恥はない。徹底的に皮膚、顔という表層を見つめる。過去も知らず、た
ぶん未来にも関与しない、現在だけしか共有することのない他人。その他人の顔を、
「いま、ここ」で、ただ、じっと、見つめる。

「どんなに長い小説や評論も、その散文を支えるのは、たった一行の詩である」と
言った文藝批評家の言葉が頭をよぎる。この映画が表現として立ち上がるのは、ま
るまる2分間以上もの沈黙の時間、名もなき女との対面のなかで不意に体現してし
まう「見つめ合う」という圧倒的に無為な行為、そのただ中においてである。この
とき深層と表層が反転する。重苦しい歴史を背負い彷徨してきた「生」が、いま此
処にしかいない女たちの眼差しによってはじめて支えられることになる。徹底して
歴史と物語を欠いた唯物的な皮膚と顔。その皮膚と顔を黙って見つめること。この
現在という時間、隣人の他者の顔をただ見つめるという単純にして苛酷な行為。そ
れが、我々の絶望的な生を唯一支えることになるのだということを、この映画は体
験したのだ。そして、同時にこの映画を見る私たち観客もまた、この生の倫理が発
動する瞬間を追体験する。
これを映画体験と呼ばないとしたら、いま「愛」はどこにあるというのか?

DDSの同じプログラム「さまよえる若者たち」で上映された他の若手監督の作品は、
山形国際ドキュメンタリー映画祭2007の本選にも選ばれたものだが、「LINE」は明
らかに彼らの作品とは一線を画していた。我々の生存がギリギリのところに追いつ
められていることを、表現が甘く粗雑になることのエクスキューズにしてはならな
い。貧困な生活や悲惨な状況を撮影すれば、それがすぐさま映画表現になると思っ
たら大間違いである。生存の限界体験が、映画表現の限界体験とシンクロしなけれ
ば、ドキュメンタリー映画はすぐさま堕落することだろう。映画表現とは、主張発
言のための道具や手段でもなければ、シネフィル/オタクたちが蒐集するためのコ
ンテンツでもない。政治運動のための映画と、個人の自己顕示や美的趣味顕示のた
めの映画ばかりが横行する日本のドキュメンタリー映画業界、小川も土本も佐藤も
亡くなり、堕落はすでに始まっている。

■宇野 治(うの・おさむ) 
東京浅草生まれ。1991年から2006年まで放送局でサラリーマンをする。 
現在、いくつかの教育機関で非正規労働に従事。


   ◇────────────────────────◆◇◆    


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。

(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。

(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●前回(113号、2008年11月15日)に続いて、岡村淳さんからはブラジル・オウロ
プレットで行われた映画祭についてのレポートが届いた。今ではアジアや欧米で行
われる映画祭については私たちのかなり知るところとなったが、こと南米の映画祭
となると情報が少ないことを痛感する。それだけにサンパウロ在住の岡村さんの報
告は貴重なものだ。今回のブラジルの古都での映画祭報告はドタバタの運営も含め
て興味深く読んだ。

●「映画時評」の新しい執筆者に中村のり子さんが加わった。これからは萩野亮さ
んと交互に担当することになる。中村さんはすでに何度か登場しているので、記憶
している方もいると思う。たとえば、99号(2008年4月1日)では、映画制作実習と
して学んだイメージフォーラム映像研究所の卒業作品『中村三郎上等兵』について
「自作を語る」欄に執筆。本作品は、日頃は戦争を否定していた祖父が、実は「立
派な兵隊だった」という当時の部下の証言の落差を、孫から見た視線でユーモラス
に描いていた。さらに77号〜82号(2007年4月1日号〜6月15日号)では、 「ドキ
ュメンタリーの光を探せ──たとえば、黒木和雄のPR映画──」と題して、60年代
半ばにマグマのように噴出する自主制作映画作家たちの胎動がすでに岩波映画時代
のPR映画の中に伏在していたことを見事に論証した(未読の方は、バックナン
バーをぜひご覧ください)。で、今回は、ユーロスペースで公開中の『空とコム
ローイ〜タイ、コンティップ村の子どもたち〜』(監督:三浦淳子)について、監
督の撮影時の「眼差し」をテーマに記述している。今後は萩野さんと中村さんの若
いお二人の力を得て、誌面がより活性化されることを期待したいと思う。

●巻頭文の川村雄次さんは前回に続いて、認知症の取り組みの深化を綴り、認知症
の人を人として尊重することの重要性を指摘し、それは「新しい文化を作り出す」
ことに他ならないと力説している。
次号で最終回を迎えるが、川村さんの筆法はいささかも衰えない。
「自作を語る」は鯨エマ監督の『つぶより花舞台』についての投稿である。すでに
ポレポレ東中野で上映中(2月20日まで)だが、「熟年男女のアマチュア劇団が初
舞台を踏むまでの7ヶ月の記録」である。興味ある方は、映画館に行こう。

●ところで最近ハマっているブログ2本を紹介します。
最近開設した萩野亮さんのブログ(「filmemo」)。昨年300本以上を鑑賞した映画
の中から「2008年の20本」を発表しています。
  http://rhgn.dtiblog.com/blog-entry-148.html 
また、国立フィルムセンターの岡田秀則さんはパリで研修中ですが、アーカイブの
奥深さとパリの街の表情を刻々とレポートしています。
  http://d.hatena.ne.jp/atelier-manuke/ 


規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
Score!: 72 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。