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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo 115号 2008.12.15

2008/12/15

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 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
      道具としてのドキュメンタリー(2)社会を映し出す鏡  川村 雄次
 †02 ■ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
      Shall We Sing? ―自作制作過程を語る−  東谷 麗奈
 †03 ■映画時評
     第9回東京フィルメックス雑感 【ドキュメンタリー篇】
       ―『サバイバル・ソング』『バシールとワルツを』『私は見たい』
         について  萩野 亮
 †04  ■neoneo坐 1月前半の上映プログラム
 †05 ■広場
      ■新刊紹介:「プガジャ」の時代(大阪府立文化情報センター編)
      ■「わが一押しのドキュメンタリー映画2008」アンケート大募集!
      ■「自作を語る」などの原稿募集!
      ■上映の告知の有料化とカンパのお願い
 †06 ■編集後記 伏屋 博雄


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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■道具としてのドキュメンタリー(2) 社会を映し出す鏡
┃ ┃■川村 雄次
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●認知症は「社会を映し出す鏡」である

認知症について、私が直接制作に携わった番組を数えると、この5年で29本になっ
ていた。私自身の関心に基づいて企て撮った「自分の番組」と思っているものだけ
でそれだけになる。そのうち数本は他のディレクターとの共同であったり、長い番
組の一部への参加であったり、また、デスクという立場であったりするのだが。よ
くもまあと、自分でも驚く。新奇な話題を追ったつもりはない。その時々に最も必
要と思われることを、その順番に撮っていった結果である。

この間、どんな関心を持ってきたか?私の頭には常に、土本典昭さんが水俣映画第
一作『水俣の子は生きている』(1965年)の最後に打ったナレーション「この子ら
の心まで水俣病にしたくないのです」があった。今もある。有機水銀によって侵さ
れた脳や神経に対して、ドキュメンタリーは直接的には何も出来ないかも知れない。
だが、有機水銀による破壊にもまして現実の「苦しみ」を作り出すのは、人間の心
ない言動による心の破壊である。この「心の破壊」を食い止めるための闘いは、直
ぐにも始めることが出来る。さらにまた、「一部の人の利益と引き換えに他の人の
命を無視してもよいと思うこと、人を人と思わないこと」が被害を放置し拡大させ
てきた背景だとするならば、この「社会の病」に対してもドキュメンタリーは治療
的に関わることが出来る。そのことは、土本さんの水俣連作によって明らかだった。

認知症を引き起こすのは、一義的には人為ではない。だが、その症状が「重いか軽
いか」を考えると、「人間」が大きく関わる。その症状としてよくあげられる「徘
徊、暴力、暴言、失禁」。これらは、いわば「心の認知症」であって認知症そのも
のではない、と教えられたことから、私の番組づくりが始まった。

認知症は脳の障害によって起きる症状群である。その症状は、脳の障害そのものに
よって引き起こされる中核症状と、それにその他の要因が重なることによって起き
る周辺症状とに分けられる。このうち記憶障害や見当識障害などの中核症状は、医
学が進歩し脳の障害そのものを止めない限り食い止めることが出来ないが、周辺症
状は、その人をとりまく環境や対応などを調節することによって悪化を防げる可能
性がある。例えば、周囲が「本人の言うことを否定しない、馬鹿にしない」という
医師の助言に従うだけで、暴力、暴言などが消え失せるというようなことが起こる。
まさに「心の認知症」の表現だった。近視の人でも度のあった眼鏡があれば、目に
障害があっても、障害なく生活が送れるように、認知症に対する「度のあった眼
鏡」があれば、生活も人生も続けることが出来る。認知症に対する「眼鏡」は、物
ではない。人である。認知症になることは、人に支えられねば生きられなくなるこ
とである。弱者を見下し排除する人たちに囲まれていれば、周辺症状は悪化し、社
会的には生きながら死んだも同然になる。一方、病気で失われた能力を補い、手助
け出来る人たちに囲まれていれば、最期まで家族の一員、社会の一員として生きら
れる。人がどれだけどこまで人として生きられる社会であるかが問われている。

いわば認知症は「社会を映し出す鏡」である。その1割は脳の病気だが、9割は社会
の病気である。この病気を持つ人に向けられる「視線」が病んでいれば、苦しみが
増幅され、「周辺症状」となって表れる。その病んだ視線を作り出すのは、世の多
くの差別と同様、無知と自分自身の浮かばれない思いである。一方で、そんな社会
の中にも、認知症の人が光っている「そうではない場所」もある。そこでは、認知
症でない人も、浮かばれなさから解放されるのか、光っている。理想論をぶつので
はない。明暗相分かれる現実を示しつつ、その分かれ目となる具体的な知識と技術
を伝えること。脳の病気についても、社会の病気についても、番組を作ってきた。
いつしか5年経った。「人間にはこんなに強く作られているんだ」そんな言葉に出
会う。私もそう思う。変化を実感することもあるし、変わらなさ、病の根深さを感
じることもある。


■川村 雄次(かわむら・ゆうじ)
認知症への視線が変わることで何がどう変わるか?オーストラリア、日本で取材し、
先月放送した89分のドキュメンタリーの姉妹編として作った番組の再放送がありま
す。12月17日(水)・18日(木)13:20〜 NHK教育テレビの「福祉ネットワー
ク」。年内は、上記のドキュメンタリーを18分に再構成する作業。年明けの1月29
日、NHK総合テレビの「ゆうどきネットワーク」という番組で放送の予定です。
(こちらは放送日変更の可能性大です。)



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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■Shall We Sing? ―自作制作過程を語る−
┃ ┃■東谷 麗奈
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●制作への強い思いさえあれば、やり遂げられる

自作のドキュメンタリー『Shall We Sing?』が、全米での放映に続いて、来る今月
26日に日本での放映を迎えることになった。私は、これまで自作について進んで語
ったことはないのだが、それには訳がある。その制作過程は、試行錯誤続きで自分
の未熟さを暴露するようなものだからだ。しかし、自主制作のドキュメンタリーの
可能性を探る上でも、私の悪戦苦闘の体験を語ってもいいのではないか思い始めた
ので、この機会に書いてみようと思う。

『Shall We Sing?』は、ニューヨークにある日本人ビジネスマンを中心とする男声
合唱団の、一年の活動を追ったものだ。制作を開始したのは、2002年秋で、その頃、
私はマンハッタンのフィルムセンターで働きつつ、プロダクション会社でもインタ
ーンをしていた。カメラの使い方を覚えたばかりの見習いで、プロの仕事にはとて
も使ってもらえるような身分ではなかった。とにかく何かを撮りたい一心だった時
に、出会ったのが男声合唱団だった。

合唱団のメンバーは約50名、年齢は18歳から70歳までとかなり幅広い。ニューヨー
ク在住の日本人ビジネスマンと一口に言っても、日本企業から派遣された駐在サラ
リーマンもいれば、アメリカで働く永住者、学生など状況は様々だ。アメリカのメ
ディアで描かれるアジア人のビジネスマンたちは、勤勉だが無表情だったり、おも
しろみのない冷淡な人間だったり、あるいはお辞儀ばかりして茶化されたりと、な
かなかポジティブに描かれることがない。彼らの率直な姿、表情を伝えることがで
きたらいいと思ったのが、この作品を作ろうと思った理由だった。

とはいえ、どうプロジェクトを始めたらいいのかもよく分からないまま、とりあえ
ず指揮者から撮影許可をもらうと、毎週一回の練習にカメラを持って通いはじめた。
見知らぬ人たちにカメラを向けることから始まって、被写体であるメンバーとの関
係を築くこと、何を撮って撮らないかの判断など、全てが挑戦だった。バッテリー
やテープの予備がなくて泣かされることもあったし、的確な露出、音声録音、フ
レーミングなど失敗しては仕事の合間に、フリーランスのカメラマンやプロデュー
サーたちにアドバイスをもらった。

そんなことを繰り返しながらも、撮影過程が楽しかったのは、合唱団のメンバーた
ちが誰一人として拒否することなく、カメラを受け入れてくれたからだ。会社の上
下関係や取引関係から離れて気兼ねなく触れ合う彼らの中にいると、私もなかなか
プロとして仕事につけない憂鬱から解放される気分がした。そして、撮影を進める
うち、海外で暮らす日本人サラリーマンたちにとって、合唱団が特別の意味を持つ
場所であることも見えてきた。年齢も職種も環境も異なるメンバーたちに共通して
いること、それは母国日本への郷愁の思いだ。彼らが歌う日本の童謡で何度もほろ
りとさせられた。そして、大の大人たちが、指揮者に怒られながら一生懸命に練習
し、笑ったりお互い喧嘩したりしながら絆を深めていく姿は、日本のおじさんたち
もなかなかいいじゃないかという何か希望のようなものすら私に与えてくれた。

しかし、そうして一年半をかけた撮影が終わってからが、本当の苦闘の始まりだっ
た。まず、200時間のテープに向き合わなければならない。もちろんアシスタント
がいるわけではないので、自分で全テープを見直して内容を書き取っていく。同時
にこれだけの編集を自分一人でするのはとても無理だと判断し、アメリカ人の友人
に手伝ってもらうことにした。ただし、彼に十分な支払いができないので、できる
だけのことは自分でする。彼がアヴィッドで整理してくれると、全体が見えてきて、
おおよその構成を描くことができた。しかし、どうやって物語を語るかという段階
になったとき、日本語が理解できない友人はとてもこれ以上の編集をすることがで
きなくなってしまった。収入が見込めるかも分からない自主制作作品に協力してく
れる日本人編集者など知らない。いたとしても、とても雇うことなどできない。つ
いに行き詰まってしまった。

そうこうしているうちに仕事がフルタイムになり、時間に余裕がどんどんなくなっ
てきた。焦り始めたとき、たまたま、ニューヨークに来たばかりの映像制作者と知
り合うことができた。溝口尚美さんは、日本で15年近くテレビ番組やビデオ制作の
経験を持つ人で、私が相談するとほとんどボランティアのような形で編集を引き受
けてくれた。彼女からは、本当にたくさんのことを教わった。誰がキャラクターと
しておもしろいか、おもしろい出来事があってもそれを映像として語るだけの素材
が撮れているか、詳細にも目を配っているか。構成を頭に描かないまま撮影してい
たボロが次々と出てくる。回しているだけで物語が撮れていないのだ。不安定なカ
メラワークなど技術的なことは多少どうにかなるにしても、撮るべきものが撮られ
ていないと作品の内容も限られてくる。

撮影に入る前の企画段階で十分に構成を練ることの大切さや、長期に渡る撮影こそ、
編集を同時進行で始めることの大切さを身にしみて感じる。ようやく、数ヶ月後に
約70分の作品として仮完成にこぎつけることができた。早速、合唱団のメンバーた
ちに報告試写を行い評判はよかったが、実際に映画祭に応募を始めると半年経って
も全く出品に到らない。自信をなくすばかりだったが、落ち込んでばかりもいられ
ないと、再度編集室に戻り、思い切って40分近くまでカットすることにした。そう
して再度応募を始めると、見事に映画祭から正式出品や受賞の知らせが入るように
なったのだ。特に、東京ビデオ・フェスティバルでの入賞は、アメリカから一作品
のみ選ばれたこともあり、大きな励みになった。

ところで、アメリカでは、テレビ局が自主制作のドキュメンタリーの一般公募を行
っており、企画段階、制作段階、編集段階、配給段階など、あらゆる制作過程で応
募することが可能だ。しかし、自主制作といってもレベルがたいへん高いので、経
験の浅い私の作品が拾われる確率などないに等しい。それでもだめもとでと応募し
た全米公共放送PBS局から、興味があるが一時間枠で放送可能か、再編集をして送
ってくれと連絡があった。またもや、編集室に戻り、尚美さんと編集し直す。二人
ともフルタイムの仕事の合間なので、平日の空いた夜か週末の作業が続き、既に早
朝帰宅を何度繰り返したか分からなかったが、このチャンスを逃してなるものかと
何度も練り直しての作業になった。

そうしてPBSからゴーサインが出て大喜びしたのも束の間、今度は企画段階で十分
な準備をしてこなかったことを大後悔することになった。まず、合唱団が歌う音楽
の著作権を全てクリアしなければいけない。被写体が合唱団で終始歌っているのだ
から、後で効果として音楽を加えた訳ではない。制作者のコントロールできない範
疇だと思うのだが、そうは解釈されないらしい。練習中のドレミファで歌っている
ものまで、全部調べ上げなければならない。ロケーション撮影も、許可が出ていな
いとだめだ。例えば、ヤンキースタジアムで合唱団が歌った1分もない映像も、ス
タジアム側に許可をとっていなければならない。驚いたことに、これについては自
分が撮影した映像に対して、全米野球協会に使用料を払う羽目になる。担当者は親
切だったが最後まで納得がいかなかった。

また、自分の日中の仕事の給料から都度賄っていた制作費がついに圧迫され始めた。
放映にかかる保険加入は義務だが、これだけで日本円にして40万円近くする。手伝
ってくれた友人たちとの契約書、合唱団のメンバーからの許可書、作品の著作権の
登録などなど、とても私の知識だけでは対処しきれない。弁護士を頼みたかったが、
一時間で4万円近くも請求されてはとても賄えない。やっと低収入のアーティスト
たちを支援する弁護士協会から、無料でカウンセリングしてくれるサービスに受け
入れてもらうことができ、アドバイスをもらいながら、書類をそろえていった。

また、本来は制作を始める前に設立すべきだったプロダクション会社も立ち上げた。
ニューヨーク州への登録や会計処理なども、会計士を雇うことなどできないので、
自分で調べてやっていくしかない。撮影や編集は、たいへんでも過程を楽しむこと
ができたが、こうしたプロデューサーの役割を一人でこなしていくのは正直かなり
疲労困憊した。

同時に細かい放送基準に見合うように、色や音を調整していく作業、公共放送なの
で聴覚障害者にも分かるように字幕を出す選択ができる機能を加えるなどには、時
間も費用も随分かかることになった。また、PBS局は、全米約200の地方局からなっ
ているので、それぞれの番組編成担当に宣伝しなければならない。宣伝リールの
DVD、プレスリリース、プレスキットなどを準備し200カ所に発送して、それぞれフ
ォローアップの連絡をする。同時に、PBSの公式ウェブサイトに掲載するテキスト
や写真も準備する。そうして、やっと2007年の年末に迎えた放映は、応援してくれ
た友人たちと一緒に祝い、何よりもうれしいものとなった。

その後一年経ち、今回ついに日本でも放映されることになった。何も知らず、よく
考えもせず、突っ走って始めたこのプロジェクトが、ようやく一応の終わりを迎え
ることを思うと感慨深い。随分無謀なことをしたなと思うが、しかしその後に起る
ことを知っていれば、逆に怖じ気づいて何もできなかったのではないかと思う。現
在、私は幸い職場でもプロデューサー兼ディレクターとして映像制作に関わり、様
々な人と仕事をしながら知識とネットワークを広げることができている。今の知識
があれば、6年かかった道のりも半分の時間でできたと思う。しかし、プロジェク
トを始めた頃の、自分の制作への熱い思いと行動力を羨ましく思うことがある。ど
の作品作りも、万事順調ということはおそらくないだろう。しかし、経験も知識も
資金もなくても、制作への強い思いさえあれば、やり遂げ観客に届けることはでき
るのだと思う。ここまでこれたのは、もちろん私だけの頑張りではなく、合唱団の
メンバーの皆さん、そして編集の尚美さんを始め友人や同僚、多くの支えてくれた
方々のお陰だ。この場を借りて、深くお礼を言いたい。 関西圏のみだが、関西テ
レビ8チャンネル、12月26日深夜2時40分(27日早朝)から65分枠で放送される。ぶ
きっちょで荒削りだが、情熱だけは誇れるこの作品、是非見て欲しい。


■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
現在、ニューヨークのメディアセンターDCTVで、プロデューサーとしてビデオ制作
に携わる。初監督の長編ドキュメンタリー 「Shall We Sing?」は、東京ビデオ・
フェスティバルで優秀作品賞とピープル賞を受賞、またカナダのモントリオール芸
術映画祭などにも出品され、コネチカット映画祭でも観客賞を受賞した。ニュー
ヨーク大学大学院映画学研究科修士卒。
公式ウェブサイト: http://www.un-nun.org 



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┃03┃□映画時評
┃ ┃■第9回東京フィルメックス雑感 【ドキュメンタリー篇】
┃ ┃―『サバイバル・ソング』『バシールとワルツを』『私は見たい』について
┃ ┃■萩野 亮
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第9回東京フィルメックスが盛況のうちに閉幕した。ジャ・ジャンクーの二本の長
編(『東』、『無用』)が上映された昨年に比べ、今年はコンペティション、招待
作品ともにドキュメンタリーが少ないように感じられたが、それでもコンペでの最
優秀作品と審査員賞作品が、ともにドキュメンタリーに分類されうる『バシールと
ワルツを』(アリ・フォルマン/08年/レバノン)と『サバイバル・ソング』
(ユー・グァンイー/08年/中国)だったことは印象に深い。この二作品のほか、
ドラマとドキュメンタリーを並行的に描いた『完美生活』(エミリー・タン/中国
/08年)や、セミ・ドキュメンタリーともいえるレバノン映画『私は見たい』(ジ
ョアナ・ハジトゥーマ&カリル・ジョレイジュ/08年)など、劇映画のなかにドキ
ュメンタリーを導入する手法も散見された。これらの作品から浮かび上がってくる
のは、まずもって現代映画におけるドキュメンタリー的手法の多様化といえる事態
である。とりわけ最優秀作品賞受賞作の『バシールとワルツを』は、全編をアニメ
で展開する「アニメーション・ドキュメンタリー」とも呼ぶべきまったく新しい領
域を拓いている。今回はこのような現在の動向に着眼しつつ、上記の作品のうちの
三つについて考えてみたい。

●『サバイバル・ソング』

わたしが今回もっとも期待を寄せた作品は、ユー・グァンイー監督の最新作『サバ
イバル・ソング』だった。昨年第8回のフィルメックスに出品され、今秋の「中国
インディペンデント映画祭」でも上映された前作『最後の木こりたち』(07年/中
国)については本誌109号の小欄でもすでに述べたが、このフィルムのとりわけ馬
への透徹した視線と「運搬」という主題のみごとな展開に舌を巻いていたからだ。
『サバイバル・ソング』が撮影対象とするのは、前作のように集団としての「木こ
りたち」と馬との関係性ではなく、李小子という、どこかいたいけなひとりのいわ
ば奇人物である。彼がかつて仕えていた韓(ハン)という猟師のもとに出戻ってく
るところから映画は始まる。女とヤギを連れて猟師のもとを逃げた科を当然責めら
れた李小子は、自分の右頬を何度も平手で打ちすえる。この奇矯な行為からも伝え
られるように、李小子という人物には、どうしても憎めないイノセントな魅力がた
しかに備わっている。それはどこか動物的ともいえる彼のふるまいのためかもしれ
ない(猟師の妻のトイレを覗くシーンはとりわけ可笑しい)。実際、主人を失った
犬と李小子とを交代でつなぐ終盤のモンタージュが示しているように、キャメラは
彼をあたかも動物のようにまなざしている。
このキャメラと李小子との距離は、とりわけ彼の生命そのもののような「歌」をめ
ぐって、微妙にしかし劇的に変化してゆく。はじめ李小子の歌う姿は、彼が水を汲
みにゆく背中越しにしか描かれず、部屋で夜毎に炸裂する歌の数々はカーテンに隠
れた影としてしか描写されない。あくまで彼の歌に正面から接近することは憚られ
ており、その慎みが独特の距離となって画面に表れている。撮影者が直接話を聞く
場面もほぼなく、暗闇のなかで好物についての話をあいまいに交わすだけだ。これ
に対して、猟師が密漁による逮捕を恐れて逃亡し、李小子ひとりが再び帰ってくる
後半では、主人のいなくなったがらんとした空間で、キャメラは残された彼に正面
からキャメラを向ける(ただ、ひとりになった彼に「さみしい?」と訊くのはどう
かと思った)。二度「帰ってきた男」として画面に現れる李小子は、キャメラに対
してはじめて正面から歌ってみせる。彼のサバイバル・ソングは、ここではじめて
他者に開かれるわけだ。立ち退き要請も相俟ってさみしい農村を出払い、そして道
路工事業に転職した彼は、大勢の仲間たちと寝食をともにし始める。彼らに囲まれ
て、狂ったように歌と踊りを炸裂させるラスト・シーンは、彼の歌=生がいまや他
者とともに充実してあることを示しており、感動的というほかない。ところどころ
に挿入される雪山の点景もまた、前作から継承された作家の透徹した世界観を端的
に告げている。

●『バシールとワルツを』

最優秀作品賞を受賞したアリ・フォルマン監督の『バシールとワルツを』は、すで
に述べたようにラストを除く全編をアニメーションで構成している。レバノンにお
けるパレスチナ人虐殺の事実とその記憶をめぐる切れ切れの想念とが、簡潔な線と
色において紡がれてゆく。このフィルムが画期的であるとすれば、「歴史的事実」
と「個人的記憶」というあくまで異質のイメージが、アニメーションという虚構の
平面にすべて等価に投げ出されている点にあるといえる。事実主義を排除し、また
作家の主観にすべてを回収するわけでもない。パレスチナ難民が虐殺された「サブ
ラ・シャティーラ事件」と、その事件を忘却しつつある作家自身の現在とを等価な
「映画的現実」として画面に認めることこそ、『バシールとワルツを』が目指した
映像表現の地平であるだろう。
監督は自らの意図について、次のように語っている。「もし実写だったらどんな作
品になっていただろう? 中年男が暗い経歴についてインタビューされ、25年前の
出来事について、何の記録映像もなしに語るとしたら。死ぬほど退屈なものになり
かねない!」(公式パンフレットより)。つまりこのフィルムにとってアニメーシ
ョンという手法は、「死ぬほど」の「退屈」を回避する手段としてその訴求力が期
待されているわけだ。
けれどもわたしは、このフィルムが特にインタビューの場面をもアニメ化して描い
ている点に疑問を感じないわけではない。ドキュメンタリー映画が手法化したイン
タビューとは、話し手が話す「内容」を記録することもさることながら、話し手が
話すその表情や身ぶり、また言いよどみや沈黙をキャメラによって記録する営為で
もあるに違いない。単純化された線と色には絶対的に交換不可能なものが、語り手
の表情や身ぶり手ぶりには存在するはずだ。
嗚咽をあげる難民をとらえた最後のシーンは実写でとらえられており、これについ
てヨニ・グッドマン氏(アニメーション監督)は、「これが現実に起きたことであ
ることを強調しておく必要があった」と述べている(上映後のQ&Aより)。わたし
としては、やはりこのショットこそがいちばん強烈だったし、このような述懐は
「アニメーション・ドキュメンタリー」の限界を自ずから示しているようにも思わ
れた。今後この新しい映像領域がどのように発展していくかはわからないが、その
試みは「ドキュメンタリーとは何か」という問いを必ず携えることになるに違いな
い。

●『私は見たい』

いまひとつここに記しておきたいと思ったのは、ベイルートから届いたもうひとつ
の作品、『わたしは見たい』についてだ。このフィルムのもっとも大きな特徴は、
フランスの大女優であるカトリーヌ・ドヌーブが出演しているという事実である。
ブニュエルとカリエールの映画でもなく、フランソワ・オゾンの映画でもなく、気
鋭の若いふたりの作家によるレバノン映画にドヌーブが出演しているということ。
しかもドヌーブはだれを演じるでもなく、まさに「カトリーヌ・ドヌーブ」として
画面にさらされている。つまり彼女は、何も演じてはいない彼女自身を演じている
ことになるわけだ。このささやかな仕掛けこそがこのフィルムの用意するただひと
つのものであり、ふたりの作家は、このメビウスの帯状の地点から映画を立ち上げ
ようとしている。
レバノンの現実を「見たい」とつぶやくドヌーブは、ベイルートの演劇人ラビア・
ムルエと車で小さな旅に出る。荒々しいズームによっていわゆる「ドキュメンタ
リー・タッチ」が強調された映像において、けれども彼女は外的な刺激に対して鈍
重でさえある。戦争によって無残にも破壊された街を「見て」も、彼女は表情ひと
つ変えずにそれを眺めやるだけだ。ベイルート南部にあったというムルエの叔母の
家が見つからず焦る彼に対しても、ドヌーブは一貫して不感症めいた重さで画面に
さらされている。このドヌーブの無防備さに対して、ドキュメンタリーを偽装した
キャメラは、それを暴き立てる装置のように対置されている。このキャメラと人物
との批評的(危機的)な距離にこそ、『私は見たい』がいわゆる劇映画とは一線を
画す地平があるといえる。
終盤の走行場面に「けれども君は、ここへ戻ってくるだろうか」というムルエのモ
ノローグが重ねられることからもわかるように、『私は見たい』は権力の浅はかな
視線に異を唱えている。視線の欲望による不毛な風景の収奪が、車でのゆったりし
た移動撮影の連続において垣間見られている。その不毛さが先鋭的に表現されてい
るのは、車中で『昼顔』についてふたりが話しながら、道を違えて地雷地帯に踏み
入れたのを近くの住民があわてて止めに入るシーンだ。音声のみでふたりの会話を
描きながら、住民が大声で止めに入る姿を重ねて描写したこのシーンは、音声と映
像との乖離をみごとに活用した演出が際立っている。
そしてもっとも劇映画的に演出された最終場面では、社交場で着飾ったドヌーブが
ムルエと再会し、切り返しによってふたりの悦ばしい視線の交換が為される。この
結末からもわかるように、このフィルムは単に一方向的な視線を糾弾するのみでは
なく、むしろその非対称な現実において視線が結ばれあう瞬間こそを祝福しようと
している。ドヌーブの身体とその視線を記録と虚構の結び目として、映画はひとつ
の出会いの地平を写しとる。それまで用いられなかった「切り返し」というきわめ
て映画的な修辞においてフィルムが閉じられることは、何を意味しているだろうか。
あるいは「映画」によって世界を救済しようという、ふたりの作家のメッセージで
はなかったか。

          *****          

ドキュメンタリーの手法は多様化するが、そこに撮るものと撮られるものが存在す
ることに変わりはない。問題となるのは、この両者の距離をどのような批評的営為、
また詩学として跡づけるかであるだろう。アニメーションを駆使することや劇映画
的な装置を用いることで「ドキュメンタリー」と呼ばれる映画行為そのものを問い
ながら、新しい映画がひとつ、またひとつと生まれてゆく。「ドキュメンタリー」
とは、そのような批評的態度そのものであるかもしれないことを、この三本は告げ
ている。


■萩野 亮(はぎの・りょう)
和光大学表現学部卒。映画論。連日通った今年のフィルメックスですが、劇映画で
は『PASSION』(濱口竜介監督)が面白かった。キスという接触運動の形態論を、
フレーミングと台詞の応酬によって展開した驚くべき作品。先ごろ公開された『岡
山の娘』(福間健二監督)など、映画と言葉の関係について再考をせまる日本映画
が現れており、興味深く感じています。



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┃04┃□neoneo坐 1月前半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
  http://www.neoneoza.com/

■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会 「短篇調査団」

毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)

新春書き初め4本立(計103分)
(81) 書の巻...2009年1月14日(水)20:00〜
『日本の書』
1972年/20分/カラー、制作:日映科学映画製作所/企画:東京国立博物館
プロデューサー:片田計一/監督:中村麟子/脚本:藤原智子/撮影:高山富雄
■白い紙に一瞬一瞬黒い墨の粧をのこしていく修正不可能の行為。自己を表現して
いくことのきびしさ、そこから「書は心」と云われる。「日本の書」の歴史をふり
かえり、日本人がつくりあげた「書の美しさと心」を今日の中によみがえらせる。

『正しく 速く 美しく―楷書から行書へ―』
1979年/20分/カラー、制作:毎日映画社/企画:文部省
プロデューサー:岸野恵昭/脚本・監督:佐久間のぶ/撮影:和田景彬
■小学校から楷書を学んできた子供たちは、中学校で初めて行書という新しい書体
を知ることになる。そこで、行書の特徴とは何かを具体的に解説する。また、実際
の運筆指導を通じて書き方の基本も学び取ることができる。

『篆刻・刻字―生活書の学習のために―』
1976年/22分/カラー、制作:岩波映画製作所/プロデューサー:田村勝志
脚本・監督:羽田澄子/撮影:西尾清/音楽:三木稔
■篆刻・刻字の技法と製作過程をとらえながら、これらは彫りによる美しさを加え
た書であることを描くとともに、生活の中にはいろいろな方法で表現された書があ
ることを説明していく。

『書』
1974年/41分/カラー、制作:戸田プロダクション/製作・脚本・監督:戸田金作
/撮影:安本淳
■書とは何か。書と用具(筆・墨・硯・紙)との関わり方、書が表装されて鑑賞に
供せられるまでなど、書のすべてをわかりやすく解説する。

【料金】会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)
【お問合せ】清水 E-mail:shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp



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┃05┃□広場
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■新刊紹介:「プガジャ」の時代(大阪府立文化情報センター 編)

若者たちは親しみを込めて「プガジャ」と呼び、それを持って街に出た。
今や伝説になった「プガジャ」をつくった人々の、情熱と涙の人間ドラマ!

かって大阪にプガジャという雑誌があった。
日本で最初の情報誌と呼ばれ、風評なので真偽のほどは定かでないが、
七〇年代には朝日ジャーナル、スイングジャーナルと並んで、
三大ジャーナルともいわれていたという。七一年に創刊され、八七年に僕らが
つくっていた「プガジャ」は終わった。
七〇年代のサブカルチャーをリードした雑誌であり、
そこには大阪がいちばんおもしろかった時代の息吹が確かにあった。
(…「はじめに」より)

発行:ブレーンセンター  http://www.bcbook.com/ 
定価:本体1200円+税


■「わが一押しのドキュメンタリー映画2008」アンケート大募集!
 恒例の「わが一押しのドキュメンタリー映画2008」アンケートを募集致します。
皆さん、奮ってご応募ください。下記2問のうち1問でも構いません。
締め切りは2009年1月10日です。1月15日号に新年特集として発表します。
(伏屋博雄、本誌編集長)

(1)「わが一押しのドキュメンタリー映画2008」
2008年にご覧になった作品のうち、これこそ一押しのドキュメンタリー!と思う作
品とその理由。旧作でも構いません。(200字以内)

(2)「私のゆく年くる年」
印象に残った出来事、これからの抱負など、映画に限らず思うことは?(200字以
内)

氏名とお仕事を明記のうえ、2009年1月10日までに送信ください。
送信先: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで。


    ◇────────────────────────◆◇◆    


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。

(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。

(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



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┃06┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●先日、川村雄次さんと一献を傾けたときのこと。東京への転勤を機にご自宅は、
土本さんの住む私鉄沿線の近所を選択されたことを知った。「できるだけ土本さん
の近くに住みたくて…」と聞き、川村さんの土本監督に対する私淑のほどを知った。
今号で、土本さんが水俣映画第一作に使用しているナレーションは川村さんの仕事
(認知症の番組づくり)を貫くバックボーンになっているのだ。それは、(社会に
有用する)「道具としてのドキュメンタリー」という考え方でもある。原稿は、私
たちの認知症についての無知と無配慮、偏見を問うている。

●本誌の常連執筆者である東谷麗奈さんの『Shall We Sing? 』は、ニューヨーク
在住の日本人ビジネスマンを中心とする男声合唱団の活動を追ったドキュメンタ
リーだ。わたしはDVDで拝見したが、とかく外国ではステレオタイプに語られがち
の日本人のイメージを覆す作品だ。すでに全米で放送され、今度は日本のテレビ局
(関西圏)でも放送されることに決定した。機会があれば、ぜひご覧になっていた
だきたい。この朗報は、とかく閉塞感が蔓延する昨今、一陣のさわやかな風だ。
今回の原稿は、『Shall We Sing? 』の企画から完成に至るまでの過程が一喜一憂、
詳細に綴られている。自主制作に投じている方、映画を思案している者にとっては、
身に沁む文章だ。

●今年も「わが一押しのドキュメンタリー映画2008」アンケートを募集する季節と
なりました。詳細は「広場」欄の応募要項をご覧のうえ、奮ってご応募くださいま
すよう、お願いします。

なおneoneoは正月は休刊し、1月15日号からお目にかけます。今年もご愛読、あり
がとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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