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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 55号 2006.4.1

2006/04/01

 
 
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      パルチザン土本典昭前史(3)――山村工作隊と牢獄
        聞き手・構成:石坂健治
 †02 ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
      パリでも人気があった若松孝二特集―サン・ドニ映画祭 高橋 晶子
 †03 neoneo坐 4月前半の上映プログラム
 †04 広場
    新・クチコミ200字評!(29)
     『Don`t Look Back ドント・ルック・バック』
     『国鉄 21世紀をめざして』『森達也のドキュメンタリーは嘘をつく』
     『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』
        (以上の映評)清水 浩之
    上映:●優れたドキュメンタリー映画を観る会 VOL.16
    「山形・TOKYO・サンパウロ」
      4月21日(前夜祭)前夜祭:『老いた猫のお引越し』『静かな空間』
      4月22日〜29日:『郷愁は夢のなかで』『朋あり。太鼓奏者 林英哲』
      『ぼくらの学校なくなるの?』『もっこす元気な愛』
      『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』
      『空とコムローイ Part2』『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』
      『心の杖として鏡として』『イラク―ヤシの影で』
      『ナミイと唄えば』
    告知:上映の告知の有料化とカンパのお願い  伏屋 博雄
 †05 編集後記  伏屋 博雄


    ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/


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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■パルチザン土本典昭前史(3)――山村工作隊と牢獄
┃ ┃■聞き手・構成:石坂健治
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●身近に見た東宝争議

――土本さんは1946〜50年(昭和21〜25年)の東宝争議(注1)を間近で体験して
おられますか?

土本:東宝の砧撮影所の近くに住んでいたので、様々な局面を目撃しました。昭和
   23年の第3次東宝争議のそれこそ「来なかったのは軍艦だけ」っていう時は
   さすがに殺気立ちましたけど、そこに至るまでは結構芝居がかっている感じ
   もありました。人気スターたちは大河内傳次郎と一緒に東宝をすでに離れて
   いましたが、若い役者たちと、現場のキャメラマン、照明、美術、それから
   もちろん監督、こういった人々が中心になっていました。この「芸術家グ
   ループ」の団結が強かったですね。
   撮影所なんて滅多に入れない所でしょ。だから、「近所だから来い」なんて
   言われればホイホイ行くわけ。そうすると、さすがに皆さん役者でね。照明
   さんが広場にスポットライトを当てて、肌も露わな日劇ダンシングチームが
   踊ったり歌ったりね。それから、何よりも岸旗江とか久我美子とか、当時の
   人気女優が全く平然と僕ら一般人と肩を組むわけ。だから毎日なんか盛り上
   がって楽しくてね(笑)。そういう演出が上手かったですね。古き良き東宝
   の名残がありながら闘争をしているという時期は、妙な開放感がありました。

――近所には多くの映画関係者が住んでいたのですか?

土本:うちの隣が、あとで話すけど因縁浅からぬ岩波映画の吉野馨治さん(プロ
   デューサー・監督1906〜72/『雪の結晶』など)。垣根の向こうは女優さん、
   向かいは美術さん、裏に山田典吾(監督1916〜98/『はだしのゲン』など)、
   突き当たりが横山運平(俳優)。で、ちょっと行くと藤田進(俳優)、山形
   雄策(脚本家)、信欣三(俳優)と赤木蘭子(俳優)。それから「寅さん」
   の“おいちゃん”役の下條正巳(俳優)。だから、いま役者になってる息子
   (下條アトム)は赤ん坊のころ知ってますよ。
   そういう映画・演劇人が地域にたくさんいてね、こっちが「演劇とはどうい
   うものですか?」なんて聞くと、少しも嫌な顔をせずに受け入れてくれたっ
   ていう時代が、戦後のある時期は確実にありましたね。


●岩場で寝起きして、トカゲやヘビを食ったー山村工作隊の頃

――さて、1952年(昭和27年)に早大を除籍になった直後、日本共産党の小河内山
村工作隊に加わった経緯を教えてください。

土本:僕は日本共産党の非主流派、分派である「国際派」に属していました(前号
   参照)。1951年(昭和26年)以降に主流派(所感派)が実権を握り、同年10
   月の「五全協」(注2)で武力闘争路線が採択された。僕は翌年早大を除籍
   になり(前号参照)、主流派の方に戻りかかる過程で、国際派であったこと
   を自己批判したけれど、「自己批判の仕方が非常に浅い。山村工作隊で鍛え
   て来い」と言われて、昭和27年6月末に東京の果ての小河内村の根拠地に入
   りました。
   「当時小河内では、三多摩の軍事基地へ水と電力を補給する多目的ダムの建
   設がおこなわれており、“村長木村源兵衛は、都下屈指の山村地主、製材業
   者で、安井都政への資金提供者として、村を支配している。この根を断ち切
   ること、彼を打倒すること、山村を解放し、ダム建設を阻止することこそ、
   自民党売国内閣を打倒し、アメリカ帝国主義の占領に反対することだ”とい
   う論理が語られていた。
   ダム建設の請負い西松組には、すでに同志が潜入しており、内部から破壊工
   作をする、「軍事」は別に山に入りこみ、拠点設定をしている、と教えられ
   た。」(土本典昭「「小河内山村工作隊」の記」、『映画は生きものの仕事
   である』、未来社、1974年、100‐101頁)

土本:今ではダムの下に沈んでしまいましたが、八畳岩という大きな岩があって、
   その下が八畳あるという岩場に藁を持ってきて、15人で雑魚寝しました。せ
   せらぎにしゃがんでウンコして、同じ流れの水で飯を炊いて(笑)。飯とい
   っても麦8:米2の薄ーいお粥。
   その時の仲間に面白い人たちがいました。勅使河原宏(映画監督・華道家
   1927〜2001/『砂の女』など)と山下菊二(画家1919〜86)です。彼らの役
   割は、日刊のガリ版新聞「小河内」に版画を刷り入れることでした。彼らも
   「芸術家になるためには山村工作隊を経験すべきだ」という一種野蛮な教育
   主義のもとで派遣されてきたのですが、それを身に引き受けてましたから、
   お互いに愚痴を言ったことはなかったですね。あっという間に捕まっちゃっ
   たから、時間もなかったんですけど。
   その後、勅使河原の僕に対する友情は厚かったですよ。ホントに困っていた
   時に助けてくれたしね…。後年、アメリカ人の女性の物書きが勅使河原につ
   いての本を書くんで、取材すべき人を教えてくれと勅使河原に訊いたら、
   「まず土本に僕のことを聞いてごらん」と言って笑っていたそうです。で、
   その人が「勅使河原さんとはどういうご関係ですか?」っていうから、「一
   緒に共産党の山村工作隊をやりました」って言ったら、びっくりして帰って
   いったけど、勅使河原としては、そういうことを話してくれる僕の態度が嬉
   しいんだろうね。原点としての山村工作隊。国際的な監督になり、草月流の
   家元を継いだ彼と僕は、他に何の接点もない。お花も映画も。あるのは山村
   工作隊だけ(笑)。
   彼と付き合ってると、僕なんか面喰らってばかりでしたよ。例えば盛大なレ
   セプションとかやるでしょ。ああなると、まったくの別世界。ずーっと別世
   界(笑)。だけど、工作隊の青春をおくったことをないがしろにしてない感
   じがして、とても尊敬していました。


――山下菊二画伯の方は、後に野田真吉(映画監督1916〜93/『忘れられた土地』
など)のドキュメンタリー映画『くずれる沼 画家・山下菊二』(77)に登場して
いますね。

土本:ええ。山下さんは不思議な人でね。PR映画の世界で美術を担当して、セット
   があれば背景を描いていた人です。だから、ときどき映画の現場で遇いまし
   た。羽仁進監督の『彼女と彼』(63)に編集で加わったとき、羽仁さんと清
   水邦夫さん(演出家・劇作家1936〜/『ぼくらが非情の大河をわたる時』な
   ど)のシナリオに、突拍子もない脇役の人物が書き込まれてあったわけ。犬
   を連れてバタ屋をやってる、楽天的で不思議な男なんだけど、俳優ではぴっ
   たりの人が見つからなくて、それで僕は「彼しかいない」と思って山下さん
   の所へ行って、「3ヵ月で30万円ギャラ払うから、出てくれ」って口説いた
   ら、喜んで出てくれました。
   野田さんは野田さんで付き合いがあったから、映画をお撮りになったんでし
   ょうけど、僕は彼を撮ることはなかったですね。

――小河内の農民にはじきとばされたと書いておられましたね。
「小河内村民は、半年以上の工作にもかかわらず、胸を開こうとはしなかった。闘
争は自慰的に空転していた。」
「私はどこにいっても、農民からはじきとばされた。はじけさせたのはおたがいの
皮膚感覚であった。それでも村民向けのガリを切り、版画グループが中国ふうの版
画をそれに刷り入れ、配布する。それを日課として10日近くたった。」
(前掲書、101頁)

土本:全く相手にされないですよ(笑)。岩場で寝起きして、トカゲやヘビを血眼
   で追いかけて焼いて食ってるような連中が、農民をオルグしに行くわけだか
   ら、これは相手にされないよね。逆に僕らの食いものがひどいってことを農
   民は知っていますから、時にはうどんをご馳走になりました。
   八王子警察に捕まって、漬け物と魚のはらわたの煮物が入った弁当を食えた
   ときは正直、嬉しかったですよ(笑)。そんなもの、ひと月かふた月、口に
   してないんだから、旨くってねぇ。

――翌7月に小河内事件に連座して逮捕されたのですか?

土本:僕としては山村工作隊の方針には徹頭徹尾反対だったんです。小河内ダム建
   設の飯場を襲撃して火を放つという方針でね。僕は「火を放つというけど、
   どうやって放つんだ」と言ったら、パイプ印のマッチ箱を一人一箱ずつ渡さ
   れて、「これでやれ」って。「火は点くかもしれないが、こんな闘争にどう
   して小河内村民や飯場の労働者がわれわれに対して支援するんだ。支援する
   はずがないだろう!」と反論すると、「しかし京浜労働者三千がすでに多摩
   川を渡った」って言うんです。「軍事専門の部隊はすでに崖の上で待機して
   いて、警官隊が立川・八王子方面から来たら、岩を落として彼らの前進を止
   める。そしていよいよ放火でダム建設が阻止される」って。みんな僕らの決
   起を助けるように動いているって。そんなの全部嘘!全部嘘なんだけど、そ
   ういう説明をするわけです。結局、反対意見のまま闘争に参加し、おまわり
   を殴って逮捕第1号となりました。

――獄中ではどのような生活だったのですか?

土本:5ヵ月間、八王子刑務所に入ったんです。その時にやっと毛沢東、レーニン、
   それからトルストイとかドストエフスキーを乱読する機会がありました。裁
   判自体は妙な裁判で、山村工作隊で僕は微罪なんです。おまわりを殴っただ
   けの公務執行妨害だからね。そんなもの名前さえ明かせばすぐ出られるんで
   すけど、完全黙秘で住所も名前も一言も言わないことがまだ通った時代なん
   です。最近の刑事訴訟法ではダメですけど。だから、それがまかり通ってい
   たために当局も僕を出したくても出せないんです。
   お袋が学友と一緒に面会に来るでしょ。ところが「息子」と呼べないんです。
   息子って言えば、お袋さん経由で僕の正体が分かっちゃうでしょ。だから部
   屋の番号で「10番さん」ってお袋は僕のことを呼ぶ。僕もお袋とは呼べない。
   だから刑務所も検察庁も呆れ返っていたね。
   牢屋に入りながら、どう考えてみても、自分の工作隊に対する疑問は正しか
   ったし、党の方針は明らかに間違っていると確信したので、獄中では悶々と
   悩む実に惨憺たる生活だったわけです。それでも完全黙秘みたいなことは当
   然すべきだと思っていたから、下手すりゃいつ世の中に出られるのか分から
   ない、自分の一生はどうなるのか、そんなことばかり考えましたね。当時は
   たいへんな就職難で、大学を出てもろくすっぽ仕事がないときに、僕は札つ
   きの共産党員で、全学連の副委員長。党員でありながらそれを隠す人もいた
   のですが、どうしても名前を出さなければならない表舞台の人間は、了承の
   上で名前を出すという党の方針があり、僕は全部表舞台に名前を出して活動
   した人間なんです。そうすると、それは公安や占領軍にとっては徹底的に叩
   いていい対象であることを意味します。だから就職口なんてありっこない。
   だからといって小説家になる才能はないし、何の芸もないから、ただひたす
   ら職業革命家になるための修行みたいなものを獄中でしました。毛沢東の
   『矛盾論』はもう全編からだに浸透したけど、マルクスは『共産党宣言』を
   読んだくらいです。『資本論』は経済学の数式が出てくるともうダメでした。
   (びっしりと文字の書かれたノートを見ながら)皆の差し入れてくれた金で
   大学ノートを買って、カレンダーがないから自分でカレンダーを作って、一
   日終わるごとに日付を消していったんです。ノートには、俺はここに入るよ
   うなことはしていないとか、マッチ箱を渡されて放火しろと言われたことに
   反対したのに、決まったあとは率先して猛進して最初に捕まったんだけど、
   その脈絡がつながらなくて悔しいとか、そんなことばかり書いてあります。
   それから、恋人がいたんだけど、本名を隠してるから手紙を出せないんです
   よ。だから一人でノートに恋文のようなことを書いてる。だけどね、娑婆に
   出たら、彼女はもう他の男のところに行ってしまっていた。どうしようもな
   いね(笑)。あとは読書の記録や、以前に観た映画を思い出して記録をつけ
   てますね。正味5ヵ月でノート3〜4冊びっしり書きつぶしました。
   それから記憶にあるのは、獄中にいる間に出た「アサヒグラフ」に初めて原
   爆の被害の写真が載ったんです。それを差し入れてもらって、またまた反米
   に凝り固まった(笑)。

――どのような経緯で出所されることになったのですか。

土本:そのうち外から秘密めいた文書が獄中に届いて、僕の名前を変名にしろって
   いうんですよ。それで自分で考えて「矢島近江」っていう名前を作りました。
   「矢島」は親友の苗字を拝借し、「近江」の方は好きな作家の小牧近江(作
   家・翻訳家・社会運動家1894〜1974/革命歌「インターナショナル」訳詞者、
   雑誌「種蒔く人」創刊者)から頂戴してくっつけました。そうしたら、もう
   官憲は全部知っているわけです、土本典昭というのをね。だけど、まあしょ
   うがないっていうんで、僕の裁判は「被告矢島」、判決も「矢島」なんです。
   だから土本典昭という男は何ら汚れていない(笑)。昭和30年に「矢島近江、
   懲役2年、執行猶予4年」という判決が下りました。これは新聞にも載ってい
   ます。

――昭和27年12月に出所し、その後も裁判が続いたのですね?

土本:政治は冷酷でね。時間の移り変わりとともに、共産党の方針が手を返すよう
   に変わることを、イヤというほど経験しました。山村工作隊の時には僕らは
   ヒーローですよ。だから裁判の最初の頃は傍聴席が満員御礼。ワーッと拍手
   が起きて、「頑張れ!」なんて声がかかった。ところが公判闘争の途中で昭
   和30年に「六全協」(注3)があって、党が自己批判したんですよ、「これ
   までの武装闘争は間違いだった」と。それに伴って裁判支援もストンと落ち
   て、いっぺんに傍聴者がゼロになりました。ひとりも来なくなった。で、あ
   る日、一人だけ傍聴していたから、「党員の方ですか?」って聞いたら、
   「とんでもない!」って言うんです。「中央大学の学生です。法律を勉強し
   ているので、今日は見学に来ました」って(笑)。僕は「矢島近江」で刑を
   受けましたが、GHQは土本典昭の名前を記録していたので、1970年代の半ば
   まで、アメリカと沖縄には行くことができませんでした。
   ひとつの正義、ひとつの正しさが瞬時に反転するということを、敗戦の時に
   も知りましたし、この裁判でも実感しました。馬鹿馬鹿しくて怒る気になら
   なかったですよ。むしろ皆で笑いました。「ハハハッ、なんちゅう世の中じ
   ゃ」ってなもんでね。党の方針転換はよく分かるわけです、あんな闘争が正
   しかった筈ないからね。でも、党が自己批判するなら、僕らに対しても自己
   批判すべきだけど、当然そんなことは何にもなし。「勝手にしろ」というわ
   け。そして僕たちは誰一人控訴しなかった。控訴なしの闘争なんて、左翼の
   運動で見たことないね。僕は政治は大切なことだと思いますが、カッコ付き
   の「政治」、つまり政党の方針とか決定にはいつも裏切られてきました。

――出所後に日中友好協会で働くことになった経緯を教えてください。

土本:刑務所から出てきたとき、友人らに出迎えられながら強く思ったのは、今後
   の人生を職業革命家として生きたいということ。今から考えると硬直した考
   え方ですが、仕事はないしね。唯一あったのは日中友好協会の臨時の広告係
   だったんです。固定給じゃなくて、広告を取ってくればそこから歩合が入る
   という形。
   裁判がひと月に数回あるでしょ。牛乳配達をやったとしても、その日は配れ
   ないわけで、普通は裁判に合わせた働き方なんてできないですよ。「今日は
   裁判だから休みます」なんて無理だ。そういう事情を正直に言っても断られ
   ないところといったら、要するに共産党関連の団体しかない。で、日中友好
   協会に入ったということです。
   広告取りのほかに、中国映画の上映会の仕事もしました。1949年(昭和24
   年)に中華人民共和国が成立しましたが、日本とは国交がないなかで、日中
   友好協会が中国から送られてくる映画を上映していたわけ。有名な『白毛
   女』(50)とか、『鋼鉄戦士』(50)とか、ドキュメンタリーとか、5、6本
   しかなかったですけど、字幕を作る余裕はないから、劇団志望の女の子を集
   めて解説者集団を組織して、台本を渡して解説付きで上映するみたいな仕事
   をやった。
   実は日中友好協会へ行く前に、牢屋で一緒だった島田君という友人のお父さ
   んの紹介で、大崎にあった品川煉炭の子会社に入ったことがありました。鳥
   打帽子を被って、ほんとに職工の格好して、こりゃもう嬉しくてね。ところ
   が2、3日通ったら、刑事が社長の部屋に入って耳打ちしてるんです。僕のこ
   とを話してるのが歴然と分かるわけ。そのうちに「土本君」って呼ばれて、
   「君はこの会社を潰しに来たのか」って訊くんだよ。「とんでもない、僕は
   労働者になるために来ました」って答えたんだけど、迷惑だって。で、辞め
   ちゃったんだけどね。
   だから、山村工作隊やって、農民から「帰れ」と言われ、党からも方針転換
   で捨てられ、労働者になろうと思ってもダメだった。それであらゆるアルバ
   イトをやって、日中友好協会に拾われて広告取りをやった。そのうち裁判も
   終わって、「岩波に来てみるか」っていうお誘いを受けてね。PR映画の時代
   になって、相当な人手不足で制作部の仕事に紛れ込めたということです。そ
   の意味では、まったく資本主義の子ですよ、僕は。(つづく)

(2003年2月16日、土本監督宅にて。採録:北川一男、金丸裕美子、佐藤寛郎、
 津田真理)

(注1)戦後の東宝では、経営者側と労働組合が給与制度の改訂案などをめぐって
対立し、1946年(昭和21年)3月に15日間の第1次争議、10月からは51日間の第2次
争議が勃発。翌47年には、大河内傳次郎、長谷川一夫、山田五十鈴、原節子、高峰
秀子ら大スターが「十人の旗の会」を結成して東宝労組を脱退した。ピークを迎え
た48年の第3次争議では、6月に撮影所が封鎖となり機能がストップ。8月に東京地
裁の仮処分執行で武装警官2000人と米軍が出動し、戦車などが撮影所を包囲して
「来なかったのは軍艦だけ」と言われた。

(注2)1951年(昭和26年)10月に開催された「日本共産党第五回全国協議会」の
略称。「51年綱領(テーゼ)」に基づいた軍事・武装闘争方針を採択した。

(注3)1955年(昭和30年)7月に開催された「日本共産党第六回全国協議会」の略
称。それまでの武装闘争路線を「極左冒険主義」とみなして誤りと認めるなど、党
の方針を転換させた。


■石坂 健治(いしざか・けんじ)
国際交流基金フィルムコーディネーター。なお本稿の基になったドキュメンタリー
映画『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』(製作:伏屋博雄、監督:
藤原敏史。撮影:加藤孝信)では土本監督にインタビューを務め、本作は3月28日
に完成した。



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┃02┃□ワールドワイドNOW ≪パリ発≫
┃ ┃■パリでも人気があった若松孝二特集―サン・ドニ映画祭
┃ ┃■高橋 晶子
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2月22日から28日に渡り、パリ郊外のサン・ドニ市にてサン・ドニ映画祭が行われ
た。コンペティション形式を取らないこの映画祭は今年で6年目を迎え、毎年ある
テーマに沿って70本ほどの映画が特集上映される。監督や出演者、映画評論家など
を交えてトーク等も数多く企画され、観客数も年々うなぎ上りだ。パリ市内と郊外
では街の雰囲気も文化的催しの内容・数も客層も全く異なるため、郊外で野心的な
プログラムを提供する場はかなり限定されている。主催者でもあり会場でもあるサ
ン・ドニ市の映画館L’ECRAN/レクランは、郊外では珍しく大胆な特集上映を企画
し客を集める映画館だ。国や自治体からの経済的援助も受けながら、シネコンの勢
力に負けぬよう地元に根ざした映画館を実践している。

今年のテーマは「Sex is politics」でメインの上映は若松孝二特集。70歳を目前
に控え今なおエネルギッシュな監督が来仏した事もあり、各回ほぼ満席状態という
反響だった。上映作品は『性賊/セックス・ジャック』『処女ゲバゲバ』『天使の
恍惚』『ゆけゆけ二度目の処女』『赤軍−PFLP世界戦争宣言』の5作。テーマに沿
うため、より政治性の強い60・70年代の作品が選ばれた。赤軍のドキュメンタリー
に関しては、「Sex is politics」というテーマからはずれるものの、企画を立ち
上げる段階から上映を希望する声が多かったため例外的に組み込まれた。各上映後
には若手の評論家を司会に迎えてQ&Aが行われた。

観客は、闘争の一員として60・70年代を過ごした年齢層の人達よりも、20・30歳代
の若者が目立った。かの時代を経験した人々からは、監督の政治的見解や現在の世
界情勢・日本社会に対する考えについての質問も多く出たが、若い客層はもはや
Koji WAKAMATSUという人物像や、映画の美的側面、音楽的側面に興味を示す傾向が
強かったように思う。若い観客達は、60・70年代の観客のように映画を観ながら運
動の炎を燃やすのではなく、今や神話となりつつある当時の空気を一種の羨望を持
って観ていたと言えるだろう。

ドキュメンタリー『赤軍−PFLP世界戦争宣言』については、フランス国内でパレス
チナ問題が身近な問題として捉えられていることもあり、どのようなきっかけ・経
緯で撮影されたのかという事に興味が集中した。時代背景が全く違うため、今日の
パリの観客からはプロパガンダ映画として批判的に受け入れられるのではないか、
と言う不安も映画祭側にはあったが、幸いにも当時の情勢や時代背景と照らし合わ
せながら冷静に受け入れられた。また、日本の赤軍の歴史があまり知られていない
ため、一部の専門家を除いては初めて耳にする話であった人も多かったようだ。若
松監督は次回作『実録・連合赤軍』についての意気込みも熱く語りつつ、映画から
は想像のつかない人情味あふれた面白いキャラクターが観客を笑いに誘っていた。

特に海外では、若松映画というとすぐに暴力やセックス、政治と言ったスローガン
が掲げられ、今回もそうした意図の下に特集が組まれたが、そういった固定観念か
ら観客自らが脱出し得ているように感じられたのも嬉しい発見であった。映画上映
を企画する側や映画についてものを書く人間と、積み込まれた知識に左右されない
観客の見る目は違う時が多い。ある日のQ&Aでは、司会をしていた若い評論家に対
し観客が「評論家が口を出すことで、素直に感動できる映画も複雑でインテリにな
ってしまう。」という厳しい声が挙がった。映画祭で最も人気の高かった『ゆけゆ
け二度目の処女』の上映後である。会場には説明のしようがない感動の沈黙があっ
た。観客は、政治的時代背景うんぬんよりも、映画としての面白さや映像美を堪能
していたのだ。作品の捉え方は時代と共に変化するが、それは観る者一人一人の視
線の変貌であることを実感した一週間であった。


■高橋 晶子(たかはし・しょうこ)

横浜生まれ。フランスの言語・映画に魅せられ94年に渡仏。パリ第8大学映画学科
卒業。映画・TV関係のコーディネート・通訳・字幕翻訳及び助監督として活動。



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┃03┃□neoneo坐 4月前半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より
徒歩1分、JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。
詳細と地図は下記のneoneo坐サイトをご覧下さい。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html


■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会

「短編調査団」
 (24) 目の巻…2006年4月12日(水) 20:00〜

『見る』
 1975年/25分/カラー/制作:岩波映画製作所/企画:科学技術庁/
プロデューサー:高橋宏暢/演出:佐藤圭司/脚本:松丸耕作/撮影:吉瀬昭生
■人間は目と大脳でものを見る。<見る>ということはどういうことか。様々な反
転図やコンピュータによるシミュレーション・アイカメラによる視点の動き、錯視
図などを通してその意味を探る。


『こどもは見ている』
1955年/20分/白黒/制作:日映科学映画製作所/
プロデューサー:石本統吉/演出・脚本:八木仁平/脚本:中村麟子/撮影:佐藤

■我々の身近で頻繁に起っている極めて通俗的な問題を、子供たちの目を借りて
この映画に取り上げてみた。大人の世界で常識化されている日常生活の考え方や行
動が「民主社会のルール」として果たしてよいかどうか、改めて考える機会を持っ
てもらうためである。


『めがね小僧』
1958年/50分/白黒/制作:民芸映画社/プロデューサー:松丸青史/
演出:宇野重吉/脚本:久板栄二郎/撮影:荒牧正/出演:宇野重吉・小夜福子ほ

■内気なためにめがねをかける勇気のない進少年が、義父をはじめとする家族の暖
かい愛情によってめがねをかけるようになる。

【料金】鑑賞無料! カンパ歓迎!
【お問合せ】清水 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp


■映像フィルム講座

映画の作り手と観客の交流の場をめざして創設されたneoneo坐では、より“濃厚”
に映像作家と交わる場として「映像フィルム講座」を開講します。デジタル・8ミ
リフィルムの撮影や編集など基本的な技術を映像作家がわかりやすく伝授する初心
者向けの入門講座です。ロケ撮影や作品講評などを通じて、観客とは一味違った立
場でより深く映像作家の真髄に触れることになるでしょう。カメラを手にしたこと
のない人も大歓迎! ふるってご参加ください。

〜カリキュラム〜
■ デジタルシネマ倶楽部
■ 山崎幹夫の8ミリお稽古教室
■瀧健太郎ワークショップ&インスタレーション



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┃04┃□広場
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■新・クチコミ200字評!(29=通算だと50回目!)
■清水浩之(短篇調査団・4月12日は目の巻! http://d.hatena.ne.jp/tancho/
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビな
ど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オスス
メしない映画とその理由!」もOKです。
本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアド
レスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィール
や近況も)を付記してお送りください。ちなみにここでは稿料は出ません。
清水浩之 E-mail:shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp /ファクス:03-3703-0839


A-045『Don`t Look Back ドント・ルック・バック』
1967年/アメリカ/監督:D.A.ペニーベイカー
ビデオ発売元:ソニーミュージックエンタテインメント
この作品は、ダイレクトシネマを軸として撮られている、ペニーベイカーの代表的
な作品です。人は、カメラによって何らかの影響を受けるのか。人は、カメラの前
で、自分自身を演じているのか、それとも、カメラは彼らの真実の行動を暴きだす
のか。ぼくはペニーベイカー自身が「彼らは彼ら自身を忠実に演技している」と言
っていることに驚いた。それでも、ダイレクトシネマとして成り立つのか、という
思いをどうしても思ってしまう。作品自身は、間違いなくダイレクトシネマである
と思う。けれど、監督自身が、それを演技と言ってしまうところに、疑惑と面白さ
を感じる。(高橋信貴/ドキュメンタリーを専攻にしようとしている大学四年生。
UNTに在籍。)


B-143『国鉄 21世紀をめざして』
1966年/学研映画/監督:関川秀雄/脚本:滝沢林三/音楽:伊福部昭
見た場所:交通博物館 3階映画ホール(4〜5月の土日・祝日はアンコール上映!)
 http://www.kouhaku.or.jp/event/moyosi2006-7.html 
5月14日で閉館する交通博物館。休日の上映会はマニアも垂涎のプログラムでした。
3月上映のこの作品は、高度成長とともに日本の動脈として発展する国鉄の「会社
案内映画」。赤字も膨張して21世紀に辿り着けなかったのは皮肉ですが(笑)、中央
線複々線化をはじめ現在の設備が「出来つつある様子」や、蒸気機関車の解体作業
など歴史の"証拠"場面が続出。まんま怪獣映画の伊福部マーチには苦笑い必至。DV
D化したら確実に売れます!(清水浩之)


B-144『森達也の ドキュメンタリーは嘘をつく』
2006年/PROTX/プロデューサー:替山茂樹・不破敏之/ディレクター:村上賢司
放映:2006年3月26日・テレビ東京「メディア・リテラシー特別番組」
 http://www.tv-tokyo.co.jp/literacy/ 
今や「作家」としてのみ有名ですが、主演映画もある「元・俳優」森さんに、局の
PR番組枠を悪用して日曜朝からコントを演じさせた制作陣の黒い情熱に脱帽。『浅
ヤン』などテレ東のドキュ・バラエティ史上に狂い咲いた、ドキュメンタリーファ
ンの不評は必至の一作。でもインタビュー出演の原一男監督の“無言の迫力”に喰
われた感もあり、来年は「主演のスケールアップ」で更なる問題作を熱望!テレ東
OBの田原総一朗さんとか…。(清水浩之)


B-145『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』
2006年/ビジュアルトラックス/監督・撮影:藤原敏史/撮影:加藤孝信
見た場所:ヨコシネディーアイエー・横浜映像センター(初号試写)
3年越しの企画が漸く完成!藤原監督は作家と作品へのガイドブックの体裁を採ら
ず、敢えて「自宅インタビュー」と「水俣再訪同行取材」の二本立でガチンコ勝負
に出た結果「土本典昭主演映画」が出現!特に水俣旅行は必見です。どこか空々し
い記念碑と共に"歴史"と化していく風景とは裏腹に、『患者さんとその世界』のテ
レビ好き少年の成人後の姿が"歴史"で片付けられない日常を物語り、水俣シリーズ
最新作としてもオススメです。(清水浩之)


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■上映

■優れたドキュメンタリー映画を観る会 VOL.16
ドキュメンタリーセレクション「山形・TOKYO・サンパウロ」

●4/21(金)公開前夜祭「山形からの風」下高井戸シネマにて
特集にさきがけ、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された北欧のドキ
ュメンタリー映画2本を上映。ゲストに同映画祭の事務局長 宮沢啓さんのトークシ
ョーを行います。(映画上映前に、ミニジャズライブあり!)

時間:18:50〜22:00(予定)
定員:150名(前売券のみ。招待券等はご利用いただけません。)
一般・学生:1800円/小・中・シニア・会員:1600円

上映作品:
『老いた猫のお引越し(スウェーデン)』
スウェーデンの田舎町。ふたりの老人それぞれの日常にカメラが寄り添って、最後
まで自分らしく生きようとするふたりの心の揺れを注意深く見つめる作品。

『静かな空間(フィンランド)』
農業を諦める両親、病を抱えつつ都会生活を選ぶ妹。フィンランドの小さな町で、
押し寄せる時代の波に揺れる家族の肖像を見つめたセルフ・ドキュメンタリー。

●4月22日(土)〜4月29日(土)
『郷愁は夢のなかで』(2001年/日本・ブラジル/2h35/ビデオ上映)監督:岡村淳
世間との付き合いを絶ち、ブラジルの奥地で暮らす日本人移民一世の老人。監督は
彼を探し出し幾度も足を運ぶうちに、ようやく話を聞かせてもらうようになる。強
い郷愁にかられながらも、故郷と祖国の両方に絶望させられたブラジル日系移民一
世の心象を描く。≪4.22(土)モーニング AM10:00≫

『朋あり。太鼓奏者 林英哲』(2004年/日本/1h25/DV上映)演出:伊勢真一
日本を代表する和太鼓奏者・林英哲。彼の和太鼓にかける情熱、異文化交流に対す
る想いは時空を越え、朋たちと出会う。日本人にとって朝鮮半島の人々は一番身近
な朋。英哲は朝鮮文化の素晴らしさを日本に知らしめた故・浅川巧の足跡をたどる
ことになるが…。
≪4.23(日)レイト PM9:00トーク:伊勢真一監督、4.24(月)モーニング AM10:40≫
(※朋ありと併映)

『ぼくらの学校なくなるの?』(2004/日本/DV上映)監督:近藤剛・後藤由那
多くの在日朝鮮人が住んでいる東京都江東区枝川。今年で60周年を迎えるこの町の
朝鮮学校は今、東京都から土地の明け渡しを求める裁判を起こされている。なぜ学
校が裁判にかけられているのか?裁判の舞台の立たされた朝鮮学校を追った短篇。

『もっこす元気な愛』(2005年/日本/1h25/DV上映)監督:寺田靖範
脳性マヒのため両腕に障害がありながら、前向きに生きる倉田哲也、37才。恋人・
美穂との結婚を決意するも、彼女の母親に許してもらえない。いくら説得しても意
見がかみ合わず、思い悩んだふたりは、ある決断を下す。笑いと涙のドキドキ奮闘
記。
≪4.26(水)モーニング AM10:40、4.28(金)レイト PM9:00★4.26(水)&4.28(金)
トーク:寺田靖範監督≫

『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』(2002年/フランス/1h01/DV
上映)監督:ドミニック・オーヴレイ)
クレール・ドゥニ、ペドロ・コスタ、ヴィム・ヴェンダースなど先駆的な映画作家
の編集を手がけた監督が、友人でもある小説家デュラスのポートレートを自らの記
憶と友情を手掛かりに製作した。よく笑い、真面目で、誠実で、注意深く、きっぱ
りしていて、若々しく、なによりも自由なデュラス。そんなあるがままの彼女に近
づくために。
≪4.25(火)モーニング AM10:40 、4.25(火)レイト PM9:00 ★4.25(火)トーク:
坂本安美さん(東京日仏学院映画プログラムプロデューサー)

『空とコムローイ Part2』(2005年/日本/1h30/DV上映)監督:三浦淳子
タイの山岳民族の子供達が暮らすコンティップ村を運営するペンサ神父と、そこに
暮らす人々との出会いを描いた『空とコムローイ』のその後。経済発展にともなう
麻薬・売春・エイズといった危険、なだれ込む都会の文化とどうつきあっていくか
模索する姿を追う。
≪4.26(水)レイト PM9:00 トーク:三浦淳子監督≫

『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』(2005年/日本/1h43/DV上映)監督:熊谷
博子/撮影:大津幸四郎
日本最大であった旧三池炭鉱と、炭鉱に生きた人々の歴史を辿る。戦前の囚人労働、
朝鮮人・中国人の強制連行、戦後の労働争議、炭鉱事故…。32箇所の炭鉱関連施設、
100人近い証言の取材、110時間に及ぶ撮影で、日本を支えた無数の人々の存在を浮
かび上がらせる。
≪4.22(土)レイト PM9:00 トーク:熊谷博子監督、4.23(日)モーニング AM10:40、4.
28(金)モーニング AM10:40≫ 

『心の杖として鏡として』(2005年/日本/1h00/DV上映)監督:萩原磨/ナレーシ
ョン:吉行和子
精神科病院の“造形教室”のアトリエに通う人々の人間模様を取材。さまざまな病
気の症状や、なかなか描けない創作活動に悩み、また、いつか個展を開催すること
を夢見る人々の姿から、表現すること、生きることの根源的なテーマを問いかける
作品。
≪4.27(木)モーニング AM10:40 、4.29(土)レイト PM9:00 トーク:高橋慎二さん
(共同監督・撮影)

『イラク―ヤシの影で』(2005年/オーストラリア/1h30/DV上映)監督:ウェイ
ン・コールズ=ジャネス
2003年春、アメリカによる爆撃が予見されるバクダット。開戦直後、朗らかな人々
の日常の空気は一変する。世界がプロパガンダの嵐にさらされるなか、銃撃戦のニ
ュース映像以外の伝えられることのなかった人々の状況を誠実に語る。
≪4.24(月)レイト PM9:00 トーク:味岡尚子さん(女は戦争への道を許さない世田谷
集会))

『ナミイと唄えば』(2006年/日本/1h38/DV上映)監督:本橋成一
人から人へ唄い継がれる歌を追って旅をしている作家・姜信子が、三線片手に、歌
がなければ生きられない沖縄八重山のおばあ・ナミイと出会い新たな世界を見出
す!若手美人浪曲師・玉川美穂子の語りにのせておくるナミイの歌と旅の物語。
≪4.27(木)レイト PM9:00 、トーク:本橋成一監督)

下高井戸シネマ(モーニングショー&レイトショーにて日替わり上映)
一般・学生1.300円 小・中・シニア・会員・火曜女性1.000円
前売1回券1000円 5回券4.500円<発売中>
(1回券はチケットぴあ、劇場窓口にて、5回券は劇場窓口にてお求め下さい)
※「三池〜」のみ 一般1.600円 学生1.300円 小中・シニア・会員1.000円
詳細は、下高井戸シネマのHPをご覧ください。
 http://www.ne.jp/asahi/kmr/ski/shimotakaido_cinema.html 


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■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoは購読料無料で配信していますが、経費を(その大部分は稿料)賄うため、
上映等の告知を有料化し、カンパをお願いしています。

(1)上映等の告知の有料化 1200字(40字×30行)以内につき、2,000円です。
それ以上の字数の場合は加算します。
(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。

上記の送金は下記の方法でお願いします。
郵便振込み:00160−8−666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、ご協力をお願い致します。



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┃05┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●船越聡さんという方からのメールで、「前号の東谷麗奈さんの文章にあったMad
Hot Ballroomという映画は『ステップ!ステップ!ステップ!』という邦題で今年
の公開が決まっています」との指摘があった。ご本人からは「たいしたことではな
いですけど、念のため」と添え書きがあったが、ありがたい指摘である。船越さん
は「うェるかむ!極楽page」の管理人である。「映画人人名スペル辞典」とか「じ
べたでひろたもん」等の項目があり、極めて専門的で、趣味が広い方でもある。い
ちどお会いしたいものである。

「うェるかむ!極楽page」: http://www.geocities.jp/gokuraku_ya/ 

●石坂健治さんの「パルチザン土本典昭前史」(3)は、「東宝争議」や「山村工
作隊」の話を土本典監督から聞きだしている。映画へ入る前の話である。「東宝争
議」や「山村工作隊」といえば、直接体験していない私たちからみれば、映画史や
日本共産党史からしか今は知る由がなく、とかくシリアスに捉えがちだ。しかし土
本さんの語り口はユーモアみ富み、具体的だ。なかでも日本共産党の秘史である
「山村工作隊」や獄中体験談は、その実態を知るうえで貴重な証言でもある。
『砂の女』の勅使河原宏監督や画家の山下菊二氏たちと共闘したとは、何という
めぐり合わせか。

●パリ郊外で開催された―サン・ドニ映画祭の「若松孝二特集」について、高橋晶
子さんのレポート。時代と激しく切り結んだ若松作品はすばらしく好評だったよう
だ。観客は制作当時の時代のしがらみから切り離され、映画そのものを満喫した
もよう。で、上映後のQ&Aでのエピソードを伝えている。観客から司会者(映画評論
家)に厳しいクレームがついたのだ。「評論家が口を出すことで、素直に感動でき
る映画も複雑でインテリになってしまう」。

司会の巧拙もあるのだろうが、観客と司会者。映画と観客と批評家。彼らの交わり
を、どう考えたらいいのだろうか。



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■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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