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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.27-1 2004.12.15

2004/12/15


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    27-1号  2004.12.15


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      対極のドキュメンタリー
         ―小川紳介と土本典昭(9−最終回)  大津 幸四郎
 †02 自作を解剖する
      『みやび 三島由紀夫』   田中 千世子
 †03 ワールドワイドNOW ≪ベルリン発≫
      映像と現実の関係性―ドイツの移民社会を見る  梶村 昌世
 †04 列島通信 ≪埼玉発≫
      埼玉映像事情と私(3)  村上 賢司
 †05 neoneo坐通信(12)
      12月25日:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」(第3弾)
            『日本解放戦線 三里塚』
            『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』
      科学映画特捜隊・御来場御礼短信  シミズ ヒロユキ(科特隊)

※27-2号へ

     ◇────────────────────────◆◇◆    


 †06 広場
     告知:neoneo坐・忘年会<12月25日(土)19:20〜>
     告知:年末のアンケート大募集(締め切り;12月31日)
           「わが一押しのドキュメンタリー」
           「ドキュメンタリーの現状について」
           「私の2004年」
     投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(16―最終回)
         『君が代』in キューバ  波多野 哲朗
     投稿屋台『クチコミ来来軒!』(4)
         阿部理沙/脇阪亮/清水浩之
     投稿:レビューリレー(3)
        テクストを生きる―『日本解放戦線・三里塚の夏』を見て
           佐々木 恵龍
  †07 編集後記  伏屋 博雄


   ★バックナンバー閲覧はこちらまで

   まぐまぐ配信   http://www.mag2.com/m/0000116642.htm
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■対極のドキュメンタリー ―小川紳介と土本典昭(9−最終回)
┃ ┃■大津 幸四郎
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●撮影の方向性

Q:『圧殺の森』で多用したアップとは異なる撮影を今はお考えですか?

大津:そうですね。わりあい僕、今は引きサイズを生かそうと考えていますよね。環
境というべきか、状況というべきか、それと交感しながら生きる人間を考えてみたい
と。多用するというのではなくて、例えば音でも喋り続ける声では無くて、喋ってい
る時にふっと寄ってくる静寂ね。その静寂の音の底に潜む無音が聞こえてくる、そん
な無の世界に惹かれますね。だから音と音の間、その間の中に無の音があるんだと。
また、無音の世界があるから音の有の世界があると。そんなことを考えているところ
があります。

ロングの中にアップがある。そのロングの中にいる人間が持つ悲哀、状況の持つどう
しようもない悲しさを、ロングの画面のまま表現することが出来ないだろうか。以前
は―60年代は取り巻く状況を、その人のアップの表情の中で描ききってみたいという
思いがありましたが、今は、その人を取り巻いている状況を、引きで間が抜けたよう
な引きのショットで表わしてみたいとも思うんですよね。必ずしも引きでなくちゃい
けないとは言わないですが、引き目のショットに注目しているということは確かです。
それだけ年取り、ぎらつくものが失くなってしまったのかもしれませんね。

●「ナルシス」を拠点に

Q「青の会」について、詳しく教えてください。

大津:これは土本典昭さんの専門分野と言ったらおかしいけど(笑)、「青の会」と
いうのはね、岩波映画の我々の同期―小川紳介さん、僕、それから今はドラマの方へ
転じている東陽一さん、岩佐寿弥さん、その辺だったと思いますけどその頃(1960年
代初頭)の岩波映画の若手が中心になりまして、研究会のようなものを始めるわけで
す。これは小川紳介の映画研究会の延長線ですよね。今考えると、大学時代―国学院
でやっていた―。

いろいろ短編映画を借りてきて、亀井文夫の『小林一茶』とか、アラン・レネの『夜
と霧』とかそういう作品を借りてきて、それらを上映した。批評というか、批評の真
似事みたいなことをしたり、その作品をどう評価していったらよいか話し合ったり、
まぁ、我々にとって肥料になるような映画を借りてきて、一種の研究会みたいなこと
をやったわけです。岩波映画入社2年目か3年目の頃でした。60年の安保闘争の1年後
くらい、苦々しい時代でした。研究会には時々、黒木さん、土本さん、それからさっ
きちょっと話に出ました藤江さんとか、そういう先輩たちにも来てもらって、いろい
ろその人達の作品を上映しながら話を聞いたり、こちらが質問したり、批評したり、
勉強していくということだったんです。ある緩い繋がりのグループ、エコールみたい
なものを作っていくんです。研究会的なものは2、3年も続きましたかね。

その過程の中で、映画のあり方、あらゆる既成の政治からの自立、映画企業への批判、
それからの独立、産業映画的傾斜をはじめた岩波映画からの離脱と自由を思考する緩
いグループが作られるわけです。そして1962、3年になりますと、岩波映画から黒木
和雄さんや土本典昭さんを中心にして、最終的にはほぼ30人か40人くらいの人たちが、
契約者も含めまして、辞めていくわけですね。制作会社の机を離脱して自由になって
いくわけです。独立していくのです。その内、大体20人位だったと思うんですけど、
中心になったのが黒木和雄さん、土本典昭さん、小川紳介さん、あと岩佐寿弥さん、
東陽一さん、その辺りが中心になったと思いますが、当時新宿にあった「ナルシス」
というバーによく集まって、おだをあげ始めたのです。

映画的企業の枠組みに反旗を翻し自由にはなったけれど、同時に映画を作れる機会か
らも自由になってしまった。そんな中で、映画は一生の仕事に値するのか、面白い映
画ってどうやったら作れるのだろうかなんて、映画を作れない自分たちを取巻く状況
に対する不満から、社会・政治の弾劾まで青臭い議論を繰り返していたわけです。そ
れも演出家だけのグループではなくて、技術パートと言われる僕とか鈴木達夫さん―
劇の方へ行きましたね、それから奥村祐治さん、録音の久保田幸雄さんたちも集まっ
てきて、ほとんど全てのパートの人たちが集まってきて、そこで研究会とも飲み会と
も…。なんとも不思議なものを始めるわけです。後々、新宿の場末のマンションの一
室を借りて、場を作るのですが、まぁ言うなれば、脱藩分子の集まり、浪人どもの集
まりと呼べるでしょうか。それが「青の会」です。.

●「青の会」の活動

大津:場を作ってすぐ、ささやかな、映画作家の自由を守る運動に取り組みました。
一つは、黒木和雄さん―今では主に劇映画をされているわけですけど、スタートは岩
波映画でドキュメンタリー映画で、黒木さんが岩波映画を辞めてすぐ後に、『あるマ
ラソンランナーの記録』という非常に刺激的な面白い作品を作りました。これは、さ
っきの長廻しという事でいえば、我々の仲間の中で最初に長廻しをされるのが、黒木
さんの『あるマラソンランナ−の記録』です。ラストの、君原健二さんというオリン
ピックのマラソン選手ですけど、この人が東京オリンピックに出場するためにトレー
ニングを積んでいくわけだけど、ほとんど故障・故障・故障で実際は全く走れない。
その苦境をやっと抜け出して、グラウンドに初めて出て、走り始める。映画は走り続
ける君原のアップに正面から挑んで終わるのですが、当時35ミリカメラで、フィール
ド用の小型マガジンを使って、200フィート、6分間ですけど、6分間ずっと君原の廻
りにくっついて廻しっぱなしに廻すと。その表情をね。これは非常に感動的なシーン
なんですけど。これを初めてやられるわけです。

これは「東京シネマ」という映画制作会社で作るわけですけど、スポンサーは富士フ
イルム。東京オリンピックのプロモーション映画を意図したんでしょうが、それにふ
さわしくないというんでしょうかイチャモンがついて、結局オクラになってしまうん
ですね、これは東京シネマが自主規制して、オクラにしてしまったのかもしれません
が。ということで、東京シネマに抗議すると共に、なんとか上映できる方法を見つけ
ようと、そんな動きを始めるのです。その運動の中心を担ったのが、「青の会」のメ
ンバーだったのです。残念ながら、この運動は日の目を見ないで、不発に終わってし
まいました。その後、黒木さんの『とべない沈黙』の準備を「青の会」の有志がやり、
何人かが『とべない沈黙』のスタッフとなり制作に関わります。その意味では、「青
の会」というのは、ひとつは『とべない沈黙』という映画の精神的な、運動的な支え
になっていく。制作の下地になっていったのでは。.

もうひとつは土本さんとか小川さんなんかのドキュメンタリー映画の制作の主体を映
画企業から離れた自主制作の方法を模索していく、いわゆるドキュメンタリーの制作
を自らの手で開拓していくという意味での自主制作ですね。そういうものの考え方を
築いていくのです。その中では年齢の差も無いし、パートの差も無くて、勝手に自由
に何でも言えると、だから極端に言えば作った監督を呼んできて批判しちゃうという
こともあった。その批判が当たったかどうかは別にしても、かなりの突っ込んだ批判
をする、というようなことがあったりします。相当きわどい所まで突っ込んだ議論、
批判が行われていました。いつもぴりぴりした、快い緊張が支配していたように思い
ます。全く自由な映画を模索する、人と人との付き合いでした。それは新しいひとつ
の動きというか、映画に対する考え方の、具体的なひとつの運動の母体になったんじ
ゃないかなと思います。映画を作ることを媒介として、作家と作家が裸でぶつかり合
い、政治を切り、批評を切り、映画の自立、映画の思想を体感する、そんな流れを作
っていった運動とも言えない運動、集団とも言えない寄り合い、.まぁそれが「青の
会」でしょうか。

Q:ちなみに、「青の会」というのは、ピカソの『青の時代』から来ていると言われ
ていますよね?

大津:多分そうでしょうね。参加した映画の編集の人が「青の会」っていうのが良い
んじゃないのと言ってつけたと言われています。ピカソの若い頃の作品「青の時代」
を意識してつけたのでしょう。私はちょうどその場にいなかったので、詳しいことは
知りません。まあ、議論ばかりしていたから青臭いという事もあっただろうし、皆ま
だ20代ですよね、黒木さんと土本さんだけが30歳になったばかりかな。30歳台の頭の
頃ですよね、ということもあって、まあ若い会ではちょっとね。ちょうど石原慎太郎
たちが「日本の若い会」というのを作った後ですから、だから“青の会”なんです。
 (了)


■大津 幸四郎(おおつ・こうしろう)
ヤセル・アラファトPLO議長が歿した。ユダヤ人国家機関から手足をもぎ取られ、壊
滅された議長府に閉じ込められながらも、存在を賭けてイスラエルの暴力に抵抗した
老革命家の死をパレスチナの人々はじっと耐えた。しかし、パレスチナ「大統領」の
地位に恋々とするあまり、パレスチナ人の帰還権をはじめパレスチナの人々の生存の
権利をイスラエルの質蔵に入れてしまったアラファトをきびしく批難、血を流す悲劇
に直面するのはいつも人民だと人々の斗いを正道に据えるため、自己の著作を禁書に
されながらも、知を賭けての闘いを挑んだエドワード・サィード、彼の知の軌跡を追
って、フィルムの来春の完成を目指して、再度のパレスチナの旅に出る予定です。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『みやび 三島由紀夫』
┃ ┃■田中 千世子
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2004年1月19日に京都、金閣寺でクランクイン、同年10月1日に東京の新潮社でクラン
クアップした『みやび 三島由紀夫』は、12月11日に原宿の音楽スタジオでレコーデ
ィングを終えた。この原稿はその翌日書いている。

今、頭にあるのは音楽だけ。

11月中は新宿の冨田編集室に何度か通い、私は冨田伸子さんのそばにはりついていた。
実際に編集室でべったりはりついていた回数は4回ほどだが、伸子さんが第1回編集、
第2回編集、○月○日編集という風に編集が変わるたびに何度もビデオにして送って
くれるので、それを見ては考え、考えては見る―を繰り返しつつ、メールとFAXを伸
子さんに送った。自分がストーカーになった気がした。伸子さんは何て言うだろう。
何て思うだろう。つまらないアイデアだと笑うだろうか。しょうもないと思うだろう
か。怒るかしら。などと考える。そしていくつかの案がまとまると編集室に行った。

伸子さんはコンピューターを操作しながら画面のつなぎに三島の小説からの引用文を
挿入したり、画面の上にのせる字幕も作って見せてくれるので、とてもありがたかっ
た。伸子さんのおかげでこの映画は形ができあがる。実際、つながった画面を見てス
タッフ一同ホッとしたのだった。なかでも私が一番ホッとした。ああ、つながるんだ
!無性に嬉しくて、あちこちにメールを送った。パリの平野啓一郎さんやロサンゼル
スのすずきじゅんいちさんにも送った。そういえば金閣寺から撮影許可の返事がきた
時も、興奮して舞い上がって川上浩市さんに電話した。九州の柳幸典さんが自分のと
ころで撮影してもよいと言ってくれた時もそうだ。一喜一憂より三喜一憂、そんな風
にこの映画作りは進んできた。

きのうは音楽の梅林さんが、天使に見えた。華麗なテーマ曲、どこかエキゾチックで
ミステリアスなオープニングテーマ。そしてハンガリーの作家チャート・ゲーザの短
編「母殺し」の暗いお話の紹介シーンにあえて正反対のイメージで作ってくれたドン
ドコドコドコ弾む音楽。三島についていろんなアーティストが語る映画だが、わけあ
ってハンガリー人も登場するのだ。

ところで、梅林さんだが、彼は『能楽師』の音楽も作ってくれた。あの時は「能の音
楽がこんなにいっぱいあるのに、どうして映画音楽がいるんですか」と言っていたの
で、音楽を作ってくれないのかと心配していたら、素敵な曲を作ってくれた。できあ
がった映画に英語字幕をつけて外国に持っていった時、スロヴァキアで音楽がとても
受けた。日本でもCDつきパンフレットを買った人から「CDを聴きながら映画の場面を
思い出しています」というお手紙をいただいた。

今度の映画は『能楽師』の関係者試写を始めた2002年の秋頃からポツポツ計画を立て
始めた。撮影の川上さんとは『能楽師』を作る前に観世流能楽師の関根祥人さんは、
三島の小説の「奔馬」に登場する勲のイメージなのできりりとお願いしますという風
なことをいろいろ話していたので、今度は三島をやりたいと言っても川上さんにはす
んなり受け止めてもらえた。梅林さんは「ン?」という感じだった。いよいよ撮影が
始まると、「企画書の音楽のところに僕の名前を書いていいよ」と言ってくれたが、
時々会うと「三島から音楽は聴こえない」とシブイ顔をしていた。
そして撮影途中で部分ラッシュを見た梅林さんは、またしても「能の音楽がこんなに
あるのに!」と言った。

能は今度の映画にも登場する。.
能は三島がとても愛した芸術だった。歌舞伎がなければ生きていけないほど三島が歌
舞伎好きだったことは知られているが、三島と能のむすびつきは三島が「近代能楽
集」を書いたことぐらいしか知られていないかもしれない。「近代能楽集」を書くほ
ど、三島は能にひかれていたし、いろんなところで三島はよく能を出してくる。エッ
セイで能の鑑賞から始まって独特の能楽論を展開することもあれば、能の段を真似た
小説もある。能役者が出てくる短編「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記
の抜萃」や遺作となった「豊饒の海」四部作の第二部「奔馬」も能と関係が深い。こ
のなかで、副主人公の本多が能の「松風」を見た時の<美>に対する驚きを描きこん
であるくだりは、三島は世阿弥と対話しているのではないかと思わせるほどだ。

三島の文学を愛する人たちには、歌舞伎はもちろん、是非能を見てほしい。その気持
もあって能を取り入れようと思ったが、やはり私自身、能が好きなので能を映画に入
れることによって三島への追悼の気持をこめたかった。一種の追善能だ。.

しかし、できあがった映画のなかで能が占める位置はきわめて重要だが、梅林さんが
うんざりするほど能の場面は多くない。最初はインタヴューする相手も小説家の平野
啓一郎さんと、狂言師であり総合芸術家であり大学教授でもある野村万之丞さんだけ
がはっきりしていて、関根祥人さんが五月五日に行なう「五番能」を撮影させてもら
えそうだという感触があったぐらいだ。だからどういう映画になるのか、よくわから
なかった。その分、どんな映画にもなりそうな予感もあって、岡倉天心が提唱した輪
郭を描かない主流に反した描法のような、ある種確信犯的なぼわんとした状態が続い
た。今はそのぼわんを意識しながらあえて輪郭をつけずに完成に向かっているのだが、
梅林さんも感づいて「そうか、この映画は今の人たちと三島の対話なんだ」と面白が
っている。.

ぼわんと始まったこの映画は、撮影の川上さんと録音の中山隆匡さんをずっとハラハ
ラさせ通しだった。二人ともそのことをあまり表には出さなかったが、時々話を聞く
と、ひどく心配しているようだった。二人が心配すると私も心配だ。途中から参加し
てもらった美術の星埜恵子さんもいろいろアドヴァイスしてくれたのは、心配してい
たからだと思う。夏の九州ロケから助監督をしてくれた田中文人さんも含めてみんな
映画のことが心配だったと思う。今でも少し心配だ。ただ、厳密に言うと心配という
より不安な感じと言った方がいいかもしれない。それは映画がつながるかどうかとい
う心配が解決した後の不安である。映画というのはそういうものなのか、それとも三
島の映画だからだろうか。終わったという感じがしないのである。映画のラストもち
ょうどそんな感じだ。だから音楽はもったいないのだけれど、パッと断ち切る感じに
したい。そうすることで三島のことがいつまでも気になるような終わり方をダビング
の時に作ろうと思う。


☆『みやび 三島由紀夫』(2005年1月完成予定 35ミリ、74分、カラー、ビスタ、
ドルビー)フィルムヴォイス制作、『みやび 三島由紀夫』製作委員会、製作・監督
:田中千世子 プロデューサー:鈴木隆一・すずきじゅんいち、撮影:川上浩市、録
音;中山隆匡、 美術:星埜恵子、編集:冨田伸子、音楽:梅林茂、助監督:田中文
人、題字:中村洋子、 スチル:遠崎智宏、トランペット「Mishima」加藤稔、 配
給・宣伝:パンドラ


■田中 千世子(たなか・ちせこ)
映画評論家。短編ドキュメンタリー『藤田六郎兵衛 笛の世界』(2001年)、長編ド
キュメンタリー『能楽師』(2002年)を作り、3作目のドキュメンタリー『みやび 
三島由紀夫』を完成させつつある。明治学院大学で非常勤講師として2004年度はヴィ
リー・フォルストやフェデリコ・フェリーニを中心にヨーロッパ映画を講義するが、
2005年度はビデオ製作の実習を担当する予定。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ベルリン発≫
┃ ┃■映像と現実の関係性―ドイツの移民社会を見る
┃ ┃■梶村 昌世
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●映画から始まった文化間の闘争

隣国のオランダでテオ・ファン・ゴッホ監督が11月の始めに殺害された。今年テレビ
放映された彼の短編映画『Submission』が引き金になり、オランダ在住のイスラム過
激派の若者によって殺された。この殺害事件以来、右翼がイスラム教のモスクや学校
を放火、またイスラム教過激派がキリスト教の教会に火をつけるなどという事件が続
き、寛大な社会だと言われるオランダは大きく動揺している。ドイツでも隣国からの
飛び火を恐れて、保守である野党が多文化社会は失敗したと宣言する一方、シュレー
ダー首相が文化間の闘争を巻き起こさないよう警告し、11月末にケルンでドイツ在住
のトルコ系イスラム教徒があらゆる政党の支援を持ち、2万人以上の人々が共存とテ
ロ反対をアピールするためにデモをした。政治家やマスコミを始め、ドイツ世間では
外国人の統合問題、イスラム教の過激派によるテロが引き金となっている宗教間の緊
張が多いに議論されている。

2001年のテロ多発事件以来、西洋社会に突然表れた危機感が、日常生活に忍び込んで
きている。ある一部の過激派テロリスト出現への反応として今までわりと平和に同じ
空間で暮らしてきた市民たちの間に「文化間の闘争」と言う重みのある名が付いたひ
びが入りつつある。それはまるで顔無しの恐怖みたいなもので、テロの顔を見付けよ
うと、表面的いちばん似ているアラブ系の人たち、またはイスラム教に反映される。
9.11事件の間もなく後、「隣のアラブ人男が祈りをしていたのを窓から見た」という
ような連絡がドイツの警察に殺到した。つい昨日まで「隣の八百屋のおじさん」だっ
た人が、「実はテロリスト」の疑惑の対象に変化した。

つまりマスコミが作り出すテロリストのイメージに、見た目最も噛み合うアラブ・イ
スラム文化圏の移民たちが填め込められる。これはあまりにも簡単すぎる危険な誤算
だ。しかしここにはビジュアル・メディアの強いインパクトがある。そして映像はそ
のひとつだ。一瞬のうちに現実、そして人間の表面的イメージをとらえることのでき
る映像は、それだけ現実感を表わすことができる一方、現実をその裏に隠し、見えな
くすることもできる。毎日無数の映像とビジュアルにあたりまえのように囲まれてい
る私たちは、このイメージづくりのプロセスを理解し、映像が提供してくれる「イメ
ージ」に隠れている意味や戦略をきちんと解読する義務と必要がある。.

しかも今回新たに沸き起こった議論の始めにはある映画がある。問題のゴッホの映画
は、裸の女性の体にコーランの文字と暴力の傷跡を見せる。「イスラム教は女性を抑
圧する」と訴え、挑発ねらいでわかりやすい映像だ。あまり感心できない作品だが、
今回はこの映画がこんなにも社会を動揺させる現実を生んでしまった。

異常反応だと言えばそれまでだ。しかしマスコミのテロリスト像のためにドイツ、ま
たは西洋社会に住むイスラム教徒を始め移民、外国人が一般的に不信感の空気にさら
されるのはおかしいし、挑発的な反イスラム映画を許せないとその作者を殺し、その
殺害事件への反応としてドミノゲームのように暴力行為が連続するのもとんでもない。
このような事件が起こると、如何に映像が生み出すイメージが私たちの知識、価値観
そして判断力に影響しているかを改めて考えさせられるし、映像という表現方法の魅
力も見せつけられる。映像に関わっている者として改めて映像と現実の関係性につい
て考えたい。.

●映像がつくる文化的他者

ある人、国、文化、宗教のイメージというのは私たちの中にあり、日々私たちが出会
う情報、映像、ビジュアル、そして実体験などが重ねられ、作られていく。そうやっ
て私たちは知識を得るし、私たちが生きる環境と現実を判断する基準にもしていく。
しかし時にはイメージと現実の間にギャップができる。

その昔、人々はニュース映像を見るために映画館に行き、そこで他文化の記録映像も
見た。当時はなかなか行けなかった遠い広い世界の姿が、紀行映画として人々のもと
に届いた。その代表的なものがロバート・フラハティーの『極北のナヌーク』だ。ド
キュメンタリーの父とも言われるフラハティーの描いたナヌーク像はエスキモー人の
象徴となり、西洋社会でのイヌイットのイメージに大きい影響力を与えている。「文
化的他者」を見るというプロセスでは、映像は西洋社会で大きな役割を果たしている。
複製技術によって直接出会えない文化的他者が、町の映画館、そして戦後はテレビ放
送で私たちの家にまで来ている。.

しかし映像が見せるのは、現実世界の一面にしかすぎないし、演出・撮影・編集など
の映画製作段階でこの現実を変えていくことができる。『極北のナヌーク』のストー
リーを、フラハティーが部分的に演出し、西洋人の好みと感覚に近寄せていることは
知られている。例えばイヌイットたちは当時すでに狩りに銃を使っていたが、より真
正に見せるため、フラハティーは槍を持たした。フラハティーの作ったナヌーク像が
今でも深く西洋社会の記憶に刻み込まれていることを、2002年のドキュメンタで痛感
した。

ドイツのカッセル市で開かれるドキュメンタリーは世界の有数のアートショーだ。
第11回ドキュメンタ(Documenta)のキューレーターのエンヴェゾルはポストコロニ
アル且つグローバルの世界をモットーにし、元植民地、または西洋社会の視点からは
辺境とされる場所からアーティストを数多く招いた。中にイグルリク・イスマ・プロ
ダクションと言う、イヌイットのメディアプロダクション会社が製作したテレビシリ
ーズ『Nunavut(私たちの国)』が紹介された。各30分の13のエピソードから成り立
っているこのシリーズでは、狩り、イグルー建築などイヌイットの伝統文化を演出し、
演出すると同時に登場人物たちは失われつつある伝統的生活法を学び、再現・再発見
する。テレビシリーズはフィクションでありながら、伝統文化を取り戻す過程の記録
でもある。しかしこのテレビシリーズをドキュメンタで見た多くの人々は、映像が演
出されたものだということに気付かなかった。登場人物の服装、行動が彼らの日常の
姿だと解釈した。イヌイットが私たちと同じようにカメラを廻し、槍でアザラシ狩り
に行くよりはスーパーで買い物をすまし、この映像シリーズが彼らの物語性の表しで
あることは、なかなか伝わらなかった。イヌイット=イグルーに住む狩人といったイ
メージは未だに根強い。

しかしこれは現在生きている先住民にとっては困ったことだ。いつまでも槍でアザラ
シを狩る者としか見られないとしたら、彼らの21世紀の姿がそのイメージに消されて
しまうようなものだ。そして彼らにとって重要な土地、環境問題について国際社会で
交渉する時、対等な相手として見てもらえないことにもつながる。知り合いのカナダ
先住民の人が言った:「我々をインディアンとか、先住民とか、ネイティブなどと呼
ぶうちは人間として見ていない。それは西洋人の都合のいい見方だ。私たちが西洋人
が思い浮かべるインディアンでなくなった時に初めて対等な話し合いができる。」先
住民たちが映像が生んだ文化的他者である限り、それは現実を見ないことであり、相
手を理解するより誤解することである。

●ドイツのトルコ人移民

2004年のベルリン国際映画祭でファティ・アキン監督作品『Gegen die Wand(壁に向
って)』が最優秀映画に選ばれ、金熊賞が贈られた。この映画の主人公はドイツで育
った二世の若いトルコ人女性であり、彼女が恋愛、結婚、親子関係と女性であること
に向かい合っていく過程を描く。ハンブルグとイスタンブールが舞台となり、主役た
ちは監督と同様にトルコ人移民であり、フィクションであるが、映画の中で描かれる
世界を良く知っている。このような映画がドイツ映画としてたたえられることは、ド
イツが移民社会だという認識があり、特にトルコ人移民の現実を受け止め、そういう
意味で金熊賞を贈るという映画祭の選考委員会の決定は、きわめて政治的な意味もあ
る。

ドイツはイギリス、オランダ、フランスなどとは違って帝国時代から植民地が少なく、
戦争ですべてを失い、よって旧植民地からの移民はほぼいない。ドイツの現代社会の
移民とその子孫たちの歴史は戦後になって始まる。.
西ドイツでは第二次大戦後、経済発展のため多くの外国人労働者を招き、彼らの労働
力もあって西ドイツの「奇跡的経済復興」が成功した。労働者の大半は南ヨーロッパ
諸国(イタリア、スペイン、ユーゴスラビア、ギリシャなど)、そしてトルコから来
た。もともと「ガストアルバイター」(外国人出稼ぎ労働者、逐語訳は客人労働者)
として来独した彼らは、それぞれの故郷に帰ることなく、家族を呼び寄せドイツに残
った。.

私の住むベルリン市クロイツベルク地区は「リトル・イスタンブール」と呼ばれるほ
ど多くのトルコ移民家族が住んでいる。トルコから輸入された商品が並ぶスーパーや、
八百屋、魚屋、そして数多いレストランと軽食店はあちこちにある。週二回運河の岸
辺で開くマーケットにはやはりトルコ人の八百屋や、トルコ産のオリーブと羊のチー
ズを売る出店が並び、トルコ女性が家族のために大量に食料品を買い込む姿が見られ
る。薬局や携帯電話の専門店でもトルコ人の店員が多く、彼らはドイツ語とトルコ語
で客に対応する。産婦人科にはトルコ人の医療秘書がいることもあり、ドイツ語が片
言しか話せないトルコ人女性も安心して検査や相談を受けることができる。.
毎週金曜日の礼拝の後、普通の住宅にあるモスクからたくさんのトルコ人男性が出て
きて歩道で会話をしている。またある女性センターにはトルコ風呂があり、マッサー
ジとリラックスの場として人気が高い。自動車機械工として工房を持ち、弁護士、医
者、実業家として成功したトルコ人も多く、今では彼らは雇用者としてドイツ人に勤
め口を与え、ドイツの国民総生産高に大きく尽力している。そんなクロイツベルク地
区には中近東出身のアラブ文化圏の移民、アフリカ大陸の諸国からの黒人コミュニテ
ィー、ヨーロッパはもちろんその他多くの移民たちが混じり、ドイツ人たちと共存し
ている。.

見た目にぎやかで平和だが、もちろん問題がないわけではない。労働者として来たト
ルコ人の大半は教育に乏しい田舎の出で、多くの移民の子供達はドイツ語を充分に話
すことができず、それは学校教育で大きな問題である。移民が多い学校やクラスでは
学習レベルが低くなり、階級制度的な構造が残っているドイツの教育制度で成績の悪
い二世、三世の若者は職業訓練先や仕事を見付けるのは困難だ。移民の中にはドイツ
人との接触がほとんどなく、いわゆる「並行社会」に暮らす人も少なくない。特に女
性は結婚して、ドイツで働く夫の所に移り、家族、親戚、自分のコミュニティー以外、
外部と関係を持たないことが実際多くある。二世はよく自分たちの文化的ルーツと自
分たちが暮らすドイツ社会の狭間に置かれ、矛盾する価値観や生活習慣を自分のアイ
デンティティーの中でどうにか統合しようとする。これは視野が広がるチャンスでも
あるが、本人たちにとってなかなか解決できない困難な問題であったりもする。.

現在の「外国人統合問題」の議論では、移民たちはこの社会で暮らすにはドイツ語を
学ばなければならない、と盛んに言われる。もっとものことだが、何故今になって騒
ぐのだろうと思う。移民の中には二ヶ国語≪両カ国語≫を中途半端にしか話せない者
もいれば、ドイツ語が片言の人、ドイツ語しか喋れない人、または二ヶ国語を完璧に
話す人と、あらゆるバリエーションがある。ちゃんとドイツ語が喋れないと、「ドイ
ツに住んでいるのに」と指図される。逆にドイツ語を普通に喋ると今度は「(外国人
なのに)ドイツ語が上手だね」と珍しがられることがよくある。ここにはつまり「移
民はドイツ語が下手で喋れない」というイメージがあり、それに当てはまろうが、外
れようが、とにかく「他者」と言うレッテルを貼られる。しかし移民たちはドイツ社
会の一部である。そしてドイツ社会が移民たちの様々な現実を、他者のものではなく
自分のものとして受け入れる態勢にゆっくり変わりつつある象徴として『Gegen die
Wand』の成功を理解したい。

映画の中に次のようなエピソードがある。ハンブルグからイスタンブールに来たヒー
ローは、ホテルに行くためタクシーに乗る。不器用なトルコ語で運転手に行き先を伝
える。客がハンブルグから来たと知った運転手は、急にドイツ語で自分はミュンヘン
出身だと話し、よろこぶ。イスタンブールのタクシーの中でドイツ語をしゃべってホ
ッとする「ガストアルバイター」の子孫たちは、とうにドイツ社会にたどり着いてい
る。

●ドイツのアイデンティティーを見直す映画.

こんな移民社会を持ったドイツでは、ここ数年歴史の見直しと新たな自己像が形成さ
れつつある。ドイツは冷戦が終わり、統一したヨーロッパで再度中心的な役割を持つ。
今まで第二次世界大戦の侵略者であり、ホロコーストと言う大きな犯罪の影を抱えて
きたドイツの戦後社会はナショナリズムと愛国主義に対して非常に敏感で慎重に議論
してきた。ドイツ人であることに誇りを持つことは批判的に見られ、必ず問題視する、
されることでもあった。それが変わりつつある。終戦間際の英国・米軍の大空襲によ
るドイツ都市の破壊について本を発表し、ドイツを加害者ではなく被害者の視点から
見直す歴史家たちがいくつかの本を発表し、大きな議論を巻き起こした。同時にポー
ランド・チェコ政府などに対して賠償金を請求するドイツ人難民も世間で話題になっ
ている。

二十世紀の歴史の見直しは映画でも反映されている。2003年にゼーンケ・ヴォルトマ
ン監督の『Das Wunder von Bern(ベルンの奇跡)』がリリースされた。映画は1954
年スイス・ベルンで開催されたサッカー世界選手権でドイツが戦後初めて優勝したこ
とを物語っている。戦争敗者であるドイツにとって新たな自信を持った瞬間と言われ
る出来事だった。続いて今年九月にオリバー・ヒルシュビーゲル監督、ベルント・ア
イヒンガー製作の『Der Untergang(崩壊)』がトロント国際映画祭でプレミア後、
ドイツで大きくヒットし、話題になった。物語は第2次世界大戦終結が近い1945年4月
20日のヒトラー54歳の誕生日に始まり、同月30日の彼の自殺で第三帝国が崩壊する約
10日間を描く。ヒトラーとその側近が身を潜める総統官邸の地下壕が舞台となってい
て、ヒトラーを主人公にした映画はドイツでは初めてだ。ヒトラー役はヴィム・ヴェ
ンダース映画『ベルリン・天使の詩』でおなじみのブルーノ・ガンツが演じた。初め
て悪の象徴ではなく人間として描かれるヒトラーのインパクト、ガンツの演技力に感
動、という反応から、歴史観を歪める、ホロコーストをまるでテーマにしないで一方
的だ、そして極右・ナショナリズムの台頭の兆しと言う声もあった。両映画ともフィ
クションだが、実際の出来事を基盤としている。そしてナショナリズムまでは行かな
くても確かに新たな国民アイデンティティーが形成されつつあるように見える。

特に『Der Untergang』は歴史的事実を厳密に復元したと自称する。歴史家ヨアヒ
ム・フェストの第三帝国の崩壊を描くエッセイと、ヒトラーの秘書だったトラウド
ル・ユンゲの記録が脚本の原作として使われた。現実的に出来事を再現しているぶん
真実に近いと言う論証だ。しかし映画が事実をその通りに語ることはない。むしろ映
画とは、現実に対する姿勢を表す。映像は歴史、記憶、文化、社会を創作することが
できるし、訂正し、書き直すこともできる。映像を作る側も見る側もこうしてアイデ
ンティティーを構成するプロセスに参加する。これは映像の魅力と同時に危険でもあ
る。

●他者は誰?

今年10月にドキュメンタリー映画の撮影でハレ・ノイシュタット市に行った。ハレは
中世からの古い都市である。ノイシュタットとは新市街を意味するが、このハレ・ノ
イシュタットは、当時東ドイツ領域にあったハレ市の拡張として1960年代に造られた
町だ。ハレの周辺は化学工業地帯で、多くの化学工業労働者たちとその家族たちの住
まいとしてハレ・ノイシュタット市が生まれた。パネル工法の鉄筋コンクリートプレ
ハブ住宅が並ぶ団地は、東欧の社会主義の典型的な建築だ。町の真ん中を大通りが突
き抜け、左右に6階建てから20階建ての住居ブロックがつぎつぎと並ぶ。ブロックと
ブロックの間には芝生などの緑地があり、広い空間の中に住宅ブロックはコンクリー
トでできた巨人たちのように立っている。ハレ・ノイシュタットの住居は出来た当時
電力供給、給湯、ヒーティング付きで、社会主義の豊かさと成功の象徴として人気が
高かった。統一後ほとんどの工場が閉鎖になり、たくさんの人々が職を失い、職を求
めて他の町へ引っ越していくか、早めの年金生活を始めるか、あるいは国の生活保護
を受けるかのケースが多い。.

そんな住宅ブロックのひとつに住む人たちのポートレートを撮ると言う友人の映画企
画に参加した。彼女の選んだブロックは、ちょっと変わっていた。人口減少のため空
きが多い周辺のブロックと違ってほとんどのアパートは賃貸されている。何故ならば
住人の大半が年金生活者、生活保護受給者、そして政治亡命申請者であるからだ。住
居ブロックの持ち主は統一後状態の悪かった建物を修復し、新しい住人として生活保
護受給者と政治亡命申請者を入れた。彼らの場合、社会福祉局と外国人局を通して国
が生活費を出しているため、毎月家賃が払われる保証があるようなものだ。住宅の改
善としてエレベーターを入れ、安全のため玄関にカメラを設置し、住人たちが気軽に
相談できるように管理人のオフィスブースを玄関のすぐそばに建てた。一つのアパー
トは、「クラブルーム」と名付けられ、住人たちが誕生会や結婚式などの行事の会場
として利用できるようになっている。そのアパートに私たちは転がり込み、住んだ。.

社会主義時代、東ドイツには外国人が少なかった。西ドイツの住民と違って自由に旅
もできなかったので、多文化との触れ合いは限られていた。壁の崩壊から15年が経っ
た。現状がどんなものか、興味深かった。

振り返って考えてみると、撮影はおもしろい状況だった。それは撮影する私たち二人
から始まった。友人のリタはハンガリー人で、12才の時に父親の仕事の関係で西ドイ
ツに移住した。社会主義と資本主義の両システムを経験している彼女は、子供時代を
ハレ・ノイシュタットにそっくりなハンガリーの町で過ごし、鉄筋コンクリートプレ
ハブ住宅の団地に懐かしさを感じる。私は日本人を両親に西ベルリンに生まれ、地理
的にも政治的にも特別地帯だった島国のような町で子供時代を過ごし、私の中では鉄
筋コンクリートプレハブ住宅の団地は東ドイツのイメージを代表するものであり、ぎ
こちなさと物珍しさを感じる。文化的背景が違ってもドイツでの移民体験を共通する
私たちは、「懐かしい異境」に来たわけであった。

そこではまず住宅ブロックの持ち主に出会った。彼は西ドイツから来た不動産業者だ。
統一後手早い金儲けのため群のように西ドイツ人の実業家が東ドイツに入ってきてま
た去っていったが、彼は残り、この住宅ブロックと他いくつかの物件を維持している。
住人に愛着があるらしく、個人的な悩みの聞き手になることもある。考えてみれば、
彼も移住者である。同じドイツと言っても40年間東西に別れていた。社会体制はこの
二つの国で大きく異なり、それは人々の生活習慣と姿勢に反映した。統一したと言っ
てもまだまだ西と東では差がある。

管理人をはじめ、昔からハレ・ノイシュタットに住んでいる住人たちに会った。この
町が東ドイツの自慢だった頃から現在の社会的問題を抱える地域に変化する過程を彼
らは生きてきている。ノスタルジックな声もあれば、今は楽ではないけれど昔には戻
りたくないと言う人もいる。いわば彼らがハレ・ノイシュタットの「先住民」だ。統
一と言うが、ドイツ民主共和国は壁の崩壊後事実上ドイツ連邦共和国に飲み込まれた。
彼らは同じ場所に残っても、新しい生活環境に投げ込まれた。この住宅ブロックに住
んでいる外国人との関係はどうかと言う質問に、挨拶はするがそれ以上のつき合いは
ない、平穏ならばいてもかまわない、と言う。彼らがどの国から来ていて、どんな背
景を持っているかを、ほとんどの人は知らない。たまに玄関際や管理人のオフィスブ
ースで会話をすることもあるが、たいてい「外国人」と言う認識で終わる。.

政治亡命申請者としてこの住宅ブロックに住んでいる人々は、様々な地域から来てい
る。イラク、クルディスタン、スーダン、パレスチナ、コソボなど、紛争地から来る
人がほとんどだ。ドイツは戦後ナチ政権への反省として亡命権を導入した。政治亡命
者はドイツに到着後滞在許可を申請することができる。この手続きは通常長い時間が
かかる。ここに住む政治亡命申請者たちは皆滞在許可を待っている。故国で政府に反
対したため拷問にかけられたり、少数民族として抑圧されたり、戦争を逃れてきたり、
亡命の理由は様々だ。彼らの人生の話しを聞くと、同じ建物の住人なのに、こんなに
も世界がちがうんだと実感する。.

撮影時、好奇心と慎重さが空気を漂った。東ドイツの「先住民」からしてみると、ド
イツ語がぺらぺらの移民女性二人が彼らの生活を見に来ている。一人は明らかに外国
人だが、同じ住宅ブロックに住む外国人たちとはどうも違う。もう一人は見かけでは
わからないがやはり移民で、ところが社会主義時代の生活経験を自分たちと共有して
いる。政治亡命者にしてみても、まさか移民の二人にインタビューされるとは、不思
議そうな顔をする。同じく外国人であるからどこか共感を感じるが、どうもドイツ社
会になじんでいる。撮影する私たちとしては、東ドイツ人にも、外国人にも同時に共
感と違和感を覚える。普段の「ドイツ人」、「外国人」、「移民」といったイメージ
がどうもこの状況についてこれない。微妙に立場がズレている。全員が不慣れな状況
に置かれた中、「文化的他者は誰?」といった質問にはっきりした答えはない。「他
者」は見る私たちと彼らであり、見られる彼らと私たちである。そしてそこにはお互
い共有する現実と、お互いの知らない現実がある。それに気付かせてくれた撮影体験
はそれだけで貴重だ。.

映像の編集はこれからだが、私たちが撮影時分け合った現実の多様性と、近いようで
遠い、遠いようで近いといった感覚が、ニュアンスとして出ればと願う。あるイメー
ジを決めつけるとか、現実はこうだと宣言するよりは、イメージも現実も問われ、変
わることのできる余裕を持った社会に協力したい。「文化間の闘争」より、誤解があ
っても理解しようとする雰囲気を望む。

追伸:『Gegen die Wand(壁に向って)』が12月11日バルセロナで最優秀ヨーロッ
パ映画賞を授かった。6月にドイツ最優秀映画賞も贈られた。移民の現実がスクリー
ンの上だけではなく、日常でもより見つめられることを願う。


■梶村 昌世(かじむら・まさよ)
1976年ベルリン生まれ。東ドイツに囲まれた「西ベルリン島」に育ち、壁の崩壊後旧
東ベルリンのフンボルト大学で文化学・美術史修士取得。学生時代カナダの先住民コ
ミュニティーに数回滞在、その経験をもとに映像作品を製作。現在故郷ベルリンをテ
ーマにした映像企画を実施中。来年の秋東京の画廊でベルリン在住の若い映像・ビデ
オアーティストのグループ展も準備中です、見に来てください。



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┃04┃□列島通信 ≪埼玉発≫
┃ ┃■埼玉映像事情と私(3)
┃ ┃■村上 賢司
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埼玉とはまったく関係ない話から。今月の12日にドイツで開催されたシネアジア映画
祭に自作の『夏に生れる』(1998)と『川口で生きろよ!』(2003)が上映された。
ホントならここで、その上映の様子を報告したいのだが、残念ながら参加できず、自
宅で映画祭の公式サイト
( http://www.cineasia-filmfestival.de/news_04.html )
を開くのみであった。映画祭の雰囲気を感じようと思い、丹念にサイトを見ていて驚
いた。作品のラインナップが凄いのだ。上映されるのはすべて日本作品であり、映画
を通して今の日本文化を知ることに重点がおかれているからか、そのバラエティーの
豊富さは特筆すべきほどだ。

『CASSHERN(キャシャーン)』(監督・紀里谷和明)、『木更津キャッツアイ 日本
シリーズ』(監督・金子文紀 )、『Cutie Honey キューティーハニー 』(監督・
庵野秀明)などの話題作。三池崇史(『IZO』、『ゼブラーマン』)や本田隆一
(『ずべ公同級生 』、『プッシーキャット大作戦 』)などの異才監督作品。そして
私の作品や『妹の手料理』(監督・熊切和嘉 )などのデジタルビデオ作品が、全部
で18作品上映された。『スチームボーイ』(監督・大友克洋)などのアニメ作品の上
映もあり、エンタテインメント系のポップな作品を意識的にセレクトしたのだろう、
かなり間口の広い映画祭となっていた。

そんな中、抜群の注目作が松江哲明監督作の『Identity』だった。以前、このメルマ
ガでも監督本人が解説していたが、この作品はアダルトビデオ作品。しかも、かなり
の時間を男女のハードコアセックスに費やされている。その分量はピンク映画の比で
はない。明らかにこの作品の第一の目的は「男性購入者を自慰させること」である。
しかし、それだけではない‘要素’があったからこそ、この作品が海を越えたのだ。
それは、これも以前、監督本人が語っているので詳しいことは割愛するが、監督を含
めて‘在日’である出演者が自分自身のアイデンティティについて探究するという、
この作品の‘テーマ’と、そして、そんな社会的なテーマをそれがもっとも必要とさ
れていないはずのアダルトビデオ作品において成立できた‘事実’であると思う。

それらが結局「なんでもあり」な日本文化の面白さを象徴していて、だからこそ今回
の映画祭にセレクトされたのだろう。とは言ってもやはりアダルトビデオ作品が映画
祭で一般公開されることは、かなり特異な出来事。もしドイツで上映に立ち会った方
がいたらぜひ、このメルマガに投稿して頂きたい。実は私も『Identity』には主に8
ミリフィルムの撮影として参加している。スタッフの一人としてどんな反応が起きて
いたのか大変気になるのだ。

さて、そんな映画祭で自作が上映されていた日、私は東京・神田のneoneo座で「科学
映画」を堪能していた。映像作家である清水浩之氏他、数人のメンバーが科学映画特
捜隊(略称・科特隊)と名乗り、「科学×映画=極上のエンタテインメント!」と宣
言して、興味深い科学映画を発掘、上映する試みの第二回目だったのだ。実は私も科
特隊のメンバーの一人だが、仕事にかまけてほとんど参加していない‘幽霊隊員’で、
前回も後述するテレビドラマの仕上げが重なり、会場には行けなかった。今回こそは
と勇んで会場に入ったらすでに超満員。外は底冷えのする寒さであったが、熱気がム
ンムンしていた。今回は「冬を科学映画する」として‘霜’や‘雪’などに関する作
品が5本上映された。それぞれの詳しい情報はneoneo座の公式サイト
( http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html )にある
ので割愛するが、ガラス面に出来る霜の模様や拡大された雪の結晶の美しさにため息
が出た。また作品から醸し出る‘昭和’のノスタルジックな香りも大いに楽しんだ。

今回の上映の成功はもともと教育的な意味合いの強い科学映画を娯楽作品として楽し
もうという提案に多くの人が賛同したからだろう。子供用玩具だったブリキのおもち
ゃがアート作品として鑑賞されているように、科学映画も価値観の転換が可能な面白
いメディアかもしれない。もっと若者層に届くような宣伝活動をしたら、カフェやフ
ィギアのような新しいサブカルチャーのひとつになれると思うのだ。幽霊隊員もほん
の少しだけ蘇り、お手伝いしたいと考えている。

上映会場を後にして、自宅でこの原稿を書きながら私は横目であるテレビ番組を見て
いた。関東ではテレビ東京で毎週日曜日深夜1時から放映されている『怪奇大家族』
という番組だ。全13話で構成されている30分のテレビドラマで、題名からお分かりの
通り‘ホラー’と‘コメディ’がミックスされたホームドラマである。この日は
『THE GRUDGE (邦題『THE JUON/呪怨』)で今秋全米デビューした清水崇監督が演出し
ていた。他には『地獄甲子園』の山口雄大監督、『劇場版・新耳袋』の豊島圭介監督、
そして実は私も演出に参加している。そんな同世代4人の映画監督が企画から参加し
た番組なのだ。詳しい内容は番組のホームページ
( http://www.tv-tokyo.co.jp/kaiki/ )を見て頂ければお分かりになれると思うの
で割愛するが、ここでこの番組を紹介したのは当然、番組宣伝の意味合いもあるが、
今、映画監督と呼ばれる人々が演出するテレビ作品が多くなってきていて、その現象
について書き記したかったからだ。『怪奇大家族』の他にも地上波の深夜、またBS、
CSの放送局で現在、多くの映画監督達が主にドラマの演出をしている。現に『怪奇大
家族』の後に私が演出したBS-iのテレビシリーズ『新耳袋』には映画美学校出身の安
里麻里監督も参加していた。

この現象はプログラムピクチャーの後釜であったVシネマ、オリジナルビデオの勢い
が低下したことと、現在、ビデオ撮影の映画作品が多く、テレビの撮影現場との差異
がほとんど無くなったことに由来するだろう。仕事にもなり、またいろいろ実験でき
る‘場’でもあるテレビの世界はかなり面白い。しかし時々「映画監督」ってなに?
と考えてしまうのだ。結局「なんでもあり」の日本だから悩んでもしょうがないのだ
が…。


■村上 賢司(むらかみ・けんじ)
最後に埼玉の情報をひとつ。先日「半額キャンペーン」の言葉につられて川口市にあ
る大手ビデオレンタルチェーン店に行った。そこのドキュメンタリーコーナーに『ヴ
ァンダの部屋』(監督・ペドロ・コスタ)や土本典昭監督作品が並べられていて、か
なり驚いた。これらの作品がレンタル料200円で自宅で簡単に鑑賞できるのはかなり
嬉しい。4月からやっているブログ( http://d.hatena.ne.jp/MURAKEN/ )はまだ持
続中。
ぜひ遊びに来てください!



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┃05┃□neoneo坐通信(12)
┃ ┃■12月の上映とイベント
┃ ┃■伏屋 博雄
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12月12日に行なった「冬を科学映画する!」上映は大成功だったようだ。私は残念な
がら風邪で欠席したが、当日の様子は下記に科特隊のシミズ・ヒロユキさんが書いて
いるし、岡田秀則さんの個人サイト「アトリエ・マニューク」
( http://users.ejnet.ne.jp/~manuke/ )の日記(12月12日の項)にも記録されて
いるので、読んで頂きたい。

さて、今月はもう1回、12月25日(土)に3回目となる小川作品の上映がある。
『日本解放戦線 三里塚』は、小川紳介が晩年においても、再編集をしたいと漏らし
ていた作品で、何が彼をそこまで固執させていたのか、とくとご覧になって頂きたい。
この作品を契機に風土への関心が高まり、小川の三里塚を見る眼が深まったように思
う。

『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』は、1960年後半からアメリカやフランスで旋風
を巻き起こしたニューズリールやシネトラクトの運動とも呼応する作品。闘争の現場
からいち早く各地の運動にダイレクトに結ぶことを意図した作品で、『日本解放戦線
 三里塚』ともども、小川および小川プロを知る上で、欠かせない作品だと言える。

上映後のトークが終わればneoneo坐の忘年会に突入します。

●「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」(第3弾)
12月25日(土)
program1 (14:00〜16:21)
『日本解放戦線 三里塚』(1970年/16ミリ/カラー/141分)
製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:田村正毅
通称『三里塚の冬』。脱落者が出る中で、空港反対派農民に徐々におとずれる疑問・
空虚感。官憲との衝突を繰り返しながらも、闘いは自己自身への内面へと向けられて
いく。

program2 (16:40〜17:30)
『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』(1970年/16ミリ/白黒/50分)
製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:田村正毅
自ら糞尿弾と化して測量を阻止しようとする農民たち。キャメラは文字通り彼らに徹
底的に伴奏する。闘争が激化し、緊急に撮影・編集・上映されたシネ・トラクト。
他に、関連作品として1本を特別上映を予定しています。

※18:20〜19:00 トーク
   ゲスト:本田孝義(『科学者として』『ニュータウン物語』監督)
   参加費:2000円(飲み物+大皿料理つき)
 19:20〜 neoneo坐・忘年会
     忘年会はどなたでも参加できます。ご希望の方は上記の料金で
     お願いします。

映画料金:当日―1プログラム 1,500円 / 通し券(1日券):2,500円
一般会員―1プログラム 1,200円 / 通し券(1日券):2,200円
(会員には入会金2,000円で当日加入できます。1年間有効)
賛助会員(20,000円)は1年間無料

☆neoneo坐のサイト:
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 


●科学映画特捜隊・御来場御礼短信
「満員で映画を観る(しかも科学映画)」という体験は貴重です!
シミズ・ヒロユキ/科特隊No.002

12月12日(日)のneoneo坐vol.9「科学映画特捜隊/冬を科学映画する!」にご来場の
お客様は合計62名!「定員30名」とうたっている会場によくぞここまで集まってくだ
さいました。あらためて御礼申し上げますとともに、窮屈な環境でご鑑賞いただいた
ことを申し訳なく思っております。「入場制限をしてはどうか?」というお言葉もい
ただきましたが、せっかくの機会ということで遠方からわざわざお越しくださったお
客様をお断りするのは心苦しく、一方で「満員で映画を観る(しかも科学映画)」と
いう体験はかなり貴重なことではないかと思いましたので、あえて制限はせずにご覧
いただきました。上映後のトーク、ゲストの小口禎三さん(元・岩波映画製作所会長)
が客席に向かって『皆さん本当に面白かったですか?どこが面白かったですか?』と
“逆取材”されていたのが印象的でしたし、それに答える客席もベテランの映画作家
さんから若手ドキュメンタリスト、映画と科学の両分野の研究者、当日一番乗りして
くださったお母さんと娘さんの二人連れ…とまさに超豪華メンバー。そのまま標本に
したいぐらい貴重な状況だと思いました。.

科学映画の上映会を開く理由は、集まってくださったお客様から新しい情報をいただ
くことにもあります。「どんな作品が見たいか」というリクエスト、「私はこんな作
品を知っている」という目撃情報、さらには「あのフィルムを持っている」というあ
りがたい情報が飛びこんできたり「こんな研究があるけれど映画化できないか?」と
いう話が盛り上がったり…こうした情報が集まるのも「上映会効果」ではないかと思
います。科学映画特捜隊、次回は来年春に向けて出動準備に入ります。今後とも宜し
くお願い申し上げます。



   ※27-2号へ



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