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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.26 2004.12.1

2004/12/01


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      対極のドキュメンタリー
         ―小川紳介と土本典昭(8)  大津 幸四郎
 †02 自作を解剖する
      『朋あり。〜太鼓奏者 林英哲〜』  伊勢 真一
 †03 ワールドワイドNOW ≪ソウル発≫
      韓国で本格的にデジタル映画時代が到来した チョン・スワン
 †04 ドキュメンタリー時評
      等身大の世界の映画の祭典―第5回東京フィルメックス報告
      水原 文人
 †05 neoneo坐通信(11)2大企画
      12月12日:科学映画特捜隊(2)「冬を科学映画する!」
             『霜の花』『北方の霧』『たのしい科学 雪の結晶』
             『SNOW CRYSTALS(雪の結晶・英語版)』
             『科学するこころ 中谷宇吉郎の世界』
      12月25日:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」(第3弾)
             『日本解放戦線 三里塚』『三里塚・第三次強制測量
                阻止闘争』
      12月3日にneoneo坐の企画会議を開催します
 †06 広場
     投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(15)
         再度、日系キューバ移民を撮る意味を問う 波多野 哲朗
     投稿屋台『クチコミ来来軒!』(3)
           山辺 野人・清水 浩之・しまだ ゆきやす
      投稿:レビューリレー(2)
          『圧殺の森』を見て 富永 淳市
 †07 編集後記  伏屋 博雄


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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■対極のドキュメンタリー ―小川紳介と土本典昭(8)
┃ ┃■大津 幸四郎
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●カメラをどこに置くか

Q:『圧殺の森』の中では学生達とカメラの位置が非常に近いが、彼らとの間に信頼
関係のようなものがあったのですか?或いはカメラが彼らに影響を与えたことはあっ
たのですか?

大津:最初の質問については、画を見てもらえば分かって頂けると思いますけど、カ
メラを向けられて照れているのか、上気しているのか、ある恥じらいをもちながら終
始人なつこい笑みを浮かべている藤田君なんか、非常にやさしい顔をした人ですけど、
彼なんかまだ19歳ですよね。少年なんです。自分が指名手配された時の新聞記事を読
みながら、「少年Aって、俺のことなんだよね」などと照れ笑いしているが、マスコ
ミでは通常匿名で、顔写真の掲載などはしてはならない少年に属しているのです。映
画の中では23、4歳に見えるけれど、ほんとにまだ10代の若者です。

普通だったら顔がわからないロングで撮るか、顔が判らない工夫をするとか、すぐ目
の前にカメラを据えて撮るなんて御法度なんですね。カメラがいつも目の前に、同じ
テーブルを囲んで存在している。カメラを向けられたことから来る、ある恥じらいと
いうか照れみたいなものがありましたが、そのうちに、カメラの存在も気にしなくな
り、カメラが居ることで議論が変わるというようなこともないし、ほとんどカメラを
気にしなくなってしまいました。ただこちらも大げさに構えて撮ってはいません。自
然体で撮っていたのです。ソファーの端の方かにちょこんと坐って。.

三脚を使えば画は安定することは判っているのだけど、同じテーブルを囲んでそこに
カメラが居て、話の進み具合を聞いている。やばい話が出て来るかもしれません。作
り手に都合のいいことだけを摘み食いしながら撮るのではなく、彼らとカメラの間に
流れる時間を共有しながら撮っていけるかどうか、そういう関係を作れるかどうかと
いうところに時間をかける。その辺は小川さんがずっと意識して、信頼関係、濃密な
関係性を築き上げてきたわけですが、カメラがいることをほとんど意識しない、勿論
意識はするでしょうが、いることが当たり前とごく自然に意識されるようになってき
たのです。.

それと、学生たちに特に訊いたわけではないが、一点、我々スタッフが感じていたこ
となんですが、撮って良かったかどうか、ということです。はっきり言って。撮られ
ることで、彼らは抜き差しならない所に追い込まれてしまったのではないか、抜ける
に抜けられなくなってしまったかもしれないということ。カメラの存在を意識するこ
とで、理性的存在の方に、意識的存在の方に傾斜していったかもしれない。人間とし
て状況と真正面に向き合った。そして自分と闘ったと、スタッフの一人として解釈し
たいのですが。また、あの作品を見ることで、人生をある方向に決定的にさせてしま
ったという人達もいるかもしれません。そういう意味では、あるわだかまり、ある忸
怩たる思いというものがあります。はっきり言ってね。でも、今考えていくと、状況
にただ耐えるというんじゃなくて、自らの方向を自己が選択していったのだ、それだ
けの自由さをやはり彼らは持っていたのだと思いたいですね。

●存在を認識するカット

Q:カットの長さと繋ぎの意味について、もう少し詳しく知りたいのですが。

大津:カットを繋ぐということはカットと呼吸することだと思う。カットの息の深さ
を再呼吸することです。そのことでカットの深みが見えてくるでしょう。最近の映画
は物凄く短くカットを積み重ねていくという傾向が一方にあります。そのカットの示
すものが分からなくなってしまうほど短く切り込んでしまう。カットの存在そのもの
が見えなくなってしまう。つまりね、カットを瞬間的に認知することはでき、感じる
ことはできても、存在と意味をきちっと認識することができない位、短く切り刻まれ
てしまう。フィルムの繋ぎが音楽的リズム、テンポになってしまい、1カットは楽譜
のオタマジャクシの1個となってしまう。それほどリズムだけを重視し、カットカッ
トの意味を霧散させてしまう。音楽はモノフォニィでなくポリフォニィの音の存在と
ぶつかり合いを前提にしているが、音の持つ音色の味がその底に流れている。そのよ
うに各々のカットのもつ味や色あいをどうすくい上げ、カットが示す内容味を明らか
確に指し示す必要があると思います。カットの味を味わう、そんな余裕がでる編集が
期待されます。

土本さんの編集は、カットを繋いでいっても、1カット1カットの長さというのは、そ
れを認知するだけの余裕があるカットの長さに充分なっていると思うんです。そうい
う意味では1カット1カットの内容が見えてくる長さじゃないかなと思いますね。逆に
小川さんは、例えば特に後半の作品の中に、10分間からそれ以上撮りっぱなしで、あ
まり作為を見せずにポーンと放り出してくる。そうすると、見ている方では、ただぼ
んやりと見せられるという事ではなくって、自分が今度はスクリーンと対峙しながら
考えさせられていくということですね、自分なりの考え方を挑発されていくという、
それだけの時間が出て来ている。色々なことを考えながらスクリーンと対話しながら
見ることになってしまう。見る方もひどく疲れてきたり、うまくそのカットと呼吸が
出来なくなったりすると、ひどく退屈したり、その長さが苦痛になったり、果ては眠
ってしまったり。キャメラマンにとっては当然、まあ僕なんかもかなり長い、長く長
くというふうに撮っているわけですけど、当然、撮ったものがちゃんと見える、感じ
られるような長さにして欲しい、そういう欲望があるわけですよね。

Q:『圧殺の森』で、最後に字幕を延々と入れた事の狙いは?

大津:そうですね。最後に延々と字幕が出る、あの字幕というのは、我々のカメラが
入った時限から編集が終わった時限まで一体何が起こったのか、どこかでは非常に感
動的な字幕になっていると思います。事件性のある字幕だったと思うんですよね。学
生会館に篭った仲間たちに何が起こったか、彼らはその後どうなったか。そして、最
後に1人ずつの名前が出てくる。あの人たちの存在はどうなってしまったのか。学生
会館に閉じ込められてしまった人たち―あの人たちは運動体、共同体を希求しながら
も、それが未だ見えてこないその過程で離脱してしまったり、懐疑したり、そのため
に悩んだりしたのだろうと思います。そのことを何とかして表現したいという気持ち
がありました。当然そこに登場する人たちは、シンパサイザーも含めて離脱していく
人たちも含めて、我々はあの場に、あの時に生きた人々に興味があったわけです。彼
らはどのように生きたのだろうか、そしてどうなってしまったのだろうか、そんなこ
とを表現したかったのです。それは闘いの記録でもあったわけです。とても息の長い
闘いを現していると思います。.

今見ると、運動を離れようとしたり、実際離れていってしまった人たちを仲間内で糾
弾していないというのが、『圧殺の森』の救いだったと思うんですよね。お互いに離
脱する事情も、その苦悩も分り過ぎる程分っている。運動内に残るのが奇跡かもしれ
ない、そんな思いもしれます。皆さんも知っていると思いますけど、その後運動の内
部で悲惨な事件が次々と起こっていきます。そのことによって、新左翼の運動のはつ
いに没落していく…下火になって、今に至るまでその傷はずっと連なっているわけで
す。その中で、闘うということを第一義的に置く、自分の状況と闘うということに一
生懸命になる余り、すごい運動エゴイズムにおち入り、次々と他人を傷つけていく、
非人間的に糾弾していく。まあ今こうやって見ていくと、彼らもかなりやりあってい
ますけどもね。でも、離れていくのが当然かもしれないと。そういうことを感じさせ
る余裕もあったと思います。なまじ、相手の状況が分り過ぎるほど分っているから、
仲間の自由な判断に任せるしかない。自由な決断を大事にするしかない。それは僕に
とっては救いでしたね、今日見てね。.

●アップの持つ意味

Q:それは、アップの多用というカットの特徴にも反映されていますか?

大津:あの段階では繋がっていましたよね。現在も僕はアップは大事にしますけど、
アップ主義ではありません。あの時代は、アップの顔の表現の中に内面が持っている
ドロドロしたものが現れてくるという考え方でありましたからね。我々はアップを積
み重ねることによって内部で燃えたぎっていたり燻っているものがほとばしる。自由
に出口を求めてほとばしり出る。それを何にもとらわれず自由に表現したいという欲
望があったのです。だから今観ると、例えばアップというのも頭の上からこの辺
(胸)まであったとき、その人の上半身の人格というべきか、人柄が全部出てくるわ
けですよね、顔の表情の中に、手の表情の中に。ところが更にアップになっていきま
すと頭部も上の方は切ってしまう。下顎も切り落としてしまう。目と口だけが残って、
ある抽象性を持ちながら迫ってくる。そんなことを考えながら撮影していたのでしょ
うね。.

例えば『パルチザン前史』にもあったと思うんですけれど、いわゆる9月の時計台の
闘争が終わった後、これからどうやって生きていくかという、喫茶店の中での若者た
ちの話。あれもやっぱりかなりアップにしていますね。だから頭のテッペンから肩の
辺まで入れた時の、いわゆるハイバスト、存在している人間としての外側から見た人
間的アップですよね、それを更に寄っていくと目に集中していったり、皮膚感に集中
していったり、存在するその人そのものに抽象化されたものにたどり着くのではない
かと思ったんですよね。そういうことで、わりあいアップを多用していったのです。

時代もありますね。収まり返った、いわゆる説明的なカットというのは、まあ僕の生
理的なものもあるかもしれないけど、割合嫌っていた。あるひたむきさというか、こ
ちらの持っているひたむきさもあったし、そんな熱みたいなものを表現したいという
欲望があったのですね。現在は静謐でクールな、引いたショットがもてはやされ、問
題を観客に投げかけていく、そんな方法が好まれているようですが―。(つづく).


■大津 幸四郎(おおつ・こうしろう)
エドワード・サィードのパレスチナと併行して、同じくシグロ制作でこの春から進め
られていた、日本国憲法を海外から見るプロジェクトの撮影が大詰めを迎えようとし
ている。集団的自衛権、戦力・軍隊の保持、武器の海外輸出と新鋭兵器の日米共同開
発への道を開くなどなど、独占資本・財界の欲望をあらわに示す自民党憲法調査会の
試案、憲法改変の条件を現在の国民の2/3の同意を必須とするから国民の過半数の賛
成で充分、と変更してしまいたい保守派の陰謀も大詰めに向かおうとしている。そん
な切羽詰った情況にも無関心を装う世論。世間の目と口がこの問題に向かうことを願
いながら、日本国憲法は世界の宝という認識を新たにしたいと、何度目かの海外取材
の旅に出ます。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『朋あり。〜太鼓奏者 林英哲〜』
┃ ┃■伊勢 真一
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林英哲は「佐渡・鬼太鼓座」「鼓童」を経て、1984年ニューヨーク・カーネギーホー
ルで世界初の和太鼓ソリストとしてデビュー。その後ベルリンフィル等多くの海外ミ
ュージシャンと共演、太鼓とともに世界を旅してきた。私は6年程前から彼にカメラ
を向け、この程『朋あり。〜太鼓奏者 林英哲〜』というドキュメンタリー映画を完
成させた。

きっかけは自作『奈緒ちゃん』の上映に遡る。『奈緒ちゃん』は全国各地500ヶ所以
上で自主上映された作品だが、上映を盛り立てる応援団を友人諸君が結成してくれた
ことが、大きな力となった。その応援団の中心になって大車輪で頑張ってくれた友人
が林英哲のプロデューサー、その友人からコンサートライブの記録を依頼されたのだ。
今度はこっちがひと肌脱ぐ番だ、と引き受け、「万零」「月山」「若冲の翼」「光を
蒔く人」「澪の蓮」と林英哲のライブビデオを製作して来た。そのうちにライブの記
録にあき足らなくなり、コンサートの旅に同行し、舞台裏や創作の背景等にも触れる
撮影をするようになった。ドキュメンタリストとしては当然の成り行きかな…

「私は争い戦いの烽火のために太鼓を演奏したことは一度もない、いつも祝福のため、
平和のために太鼓を撃ち続けてきた…」と。アフリカを代表する太鼓奏者、ママデ
ィー・ケイタ(ギニア)が、英哲に語りかけるシーンから映画は始まる。.

和太鼓を伝統芸能の領域から解き放ち、今日的な楽器として世界にひろめた、英哲は、
一方で、コンサートのモチーフを無名の、しかし優れた先行する日本のアーティスト
に求めて来た。この数年江戸時代の細密画家、伊藤若冲、光と闇を描いた画家、高島
野十郎という孤高の美術家たちに思いを寄せたコンサートを企画し、2002年には、
70年程前に朝鮮半島で亡くなった浅川巧(工芸研究家、林業技師)へのオマージュ
「澪の蓮」を舞台にのせた。浅川巧は日本が朝鮮半島を植民地下においていた時代に
朝鮮の人々と交わり、朝鮮文化に愛情を注ぎ、人知れず、文化交流の礎となった日本
人だった。

自然を愛し、樹木の植生研究の傍ら、李朝陶磁や民間工芸品の採集調査を行い、朝鮮
文化の素晴らしさを、いちはやく日本に知らしめた浅川巧の功績は、我が国では、ほ
とんど評価されてこなかった。英哲はその無名の先人にスポットをあて、「歴史の表
に出てこない人が、実は大事な仕事をしているということが、よくある。浅川巧は日
本が朝鮮半島を侵略していたあの時代に民族の違いや国境を超えて、人と人が、繋が
りうる、という可能性を求めた。私も、あやかりたい…」と語る。そして、浅川巧の
足跡をたどり、その思いを現代によみがえらせ、音にした。

2001年春、英哲は、韓国だけでなく世界を代表する太鼓集団、金徳洙サムルノリと日
韓音楽祭と名付けた文化交流に挑む。日韓両国で、ジョイントコンサートを開催し、
太鼓を通じて交流を深めようという試みだ。古くからの友人サムルノリのリーダー金
徳洙は「99パーセント仲良くやって来たのに1パーセントの行きちがいでお互いがい
がみ合ってしまう。私たちは、まず本当の顔を見せ合う事から交流を始めなきゃ
ね。」と英哲に熱っぽく語る。日韓の音楽家たちは、お互いのちがいを認め、一致点
を探りあいながら、日本と韓国の各地で太鼓を中心としたコンサートを実現、成功さ
せた。
日本人にとって朝鮮半島の人々は一番身近な朋、もちろん朝鮮半島の人々にとっては
日本人が…。

『朋あり。』時空を超えて英哲は、朋たちと出会う。そして、世界中を旅してきた、
その経験から語る。「はだ肌の色がちがう、言葉がちがう…でも、みかけ程には人間
はそんなにちがわないと思う。怒ったり、哀しんだり、笑ったりする表現はみんな一
緒だ。そして太鼓の音は、誰でもがどこかで、聴いたことのある音、記憶の一番始め
に、母親の胎内で聴いた命の槌音だ…」と。

同時代を生きる同世代のアーティストの存在を鏡にして、私は自分自身の今、を見つ
めてみたかったように思う。自分自身の他者、朋の存在を確かめてみたかったように
も思う。.
「何故太鼓を打つのかわからない」「何故生きているのかもわからない」自問自答を
繰り返し、ただひたすらに太鼓に向き合う林英哲…
映画を観て欲しい、そして耳を澄ませて欲しい。英哲の太鼓の音にこめられた言葉や
メロディーを超えたメッセージを、受け止めて欲しい。
月が二つ寄りそって朋、「朋あり」。

■伊勢 真一(いせ・しんいち)
1949年東京生まれ。立教大学法学部卒。野球選手にあこがれた少年時時代、船乗りに
なりかけた10代、大工に弟子入りした20代…を経て、映像の世界へ。長編ドキュメン
タリー'94『をどらばをどれ』。'95『奈緒ちゃん』毎日映画コンクール記録映画賞グ
ランプリ。'96『ルーペ』日本映画ペンクラブ記録映画グランプリ。'97『TAKUMI匠』。
'98『見えない学校』。'99『えんとこ』'99朝日新聞社今年の日本映画ベスト5入選。
'00『ドキュメンタリーごっこ』。'02『ぴぐれっと』キネマ旬報文化映画ベストテン
第8位。'03『風のかたち』。04『朋あり。〜太鼓奏者 林英哲〜』
(公式HP http://www2.odn.ne.jp/ise-film )



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ソウル発≫
┃ ┃■韓国で本格的にデジタル映画時代が到来した
┃ ┃■チョン・スワン
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韓国でデジタル映画が本格的に注目され始めたのは2000年に行なわれた 第一回目の
全州映画祭であったと思う。全州映画祭は早めにデジタルという新しい映像媒体に注
目し、来るべきデジタル映画時代に対応しようと準備したのだった。具体的には、デ
ジタルコンペ部門を創設し、世界から勇気を奮って兆戦したデジタル映画を紹介した。
それと共に企画した「三人三色」(註)は、今は全州映画祭を代表する企画にもなっ
ている。「三人三色」は3人の映画監督を選び、各自に500万円の予算で30分のデジタ
ル映画一本ずつ作ってもらおうとする企画である。

(註)2004年の「三人三色」は11月20日からUP LINKで上映されている。今年の企画
には韓国のポン・ジュノ監督、香港のユー・リグァイ監督、日本の石井聡亙監督に参
加してもらった。

デジタルはフィルムより低予算で映画が作れるとか、機動性のよさで現場感を生かす
にふさわしい媒体であることなど、デジタルの持つ多様な特性のため、韓国では当初、
劇映画よりはドキュメンタリ―の分野で好まれる傾向にあったと言える。しかし、今
年に入ってからはデジタルジャンルが拡大するという変化が見られ始めた。いきなり
デジタル映画のブーム到来とも言える現象が現れた。この特質を下記に指摘したいと
思う。

韓国のデジタル映画のブームは大きく二つに分かれる。一つはオムニバスデジタル映
画の流行である。今年、韓国映画アカデミー20周年を記念して企画された「20アイデ
ンティティー」を始めとする多様な企画が行われた。例えば、「20アイデンティテ
ィー」はポン・ジュノ監督をはじめ、今は韓国を代表する韓国映画アカデミー出身の
20名の監督に10分ほどのデジタル映画を20本作ってもらおうとする企画。もともとこ
れは大手テレコム会社がモバイル映画のソフトコンテンツを確保するための企画であ
ったが、これが成功したことによってオムニバスデジタル映画の流行に拍車をかけた
訳である。これが追い風となって、若者に人気がある若手監督5人に参加し、ネット
上で上映されるに到ったデジタル短編映画や、第一回目のソウル環境映画祭でも‘環
境’をテーマとして作られた3本の短編デジタル映画がオープニング上映された。現
在進行中の作品には、人権をテーマとするオムニバスデジタル映画がある。

もうひとつの現象としては、デジタル長編劇映画のブームがある。数的にはまだブー
ムとは言えないかもしれないが、新鮮で注目すべき作品が何本かあるのは事実だ。最
近デジタルで長編を作った監督たちのインタビューによれば、デジタルの利点は単に
少ない制作資金で制作できるだけでなく、むしろ経済的な脅迫からの逃れて得られる
「自由」に魅力があるようだ。この「自由」感がデジタル映画の持つ独特の美学の追
及を可能にしているようである。自由に独特な映画世界をデジタルで描いた『チャー
ミング ギャル』と『シンソイルの行方不明』は既にベルリン映画祭に招待されたと
の話も聞いている。

韓国映画振興委員会は毎年3本の独立デジタル映画の製作を支援している。今年も3本
が選ばれ、来年初頭から本格的な撮影に入るようだ。来年も韓国のデジタル映画の躍
進を期待したい。


■チョン・スワン(全州映画祭プログラマー)
今私はこの原稿を東京東銀座にあるホテルで書いています。東京フィルメックスに参
加するために東京に来ました。素晴らしい映画関係者たちとの新しい出会いもあり、
嬉しく思っています。ただ限られたスケジュールのため、久しぶりにお目にかかった
伏屋さんと長くお話しする時間がなかったのは残念でした。今度来日する時は日本の
ドキュメンタリ―関係の方たちともゆっくり話し合える時間を持ちたいと思っていま
す。



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■等身大の世界の映画の祭典―第5回東京フィルメックス報告
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■水原 文人

「アジア新作家主義映画祭」を標榜してスタートした東京フィルメックスも今年で5
回目、日本でもっとも世界の最先端の映画が見られる映画祭として、その評価もすっ
かり定着した。

カンヌやヴェネチアに出品された世界的な話題作から林加奈子ディレクター、市山尚
三プログラム・ディレクターが発見して来るほとんど無名の、しかし確かに優れた新
人まで、政治的な配慮やバランス感覚で選択されたプログラミングに、今年は日本の
内田吐夢、ハンガリーのボーディ・ガーボル、カナダのガイ・マディンという国籍も
時代も属する映画的伝統もスタイルも違う3人の映画作家のレトロスペクティヴを含
む、多彩な映画が見られるプログラム(しかしそこには、一貫した選択眼が確かにあ
る)が、この映画祭の大きな魅力だ。

日本各地にさまざまな映画祭があるが、山形国際ドキュメンタリー映画祭も含め、そ
のほとんどはディレクター・システムになっていない。セレクションが個人の趣味に
偏らないためとか、大きくて名声のある映画祭になれば当然そのディレクターに大変
な権力ら集中してしまうとか、ディレクター・システムにだって問題がないわけでは
決してない。しかしそれは、映画祭ディレクターとなったその本人の資質の問題の方
が大きいのではないか?

東京国際映画祭アジア秀作映画週間、同映画祭シネマプリズム部門、そして東京フィ
ルメックスと、市山尚三プログラム・ディレクターの鑑識眼は確かなものであり、一
方でフィルメックスの運営をみれば分かるように、林加奈子ディレクターとのチーム
ワークは、優れたディレクターこそいい映画祭に不可欠なものであることの、いい見
本だと思う。

今年のグランプリ『トロピカル・マラディ』のアピチャッポン・ウィーラーセタクン
監督は、まず第1回の東京フィルメックスに『真昼の不思議な物体』が出品され、賞
こそ逃したものの審査委員長のアルトゥーロ・リプステイン監督が「もっともインデ
ィペンデント映画の映画祭にふさわしいオリジナリティにあふれた優れた作品だった。
私が民主的な審査委員長だったので残念ながらグランプリに選べなかった」とコメン
トしていた。

第2作の『ブリスフリー・ユアーズ』は第3回のフィルメックスでグランプリをとるま
えにまず同年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品されて最優秀賞を受賞して
いたが、実はカンヌに出品すること自体、市山氏がウィーラーセタクン監督に薦めた
のがきっかけだったのだ。今や世界でもっとも権威ある映画雑誌とされる仏「カイエ
・デュ・シネマ」誌の表紙を何度も飾り、世界映画の将来を担う有望監督として大変
な注目を集めるこの若手映画作家を発見したのは、東京フィルメックスだったと言っ
ても過言ではない。実のところカンヌに応募したとき、カンヌ側はウィーラーセタク
ン監督の存在すらまったく知らず、あるフィルメックス関係者の薦めでとりあえず見
てみようと言うことで見てみて、即座に出品が決定したらしいのだ。

これまでの長編作品3本が全部フィルメックスで紹介されているウィーラーセタクン
はフィルメックスの“常連”と言えるだろう。他にも今年の審査員特別賞を受賞した
『Turtles Can Fly (原題・公開予定)』のイラン系クルド人の映画監督バフマン・
ゴバディも、第1作の『酔っぱらった馬の時間』がやはり第1回の東京フィルメックス
で上映されている“常連”だし、特別招待作品では1年に長編劇映画1本(プラス、ド
キュメンタリー、オムニバス用の短編などなど)という驚異的なペースを維持し続け
る「イスラエルのワンマン・ヌーヴェルヴァーグ」(米ヴィレッジ・ヴォイス紙)ア
モス・ギタイは今年も新作『プロミスト・ランド』で参加、当然ながらその新作が毎
年フィルメックスで紹介されている“究極の常連”だ。そうした常連の一人一人が市
山・林両氏と深い人間的信頼に結ばれていることも、この映画祭の大きな財産だろう。

日本の多くの映画祭が地方自治体の傘下で運営されているせいだろうか、表層的な
「平等主義」が幅を利かせて「なるべく多くの映画作家の作品を紹介したい」という
配慮が働いているらしく、特定の映画作家が“常連”となることが敬遠されている傾
向がなくもないのだが、東京フィルメックスは「あくまで作品が映画としておもしろ
いかどうか」だけを選択基準にしているので、今世界の最先端を行っている作家の作
品であれば(ギタイやウィーラーセタクンは明らかにその範疇に入るだろう)連続し
て紹介している。.だから最先端だけになかなか劇場での一般公開が難しいと思われ
がちな作品でも日本で紹介できる。やはり観客は「映画祭」を見に来るのでなく映画
を見に来ているということはその映画の作家である監督との出会いを求めてきている
のだから、そうしたスタンスは観客動員の上でプラスになっているように思う。現に、
フィルメックスの観客数はコアな映画ファンを中心に毎年毎年増加しているし、林加
奈子ディレクターも「とてもいい観客の方がついて来てくれている」と語る。.

映画がその作家の個人的なビジョンの表現である以上、一人の作家の変遷や進化をリ
アルタイムで追って見ていけるのは、単にファン心理として「次の映画が見たい」と
いう欲求が満たされる以上の知的な刺激がある。その意味では『トロピカル・マラデ
ィ』と『プロミスト・ランド』は、かなり対照的な作家の変遷のあり方を示している。

カンヌ映画祭で多くの批評家から絶賛された『トロピカル・マラディ』はしかし、前
作のまさに目ん玉がひっくり返るような映画体験だった『ブリスフリー・ユアーズ』
と比較すると、その刺激的な映画のあり方をかなりおとなしく縮小再生産した変奏曲
にすぎない、という感は否めない。ジャングルという舞台装置はそのままで、あっけ
らかんと開放的なセクシャリティ描写と確信犯的にミステリアスな構成が人間関係の
欲望と願望の心理を観察的にあぶりだす方法論が共通しているのはいいし、前半と後
半が2本の映画のように半ば独立しつつも、そこに複雑な鏡像関係を編み込んでいこ
うとする野心的な構造もおもしろい。

だがそこにあぶり出されるはずの肝心な人間関係の複雑なやり取り/かけひきが、前
作に比べて極めてコンヴェンショナルというか、表層的なのだ。監督自身がインスピ
レーションは自伝的だと認めるこの映画は同性どうしの恋愛関係をあつかっているの
だが、どうにも薄っぺらで、『ブリスフリー・ユアーズ』の3人の男女の心理と駆け
引きを観客が自分の解釈で想像しながらヤキモキしているところで突然別の要素が入
ってきてひっくり返されるみたいなスリリングさが、まるで感じられない。自分の過
去の恋愛体験に基づいているからこそ留保があるのか、一方の男性を自分の分身にし
ながら結局は自己弁護を計っているのか…。しかし一方で、『ブリスフリー・ユアー
ズ』よりも「分かり易い」のは確かだし、本編の真ん中でいきなりタイトル・クレジ
ットが出たりするシンプルなメタ映画的問いかけ(しかもそこが大きく異なった前半
と後半の転換部になっている)が、今回はより凝っていたりして、よくも悪くも“よ
り丁寧”にはなっているのかも知れない。そのぶん高い評価を得るのは分からなくは
ないのだが…。これだけ分かり易く俗受けも狙えるのだから、今度こそ劇場公開もや
って欲しいものだ。

一方ギタイの『プロミスト・ランド』は、イスラエルとパレスティナにおける組織売
春と人身売買の実態というテーマもさることながら、これまでギタイの作品を見てき
た人にとってはその大胆なスタイルの変化という意味でもショッキングな作品だ。こ
の2点でのショックに、中近東情勢が沸騰しているこの時期にあえて視点をずらして
まったく別の、しかしやはり極めて深刻な問題をとりあげたことなど、誰も気にしな
くなりそうな気さえする。

主人公たちは旧ソ連圏からイスラエルにやって来る娼婦たち。経済や社会的イフラが
破綻したなかで生き残るために出稼ぎの性労働を選んだ彼女たちが、しかし予想も期
待も裏切られてモノ扱いされ、殴られ、虐待され、強姦されて行く痛々しい姿を、ギ
タイはこの作品で初めて組んだキャロリーヌ・シャンプティエによる手持ちのDVキャ
メラで、至近距離から、人格を奪われた彼女たちの身体をキャメラのフレームで断片
化するようにして、ひたすら追い続ける。前作『アリラ』まで6本の作品で組んだ撮
影のレナート・ベルタと共に編み出してきた、観察的なキャメラによる有機的に充足
した長廻しのワンショット・ワンシークエンス演出を平然と捨て去り、ジャンプカッ
トまで多用された編集と、物語の直線的な時系列をあえて解体したモンタージュ構成
は、そう言われなければギタイ作品と気づかないような外観をこの映画に与えている。

しかし一方で移民労働者(大半は不法)の問題は前作の『アリラ』でも触れられてい
たし、移民・移住・亡命のテーマはギタイが何度もドキュメンタリーと劇映画でとり
あえげて来たものだ。今回は地下犯罪組織という形で提示される国境を越えた国際的
な経済のグローバリゼーションのネットワークは初期のドキュメンタリー『パイナッ
プル』『バンコク=バーレーン』(後者の主題もまた人身売買だと言える)のテーマ
だったし、希望や夢や理想を持って新しい土地に来てそこの現実の前に幻滅を味わう
主人公の女たちは、『ベルリン・エルサレム』『エデン』そして『ケドマ』の主人公
たちに共通する。.

そして一見まるで異なった視覚的戦略に見える手持ちキャメラで主人公たちを追い続
ける手法も、継続的な時系列の断片化と解体も、つねに映画の視点をどこに置くかに
こだわり続け、かつその視点に観客もまた自覚的になるように仕向けてきたギタイの
一貫したスタイルを、実は完全に継承しているのである。つまり、我々は『ケドマ』
で1948年のヨーロッパからのユダヤ人移民とともに移民船からパレスティナの海岸に
上陸し、『キプールの記憶』で救援部隊の若き兵士たちとともにヘリコプターに乗っ
たように、シナイのエジプト国境からパレスティナ自治区のラマラや自治区とイスラ
エル領との境界線の検問や紅海沿岸のリゾート都市エイラットを経て北部地中海沿岸
の港湾都市ハイファまで駱駝やトラックで運ばれていく彼女たちの視点で、過酷な現
実の中に放り込まれるのである。

言うまでもなく旧ソ連圏からの女性たちが売春組織によって搾取され虐待されている
現実は、イスラエルやパレスティナだけでなく世界中に存在しており、日本も例外で
はないというより、日本の実態はほとんど報道すらされないタブーだが、とりわけ悲
惨だ。54歳という脂の乗り切った年齢で主題的にも手法的にも常に自らを革新してい
くギタイの変遷と進化は、今の世界映画のなかでもっとも刺激的な存在のひとりであ
り続けている。

一方、若干34歳でアート映画の国際的なスター監督に祭り上げられてしまったアピチ
ャッポン・ウィーラーセタクンは、このまま自分のスタイルの縮小再生産で消費され
て退屈になってしまうのか、『真昼の不思議な物体』や『ブリスフリー・ユアーズ』
を初めて見たときのような刺激を与え続けてくれる前衛に復帰するのか、次回作の完
成が待たれる。

香港アクション映画の巨匠ジョニー・トウの新作『柔道竜虎榜』から古典絵巻物を扱
った羽田澄子監督の新作『山中常盤』まで実に多様な、しかし「映画としておもしろ
い作品」という意味で一貫した刺激的なプログラムのなかで、筆者が今年とりわけ感
銘を受けたのがレバノン出身の女性映画作家ダニエル・アルビットがレバノン内戦時
代のベイルートを舞台にした劇映画第1作『戦場の中で』だ。

題名からの予想に反し、この映画で内戦が言及されるのは、外から聞こえて来る爆弾
や銃撃の音だけだ。アルビッドは自分の少女時代をモデルにしたというひとつの家庭
のなかだけに、その演出を集中させる。賭博好きの暴力的な父。その夫に不満が高ま
りながらも離れることが許されない母。家父長ならぬ家母長である気性の激しい叔母。
その叔母に邪険にされている女中。そして外に出ることが許されずその女中だけが唯
一の親友の、思春期を迎えようとする主人公の少女。すさまじいまでの家族の葛藤の
ストレスが極度に凝縮されているのは、内戦下だからこそだろう。戦争は人をどう変
えるのかを、これほど真摯に人間の内面にまで迫って表現した映画は、希有だ。徹底
して主人公の少女の目線を維持する演出の頑固さはときにぎこちなさを感じさせもす
るが、しかしその強度はこのぎこちなさや構成上余剰な部分も若干残ってしまってい
る冗長さを補ってあまりある。

アルビッド監督は1970年生まれの34歳。ベイルートのカトリック系の家に生まれ、現
在はパリを拠点にしながら、レバノン社会や中近東情勢を主題にした独創的なドキュ
メンタリーをこれまで何本も監督しているそうだ。小柄でちょっといたずらっぽい愛
らしささえある少女のような彼女の風貌のなかには、強固な意志と鋭い映画的知性、
そして困難な状況のなかで生き延びるしたたかな現実性がそなわっている。ドキュメ
ンタリー作品もぜひ見てみたいと思わされた。

刺激的な出会いに満ちた今年の東京フィルメックスで(しかし内田吐夢特集には結局
行けずじまいなのが残念)、もうひとつ特筆しておきたいのがボランティアの活躍だ。
ゲストのアテンドにしても、観客への対応にしても、人手のかかる実戦部隊はボラン
ティアが中心にならざるを得ないのだが、とにかくみんなそろって気配りがこまやか
で、そして愛想がいいのである。ペルシャ語やタイ語などを操るボランティアも活躍
しているし、そして観客に対しても、ゲストの作家たちに対しても、気後れを感じさ
せない対応が、今年の映画祭をとりわけ心地よいものにしていた。.

終了後のパーティーも、映画祭のメインのスタッフも、ゲストの監督たちも、ボラン
ティアの人たちも、そろってみんな平等に楽しんでいる雰囲気があった。映画祭中に
事務局を覗いても、役割分担としてのヒエラルキーは組織的でありながら、身分的な
上下関係(立場によってえばっていたり引っ込み思案だったり)がまったく感じられ
ない。こうした組織は、日本では稀だと率直に思う。なにしろディレクターである林
・市山両氏がゲストのちょっとした相談にでも快く応じたりしているのだから、やは
り上に立つものの人間性が映画祭のよしあしを左右することを痛感せざるを得ない。

とても刺激的で、そしてとても人間的な映画祭である東京フィルメックス。来年が早
くも楽しみだし、そしてこういう映画祭がもっと増えることを心から願う。


■水原 文人(みずはら・ふみと)
映画批評(藤原敏史、ドキュメンタリー演出)。学生のころなんとなく義務感で見て
いただけだったイングマル・ベルイマン監督。最近DVDで『ある結婚の風景』や『叫
びと沈黙』『秋のソナタ』などを見直し、すっかりハマってしまっています。『結婚
〜』はテレビシリーズ版を一晩に一話ずつでじっくり見ようと思っていたら、結局全
6話・5時間以上をぶっ通しで徹夜。大人にならないと分からない映画もあるんだなぁ
と、実感。



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┃05┃□neoneo坐通信(11)
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■12月の上映とイベント

●科学映画特捜隊 vol.2 Winter Special「冬を科学映画する!」―12月の上映

科学×映画=極上エンタテインメント!〜科特隊からのメッセージ〜
オカダ・ヒデノリ/隊員NO.006

我々は科学映画特捜隊、略して「科特隊」である。その任務は地球の防衛…、と言い
たいところだがちょっと違う。日頃なかなか観られない科学映画の分野からとことん
面白い作品を探し出し、秘密基地「neoneo坐」にて上映することである。
我々の第2回の出動が決まった。朝晩かなり寒くなってきたが、文句を言っていては
いけない。キーンと冷えた、美しい“冬の科学映画”を5本用意して皆さんをお待ち
している。
「えー科学映画あ?」などと言わず、我々と興奮を分かち合ってほしい。一目観れば
すぐに分かるだろう。優れた科学映画はエンタテインメントなのだ、と。
では日曜の昼下がり、神田小川町でお会いしましょう。

プログラム:
12月12日(日)14:00〜15:30 上映
『霜の花』1948年/日本映画社/20分/白黒[ビデオ上映]
企画:北海道大学低温科学研究所 指導:中谷宇吉郎、花島政人
撮影:吉野馨治、吉田六郎、小口禎三 音楽:伊福部昭 解説:徳川夢声

≪ニッポン科学映画、氷点下から衝撃の復活!≫
戦後日本の科学映画は、低温の世界から復活を告げた。のちに岩波映画を結成する名
スタッフが、ガラス面の水蒸気にひたすら目を凝らして“窓の霜”の解明に挑む。微
速度撮影にみごとに寄り添う若き伊福部昭の神秘的なメロディは、観る者を忘我の境
地に誘うだろう。

『北方の霧』
1948年/日本映画社/15分/白黒[ビデオ上映]
提携:中央気象台 製作:吉野馨治 演出・脚本:竹内信次 撮影:小口禎三

≪哀愁の町に霧が降るのだ≫
北海道東部に現れる“海霧”に迫った力作。気球上(!)から撮影したと思われる、
純白の霧がサーッと陸地を覆ってゆくショットが圧巻!また、霧の容赦ない襲撃を、
人々の生活に結びつけた戦後調の解説も印象的。よく見ると夏の映画ですが、冷気み
なぎる作品なのでお許しを。

『たのしい科学 雪の結晶』
1958年/岩波映画製作所/14分/白黒[16mm]
製作:吉野馨治、渡貫敏男 演出:伊勢長之助 脚本:花島政人 撮影:広川朝次郎

≪雪は科学映画の永遠のアイドルである≫
どれもこれもブローチにして身につけたい、雪の結晶のオンパレード。六花形だけで
はなく、十二花形や柱状の結晶もキュート!1953年の同名作品につづいて、岩波映画
が雪の結晶の撮影に挑んだ「たのしい科学」シリーズの一篇。人工雪発生装置もつい
に登場します。

『SNOW CRYSTALS(雪の結晶・英語版)』
1939年/東宝文化映画部/13分/白黒[ビデオ上映]
指導:中谷宇吉郎 撮影:吉野馨治 撮影助手:小口禎三

≪SNOW CRYSTALはHEAVENから送られたLETTERである≫
昭和14年、“雪博士”中谷宇吉郎の研究を初めてシネマの眼がとらえた、科学映画史
の上でも記念碑的な一本。愛らしいアニメーションにも要注目。英語ナレーション
(無字幕)ですが、めったにない上映ですのでどうかご了承ください。

『科学するこころ 中谷宇吉郎の世界』
1995年/岩波映画製作所/25分/カラー[ビデオ上映]
企画:加賀市教育委員会 製作・撮影:関晴夫 演出・脚本:今泉文子
撮影:星野欣一、田島正晴 ナレーター:井川比佐志

≪「氷は金属である」と博士は言った≫
石川県の「中谷宇吉郎・雪の科学館」のために製作された、中谷博士の伝記映像。寺
田寅彦の薫陶を受け、やがて北海道からアメリカへ、そしてグリーンランドへと博士
の研究は続く。押しつぶしても割れることなく、そのまま下にへこんでしまう氷河の
氷は、まさに驚きの被写体!

15:45〜16:45 トーク in neo CAFE
「雪は天から送られた手紙である〜科学映画の黎明期〜」
ゲスト:小口禎三 氏(元・岩波映画製作所会長)

映画の料金:一般 1,500円/会員 1,200円/中学生以下 1,000円
トーク参加費:お一人様 1,000円(お茶とお菓子付き)

☆neoneo坐のHPは、「neoneo坐」で検索できます。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●隊員募集!
我こそは面白い科学映画を発見したい!という方の入隊をお待ちしております。
年齢不問!無給!未経験者歓迎!(現在の隊員みんな未経験者)
お問い合せ先→シミズ隊員 E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp 


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」(第3弾)
12月25日(土)
program1 (14:00〜16:21)
『日本解放戦線 三里塚』(1970年/16ミリ/カラー/141分)
製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:田村正毅
通称『三里塚の冬』。脱落者が出る中で、空港反対派農民に徐々におとずれる疑問・
空虚感。官憲との衝突を繰り返しながらも、闘いは自己自身への内面へと向けられて
いく。

program2 (16:40〜17:30)
『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』(1970年/16ミリ/白黒/50分)
製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:田村正毅
自ら糞尿弾と化して測量を阻止しようとする農民たち。キャメラは文字通り彼らに徹
底的に伴奏する。闘争が激化し、緊急に撮影・編集・上映されたシネ・トラクト。
他に、関連作品として1本を特別上映を予定しています。

※18:20〜20:20 トークと飲み会…2000円(飲み物+大皿料理つき)
ゲスト:本田孝義(『科学者として』『ニュータウン物語』監督)

料金:当日―1プログラム 1500円 / 通し券(1日券):2500円
一般会員―1プログラム 1200円 / 通し券(1日券):2200円
(会員には入会金2000円で当日加入できます。1年間有効)
賛助会員(20000円)は1年間無料


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●neoneo坐の企画会議を開催します

12月3日(金)20時より新宿の喫茶店「らんざん」(RANZAN、紀伊国屋書店裏、「ロッ
テリア」があるビルの3階)にて。皆様からの企画提案、大歓迎です。奮ってご参加
ください。当日ご都合のつかない方からのリクエストも受け付けます。
お問合せ: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで。



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┃06┃□広場
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□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(15)
■再度、日系キューバ移民を撮る意味を問う
■波多野 哲朗

●移民の根

日系キューバ移民の存在の痕跡が、あまりにも希薄であることに危機感をおぼえて、
私は映画とともに彼らやその家族へと徐々に近づいていったのだったが、いま振り返
ってみると、その存在の痕跡の希薄さにも、それなりの積極的な意義があったことに
気付くのである。たとえば革命後のキューバ政府は、定年後の日系移民に対して、従
来の年収の60%の年金を保証したのだったが、驚くべきことにその支給率は、生粋の
キューバ人に対する支給率と全く同じだったのである。つまり革命政府が採った徹底
した平等主義によって、日系人たちはその後、出身国の違いをまったく意識する必要
がなくなったのである。それは日本人であることの意識を弱めこそすれ、そのアイデ
ンティティを強化する力学とはならなかった。

一方、前回述べたように、第2次大戦中にイスラの収容所のすべて日系人成人男子が
収容されたことによって、それまでは互いに無関係に生きてきた日系人たちが、はじ
めて同胞意識をもつようになったという経緯がある。してみると、日本人としてのア
イデンティティなどというものは、当の移民にとってはいささかも幸せの根拠ではな
く、差別に対するたんなる防衛的な装置でしかないことになる。そもそもキューバで
は、大戦前から人種差別が少なかった。だから「日系人」といった枠組み自体が、は
じめから意義を持たなかったのではないか。

しかしそれはいいとしよう。問題はこうした事実の発見が、キューバの「日系人」を
追うという私の映画にとって、一種のアンビヴァレントな関係にあるのでないかとい
うことである。映画による探求が、みずからの映画の成立根拠を覆すのである。

当初この映画は、数人の生存者を残すばかりとなったキューバ在住の日系移民1世を
訪ね、かれらの体験を聞くことからはじまった。それはかれらが生きてきた歴史的時
間とともに、すでにキューバの土となった数百人におよぶ日系移民へと思いを馳せる
ことになった。かれらはどんな思いで生き、そして死んでいったのか? それはもっ
ぱらかれらの子孫である2世や3世の言葉によって語られたのだったが、2世や3世はた
んなる語り部ではなかった。とくにイスラ(島)の2世や3世たちは、亡き1世の思い
をみずからの思いとして引き受け、体現しているかのようであった。2世の上間清は、
帰国を果たせなかった1世の父、上間利清の遺骨を郷里の沖縄瀬底島に納骨し、みず
からもまた沖縄に留まることを決意した。それが老いと言語的ハンディキャップに逆
らって日本定住を決めた第一の理由だった。また伊波ベニータは、1世の父伊波蒲一
が沖縄に残してきた長男正一を気にかけつつ死んでいったことから、みずからの手で
父の意思を正一に伝えようと決意して、望郷の想い溢れる『三味線』という本を執筆
する。この本には、父の想いとともに、同時代を生きた多くの人びとの想いもまた語
られている。ちなみに彼女は、兄正一をイスラに呼び寄せることを夢見つつ、いまも
日本語の勉強に励んでいる。

キューバの日系人たちが日本に向けるひときわ熱い思い入れの中心地が、首都ハバナ
ではなく離島イスラであることは、ほぼ間違いのないところである。キューバの日系
人にとって、松島という島の名そのもの郷愁の思いを癒すものであったことについて
はすでに述べたが、同時にこの島の佇まいが、沖縄の離島になんとなく似ているとい
うことについても付け加えておく必要があるだろう。なぜなら、イスラにおける日系
人家族間の関係の濃密さは、日本ではまさに沖縄における血縁の親密さに匹敵するか
らである。実際かれらは、みずからの体内には「日本人と同じ血が流れている」とま
で断言してはばからない。.

「サルサとチャンプルー」といったタイトルを掲げ、混血的文化のエネルギーに一貫
して注目してきたはずなのに、こともあろうに「日本人の血」などというレイショナ
リズムないしはナショナリズム剥き出しの言葉に、なぜか私は沈黙してしまう。日本
人をつねに大切にもてなしてくれるイスラの日系人の好意に甘んじて撮影を続けてき
たためか。しかし、私にはどうしても反論する気にならないのだ。それはかれらの言
葉の中に、ナショナリストのそれとは明らかに似て非なるものが感じられたからであ
った。.

いまかれらが「日本人」という不用意な言葉に託してみずからの帰属性を意識する共
同体とは、はたして国家としての「日本」なのだろうか。たとえば、伊波ベニータが
その著書『三味線』によって夢想し憧憬した世界は、どう見ても「日本」というより
は「沖縄」としか思えない。また、上間清が真に定住を望んでいた「日本」とは、
「瀬底島」にほかならなかった。また、かつて宮澤かおる夫妻が帰国を断念したその
「日本」とは、長野県伊奈地方の寒村でしかなかった。しかしながらこうした具体的
で個別的な場のイメージは、ともすれば「日本」という一般的抽象的なイメージによ
って回収され、しばしば剽窃される。故郷への強い郷愁が、故国への愛と見なされた
りもするのである。.

しかしいずれにせよ、自己の存在を確かめるためにみずからの記憶を深く探索し、そ
こに記憶の共同性の微かな萌芽を見出そうとする精神の在りようそのものを、私はい
ささかも不健全であるとは思わない。むしろそれらとまったく無縁であるような精神
こそ、恐るべきものであると思う。重要なことはその微かな萌芽が、既存のイデオロ
ギーによって剽窃され変質することを、注意して回避することではないだろうか。

こうして私は辛うじてかのアンビヴァレンツを切り抜け、日系人たちの熱いアイデン
ティティが渦巻くイスラにしばし身を置くことにしたのだった。.


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
編集中の映画が記憶のイメージによって織りなされる映画になるような気がして、畏
怖するクリス・マルケルのあの絶妙な詩的ナレーションを書き抜いてみた。そして気
付いたのは、マルケルの言葉自体はすこしも詩的ではないということ。しかしそれが
映像に重ねられるとき、この上なく詩的になるということであった。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■投稿屋台『クチコミ来来軒!』第三回
■屋台引き:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭)

ここはメルマガ上に出店した「投稿屋台」です。皆様の投稿をお待ちしております。
宛先:清水浩之 E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先(メールアド
レスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければあなたのプロフィール
や近況も)を付記して、清水までお送りください。


■『お味見レビュー100!』投稿募集中!
特定の作品やテーマでの「お題」を出して、皆さんの感想を募集するコーナーです。
お一人様につき本文100字以内が目安ですが、あくまでも目安です!

第一回目のテーマは《『華氏911』とポリティカル・ノンフィクション》でしたが、
すみません、勝手ながら〆切を年内一杯(12月末)に延長して、来年発表します!!
ブッシュ再選の途端に忘れられそうなのはなぜ?って感じの『華氏911』をはじめ、
『フォッグ・オブ・ウォー』『解禁・ブッシュ伝 噂の真相』『ブッシュを裁こう』
『911 ボーイングを捜せ』…いろいろ公開されていますが、「政治がテーマの作品な
らコレでしょう!」というご意見を、旧作も含めてお待ちしております。


■新・クチコミ200字評!(その2)
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。

A-041『おそいひと』
2004年/シマフィルム/監督:柴田剛
見た場所:東京フィルメックス2004(朝日ホール) http://www.filmex.net/ 

新しい介護者としてやってきた肉感的な女子短大生に恋心を抱いた障害者の住田さん。
かなわない恋の葛藤。住田さんの身体と暴力性。「主人公の存在感とパワフルな映像
が圧倒的」とは映画祭HPの記載です。監督と主演の住田さんの関係が、例えば『か
けがえの前進』(力作。好きです)のようなドキュメンタリー作品に近いような印象
を受けたのが面白かった。
(山辺野人/30歳/会社員)

B-068『泥の街ジェンネをゆく〜西アフリカ・マリ共和国〜』
2004年/アズマックス+NHK(ハイビジョン特集)/構成:尾崎竜二
見た場所:スペースneo「ゆる〜くアフリカン・ナイト」

サハラ砂漠の南、人口一万人の街全体が泥レンガの家で出来た土色の風景…空から見
ると蟻の巣ならぬ「ヒトの巣」です。泥壁の入り組んだ路地を彷徨うカメラは、遠い
アフリカの地に長屋の井戸端会議や威勢の良い職人気質や口うるさい御隠居までも発
見し、「木と紙の巣」江戸の下町情緒を彷彿とさせます。毎年住民総出で外壁の泥を
塗り直す巨大なモスクは、手塗りならではの円味を帯びたフォルムが宮崎駿映画を思
わせる愛らしさです。
(清水浩之/東京/37歳/『ハウル』はどれだけ入るんでしょうねえ…)

B-069『海女のリャンさん』
2004年/桜映画社/監督:原村政樹
上映予定→ http://www.sakuraeiga.com/ama.html 

今年はなぜかおばあちゃんの記録映画ラッシュ。この作品は済州島出身で大阪在住の
リャンさん(88歳)と、日・韓・北朝鮮に離れて暮らす七人の子供達の、文字通り
「分断された」家族史。とはいえ戦前から出稼ぎの海女として一家を支えたリャンさ
んは闇商売までカラリと明るく白状するスケールの大きい人。映画も彼女同様に哀し
みを突き抜けて健やか・朗らか。小柄だけど大樹のように力強い「ゴッドかあちゃ
ん」像を描いて見応えあり!
(清水浩之/東京/37歳/「ばあちゃんリアリティー」なる造語もありましたが…)


●私のオススメ三品!(その1)
ゲスト選者をお招きして、ひとつのテーマにちなんだオススメの三作品をご紹介して
いただくコーナーです。ゲスト選者募集中!

ゲスト:しまだ ゆきやす さん(イメージリングス主宰)
テーマ:ショスタコーヴィチの映画音楽を楽しんでみよう!

『黄金の山脈』(1931年/セルゲイ・ユトケヴィッチ監督)
『馬あぶ』(1955年/アレクサンドル・ファインツジンメル監督)
『ヴォロチャーエフ堡の日々』(1937年/ヴァシリーエフ兄弟監督)

最近買ったCDが、CHANDOS(シャンドス)という英国のクラシック音楽専門レーベル
の輸入盤(CHAN 10183)。タイトルが「The FILM MUSIC of DMITRI SHOSTAKOVICH
Volume 2(ショスタコーヴィチの映画音楽 Vol.2)」。指揮はワシーリィ・シナイス
キー、演奏はBBCフィルハーモニー管弦楽団である。

ショスタコーヴィチは1906年生まれ、75年没の、旧ソ連を代表する現代音楽の巨匠。
数々の交響曲、ピアノ曲、映画音楽で知られている。旧共産圏では映画製作は国策事
業なので、たとえ娯楽作品だろうと一流のクラシック作曲家が劇伴を作っていたのだ。
このCDには『黄金の山脈』『馬あぶ』『ヴォロチャーエフ堡の日々』の3作品の音楽
が収められている。残念ながら3本の映画とも未見。いずれも相当古い映画なので、
果たして今後も観るチャンスがあるかどうか…。でも音楽は素晴らしいので、CD聴い
てるだけでもじゅうぶん楽しめる。とりわけ『ヴォロチャーエフ堡の日々』は戦争映
画なのだが、その敵は日本軍。1918年の「シベリア出兵」事件を題材にしている。こ
こで「シベリア出兵」をおさらいすると…

1918年(大正7)から1924年にいたる期間において、日本およびアメリカならびに英
国、フランス、イタリアなどの諸国が、チェコ軍救援を名目として、実はロシア社会
主義革命に対する干渉を目的に、はるばるシベリアに出兵した事件。日本軍は最大で
3個師団7万人の兵士を投入、他国の軍隊が撤兵したのちも居座って、シベリアに単独
駐留をつづけたが、ソビエト軍の反撃にあい、結局は失敗してしまった」というもの。
音楽は勇ましいトランペットの進軍ラッパから始まり、弦楽器がマーチのリズムを刻
むなか、ホルンが革命歌風のバリバリに燃えるテーマを吹き上げる。文句なくカッコ
イイ!!!いまの感性からすると気恥ずかしくなるほど大層で仰々しい音楽だが(昭
和11年の作品だから古いのはあたりまえ)、それがどうした? 映画たるものこれぐ
らいのケレン味がなくてどーする!と、つくづく思うのであった。興味のある方は、
ぜひCD買って聴いてみてください。なお『ヴォロチャーエフ堡の日々』の音楽は、
2005年2月13日(日)に池袋の東京芸術劇場において長田雅人指揮、オーケストラ・
ダスビダーニャによって演奏されるそうです。

☆しまだ・ ゆきやす:1995年旗揚げの自主映画上映団体「総合映像格闘技イメージ
リングス」主宰。今年はプロデュース作品『恋する幼虫』(井口昇監督)の劇場公開、
ユーロスペース「映画番長」シリーズの宣伝業務など多忙な一年だった…。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(2)
■『圧殺の森』を見て 富永 淳市

ゴダールは言った。「映画を政治的に撮る。」と。しかし、映画監督、脚本家、更に
運動家でもある足立正生はこの言葉への答えとしてこう言った。「映画を運動的に撮
る。」と。

本作「圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録」は、1967年、群馬県高崎市立高崎経済大
学においての闘争を収めたフィルムである。その前年には早稲田大学で、翌年には日
本大学、東京大学で大きな闘争が起こっていた。

日本全国で起こっていたこの学生闘争は、当然都心から離れた地方都市である高崎に
も届いていた。この闘争は、不正入学問題という全学的問題という全共闘的な闘争に
端を発しているのだが、この発端から終わりまでのこのフィルムに収められている学
生たちの姿は、そのままその後の学生闘争の姿を暗示しているかのように見える。大
学の大衆化の波をうけて国立大学が駅弁のようにどこにでもできる時代、高崎経済大
学もその煽りをうけて誕生した。この「大衆の大学」、高崎経済大学での闘争は、同
じく「大衆の大学」を全国規模で引き受けた日本大学の闘争の姿とだぶって見え、し
かしその後先鋭化し孤立して行く姿は68年4月28日の銀座占拠闘争以後に同じく先鋭
化、孤立化の道を辿った学生闘争の姿とそのまま被るのだ(もっとも、彼らは赤軍化
はしなかったのであるが)。そういった意味でこのフィルムは、当時の記録として資
料価値も十分にあるだろう。

しかしこの一連の闘争の中で主にこのフィルムに収められているのは主に、既に全学
的闘争からは離れ始め段々と先鋭化していく彼らの運動と、彼らそのものの姿とであ
る。素朴ではあるものの、しかし厳しく、鋭く自分たちとその学問の場である大学と
が如何にあるべきかを問い、行動する彼らの姿は非常に真摯であり、それは感動的で
すらある。そこにこの記録フィルムの「映画」としての価値を見出すことができる。.

人間の一回限りの生の中の、正に今、ここにある一瞬に全てを賭するときのこの上な
い切迫感、緊張感。これを収めることのできた記録映画こそ、原一男氏の言う「アク
ション・ドキュメンタリー」なのであろうし、それは映画がスタジオを離れ、街頭を
そのまま対象として撮り、必死に生きてゆこうとする人間を収めきったときに勝ち得
た「運動」性、つまり撮影者の身体性の刻印であり、主観の全面的解放に成功した映
画でもあるのだ。そしてこの「映画」では撮影者と被撮影者とが絶対的な信頼に基づ
く共犯関係を持つことによって撮影者の身体性はそのまま被撮影者の身体へとのりう
つり、完璧な一人語りの美しい世界が完成されている。更に、学生たち内部での、ま
た彼らと学校、市の職員たち、警官の人間関係或いは対立という劇的関係、そして最
後の逮捕、指名手配という幕切れはこの映画に「劇映画的」という華を添えている。

これらが織りなすこの一瞬においてのみの美しさが、この映画を「名画」として語り
継いでゆくべき映画足らしめているのだ。.


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映

●『アマゾンの読経』完成記念上映会

ブラジル在住記録映像作家 岡村淳 製作・構成・撮影・編集・報告
全3部・上映時間5時間17分 一挙上映(途中休憩あり)

1988年、一人の日本人旅行者がアマゾン河で失踪した。その人は日本移民の無縁仏を
供養する巡礼を続けていたという。謎の失踪事件の背景を9年がかりで南米と日本の
各地に訪ね、埋もれていた壮大な移民秘史を発掘していく。

.日時:12月4日(土)午後1時開場、1時30分開始、8時閉会予定
.会場:オリンピック記念青少年総合センター、センター棟310号室(160人室)
   東京都渋谷区代々木神園町3番1号(当日問い合わせ先:090-9232-0586)
   小田急線参宮橋駅下車、徒歩約7分
地下鉄千代田線代々木公園駅下車(代々木公園方面出口)徒歩約10分
   アクセスマップ → http://www.nyc.go.jp/users/d7.html 
会費:当日、制作者への「カンパ」をお申し受けいたします。
問い合わせ先:日本ブラジル交流協会(連絡先:< info@nippaku.or.jp >)
関連サイト「岡村淳のオフレコ日記」: http://www.100nen.com.br/ja/okajun 


●明治学院大学言語文化研究所主催公開講座のお知らせ

「土本典昭 上映と講演会」
日時:12月7日(火)18:00〜 『ドキュメント 路上』上映
          19:15〜 土本昭典氏講演と質疑応答
会場:明治学院大学白金校舎3号館3201番教室
交通:南北線白金台駅・白金高輪駅から徒歩約7分
浅草線高輪台駅から徒歩約7分
品川駅高輪口 都営バス「目黒駅」行「明治学院前」下車(乗車約6分)
目黒駅東口(ロータリー側)都営バス「大井競馬場」行「明治学院前」下車(乗車約
6分)

料金:入場無料、予約不要

『ドキュメント 路上』(1964年、白黒、オリジナルは35ミリ、54分)
1963年、高度経済成長の只中、都市整備の工事が急ピッチで進む東京。一挙に悪化す
る道路事情。タクシーの運転を生活手段とする主人公。トラックがひしめき合って走
る中、彼の運転するタクシーも走る。突然、ミキサー車が前方を遮る。急ブレーキ!
互いにののしり合ううち、道路は大渋滞。やっと走り出したと思えば、突然サイレン、
スピード違反。罰金は生活に直接ひびく。罰金の支払窓口ヘ行くと、そこは運転生活
者でいっぱいである。

土本はこの作品を劇映画と考えている。違反や危険なしには働けない運転生活者の労
働実態に目を向け、日常の外面をモンタージュすることで日常の内面をえぐりだして
いる。なお、この作品は、交通安全映画として警察庁に買い上げられ、活用されるこ
とになっていたが、完成後未公開のままとなった。

詳細は、 http://www.meijigakuin.ac.jp/event/kouen_log/001613.html 
問合先:明治学院大学言語文化研究所 電話03-5421-5213
 http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo 



●「ドキュメンタリー映画の創始者たち」

上映作品:
『極北のナヌーク』(ロバート・フラハティ監督/1922年/アメリカ/50分/白黒/
16mm)
『流網船』(ジョン・グリアスン監督/1929年/イギリス/40分/白黒サイレント/
16mm)
『雪国』(石本統吉監督/1939年/日本/40分/白黒/16mm)
『戦ふ兵隊』(亀井文夫監督/1939年/日本/66分/白黒/16mm)

開催時期および上映場所:
12月18日(土)東京国際フォーラムホールD1(千代田区)
13:40       開場
14:00-15:35    Aプログラム(「流網船」「極北のナヌーク」)
15:50-17:40    Bプログラム(「雪国」「戦ふ兵隊」)
18:00-19:35    Aプログラム
19:50-21:40    Bプログラム

チケット代:1プログラム・・・1,500円
 (前売1,300円、当日A・Bプロチケット同時購入の場合2,600円)

主催・連絡先:P.0.P.ネットワークス  http://popnetworks.55street.net/ 
        popnetworks@hotmail.com 

作品解説:
(1)『極北のナヌーク』監督:ロバート・フラハティ(アメリカ/1922年/50分/モノ
クロ/16mm/サウンド版/日本語字幕あり)
カナダ北東部アンガヴァ半島に暮らすエスキモー一家の生活を一年にわたり描いたド
キュメンタリー史上に残る大傑作。厳しい寒さと近代文明のない世界で暮らす人々を
捉えたドキュメンタリー。

(2)『流網船』監督:ジョン・グリアスン(イギリス/1929年/40分/モノクロ・サイ
レント/16mm/日本語字幕なし)
世界ドキュメンタリー映画史上、最も有名な作品のひとつ。荒海でニシン漁をする魅
力的な人々を「フラハティのように採取し、エイゼンシュテインのように編集した」
といわれる名作。

(3)『雪国』監督:石本統吉(日本/1939年/40分/モノクロ/16mm/日本語)
山形県新庄村(当時)で数カ月に及ぶ長期ロケを敢行して撮影された、日本のドキュ
メンタリー映画における記念碑的存在。雪国の人々の生態を記録し、雪害対策の重要
性を社会問題として提起した。

(4)『戦ふ兵隊』監督:亀井文夫(日本/1939年/66分/モノクロ/16mm/日本語)
亀井文夫の最高の作品であり、日本映画史上において傑作と言われる。陸軍省の依頼
により戦意昂揚映画として企画製作され、約5ヶ月間、中国・武漢作戦に従軍した。
反戦的な哀感が強すぎるとされ上映禁止となった問題作。


●連続ティーチ・イン沖縄
−ヘリ墜落事件以後、沖縄で何が起きているのか−

日時 2004年12月18日[土]14:00〜19:00
第一部:14:00〜15:00 スライドショー+トーク
第二部:15:30〜17:00 ティーチ・インと車座集会−石川真生さんを囲んで
第三部:17:30〜 交流会(映像作家・本田孝義による沖縄国際大学「米軍ヘリ墜落
事件」上映予定)

会場 国際基督教大学 大学本館260
   交通:JR中央線・三鷹駅/武蔵境駅下車 「国際基督教大学行き」バス約10分
    http://www.icu.ac.jp/campusguide/index.html 
参加費 500円(資料代)(第三部参加者の方からは飲食代1000円をお願いします)

去る8月13日に起こった海兵隊ヘリ墜落事故。まったく偶然に、そのとき石川真生は
事故現場に近接する佐喜真美術館で『沖縄ソウル展』を開催中であった。彼女は、カ
メラをもってすぐに現場に飛び出した・・・・・。

石川真生は、復帰直後の1970年代、「東松照明教室」のワークショップを通じて写真
を学ぶ。以来現在まで、「基地を取り巻く人々」「港町エレジー」「戦世(いくさ
ゆ)
オキナワ48年目の夏」「フィリピン人ダンサー」「日の丸を視る目」「沖縄芝居 
『劇団でいご座』」「沖縄の自衛隊」など、被写体一人ひとりの人生に迫る作品を発
表し続けている。
また、9月12日には、三万人の人々が集まり、ヘリ墜落に抗議する宜野湾市民大会が
開催された。これまで自然写真家として活動してきた石川直樹は、事故現場を訪れ、
その厳しい自然状況に目を凝らした。
今回のティーチ・インでは、個の立場で沖縄の真実を見つめ、表現に取り組む写真家
・映像作家を迎え、中央メディアでは「認知されない」沖縄をいかに表現するか、そ
のメッセージから、共に考え、読み解き、そして、参加者それぞれがどのように応答
し、表現できるのか、その可能性を探る試みです。

*ゲスト・スピーカー*石川真生(写真家・ http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/ )
身体から溢れる沖縄を写真で表現・アピールし続けている、石川真生さん。NYでのグ
ループ写真展から帰ったばかりの真生さんを迎え、展示作品を紹介しつつ、アメリカ
人の反応や大統領選の様子を交えて、沖縄をめぐる写真の行方について、お話をうか
がいます。

主催:連続ティーチ・イン沖縄実行委員会
問い合わせ先: chiyow@tsuda.ac.jp 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●フレームに切り取られた情景を最初に目撃するのは、カメラ/・アイに接眼するカ
メラマンである。大詰めを迎えている大津幸四郎さんの連載は、そうしたカメラマン
の、現場で直面する創意と工夫の「術」を伝えている。カメラポジションのこと、カ
ットのもつ意味、アップの考え方…。

こうした撮影に際しての重要な事柄はそれ自体、映画の思想である訳だが、長年の蓄
積を重ねて、大津さんの中で理論化されてきた。ここには、具体例を引きつつ論を展
開する大津さんならではの含蓄ある言葉が充満している。

●11月下旬に行なわれた東京フィルメックスで、アピチャッポン・ウィーラセタクン
(タイ)の『トロピカル・マラディ』を見た。かって山形映画祭で『真昼の不思議な
物体』を見て以来、彼は私の一押しの監督である。2年前の『ブリスフリー・ユアー
ズ』も素晴らしい作品だった。今回の「熱帯病」の意を持つ新作も期待していたのだ
った。果たして、上映が終わっても私は暫らく腰が立たないほどの感銘を受けた。
中枢神経が麻痺したような衝撃を受けたのだ。

2時間近い作品の前半は、二人の青年が愛を交歓するシーンを軸にスケッチ風に進行
する。後半に至って画風はがらりと変わり、俄然面白くなってくる。漆黒の森のシー
ンへと移動するに従って、私のテンションも上ってきた。熱帯に蒸す圧倒的な森に、
監督は明らかにアジールを想定している。国家や法、さらに世俗の及ばない自由な空
間。青年は解き放たれ(文字通り、素っ裸になってしまう)、森を彷徨する。森は想
像力を刺激する。トランス状態に入った彼の聴力は、猿や虎、さらには鳥の言葉さえ
をも聞き入るシャーマンな能力を獲得する。

人間の基層にある「野生の思考」を通して人間の本源的な回復を願うアピチャッポン
の熱いメッセージ。国家が形成される遥か前に、自然や動物と豊かに交歓する「神
話」の時代への感応を見事に謳いあげる。不思議なことに、電子音も取り入れた動物
や森のさざめきも官能的だ。圧倒的なテーマ巨大さと、それを描写する力!そう、
『トロピカル・マラディ』は映画的冒険に満ちた映画なのだ。本作に最優秀作品賞
(グランプリ)を与えた審査員の卓見も評価したい。.

「作品を最初に見る観客は監督である。その監督が納得するのでなければ作品ではな
い」とアピチャッポンは言う。これほどの作家性を発揮した本作をリリースする豪胆
な配給会社は果たして日本に現れるのだろうか?期待すところ大である。タイでは観
客が詰めかけたそうである。

●neoneo坐では小川紳介の全作品を順次上映している。先月は『三里塚の夏』を上映
し、土本典昭監督の『パルチザン前史』の2本立ては、若者を中心に満員の盛況だっ
た。そして12月25日(土)は『日本解放戦線 三里塚』と『三里塚 第3次強制測量
阻止闘争』を予定している。それに先立ち12日(日)には「冬を科学映画する!」と
題して雪にちなんだ科学映画6本を上映。直ちに「優れた科学映画はエンタテインメ
ント」であることを認識していただけることと思う。ぜひご来場ください。
(「neoneo坐通信」を参照)

もう一つ、耳よりのニュース。12月7日(火)午後6時より明治学院大学(白金校舎)
での「土本典昭 上映と講演会」。見る機会の少なかった初期の傑作『ドキュメント
 路上』(撮影:鈴木達夫)が上映される。土本さんの講演と合わせて、ぜひ見て頂
きたいと思う。誰でも無料でご覧になれます。詳細は「上映」欄をどうぞ。



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■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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