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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.25 2004.11.15

2004/11/15


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      対極のドキュメンタリー
         ―小川紳介と土本典昭(7)  大津 幸四郎
 †02 自作を解剖する
      『ドキュメンタリスト綿井健陽
         〜The Little Birds バグダッド 父と子の物語』  綿井 健陽
 †03 ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
      『ドキュメンタリー映画の歴史』を教える楽しみ(2)  水野 祥子
 †04 列島通信 ≪大分発≫
       映画館に見る税務署の横暴  田井 肇
 †05 ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(10)
       死語になった「流し込み」  安井 喜雄
 †06 neoneo坐通信(11)
      11月27日:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」(第2弾)
              『日本解放戦線 三里塚の夏』『パルチザン前史』
      12月12日:科学映画特捜隊(2)「冬を科学映画する!」
              『霜の花』『北方の霧』『たのしい科学 雪の結晶』
              『SNOW CRYSTALS(雪の結晶・英語版)』
              『科学するこころ 中谷宇吉郎の世界』
 †07 広場
      投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(14)
         キューバの日系移民の胸の内  波多野 哲朗
      投稿屋台『クチコミ来来軒!』(2)
      投稿:レビューリレー(1)私は小川紳介を見た!  中村 のり子
 †08 編集後記  伏屋 博雄


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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■対極のドキュメンタリー ―小川紳介と土本典昭(7)
┃ ┃■大津 幸四郎
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●『パルチザン前史』の撮影

筒井武文:それで、60年安保からこの時代が始まったというお話がありましたよね。
それでこの『パルチザン前史』が69年に撮られて、最後のシーンで「大阪万博まで後
百何十日」というのがありますよね。大阪万博ということで、これは美術界も映画界
もある種二分されて、対立の構図が露出したときだと思うんですけれども、あそこを
入れたのはやはり土本さんなりのある種、万博批判的なところがあったんでしょうか。

大津:そうですね。しょっちゅう京都から大阪へ通うのですけれど、否が応でも万博
の会場の脇を通るんですよね。当時大阪の市長は革新系で、市長なんかもかなり過激
なことを言いながら ちゃんと万博準備のレールを敷いていこうとしている。どうな
っているのということになりますよね、当然。万博に対するある種の批判を込めて、
万博の会場を写しても抗議の意思を上手く表現できない。ということで、街中にある
大阪の駅前にあった電光掲示板を写し、皮肉の目で、冷めた視線で歴史的時間を示す
ことも考えてフィルムに収めたわけです。あれ未発のテロルは事実なんですよね。.
あそこで大阪の駅の真ん前で火炎瓶闘争をやろうということで準備し集まったんだけ
れども、行ってみたら、あいつも警察、こいつも警察という形でもうぐるりと取り巻
かれているという状態で、これは本当に警察に取巻かれていたのか、警察のゴースト
を見たのか定かでないのですが、これはやばいよということで、じゃぁ引き上げよう
かと。こういう状況で表面はのっぺりした通常の街ですよね。何処に警察権力が潜ん
でいるか、そんな中でたまたまパトカーを見つけて撮ったり、今見ると「万博まで後
百何日」は皮肉を込めて非常に時代を表現していますよね。

●滝田修氏の指名手配の背景と経過

筒井:この映画は最後になると滝田さんの日常みたいな、予備校でアジっていたり、
子どもを抱いていたりとか、港で働いていたりとか、そういう姿が出てきますが、そ
の後は何か交流とかございましたか。

大津:その後ですね。映画の完成は1969年12月だったと思いますが、完成後は僕は直
接は会う機会はなかったけれども、その後、滝田さんは翌年の1970年3月に警視庁か
ら指名手配されるわけです。『パルチザン前史』は滝田のキャラクターの面白さもあ
ってかなり評判を呼びました。映画会もあちこちでやられました。権力にとっては、
革命の扇動者、要注意人物です。それはいつか来るなとは思っていたんですよ。
ただ、何で来るかなと思っていたところが、朝霞の自衛隊基地をあるゲリラグループ
が襲って自衛官を殺して、銃を略奪するという事件が起こった。そのとき、その中心
になっていた者というのはやや誇大妄想的なところがあって、逮捕されるとぺらぺら
と事件をでっち上げるようにして拡大してしゃべっていった。

実際たぶん滝田君と彼とはどこかのホテルかどこかで会ったことはあるようですが、
具体的に自衛隊を襲撃して武器を奪うなどと計画することは全くなかったと思います。
ただ、滝田君は割合他人と気軽に会う傾向があったので、電話など入れて「ちょっと
会いたいんだけれども」と言えば、気軽に会うことができたようです。.
会ってこれこれの事をしたいと言えば「それは良いこっちゃ」位のことは言ったかも
しれません。滝田が示唆したということで共同謀議、共同正犯で指名手配されていく
という馬鹿馬鹿しいことになるわけです。

そこで滝田は警察権力に挑戦状を叩きつけるようにして、自ら失踪していく。4年間
の長期の挑戦になるわけです。警察は滝田の逃亡を追って土本氏の家宅捜査をします。
土本氏は『パルチザン前史』の監督、失踪当時の滝田の動静に最も詳しい仲間の一人
です。と言う事なんでしょうね、警察は。土本さんのところにガサ入れをするのです。
土本氏はそこまでは予想していなかったから、アドレス帳などの書類を焼くとか、ど
こかへ移動させるとかはしなくて、いつもどおりに家に資料を置いていた。そして警
察が押収していった最大の戦利品が住所録。それで、その住所録を中心にしてしらみ
つぶしに土本さん関係、ほとんど映画人が多いですけれども、その関係を洗っていく。
僕のところなんかもよく来ましたね、菓子折りなど持って。「これ迷惑」と言って突
っ返すと、素直に持って帰って行きましたけど。.

筒井:とばっちりというか。

大津:とばっちりですね。土本さんのところがやられたというので、遅かれ早かれ来
るだろうなとは思っていたんですがね。この辺が面白いなと思うのは、たとえば土本
さんはその後70年に入って、水俣を作りますよね、一緒に。それから、スウェーデン
の映画祭で水俣を上映することになって招待されて行きます。日本に帰ったらパクら
れるかもしれないとの危惧があったから、そのままヨーロッパを遊んでいようかとい
うようなことを言いながら、ヨーロッパ、パリにかなり長く行ってきたんですよね。
僕の方はちょうど南太平洋にロケに行っていて、三ヶ月ぐらい行ってたんですが、そ
れで羽田に帰ってきたら、翌朝8時位だったと思いますが、ご丁寧にお土産を持って
現れました。(笑)そういうところに非常にある時代性を感じますね。帰った翌日、
早朝ですよ。勿論、偶然訪ねたことにしていましたが、偶然にしては出来過ぎていま
すね。まぁ、そんな時代でした。

筒井:そのパリでは山田さんなんかもいらした頃で、確か。一緒にバスター・キート
ンの映画を観たとか、土本さんは割合そういうコメディ映画も好きなんですよね。

大津:彼は今は映画をあまり観ないようですが、実際はかなりよく見ていました。.
チャップリンなんかも彼はかなり丁寧に見ていたようです。でもバスター・キートン
の方がはるかに面白いと言ってましたね。そのパリにいたとき、今、指揮者の小澤征
爾さんの娘さんが書いていますが、最近ベストセラーの中に入っていた本の中で(小
沢征良「おわらない夏」)。その本の中に出てくる彫刻家の小父さんがいるんですよ。
まか不思議な彫刻家が。藤江さんと言うんですけれど、亡くなりましたが。彼が土本
さんの映像の先輩だったのです。藤江さんと言うのは岩波で一本だけ映画を、今観る
と傑作だと思いますけれども、一本だけ作って、「僕は彫刻をやるんだ」ということ
で、40位になってパリに行ってしまった。土本さんは彼のところにずっと居候してい
たんですよね。そしてシネマテークとか、映画を観まくっていたようです。

●客席との質疑応答

筒井:ではこの辺で皆さんの質問を受けます。

Q:両作品では、例えば『パルチザン前史』の足のショットや、毛沢東の写真のショ
ットに代表されるような象徴的なカットが多いが、小川、土本両監督からは何か「こ
れを撮ってくれ」という指示は出ていたのですか?

大津:あの、土本さんもそうだけど、現場で「こう撮ったら」というか、あるサジェ
ションをするということはあまり無かったんですね。だから、現場に行って悩むんで
すね、「これ撮ろうか?撮るまいか?」と。当時はフィルム、高価でしたからね。そ
の時期を逃すと、それはもう無くなっちゃうかもしれない。本当にその瞬間を逃がす
とそれを撮り損ねるかもしれない、ということがあるんですよね。.

その時現場の雰囲気を見ながら、これ撮るか撮らないかと迷う時、「撮る?撮らない
?」と言葉には出さないで、お互いの眼をチラッと見る、たったそれだけですよね。
そうすると「撮るか!?」と僕自体も宙吊りななって悩んでる時、「撮ろうか?」とパ
ッと彼の目を見ると、彼もパッと見返してくる。それで大体分かっちゃうわけですね。
それでフィルムを廻し始めると。これやめとこうよ、ということになることもありま
すが、ほとんど阿吽の呼吸ですよね。.

だから、ここからこう撮ろうよというような議論をすることはほとんど無かったと思
います。まぁ、時間がたっぷりあるときには、僕が現場をうろつきながら考えること
はありましたが。まずカメラを廻して、それからカメラワークを考えるというか、カ
メラがひとりでに動き始めてしまう。ラッシュを見て、「これアップが欲しかった
ね」とか、僕も「しまった、やっぱりもう一つ、アップを撮っておけば良かった」と
か、彼の方も見ながらアップが欲しい時、「アップがあると良かった」ということは
言う。そうすると、それは反省材料。次の時にどうするかということを考える糧にす
るということになるわけです。小川氏も、さっき言ったような形で「これを撮って欲
しい」という指示はほとんど無かったですよね。まぁ最初に仕事を一緒にする時は、
勿論いろいろと議論したり、現場で支持がとんだりすることはあります。しかし2本3
本目となると、あまり喧喧諤諤ということはなかったです。それがコンビネーション
の妙でしょうね。

それで、あなたが言っていたその足の問題、あれはそういう意味では僕が勝手に寄っ
ていくわけですけど、見るとまあ、かなり汚い足ですよね。かなりの長い闘争の中で
あまりこの人たちは足を洗っていないなと。また同時にあの枕投げ、あの時は女の子
もからんでいたので性的な臭いがかなり強く出ていますが、あれ、修学旅行とかでよ
くやってましたよね、みんな。僕なんかもやったことがある。どこかで性の匂いがす
るんですよね、とってもね。そういう意味もあって、裸の足に寄っていってみたくな
ったり、その中にある性的な匂いを嗅ぐとかね。特にあの時は男性だったけど、ひょ
っとすると、今見るとホモセクシュアル的なとは言わないけれど、そういう匂いもあ
るだろうし、という意味もありますよね。.

そういう意味では、割合それを初めから意識して撮っているわけではないですけど、
撮っているとどうしてもそこへスウッと寄っていきたくなっちゃう。というのはこれ、
カメラマンの習性なんですかね。(笑)カメラを廻しながらの発見ですかね。初めか
らこれをこの角度から撮ろうとすると、作為的いやらしさが見えてくるのですが、発
見という眼があると割合素直に見えてくるのですね。面白いと思ったら、ある臭いが
立ちのぼり始めたら、そこに性的な匂いがある云々ということじゃなくって、何かこ
う、感性に響いてくるのですね。感じちゃうんですね、そこですね。その時そこで惹
きつけられるようにスウッと寄っていくんですよ、ということです。

●文化大革命の余波

毛沢東に関しては、要するに毛沢東の写真があった、というだけです。ただ、今から
見るとどうもあれは良かったのかどうか?ということはありますよ。だけどやっぱり
69年の段階ではまだ毛沢東について今ほど冷静に客観的に見れなかった。毛沢東の問
題というのは58年から始まるのですよね、「大躍進」からね。「大躍進」は完全な失
敗だった。三千万の人々が餓死したのです。その事実は世界の眼から隠されていたの
です。

あの頃はまだ、さっき筒井さんとも話したけれどゴダールが『中国女』を撮ったりな
んかしている時ですよね。そう言ったら悪いけど、言わば世界全体が騙されていたん
ですよね。「造反有理」「反逆を求めて」「永続革命」、かなりアナ―キーな臭いが
しますよね。中国の文献を読んでも、中国人民の多くが騙されていた、文化大革命の
初期の段階では。騙されたと同時に、一切の事が封印されていた。そして大儀のみが
捏造されていった。しかも、権力闘争は激化していった。69年の後半からですよね。
権力闘争に発展していくのは。という意味で、ここで言うと語弊があるかもしれない
けど、これを撮影した当時は、ソビエト・ロシア帝国主義から比べるとまだマシじゃ
ないか?という意味で毛沢東に寄った、というふうに解釈してもらえますかね、はい
(笑)。これ少しおかしいと思い始めたのは、若者は勿論、子供までもが「毛沢東語
録」を手に掲げ始めたときからです。(つづく)


■大津 幸四郎(おおつ・こうしろう)
日本で最初の女性映画監督、坂根田鶴子の映画が、この12月開館予定の「京都シネ
マ」の建ち上げに大忙しの神谷雅子氏をメイン企画者に、熊谷博子監督で制作開始さ
れました。そのプロジェクトの助っ人として、映像による準備稿の撮影に携わってい
ます。坂根は1903年生まれ。戦前は溝口健二の監督補として、戦後は編集、記録とし
て同氏に師事。初監督は『初姿』(1936、第一映画)、後満州映画協会で『開拓の花
嫁』(1943、啓民映画)などを監督したが、その事実は日本の映画界から無視されて
いた。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『ドキュメンタリスト綿井健陽
┃ ┃   〜The Little Birds バグダッド父と子の物語』
┃ ┃■綿井 健陽
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●イラクの姿をどう伝えられるか?

正直、途方に暮れていた。
つい先日も同じような事件が起きたばかりだが、ちょうど最初の日本人人質事件が起
きた直後の今年5月、僕は4度目のイラク取材から帰国した。そして、So-net・チャン
ネルのプロデューサー小西晴子さんと会った。同チャンネルのシリーズ番組「ドキュ
メンタリスト」の枠での製作に向けて、いよいよ具体的な段取りに入らなければなら
ない時期を迎えていた。
「もうそろそろ始めないと、番組化できないわよ」
と彼女から言われ、僕は返す言葉を失っていた。
目の前に120時間余りのイラクの撮影映像があるだけで、これをどう「料理」すれば
いいのか。料理の「メニュー」はいくつも思い浮かんだが、その「調理方法」が見え
ない。確かに自分が撮ってきた、「釣ってきた魚」はある。しかも相当「新鮮な魚」
であることは間違いない。しかし、これをドキュメンタリー作品として、「刺身」に
するのか、「焼く」のか、「煮る」のか、どんな「味付け」をするのか、そこがほと
んど見えなかった。

ぼくの頭の中にあったのは、かろうじて「イラクでこれまで起きたこと、イラクの人
たちの思いを、イラクの人の表情や声、自然の音で描く」ということだけだった。そ
して、それをニュース番組の項目の一つではなく、一つの作品として、物語として描
く、それがこの作品の主題だった。その意味で、自分の中にあった制約は、「ナレー
ションは一切入れない」「字幕スーパーだけ」だった。音楽も、最終的にはエンディ
ング部分では使用したが、それ以外は一切入れていない。.

僕はこれまで、インドネシア・東ティモール・アフガン・イラクと様々な地域の紛争
・戦争取材は経験してきたが、その取材の発表方法はいつもテレビのニュース番組の
「映像リポート」や「映像報告」だった。時間枠は、長くても8分、短いものだと3分
枠だった。それらの「仮編」「仮構成」はいつも自分で作ってきたつもりだが、実際
の作業となる本編集は、テレビ局のディレクターの力を借りてきた。したがって、ナ
レーションも音楽も含め、「完パケ」作業は、僕一人ではとてもできない。今回は、
「59分枠 完パケ納品」だ。
「果たして本当にできるだろうか」。
そんな不安だけが先行するなか、この作品の「水先案内人」、そして「料理長」とな
ってくれたのが、プロデューサーの安岡卓治さんだった。

今年5月、小西さんとともに、安岡さんも交えて一緒に居酒屋のテーブルを囲んだ。
そして、安岡さんは開口一番、「よし、じゃあ俺がやろうか」と切り出した。そして、
「この『イラク戦争』というものに、これまで何もかかわってこなかったが、この作
品を通じて、俺もあの戦争が何だったのか、自分なりに考えてみたい」と話してくれ
た。
このとき、僕はようやく「スタート地点」に立つ決心ができた。

しかし、6月から具体的な作業に入って、いきなりつまづいた。まず120時間余りある
撮影素材から、「OKカット」を選ばなくてはいけない。作品の中でこれは「使いた
い」というシーンを構成するカットを決めなければならないのだが、これが難航した。
なぜならば、僕が「選べなかった」から。
空爆の被害、バグダッド陥落、病院の惨状、サマワの自衛隊、日本人人質事件、フセ
イン像を倒した男たち…、そうした要素を次々と選んでいくうちに、「OKカット」だ
らけとなってしまった。それだけで20時間を超えてしまった。安岡さんからは最初に
この「OKカット選び」で7〜8時間、長くても10時間以内と言われていたが、大幅に超
えてしまった。

だが、安岡さんから、「この作品のメインとなるのは、イラクの子どもたちじゃない
か。それを中心に選んでください」と指摘を受け、そこでようやく僕も選ぶべきシー
ンやカットが見えてきた。
空爆で3人の子供を失ったアリ・サクバンさん(31歳)と生き残った唯一の娘ゴフラ
ン(7歳)、クラスター爆弾で右目を負傷した女の子ハディール(12歳)。彼らたち
の表情、叫びを軸にしていくことで、構成が一つ一つ決まっていった。
作品をみてもらえれば気づくと思うが、イラクで暮らす人たちも、実は僕たちの生活
とベースの部分ではさほど変わりない。父親と子どもの会話、学校で遊ぶ子どもたち、
朝の食事の風景、それらは僕らが「少し昔」に経験したことか、「いまも」毎日繰り
返される日常とほとんど変わらない。

だが、空爆や戦闘は、そんな日常を突然切り裂いて、血、内臓、肉片、脳しょうが飛
び散る世界に変える。戦争の恐怖は、じわじわと迫る一方で、死はある日突然ふいに
訪れ、残された者たちが抱える有形無形の「傷跡」は永久に残る。
このテレビ・ドキュメンタリーは、「番組」としては完結した。だが、「物語」は
まだ続きがある。

いまもほぼ毎日、都内のウィークリーマンションの一室で、安岡さんと、編集アシス
タントの辻井潔さんとの3人体制で、編集作業を続けている。来年4月ごろの劇場公開
に向けて、今度はドキュメンタリー映画作品の製作が始まった。英語版も合わせて製
作している。
イラク戦争はいまも続き、「戦火の日常」もぐるぐると回っていく。この「物語」に
も終わりはない。

☆『ドキュメンタリスト綿井健陽〜The Little Birds バグダッド父と子の物語』
(日本/2004.9 製作/日本語・アラビア語ほか/ビデオ/59分)プロデューサー:
小西晴子・安岡卓治、編集:安岡卓治、編集助手:辻井潔、翻訳:重信メイ、撮影・
監督:綿井健陽(アジアプレス)、制作:安岡フィルムズ、製作・著作:ソニーコ
ミュニケーションネットワーク(株)

☆So-netチャンネル749での放送日時:
11月23日(火) 8:00/16:00/深夜0:00
11月25日(木) 7:00/15:00/23:00

☆劇場での特別上映
11月27日(土)午後5時〜 大阪「シネ・ヌーヴォ」にて、「ドキュメンタリー・ド
リーム・ショー──山形in大阪2004」の一環として上映されます。
 http://terra.zone.ne.jp/cinenouveau/index2.htm 

☆作品内容:空爆下のイラクで何が起こったのか。そして、今も続く戦火の中で、イ
ラクの人々はどう生きているのか。バグダッドに住むアリ・サクバン(31歳)は、87
年にイラン・イラク戦争で二人の兄を失い、90年のクウェート侵攻では自らもイラク
軍兵士だった。そして2003年4月、アメリカ軍が制圧直後のバグダッドで3人の子供を
空爆で失った。「イラクで起きたすべての戦争は、何の意味もなかった。ただ私たち
の家族が殺されていっただけだ」と、サクバンは子供たちの墓の前で語る。次々と重
なる家族の犠牲者とともに、イラクの歴史と悲劇を歩んできたサクバンの家族たちの
戦争と占領の日々。失われた子供たちへの思い、占領への怒り、そして戦争の「意
味」を、日本と世界に問いかける。


■綿井 健陽(わたい・たけはる)
ビデオジャーナリスト/アジアプレス。1971年大阪府出身。1997年からジャーナリス
ト活動を始め、1998年から「アジアプレス・インターナショナル」に所属。これまで
に、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール・アチェ独立紛争、マルク諸
島(インドネシア)宗教抗争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン他を取材。
2003年空爆下のバグダッドから、テレビ朝日系列「ニュースステーション」、TBS系
列「筑紫哲也 ニュース23」などで映像報告・中継リポートを行う。2003年度「ボー
ン・上田記念国際記者賞」特別賞。第41回「ギャラクシー賞」(報道活動部門)優秀
賞受賞。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪≪ロス発≫
┃ ┃■『ドキュメンタリー映画の歴史』を教える楽しみ(2)
┃ ┃■水野 祥子
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●ドキュメンタリーとは何か

さて10週間のドキュメンタリー史入門コースも折返し地点に到達した。週二回一日
4時間、歴史的に名高い映画に並行して、最近の映画も見ていることは前回お話した。
再現シーンを駆使してある殺人事件捜査から容疑者の死刑判決までに関わった偽証を
暴きながら、人種差別、死刑制度という大きな問題にまで観客を誘うエロル・モリス
のThe Thin Blue Line(1988)とや、閉ざされた「聴覚障害者文化」を、既存の表現
方法を使いながらも見事にその門を放ち観客を「他文化」の世界へ引きこむだけでな
く、現在称賛され開かれつつある人口内耳手術という選択が障害者の個と共同体アイ
デンティティーを揺さぶっている様子を描いた「Sound and Fury」(J. Aronson.
2002)、等、現在のドキュメンタリーにある新しさは過去の作家たちの探究あっての
もの、そして既存の方法をいかに斬新に活用するかにかかっていることがわかる。

センター・ピースとも言うべき、マリナ・ゴールドブスカヤ教授推奨のロバート・フ
ラハティーの『アラン』(1934)観賞後、マリナは、アラン島で自然と闘い日々の暮
らしを支えていこうとする主人公の一家は、フラハティーがこの映画のためにこしら
えた架空の家族であること、実はナヌーク一家も「偽物」であること、それでも2作
品の登場人物はすべて実際にそれぞれの土地に生活をする「本物」であることを話し
た。一般に受けとめられている「ドキュメンタリー」と「劇映画」の境界線が揺らい
だ。即座にある学生が「じゃあ、今日在るドキュメンタリーの定義とはどういうもの
ですか?フィクションとの境界線はいつごろどうできたんですか?」と質問してきた。
どこからどう回答したらよいのか困ってしまう質問である。読者の皆さんだったら、
学生を目の前にどう答えますか?

堂々とこの質問に立ち向かった彼女の回答を要約、通訳するとこうである。「ドキュ
メンタリー映画は、作家が事実と実在の人間を題材として、様々な人間の生き方と人
間どうしの繋がりを、作家自身の視点を通し、音と映像の言語を使って表現するコミ
ュニケーションの形態です。」 作家自身の視点を通して、とコミュニケーション、
というところに下線を引きたいところだ。 しかし、ドキュメンタリー映画の定義づ
けることは、さて、可能なんだろうか。.

その後、私も、作家としての名を残した人々の言葉を探してみた。フラハティーは
「発見することと明確にすることが、作家が各々自身の仕事に課した課題である。」
仕事、という言葉にビジネス、という単語を使っていることが面白い。勿論、芸術
(art)、探険・追及(exploration)という言葉も忘れない。「すべての芸術は追求
することのようなものだ」、とある。

ヴェルトフの言葉になると学生に説明するには最低数時間は必要だ。劇映画は人間に
「有害」なもの、とハリウッドに「宣戦布告」し、劇映画に代わる映画の完成を目指
し、かつ、その制作課程を映像で提供しようとしたのが『カメラを持つ男』だ。彼の
言葉は闘争的である。「キノ・アイ(Kino Eye)」−人間の眼がカメラ(機械)の眼
(レンズ)を通すことによって映画は新たな領域に達することができ、新しいリアリ
ティーを生み出すことができる、というアイデアを映像化したのがあの有名な『カメ
ラを持つ男』。彼の信条「Life Caught Unaware」はリアリズム信奉に聞こえるが、
ご存知のように、そう単純なものではない。つくりものでなく誰も気がつかない毎日
の生活に潜むリアリティーを「キノ・アイ」で収め編集した映画を革命後ソヴィエト
の民衆に提供することを目指した。眼で見る現実は真実でないという考えの基に、人
間の眼で見たときの映像と衝突させるかのように、相反する「機械の目」にしかでき
ない特撮効果を駆使した映像をふんだんに織り込んで、弁証法的に新しい統合体とし
てのドキュメンタリー映画を生み出したのだ。

ドキュメンタリーという言葉を造ったと言われるのはジョン・グリアソンだが、彼に
は、「ドキュメンタリーは現実を創造的に扱うことである」という言葉がある。 グ
リアソンの言葉には、創造(creativity)、扱い・処置(treatment)、という言葉
が頻発するが、この「創造」という言葉はフラハティーの言う「芸術」とは程遠いと
ころにあるし、「扱い」という言葉は似通っているようで違う。フラハティーがあく
までも人間の生き方にこだわり、自然の中で生きる対象の「困難」を劇化し、忘れさ
られていた文化慣習の再現を強要し、映像美というエッセンスを加えたのに対し、グ
リアソンは劇化することは肯定しながらも、フラハティーの「創造性」に在る審美的
要素を強く否定しただけでなく「困難」の背後にある原因を社会的問題として呈示す
ることを嫌ったアプロ−チを非難し続けた。彼が監修した作品には労働者たちとその
仕事を称賛する点はヴェルトフが享受した社会主義国家の息吹が感じられるが、英国
政府の援助をもとに大量生産した作品群には資本主義と帝国主義批判は希薄である。

1935年、ポール・ロータはこの問いに、“グリアソン哲学”の社会への貢献性を強調
するという影響を残しながらも形而上学的ツイストを含んでいる。ドキュメンタリー
をなすものは「社会のために、実在の人間たちの生活を創造的に解釈するという映画
媒体の活用法」にあるという。評論家であったロータの言葉には、映画は真実を収め
るもの、というかつてのナイーブさが消えて、映画づくりは作家の解釈を介したコミ
ュニケーションの媒体であることという認識がうかがえる。.

さてここから、教授法という話題に戻るが、エリック・バーナウ氏が著書で述べてい
るとおり、彼ら偉大な作家の定義を並べてみるだけでは学生に簡単に説明することは
できない。お気づきのように、その他幾つか定義らしい文を幾つかの本から拾いなが
ら、私が探したのは学生への答えるための完璧な定義ではない。むしろ言葉に宿るそ
れぞれの作家、書き手、組織が呈示する視点の時代性、共通項と相違点なのだ。これ
ら定義として残っている言葉にはそれぞれ真実のようなものはあるにしろ、その時代
と社会と、個人の価値観が反映されていることが浮き彫りになってくる。つまり、定
義をひとつに纏めることが私たちの課題ではなく、ドキュメンタリーとは、という問
いの答えはかつて、「青の会」がそうであったように、探究され、論争の種であって、
積み重ねられて変遷していくもの、『路上』がそうであったかのように、ドキュメン
タリーは作家が真実と見なしたものを伝える表現方法であり、優れた作品は既存の定
義を根底から揺さぶる斬新な方法を提供するものであること学生に理解してもらいた
いと思う。.

最後に、ドキュメンタリーを教えることは作品に在る、また関わる、音と映像と言葉
が内包する意味を探す機会を提供することと思う。ドキュメンタリーとは、という問
いへの答えを求められたら、まずいい映画を見て考え、それぞれの作家の視点を見つ
けること、作家の言葉を読んで考えて討論し、さらに多くの作品を見てそのプロセス
を繰り返すことが自分なりの今日のドキュメンタリーの様相を把握することが近道だ
ということを念頭においてあと4週間を楽しむつもりだ。

これからいよいよ佳境に入り、シネマ・ヴェリテ(ジャン・ルーシュ)、ダイレクト
シネマ(ドリュ−・アソシエーツ、フレデリック・ワイズマン、メイズルズ兄弟)と
辿ることになる。これらの作家たち自らがドキュメンタリーとはなにか、真実が宿る
映像を提供するにはどうしたらいいか、という問いに挑んだ結果である彼らの名作を
視聴する時その背後に隠れている長い長い論争と探究の歴史が見通すことができるか。
彼らの映画と言葉はこれまで見てきた今のモリス作品やプライベート・ドキュメンタ
リー映画へ対しても新しい視点を開くことになるだろう。この6週間米国と欧州の
(大)国の作品を中心に講義が行われてきただけに、来週は土本作品を見せながらド
キュメンタリーにはどこかで繋がっている複数の歴史があることを話そうと思ってい
る。

●水野より皆さまへお願いです。

拙稿ドキュメンタリー映画史を教える楽しみ(前・後編)で触れたペダゴジーに関連
して、ひとつneoneo読者のみなさんのご意見を伺いたいことがあります。

こちら米国の大学生向けのコースにはウェブサイトが欠かせなくなっていることは否
めません。私も10月に自らのサイトcinemule上で、早速コース受講生用ミニサイトを
オープンしました。URLはこちらです
→ http://www.cinemule.org/ftv108/index.htm 。オンラインでいつでも学生がアク
セスできる環境を24時間与えているということ、リンク等で彼らの視野を広げるとい
う観点から、サイトを設けることはいいことではあると思いますが、教える側がなに
をどの程度提供したらよいのか、図書館離れが進む原因になりはしないか、という問
題は解決されるわけではないと思っています。しかし、今の学生を取り囲むメディア
環境が大きく変わっているという点で、サイバースペースとEメールコミュニケーシ
ョンは無視できないという状況を考慮した上でつくったサイトです。

上映する映画のフィルモグラフィー等も配布している文献も見られますので、一度覗
いていただいた上、この問題に関してご意見、ご感想等がありましたら、是非
 journal@cinemule.org までお願いします。


■水野 祥子(みずの・さちこ)
全米各地を行脚していた「小津100年祭」がようやくUCLAとLA群美術館に来たと思い
きや、レニ・リーフェンシュタール回顧展と中国インディペンデントドキュ映画上映
会「リール・チャイナ」がUCLAで、パット・オニール作品展がサンタモニカ美術館で
同時に開催されて、最近購入した$1500のカローラが大活躍。そんな忙しさの中、ア
ピチャッポン・ウィラセタクルと彼の最新作トロピカル・マラディーが、体と心の奥
に隠れている野性みたいなものをわーっと開放してくれました。



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┃04┃□列島通信 ≪大分発≫
┃ ┃■映画館に見る税務署の横暴
┃ ┃■田井 肇
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●呆れ果てる無理難題

今回は、僕の映画館で今起きている一大事について、neoneoの趣旨をはずれて書かせ
てもらいます。

ある日、僕の映画館に税務署から連絡がありました。「あなたの消費税の申告にまち
がいがあるので訂正してほしい」と。ちなみに僕の映画館は、僕の個人商店として
「簡易課税方式」によって消費税を納めているのですが。

さて、本論に入る前に、消費税について簡単に説明させてもらいます。
消費税は、お店が売上から経費を除いた利益の5%を支払うかたちで、消費者から預
かっている税を納めるというものですが、「簡易課税方式」とは、経費の計算を簡単
に済ませる方式です。仕事の内容に応じて業種を「第1種」から「第5種」まで5つに
区分して、その区分でみなしの経費が決まっています。例えば「第1種」は卸売業な
どのように仕入率が高い業種で、90%のみなし経費が認められます。つまり消費税は
売上の10%に対してかかるわけです。「第2種」は小売業のように既に製品化された
ものを販売する業種で、80%の経費が認められ、「第3種」は製造業や農業で70%、
「第4種」は飲食店や金融業で60%、「第5種」は不動産業やサービス業、文筆業など
で50%が、それぞれみなし経費として認められることになっています。
すなわち納入する税額は、「第1種」から「第5種」へと、増えてゆくことになります。

この「簡易課税方式」は、「売上が年間2億円以下の事業主」、つまり規模の小さな
業者しか採用できない、どちらかと言えば弱者救済的な性格をもったもので、例えば
マッサージ業のように自分の腕一つでほとんど経費のかからない場合でも「第5種」
ですから50%は経費としてくれる。それによって得する場合がありますが、それは弱
者救済ということで目をつぶるということです。

さて、ここからが本論です。では「映画館」は第何種になるのか。実際には、映画料
だけで50〜60%を支払うのですから、家賃地代や宣伝費、通信費など経費をあげてゆ
けば80%くらいにはなります。税務署は区分の目安として総務省の作成した「日本標
準産業分類」を使っています。そしてそこでは「映画館」は「サービス業」とされて
います。よって「映画館」は「第5種」、すなわち見なし経費は50%である、と。
僕は、それを「第2種」(見なし経費は80%)として申告していたので、それはまち
がいである、というわけです。しかし、「第2種」の項には「商品の性質、形状を変
更せずに販売する事業」という文面があり、当然ながら、「映画館」はそれに当たる
というのが、僕の考え方です。当然ですよね。映画の性質(内容)や形状(スペッ
ク)を変更して上映するなんて、あり得ませんから。

ところが税務署はこう言います。「フィルムを映写機にかけて投影しているのは、性
質、形状の変更である」と。笑いますよね。映画を販売するのに、映写機にかけて投
影する以外のどんな方法があるでしょう。この場合の「性質、形状の変更」は、冷凍
で仕入れた食品を解凍して販売する小売りと何ら変わりません。さらに税務署は言い
ます。小売りと言うけれど、消費者は物品を受け取っていないではないか、と。なる
ほど。.

ここには興味深い問題があります。いったい「映画」とはどういう商品なのでしょう
か。たしかに具体的な物品ではありません。しかし、明らかに消費者は「何か」を得
て帰っています。画面の映り具合や音の聞こえ方や椅子の座り心地ではない、その映
画の中にしかない「何か」を。そしてその「何か」を、僕ら映画館は、実は変更する
ことなどまったくできず、単にそこにあらしめているだけなのです。「映画」とはそ
の「何か」のことを言うのではないでしょうか。

さて、もしも僕の主張が通らねば、僕が納める消費税は、現在の2.5倍になり、3年間
で200万円以上の追徴金を支払わねばならなくなります。これは映画館の存亡にもか
かわる一大事です。

「簡易課税方式」は、本来欠陥だらけの方式で得する人もいれば損する人もいて、そ
この矛盾を正す方向へは争えないと言われています(実際、間もなくこの方式を採用
できる上限は2億円から5000万円に引き下げられ、この方式をなくす傾向にありま
す)。はてさて、僕の映画館はいったいどうなってしまうのでしょうか。
ちなみに経済産業省は、配給会社を映画の「卸売り」、映画館を「小売り」としてい
るのですが。


■田井 肇(たい・はじめ)
1956年岐阜市生まれ。大分に移り住み、1976年、「第1回湯布院映画祭」の立ち上げ
に加わる。以後13回目まで中心メンバーとして活動する一方、地方で上映機会のない
映画の数多くを自主上映する。1989年、当時閉館の瀬戸際にあった映画館「シネマ
5」の運営を引き継ぎ、地方都市では困難とされるアート系専門の映画館として、そ
の経営を軌道に乗せ、現在に至る。



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┃05┃□ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(10)
┃ ┃■死語になった「流し込み」
┃ ┃■安井 喜雄
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●映写機には映画の歴史が詰まっている

映写機が1台しかないのでロングプレイ・ユニットを貸して欲しいとの依頼が時々あ
る。「そんな重いものを持って行かなくても流し込みしたら?」と言っても、みんな
「流し込み」をやったことがなく知らないようだ。どうやら「流し込み」は死語にな
ってるようである。

高知県の 山の小さな映画館「大心劇場」や、北海道の道南を中心に移動映画館活動
を続けておられる西崎春吉という方の映像がテレビに映し出されたのを見たら、どち
らも1台の映写機で映写されておられた。どちらもランプハウスはアーク光源のよう
だし、多分「流し込み」をやっておられるのだろうと推察するが、肝心なテクニック
をテレビの編集者が無惨にもカットしているので、よく分からなかった。彼らのよう
に映写技師を志すなら「流し込み」の技術くらい覚えておくべきであろう。

「流し込み」は貧乏な自主上映には必要不可欠なテクニックだったので私もよくやっ
たものだ。公的な施設には16mmポータブル映写機が1台しかないことが多いため、長
編映画を上映する場合、どうしても途中で巻換えのため上映を中断しなければならな
い。そこで、1リール目のフィルム尻に2リール目のフィルム頭をテープで止め、中断
せずに上映する。近年はロングプレイユニットや6千フィート巻など長尺のリールが
あり、事前にフィルムの繋ぎ込みをしているので、流し込みの手間は省けるものの、
映写中の緊張感が無くなってしまった。

学生時代に難波にある大劇シネマという若松プロの封切館でで映写をしていたことが
あって、そこは大阪の中心部でアークカーボン映写機を使用する最後の映画館だった。
いわゆるタマがけで1巻づつを2台の映写機で交互に切り替えて上映するのだが、ラン
プハウス内に取り付けたカーボンが上映中にだんだんと短くなっていくので、ランプ
ハウスの左右に取り付けられたノブを両手で回してプラス側とマイナス側のアーク放
電の距離を均一に保って光量を一定にする必要があった。これを忘れていると画面が
だんだん暗くなっていく。このカーボンの長さに限界があって、短くなると次の新し
いカーボンに取り換える。その映画館では、カーボンを節約するため鉛筆が短くなっ
たときに使用する器具みたいな金属製の棒筒に短くなったカーボンを差し込み、あと
2〜3センチのところまで使用していた。これももう1巻くらい大丈夫と思ってやって
いると、カーボンの残りがゼロに近づき、画面が暗くなって行ってついに真っ暗にな
る。私もこの失敗をしたことがあって、技師に怒られたことが2〜3回あった。当時の
映写技師は大変な権威があって、映写室横の控室にはこの技師の免許状が神棚ととも
に高々と飾ってあったことを思い出した。

万が一、1台の映写機が故障して、残りの1台で映写しなければならない時に備えて、
「流し込み」は映写技師の覚えておかねばならないテクニックのひとつであった。
幸いにして、そのような事態には遭遇しなかったが、技師の話によると天井に竹の棒
を渡したり釘を柱に打ってフィルムの流れる道程を作り、映写機の後部に送り出しの
リワインダーを置き、そこに上映するフィルムを掛ける。フィルムをそれらの道程に
沿って送り出しアームのところへ導き、ミシン部に装填し通常に映写する。1巻目を
映写し、フィルム画尻が近づいたら手早くフィルムをリワインダーからたぐり出し、
2巻目に掛け替え、フィルムの1巻目の画尻と2巻目の画頭をビニールテープで素早く
止める。テープ止めした箇所がミシン部を通過して下部の巻き取りアームに来たら、
素早くテープを外し、巻き取りアームからフィルムを外して空リールを取り付け、外
したフィルムの頭を空リールに素早く巻き取る。この繰り返しで最後まで中断無く映
写できるはずなのだが、アーク棒の長さに限界があり、1本のアーク棒では1時間を超
える映画の連続映写は難しいようだ。聞くところによるとエンドレスカーボンという
ものがあって、アーク棒の尻と次のアーク棒の頭を連結でき長時間映写も可能とのこ
とだが、残念ながら私はその現場を見たことがない。

昔の巡回上映の技師に聞いたところによると、映写機の横に水を入れたバケツを用意
しておき、次の巻の頭1メートルほどを水に漬け、上映中のフィルム尻がきたらその
1メートルほどをフィルムにダブらせるとピタッとくっ着くので、テープがなかって
も流し込みはできるそうである。水に浸かって痛んだ箇所は切断して返せば分からな
いそうである。昔はずいぶん乱暴なことが罷り通ったものだと感心する。また、予算
的に2台の映写機を購入できない業者が1台だけを買って「流し込み」で巡回上映をし
ていたケースもあったと聞く。

大阪には工藤嘉一さんという怖い映写技師さんがいた。大阪府興行協会の事務所に同
居して日本映写技術連盟大阪府支部の代表として定期的に機関誌「EGR」を発行され
ていた。工藤さんに映写を依頼したことも多々あって、映写室に行って手伝おうとし
たら「こら!勝手に触るな!」とよく怒られた。昔は軍の仕事でインドネシアの映画
館設計に関わったらしく、晩年になっても毎年インドネシアに旅行されていた。興行
協会の事務所を訪ねたらいつも近くの喫茶店に案内され、コーヒーをご馳走になりな
がら昔話を聞かされたものだ。この他にもパワーB型映写機を頂戴した吉村さん、新
饗のカーボン移動映写機を譲り受けた上田さんなど、今までに多くの映写技師さんに
お世話になって面白い話を聞いたのだが、聞き流しが多く書き留めなかったのが惜し
まれる。ほとんどの技師さんが亡くなられたか引退して現役の方は本当に少なくなっ
た。「流し込み」の技法をはじめ、巡回映画の苦労話など、昔の映写技師を訪ねてド
キュメンタリーを作ったら面白いと思うけど、誰かやりませんか? ネタはなんぼで
もありまっせ。


■安井 喜雄(やすい・よしお)
荷物が廊下まで溢れ出しどうしようもなくなったので、事務所と倉庫を分離移転した。
事務所は次の通りですので、住所録をご変更下さい。
〒530-0028 大阪市北区万歳町3-41 城野ビル206 プラネット映画資料図書館
電話・ファックス番号は従来通りです。



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┃06┃□neoneo坐通信(11)―11月と12月の上映とイベント
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●「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」(第2弾)
11月27日(土)
Program1(14:00pm〜15:48)
『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968年/16ミリ/白黒/108分)
製作:小川プロダクション
監督:小川紳介 撮影:大津幸四郎 
「三里塚」シリーズ第1作。全部のショットを、農民の中からその視座から撮り、権
力側から撮るにも、正面から、キャメラの存在をかけて、それとの対面で、すべてを
撮った。(小川)

Program2 (16:10pm〜18:10)
『パルチザン前史』(1969年/16ミリ/白黒/120分)
製作:小川プロダクション
監督:土本典昭 撮影:大津幸四郎
小川の先輩にして盟友である土本典昭が監督し、小川プロがサポートした1本。京大
全共闘・パルチザン5人組のリーダー・滝田修の闘争と日常生活に迫る。

※18:20〜18:20  トークと飲み会:2000円(飲み物+大皿料理つき)
ゲスト:阿部マーク・ノーネス(ミシガン大学準教授)

料金:当日:1プログラム1,500円/通し券(2プログラム)2,500円
一般会員:1プログラム1,200円/通し券(2プログラム)2,200円
(会員には入会金2,000円で当日加入できます。1年間有効)
賛助会員(20,000円)は1年間無料

☆neoneo坐のHPは、「neoneo坐」で検索できます。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 

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●科学映画特捜隊 vol.2 Winter Special「冬を科学映画する!」―12月の上映

科学×映画=極上エンタテインメント!〜科特隊からのメッセージ〜
オカダ・ヒデノリ/隊員NO.006

我々は科学映画特捜隊、略して「科特隊」である。その任務は地球の防衛…、と言い
たいところだがちょっと違う。日頃なかなか観られない科学映画の分野からとことん
面白い作品を探し出し、秘密基地「neoneo坐」にて上映することである。
我々の第2回の出動が決まった。朝晩かなり寒くなってきたが、文句を言っていては
いけない。キーンと冷えた、美しい“冬の科学映画”を5本用意して皆さんをお待ち
している。
「えー科学映画あ?」などと言わず、我々と興奮を分かち合ってほしい。一目観れば
すぐに分かるだろう。優れた科学映画はエンタテインメントなのだ、と。
では日曜の昼下がり、神田小川町でお会いしましょう。

プログラム:
12月12日(日)14:00〜15:30 上映
『霜の花』1948年/日本映画社/20分/白黒[ビデオ上映]
企画:北海道大学低温科学研究所 指導:中谷宇吉郎、花島政人
撮影:吉野馨治、吉田六郎、小口禎三 音楽:伊福部昭 解説:徳川夢声

≪ニッポン科学映画、氷点下から衝撃の復活!≫
戦後日本の科学映画は、低温の世界から復活を告げた。のちに岩波映画を結成する名
スタッフが、ガラス面の水蒸気にひたすら目を凝らして“窓の霜”の解明に挑む。微
速度撮影にみごとに寄り添う若き伊福部昭の神秘的なメロディは、観る者を忘我の境
地に誘うだろう。

『北方の霧』
1948年/日本映画社/15分/白黒[ビデオ上映]
提携:中央気象台 製作:吉野馨治 演出・脚本:竹内信次 撮影:小口禎三

≪哀愁の町に霧が降るのだ≫
北海道東部に現れる“海霧”に迫った力作。気球上(!)から撮影したと思われる、
純白の霧がサーッと陸地を覆ってゆくショットが圧巻!また、霧の容赦ない襲撃を、
人々の生活に結びつけた戦後調の解説も印象的。よく見ると夏の映画ですが、冷気み
なぎる作品なのでお許しを。

『たのしい科学 雪の結晶』
1958年/岩波映画製作所/14分/白黒[16mm]
製作:吉野馨治、渡貫敏男 演出:伊勢長之助 脚本:花島政人 撮影:広川朝次郎

≪雪は科学映画の永遠のアイドルである≫
どれもこれもブローチにして身につけたい、雪の結晶のオンパレード。六花形だけで
はなく、十二花形や柱状の結晶もキュート!1953年の同名作品につづいて、岩波映画
が雪の結晶の撮影に挑んだ「たのしい科学」シリーズの一篇。人工雪発生装置もつい
に登場します。

『SNOW CRYSTALS(雪の結晶・英語版)』
1939年/東宝文化映画部/13分/白黒[ビデオ上映]
指導:中谷宇吉郎 撮影:吉野馨治 撮影助手:小口禎三

≪SNOW CRYSTALはHEAVENから送られたLETTERである≫
昭和14年、“雪博士”中谷宇吉郎の研究を初めてシネマの眼がとらえた、科学映画史
の上でも記念碑的な一本。愛らしいアニメーションにも要注目。英語ナレーション
(無字幕)ですが、めったにない上映ですのでどうかご了承ください。

『科学するこころ 中谷宇吉郎の世界』
1995年/岩波映画製作所/25分/カラー[ビデオ上映]
企画:加賀市教育委員会 製作・撮影:関晴夫 演出・脚本:今泉文子
撮影:星野欣一、田島正晴 ナレーター:井川比佐志

≪「氷は金属である」と博士は言った≫
石川県の「中谷宇吉郎・雪の科学館」のために製作された、中谷博士の伝記映像。寺
田寅彦の薫陶を受け、やがて北海道からアメリカへ、そしてグリーンランドへと博士
の研究は続く。押しつぶしても割れることなく、そのまま下にへこんでしまう氷河の
氷は、まさに驚きの被写体!

15:45〜16:45 トーク in neo CAFE
「雪は天から送られた手紙である〜科学映画の黎明期〜」
ゲスト:小口禎三 氏(元・岩波映画製作所会長)

映画の料金:一般 1,500円/会員 1,200円/中学生以下 1,000円
トーク参加費:お一人様 1,000円(お茶とお菓子付き)

     ◇────────────────────────◆◇◆    

●隊員募集!
我こそは面白い科学映画を発見したい!という方の入隊をお待ちしております。
年齢不問!無給!未経験者歓迎!(現在の隊員みんな未経験者)
お問い合せ先→シミズ隊員 E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp 



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┃07┃□広場
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□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(14)
■キューバの日系移民の胸の内
■波多野 哲朗

キューバにおける日系移民は、他の中南米諸国における日系移民にくらべて、その存
在感がはるかに希薄である。キューバの日系移民の中からは、たった一人の「成功
者」も生まれなかった。それは、一度として報われる機会に恵まれなかった彼らの人
生の不運というほかはない。問題は、そうした不運な境遇に置かれた彼らが、日本人
としてのみずからを確認する場を持たなかった、あるいは持ち得なかったことである。

彼らのほとんどは、1920年代半ばの砂糖ブームの全盛期にキューバめがけてやって来
た人たちであったが、彼等が到来して数年後には、世界経済恐慌による砂糖価格の大
暴落がはじまり、キューバの砂糖農業は壊滅的な打撃を受けた。彼らは転職を余儀な
くされた。しかしモノカルチャーを強いられてきたキューバには、他にめぼしい産業
もない。そこで彼らは、キューバ人の社会へと下降して、その世界に同化しながら生
きていく道を選んだ。ほとんどがハルディネロ(庭師)、コシネロ(コック)、床屋、
あるいは住み込みの運転手・下男といった仕事であった。そうした仕事の中では、日
本人としてのアイデンティティなどむしろ不要の長物であったのだろう。1927年にハ
バナで一度設立されたキューバの日本人会も、やがて雲散霧消してしまう。

それでもキューバ人社会の中の日系人たちは、何よりもその勤勉さによって、次第に
その地位を高めていく。なかには自営業者として成功しつつあった人もいたのだが、
第二次大戦が始まると「敵性国民」として逮捕され、収容所に送られてしまう。しか
し何よりも彼らを憤慨させたのは、キューバ人として生きはじめていたみずからに対
する「逮捕」という手続きだった。また彼らにとっては「収容」が問題ではなく、収
容所が刑務所であることのほうが問題だったのである。そして皮肉なことに、それま
ではばらばらだった日系キューバ移民1世たちが、イスラの収容所においてはじめて
集団としての意識を持ち始めたことであった。ここには、キューバという国に特有の
移民の姿がよく表れている。.

一方、残された女たちもまた、キューバ人社会へと溶け込んでいった。そのほとんど
が賄婦や洗濯婦であったが、裁縫を内職する人もいた。そんな彼女らに対しても、キ
ューバ人たちは一般的に好意的であったという。それにひきかえ、富を収奪する米国
への反感は強く、街角ではしばしば枢軸国ひいきと連合国ひいきとが分かれて、喧々
諤々の口論をやっていたという。この口論は、現在もハバナの街角で見かける野球フ
ァンたちの口論を知る人にはすぐ理解できるだろう。殴り合いこそしないものの、じ
つに激しい討論で、通行人を巻き込んで夜遅くまで続けられる。が、所詮はゲーム。
第2次大戦もまた同様、一般のキューバ人にとっては、ゲームのようなものだったの
だ。日系移民たちを見舞った戦争の悲劇は、ひとえに米国の傀儡となった政権によっ
てもたらされたものであった。

しかしこの間に、1世たちが築きあげてきた財産の一切が失われてしまう。そして戦
後は無一文からの再出発となるのだが、戦後のキューバに、米国のような国全体の豊
かさによる恩寵がいささかもなかったことは言うまでもない。

こうしてかれらの追いつづけた夢は、ついに完成することないシシュフォス的な夢で
あった。「いまから考えてみると、ほんとにバカな人生を送ってきたもんですよ」と
宮澤カオルさんはしみじみと語る。誰をうらむ訳でもないが、騙されつづけてきた自
分が悔しいのだと彼女は言う。

一身につぎつぎと降りかかった災難でありながら、その被害意識を向けるべき焦点が
定まらず、ただその憤懣をみずからの人生の不条理として引き受けざるを得ないつら
さについて、宮澤カオルさんは語っているかのようだ。「何一つ、いい思い出などあ
りゃせん」「日本のことなど、みんな忘れてしもた」とカオルさんは私に言うが、い
まやたった4人になってしまった日系キューバ移民1世の中でも、ひときわ聡明な思考
の持ち主である宮澤カオルさんが、そう簡単に忘れてしまうはずはなく、彼女にはた
だ想起することがつらいだけなのだ。(かおるさんに常時付き添っている実娘キヨコ
さんも、「母は日本のことを忘れてはいません」とそっとささやいてくれた)

それは、かつて1970年代に日本への帰国のチャンスが訪れたとき、いまは亡き夫とと
もにみずから帰国を拒んだカオルさんの、一貫した決意表明のようにも思えるのであ
る。彼女はすでに、「移民」であることをやめているのだ。

じつは、戦争が終って収容所から釈放された日系人のなかにも、日本への帰国旅費だ
けならなんとか工面できる人がかなりいたという。にもかかわらず、キューバを出た
人がたったの8人だったという事実にはまったく驚いてしまう。彼らは、なぜ帰国し
ようとしなかったのか?「永住者」たらんと決意したのだろうか? いや、おそらく
彼らは、「錦衣帰郷」とまではいかなくても、裸一貫で帰国するわかにはいかなかっ
たのだろう。しかしながら、計らずもこの決心によって、彼らは結果としてキューバ
の「永住者」になったのである。

その後、キューバに骨を埋めた多くの1世たちが、どんなにか日本に恋焦がれたこと
か。イスラ・デ・ピノスつまり「松島」という名の島に住んでいることだけでも、彼
らの望郷の念が癒されたというのだから、その想いが尋常のものではなかったことが
察せられる。それにしても、この強烈な望郷の念と、帰国を思いとどまる気持の間に
横たわる巨大な精神のギャップとは、一体何だったのか。

いや、そもそも「移民」と「定住者」との違いとは何だろう。その間には遠い隔たり
があるのか、それとも紙一重なのか。


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
映画の編集をやっていると、すぐにでも撮影現場に飛んでいき、もう一度聞き直して
みたくなる。実際そうやったこともあるのだが、どこで断念するかが問題だ。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■投稿屋台『クチコミ来来軒!』(2)
■屋台引き:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭)

●菜単(メニュー)

1.『新・クチコミ200字評!』
オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!映画・ビデオ・テレビなど
皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも可!もちろん「オススメし
ない映画とその理由!」もOKです。

2.『私のオススメ三品!』
ゲスト選者をお招きして、ひとつのテーマにちなんだオススメの三作品をトータル
400字でご紹介していただくコーナー。選者募集中!

3.『お味見レビュー100!』
特定の作品やテーマでの「お題」を出して、皆さんの感想を募集するコーナーです。
お一人様につき本文100字以内という目安を設定させていただきますが、あくまでも
目安ですので、いかに拡大or縮小解釈するかは、お好みでご判断ください。

第一回目のテーマは《『華氏911』とポリティカル・ノンフィクション》。
言わずと知れた『華氏911』をはじめ『フォッグ・オブ・ウォー』『解禁・ブッシュ
伝 噂の真相』『ブッシュを裁こう』などなど、公開が続くポリティカルなテーマの
作品について、率直な鑑賞評を募集します。〆切は11月30日(火)、12月15日配信号に
て発表の予定です。
二回目以降は、最近まとまって公開されている≪音楽モノ≫≪動物モノ≫についての
ご意見ご感想を募集したいと思っております。

以上、各コーナーへの本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認の
ご連絡先(メールアドレスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所(よろしければ
あなたのプロフィールや近況も)を付記して、清水までお送りください。
宛先:清水浩之 E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

●投稿屋台『クチコミ来来軒!』第ニ回

A-040『ある人生・浮かれの蝶』
1968年/NHK/編集・構成:工藤敏樹
放映:2004年10月17日「NHKアーカイブス」 http://www.nhk.or.jp/archives/ 

現実に一子相伝の芸があるとは!帰天斎正一宅を訪問した奇術師の男女二人と正一氏、
正楽氏が語り合うシーンの画面は緊張感をはらんでいる。1968年の猪飼野の風景も印
象的。
(脇阪亮/大阪/35歳/行政書士兼ファイナンシャル・プランナー)

B-066『デパート攻防・三越vs伊勢丹』
2004年/ドキュメンタリージャパン/ディレクター:木村直人
放映:2004年10月19日・テレビ東京「日経スペシャル・ガイアの夜明け」第131回
 http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/ 

山口晃画伯の怪しい日本画風『百貨店圖』ポスターが素敵だった三越本店改装オープ
ンですが、さすがは老舗中の老舗、実際の店内にも独特の“しきたり”がいっぱい!
売場はお客様の「お過ごし場」、ベテラン店員自ら「丁稚」を名乗って上得意の「お
帳場客」に御用聞きする姿はそのままレトロフューチャーなSFです。今回の改装は
「若者層の取り込み」が狙いとのことですが、いっそのこと店内全員時代劇コスプレ
はいかがでしょう!?
(清水浩之/東京/37歳/百貨店もある意味アミューズメント施設ですし)

B-067『彫る―棟方志功の世界―』
1975年/美術映画製作協会+毎日映画社/監督・脚本:柳川武夫
見た場所:日比谷図書館映画会  http://www.library.metro.tokyo.jp/13/ 

意外にも「板画」の怪人・棟方志功氏の生前の姿を見るのは初めてでしたが、噂通り
の面白さ。コマ落としか映写ミスかと思うスピードでチャッチャと下絵を書きつけ、
版木に潜り込むような密着姿勢で彫って彫って彫りまくる。調子が上がるとハナウタ
も出る…♪フーンフーンフンフン…あ!ベートーベンの『歓喜の歌』だ!朝のお散歩
からコンクールの審査会場まで、24時間「前のめり」に生きるオッサン像にぴったり
なテーマソングです。
(清水浩之/東京/37歳/もう一人の前のめり系・岡本太郎氏の映画はないかな?)


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■投稿:「小川紳介のコスモス〜小川プロの仕事」レビューリレー(1)
■私は小川紳介を見た!  中村 のり子

10月24日のneoneo坐は、『青年の海 四人の通信教育生たち』('66)と『現認報告
書 羽田闘争の記録』('67)の二本立てで始まった。

チラシのファンタジックなスチル写真が気になっていた『青年の海』は、前置きもな
しに白い大きなキャンバスが、学生たちに抱えられて現れる。まもなくことの背景が
語られ、四人を中心にストイックな活動が展開されるが、私の意識はどうしてもあの
白いキャンバスに集約されていく。

多様なアングル、画とズレていく音声、チラシ配りの手元や机上の道具といった一部
分を切りとるショットの積み重ね。ともすると散漫なスケッチになってしまいがちな
各手法を冒頭から続く一つのストーリーに絡めとらせていく構成に、小川紳介のもち
あわせた感性が発揮されている。

終盤に待ちかまえているアクションペインティングばりの四人の姿は、れっきとした
演技である。創作性を隠さない態度をのちの『三里塚』シリーズの切羽詰まった状況
にあっても失わず、後年の『1000年刻みの日時計 牧野村物語』('86)のうえで再
び極めている小川紳介は、すでに初の監督作品にして、ただありのまま撮っただけの
現実という顔をしたドキュメンタリーに疑いのまなざしを向けていたのではないか。
カメラを向けられた被写体は、何であれすでに演技をしているのである。同時にこれ
を被写体に頼んでしまえるほど、親しい関係を築いていたといえる。

画面いっぱいに敷きつめられた新聞記事で始まる『現認報告書』は、冒頭で写真が次
々と映し出される。事故のいきさつを小川紳介お得意の、『ニッポン国古屋敷村』
('82)につながるようなミニチュアを作って検証している制作側は、被写体に加担
していることが明らかだ。電話をかける学生を励ますように、逆に警官隊の暴行を問
いつめるように撮っていくカメラはぬるい客観性など捨てている。

小川紳介は被写体と共に行動しながらも、撮った映像への批判性を共存させていたよ
うである。熱気にあふれる学生と警官隊の衝突シーンで流れを冷ややかに見つめるよ
うに挿入されるストップモーションは、映された現実がちょうど冒頭の写真のような
静止画の寄せ集まりであることを、ふと私に気づかせもするのだ。

そして小川紳介たちは、カメラの前で「この映画」をどうするかという論議をもして
しまっている。普通は除かれていく撮れなかった部分、病院のエレベーターの脇に警
官が立っていて自分たちがカメラを抱えて入っていける空気ではない、といった話し
合いそのものを撮ってしまっている。ここでも、整えられたオモテの現実だけでドキ
ュメンタリーをつくろうとはせず、あくまでもウラに制作者である自分たちの存在が
あってのものなのだ、ということを明示してくるのである。

カタカタと音を立ててまわる16ミリ映写機をはじめて間近にすることは、かけがえな
く刺激的だった。小川紳介のとらえようとしたものに、フィルムの本当の触感で対面
できるこの機会を大事にしたい。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映

●京都 ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー 11月の上映会

『泥ウソとテント村―東大・山形大 廃寮反対闘争記―』
(2004年/日本/カラー/ビデオ/115分)

記録撮影:東大駒場寮自治会・山形大学学寮自治会・泥ウソ国賠原告団、撮影協力:
OBそのほか、撮影:新田進・二谷隆太郎、演出:新田進、協力:HOWS(本郷文化フ
ォーラム ワーカーズスクール)、宣伝販売:(株)スペース伽耶、制作:小川町シ
ネクラブ
公式サイト: http://www.doroten.net/ 

泥棒はウソのはじまり。強制追い出しはテント村のはじまり・・・

1991年、東大駒場寮は大学当局から一方的な廃寮通告を受けながら、学生自治会、寮
生の寮存続運動が行なわれてきた。しかし、2001年8月22日に当局はついに、学生た
ちの反対を押しきり、寮生全員の強制追い出しを強行した。追い出された寮生はキャ
ンパス内にテント村を作り、生活を守る闘いを続けようとする……。

一方、山形大でも自治寮を潰してワンルーム型寮の建設が進められていた。大学当局
は廃寮に反対する寮生たちの動きを清掃員に内偵させていた。その真相を明らかにし
た学生4名が大学当局の告発により、「監禁・強要」容疑で不当逮捕される。(「泥
棒はウソのはじまりだった」、かれらは「泥ウソ」国家賠償訴訟をおこす)

大学内への機動隊、ガードマンの導入、「独立行政法人化」の名のもとに学生の自治、
自由を力ずくで踏みにじろうとする両大学当局。学生たちが様々な工夫と仲間の団結
で必死に闘っている姿は見る者の心を熱くする。今どきの大学生の今どきでない学生
生活、若者の本気が伝わってくる。

上映日時:11月27日(土)18:30(午後6時30分)上映
★山形から当事者の学生さんが来場、上映後にトークがあります。

料金:一般 1,000円、ドフィル会員 700円
会場:「ひと・まち交流館 京都」第1・2会議室(河原町五条下る東側)
   (京阪「五条」駅下車徒歩8分 地下鉄烏丸線「五条」駅下車徒歩10分
   JR京都駅から市バス17、205号系統「河原町正面」下車 約5分)
   TEL:075-354-8711  FAX:075-354-8712
地図: http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html 

主催・問い合わせ:「泥ウソとテント村」自主上映京都実行委
         TEL:075-432-2043(藤澤)
ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー
TEL&FAX:075-344-2371 E-mail: dofil87@infoseek.jp 
URL: http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/ 


●毎月第一日曜よるは、日本映画専門チャンネル“ドキュメンタリー傑作選”

CSスカパー!&スカパー!2と全国のケーブルTVでお楽しみいただける日本映画専門
チャンネルでは、岩波映画の映像作家からCCDビデオカメラ世代の新映像作家まで、
時代と人間の真実を描いた秀作を特集し、ドキュメンタリーの魅力を検証します。

<11月放送作品> *今月は第一土曜深夜にお送りします。
12月4日(土)深夜1時(再放送あり)
『ともだち』(監督:時枝俊江、1961年、モノクロ) TV初

詳細は公式サイトからどうぞ!
 http://www.nihon-eiga.com/documentary 



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┃08┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●前回から続く水野祥子さんの「『ドキュメンタリー映画の歴史』を教える楽しみ」
を興味深く読んだ。「ドキュメンタリーとは何か」に鋭い問題提起を投げかけている。
私は水野さんが言う「定義をひとつに纏めることが私たちの課題ではなく、ドキュメ
ンタリーとは、(略)探究され、論争の種であって、積み重ねられて変遷していくも
の」とする意見に同意する。そしてその延長線上にドキュメンタリーの可能性が開け
ていると信じている。ぜひ読んでいただきたい。

ところでどなたか、王兵(ワン・ビン)の『鉄西区』と、今月20日から開催される東
京フィルメックスで上映されるアピチャツポン・ウィーラセタクンの『トロピカル・
マラディ』を批評して頂ける方、いらっしゃいませんか。後者はまだ未見ですが、前
作の『ブリスフリー・ユアーズ』が素晴らしかったので楽しみな作品。『鉄西区』と
『トロピカル・マラディ』は、ドキュメンタリーの方向を示唆する作品ではないかと
思っています。 visualtrax@jcom.home.ne.jp まで、よろしく。

●映画館の運営がどのように行なわれているのか、私たちは殆んど知らない。大分市
でミニシアターを経営する田井肇さんが税務署の言いがかりに怒っている。ネオコン
ならぬシネコンの攻勢にめげず頑張っているミニシアターに、今度は税務署からの横
槍だ。その具体例は本文を読んで頂きたいが、税金を取れるところから取っておこう
とする態度が腹立たしい。映画を育てようとする姿勢は皆無である。そもそも経済産
業省と税務署の解釈が違うということ事態、何おか言いわんや、である。全国各地の
映画館に関わる皆さん、税務署対策はどうされていますか。今回の税務署の無謀をど
う考えますか?

●本誌の新しい企画として、neoneo坐で毎月上映中の「小川紳介のコスモス〜小川プ
ロの仕事」を取り上げて批評していこうとする動きが始まった。この「レビューリ
レー」は中村のり子さん(大学生)の提案によって実現し、具体的には次のように提
案している。(1)毎回リレー方式で行ない、(2)毎回一人が1プログラム、1000字
程度で「広場」に投稿し、(3)批評家や研究者ではない若者層が観客の視点から率
直に書くこと。

私たちがneoneo坐を設立した趣旨のひとつに、「観客を育てる」とするテーマがあっ
たことを思えば、読者からこのような欄が誕生したことはうれしく、願ってもない企
画だ。
清水浩之さんが提案する投稿屋台『クチコミ来来軒!』(「広場」覧を参照)ともど
も、皆様の積極的な参加を期待したい。投稿先は次のとおりです。
 visualtrax@jcom.home.ne.jp 

また最近、藤岡朝子さん(山形映画祭・東京事務局)がneoneo坐の会場であるスペー
スneoで普段見られない作品の特別上映とイベントを行なうようになったことも、自
発的な姿勢として歓迎したい。10月にはタイの監督を招き、先ごろ(11月13日)「ゆ
るーくアフリカン・ナイト」と題して尾崎竜二さんの『泥の街 ジェンネをゆく』を
上映した。こうした情報は、neoneo坐のサイトに掲載するので、neoneo坐のHPをチェ
ックくださるよう、お願いします。「neoneo坐」で簡単に検索できます。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 



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■責任編集 伏屋博雄
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お手数ですが、ご自身でお願い致します。
注)デザインが崩れて見える場合は等幅フォント(MSゴシック、Osaka等)でご覧く
ださい!
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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