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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.20-1 2004.9.1

2004/09/01


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      対極のドキュメンタリー
         ―小川紳介と土本典昭(2)  大津 幸四郎
 †02 自作を解剖する
      『にがい涙の大地から』
       〜終わらぬ被害・旧日本軍の遺棄兵器〜  海南 友子
 †03 ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
      ブラジルの塀の中から    岡村 淳
 †04 ドキュメンタリー時評
       百聞は一見にしかず、でもそれが正しいとは限らない
      『フォッグ・オブ・ウォー』とエロール・モリスの映画世界
                  水原 文人
 †05 ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(8)
       映画復元の謎  安井 喜雄
 †06 neoneo坐通信(6)
      9月の上映プログラム「科学映画特捜隊」
      10月から小川紳介全作品を順次上映!
      neoneo坐・企画会議を開催します

     ◇────────────────────────◆◇◆    

※20-2号へつづく

 †07 広場
      投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(9)
         「局所」としてのキューバと沖縄  波多野 哲朗
      投稿コーナー「クチコミ200字評!」(18)提案者:清水 浩之
      投稿:今こそ見る『ありし日のカーブル美術館』と
          『もうひとつのアフガニスタン』  中村 のり子
 †08 編集後記  伏屋 博雄


    ★バックナンバー閲覧はこちらまで

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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■対極のドキュメンタリー ―小川紳介と土本典昭(2)
┃ ┃■大津 幸四郎
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□日本のドキュメンタリー映画のかたち
■対極のドキュメンタリー ―小川紳介と土本典昭(2)
■大津 幸四郎

●1968年

1968年になりますと、高崎経済大学(以下、高経大)の構内の一角、学生会館に押し
込められた学生たちのうめきが狼煙みたいになって、東大闘争を含めて先進的な学生
の運動があちこちで爆発し始めていきます。ちょうど68年の5月にパリでカルチェラ
タンの大きな闘争が起こって、学生たちの闘争がどんどん拡がっていく。同時にアメ
リカでも同じような形でカリフォルニア大学バークレー分校での学園闘争やブラック
パンサーなんかの動き、抑圧されてきた黒人労働者などの動きが出てくる。イギリス
では、芸術的な形をとって「怒れる若者達」と言われている人たちが、先鋭的な若者
たちの主張をもって登場してくる。共産圏でもソ連体制への反逆の狼煙がチェコで、
ハンガリーで燃えている。というような形で全世界的に若者の力、現代の社会に異議
申し立てをすると同時に、自由を求めていくという物凄いエネルギッシュな運動が全
世界的に起こるわけですね。そういう潮流の中で東大の闘争があり、京大の闘争があ
るという形で、日大や広島大学から大阪市立大学など、日本各地の大学で沸沸と起こ
るわけです。

ところが69年の頭に東大闘争を壊滅させる、それも大学当局が機動隊を全面的に学内
に導入して、学内を占拠して時計台に篭った学生たちを壊滅させてしまう。大学の自
治は時の政治権力に完全に屈服してしまうのです。これ等一連の闘争の最後が京大闘
争です。そういう意味で京大闘争というのは、『パルチザン前史』に出てくるような
形での、ある爛熟した、と言ったらおかしいかもしれないけれど、ある拡がりとある
余裕を持ちながら進められる、学生の側が闘いをリードしていける、社会に向けて
撃って出るという意味での最後の出方をする。社会に撃って出るという意味での京大
闘争=『パルチザン前史』があるわけです。.

というわけで両者を見ていきますと、高経大の『圧殺の森』というのは、閉じ込めら
れ社会から疎外され孤立させられた学生たちに、退学から刑事事件としての起訴とい
う形で、権力は学生を社会から抹殺していこうとしていきます。学生たちは学校の建
物の一隅、学生会館の中にだんだん閉じ篭っていくしか方法が無くなっていくわけで
す。学生たちの怒りとエネルギーは学生会館の内部に渦巻くわけです。そして、人間
としての尊厳をかけた最後の闘いに挑んでいくというわけです。人間として最後の証
し、選択性を持ったものすごいリゴリズム、ある精神的な姿勢の表明、精神の高揚を
持ちながら闘争に立ち上がっていくのです。

彼らは固い絆を作りながら、最後はある共同体的な形での結びつき方をしようとして
いきますけど、これはうまくいったかどうかは分かりません。映画はそこまで見届け
られませんでした。その中で、ある人間の強さというか、精神の強さを持続しなけれ
ばならないという人間の闘い方を持っていったんです。

ところが、ちょうどその2年後の京大闘争においては、闘い方にも精神的にも、ある
種の余裕が出てくる。それが本当にうまくいったかどうか、この映画の中でも漫画
チックだ漫画チックだと言いながらも、自らコミットし撃って出て行く人が沢山いる
わけですね。そういう形でのある余裕というか、運動の爛熟さ、それは同時に運動の
崩壊に、一歩一歩近づいてくわけですが。

最後の学園闘争、京大での闘いが壊滅させられたその年、69年の10月の段階で学生運
動は、大阪市立大学での時計台に篭った4人の若者たちの悲壮な闘いに見られるよう
に(『パルチザン前史』)、ほぼ瀕死の状態。機動隊に守られた国会議事堂とかが映
画の中に写されていくわけですけれども、運動の壊滅が暗示されていく。自由を合言
葉に、自分の考え方に従って自分を律していく。自分の生活を築き上げていくという
意味での自由というものですね。こういう動き、志向というものが次々と弾圧されて
いく。圧殺されていく。これはまさに広範な圧殺だと思いますけれども。

●『圧殺の森』の精神性

『圧殺の森』と『パルチザン前史』二つを見比べてみますと、求心的なもの、精神性
という意味では、『圧殺の森』は、今私たちが失ってしまっているかもしれない精神
の自由に対する渇望、物質的にはかなり裕福になってきているかもしれないけれども、
逆に物に支配されてしまった世界の中で自立への精神的あがきというか、自立した自
由への憧れが、非常にいらだたしいほど正直に表現されているなと、僕なんかは思う
わけです。.

それはやっぱり僕なんかは、小川紳介さんなんかもそうだったかと思いますけど、彼
らの闘いを撮る渦中で、自分の抑圧されている自由、自分の疎外されている部分、そ
ういうものを学生に仮託しながら、学生の中から引っ張り出しながら表現させていく
という形になっていったと思います。

●小川紳介の表現方法

僕も小川紳介の『圧殺の森』と土本典昭の『パルチザン前史』と両方を並べて見る機
会が今までなかったので、丁度いい機会なので、二人の作家の体質というか、表現方
法の違いみたいなのを考えてみたいと思います。

小川紳介という作家は、『圧殺の森』の中で見る限りは、状況ということもあるかも
しれませんが、かなり精神的な傾向が強いですね。対象の心の状態、それから自分の
諸々の精神活動、それらをどうやったら表現できるかというジレンマがずっとあった
と思うんです。これは僕の見たところですが、小川紳介はその後、自分の中に生起す
る映画的なイメージというか映画的な表現というか、そういうものを自分の中に溜め
込んじゃって、それを表現するにはどうしたらいいかとあがいているように見受けら
れます。.

彼は『圧殺の森』『現認報告書』の後、三里塚に入ります(1968年)。その後、山形
に移って行きます(1974年)。特に三里塚の場合ですと、農民の闘いの経過をニュー
ス的な形で撮り上げていく作品と、自分のイメージをじっくり熟成させて、ある精神
的な高まりのところまで持っていって映像を紡ぎ出していく作品があります。そのた
めにはどうしたらいいかという仕掛けを自分で考えざるをえない。何年も寝かして、
その現場に入り込んで考えてしまうんですね。特に、三里塚の6作目『三里塚 辺他
部落』にその傾向は顕著に現れていると思います。

彼はもともとどちらかと言えば、現場に現れて現場を束ねるというタイプの演出家で
はないわけです。現場ではほとんど何もしない、特に『三里塚の夏』あたりでは、闘
争の場面、農民と空港公団の職員、機動隊が激しくぶつかり合うわけですね。三里塚
の場合だとぶつかり合うわけです。農民と機動隊がぶつかったり、農民同士のぶつか
り合いもあったかもしれません。だからそういう闘争があるということは、具体的な
アクションの連続があるわけです、目の前で。.

闘争の局面は、演出家の手を離れてしまうわけです。そうするとジィーっと横で見て
いるしかない。だから「僕は行かないよ。それを撮ってくるのはカメラマンの目で
撮ってくればよい、それはそこで任したんだから頼む」と。彼は退いて、いわゆる現
場の最前線からは退いてしまうわけです。で、少し離れた後ろの方で見ている。思考
している。あるいは、遠く離れた所で見ている。彼はどちらかというと非常に細心な
男だったんです。ナイーブなんですね。ナイーブなというのは、ある意味では、臆病
なんです。非常に荒れた現場、ぶつかり合いが多い現場、特に機動隊の暴力が支配し
ているような現場っていうのは、どちらかと言えば、苦手、避けていた、ということ
がありました。.

現場行ってじっと物を見ながら、どうやって撮るかというよりも、それをもう一回そ
こで起こったことを含めて自分のフイルターの中に溜め込んで、そのフイルターを通
して培養して、じゃそれを映像化するにはどうしたらいいかと考える、そんなタイプ
の人間ではなかったかなと思うんです。ですから山形に移ってから、その傾向がはっ
きり現れてきます。山形には十何年居座るわけですね。最後の作品を作り上げるまで
にね。で、その間にいろいろ溜め込んできたもの、それから、そこでかつて起こった
もので、非常に自分のイメージを触発したもの、状況、そういうものをどうやったら
再現とまでは言わないですけど、もう一回その状況を発酵させるにはどうしたらいい
か、どういうふうに自分のイメージの中に取り込んで、表現のファクター、表現の力
を、表現の場に放り込めるか、ということで悩んでたんじゃないかと思うわけです。.

現実を在りのまま撮るのではなく、その現実と向き合う自分、自分の趣向、自分の
立っている位置などを確かめながら、小川固有の映画イメージを作り上げていく。彼
固有のイメージが漠としてであれ、作り上げないと次に進めない。そんな思考の枠が
小川にはあったようです。そして彼はある種の完全主義者でした。探し出したイメー
ジをどう表現したらいいのだろう―イメージの熟成の長い旅が続いたようです。

小川紳介さんは、僕より2年若いから1936年生まれ。土本さんの場合は1928年生まれ
のはずです。土本さんが岩波映画で働き始めるのが1956年、小川さんが契約助監督と
して岩波に現れるのは、確か1960年。岩波映画は既に若い映画人を育てるという若さ
も情熱も失い始めていた頃でした。8歳の年齢差があって、岩波に入るのも土本さん
は小川さんより数年早い。岩波映画の中で、その頃ドキュメンタリーという言葉が
やっと散見され始めた頃で、まだ記録映画と呼ばれていたのですが、土本さんは記録
映画の方法論を体で学んでいったんじゃないかなと思うんです。ですから編集も含め
て岩波の周りの仲間からいろいろ学ぶ機会が多かったと思います。

●小川紳介の編集方法

小川さんの方はどちらかというと、編集を学ぶ機会に余り恵まれていなかった。作品
を作るという機会にあまり恵まれていなかった。編集に多少携わることはあったかと
思いますが、土本さんと比べると編集のベテランではないわけです。小川さんの場合
は、自分のイメージに映画的な形の表現を与えるために、カメラに入っているだけの
フイルム、たとえば最初は200フイートという撮影時間6分の16ミリフイルムを収容
できるボルボというキャメラを使うわけですが、それを1ショットで廻しきるまで廻
してしまう。後には撮影時間11分のエクレールなんかを使って11分フイルムを廻しき
るまで廻す、という形になっていきます。彼の言によれば、「次に何が生起するかわ
からないので、結局、キャメラにフィルムが入っているだけ廻しきってしまう。」

それを今度は編集でもそのまま使おうとする。例えば11分なら11分というものを鋏を
いれないで、彼は持続性ということを表現しようと意図して、その11分なら11分をそ
のままの形でボーンと放り出す。この11分とこの11分を繋げたらどうなるか、という
思考方法をしていく。自分の映画的思考を表現するに、「適当な他の方法が見つから
ないんだよな」と、小川はよくこぼしていました。カットを短く切ってどうやって繋
げていくかという思考方法は彼の中には初めから希薄だったようです。『圧殺の森』
の段階ではまだカットを切っていく。カットとカットを繋げていくことをしている。
割合、編集はされています。カットの長さも彼の後期の作品から比べてみると、かな
り短くなっているということですね。それでも人間の生きる呼吸の間を生かすには、
カットを長めに使うことを意識していたようです。カットとカットを編集して新たな
意味を見出していくという、それまでの編集の常道を破っていくわけです。

画面と音を切り繋いで編集して作り上げるという方法は、『三里塚の夏』の頃までは
続きますが、『三里塚の夏』を最後に、持続する時間、ショットの持続を表現の中心
に据える方向を模索し始めるわけです。(つづく)


■大津 幸四郎(おおつ・こうしろう)
カメラマン。1934年生まれ。1958年、地方の大学を出て、少しは知的にましな生活を
と東京へ。5年間岩波映画で社員生活後、組織に順応不能な人間を自覚し、会社人間
を廃す。それは同時に体制社会からの追放を意味し、一匹狼を自称しつつ、諸々の映
画づくりに手をそめる。その間、60年安保、70年安保を経過、年を経るごとに、自己
の知の崩壊に愕然としつつ今日に至る。現在『花子』『チョムスキ―9.11』などで、
ハンディなデジタルカメラを使って35ミリフィルムをつくるのに熱中。次回作はエド
ワード・サイードの生と死を追ってパレスチナへ。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『にがい涙の大地から』〜終わらぬ被害・旧日本軍の遺棄兵器〜
┃ ┃■海南 友子
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●雪の大地

ざくっ、ざくっ。踏みしめる足下に中国黒竜江省の雪深い大地が広がっている。三月
だというのに、見渡す限りの雪景色。なだらかな丘陵が果てしなく続き、遠くの山は
かすんで見える。その上に、低くたれ込めた重い空。冷たい空気が耳を刺す。私は両
手をポケットから出すこともできない。『もう、春ですよ。』中国人の仲サンがつぶ
やく。寒さと疲れでくたくたの私は、返事もできないまま、果てしなく続く田舎道を
歩き続けた。背中に担ぎっぱなしの機材に私の体は悲鳴を上げている。『ここは、一
体どこなんだろう?何でこんなに遠くまで来てしまったんだろう。』心のどこかで来
たことを後悔する言葉を繰り返していた。

2004年3月の一ヶ月間。わたしは、旧日本軍の遺棄兵器で苦しめられている人々を訪
ねて歩いた。出会った人々はおよそ六十人。その誰もが、平和な時代に突然、苦しみ
のどん底にたたき落とされていた。

●最愛の父を失って

『父は本当に優しくて、私と弟をかわいがってくれました。休みに、庭で一緒にご飯
を食べるのが家族の楽しみでした。父が生きていた頃、私たちがどれほど幸せだった
か。もう、あの日々は戻らないんです。』

それまで気丈に振まっていたリウ・ミン(27歳)は、涙が止まらなくなった。彼女の
瞳は重く沈んでいて、表情はなんともいえず暗い。口元が笑った形をしていても、瞳
の奥は笑っていない。父親が死んだ後、一家を支えるために休みなく働いてきた8年
が彼女から笑顔を奪ってしまった。

父親が亡くなったのは1995年。村の道路工事を手伝っていた時、日本軍の遺棄した砲
弾が爆発した。父親は手足が吹き飛び、全身の皮膚が焼けただれた。

リウ・ミンが病院で見たのは変わり果てた父の姿だった。やけどは甚大で、皮をすべ
て取り除き、ガーゼと薬を患部に何度も張り替えた。何とか命だけでも助かってほし
い。その想いだけで母親とリウ・ミンは寝ずの看病を続けた。

彼女の耳からは、父のうめき声が離れない。あれほど我慢強い父が言葉にならない叫
び声を上げていた。そのそばで母が泣きながら世話をつづけていた。

事故から17日後、父親は帰らぬ人となった。39歳だった。後には、莫大な借金だけが
のこった。あまりに甚大な被害だったために、治療費が年収の数倍にふくれあがった。
借金を返すために家を売り、リウ・ミンたちは学校を辞め働き出した。彼女は高校三
年生。弟は中学2年生だった。

●未来のない人生

その日から、親戚の食堂が一家の全てになった。調理の下働きや皿洗い。毎日14時間、
朝から晩まで休みなく働いて借金を返す。一軒家で何の不自由もなく暮らしていた生
活は、もうどこにもなかった。

母親はわたしが訪れると、普段抑えている感情があふれ出て、子供のように泣きなが
ら激しく話しはじめた。

『戦争が終わって何十年もたつのに砲弾で殺されるなんて。どんなにお金を積まれた
としても、夫はかえってきません。どれだけ中国人に被害を与えれば気がすむの?日
本政府は私の幸せな日々を返してーー。』

リウ・ミンは泣きじゃくる母を抱き寄せて小さな子どもを慈しむかのように胸をなで
た。27歳の彼女は大黒柱として、精神的にも強くならなければ生きていけないのだ。

『楽しいことなんて何もありません。毎日働くだけです。そんなこと考える時間もな
いんです。』

彼女にも夢があった。教師になること。でも、今は借金に追われて働くだけの人生し
かない。夢も未来もたった一発の砲弾で吹っ飛んでしまったのだ。

●よみがえる悪魔の兵器たち

彼女と初めて出会ったのは2003年夏。この出会いが、わたしに『にがい涙の大地か
ら』を作ることを決意させた。かつて日本軍がアジアで何をしたかは自分なりに知っ
ているつもりだった。しかし、自分と同世代の女性が戦争の置き土産で苦しんでいる
ことが納得できなかった。また、それを知らなかった自分にどうしようもなく苛立っ
たわたしは全ての予定をキャンセルしてこの作品を作ることを決めた。

リウ・ミンを主人公にあらためて1ヶ月間のロケの準備をしはじめたわたしは、旧日
本軍の遺棄兵器を調べていくうちに呆然とした。被害者はおびただしい数に上る。ま
た遺棄兵器の中には相当数の毒ガスが含まれていた。

戦争中日本は国際条約に違反して、化学兵器を大量に使用していた。敗戦時、明らか
になることを恐れて軍は組織的に各部隊が所有していた、化学兵器を野山に捨てて逃
げた。中国にはいまでも、多くの化学兵器が眠っている。毒ガスだけでも、その数は
中国全土で70万発以上と言われており、その毒性は50年余を過ぎた今もなお強い。
工事現場などからひんぱんに掘り起こされては、事故が起きていた。

『リウ・ミン一人の問題ではすまされないのでは?』イヤな予感は的中して、ロケを
始めたわたしは次から次ぎへとおびただしい数の被害者に出会うことになった。

●毒ガスに塗り替えられた人生

李臣(59歳)は、30年前に河の浚渫中に毒ガス事故にあった。強烈なマスタードの匂
いがして、あまりの刺激臭に目が開けられなくなった。しばらくすると、両手にはぶ
どう大の水泡ができて膨れ上がり、眼からは涙が止まらなくなりなった。指と指の間
はくっついて水かきができ、体中から膿がでた。

『変わり果てた夫を見て、自分の幸せはなんと短いのだと毎日泣きました。原因もわ
からない。治る当てもない。生まれたばかりの子供を抱えて、どうやって生きようと
途方にくれました。』

原因が毒ガスだとわかったのは、事故から1ヶ月後。李臣は目の前が真っ暗になった。
『毒ガスなら、もう一生治らない。これで、自分の人生ももうおわったと思いまし
た。』

その後の一家の生活は悲惨を極めた。入退院を繰り返し、働けなくなった夫の収入は
激減。妻がゴミ拾いで生活を支えた。得体の知れない病気は伝染病だとうわさになり、
近所付き合いもままならなくなった。そして、毒ガスは生殖能力も奪ってしまった。
事故にあってしばらくしてから、李臣は妻との性交渉を試みた。しかし、そのたびに
寝室は冷たい空気に包まれた。

『夫が事故に遭ったとき、私は20歳でした。愛している人に愛してもらえない。愛し
合いたいのに愛し合えない。そのつらさが、わかりますか?女としての幸せも毒ガス
のせいで、なくなってしまったんです。』

事故から30年立った今も後遺症に苦しめられている。

●被害者たち

紹介しきれないが、他にも数限りない被害者が実態を知られることなく息をひそめて
いた。

たとえば、毒ガスを吸い込んだ為に1日に10回以上ひどい咳の発作に見舞われる人。
朝まで眠れたことは事故以来一度もない。体中に砲弾の破片が突き刺さり、失明して
寝たきりの人。毒ガスとは知らずに被毒して未来を奪われた子どもたち。内臓が全部
出て殺された人。他にもあげればきりがない。

しかし、それでも、わたしが出会ったのはわずか60人。他にも何千という被害者がい
るだろう。その多くが事故にあったことすら公表できずにいる。取材を続けながらど
うしようもなく重い気持ちに襲われた。かつての戦争の遺物で、平和な時代に傷つけ
られる人々を一体、どうしたら救えるのだろうか。

●欲望の果てに

1ヶ月のロケの最終日、最後の家を後にしたのは夜8時。明日の朝には成田行きの飛行
機で帰る。昼間、果てしなく続くと思われた雪の道は、漆黒の闇に消えてしまった。
ほっとしたと同時に、今、自分のいる場所が、果てしなく遠くに思えてきて、います
ぐここから帰りたいと思ってしまった。こんな遠くまで、日本人はかつて何をしに来
たのだろうか?見知らぬ土地で、人を殺し、物を奪い、壊し、女達を犯し、毒や兵器
を捨てた。

あの山にも、この山にも、日本兵がいたかもしれない。見えない暗闇の中に、兵器を
埋めて逃げる日本兵がよぎった。そこに、出会った60人の被害者の顔が重なって、浮
かんでは消えていった。誰にも知られることもなく、傷つけられ、殺される人々。
被害者の声無き叫びが、大地にこだましている。

日本は、きっと、今も逃げ続けているのだ。あの日、兵器を埋めて逃げた日本兵とお
なじように。私は逃げたくない。逃げちゃいけない。そのことを大地に向かって、叫
びたい衝動にかられながら、車の中で一人つぶやいた。

☆『にがい涙の大地から』(2004年、ビデオ、87分)監督・撮影・編集;海南友子、
音楽:斉藤まや、小宮山真介、辻コース

☆上映スケジュール:
東京:渋谷・アップリンクファクトリー
9月20日、21日、23日 20:00から。26日13:00〜と15:00から
海南友子HP: http://www.kanatomoko.jp/ 
問い合わせ先:事務局03-3357-5140 又は、info@kanatomoko.jp まで。


■海南 友子(かな・ともこ)
大学卒業後、NHKの報道ディレクターとして7年勤務。2000年に独立。2001年インドネ
シアの元『慰安婦』を取材した『マルディエム彼女の人生に起きたこと』を監督。
2004年には『にがい涙の大地から』では、過去の戦争で遺棄された化学兵器に苦しめ
られる人々の姿を追った。大好きなアジアの旅で、「日本人と戦争」に出会い、未来
のためにも過去を見据えることが大切だという問題意識から戦後補償の問題に取り組
んでいる。著書に、「地球が危ない」(幻冬舎・共著)「未来創造としての戦後補
償」(現代人文社・共著)がある。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
┃ ┃■ブラジルの塀の中から
┃ ┃■岡村 淳
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我がブラジルは、なかなかのドキュメンタリー大国である。この4月、取材のための
訪日から帰ってみると、サンパウロ市内の映画館で計8本のドキュメンタリーが上映
されており、うち4本はブラジル国産作品だった。

山形で上映されるブラジルの作品などは、極めて特殊だ。日本では紹介されることも
ない数多くの旬の意欲作を享受できることは、こちらに移住してよかったと思えるわ
ずかなメリットの一つである。今回は最近の話題作を紹介しよう。

日本で、地下鉄の広告にドキュメンタリー映画がお目見えしたことがあるだろうか?
当地でも前代未聞のことだ。この恵まれた作品は『鉄格子の囚人』(パウロ・サクラ
メント監督、123分)。昨年の第8回サンパウロ国際ドキュメンタリー映画祭で国際コ
ンペの最優秀作品賞を受賞し、今年になってシネコン等で一般公開されることとなっ
た。

本誌3号の拙稿で紹介した劇映画『カランジルー』(ヘクトル・バベンコ監督)と同
じ、2002年に取り壊された南米最大のサンパウロ・カランジルー刑務所が舞台である。
手法が極めてユニークだ。塀の中の「更正・授産」のビデオ講座に集まった20人の服
役者を仕込んだうえでデジタルビデオカメラを託し、7ヶ月にわたる「実習」の成果
をまとめたものである。

当初、サクラメント監督は16ミリフィルムのクルーで刑務所の撮影に挑んだ。一年間
ほど費やしたが、まるで人類学の論文のような映像で、1分も使い物にならなかった
という。その間、ビデオをフィルムに起こすテレシネ技術の著しい進歩があり、ビデ
オ講座のアイデアに行き着いたのだ。プロのクルーでは獲得し得なかった、服役者た
ちとの緊密感と信頼を模索しての発想だ。

こうして7500人の全服役者の撮影への同意も得ることができ、そして彼ら自身がこの
作品によって、これまでマスコミによって流されていた刑務所に対するステレオタイ
プのイメージを変えることになると信じた、と監督は語る。

講座の始めに監督は、これまでに刑務所を扱ったさまざまな映像作品を受講者に見せ
た。大半は暴力やホモセックスなどを偏重してセンセーショナルに扱ったもので、彼
ら自身が辟易したという。このようにしてまさしく内側からの、自分たちのアイデン
ティティーを映像で捕えようとするプロジェクトが始まった。

作品では刑務所の日常が、監督の表現を借りると「万華鏡のように」紹介される。印
象的なところでは、ラジカセを改造した入れ墨彫り機の使用風景、有り合わせの設備
を用いた蒸留酒の製造工程、さらに大麻の鉢植え栽培までの「日常」が淡々と紹介さ
れる。
それでいてこの映画はブラジル文化省、サンパウロ州政府、サンパウロ市役所といっ
たお役所の後援も取り付けている。我が祖国とのスケールの違いを、まざまざと見せ
付けられる思いだ。.

この画期的な手法の作品はブラジルの映画関係者の喝采を浴びたが、ある批評家が鋭
い指摘をしている。「彼らは宗教、食事、麻薬まですべてを語っている。しかしどん
な犯罪によってそこにいるのか、そして塀の中での裏切りや粛正については何も語っ
ていない」。
こうした意味合いからも、このドキュメンタリー映画は、先に紹介した実話をベース
にした劇映画『カランジルー』と並べてメディアで取り上げられることが多い宿命を
負ってしまった。

ちなみにいずれもシネコンで上映されたこの2作品の観客動員数をみてみよう。『カ
ランジルー』の450万人に対して『鉄格子の囚人』は2万人…マスコミでの取り扱いの
差はフタケタも違わなかった。重い現実をめぐって、事実とフィクションの関係をど
のようにブラジルの大衆が望んでいるかを考えるうえで、興味深い数字だ。

さらに気になる塀の中のビデオ講座受講者のその後を、当地の新聞記者が取材してい
る。シャバに戻ったJさん・40歳は現在、マイクロバスの運転手。「いい体験だった
よ。でもあれでメシなんか食えっこないさ」。ドキュメンタリー大国に見えるブラジ
ルの現実は、なかなか厳しいようだ。

(ブラジルの日刊紙「O ESTADO DE S.PAULO」「FOLHA DE S.PAULO」等の記事を参考
にしました)


■岡村 淳(おかむら・じゅん)
記録映像作家。1958年東京生まれ。日本映像記録センターの番組ディレクターを経て、
フリーとなり1987年ブラジルに移住。以降、小型ビデオを用いたひとり取材に開眼。
ブラジル移民、およびブラジルの社会的弱者の記録がテーマ。現在、9年がかりの自
主制作作品『アマゾンの読経』の年内完成を目指して編集作業中。
ホームページ:「岡村淳のオフレコ日記」 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/ 



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■百聞は一見にしかず、でもそれが正しいとは限らない
┃ ┃『フォッグ・オブ・ウォー』とエロール・モリスの映画世界
┃ ┃■水原 文人
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

主人公はマクナマラ元アメリカ国防長官。
日本ではこれまで『ヴァーノン、フロリダ』(1981)『ブリーフ・ヒストリー・オブ・
タイム』(1991)『死神博士の栄光と没落』(1999)が山形とサンダンス映画祭in東京で
上映されて来たエロール・モリス。その最新作が9月11日から劇場公開される。公開
日も公開日で、内容にぴったりのセンセーショナルさだ。なにしろ主人公はロバート
・S・マクナマラ。ケネディ、ジョンソン両政権で7年間、つまりキューバ危機とヴェ
トナム戦争の時代にアメリカの国防長官を務め、92年にキューバ、95年にはヴェトナ
ムでかつての“敵”との対話を行い、近年自らの関わった歴史の過ちを公言し続けて
は論争を呼んでいる人物だ。

『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』(2003)でモリスのイン
タビューに答えながら、マクナマラは次々と衝撃的な発言を続ける。自分の在任期間
中だけでも三度、全面核戦争寸前の危機があったこと。「我々が逃れられたのは、た
だ運がよかったからに過ぎない」。アメリカが革命後のキューバに侵攻を企てたビッ
グス湾事件について問いかけるモリスに、「それすらさほど重要ではない。アメリカ
はアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン政権を通じてカストロ暗殺を画策していた
のだから」と言ってのけるマクナマラ。これは衝撃の近代史の内幕を暴露する映画だ。

95年のハノイ会議でもヴェトナム戦争は「双方の誤解の戦争だった」という結論だっ
たが、この映画でマクナマラは「キューバ危機のときに我々はソビエト側の立場にな
って考えることができた。ヴェトナムではそれが出来なかった」と総括する。北爆の
きっかけになったトンキン湾事件も、少なくともジョンソン大統領に北爆を決断させ
た二回目の、1964年8月4日の攻撃は、実はなんと「なかった」、アメリカ側の思い込
みから来る誤解だったというのだ。この作品で初めて公表されるホワイトハウスの、
彼とケネディ、ジョンソン両大統領との会話の録音テープが、こうした事実を裏付け
ていく。

第二次大戦中に三年間、陸軍航空隊に勤め、ルメイ司令官(後に国防長官としてのマ
クナマラと度々対立した主戦派の空軍参謀総長)への彼の進言がきっかけで(当人は
「そうは思いたくない」と言うが)対日本空襲作戦が低空からの焼夷弾爆撃になった
ことについて、マクナマラはこう告発する。「一晩で十万人を焼き殺す、ニューヨー
クと同じ規模の都市である東京の50%以上を破壊することが、許されるのか?」。当
時、ルメイは自分達のやっていることを「負けていれば戦争犯罪として訴追されてお
かしくない」と言っていたという。「私も彼に同意する。我々は戦争犯罪者として行
動していた」。

後に米政府の高官、当時の作戦当事者が「まして二発の原爆を落とすことなど許され
るのだろうか」と断言するだけでも、この映画が日本に衝撃を持って受け止められる
映画であることは間違いない。ことイラク情勢が「アメリカにとって第二のヴェトナ
ム」とも評されている今日、マクナマラの極めて現実主義的な戦争反対のメッセージ
がよりにもよって9月11日に公開されることの象徴的な意味は大きい。「21世紀にな
って、人類は自分たちの暴力や衝突について考え直さなければならない。このまま血
みどろの歴史を続けて行くのか?」

もう一本、今ジャーナリスティックな注目を集めるアメリカのドキュメンタリーとい
えば、マイケル・ムーアの『華氏9/11』があるが、たとえば是枝裕和はドキュメンタ
リーとは最初に結論があるのではなく作家が作品を作って行くなかでいろいろ考えて
いくものであるはずだとして、これを「ドキュメンタリーではない」と発言した。仏
カイエ・デュ・シネマ誌は「よくできたオーディオ・ヴィジュアル商品だが、映画で
はない」と評し、カンヌ映画祭でのパルムドール賞受賞を「映画の敗北」と断じた。
筆者自身も未見ではあるが、「ブッシュ再選阻止」が明快なメッセージなだけだとし
たら、『華氏9/11』には時事的なパワーがあるとしても、それを超えた“ドキュメン
タリー映画”、作品としての普遍性があるかどうかは確かに疑問符のつくところだ。
ムーア監督自身が自分を芸術家というよりはアクティヴィストと考えている節がある
から、それはそれで彼の作家性だと言えなくはないが。

●これまでのエロール・モリス作品に一貫するテーマ性

“ドキュメンタリー映画”として、ドキュメンタリー映画作家が自らの世界観や映画
観を提示する普遍的な表現に到達するか否かの作家性で言えば、2年ほど前にモリス
がマクナマラについてのドキュメンタリーを作っていることを聞いたときには、「ど
うなんだろう?」とは思った。

このような世界的な著名人を撮った映画として、モリスは以前に物理学者スティーヴ
ン・ホーキングを主人公に『ブリーフ・ヒストリー・オブ・タイム』を作っている。
ホーキングの同名著書(日本題は『ホーキング 宇宙を語る』)の映画化でもあった
この作品では、モリスの個性が前面に出ているとは言いがたいところがあった。とい
うより、やはり観客はホーキングに関心を持ち、その理論を学ぶために映画を見てし
まう。随所に挿入されてホーキングの理論を視覚化した画像が、いかに洗練されてい
ても、そのまま説明的に見えてしまうきらいがあり(よく考えると、物理現象の例と
して使われていたモノの選択がいかにもヘンなのだが)、モリスがここでなにをやろ
うとしていたのか、それまでの『天国の門 Gates of Heaven』(1978)『ヴァーノン、
フロリダ』、『シン・ブルー・ライン The Thin Blue Line』(1988)に較べて、いま
ひとつよく分からなかった。モリス自身は、「この映画のときにノンリニア編集が使
えていれば、もっと自分の映画に出来ていたと思う」と、悔やんでもいた。

だがその後、ノンリニア編集を導入して極度に複雑な編集による入り組んだ構成とな
った『手早く、安く、制御不能 Fast, Cheap & out of Control』(1997)と『死神博
士の栄光と没落』、そして今回の『フォッグ・オブ・ウォー』へとつながるモリスの
フィルモグラフィを見ると、実はホーキングの映画がモリスにとって重要な主題的発
展の契機であったことに気づく。

『手早く、安く、制御不能』は、マサチューセッツ工科大学のロボット研究者、庭師、
サーカスのライオン調教師、そしてアフリカで見つかった蟻のような社会を作る特殊
な地ネズミの研究者(動物園での展示を担当した体験を語る)、この4人のインタビ
ューを交錯させる映画だ。オリヴァー・ストーン作品の撮影で知られる鬼才ロバート
・リチャードソンの、人口照明を大胆に使った表現主義的な映像が、この4人のそれ
ぞれの仕事の光景(その多くは再現シーン)を映し出し、さらにライオン調教師が師
と仰ぐ伝説的ライオン使でB級アクション・スターでもあったクライド・ベイリーの
主演映画の抜粋が随所に挿入される。

4人の主人公の共通点、つまりこの映画のテーマは明白だろう。それぞれに、自然界
をコントロール、あるいは再創造すること。それは宇宙の存在原理それ自体に物理学
理論で迫ろうとするホーキングにも共通する。『ブリーフ・ヒストリー・オブ・タイ
ム』で古典的なフィルム編集で思うように行かなかったというのは、主人公の言葉と
再現映像の関係性のなかで、こうした彼らが夢見ていたり職業としている「世界を理
解すること」(=世界をコントロールすること)が、どこまで本当に現実あるいは真
実で、どこまでが彼らの思い込みなのかを、あえて曖昧に、どこまでが“ドキュメン
タリー”でどこまでが“フィクション”なのかの境界を見せないようにすることが、
思うように行かなかったのではないか。

●我々が「現実」と認識しているものは、どこまで本当に現実なのか?.

エロール・モリスは現実そのものに興味を持っているドキュメンタリストではない。
彼の映画は「現実」という認識を疑うことから出発している。我々が現実あるいは真
実として見て認識していることは、真実や現実そのものではなく、あくまで我々が見
たゆえに本当だと信じたことに過ぎない。我々は現実のなかで生きながら、我々が生
きていると認識している現実は我々が自分の認識のなかで作り上げた世界観でしかあ
り得ない。それをモリスは内面的なフィクション、あるいは個人的なフィクションと
呼び、自分のドキュメンタリーはそこにこそ興味がある、と語っている。

こうした「真実」と主観性をめぐる認識論的な興味から、モリスはインタビューを作
品の全面に押し出し、その手法が従来持っていた意味を覆して来た。通常、インタ
ビューにおける証言は少なくともその人物が体験した「事実」、たいていは事実その
ものの情報を伝えるものとして用いられる。だがモリスの最初の2作品では、普通の
感覚ならおよそ事実とは思えないインタビューが延々と続く。ペット霊園を扱った
『天国の門』ではペットの“遺族”たちが自分たちの愛した動物が霊園でいかに幸せ
かを語り、『ヴァーノン、フロリダ』の住人たちの昔話や自慢話は…。たとえばネ
ヴァダ州の核実験場から持って来た砂が数年で倍に増えたと、その砂が入ったビンを
見せながら語る壮年の夫婦…。.

この「証言の信憑性」はなにもドキュメンタリーに限った問題ではない。たとえば裁
判も、証拠や証言の信憑性に基づいた判断が下される場所だ。『シン・ブルー・ライ
ン』は警官殺しで有罪判決を受けた男とその周辺のインタビューから、裁判における
「証言の信憑性」の判定を覆し、結局は主人公の冤罪が本当にやり直し裁判で確定し
た作品だ。公正さに万全を期し「真実を明らかにする」はずの司法の場ですら、現実
に判断を下すのは人間であり、その判断は自分が見たり聞いたり信じたことの“思い
込み”で左右されている。真実、あるいは事実そのものに直接到達することは、裁判
官や陪審員が事件現場にその瞬間にいるわけではなし、推測と解釈以外にはあり得な
い。一見公正で厳正に作られているように見える我々の法治社会もまた、実は法的な
手続き上正当性が保証された“思い込み”で成り立っているものに過ぎないのではな
いか。.

本人にとっては信じて疑わない“事実”、ハタから見ればただの“思い込み”、その
境界線への興味は、『死神博士の栄光と没落』で主人公の死刑技術専門家フレッド・
ロイヒターが提唱する「人道的な死刑」(死刑囚であっても痛みは最低限であるべき
だ)と、彼がアウシュヴィッツを調査してガス室はなかったとする「ロイヒター・レ
ポート」を発表してしまったことにもつながる。この映画はホロコースト否定の歴史
修正主義を取り上げたことで物議をかもしたのだが、そこで浮かび上がる真の主題は、
我々がなにを持って歴史的事実を事実と認識するのか、あるいはしないのかである。.
また死刑というロイヒターの職業は死刑囚とはいえその生と死をコントロールするこ
とであり、自分が人道主義者であることを信じて疑っていないロイヒター自身がまっ
たく無自覚なこの誇大妄想狂的側面は、自然を理解しコントロールしようとする『ブ
リーフ?』『手早く?』とも共通する主題だ。無論、誇大妄想は“究極の思い込み”
でもある。と同時に、『死神博士』は我々が正しいものだと信じて疑わない人道主義
を別の視点から見ることを強制し、我々の倫理的観念もまた大いに揺さぶられる。

● ロバート・S・マクナマラ、20世紀という価値観の超エリート

そしてロバート・ストレンジ・マクナマラ。在任当時「史上もっとも優秀な国防長
官」「初めて文民統制を実践した国防長官」と賞される一方で、「歩くIBMマシー
ン」「頭でっかち」「傲慢」との悪口も絶えなかった男だ。アイルランド系の中産階
級の出身、子供の頃から超優等生、学費が比較的安かったカリフォルニア大学バーク
レイ校から、奨学金を得てハーバードの大学院で統計学を学び、この名門大学で史上
最年少の助教授に。その能力から第2次大戦中には空軍の作戦の効率化に貢献。戦後
はフォード社の経営合理化に辣腕を奮い、マーケティング調査を元に安価な大衆車路
線を選択して同社の経営を立て直し、交通事故のデータから初めてシートベルトを導
入。そして同社初の創業者一族以外からの社長に。その職をわずか5週間で辞任して
ケネディ政権の国防長官に就任。20世紀を支えた合理的思想の超エリートだ。

これまでのモリス映画の主人公たちはどちらかと言えば“変人”であり、彼らが語る
彼らにとっての真実/内的フィクションが、彼らの思い込みであることはむしろ簡単
に受け入れられる。逆にその“ハタから見れば笑ってしまいそうな”内的フィクショ
ンが彼ら自身にとっては真実であることを見せることで観客の認識を揺さぶる方向に、
モリスの演出が働いてもいた。スティーヴン・ホーキングの理論ですら、物理学にお
ける革命的な世界観であるとしても、その学問的権威がなければ、我々にはなんのリ
アリティもない絵空事だし(そもそもあくまで「理論物理学」だし)、『ブリーフ・
ヒストリー・オブ・タイム』でもモリスが本当にやりたかったのはそこだろう?
科学的・理論的に証明されているからと言って、本当に真理なのか、いや我々はそれ
を本当に真理として認識しているのか。

一方、マクナマラの論理は、20世紀という時代を支えた論理そのもの、20世紀の近現
代文明の基底として、全人類的に共有されているものだ。現に彼はその論理を駆使す
る知能でアメリカン・ドリームを成し遂げた(国防長官に就任するまで、彼は世界で
もっとも高給の会社重役の一人だった)人物であり、「私も85歳だ。自分の人生の経
験からそろそろある種の結論を導きだしてもいいころだろう」という彼の発言や発想
そのものは筋が通っているし、平然と「自分が犯した過ちを悔いている」とも言う。
これまでの我々の“近代史の常識”からすればショッキングな問題発言が連発される
としても、彼の言っていることは徹底して正論なのだ。

●我々は自分が信じたいと思うものしか見ない

『フォッグ・オブ・ウォー』は原題「The Fog of War: Eleven Lessons from the
Life of Robert S. McNamara」にある「Eleven Lesson 11の教訓」に沿って構成され
ている。キューバ危機を論じる初めのパートが第1の教訓「敵の身になって考えよ」、
データ収集とマーケティング調査でフォードの経営を立て直した話は第6の教訓「デ
ータを集めよ」と言った具合に。そしてこの映画でもっとも衝撃的なクライマックス
のひとつ、トンキン湾事件が誤解だったという話は、第7の教訓「見たことも信じた
こともしばしば間違っている」の章になる。これは日本語の「百聞は一見にしかず」
の意味になる英語の慣用句「見ることは信じること」のもじりだ。

トンキン湾事件で魚雷攻撃されたとされる駆逐艦との無線通信はショッキングだ。事
実はソナーで魚雷らしきものが確認されたことしかなく、「では攻撃されたことは確
実なのか?」と問うのに対し、返答は「ああ、間違いない…と思う」なのだ。マクナ
マラの結論は「8月2日の攻撃は確かにあったが、我々は自信が持てなかった。我々が
これで確実だと思った8月4日の攻撃は、なかった」。一回目の攻撃でアメリカ側の認
識にある条件付けがされており、その偏った見方で誤った情報が生まれ、その結果
ジョンソン大統領は北爆を決断し、議会がトンキン湾決議でその権限を与え、「第2
次大戦で西ヨーロッパに落とした爆弾の合計の2倍から3倍」(マクナマラ)の猛烈な
爆撃となって、ヴェトナム戦争をいっそう泥沼化させてしまった。そのきっかけが、
なんと事実誤認の思い込みだったとは。

我々が「事実」と認識するのはドキュメント、証拠となるだけ客観的だと認識される
資料に基づいた解釈でしかない。歴史学がそうであり、報道もそうだ。モリスは『死
神博士』ですでに、このドキュメンテーションの限界性を扱っている。ロイヒターは
自らが完全に科学的な調査を行い、自分の技術と経験に基づいた判断で「ホロコース
トはなかった」と結論した。だが…。

トンキン湾事件とトンキン湾決議は、アメリカ側が「攻撃された」と思い込んだ事実
だけがあり、そしてその思い込みが実は「なかった」というマクナマラ。モリスが
「我々は自分が信じたいと思うものしか見ない」と声をかけ、マクナマラは「その通
りだ」と答える。モリスが一貫して興味を抱いて来た「内的・個人的フィクション」、
ハタから見れば“思い込み”にしか見えないかも知れないが当人にとっての真実、あ
るいは当人は真実だと思って疑いもしない誤解と思い込みの問題だ。

20世紀の国際政治もまた、個々人の能力では極めて優秀で理性的で論理的なはずの政
治指導者たちが、しかし現実には思い込みと誤解と過ちを積み重ねることで進行して
来たことを、この映画は突きつける。「フォッグ・オブ・ウォー」、戦争の霧。「戦
争という状況下ではさまざまな要素があまりに複雑に絡み合い、誰もその全体像や真
相を把握することはできない」とマクナマラは言う。「あらゆる戦争の司令官たちは、
もし正直でありさえすれば、必ず自分がどこかで過ちを犯したことを認めるはずだ。
味方にも敵にも、本来の目的からすれば不必要な損害を出し、無駄に人の命を奪った
ことを」。

●ドキュメンタリーが見せる「現実」とは、「真実」とは?.

これはまたドキュメント、証拠となる資料という言葉を語源に持つドキュメンタリー
にも通じる問題だ。言うまでもなく、見ることは信じること、キャメラという記録機
械が撮った映像が見せるものであるからには事実であるはずだというのは、ドキュメ
ンタリーの根本理念だ。だがキャメラという装置が機械的に捉えたとしても、それは
結局現実のごく限られた一面を見せるものでしかない。キャメラは使う側が意識しよ
うがしまいが、その置かれた位置から見えるものしか写せないし、その映像は編集さ
れなければなにも伝えられない。その編集は、映っているものについての作り手の解
釈、「なにが写っているのか?」の判断なしにはできない。

この映画に対するマスコミ、政治ジャーナリズム的な興味は「内幕を知る当事者マク
ナマラが語った真相」なのだろう。しかしここで本当に事実と言えるのは、マクナマ
ラがモリスのインタビューに応えてキャメラの前でかくかくしかじかこういうことを
語ったということでしかなく、我々が見るのはその映像をモリスが構成・編集したも
のでしかない。.

『フォッグ・オブ・ウォー』の映像を丹念に見れば、この映画がマクナマラのような
20世紀的な優秀な知性と論理もまたひとつの“思い込み”に過ぎないかも知れない、
その限界についてのものであると同時に、ドキュメンタリーの限界性、我々が決して
事実そのものを写し、真実そのものに到達することなどできないという問題について
の映画でもあり、その二つが表裏一体に結びついていることが次第に見えてくるだろ
う。

それはこの映画の極端な、人工的なスタイルを意識させずにはおかないほどスタイリ
ッシュな映像からしても明らかだ。シンプルに分かりやすいところでは、たとえばホ
ワイトハウスの録音テープの引用はスケール感が狂うように照明されたテープレコー
ダーのアップに載せて紹介される。モリスがすでに『シン・ブルー・ライン』で、真
犯人が真相らしきものを告白する録音だけのインタビューで使った手法の応用だ。マ
クナマラのインタビューは、ガラスを貼りめぐらした、落ち着いたグレーのトーンの、
しかし極めて人工的なセットで行われており、顔の大写しからほぼ全身が見える引き
まで様々なサイズで、時にはキャメラをわざと傾けて撮影されている(それが実に細
かくカットされ編集されている)。.

『シン・ブルー・ライン』以降のモリスの作品のトレードマークとも言えるスタイリ
ッシュな再現シーンは、『フォッグ・オブ・ウォー』では具体的な再現ではなく、象
徴的な意味性を持って挿入されていく(“再現”に当たるのは、当時の記録フィルム
からの膨大な引用だ)。たとえば統計の専門家として作戦の効率化に関わった太平洋
戦争に関する話では、東京上空から爆弾が落とされる映像の、爆弾が数字に置き換え
られた合成画面が、現代の戦争における作戦の冷酷さを我々の意識に刻印する。.

なかにはドミノ理論を示すのに、本当にソ連、中国からヴェトナムに至るまでドミノ
を並べ、それを将棋倒しにしていくという、あからさまにストレート過ぎて冗談かと
思わせるほどのメタファー的映像もある。だがこのドミノのシーン、実は大変なクセ
モノで、繰り返し、時にはアップで、時には逆回転で用いられるにつれ、倒れたもの
は取り返しがつかないという別の意味を持ち始め、そのことが冷戦下のパラノイアの
なかでドミノ理論のようなその実極めて単純化され安直な理屈にとりつかれてしまっ
たことの取り返しのつかなさを、我々に考えさせずにはおかなくなるのだ。

●「11の教訓」に仕組まれた構成のトリック

「11の教訓」という構成もまたクセモノだ。原題を訳せば「ロバート・S・マクナマ
ラの生涯から学ぶ11の教訓」であって、「マクナマラに学ぶ」ではない。これが彼の
「生涯から」モリスが引き出した教訓であることは、多くの人が勘づくことだろう。
ちなみに、現にDVDではマクナマラ自身による「国際政治と戦争についての10の教
訓」が付録になっている。

しかもこの「11の教訓」、「相手の身になって考える」とか「データを集めろ」とか、
第3の教訓「自分を超えたなにかの価値がある」など、ドキュメンタリー作家の心構
えとしても読める。その上、並べてみると実は相互に矛盾していたり、次に出てくる
教訓ですぐにひっくり返されるところすらある。第4の教訓「効率を高めよ」という
わけでマクナマラは太平洋戦争の空襲作戦計画で最大限の効率を追求した結果、日本
のほとんどの主要都市が焼夷弾で焼き尽くされた。というわけで第5の教訓「戦争で
あっても利益と損失の釣り合いがガイドラインになるべきだ」となるのだが、一方で
そのガイドライン、なにを持って、どこからが戦争犯罪と見なされるのかは…倫理、
自分個人を超えた価値観(第3の教訓)の問題と、トートロジーにならざるを得ない。

第9の教訓「人は善をなすために悪を行」わざるを得ないのだし、第6の教訓「データ
を集めろ」と言ったところで、一方でそのデータは第7の教訓「見ることと信じるこ
とはしばしば誤っている」のだから、データと論理学と倫理によって「自分を超えた
なにかの価値」のために「善をなそう」としたところで、結論は第11の教訓「人間の
本質は変えられない」のでは、結局のところ「歩くIBMマシーン」の優秀な論理も議
論を持ってしても、世界を理解しコントロールすることがいかに人間にとって不可能
なのだと肝に銘じる他はない。と同時に、人類の歴史は世界を完全に理解し、理解す
ることでコントロールしたいという理想の探求であり続けている。極めて論理的で一
貫して主張に筋の通ったロバート・S・マクナマラですら、実は自己矛盾の固まりで
あり、その自己矛盾は我々の文明それ自体の自己矛盾であり、人間の不完全さがいか
に複雑であるのかを、この映画は見せているのだ。

これまでのモリスの作品では、インタビュアーであり監督であるモリス自身の声は、
たとえば『シン・ブルー・ライン』と『手早く、安く、制御不能』と『死神博士』で、
映画の最後の方で一度だけ、鍵となる質問をするのが聞こえるというのが多かった。
それに対し『フォッグ・オブ・ウォー』では、いきなり冒頭からマクナマラが「前回
のインタビューで結論をいい損ねたので今言いたい」と言い出し、のモリスの声が
「どうぞ! Go ahead」と、いささか攻撃的に響くのにまず驚かされる。キューバ危
機についての話では「アメリカがキューバを侵略しようともしていた」(ビッグス湾
事件のこと)と突っ込むし、“第5の教訓”のパートで太平洋戦争の話が終わったと
ころでは「このインタビューでいつかはヴェトナム戦争のことにふれなければならな
い」とマクナマラに挑戦する。するとマクナマラが「それはそうだが、その前に第二
次大戦後のことに話を戻させてくれ」と言い、そこで話題はフォード社での彼の活躍
の話にうつってしまう。

インタビュー映像だけでも様々なキャメラ位置のショットを細かく編集してつないで
いるのだから、モリスの編集がかなり自在にこの映画を構成し、マクナマラの話の文
脈も自由に作り替えられる立場にあったことは明らかだ。にも関わらず、モリスは一
方で、この瞬間のようにマクナマラ自身が話題の方向性を左右している部分を、あえ
て映画のなかに残しているのだ。.

ドキュメンタリーの限界性、我々のキャメラも、それが作り出す映画も、決して純粋
に客観的に事実や真実を描くことはできないことは、多くのドキュメンタリー作家が
自覚して来たことだ。そのことを観客に気づかせるために、たとえばインタビュアー
である自分の声を聞かせたり、(筆者自身も前作『ゆきゆきて、ゆきゆきて…原一
男』で使ったやり方だが)インタビューで聞き手である自分を写したりすることで、
自分の主観性を示唆しようとする。

ところがエロール・モリスの映画では、インタビュー対象はキャメラに面と向かって
話す。モリスはこの効果を得るためにテレビで使うキャメラ・プロンプターを応用し
た特殊なキャメラで、レンズの部分にハーフミラーで自分の顔を映し、対象がその彼
の顔を見ることでキャメラ目線を確保する、という手法を使って来た。そうすること
で対象の語る映像に「目を見て語る」強さが出ると同時に、対象があたかも観客に向
かって話しているかのような錯覚を与える危険もある。「ここまで目を見て真摯に話
しているのだから、真実に違いない」と観客が感じてしまうかも知れないとして、反
発を感じるかもしれない。.

しかしよく考えれば、それは実際彼らにとっての真実なのだ。だからこそモリスは観
客の主観とキャメラの視線をほとんど一致させるほど極度に近づけるのだろう。我々
はこのキャメラ目線を通じて彼らの「内的フィクション」をほとんど共有するスレス
レにまで行くと同時に、その顔の表情をあたかも面と向かって話を聞いているかのよ
うに観察する? いや、生身であれば礼儀として相手の目を見るとしても、ここまで
観察はできない。ドキュメンタリーは事実を撮っているとしても、観客が直接見るの
はそれを記録した映像でしかない。物理的にはフィクションと同等の、現実との距離
が、生身の視覚ではなく映像であることによって保証される。とくにモリスの映画で
はインタビューはしばしば人工的で抽象化されたスタイリッシュなセットだし、ロケ
撮影の『ヴァーノン・フロリダ』では均整のとれた構図と、それ自体は生活感のある
器具であっても妙に端正に配置されていることが、映像のフィクション性を担保して
いる。.

ドキュメンタリー作家がしばしば長廻しを多用するのは、ひとつには「編集により現
実を操作する」ことを最低限に押さえようという自制、あるいはそういう「正直な」
姿勢を自分はとっているのだというポーズだったりする。だがとくに『手早く、安く、
制御不能』以降、モリスはこうした分かりやすいドキュメンタリーの限界のシンプル
な提示には背を向ける。むしろ最先端の映像技術をふんだんに取り込むことで人工的
なスタイルの洗練を極め、徹底的に作り込むことで、自分が見せているのは決して客
観的な事実でもなければ、普遍的な真実でもなく、あくまで自分の表現であり、それ
は自分という主体の“思い込み”であるかも知れない限界性をはらむものであるのだ
ということを見せて行くのだ。

●人間の本質は変えられないどころか、内面を捉えることすら不可能だ

この映画の撮影時に85歳のマクナマラが「自分の人生の経験からそろそろある種の結
論を導きだしてもいいころだろう」と冒頭で語るショットは、まずマクナマラがこれ
から語る自分の位置づけを宣言していると同時に、モリスの映画の文脈のなかで、ド
キュメンタリー映画の限界性を示すと言う意味を持つ。つまり、この映画でこれから
語られるのは、あくまで現時点で彼が回想した“事実”や“真相”に過ぎず、今のマ
クナマラという主観のフィルターを通したものでしかないという限界性だ。もちろん
ここに触れてしまえば、我々が「歴史的事実」であるとかジャーナリズムにおいて
「事実」と思い込んでいることの根底が崩れる。だがよく考えれば、これは当たり前
のことだ。

マクナマラは自分が政権内で一貫してヴェトナムからの撤退に努力していたと主張す
る。「戦争の責任は大統領にある」。ジョンソン大統領を誠実な人物であり愛し尊敬
もしていたと言いながらも、彼との意見の相違に苦しんで辞任に追い込まれるまでを
語るマクナマラ。歴史に「もし」はないと言うが、しかし「ケネディであれば状況は
変わっていたと思う」。しかし…

ケネディとマクナマラは63年にはアメリカの軍事顧問を南ヴェトナムから撤退させる
計画を始めていた。しかし同年11月に南ヴェトナムのジエム政権が軍のクーデタで倒
れたことで、アメリカは手を引きようがなくなってしまったとマクナマラは言い、
「そのクーデタにはアメリカにも責任がある」とも暴露する。同月24日、ケネディ暗
殺。大統領職はジョンソンに引き継がれるが、どちらが大統領でもクーデタで状況が
変わって動きがとれなくなることに変わらなかったのではないか? マクナマラの歴
史の「もし」は、本人はどう見ても自覚しておらず堂々と語っているにせよ、それで
も彼の願望、“思い込み”に過ぎないのかも知れないのではないか。

先述の、アメリカがアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン政権下を通じてカストロ
を暗殺しようとしていたという証言について、マクナマラは「在任当時には知らなか
った」と断っている。そうだとしたら、彼自身が映画で「アメリカが全能であったこ
となど歴史上あったのか?」と問うが、全能どころか彼の国防長官としての自身の属
する政府内での権限と情報入手にも、名目とは裏腹に大いに限界があったわけだし、
一方でもしかしたら本当は知っていたのかも知れない。.

戦争における倫理についての例として枯葉剤に言及するときにも、彼は「自分が承認
した記憶はないが」と言うが、それが本当だとしても嘘だとしても、記憶違いだとし
ても、彼が知らずに決まったことだとしたら恐ろしいことだし、嘘だとしたら不道徳
なことだし、記憶違いだとしたらなぜ忘れたのか? 無論映画が映画でしかない以上、
マクナマラの意識の底に入り込めるわけでなし、映画以外の手段でも“真相”や“真
実”は、結局は我々には分からない。事実として言えるのは、マクナマラがモリスに
対してそう言ったということだけだ。.

モリスの声が、なぜ辞任後に戦争反対の意思を表明しなかったのか、とマクナマラに
問う。マクナマラは答えようとしない。「ここでなにかを言ってしまえば、後で際限
なく発言を修正したり補足したりすることになるから」。これははぐらかしか、ある
いはマクナマラもまた人間の認識の限界性についてモリスと共通した考えを持ってい
るからこその発言なのか。もしかしたら、その両方なのか?自分の限界性を正直に述
べることこそ、最大の言い訳になるのか? モリスがあえて映画の最後に持って来て
いることの意味も、見逃せない。

『フォッグ・オブ・ウォー』は人類の歴史上もっとも血みどろな20世紀という歴史を
通じて、戦争の本質を考えさせる映画だ。だがそれ以上に、これは人間とその文明・
文化の抱える根本的な限界を突きつける恐るべき映画でもある。「戦争」が直接の
テーマになるのは、それが人間とその文明の本質がもっとも露呈される極限状態であ
るからだろう。エロール・モリスは、ここに自分の世界観を最大限に表現できる対象
を見つけ、具体的主題を見いだし、その世界観を今まででもっとも完璧に映画化する
ことに成功した。

☆『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』
The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara
製作・監督:エロール・モリス、撮影:ピーター・ドナヒュー、ロバート・チャペル、
美術:テッド・バファルコス、スティーヴ・ハーディー、編集:カレン・シュミアー、
ダグ・エイブル、カイルド・キング、音楽:フィリップ・グラス

ソニー・ピクチャーズ・クラッシックス提供、@ラディカル・メディア&セナート・
フィルム作品、グローブ・デパートメントストア提携、2003年度アカデミー賞最優秀
長篇ドキュメンタリー賞受賞

9月11日より、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズにて公開
 http://www.tohocinemas.co.jp/roppongi 
エロール・モリスの公式サイト: http://www.errolmorris.com 
『フォッグ・オブ・ウォー』公式サイト: http://www.sonyclassics.com/fogofwar/


■水原 文人(みずはら・ふみと、藤原敏史)
ドキュメンタリー作家/映画批評。ヴィスコンティの『山猫』が3時間のイタリア語
完全版でリバイバルされることになり、一足先に試写で見ました。うーむ、仮に劇映
画をやる機会があるなら、どうせならこういうものをやりたい。8月28日から数日間、
土本さんを追っかけて(撮影で)、水俣に行ってます。



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┃05┃□ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(8)
┃ ┃■映画復元の謎
┃ ┃■安井 喜雄
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この7月に開催された第8回プチョン国際ファンタスティック映画祭に当方が所有す
る日本の古いアニメーションを提供したので、アニメに詳しい森卓也さんに同行して
いただき参加してきた。観客層が若いので古い日本のアニメになんか興味がないだろ
う思ったが、熱心なファンが多かったので驚いた。さらに驚いたのは、この映画祭が
映画の復元に取り組んでいたこと。ハングルが読めないので英語題名しか書けないが
、兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督の1965年作品『An Empty Dream』という実験映画風
の劇映画が復元されて上映されていた。内容は武智鉄二の『白日夢』(1964) からア
イデアを頂戴したものらしい。ディレクターによる上映時の解説によると、ラスト1
巻の音ネガが現存せず、いままで上映されなかったが、この映画祭のために新たに音
声を録音して復元したという。単なる復元とは違うため、カタログにはA Creative
Restorationと書かれていた。

モノクロ作品なのになぜカラー焼きされていたのかは疑問だが、ラストの欠落音声の
録音は生存する当時の俳優を使ったそうで、現存部と新録音部の違和感は全く感じな
かった。閉会式やパーティー会場でこの老監督のお元気な姿を拝見したのも収穫だっ
た。そういえばフィルムセンターでやっていた「韓国映画―栄光の1960年代」の中
に、この監督の『カインの後裔』(1968)が入っていたのを思い出した。京橋まで気軽
に見に行けた東京の人が羨ましいですね。

武智鉄二の『黒い雪』は、学生時代に堺のピンク映画館まで追っかけて見た記憶があ
るが、初版の『白日夢』を未見だったので比較対照できなかったのが残念だった。自
宅に再映画化版『白日夢』(1981) の輸入ビデオのコピーがあったので見直したら、
谷崎潤一郎原作の映画化なのでまったくアイデアは同じだったけど、輸出を考慮して
作られたためか裸がやたらに多い。愛染恭子と佐藤慶が熱演しており以外に面白かっ
た。

映画の復元に映画祭が力を入れるのは韓国ばかりではないようだ。昨年は休止に追い
込まれた京都映画祭が、今年は新たな体制で復活。今回は、映画の復元に力を入れて
いるのが頼もしい。広報発表によると、美空ひばり主演の斉藤寅次郎監督作品『青空
天使』(1950)が蘇るのをはじめ、賀古残夢とハインツ・カール・ハイラント共同監督
による日独合作映画『武士道』(1925)、三枝源次郎監督の『特急三百哩』(1928)が初
お目見えするという。中でも『特急三百哩』は、私も一枚噛んでいるのでPRさせてい
ただくと、京都駅ビルでオープニングセレモニーの後、ライブ演奏付きで上映される
予定。昔の操車場や蒸気機関車が登場するので、鉄道マニアは見逃せない映画だと思
う。復元作業は大阪のIMAGICAウェストが担当しており、その資金に充てるべく映画
祭では一口1000円の「シネボラ基金」を募集している。(問い合わせ:075−212−
0920)

映画修復の勉強をしたことがないのでよく分からないが、ここで言う「復元」という
言葉の意味がもうひとつよく理解できない。今までの経験では元に復しても複製品で
あることに間違いなく、オリジナルと比べると画質低下は免れない。これでは元に復
したのでなく元より悪くなるので「復元」でなく「複製」ではないのだろうか? パ
ーフォレーションや接合部の補修もしているので「修復」だったらまだ理解できるの
だが、なぜみんな「復元」という言葉を使うのかよく分からない。

この言葉だと元に戻ったという間違った理解を生んでしまうのではないかという恐れ
を抱いている。元のフィルムを映写してみるとよく分かるのだが、昔のフィルムは現
在のと材質が違うので、現在のフィルムに焼いても画面の抜けや鮮明度は再現不可能
なのだが? 不思議に思ってその道の先生に聞いてみた結果「そのままでは上映でき
ないものを見られ
る状態にすることが映画復元」とのご意見を得た。なるほどそういう理解もあり得る
かと半分納得できたようなできないような…。

最近、Yahooのオークションにフィルムがよく出るので、時折チェックしている。こ
の間、アニメと時代劇を含む古い16mm数本が1000円とあったので落札を試みたものの
、珍しいものはみんなが狙っているらしく、16000円で誰かが落札。残念ながら負け
てしまった。この読者の中に敵がいるんじゃないかな? 以前に山中貞雄の『怪盗白
頭巾』(玩具フィルム)が出たときも負けたので、悔しいです。フィルム集めも資金力
ある人が勝利するということでしょうね。

しかし、なぜかピンク映画の敵はいない模様で、有名な作品でも誰も入札していない
ようだ。最近、今まで見る機会を逸していた若松孝二の『赤い犯行』(1964) が出た
ので希望価格で落札したら早速フィルムが送られてきた。飛びついて入札したものの
「ノークレーム、ノーリターン」と注釈が入っているので、到着するまで本当に映写
に耐えるフィルムなのかどうか、ケースに題名が書かれていても中味が全く違うフィ
ルムなのではないか、などの不安もあって賭け事と同じスリルを楽しめた。早速映写
してみると、間違いなく表示通りの作品で一安心、映画が想像以上に面白かったので
満足した。若干の痛みとモノクロの部分的変色があったけど致し方なしというとこ
ろ。

『赤い犯行』の主役を演じる路加奈子は、初版『白日夢』の主役でもある。ますます
『白日夢』を見たくなった。誰かフィルムを持っていませんか?


■安井 喜雄(やすい・よしお)
釜ヶ崎の夏祭りに布川徹郎やボレックス持参の若い撮影スタッフと行ったら、60年代
末に土本典昭、小川紳介などのドキュメンタリー映画を関西で展開していた近畿自映
組の主宰者に約30年ぶりに会った。彼が提唱していた「反戦ベタ撮り映画」のひとつ
、関西学院大学の『青の森』(1969、山形国際ドキュメンタリー映画祭2003「ヤマガ
タ・ニューズリール」で上映) がなぜサイレントなのかを問うたところ、音声はテー
プ出しで存在したが彼が所有していた頃にテープを紛失したとのこと。またゆっくり
話を聞いてみたいと思っている。

☆お詫び
前回の私の近況に間違った文章が配信されてしまいました。『百萬兩の壺』発見の記
事に所有者の人名表記がないのは失礼ではないかとの記載でしたが、その発見者から
「とんでもない誤解」との指摘を受けました。「ご遺族は名前を伏せるという条件で
記事を承諾された」とのことです。その発見のいきさつについては「草思」4月号に
山田宏一さんが詳細を書かれていますので、私も所有者が別人であると気付いて配信
直前に原稿を差し替えたのですが間違って配信されてしまいました。関係各位に深く
お詫びいたします。



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┃06┃□neoneo坐通信(6)
┃ ┃■9月の上映プログラム「科学映画特捜隊」
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9/26(日)
12:30〜13:30/15:30〜16:30 プログラムA(計59分)
「サイエンス グラフィティ 科学と映像の世界」1984・岩波・26分
「女王蜂の神秘」1962・桜映画社・33分

14:00〜15:00/17:00〜18:00 プログラムB(計55分)
「ミクロの世界 結核菌を追って」1958・東京シネマ・30分
「潤滑油」1960・東京シネマ・25分

18:00〜18:45 トーク「だから科学映画はやめられない」
ゲスト:岡田一男氏(東京シネマ新社代表)
聞き手:岡田秀則(映画研究者)

料金:A・Bプログラムとも 当日1,000円/会員800円
お問合せ先:清水浩之(neoneo坐プログラマーズ)TEL:080-5468-3251

☆neoneo 坐サイト:
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html

●10月から小川紳介全作品を順次上映!

neoneo坐では10月から待望の小川紳介の全作品をフィルム上映することになりまし
た。第1回目は10月24日(日)に(1)『青年の海』『現任報告書』(2)『圧殺の
森』を行います。その後、毎月1回、順次上映していきます。詳細は、近日中に
neoneo坐のサイトでお知らせしますので、ご期待ください。

●neoneo坐・企画会議を開催します

皆様からの企画提案、大歓迎です。奮ってご参加ください。
(当日ご都合のつかない方からのリクエストも受け付けます)

日時:2004年9月3日(金)20時〜21時30分
集合場所:neoneo坐(スペースneo)。地図はneoneo 坐のサイトをご覧下さい。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 
お問合せ:visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで。



   ※20-2号へ



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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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