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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.17 2004.7.15

2004/07/15


☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    17号  2004.7.15


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      写真の印象と新しい世代(3―最終回)  細見 葉介
 †02 自作を解剖する
      『トントンギコギコ図工の時間』  野中 真理子
 †03 ワールドワイドNOW ≪台北発≫
      上映活動に向けて動きだした全景の
         被災地ドキュメンタリー映画  吉井 孝史
 †04 ドキュメンタリー時評
      『父と暮せば』(監督:黒木和雄)  水原 文人
 †05 ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(7)
      ビデオの嫌いな理由  安井 喜雄
 †06  neoneo坐通信(4)
         私性の叛乱?徹底検証「私的ドキュメンタリー」
            佐藤 寛朗(neoneo坐プログラマーズ)
 †07 広場
     投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(7)
         ハバナについて(2)  波多野 哲朗
     投稿コーナー「クチコミ200字評!」(16)  提案者:清水 浩之
     アンケート募集!『8月15日に見たい映画』
 †08 編集後記  伏屋 博雄

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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■写真の印象と新しい世代(3―最終回)
┃ ┃■細見 葉介
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●『TAIZO』にみるデジタルの可能性

先に書いた、写真をめぐる一連のドキュメンタリー作品のうち、写真と対峙した
『SELF AND OTHER』とは別の意味で興味深かったのが『TAIZO』(2003)である。
この作品はカンボジアで戦死した報道写真家・一ノ瀬泰造の足跡をたどり、また交流
のあった人々のインタビューから、猪突猛進の生涯を再構成するものだ。この写真家
を今に生きる人々に伝えたいという監督の熱意に貫かれていて、同じく戦争の時代に
あって20年を経た死もまたリアルに感じられる。

この作品は、家庭用のデジタルビデオによるドキュメンタリーの可能性を示す象徴的
な作品の一つである。同作品のパンフレットによると、監督の中島多圭子氏はかつて
フリーアナウンサーをしていたが、一ノ瀬に関する記事を読み感銘したのがきっかけ
でこの作品を監督することになった。ドキュメンタリーの製作に携わるのは今回が初
めてで、3年間の製作作業は、まずビデオカメラの説明書を読むことから始めたとい
う。経験のない一人の監督が、情熱のままに自らビデオカメラを回し、取材行為がそ
のままドキュメンタリー作品に反映されるというのは、小型のDVカメラだったからこ
そ可能になった手法である。牛腸の作品と向き合う上で『SELF AND OTHERS』にフイ
ルムが必須だったのと同様に、彼女が『TAIZO』を作るためにDVカメラは必然の道だ
った。DVカメラはさらに、観る側にとっても、対象と近づくために有利だ。

二十世紀のある時期について想像しようとした時、ドキュメンタリー映画は貴重な断
片を与えてくれる。例えば学生運動当時の、今にも爆発しそうな蒸し暑い空気につい
て知りたければ、土本典昭監督の『パルチザン前史』(1969)をはじめ、多くの作品
が参考となるだろう。自分と同じ年齢の人々の肖像は飢えた攻撃性に満ちていて、真
剣な眼は、明らかに現代とは違う大きなものを見ていた。これらの作品は、映像から
ほとんど独立している音を効果的に使っており、音のモンタージュから熱い時代の迫
力を伝えることに成功しているが、終始、口の動きと合わない音は、モノクロの映像
とともにその出来事が別の時代に属しているという印象を強くする。もちろん、登場
する人々の風貌や言動自体の影響も大きいとはいえ、例えば仮にデジタルビデオによ
って撮られていたのであれば、1969年の光景であってもはるかに現実感が増していた
だろう。

●フイルムとの距離

技術の進歩は、そのままドキュメンタリー作品群の上にいくつもの断層となって現れ
ている。断層とは、モノクロやリップシンクロしていない、という差違だけではない。
カラーであり同時録音であっても、フイルムであった時----------作品と、自分とが
全く別の空間に隔てられているように思えることがある。これは、フイルムの映像が
日常の生活にない世代に特有の感覚ではないか。私は小学校から大学に至るまで、教
育の場面で一度も16ミリが上映された記憶はない。16ミリの映像は一部のテレビ・ド
ラマやコマーシャル、ミュージック・クリップの中に見られたが、不気味さや郷愁が
強調され、非現実を象徴する表現としての認識を持たされてしまうのだった。まして
や劇映画などは言うまでもない。一方で、1970年頃までに生まれた世代は、テレビ放
送の中でのフイルムの比重も大きく、また8ミリのホーム・ムービーもあり、はるか
に現実的に受け入れることができたのではないか、と思う。

デジタルビデオのとらえ方も、世代によって大きく異なってくる。1年ほど前、民俗
映画の姫田忠義氏がその主催するアチック・フォーラムの席上で言ったことを思い出
す。右手でDVカメラを持つしぐさをして、「今のカメラなら自ら撮ることもできるで
しょうが、どうも、演出に集中できないのです」といった内容を述べたのだが、フイ
ルム時代に育った作家達の実情をよく表わしていて印象に残った。ホーム・ビデオを
当たり前にしてきた人達には、このような抵抗は皆無だろう。

●主体性を考える

DVカメラの機動性を生かした作品は、若い世代を中心にして多く作られている。例を
挙げると、『ニュータウン物語』(2003)、『Go! Go! FANTA-G』(2001)、『戦争
が終わって僕らは生まれた』(2001)などで、日常会話の中へ自然にカメラを入り込
ませており、とめどない親近感を伴う。小ささというメリットを最大限に生かしてい
る点で、『TAIZO』と同様である。次々に新しいことが起こりそうな予感は絶え間な
い。フイルムに関する経験を全く持たない世代が、これから先次々とドキュメンタリ
ーの世界へ入ってゆくことだろう。今後の課題は、いかにデジタルビデオの主体性を
生かすかということだろう。全ての製作過程をデジタルに依存している人々が、一方
で画質だけは「フイルムらしく」24コマで撮影できるカメラを圧倒的に支持している
現状を見ると、デジタル全盛の時代においてなおフイルムへの羨望は激しいようだ。
DVカメラも、主体的に選択したと言うよりも予算の都合によるものが多いだろう。

ドキュメント写真という分野は、今なおモノクロの銀塩写真が主流であるという。現
代でも土門拳を模倣した写真を撮っている人もいることを考えると、媒体に一喜一憂
してしまうのは徒労に思えなくもない。フイルムとビデオの違いにこだわるのは、偏
狭な技術論の見方だととる向きもあるかも知れない。しかし、単に技術に過ぎないこ
とだからこそ、ソフトの問題に入る以前に乗り越えてもいいのではないかと思うのだ。
これらの断層をいかに超えるかも考えなければならない。まず必要なのは、「ドキュ
メンタリーと向き合うドキュメンタリー」なのかも知れない。    (完)


■細見 葉介(ほそみ・ようすけ)
最近、8ミリフイルムを用いて短篇のドラマを撮影した。国産フイルムがいつまで製
造を続けているかという不安とともに、もうじきモラトリアムも終わってしまうとい
う焦りが激しかった。夏は、日本に残った数少ないニュース映画の一つ「神奈川
ニュース」を取材して、文章と映像にまとめようと構想している。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『トントンギコギコ図工の時間』
┃ ┃■野中 真理子
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平熱のドキュメンタリー。『トントンギコギコ図工の時間』と前作の『こどもの時
間』を、自分ではこう呼んでいます。二作とも、ごく普通の子どもたちの日常生活を
丹念に記録したドキュメンタリーで、究明される際だった事象もなければ、劇的に展
開していく状況もありません。自分にとっても子どもや周囲の大人たちにとっても地
続きの、あたりまえの日常の中の希望を記録することが、わたしには必要でした。

20年間テレビドキュメンタリーをつくってきたので、その世界ではあたりまえの不必
要なほどのナレーションやインタビューという言葉の洪水や、恣意的な音楽や編集の
すべてをそぎ落としたところで伝えたいもの、必ず伝わるはずだと信じたものがあり
ました。その思いが初めての映画『こどもの時間』になりました。わたしが一人でや
らざるを得なかった編集も脚本も、ほんとうに未熟なのですが、伝わるはずだとはじ
めに信じた思いは、予想以上の多くの人たちに、予想以上の深さと広がりで伝わった
手応えがあります。テレビはビジネスですが、映画は人間の生命の営みの輪のなかに
あるものだと感じました。つくる行為も、観る行為も、実に有機的で、それぞれの人
生に深く関わっていくものだとわかりました。

『トントンギコギコ図工の時間』は、制作会社もプロデューサーもスポンサーもなく
製作しました。わたしと撮影の夏海光造さんと音響の米山靖さんが、資金も知恵も出
し合って、細々と、されど志高くつくりあげたものです。『こどもの時間』の完成か
らわずか3年。こんなに早く二作目をつくることになるとは思いませんでした。
その理由をプログラムに書いた文がありますので、少々抜粋します。

2001年8月21日(火) 『こどもの時間』上映後、映画を観てくれた多摩の小学校図
工のトキトウ先生とシバサキ先生とお会いする。「図工室にもこどもの時間がありま
す。今度子どもたちの作品展やりますのでおいでください」と言われたけど、学校に
楽しい時間なんてあるのか?でも先生たちの話し方がいばってなくて、見た目もいい
かげんでいいかんじ。

2001年9月11日(火) 青山・こどもの城「図工だいすき展」。びっくりしたしかっ
こよかった!MOMA(ニューヨーク近代美術館)みたいだった。公立の小学校にあんな
楽しい時間があるなんて全然知らなかった。図工の先生にたくさん会う。ウチノ先生、
スズイシ先生、ワシオ先生、ヤギ先生…みんなへん、愉快な妖怪大集合みたいで面白
い。子どもたちの作品が光ってるわけだ。(この晩本物のニューヨークの映像をみる
ことになる)

その後は世界にも自分の人生にも、重苦しい暗雲が立ちこめてやりきれない日々が続
きました。東京に行かなくなり人にも会わず、外界とのつながりが新聞やニュースや
メールばかりという籠もった状態になると、人間の尊厳や信頼は幻想だったのだろう
かと、暗い泥沼にひきずりこまれていくようでした。ひきずりこまれなかったのは、
陽気で寛大な家族に恵まれたことと、毎日二人の子の送り迎えに行くいなほ保育園に、
すべてが暗闇に沈んでも消えないような生命の光があったからです。.

そうしてある日『こどもの時間』を観た方たちからいただいた沢山のアンケートやお
手紙を読み返しているときのこと。それぞれの共感や意見を記した心ある文章の行間
に、わたしが読みとったのは、子どもたちの暮らしをとりまく不安や危機感でした。
その強烈な思いがわたしの背中をぐいっと押しました。しゃがみこんでうなだれてい
る場面はこれでおしまい。自分にとっても、子どもたちにとっても希望となる何かを
また探そう。自分の背中に背負えるほどの幸福を、映像として記録しよう。と次の山
登りをはじめたのです。(高校生のとき山岳部にいたので、気合いを入れるとこのよ
うに思うのです).

撮影の許可申請に行った教育委員会の教育長は、わたしの名刺に何の会社名もないこ
とや、持参した企画書がドキュメンタリーというのに、さっぱりジャーナリスティッ
クな視点がないことなどで、妙に思ったようですが「まあ、いいですよ」と承諾して
から「でも、こんな普通の小学校の普通の教師が普通の子どもたちに教える普通の授
業を映画にして、観る人いるんですかねえ」と心配してました。普通だからと、みん
なが見過ごしていることを記録しようとしているわたしには、むしろ励ましの言葉で
した。

子どもたちの自然な表情や、自立した心の動きを撮影しようとしているので、カメラ
を持たずに何回も図工室を訪れて、子どもたちがわたしたちの存在を、珍しいとも思
わなくなった頃から撮影をはじめました。撮影では異物としてのわたしたちが、その
場にある子どもと先生の日常的な明るい空気を崩さないように最も注意しました。.
わたしたちが入ることによって、日常とも少しちがう、張り切った空気が初めの頃は
感じられましたが、それも次第になくなって、ものをつくることに夢中になる子ども
にとって、わたしたちは机の脇のトンカチやノコギリのような存在になりました。こ
れは撮影の夏海さんの魔術だとおもいます。夏海さんは身長180cmを越す大男ですし、
トンカチを叩いている子どもの鼻息がカメラにかかるほど、寄って撮る場合も多かっ
たのですが、子どもたちはカメラの存在を意識しなくなってしまうのです。彼は撮影
の気配を消して、目前のものの魂をうつしとる天才だと思います。

編集作業は、埼玉県桶川の自宅にレンタル編集機を運んでやりました。編集をはじめ
た2003年は、子どもが2歳と7歳でしたので、保育園や学童保育のお迎えの時間のこと
を考えると、往復3時間かけて東京の編集室に通うことも、まして泊まり込むことも
難しかったので、こういうかたちをとりました。毎朝4時に起きて7時まで編集。7時
から朝ご飯つくって、みんなに食べさせて送り出して洗濯干して、9時から18時まで
また編集。長期戦で子育てと並行してできるのは、1日11時間が精一杯です。素材は
100時間ありました。プロの編集の人と一緒の作業であれば、客観的にカットを選び
詰めていくことも素早くたやすいのですが、一人でやっているとこれが一苦労。どの
カットもすべて愛しいし、思いをこめて撮影したもので、なかなか短くできないので
す。子どもたちが自分で考える時間、自分で決定する時間、喜びを自分の手で獲得し
ていく時間が伝わるように、注意深くしぼっていきました。自分の体調や精神状態が
不調なときは、判断を誤らないようなベストなコンセントレーションを保つことも、
一人だとなかなか難しく、まるで修行のようでした。

製作も、宣伝配給もすべてわたしが主体となってすすめ、ともかくてんてこ舞いの
日々でしたが、かつての人生では考えられないほど多くの人に支えられ、映画作りと
いう物語を紡いでいる豊かさがあります。今月から始まる大阪のロードショーや各地
の自主上映会で、どんな人たちと出会い、どんな新しい窓が開くのか、ほんとうに楽
しみです。


☆『トントンギコギコ図工の時間』(2004年/カラー/ハイビジョン・16mm/99分)
監督・脚本・編集:野中真理子、撮影:夏海光造、音響:米山靖、語り:犬山イヌコ、
音楽:立川智也、配給・宣伝:「トントンギコギコ図工の時間」製作上映委員会、
製作:海プロダクション・野中真理子事務所・ヒポコミュニケーションズ・『トン
トンギコギコ図工の時間』製作上映委員会

☆7/31〜9/3大阪第七芸術劇場で夏休みロードショー
☆自主上映会ご希望の方へフィルムの貸し出しをしています。
お問い合わせは 電話03-5366-3007  http://www.tontongikogiko.com 
「トントンギコギコ図工の時間」製作上映委員会

☆各地の自主上映会…7/19栃木・栃木、7/25埼玉・桶川、8/3福島・いわき、
10/2東京・こどもの城、10/9大阪・大阪、10/17山梨・都留郡、10/23福井・福井、
10/24福井・鯖江、11/13東京・品川、11/20東京・三件茶屋11/27東京・世田谷、
11/27東京・品川、12/11東京・北、12/19山形・寒河江、12/24静岡・駿東郡、
2005/2/20千葉・野田


■野中 真理子(のなか・まりこ)
1959年東京生まれ。早稲田大学卒業後、82年テレビ番組制作会社ティーユーシー
(現・テレコムスタッフ)入社。ディレクターとして企画、撮影、脚本、編集に明け
暮れる。91年よりフリーランスとなり、数多くのドキュメンタリー番組をつくる。
2001年1作目のドキメンタリー映画『こどもの時間』を企画・監督・脚本・編集。
2004年2作目『トントンギコギコ図工の時間』企画・監督・脚本・編集・製作。
夫と一男一女と黒猫と埼玉・桶川在住。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪台北発≫
┃ ┃■上映活動に向けて動きだした全景の被災地ドキュメンタリー映画
┃ ┃■吉井 孝史
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1999年9月21日午前1時47分、台湾南投県集集鎮付近でマグニチュード7.3の大規模な
地震が発生し、全壊家屋38,935戸、半壊家屋45,320戸、死者2,455人以上、重軽傷者
11,300人という甚大な被害を台湾社会におよぼしたことは、日本の皆さんも記憶され
ていることだろう。

それからすでに5年近くが経ち、ようやく再建を果したかに見えた中央山脈部の被災
地に、先の台風7号の上陸にともなう集中豪雨が、山崩れや洪水といった災害を再び
もたらすこととなってしまうとは……。

そうした状況の中、ここ台北では、9.21大地震の被災地の復興を記録し続けてきた全
景傳播基金會(以下「全景」)のドキュメンタリー映画がようやく完成に近づき、そ
の上映活動について計画が練られている。

全景が地震の被災地を記録したドキュメンタリーといえば、昨年山形映画祭のイン
ターナショナル・コンペティション部門で上映され優秀賞を受賞した、呉乙峰の『生
命(いのち)』をまず思い浮べることだろう。だが意外に思われるかもしれないが、
受賞後も台湾での正式な上映会は行われてこなかった。

これには理由がある。9.21大地震発生直後に被災地入りした全景のメンバーが、詳細
な調査活動を行いながら議論を続けた結果、「人びとがこの未曾有の災害と向かい合
う姿を、様々な角度から後世に伝えなければならない」として選んだテーマは七つも
あったからだ。つまり全景としては、『生命(いのち)』もそのテーマにそった一作
品であり、全景の作品群の中で最初に完成した被災地の記録ではあるものの、その他
の作品は未完成のままといった状況が長く続いていてしまったため、当初全景の意図
していた「総体」としての作品展開をなかなか図れなかったのだ。

そういった状況に変化が現れたのは、今年の春以降。残り六作品のうち、郭笑芸の
『梅子的滋味』、李中旺の『部落之音』、呉乙峰の『天下第一家』の三作品が完成し
てから。

残り三作品については、現在も編集中ではあるものの、合計四作品が完成したことに
より今後の活動への目処が立つようになり、ようやく当初の計画どおり全七作品とし
ての上映に向け動き出したというのが現況だ。.

いまの段階では、上映活動の詳細は固まっていないものの、その概要は「創作を人び
との生活現場へ」を信条とする全景らしい被災地での巡回上映活動、それと同時に初
の試みとして台北のある映画館を一ヶ月間借り切っての上映を行うことが検討されて
いる。

時期的には、9.21大地震5周年となる9月21日をはさんだ、9月中旬から10月中旬まで
の一ヶ月間が予定されているが、特に映画館を一ヶ月も借り切ってのドキュメンタ
リー映画の連続上映は、ここ台湾では前例のないことであり、その行方が注目される。

というのも、震災直後メディアの報道合戦の影響もあり、熱く語られていた「被災者
たちのへの同胞愛」や「団結心」はすでに「消化」しつくされ、「過ぎ去ったもの」
として風化してしまい、冒頭にあげた特別な自然災害が発生したような場合を除き、
再び語られることがなくなってしまったという、台湾社会の現状が厳然と存在してい
るからだ。

こうした社会の変化に対し、どういった「問いかけ」を全景として行うのか、ドキュ
メンタリーを見たこともない人びとにどうすれば映画館に足を運んでもらえるのかと
いった、単なるドキュメンタリーの上映会にとどまらない議論が、今晩もまだ全景の
オフィスで続けられている。


☆「台湾国際ドキュメンタリー隔年映画祭」について

実は「neoneo Vol.9」に「台湾国際ドキュメンタリー隔年映画祭」に関する情報を
書いただけでなく、「neoneo Vol.15」にも下記のような情報を載せてもらったの
だが、事務局に電話して確認したところ、作品の応募が予想より少ないとのこと。も
し作品の発表の機会を探していらっしゃる方がいらっしゃれば、いまからでもまだ間
に合うので、応募を検討してみてはいかがだろうか。

Webサイト: http://www.tidf.org.tw 
 ・作品募集:2004年7月31日まで
 ・開催期間:2004年12月11日から17日まで


■吉井 孝史(よしい・たかし)
1992年より台湾に定住。『陳才根と隣人たち』や『生命(いのち)』といった、一連
の全景作品の字幕翻訳を担当。日本と台湾の文化交流の場の「介添え役」として、多
くの仕事をこなす。



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■『父と暮せば』(監督:黒木和雄)
┃ ┃■水原 文人
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●見せることのできない原爆の悲惨を、映画にすること

僕の母方の家系は広島の出身だ。幼少時、たぶん四歳か五歳ぐらいで、夏休みに母の
実家に遊びにいったときに見た原爆ドームや原爆資料館は、自分の最も古い記憶であ
る。7歳のときに亡くなった祖父が入院していたのは、広島の日赤病院。病室の窓か
ら、向かいにある原爆病患者の特別病棟が見えた。その祖父は医師であり、彼が1945
年の8月6日に彼方にキノコ雲を見たこと、その翌日から信じがたい、見たこともない
ような火傷を何例も診たことを語ってくれた記憶もまた、自分の意識には刻印されて
いる。

広島と長崎の原爆は、戦時中に日本の多くの都市が晒された空襲のなかでも最も悲惨
で、それゆえに空襲と焼け跡の記憶を代表する事件だ。だからこそ原爆は戦後の映画
の大きなテーマになったが、同時に映画ではその悲惨そのものは描けないことが常に
映画の限界として突き付けられて来た。アラン・レネの『二十四時間の情事』では、
原爆を描けない、語れないことが繰り返し主題として浮かび上がる。

一九三〇年生まれ、焼け跡派世代の黒木和雄が原爆の犠牲者を映画にしようとしたと
き、彼はこの“描けないもの”を映画にするために、演劇を触媒にした。.

『飛べない沈黙』や『ある長距離ランナーの記録』で知られるドキュメンタリー出身
の映画作家が、なぜいわゆる「ドキュメンタリー的」からもっとも懸け離れたように
見えるスタイルを選んだのだろう? やはり、原爆が“映像にならない”“映像にで
きない”、それどころか“映像にしてはいけない”ものだからではないか? いくつ
かの、原爆を再現しようとした映画を見て来て、CGIを駆使していかにリアルに再現
しようとしたところで、その痛み、苦しみ、悲しみはそこには写らないという“現実
を写すもの”としての映画の問題と限界を、痛切に感じざるを得なかった。

それどころか、ブルース・コナーの異形の傑作ドキュメンタリー『アトミック・カ
フェ Atomic Cafe』を見てしまえば(あるいは『博士の異常な愛情』のラストだけで
も十分かも知れない)、本物のキノコ雲にはなにやらスペキュタキュラーな美しささ
えあり、迂闊に使えない映像であることすら思い知らされてしまう。

だが原爆が歴史的な事実であるということは、それを実際に体験した人々がいたとい
うことでもある。その体験を伝えるものがあるとしたら、それは結局は人間の言葉し
かないのではないか?

黒木は十年ほど前に井上ひさし作の舞台『父と暮せば』を見て、映画化を思い立った
という。井上ひさしは口語表現の劇作家であり、その広島方言の響きには生活者のリ
アリティが込められている。台詞の内容自体が、井上が丹念に被爆者に取材を重ねて
集めた実体験を語っている。と同時に、その元は現実の生身のそれであった言葉は、
劇的な構成のなかでの機能を緻密に計算して構成されている。.

黒木はこのリアリティと演劇性の両面を持つテクストを映画化するのに当たって、木
村威雄の重厚で細部まで丁寧にリアルに作られ、しかしどこか演劇的な様式性の匂い
をただよわせる、原爆で焼け焦げたかつての福吉屋旅館のセットを、この被爆者の娘
・福吉美津江(宮沢りえ)と原爆で殺された父・竹造の幽霊(原田芳雄)の対話の舞
台とした。黒木とは岩波映画時代以来の同志、つまりやはりドキュメンタリー出身の
鈴木達夫の撮影も、リアリズムよりは演劇の照明効果を思わせるスタジオ撮影スタイ
ルのものだ。

『父と暮せば』で黒木は、生身の現実の感触を反映させながらも演劇として様式化さ
れた言葉と、それを発する演技者=人間に集中する。一見演劇的なスタイルは、実は
その言葉と、なによりも言葉を発する生身の身体に観客を集中させるための、優れて
映画的な手法なのだ。.

宮沢りえと原田芳雄の演技をなによりも大事に、その言葉とそれを発する身体を丹念
に捉える鈴木達夫のキャメラの動きは、あたかも台詞を楽譜として振り付けられた
ゆっくりしたダンスのようだ。シャープで大胆な手持ち撮影が印象的だった土本典昭
の『ドキュメント路上』や、松本俊夫の『母たち』のキャメラ以上に、鈴木のキャメ
ラは『父と暮せば』で踊っている−−ただしそれは手持ちのダイナミックな踊りでは
なく、どっしりしたドリーと、デリケートなフォーカスシフト、ときにはただフィッ
クスで原田と、とくに宮沢のデリケートな表情を捉えるという動きだけの、静謐な、
鎮魂の舞いだ(そういえば『父と暮せば』の構造は、亡霊を使っていることといい、
能を彷佛させるものでもあるし、映画で原田芳雄演ずる父親が消えるときの動きは、
能舞台を思わせる)。

まだ映画を見る前、黒木和雄がCGをいろいろ工夫しているという話を聞いたとき、一
抹の不安を覚えたことは正直に告白したい。だが『父と暮せば』でCGが使われている
のは原爆そのものを再現するためではなく、娘・美津江の心に刻印された原爆のトラ
ウマ的なイメージを見せるためだった。うわべのリアリティよりもCGI独特のどこか
つるんとした質感を逆利用した様式美は、それ自体はたいした力を持つ画ではないか
も知れないが、彼女が父の幽霊にだけは語ることができる原爆体験の言葉にその画が
挿入されるとき、映画的な力がまるで違う。やはり劇中に引用される丸木俊夫の原爆
絵画と同様、それがヒロイン=被爆という傷を背負った心のなかに焼きつけられた光
景だからだ。

だがより効果的なのは、美津江がほのかな恋心を抱く若い物理学研究者・木下(浅野
忠信)が収集している被爆したモノの数々だ。表面が剣山のようにトゲトゲになった
原爆瓦。熱でねじ曲がったガラス瓶。顔の半分がケロイドのように焼けただれた地蔵
の頭。一見ただのガラス片だが、被爆者の体内から取り出されたものだという、その
物質感…。生き残りの被爆者と、原爆で死んだ父親が台詞=言葉によってのりうつっ
たような二人の演技者が手を触れ演じ、キャメラの前で生々しい物質感も発するこの
具体的なモノたち−−再現もできず生き残った者たち以外は誰も見ることができない
原爆の激しい熱、「お日さまが二つぶんの熱」(竹造の台詞)のすさまじい破壊力
が、観客の意識に突き刺さる。.

『父と暮せば』は被爆の三年後に、生き残った者の内に抱えた悲しみ、痛み、苦しみ
が、父の幽霊となり、その父との会話となった内なる言葉によって構成された世界だ。
言葉を映画で撮るということは、演劇というスタイルを借りるにせよ、究極にはそれ
を発する人間を撮るということだ。黒木は主演女優の宮沢りえに具体的な指示などほ
とんど出さなかったのではないか? 宮沢はこの映画で、言葉がいったん自分の中に
宿れば、演技によってそこにリアルな身体を与え、書かれた言葉を人間の発する言葉
にできる力量を持った圧倒的な女優であることを証明した。彼女の触れれば壊れてし
まいそうに見える身体と、その奥底に秘めたエネルギーが、井上のテクストと出会い、
そこに生身の命を与える。黒木の演出は、あたかも被爆者の言葉がのりうつった宮沢
の身体のドキュメンタリーを撮るかのように、なによりもその表現、彼女の顔や、一
九四八年の夏の物語であるからには夏服のむき出しの腕の肌、その繊細で礼儀正しい
立ち居振る舞いを見のがすまいとする観察力によって成り立っているように思える。.
映画作家とは無からなにかを作り出すよりも、キャメラの前にある状況から見い出し
たなにかから創造する仕事なのだ。

『父と暮せば』が傑作であるのは、被爆者が犠牲者・被害者である以上に、人間であ
ることに、とても誠実な映画であるからだ。井上の戯曲自体がそういう構造を持って
いる。原爆と被爆というテーマのなかでも、『父と暮せば』が注目するのは、生き残
ったことの罪悪感だ。黒木にこの戯曲を映画化したいと思わせたのは、この死に瀕し
た体験者にしか分からないような、いかにも人間的に不条理な感情ではないか?
黒木自身は被爆者ではないが、前作『美しき夏・キリシマ』で語られた、主人公が空
襲で目の前で友達が焼け死ぬのを見た光景は、黒木自身の体験だ。井上ひさしもまた
被爆者たちに取材するなかで、その苦悩を知ったはずだ。そして彼はあえて父の幽霊
に「お前は病気じゃ」と言わせ、黒木はその戯曲の映画化を切望した。.

現実世界・実人生はしばしば不条理な偶然によって成り立っている。こと生きるか死
ぬかの極限状態では、人の命運はその場の一瞬の、本人が生きるか死ぬかの問題など
と考えていないような直感的な判断で決してしまう。そうした判断すらなんの意味も
持たない偶然だってあまりにも多い。せいぜいが「運が強い」としか説明がつかない
生き残り−−だが人間は意味と物語と整合性を求めてしまう生き物でもある。美津江
はなぜ自分が生き残ったのかの答えが見い出せず、自分は生き残るべきではなかった
という思いに心を閉ざしてしまっている。黒木はプレスシートで同世代友の大牟田稔
の「ぼくらは物凄い虚構にだまされて十五歳まで生かされとった」という言葉を引用
しながら、「あの『虚構』の悪夢から醒めてスクリーンに真実を彫琢できたであろう
か」と締めくくっている。だが黒木を苛んで来たのは「虚構にだまされた」こと以上
に、「なぜ自分は生き延びたのか?」という答えのない疑問ではなかっただろうか?.

井上ひさしの戯曲は、父の幽霊が彼女が生き残った理由を語ることで、一応の結論を
見い出すかのように見える。娘を生かしたのは、自分の決断だ。自分がお前を、自分
を見殺しにして生きるよう命じたのだ、と。もっとも、父の幽霊は、彼女の心のなか
にいるだけの存在でもあるはずだ。『父と暮せば』はあえてそこを曖昧にする。幽霊
なのに、原田芳雄の姿は特殊効果などを一切用いず、ストレートに見せられる。麦茶
やまんじゅうを口にできないという、最初の方で二度繰り返されるディテールを除け
ば、幽霊の父と生きている娘を隔てる違いは一切ない。.

それどころかこの親父、ジャコ味噌は作るは、娘の留守中に大雨で雨漏りがすればナ
ベやヤカンや洗面器で家中の雨漏りを受けて回るは、「お前の恋の応援団長」を名乗
って娘が木下に宛てた手紙を盗み読みはするは、風呂は沸かすは、と、恐ろしく俗っ
ぽい幽霊で、ヒロインの空想の産物のクセして堂々と現実に介入してしまう(原田芳
雄の重厚な存在感と軽やかなコミカルさを併せ持つ演技が光る)。つまり空想の産物
としての整合性はあえて無視されているし、だから観客にも「空想だ」では納得させ
ない。なかば演劇的に様式化された演出を採用したのも、この空想と現実の境界が曖
昧であることを成立させるためだったのかも知れない。あるいは、この映画が美津江
の心のなかのドラマだからなのかも知れない。.

図書館で働いている娘、県立女学校時代の昔話研究会の活動を今でも続けている彼女
に、父は「お前の働いている図書館だって本当はそういうためにあるんじゃないのか
?」と、伝え続けること、語り継ぐことの意味を突き付ける。井上ひさしが自分が劇
作家であることの意味を宣言するように書いたのかも知れないこの台詞を、原田芳雄
が言うとき、それはまるで生き残りである黒木和雄が自分自身を叱咤激励しているよ
うにも響く。語り継ぐこと、伝え続けること、映画という人間の姿を写し撮るメディ
アで働くことが本当はどれだけ大切なことなのか。『父と暮せば』が自伝的映画であ
った『美しい夏・キリシマ』以上に黒木にとってパーソナルな映画に見えてしまうの
は、黒木がこの映画のなかに自らの生き延びた意味を見い出しているからなのかも知
れない。『父と暮せば』が美津江の心の中のドラマであるとしたら、その映画化は映
画作家黒木和雄が十五歳のときから抱えて来た想い、七十三歳になるまでその心の中
で続いて来たドラマの結晶なのかも知れない。

黒木和雄の『TOMORROW/明日』と『美しい夏・キリシマ』、そして『父と暮せば』は
「戦争レクイエム三部作」と呼ばれる。だがこの“レクイエム”は死んだ―殺された
―人々のためのものではないだろう。三部作が『父と暮せば』によって締めくくられ
ることでなによりも明らかになるのは、死者にとっての鎮魂があるとしたらそれは生
き延びた者が精いっぱい、同じ過ちを繰り返さぬように努力して生きることでしかな
いことだ。

そして極限の状態を生き、ある者は死に、ある者は生き延びたその姿を見ることは、
我々が人間とはなにか、我々はなぜ生きているのかを考えさせることにもつながる。
『父と暮せば』を完成させた今、黒木和雄は自分が伝え続けることの意味、戦中派世
代として語り継ぎ、映画を作って見せ続けることの意味に、かつてないほど強固な自
覚を持っているに違いない。この一見か弱い宮沢りえ演ずる原爆犠牲者を描いたかに
見える映画には、それほどの力強い確信が、ある。.


■安井 喜雄(やすい・よしお)
暑い日が続くので元気が出ないけど、韓国のプチョン国際ファンタスティック映画祭
に招かれたので、日本の古いアニメを持って参加してきます。この映画祭は、夕張を
参考にしたようだが、昔のブルー・フィルムを集めたモザイク無しの「ブルー・フィ
ルム・バッカナリア」を上映したこともある勇気ある映画祭なので、興味津々です。



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┃05┃□ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(7)
┃ ┃■ビデオの嫌いな理由
┃ ┃■安井 喜雄
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●フィルムの保存が最良

技術革新の流れが速いので、映像の未来がどうなるのかよく分からないが、最近はビ
デオプロジェクターで作品を上映するケースが増えている。私もみんなのムービー協
議会事務局(DCAJ)から借用したデジタル投影機を使用し、北村皆雄のハイビジョ
ン・ドキュメンタリー『修験』などを上映したことがあるが、一見するとフィルムよ
り綺麗に見える。しかし、なぜかフィルムを見た時のような満足感が得られない。不
思議だ。

ビデオ映像を液晶やDLPで投影するのは自然の成り行きで当たり前だが、フィルム作
品をビデオ投影することも多いので要注意だ。情報をよくよく確認してから見に行か
ないと、映画をビデオで見る結果となって腹が立つことになる。先日、某映画館支配
人にビデオ上映なのになぜその旨チラシに書かないのか文句を言ったら、ビデオ上映
が時代の流れで「書いてなくても文句を言う人はいない」と諭された。フィルム作品
のビデオ上映に文句を言うのは私くらいだそうである。山形国際ドキュメンタリー映
画祭も当初はフィルム・オンリーの見識があったが、時代の流れと共にビデオもOKと
なり私自身は上映作品への愛着が薄れてきたように思う。

幻のフィルムを求めるテーマから逸脱して申し訳ないが、私が映像業界に足を突っ込
んだ頃は、映画産業が不況で大映、日活が倒産の危機に瀕しており、テレビ業界への
活路を求めて多くの人材がテレビ業界に流れ込んできた状況にあった。テレビ局は経
費のかかる自社製作を減少させ、局外の製作会社による外注番組を増やす傾向にあっ
た。その頃の番組は大別するとフィルム番組、局内スタジオ収録、中継番組に分かれ
ていたが、私は当初からフィルム番組指向を宣言していた。しかし、次第にフィルム
番組が少なくなり、ビデオ番組が増大してきた。致し方なく、ビデオ番組にも加担し
たが、どうもしっくり行かない。ビデオが嫌いな理由は、この辺にある。

当時のビデオカメラは本番の2時間前に電源を入れないと画像が安定しない欠点もあ
った。ビジコン、プランビコン、サチコンなどの撮像管は輝度の高いものを撮影する
と焼き付けで残像現象が起き、パンしたら光の尾を引いてしまうこともあった。カ
ラーカメラは撮像管が3管式のためVE(ビデオ・エンジニア)がカメコン(カメラ・
コントロール)の前に座ってレジ合わせや位相合わせに苦労したり、今から思うと可
笑しいほど撮影に苦労した。中でも、録画専用のポータブル2インチデッキ(アンペ
ックスVR3000)がくせ者で、ある時、空撮して帰って再生したら何も写っていなかっ
た。コントロールトラック信号の不具合らしく、大阪ではどうにもならず五反田の東
洋現像所に持ち込んで映像信号のみから再生したこともあった。

2インチビデオの編集がまた大変で、息のあった二人で行わねばならない。一人は出
しのデッキに付いて、次のカットのイン点で映像をストップ、秒数カウンターの数字
を見ながら10秒前まで巻き戻す。受けのデッキにもう一人が付いて、前のカットを再
生しながらアウト点が来たらキューボタンを押してピッという音を入れる。そして出
しと同様にそのピッから10秒前を出す。出しと受けの2台のデッキを時計の秒針を見
ながら10秒前に同時スタート、受け側はRECボタンも押す。ピッの位置が来ると自動
的に受け側に出しの映像が乗り替わる。これでは秒単位の編集はできるが、フレーム
単位の編集はできなかった。これを「電子編集」と称していて、編集が終わったら
テープのケースに「電編済」のスタンプを押す。電子編集が登場する前は顕微鏡みた
いな機械でテープに付いたヘッドの回転跡に沿ってカッターで斜めに切りテープで接
合していた。この作業も立ち会ったことがあるが、要するに編集は大変なので、大体
の番組はTK(タイムキーパー)がD(ディレクター)の横について時間内にきっちり
収めるように収録していた。2インチのデッキはヴァーチカル・スキャンと言って、
ヘッドが垂直に回転している。そのヘッドの回転カーブにビデオテープを密着させる
ため、テープをヴァキュームで吸い込む仕組みになっている。この大きな機械はどこ
の放送局でも現役だったが、今や廃棄されて姿を見ることもなくなった。

五反田の東洋現像所にスキャニメイトが入ったというので、面白半分で使ったことが
あった。CGの初期のばかでかい電話交換機みたいな機械で、10分単位で確か3万円く
らいの高額な使用料が発生するため大急ぎで作業したが、作業はオペレータ任せにな
るためなかなか思うような画にならなかった。松本俊夫が自作『モナリザ』で使いこ
なしたのを見てさすがに芸術家だと思った。

その後、1インチのヘリカル・スキャン方式のデッキが出て、ヘッドは水平に近い回
転をするようになり、編集も大変楽になった。Uマチック(3/4インチ)可搬型デッキ
も登場してロケもし易くなった。便利になった反面、技術屋であるところのVEはデッ
キ担ぎの重労働をしなければならなくなった。さらにβカムが登場、デッキがカメラ
に内蔵となり、画質も向上した。さらにβカムSPが登場、それまでのオキサイド・
テープからメタル・テープへと移行してきた。花博を撮影した頃はハイビジョンもア
ナログの1インチで中継車からケーブルを引いて大がかりだったが、あれよあれよと
いう間に小型カメラが登場し、デジタル化も進んできた。D2、D3、デジタルβカムで
喜んでいたら、DVカム、DVCプロと小型化し、HD化も進んできて今や何が何やらさっ
ぱり分からないくらいに機材やテープの種類が増えてきた。最近はテープを使わず、
ハードディスクに保存する傾向も強くなってきた。さてさてこの先、どうなるのやら


ビデオはデッキが無くなれば再生できなくなる恐れがある。これが一番怖い。数年前
に2インチ・テープを再生する必要が生じ、調べたらデッキが稼働しているのはヨコ
シネ・ディー・アイ・エーだけだった。1インチも殆どのプロダクションから消えて
姿を見なくなった。3/4インチなど使用してるところなんてあるのかしら。ビデオ映
像を信用しない理由のひとつは、デッキの持続性の問題が一因かもしれない。デジタ
ルは信号が薄くなると一瞬にして再生できなくなるらしい。アナログは徐々にノイズ
が増えたりして信号の劣化を判断できるが、デジタルは劣化の前に複製しないと再生
不能になる確率が高そうだ。怖いなあ!

というわけで、私としてはフィルム保存が最良という結論に達している。しかし、世
の中に分からず屋は多く、デジタル化したらフィルムは不要だから廃棄する人がいる
のである。デジタル万能の風評を消さないと取り返しのつかない事態となるのは明白
である。上映に関しても、デジタルが最高と思っている極悪人は打ちのめさねばなら
ない。なお、私は技術屋ではないので技術面の記載に間違いがあったらごめんなさい
ね。 (つづく)

お詫び:前回の原稿中、人名表記を間違いました。渡部泰を渡辺泰に、秋野嘉郎を秋
野嘉朗に訂正してください。お許しの程願います。.


■安井 喜雄(やすい・よしお)
山中貞雄の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』のカット部分の一部が見つかったとの記事
が新聞などに掲載されたが「あるコレクターの遺品の中にあった」とのみ記載されて、
その人名の表記がない。表記すると具合が悪いのかもしれないが、一生懸命に集めた
コレクターに失礼な話ではないか。私は生前にそのフィルムを持っていた人を知って
いるので、死人に口なしで気の毒に思うばかりである。



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┃06┃□neoneo坐通信(4)
┃ ┃■私性の叛乱?徹底検証「私的ドキュメンタリー」
┃ ┃■佐藤 寛朗(neoneo坐プログラマーズ)
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neoneo坐初の若者作品特集ということで、、女の子が家族を撮ったドキュメンタリー
を徹底的に集めてみました。と聞いて「またか!」と思われる方がいるかもしれませ
ん。そう、いわゆる「私的ドキュメンタリー」と呼ばれる作品の大特集なのです!

イマドキの若者が撮るドキュメンタリーの私的な傾向に対する分析や批判は既に本誌
やその前身「neo」で、佐藤真氏や安岡卓治氏、かわなかのぶひろ氏などが熱く語ら
れています。しかし肝心の彼女達は、その事をどう思っているのか、今まで聞いたこ
とがありませんでした。そして何より、まずは映画として表現として、彼女達の作品
はどうなのか?こうした検証をすることなしに、ただ時代の趨勢だけで「最近の私的
ドキュメンタリーは…」と語るのは性急ですし、そこからは次の世代に繋がる表現も
生まれてこないでしょう。

そのような観点で、各地の映画の学校の実習作から集められた今回の5本は、いずれ
も異なる味わいながら、「私的ドキュメンタリーで何が悪い!」という異様な迫力に
満ちています。その必死さは、「必死」を超えて鬼気迫るものさえあります。時に厳
しく冷徹に、時に激しく泣きながら、自分の家族の歴史に迫っていく彼女達の映像世
界。そののっぴきならなさに、あなたは「表現」を感じますか?それとも「甘い」と
批判しますか?.

当日は各監督にゲストで来てもらう予定です。撮り終えて数年たって、彼女達は当時
をどう振り返るのでしょう。次なる表現のステージに立った彼女達の口からは、一体
どんな言葉が飛び出すでしょうか?楽しみです。

●neoneo坐7月上映会 「我が家の事情〜私が家族を撮る理由」

2004年7月25日(日)
14:00〜 program1 「父VS娘」
『車は走らなくても、よかった。』 監督:大木千恵子 (2002年、10分、東北芸術
 工科大学) 
『Father Complex』 監督:佐俣由美 (2002年、27分、東北芸術工科大学)
『レター』 企画:藤田直美+演出:津本真理 (2002年、50分、CINEMA塾)

16:00〜 program2 「幸せって何?」
『ふつうの家』 監督:長谷川多実(2000年、46分、映画美学校)
『幸せ蝙蝠』 監督:金丸裕美子(2001年、45分、大阪ビジュアルアーツ)

料金:1プログラム 一般1500円、会員1000円(入会金2000円で当日加入できます)
   通し券 一般2500円、会員1500円

各作品上映後、監督によるトーク+質疑あり。上映終了後、交流会あり(neoBAR お一
人様1000円均一)

☆当日は、neoneoの前身である「neo」の全バックナンバーを収録(59号)したCD−
ROMを販売します。佐藤真VS安岡卓治のセルフドキュメンタリー論争など刺激的な記
事が満載です。定価:1500円

☆neoneo坐サイト(「neoneo坐へようこそ」):
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 

●ボランティア募集

neoneo坐ではボランティアをしてくださる方を募集しています。内容は、チラシづく
りや映画館等への配布、上映の受付や場内整備、プロジェクターの操作などです。連
絡は下記へお願いします。
 visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで

●科学映画特捜隊(略称・科特隊)隊員募集!

SCIENCE FILM STRIKES BACK ! ! !
1950〜60年代、日本の「科学映画」は空前の黄金時代を迎えていた!研究者の情熱、
映画作家の確かな技量、企業の積極的な後援が一体となり「今までに見たことのない
世界」の映像化へと結実したのだ!理論・構成・設計・撮影技術・そして音楽に至る
まで、多様な「知」が結集した絢爛たる“手製の小宇宙”は、デジタル映像の洪水に
食傷気味な私たちにとって、眩いばかりの別世界として現れるであろう!

…という意気込みで、今秋以降「neoneo坐」で日本の科学映画の代表作・傑作・異色
作を上映していきたいと考えておりまして、隊員(=研究会メンバー)を募集中です。
我こそは面白い科学映画を発見したい!という方の入隊をお待ちしております。
年齢不問!無給!未経験者歓迎!(経験者が見当たらないので)現在隊員は4名!
お問い合せ先→シミズ隊員 E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp 



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┃07┃□広場
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□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(7)
■ハバナについて(2)
■波多野 哲朗

●災難

ハバナにいると、どこからか音楽が聞こえてくる。そこで、旧市街ではひときわ高い
ホテルの屋上に立ってみる。そこからの眺めは、さながら一面の廃墟だ。密集するス
ペイン植民地時代の建物はほとんど高さが同じなので、屋上がまるで地続きの土地の
ように見える。近年観光客誘致に力を入れはじめた政府によって、建物の壁面はわず
かながらも修復されつつあるが、屋上までは手が回らない。ユネスコもまた街の一角
を世界遺産に指定して修復に努めているが、荒廃の進行は修復の速度をはるかに上回
る。かくて屋上は荒れ放題である。しかしその情景に何故か懐かしさを掻きたてられ
て、思わずカメラをまわしてしまう。そう、昔からこのような屋上の情景を映画では
何度も見てきたのだった。屋上を自由自在に跳梁してファシストに抵抗した数多くの
パルチザンたち、あるいはカスバの屋根伝いに移動して官憲の追跡を逃れたペペルモ
コらの舞台として。.

しかしこのような幻影がしばし打ち砕かれる。夕暮れ時に私がホテルのロビーでス
タッフたちを待っていると、入口あたりで女の悲鳴が聞こえた。振り向くとその声の
主はわが映画スタッフのS嬢ではないか。ホテルの前でひったくりによってポシェッ
トを引きちぎられたのだ。あわてて駆けつけるとすでに路上にひったくりの姿はなく、
必死にあとを追って走る2人のわが男子スタッフの揺れる背中が見えるだけ。そして
その姿もすぐに1ブロック先の路地に消えた。私もまた遅れてそのあとを追う。
するとそのさらに1ブロック先の通りに、彼らの姿が見えた。近づいてみると男子ス
タッフはある建物の戸口を指差し、泥棒は間違いなくここに逃げ込んだと言うのだ。
とは言え、この入口に突入するにはちょっと勇気がいる。すでに暗くなっているうえ
に、(前号に書いたように)1つの建物には多くの家族が住んでいる。さらにその周
辺にたむろしている連中が、しきりに「ちがう、ちがう」と叫んでいるようなのだ。

間もなく警官が駆けつけてきたが、警官もまた中には踏み込めない。たむろする連中
がそろって「ちがう」と言い張るばかりか、戸口に立つひとりの老婆が大声を張り上
げ、もの凄い剣幕で警官に食ってかかり、(意味はよく解らないが)あきらかにこの
家にそんな人間は住んでいないと叫んでいるのだ。「帰れ、帰れ」と言わんばかりに。
そうこうするうちに、パトカーもやってくるが、この警官たちもまた中には入れない。
老婆がひっきりなしに浴びせる言葉の弾丸にたじたじとなり、まわりの連中の誰一人
からも状況証拠は取れない。ダメな警官。そのうち、これはもう無理だとわれわれの
ほうが観念してしまう。泥棒が建物の階段を登りつめれば、そこはもう先に見た廃墟
の平原。泥棒はもうとっくに屋根から屋根へと走り抜けていることだろう。捕まるは
ずがない!.

「帰れ、帰れ」と連中は勢いづく。私はまたしても映画を観ているようだった。それ
は、デ・シーカの『自転車泥棒』で、やっと犯人を見つけた主人公が泥棒を追い詰め
たところがスラムの入口。するとそこに住む人たちが、主人公たちにむかって「帰れ、
帰れ」と口々に叫ぶあのシーンである。

パスポートと貴重品の入ったポシェットを盗まれたわれわれにとって、これは撮影の
日程を狂わすほどの大事件だった。だが、なぜか心底から怒りが湧いてこないのが不
思議だった。こんな風に、ハバナとは変な街なのだ。それはキューバを嫌ってフロリ
ダに亡命した小説家レイナルド・アレイナスが、結局はアメリカにすこしも馴染めず、
ふたたび幻影によってハバナを彷徨い続けたあの気分にすこし似ている。.

いやしくも記録映画を撮ろうとする人間が、このような幻影に浸っていてどうなるの
かと自問することがある。しかしはるか太平洋を隔てて、東シナ海に浮かぶ沖縄とカ
リブ海に浮かぶキューバとを結びつけようとするこの荒唐無稽な映画にとって、歴史
をたどる現実的なプロセスの上に、このようなささやかな映画的幻影が欲しいと思う。

この投稿を続けているうちに、ある事件が起きた。1920年代に沖縄からキューバに
渡った移民一世上間利正(リセイ)の孫で、数年前にキューバから沖縄に移住した三
世上間寛清の家に男児が誕生した。その子の名を彼は理聖(リセイ)と名付けた。ほ
ぼ1世紀もの生年を隔てて、リセイの亡霊が甦ったのである。


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
映画研究家。研究でも実生活でも「crossing borders」が目標ないしテーマ。研究で
はこのところ20世紀芸術と映画との関係性(または無関係性)がテーマとなっている。
実生活ではもっぱら世界の辺境域を旅し、6年前にはオートバイでユーラシア大陸を
横断。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第16回
提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭/夏の湯布院映画祭もよろしく!)

「オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。
映画・ビデオ・テレビなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんでも
OK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指摘し
たり…もちろん「オススメしない映画とその理由!」も歓迎です。

200字以内の本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先
(メールアドレスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して清水まで
お送りください。(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけると有難いです)
清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839


A-024 『環境ビデオシリーズ・実践女子大学周辺』
制作年不明(おそらく1990年代前半)・日本ビデオ販売(ビデオ安売王)
企画:テリー伊藤 監督:ホセ

バッタ屋で50円で買ったビデオ。以前、いろいろ問題起こした「ビデオ安売王」で販
売されていたもの。作品前に収録されているビートきよし主演のフランチャイズ店募
集の告知からは借金まみれになった元オーナー達の怨念を感じられ、気分が一気に落
ち込む。本編はすべて、登下校する女子大生をただ撮影したもので、肖像権とか考え
るとかなり危険な作品ではあるが、当時の服飾を懐かしむ以外にはまったく楽しめま
せんでした。不毛な90年代の産物としての歴史的価値はあるかな?
(村上賢司/映画監督/いまだに国道沿いに多々ある「ビデオ安売王」店からは、
やさぐれた‘悪’のオーラが排出されていて、なんだかうれしくなります。がんば
れ!)


A-025 『女帝』
1983年・にっかつ/監督:関本郁夫 出演:黛ジュン・大木実・天知茂ほか
(小沢真珠主演の『女帝』は別作品です!)

ついに公開された『コンクリート』。1989年の女子高生コンクリート詰め殺人事件を
映画化した作品でネットを中心に上映反対運動が起り、作品の中身そっちのけで変な
盛り上がりとなっています。最近公開された『エレファント』『殺人の追憶』など
これら実録犯罪映画はドキュメンタリーとドラマの関係性を考えることにおいても
興味深い。そんで私のお勧めが『女帝』。殺人がらみの映画化が多いなか、この作品
は1982年の三越・岡田社長の特別背任事件を素材にしていて珍しいですよ。
(村上賢司/愛読書は「新潮45」/“女帝”とは岡田社長を愛欲パワーでメロメロに
した竹久みちのこと。最近『罪名・女』(ごま書房)という素晴らしい題名の本を出
しました。)


A-026 『ユダ』
2004年・ユーロスペース/監督:瀬々敬久 出演:岡元夕紀子・光石研
8月中旬より「エロス番長」シリーズの一本としてユーロスペースにて公開!
 http://www.vesta.dti.ne.jp/~rings/eros/ 

そんな実録犯罪映画の最新作がこれ。昨年、埼玉と千葉で起きた16歳の少女がからん
だ殺人事件からインスパイアされている。明らかに監督本人の化身である映像作家
(光石研)がそれらの事件を追ううちに性同一性障害を持った女と、DVに悩む子持ち
の人妻と関係を持ち、大変なことになってしまうというストーリーで、瀬々さんの私
生活で何かあったのかしらとつい邪推してしまう超問題作。荒涼とした風景の中で新
しい人生を獲得する人妻を好演する岡元夕紀子がゾクゾクするほど美しい。
(村上賢司/犯罪の宝庫、群馬県出身/自慢にもならないが、村上家の墓の近くには
大久保清に殺された女性達の慰霊碑があります。)

村上さん近況)プログやってます。 http://d.hatena.ne.jp/MURAKEN/ 
現在、テレビドラマ作品を準備中。詳細は後ほど。


B-052 『麦客(まいか)〜中国・激突する鉄と鎌〜』
2002年・東京ビデオセンター/構成:佐野岳士
放映日:2004年6月20日・NHK衛星第一「BS15周年アーカイブス」
ATP(全日本テレビ番組制作社連盟)賞2003・ドキュメンタリー部門最優秀賞
 http://www.atp.jp/ 

河南省の穀倉地帯に全国から押し寄せる麦刈りの出稼ぎ。だが開放政策で先に富んだ
者はコンバインを駆使する「鉄麦客」として更に富み、昔ながらに鎌一本提げて来る
「老麦客」を駆逐していく。火花散る料金交渉など守銭奴そのものの鉄麦客、低賃金
で黙々と鎌を操る慎ましき老麦客を「兎と亀」のように対比しつつも、どちらも「今
そこにある仕事」にひたむきな《働き者》として受け止めている構成が、じーんと心
にしみる労働讃歌です。
(清水浩之/東京/36歳/勤労意欲復活!)


B-053 『それでも妻は登った』
2003年/監督:吉野和彦
7月15日(木)19時〜「調布映画祭ショートフィルム・セレクション」にて上映!
 http://www.chofu-culture-community.org/movie/0505main_sfilmserec.htm 

(内容はneoneo7号・村上賢司さんのクチコミをご参照ください)
まず感じたのは「映像作家の妻にプライバシーはない?」という問題(苦笑)。時間
と共に無表情な被写体になり、最後はフルフェイスの日除け姿で登場する妻の心境に
はどんな変化が?彼女の立場から見れば『それでも夫は撮った』この作品、夫婦の馴
れそめから妊娠中の胎内レントゲン写真まで神経質なデータ主義の反面、一度も妻の
名前を呼ばない医学的制作姿勢?にも呆然。こんな愛し方しかできない旦那を許して
いるなら奥さんの勝ち!
(清水浩之/東京/36歳/負け犬・遠吠え中)


お馴染み村上さんからの実録物三連発(しかし一本目は…?)。『ワラ(^0^)番長』
『エロス番長』『ホラー番長』と続くユーロスペース「映画番長」シリーズ、次回
はぜひ『実録番長』をお願いしたいです!瀬々さん・森達也さん・是枝裕和さん・
佐藤真さんVS若手ドキュメンタリー作家でいかがでしょう!?ではまた次号!


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■告知

■アンケート募集!『8月15日に見たい映画』
提案者:清水浩之(neoneo坐プログラマーズ/ゆふいん文化・記録映画祭)

ふと気が付けば“60回目”の8月15日…ということで「今年の8月15日に見たい映画」
または「誰かに見せたい映画」について皆さんのご意見を伺いたいと思い、このアン
ケートを提案しておりますが、案の定?某掲示板でこんな反応をいただきました。

『かなり偏っていますね。8月15日終戦記念日というのは戦後サヨクが考えた言葉。
敗戦日とでもいいましょうか。屈辱の日であり、忘れてはならない日です。』

…歴史認識がところどころ不正確な気がするのはさておき、こうした意見をお持ちの
方にも「屈辱を忘れないためのオススメ映画」を、ぜひお教えいただきたいと思いま
す…ちなみに清水はこの方に『人間魚雷回天』(1955)をオススメしておきました。
アンケート結果が“偏る”のが一番つまらないですから、むしろ意外性のある回答を
お待ちしております!

おすすめの作品名とその理由(200字程度)をお寄せください。
8月5日(木)を〆切とさせていただきます。
アンケートの結果は「neoneo」8月15日配信号にて発表の予定です。

詳細はneoneo坐HP「COMING SOON」欄をご参照ください。
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映

●「土本典昭 フィルモグラフィ展2004」(東京)

≪国際交流基金フォーラム≫
7月17日(土)
13:30- S21 クメール・ルージュの虐殺者たち 2002(101分)
16:00- 送還日記 2003(149分)
19:00- みなまた日記〜甦る魂を訪ねて 2004(100分)
7月18日(日)
11:00- みなまた日記〜甦る魂を訪ねて 2004(100分)
13:30- S21 クメール・ルージュの虐殺者たち 2002(101分)
16:00- 特別シンポジウム
    リティー・パニュ(カンボジア)予定×キム・ドンウォン(韓国)×土本典
昭(日本)
18:30- 送還日記 2003(149分)

料金:チケット料金は国際交流基金フォーラム/アテネ・フランセ文化センター2会
場共通です。
前売券  一般 1回券1000円/3回券2700円/10回券 8000円
     学生 1回券 900円/3回券2400円/10回券 7000円
当日券     1回券1200円/3回券3300円/10回券10000円
※ 前売券はアテネ・フランセ文化センター/チケットぴあ/プレイガイドでお求め
ください。
会場&お問い合せ:国際交流基金フォーラム:東京都港区赤坂2-17-22 赤崎ツイン
タワー1F
TEL. 03-5562-4096 (地下鉄銀座線・南北線「溜池山王」駅12番出口より1分)

≪アテネ・フランセ文化センター≫
7月23日(金)
14:30- ある機関助士 1963(37分)
15:40- ドキュメント路上 1964(54分)
17:10- 水俣の子は生きている 1965 (25分)
    留学生チュア スイ リン 1965(51分)
19:00- 第1回シンポジウム
    「記録とは何か」 ゲスト;黒木和雄×佐藤忠男+土本典昭

7月24日(土)
13:30- シベリア人の世界 1968(99分)
15:40- パルチザン前史 1969(120分)
18:10- 水俣〜患者さんとその世界〜 1971(167分) 

7月26日(月)
17:40- 水俣レポート1 実録 公調委 1973(43分)
19:00- 水俣一揆〜一生を問う人々〜 1973(108分)

7月27日(火)
医学としての水俣病〜三部作〜 
14:40- 第一部 資料・証言篇 1974(82分)
16:40- 第二部 病理・病像篇 1974(103分)
19:00- 第三部 臨床・疫学篇 1975(91分)

7月28日(水)
15:00- 不知火海 1975(153分)
18:10- 水俣病=その20年= 1976(43分)
19:30- 生きものばんざい第204話 育て零才!クルマエビ 1977(25分)
    しばられた手の祈り 1977(29分)

7月29日(木)
16:10- わが街わが青春〜石川さゆり水俣熱唱〜 1981(43分)
17:30- 日本の若者はいま 1979(30分)
    偲ぶ・中野重治〜葬儀・告別式の記録〜1978年9月8日 1979(55分)
19:30- 海とお月さまたち 1980(50分)

7月30日(金)
14:40- 水俣の図・物語 1981(111分)
17:10- こんちはアセアン 1982(32分)
        原発切抜帳 1982(45分)
19:00- 海盗り〜下北半島・浜関根〜 1984(103分)

7月31日(土)
14:50- はじけ鳳仙花〜わが筑豊 わが朝鮮〜 1984(48分)
    日本一ブリの里 訪問記 1986(27分)
16:40- 水俣病=その30年= 1987(43分)
18:00- 第2回シンポジウム
    「ある映画プロデューサーの証言」 ゲスト:高木隆太郎×時枝俊江+土本
典昭

8月2日(月)
14:40- ひろしまを見たひと=原爆の図丸木美術館= 1985(25分)
    ビデオ絵本 ひろしまのピカ 1925(25分)
16:00- よみがえれカレーズ 1989(116分)
18:30- 存亡の海オホーツクー8mm旅日記 ロシア漁民世界をめぐる 1994(90分)

8月3日(火)
15:20- 回想・川本輝夫 ミナマター井戸を掘ったひと〜 1997(42分)
16:40- 在りし日のカーブル博物館1988年 2003(32分)
    もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年 2003(42分)
18:30- みなまた日記〜甦える魂を訪ねて 2004(100分)

8月4日(水)
13:30- 年輪の秘密シリーズ
    「出雲かぐら」「久留米がすり」「有田の陶工たち」「博多人形」 1959
(各17分)
    「江戸小紋と伊勢型紙」「糸あやつり」「京のたべもの」 1960(各17分)
16:00 - 日本発見シリーズ
    「三重県」「佐賀県」「大分県」 1961(各28分)
18:00- 日本発見シリーズ
    「鹿児島県」「山梨県」 1961(各28分)
    「東京都」1962(28分)
20:00- ある機関助士 1963(37分)

8月5日(木)
15:40- ドキュメント路上 1964(54分)
17:10- 水俣の子は生きている 1965 (25分)
    留学生チュア スイ リン 1965(51分)
19:00- シベリア人の世界 1968(99分)

8月6日(金)
14:10- パルチザン前史 1969(120分)
16:40- 水俣〜患者さんとその世界〜 1971(167分)
20:00- 水俣レポート1 実録 公調委 1973(43分)

8月7日(土)
13:10- 水俣一揆〜一生を問う人々〜 1973(108分)
15:30- 不知火海 1975(153分)
18:40- 第3回シンポジウム
    「テレビとドキュメンタリー映画」 ゲスト:田原総一朗×森達也+土本典


8月9日(月)
医学としての水俣病〜三部作〜 
14:40- 第一部 資料・証言篇 1974(82分)
16:40- 第二部 病理・病像篇 1974(103分)
19:00- 第三部 臨床・疫学篇 1975(91分)

8月10日(火)
16:20- 水俣病=その20年= 1976(43分)
17:40- わが街わが青春〜石川さゆり水俣熱唱〜 1981(43分)
19:00- 日本の若者はいま 1979(30分)
    偲ぶ・中野重治〜葬儀・告別式の記録〜1978年9月8日 1979(55分)

8月11日(水)
15:10- 海とお月さまたち 1980(50分)
16:30- 水俣の図・物語 1981(111分)
19:00- こんちはアセアン 1982(32分)
    原発切抜帳 1982(45分)

8月12日(木)
15:50- 海盗り〜下北半島・浜関根〜 1984(103分)
18:10- はじけ鳳仙花〜わが筑豊 わが朝鮮〜 1984(48分)
    日本一ブリの里 訪問記 1986(27分)
20:00- 水俣病=その30年= 1987(43分)

8月13日(金)
15:00- よみがえれカレーズ 1989(116分)
17:30- 存亡の海オホーツク〜8ミリ旅日記 ロシア漁民世界をめぐる1994(99分)
20:00- 回想・川本輝夫 ミナマター井戸を掘ったひと 1997(42分)

8月14日(土)
13:00- 在りし日のカーブル美術館1988年 2003(32分)
    もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年 2003(42分)
14:50- みなまた日記〜甦る魂を訪ねて 2004(100分)
17:30- 第4回シンポジウム
    「日本のドキュメンタリー映画に未来はあるか」 ゲスト:今田哲史×鈴木
志郎康×藤原敏史+土本典昭

料金:チケット料金は国際交流基金フォーラム/アテネ・フランセ文化センター2会
場共通です。
前売券  一般 1回券1000円/3回券2700円/10回券 8000円
     学生 1回券 900円/3回券2400円/10回券 7000円
当日券     1回券1200円/3回券3300円/10回券10000円
アテネ・フランセ文化センター会員=1回券800円(当日券のみ)
※ 前売券はアテネ・フランセ文化センター/チケットぴあ/プレイガイドでお求め
ください。

会場&お問い合せ:アテネ・フランセ文化センター:東京都千代田区神田駿河台2-11
アテネ・フランセ 4F TEL. 03-3291-4339 (JR/地下鉄 御茶ノ水・水道橋駅徒歩
7分)

≪川崎市市民ミュージアム≫
8月22日(日)
13:30- 年輪の秘密シリーズ
    「出雲かぐら」「久留米がすり」「有田の陶工たち」「博多人形」 1959
(各17分)
    「江戸小紋と伊勢型紙」「糸あやつり」「京のたべもの」 1960(各17分)
16:00- ノンフィクション劇場 市民戦争 1965(25分)
    生きている人間旅行 日本の教育1976 少年は何を殺したか 1076(46分)
    生きものばんざい第204話 育て零才!クルマエビ 1977(25分)
8月28日(土)
13:30 - 日本発見シリーズ
    「三重県」「佐賀県」「大分県」 1961(各28分)
16:00 - 日本発見シリーズ
    「鹿児島県」「山梨県」 1961(各28分)
    「東京都」1962(28分)
8月29日(日)
13:30 - 日本発見シリーズ
    「鹿児島県」「山梨県」 1961(各28分)
    「東京都」1962(28分)
16:00 - 日本発見シリーズ
    「三重県」「佐賀県」「大分県」 1961(各28分)

料金:チケット料金:一般 500円  小中学生300円
チケットはご入場の際に販売します。前売券はありません。
市民ミュージアム・シネマテーク スカラチケット(10枚綴り回数券)4000円
※8月22日(日)16:00の回は入場無料
※8月28日(土)13:00の回に限り保育サービスがあります。

会場&お問い合せ:川崎市市民ミュージアム映像ホール:神奈川県川崎市中原区等々
力1-2 TEL. 044-754-4500 (東急東横線・目黒線、JR南武線「武蔵小杉」駅下車。
北口1番乗り場より川崎市バスにて「市民ミュージアム前」下車。南口「東横線小杉
駅」停留所より東急バス・市民ミュージアム行き「終点」下車)。

主催:土本典昭フィルモグラフィ展実行委員会、実行委員長:黒木和雄、事務局:
佐々木正明、代島治彦



●ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー上映会(京都)
 山形国際ドキュメンタリー映画祭2003セレクション 2

上映作品:『一緒の時』、『ショート・ジャーニー』

『一緒の時』(中国/2002/カラー/ビデオ/49分)監督:沙青(シャー・チン)
'03 アジア千波万波 小川紳介賞
作品紹介へのリンク(山形映画祭)
 http://www.city.yamagata.yamagata.jp/yidff/2003/program/03p2.html#t5 

『ショート・ジャーニー』(タイ/2003/カラー/ビデオ/5分)
監督:タノン・サッタルーチャウォン
'03 アジア千波万波 特別賞
作品紹介へのリンク(山形映画祭)
 http://www.city.yamagata.yamagata.jp/yidff/2003/program/03p2.html#t17 

上映日時:7月31日(土)
『一緒の時』 『ショート・ジャーニー』
 14:00     14:55
 16:00     16:55
 18:00     18:55

料金:一般 1000円、ドフィル会員 700円
会場:『ひと・まち交流館 京都』2階 第1、2会議室
(京都市・河原町五条下る東側)TEL:075-354-8711
 http://www.hitomachi-kyoto.jp/ 

主催・問い合わせ先:「ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー」
TEL&FAX:075-344-2371(又川) E-mail: dofil87@infoseek.jp 
URL: http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/ 


●浪(rou、ろう)の『黒い収穫』上映会(東京・立川)

『黒い収穫』(1993年山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞受賞作品)

「人と人はなぜ争うのか・・・」
パプア・ニューギニアにおける、近代化していく過程での矛盾点を暴き出したドキュ
メンタリー。パプア・ニューギニア高地に住むジョーレイは、ニューギニア高地人と
その地に最初に入植してきた白人との混血だ。彼は高地人部族”ガニガ族”のリー
ダーポピナと協力し、部族所有のコーヒー園を始めようとする。5年が過ぎ、初めて
の収穫を目前に、部落間抗争がおこる。男達は、収穫をせず争いに明け暮れる。
ジョーとポピナはなんとか収穫作業をさせようと悪戦苦闘するのが…。

日時:2004年8月7日(土)
   10:30〜12:30 / 13:00〜15:00
場所:立川市女性総合センター・アイム1Fホール
料金:一般800円 学生500円 高校生以下無料
開場15分前。当日先着順<196席・予約の方優先です>

主催・連絡先:浪(ろう) mail@rouinc.com 
又は、電話042-555-2708へ
公式HP: http://www.rouinc.com/ 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃08┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●常々若い世代の登場を願っていたのだが、今回で最終回となる細見葉介さん(大学
生)は果敢に挑戦され、自らの考えを開陳してくださった。8ミリカメラやデジタル
ビデオを駆使して、短編ドラマや絶滅の危機にある昆虫を撮影している細見さんなら
ではの問題提起であったように思う。ありがとうございました。連載に関心を持たれ
た方は、細見さんの個人サイトをご覧ください。
港北映画研究所: http://documentfilm.at.infoseek.co.jp/ 

●本誌で「映画は生きものの仕事である」を随時連載している土本典昭監督の全作品
が上映されることとなった。「土本典昭 フィルモグラフィ展2004」である。1959年
から作家活動を開始して以来、現在までの全作品を公開する壮大なイベントだ。7月
17日からの国際交流基金フォーラムを皮切りに、アテネ・フランセ文化センターを経
て、8月29日の川崎市民ミュージアムで終幕するという、実に1ヵ月半を駆けぬける長
期上映である。

今回のイベントは、監督・土本典昭のドキュメンタリーを知る上で、またとないチャ
ンスである。企業内での作品やフリーになってからの活動は、見方を変えればフィル
ムからデジタルカメラへの変遷を辿ることとなる。48本の作品群から、私たちはド
キュメンタリーの持つ魅力を再発見し刺激を受けることは間違いない。

ところで、かねてから私は土本さんを記録しておきたいと思い、企画・製作者として
昨年2月からインタビューを中心に聞き撮りしてきた。監督に藤原敏史、撮影に加藤
孝信、インタビュアーに石坂健治を配する、計10名のスタッフを編成し、来年の完成
を目指して今なお撮影を続けている。毎回3〜4時間に及ぶ撮影で、私がいつも思うの
は、土本さんから発せられる一語一語の重さである。決して楽な道のりではない。む
しろ耐えざる苦難をグチらず全力で突破して、一作一作をつくって来られたという驚
きだ。

「土本典昭 フィルモグラフィ展2004」は、知恵と工夫に満ちた宝庫である。私たち
は何をさておいても会場に駆けつけなければならない。(上映スケジュールは、本誌
の上映欄をご覧ください。)おりしも、7月にかっての著作(未来社より「映画はい
きものの仕事である」「逆境のなかの記録」)が同時復刻されたことはうれしい限り
である。
土本さんの個人サイトは、下記のとおりです。
映画同人「シネ・アソシエ」: http://www2.ocn.ne.jp/~tutimoto/index.html 

●本誌では、清水浩之さん提案によるアンケート「8月15日に見たい映画」を読者か
ら募集(200字以内)しています。奮って応募下さいますよう、お願いします。詳細
は「広場」欄をご覧下さい。



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■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
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