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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.16 2004.7.1

2004/07/01


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    16号  2004.7.1


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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
       写真の印象と新しい世代(2)  細見 葉介
 †02 自作を解剖する
       『Identity』  松江 哲明
 †03 随時連載「映画は生きものの仕事である」(7) 
       記録映画の本性はコミュニケーションである  土本 典昭
 †04  neoneo坐通信(3)
       7月上映の告知  佐藤 寛朗(企画)
 †05  広場
       アンケート募集!「8月15日に見たい映画」
                 提案者:清水浩之
       投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(6)
       ハバナについて(1)   波多野 哲朗
       投稿コーナー「クチコミ200字評!」(15) 提案者:清水 浩之
       投稿:前号の細見葉介氏の「ドキュメンタリー映画のかたち」
         を読んで  本田 孝義
 †06 編集後記  伏屋 博雄


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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■写真の印象と新しい世代(2)
┃ ┃■細見 葉介
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●「昭和」の印象

私は1983(昭和58)年の生まれなので、「昭和」という時代についての記憶は数える
ほどしか持っていない世代になる。ただ、昭和後期が豊かで花々しく、またどぎつい
色彩を放った時代であることはぼんやりとした実感として残っている。それらは、ヴ
ィム・ヴェンダース監督『東京画』に登場する、原色のネオンサインが輝くハイ・コ
ントラストの東京に象徴的に現れていた。鮮やかに誇張されたカラーフイルムは、引
用される小津安二郎の『東京物語』との対比によって、時代との結びつきを更に強固
にする。あるいは、スミアと残像が見苦しい初期のニュース・ビデオの上に置き換え
ることもできようが、1985年に完成した『東京画』は、私の記憶の限界点を示してい
るようにも思えた。

この『東京画』を評価した映画監督・佐藤真の『SELF AND OTHERS』(2000)は、も
う一つの1980年代を提示したという点で新鮮な映画だった。1983年に36歳で夭折した
孤独の写真家・牛腸茂雄の写真集から題をとり、モノクロームの写真作品群とともに、
8ミリ作品や現在の風景を合わせて構成し、説明的な要素を排したイメージの醸造に
成功している。日常にいる人々の表情から、心臓を突かれるような強烈な一瞥を切り
取った牛腸の「透明な眼差し」の世界がゆっくりと現れ、そして無意味な独白の録音
テープを残して、霧の中へ走ってゆく子供たちの写真ととともにまたゆっくりと消え
てゆく。ここに登場する牛腸の作品群には、『東京画』のような欲望と消費の渦は全
く見えない。女の子、無邪気な子供、友人らしい人、それらがカメラにまなざしを向
けている姿からは、あらゆる映像の中にセンセーショナルに紹介される時代相と対極
をなす、穏やかに照らされた人間がいたのだった。

●写真と対峙した『SELF AND OTHERS』

『SELF AND OTHERS』という映画は、その姿勢も興味深かった。写真という扱いにく
い存在と正面から向き合っていたからだ。他の写真家のドキュメンタリーでは、写真
作品はお座敷の上のお客様のように、どこかよそよそしく、ぎこちない感じがあった。
ところがこの映画は、映画ができるせいいっぱいのことを用意して、写真と対峙して
いた。佐藤監督は、著書の「映画が始まるところ」で製作過程を振り返り、「牛腸の
作品には、私などの浅はかな考えをはるかに凌駕する深さが潜んでいる。だから私は、
牛腸の眼差しをそっとスクリーンに映し出すだけの映画にしたのだ。」と述べている。
しかし、「透明な眼差し」の写真に対して「透明な眼差し」を向けて映画を作ったこ
と自体が、挑戦的な姿勢になることを免れないだろう。.

映画のキャメラは、牛腸の生きた土地の現在を映し出す。遠くから眺めた俯瞰ばかり
で、淡々としていて動きがほとんどない。住宅街の空き地に立つ一本の樹を見つめる
カットがある。じっと、何か新しいことが始まるのを待っているようだが、決して何
も始まりはしない。全ては終わり、写真集に完結してしまったはずなのだ。たくさん
の一瞥が牛腸の生涯とともにあったのなら、彼のいない現実こそ、監督の意識するも
のだったからだ。これらのカットからは、座敷のお客さまに敬語を使うのではなく、
同じ立場から交渉しようという、攻撃的な強い姿勢を感じた。
これほどに「写真を意識したような」映像は、少なくともドキュメンタリー映画の中
では今までに観た覚えがない。似たようなカットの続くシークエンスが、『きわめて
よいふうけい』(2004)にもあるが、しかし『SELF AND OTHERS』で感じられた重さ、
強さはなかった。前掲の著書に「何を撮るかは、田村正毅がどの風景を見てハッとす
るかにかかっているため、出たとこ勝負である。」とあるように、偶然の機会を徹底
的に利用した結果、この映画は生まれたという。

●対象との距離

この作品を考える上で、監督と対象との「距離」については避けて通れない。佐藤監
督の『阿賀に生きる』(1992)は、スタッフの生活そのものを農業の中に置き、ギリ
ギリまで対象に近付けることで生み出されたが、『SELF AND OTHERS』の場合は逆に、
対象との間に適当な距離があったことが幸いしたといえる。「いい写真が撮れないと
すれば、それは近付き方が足りないからだ」とは報道写真家キャパの言葉だが、もし
監督と牛腸に直接の面識があったり、伝説的なイメージが作られていたりすれば、映
画はやはり、牛腸の作品の引力によって束縛されてしまうだろう。他の写真家ものの
ドキュメンタリーのぎこちなさは、ここにある。写真家という存在は、若い監督が撮
影を兼ねながら一人で映すのには、少々荷が重過ぎるように思う。
佐藤監督は幸いにして一定の距離を持っていたし、睡魔に襲われる映画を肯定してし
まうような器量の持ち主だった。またキャメラは田村正毅という、万全の体制で臨ん
だのだ。

この作品と同様に、ある芸術を独自に解釈した大胆な作品と言えば、亀井文夫監督の
『信濃風土記より 小林一茶』(1941)が思い浮かぶ。一茶の句を長野県の農村の現
状の説明に利用するという姿勢は、観光PR映画という本来の目的を無視し、時を経た
コラボレーションとして独走していた。この作品とさらに一世紀さかのぼる一茶の生
涯との間には、イメージの開きは感じられなかった。例えば50キロ先の山も100キロ
先の山も平板に見えてしまうように、共に遠い過去になってしまった映画と句との間
に時間的な立体感が見られなかった。似たようなことが、映画『SELF AND OTHERS』
と、その中にある牛腸の写真作品の間にもあてはまる。

『SELF AND OTHERS』には、牛腸が撮影した短篇の実験的な映画が二本、引用されて
いる。確か「街」というタイトルの8ミリのモンタージュ映像と、快晴の空の下で女
の子を映した16ミリだった。そして映像の上での牛腸の視線を観た時、写真と映画と
が穏やかに重複しているのを知った。そこで、佐藤監督が16ミリのフイルムではなく
デジタルビデオを選んでいたらどうなっていただろうか、と考えてしまう。田村正毅
キャメラマンがいかに撮ろうとも、映画は新しいものとなり、写真は古いものとなっ
て、間には超えることのできない壁が生じてしまうだろう。ここでフイルムは重要な
意味を持つ。特に私たちの世代の場合、フイルムとビデオでは、映像作品に向き合う
姿勢が異なってしまうと思うからだ。その差違はおそらく、フイルムを日常としてき
た世代のデジタルへの抵抗感と同等か、それ以上だ。  (つづく)


■細見 葉介(ほそみ・ようすけ)
2002年より、絶滅危惧種の昆虫「ヨコハマナガゴミムシ」をめぐるドキュメンタリー
ビデオを自主製作している。事情がかなり複雑な上、蝶のような視覚的美しさが足り
ないのも難しいところ。事実関係を説明するだけのテープが増えていき、対象はあい
まいになる一方だ。しかし今年中には区切りをつけようと思っている。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『Identity』
┃ ┃■松江 哲明
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「アイデンティティ?」が「アイデン/ティティ」になり、結局は『Identity』に落
ち着いたのだが、AV好きの友人には「そんなタイトルでは絶対、売れない」と断言さ
れた。彼はもっとAVらしさを強調した煽るタイトルがいいと言う。「じゃあ、例えば
?」と聞くと、「冬のスマタ」と答えたので、もう彼に相談するのはやめようと思っ
た。

ただしAVである以上、セックスシーンはある。店に並ぶほとんどがそうであるように、
エロを強調するタイトルも間違いではないのだろうけど、製作のカンパニー松尾さん
とはきちんと作品内容を反映させるタイトルにしようと決めていたのだし、今回の作
品に関してはエロだけを強調するのはちょっと違うと思っていた。

「AVではあるが、セックスだけでない」そのことを上手く説明出来ればいいのだが、
ちょっと難しい。ただ、僕が撮りたい、観たいAVとはそういうものだ。セックスを介
して人間を描いたAV。握りしめていたティッシュで思わず涙を拭ってしまうような
AV。「性は生だ」なんて誰かが言った言葉を思い出して、ついにやけてしまうような
AV。一つ思うのは、僕が夢中になって観ていた頃はそんな作品がもっともっとあった
ような気がする。確かに最近の作品はただ、過激なだけ、女優に頼り切ったものばか
りが多過ぎる。思いっきり笑えたり、驚かされたり、時には犯罪の匂いがしたり…そ
んな映像が観たい。これほど自由な製作の場はそう、ないのだから。

では、なぜ僕はAVという場で「在日」を題材に撮ったのか。

数年前まで僕は「もう在日ネタはやらない」と言っていた。過去の歴史を追うのは性
に合わないと思っているし、いわゆる「悲しい過去」を一方的に聞かされるのはしん
どい。「ああ、そうですか」と答えざるを得ない気持ちも分からなくもない。それに
『あんにょんキムチ』で自分の中では在日ネタは撮り切った思いがあった。
ただいつだったか、誰かに「数十年後には在日コリアンはいなくなる」と言われた時、
一瞬だけ「いなくなる」って言葉に反感を覚え、その直後に「それなら撮らないと
な」と思った。それも出来るだけ同世代を。一世のおじいさん、おばあさんではなく、
三世とか四世といった若い世代を。

だから正直、「在日コリアンのAV女優、男優」なら誰でもよかったのだ。絶対に三世
の相川ひろみで、朝鮮籍から韓国籍に変えた二世の花岡じったである必然性はなかっ
た。
ましてや松尾さんから「在日なら中国人ってどう」と言われた時も「あ、いいっす
ね」と答えている。実際に中国人留学生である杏奈と会うと、そののほほんとした口
調に引き込まれた。ただ、こうなってくると「在日コリアン」でさえなくなっている。
でもその緩さがよかったな、と思う。何もない雨の海岸とそこにたたずむ背中、尾道
のスナック街の路地、鶴橋のキムチ屋。ドンキホーテの音楽。中華街の栗を食べなが
ら車で向かった花岡さんの自宅。緊張感とは無縁なただ、そこにある風景を撮りつつ、
交わされる会話。特に花岡さんの「在日って中途半端な人が多いんだよ」という言葉
は今でも忘れられない。

特別永住権を持つ在日コリアンは年々減っている。それも凄い勢いで。いつかは五世、
六世といった呼び名さえ、なくなるかもしれない。だからとって「いなくなる」って
ことはないと思う。僕は5歳で帰化をし、国籍では「日本人」となったが、「在日」
という意識が消えることはない。僕は在日コリアンである相川ひろみを忘れないし、
花岡さんとはまた撮影がしたい。撮影数日後に突然、日本人と結婚した杏奈ちゃんと
は会う機会がないかもしれないけれど。

カメラの前で食べ、走り、セックスした彼、彼女等との時間を思い出す。その時に共
有した思い、を忘れないように。それもAVならではの「セックスだけでない」何かの
一つだと思う。そんなところに気付いてもらえたら、そして真っ裸の姿を見て「あぁ、
こんな人たちもいるんだな」と思ってもらえたら、僕はちょっと嬉しい。


☆『Identity』(120min/DVD(撮影 miniDV&8mmfilm))演出 構成:松江哲明 
撮影:松江哲明、村上賢司 8mm撮影:村上賢司 制作:近藤龍人 音楽;藤野智
香、川野建 製作HMJM(ハマジム) http://www.hamajim.com/mein.htm にて予告編
サンプルムービー公開&販売中(一般の店頭には並びません)。「Identity」はアダ
ルト作品です。18歳未満の方は鑑賞出来ません。


■松江 哲明(まつえ・てつあき)
neoneo初?AVの「自作解剖」なぜか勝手に緊張しています。7月9日(金)18時30分
から大阪のcommon cafeで行なわれる「Document cafe」というイベントで村上賢司さ
んとトークします。僕は現在撮影中の「ハマジムドキュメント」と同期間中に上映さ
れる「カレーライスの女たち」について話をするつもりです。詳細は「シネトライブ
2004」 http://cinetlive.s66.xrea.com/index.html 大阪上陸ついでに一本撮影する
予定ですが、内容は秘密!!



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┃03┃□随時連載「映画は生きものの仕事である」(7)
┃ ┃■記録映画の本性はコミュニケーションである
┃ ┃■土本 典昭
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「よくこんなに撮れましたね。プライバシーのない時代だったんでしょうか」と、水
俣映画を見た今の記録映画志向の若い人によく質問される。患者がカメラの前で、そ
れがなきもののように語り、ときに激情をぶちまけるカットも自由に使っているのが
驚きなのだろうか。いまのテレビは神経質すぎるほど気を使っている。撮ろうとして
も「声だけなら良いが、顔はやめてくれ」と言われ、撮る方としても、自己規制せざ
るを得ないという。「ボカシて撮るくらいなら撮らなきゃ良いでしょう」と言ってみ
るが、それでは身も蓋もない。答えにもならないが、「撮れないものは撮らない」と
いうほどの意味なのだ。

水俣でも、ついに撮れなかった人の方がむしろ多い。天草離島の生存者で毛髪水銀の
最高値600PPMの女性がいた。五年間、お願いしたが撮れなかった。理由は「もうキタ
ナイから」という。かつてはモダンガールとして、上海で水商売していた人だ。若き
日の写真を見せてくれたが、日本人離れした美貌だった。それが今、這うようにしか
動けない。老いても美しさは偲ばれる。ただし笑んでいてくれれば、である。

話好きの方だった。その聞き書きは不知火総合学術調査団の角田豊子さんにして戴い
た。レポート『水俣の啓示』下巻、『天草の女──嵐口の一老女の話』が仮名だが彼
女の個人史である。団長色川大吉氏が絶賛した出色の記録で、何故、多量の水銀に冒
されたかまでを克明に描いた傑作になった。あえて言うが、これには長期の“映画の
行動”があったからこそ、角田さんに生かして戴いたものと思う。その歳月が無駄に
ならなければ「撮らないことも映画だ」と思う。.

仮名ということでお分りのように、文字でなければ記録できないものもある。そこで
映画の可能性を探るにはただの“善人性”ではいかない。知能犯すれすれの企みも要
る。相手の心理を察知することだ。たとえば最重症胎児性患者は不思議に聴覚が敏感
だ。会えば分る。では声に慣れてもらおうと、一声かけてみることにした。ロケ宿の
向かいの家だから楽である。そのうち、はじめの怪訝そうだった顔つきが変った。
映画『水俣──患者さんとその世界』の上村智子さん一家のシーンの撮影前の準備で
ある。.

彼女の顔写真と言えば、上眼使いで引きつった表情があたかも胎児性の特徴のように
定着していた。それは畏れと緊張の余りの表情なのだ。それが訝しまれることなく世
に通用している。それはリアルでは全くない。やがて彼女が私の声を覚えた頃、家族
と一緒の食事シーンを撮った。父や母に混じって聞き慣れた声の人間が居ると彼女は
思ったのであろう。ふだんの美しい顔になった。カメラがあっても、母が気にしなけ
れば彼女も気にしないのだ。これは私にとって「患者は光っている」と言わしめた、
宝もののようなシーンになった。これに比肩するのは、水俣取材での最古参の桑原史
成氏の写真であろう。智子さんの成人式の日、父親に抱かれた名写真だ。映画カメラ
の長回しも、瞬間のスナップも違いはない。ともに胎児性の聴覚、“人間覚”を読ん
でからの撮影だったかどうかだろう。

もう公にしても許されると思うが、ユージン・スミスの撮った母親に抱かれて入浴す
る「水俣の母子像」には、後日談がある。世界的に有名な水俣病の悲劇の象徴となっ
た写真だが、撮影・発表の20年後、家族から日本での公開はやめるよう申し出られ、
妻アイリーンさんはこれをすぐに承諾した。これが「プライバシー問題か、表現の自
由か」と物議をかもしたのだが、父、上村好男さんが発表した一文には「もう亡き智
子を休ませてやりたい」と、生きたままの子を慮るような気持が綴られていた。その
なかに母、良子さんの「そん時、智子の体が固くなって……」という話もあった。そ
う言われてみると、確かに智子さんの身躯は湯船に沈んでいない。不自然に浮いてい
るし、表情も固い。つまり、裸身の恥じらいがあったことを良子さんは感じていたの
である。当時、智子さんは十四歳、身躯は幼いが、感受性は人なみの女に近づいてい
たかも知れない。智子さんには抵抗があったのだ。その訴求力の絶大さ、圧倒的な感
銘によっていかにユージン・スミスの写真が高く評価されようとも、両親の「もう十
何年も働いたのだから……」という、たっての懇願には勝てない。アイリーンさんは
正しいと思う。

前述の老女のように「撮れない場合もある」。またこの場合のように、例えOKをとっ
たとしても、相手の感情が変わり、公開できなくなる事もある。それは生身の人間を
映像で撮る表現である以上、知って置くべき事かも知れない。

もっと切実な私の体験を語ろう。浜元フミヨさんは一昨年物故された。私は300字の、
わび言を兼ねた「送る言葉」を弔電で打った。忘れ得ない話なのだ。映画『水俣一揆
──一生を問う人びと』の中の衝撃的なシーンに始まる挿話がそれだ。

チッソと患者の直接交渉の場で、補償の即答を渋るチッソ社長に対し、フミヨさんが
「一家みな病気になったお陰で私の嫁入り話も諦めた。私はいまも独りです。どうか
私の一生の面倒を見てください!」と詰め寄った。フミヨさんは「自分より脇のモン
(坂本タカエさんや坂本しのぶさん)のことを思って言うた」という。「弟、二徳の
面倒も見た。寝込んだ婆さんもおらした。私はおとこになったぞ! 水俣病の判(認
定)も担(かろ)うた。この苦労が分るか」とかき口説いた。それでもだんまりの社
長に、ついに逆上して「いいですか。私はあなたの妾にもなります、生きていくため
には妾でもよかです」と激して、「私はなあ、この歳(42歳)になっても処女でござ
います!」と言った。人間の魂魄に満ちた表現だった。カメラは回っていた。
彼女はカメラも意識していたが、言葉が止まらなかったのだ。どこに「妾になりま
す」と昂然と相手に言ってのけた女性があろうか。

映画の完成後、水俣で彼女に当地での上映の許しを頼んだ。が、断られた。しかし、
そのやりとりで分ったことは山ほどあった。

彼女は「この部落ではもっと笑いものになる。それが嫌だ。しかし……」という。
私は問答の形で真意を聞いた。この水俣市ではカットして上映しようと約束した上で、
更にいちいち尋ねた。「東京では?」良いと頷く。順に「九州では?」「熊本で
は?」と。村人の目の届かないところならともかく、麗々しくお膝元での公開は絶対、
嫌だという。彼女には自分の真情を伝えたい意思はある。だから「水俣以外なら構わ
ない」、「見る気で来てくれた人なら良い」と頷くのだ。観客、つまり一般の人には
正しくこの気持が伝わると彼女も信じたい、この映画にはそうした(コミュニケー
ションの)力があることを十分に察知しているのだ。それが私を安堵させた。.
「テレビじゃあなかもんな。映画じゃから」ともいう。テレビは見る積もりが無くて
も見る。映画は選択した人が見る。その違いを感じているのだ。便利なテレビと、反
面その怖さを、いつも撮影される側の彼女は知悉していた。どの家のテレビにも映り、
話の種になり、無責任な中傷や誹謗になるその怖さを嫌というほど知っている。
彼等の心は病気もあって傷つきやすいのだ。

思春期ただ中の胎児性患者ほどそうだった。感受性と異性愛への憧れは正当に読み取
るべきだ。それの失敗例は嫌というほど見てきた。若いTVディレクターの過剰なまで
の親切が仇になり、取材を終えて引き上げるや、失恋したかのように大荒れに荒れた
少女もいた。これも胎児性患者の嫌う“一人前のおとな扱い”にしなかったためだ。
取材のための親切だと知るまでに、女のつもりだった心を傷つけられたのだ。これは
難しいことだ。しかし、こうした問題を避けて、仮に顔隠しやボカシなどしたら、そ
の方がさらに屈辱と傷心を深める事になっただろう。

水俣を最初に撮ったTV作品『水俣の子は生きている』(日本テレビ「ノンフィクショ
ン劇場」1965年)に、子どもらの肖像のプライバシーを案じて目貼りされた写真につ
いてのエピソードがある。主人公の女子学生のサークル活動で、カンパのために使わ
れている桑原さんの撮った胎児性患者の写真、そのいたいけな子どもの眼にテープが
貼られていた。その目貼りを剥がすシーンがある。脈絡もなく、それを剥がし、元の
写真の可愛い目許を自分の手で撫ぜた。それは“犯罪者扱い”に対する抗議であって、
学生らに対してではない。公害の被害者に対する差別の裏返しに思われたからだ。
99年、「故川本輝夫記念洋上ツアー」で彼等との船旅の中でこれを見る機会をもった
が、彼等からは、剥がして当り前といった「フッフッ」といった笑みがもれただけだ。

それは私の匿名性否定の宣言ともいえるものだ。以後、水俣の17の作品はすべて実名
で通している。ペンではない以上、実像を声ごと撮るからには、そうするしかない。
これについては「記録映画作家の原罪」という一編で詳しく論じたのでそれに譲りた
い(『水俣映画遍歴』新曜社、88年)。

最近読んだ佐藤忠男氏の文章に啓発された。「〔ドキュメンタリー映画の場合〕それ
に映ること、撮られることは誰にでもできるということである。〔中略〕ただカメラ
の前にいて撮られるだけの者もまた、ときにはきわめて雄弁な表現者であるというと
ころに映像文化の重要な性格があるのだ。〔中略〕人は誰でも自己表現できるし、現
に表情で、姿で、行動で、会話で表現しているのである。それは誰にでも理解できる
ものであり、現に人は、そうした表現によって絶えずコミュニケーションを交換して
いるのだ」(『映画の真実』中公新書、2001年)。映画のコミュニケーション性は、
ここで言われるようにドキュメンタリーの本性ではなかろうか。

これを『水俣一揆──一生を問う人びと』の場合で考えたい。チッソの社長すら、映
画の部分部分では氏の人間性の伝わるものがある。その時々の感情も間違いなく伝わ
る。その全体の文脈のなかで、その立場が、ついに患者の側には立てないことがあき
らかになるのだが、私の父は患者とのせめぎ合いを観て、しきりに島田社長に同情し、
考え込むのだった。後年、島田社長の娘さんも家庭の故人を偲んで映画に涙し、患者
にも謝る気持になったという。映像の親和性、それがコミュニケーションを支えてい
るのではなかろうか。では映像で悪をどう描くかはいまだに分らない。多分、風刺か
戯画であるかも知れない。.

映像の親和性の典型例を挙げて見よう。『水俣──患者さんとその世界』のなかで、
世界的にも“オクトパス(蛸)・シーン”として好まれている場面である。自分の獲
ったタコで妻を狂死させたタコとり名人がいた。妻は水銀の多い腹わたを好んで食べ、
激症型水俣病になった。彼は白身が好きで、未だにタコを手突きの鉾で獲り、食べて
いる。その老人が妻の悲劇を語り尽くした後、あの水俣湾でタコとりの極意を見せる。
そのタコとり爺さん(尾上時義氏)が鉾竿を持って微笑む一枚の写真は、海外の映画
祭の宣伝パンフにも登場した。よもやミナマタではもう魚など食べていないだろうと
思われるのに、何たる漁民かと、その意外性にふき出したりするのだ。水俣でのはじ
めての公開の時もそうだった。このシーンは満場の歓声を浴び、尾上さんは一躍、観
客の間で人気者になり、その後、全国各地でも「タコとり爺さん」として慕われた。
彼は絶大なコミュニケーションの役を果たしたのである。.

映像は“肖像それ自体”を決して貶めることは出来ない。「まして悪人においてお
や」かも知れない。プライバシー問題とは畢竟、その作者の意図如何であり、撮った
者としての責任を忘れないという事に尽きるだろう。時代に関係なく、それが映画稼
業の属性なのだと思うのだ。 (2004、6、10)(つづく)


☆上記の土本典昭氏の論考は、未來社のPR誌「未来」の7月号(7月1日発行)に掲
載されたものだが、未來社のご厚意により、ここに転載させていただいた。同号では、
土本典昭氏をめぐる特集が組まれており、このほかにも、未來社編集部による土本氏
へのインタヴューや、デザイナー鈴木一誌氏による土本典昭論なども掲載されている。
なお、未來社からはこのたび、土本典昭氏の最初の著作2巻が鈴木一誌氏の新装幀に
よって復刻される。


●土本典昭氏のドキュメンタリー論2巻が、未來社から新装版で復刻!

(1)『[新装版]映画は生きものの仕事である──私論・ドキュメンタリー映画』
[初版1974年/6月30日発売/税別3500円]
ドキュメンタリー映画の記念碑的名作『水俣 患者さんとその世界』はいかに撮られ
たのか。演出ノート、ドキュメンタリー論、上映記録日誌、シナリオ採録を集成。

(2)『[新装版]逆境のなかの記録』
[初版1976年/7月20日発売/税別3800円]
撮れることと撮れないことのあいだに立ち、足踏みする記録者の、思考の軌跡。
映画とは、記録とは、人間とは──。
「私にとって、映画をつくることは、人と出遭う事業である。」──土本典昭

★装幀=鈴木一誌
★各巻に10000字の新装版あとがきを追加収録。
★詳しくは、http://www.miraisha.co.jp/ をご覧ください。



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┃04┃□neoneo坐通信(3)
┃ ┃■7月上映の告知
┃ ┃■佐藤 寛朗(企画)
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「オ父サン、オ母サン、私ノ気持チガ分カリマスカ?」
neoneo坐7月の上映は、女性によるプライベート・ドキュメンタリーの大特集!大人
になっていく中で捨てきれぬ、両親や家族への複雑な思い。悩んだ末に彼女たちは、
カメラを通して家族と向き合うことを選ぶ。しかしそこに立ちはだかる、家族の歴史
と「親」の論理…、勃発するプライベート・ウォーズ!「映画」で展開される子供の
願いと親の願い、様々なたたかいの果てに、彼女たちが見たものは… 各回入替制
(お得な通し券もあり)

2004/7/25(日) Vol.4『我が家の事情〜私が家族を撮る理由』
14:00〜 program 1 「父VS娘」

『車は走らなくても、よかった。』 監督:大木千恵子 (2002年/10分/東北芸術工科
大学)
★2002東北幻野ビデオ映像ビエンナーレ 大賞 ★ブロードバンド・アート&コンテ
ンツ・アワード・ジャパン2002 入選
★山形国際ドキュメンタリー映画祭2003「学校スペシャル」
■田んぼの中から走らぬ車を拾ってきては、日々改造に精を出す父親が、大木千恵子
には理解できなかった。そんな父が、ある日突然「車を売る」と言い出す。記念に車
をカメラに収めるうちに、見えてきた父の意外な表情…。

『Father Complex』 監督:佐俣由美 (2002年/27分/東北芸術工科大学)
★国民文化祭やまがた2003ドキュメンタリー映画フェスティバル「日本パノラマ」
★イメージフォーラム「ヤングパースペクティブ2003」
■父親の自殺を受け、実家に帰省した佐俣由美。部屋の整理をしているうちに、育っ
た家庭環境や、亡き父親への様々な思いが溢れ出す。その苦しみから抜け出すため
に、彼女が手にしたものは…

『レター』 企画:藤田直美+演出:津本真理 (2002年/50分/CINEMA塾)
★原一男「CINEMA塾」塾長奨励賞 ★山形国際ドキュメンタリー映画祭2003
「学校スペシャル」
■不登校・引きこもり…苦難の青春を過ごした藤田直美。未だに彼女を縛るのは、か
つて虐待した父親の存在だった。「お父さん、あなたの本当の気持ちを知りたい。」
手紙に長年の思いを託し、カメラの前で初めて父と向き合うが…

16:00〜 program 2 「幸せって何?」

『ふつうの家』 監督:長谷川多実(2000年/46分/映画美学校)
★映画美学校「1stcut 2000」 ★<ヤマガタ+>映画祭「にっぽん新・記録宣言
!」(2002)
父母ともに部落解放同盟の職員で、運動一家の長谷川家。一方で娘の多実は、小さい
頃から演じてきた“期待される娘像”に嫌気がさしていた。「ふつうの家に暮らした
い!」両親に、家庭では運動の話を一切しないことを約束させるが…

『幸せ蝙蝠』 監督:金丸裕美子(2001年/45分/大阪ビジュアルアーツ)
★イメージフォーラム・フェスティバル2002 一般公募部門入選
幼い頃から事あるごとに聞かされてきた、母親の父や祖父に対する愚痴。どこかで家
族の平和を願う娘・金丸裕美子は、そんな母と祖父の話し合いをカメラに収めはじめ
る。が、実際に目の前で起こった出来事は…

各作品上映後、監督によるトーク+質疑あり/上映終了後、交流会を予定。
【料金】1プログラム:1,500円/会員1,000円(入会金2000円で当日加入できます。
1年間有効)、通し券 一般2,500円/会員1,500円
【企画運営・お問い合わせ先】佐藤 寛朗(さとう・ひろあき) TEL :090-8108-7971
E-mail: kanrou@aol.com 

☆neoneo坐サイト(「neoneo坐へようこそ」):
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 

●ボランティア募集

neoneo坐ではボランティアをしてくださる方を募集しています。内容は、チラシづく
りや映画館等への配布、上映の受付や場内整備、プロジェクターの操作などです。連
絡は下記へお願いします。
 visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで



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┃05┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■アンケート募集!「8月15日に見たい映画」
■提案者:清水浩之(neoneo坐プログラマーズ/ゆふいん文化・記録映画祭)

ふと気が付けば今年は60回目の「8月15日」なんですね。僕(清水)自身は36回目、海
軍にいた伯父(85歳)や、学童疎開していた父(71歳)、空襲警報がなくなって初めて熟
睡できたと言う母(68歳)の60回目とくらべると、ずいぶん重みの違う「8月15日」か
も知れませんが、それでも今年の「8月15日」は、沖縄が日本に復帰し、横井庄一さ
んや小野田寛郎さんがようやく帰国し、ベトナムではサイゴンが陥落しようとしてい
た僕の子供時代より、相当に様替わりしている気がします。

直接的な戦争体験のない僕らの世代にとって「戦争」の基本的なイメージは、映像に
よって形作られた…という気もします。個人的な映画体験を辿っても、『サウンド・
オブ・ミュージック』『ガラスのうさぎ』『肉弾』『ピカドン』『まぼろしの市街
戦』『喜劇・あゝ軍歌』『火垂るの墓』『黒い雨』『村と爆弾』『コーカサスの虜』
…今でも忘れられない映画が次々と浮かんできます。.

ところで、いまの日本の子供たちは、一体何から「戦争」の基本的なイメージを構築
しているのでしょう?
「テレビで報道される、打ち上げ花火のような空爆シーン」?
「ゲーム機のボタンで操る、どこかの星で繰り広げられる物語」?
「ある種の歴史教科書や漫画で謳われる、“国としての誇りを賭けた戦い”」?
決してそればかりではないだろう…と思いますが。
(そう言えば、昔は夏になると文芸坐で戦争についての映画を特集していたもので
すが、今年はそんな劇場はあるでしょうか…?)

戦争の記憶の風化。戦争体験のない世代によって進められる現在の政治。
「戦争を知らない」世代同士で、戦争について議論しなくてはならなくなる、将来の
日本。
そのためにも、「今年の8月15日に見たい映画」、あるいは「誰かに見せたい映画」
について、皆さんのご意見を伺いたいと思い、このアンケートを提案します。

おすすめの作品名とその理由(200字程度)をお寄せください。 お名前(ペンネーム
も可)も忘れずに。8月5日(木)を〆切とさせていただきます。アンケートの結果は、
「neoneo」8月15日配信号にて発表の予定です。
宛先: shimizu@ad-ult.co.jp  FAX:03-3703-0839(清水浩之宛)


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■投稿

□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(6)
■ハバナについて(1)
■波多野 哲朗
●キューバに先住民はいないという事実

恥を承知で告白すれば、2000年の春にはじめてキューバを訪れたとき、私はまだこの
国のどこかに先住民が住んでいると思っていたのだった。ところがハバナに到着して
早々に、「この国に先住民はいない。すべて絶滅した」と聞かされて愕然とする。と
言うのも、私はこれまで世界のいろんな国を訪ねたとき、きまってその国の辺境に住
んでいるマイノリティのところに足を運んできたからだ。ロシアのコーカサスでは
チェチェン人やイングーシ人の近くに、グルジアではスワネチア地方に、ベトナムで
は山岳地帯のモン族やザオ族の部落に、台湾ではタイヤル族の村に、パキスタンでは
パシュトン人の領土に、スリランカでは(これは先住民ではないが)タミル人の住む
土地に…好んで出かけ、滞在もしてきた。

こんな私を評して親しい友人たちは「偏執狂的な境目好き」などと揶揄し、私もまた
その評の妥当性をある程度は認めているのだが、もうすこし自覚的にそうしてきたの
も事実である。一国を被抑圧的マイノリティの視角から眺め返すとき、きっと隠され
た側面が浮かび上がるという確信を、いつからか持つようになっていたからである。

15世紀末にキューバがコロンブスによって「発見された」とき、たしかに少なからぬ
先住民のインディヘナが住んでいたが、その後のスペイン統治下で絶滅したのだと言
う。平然と言い放つようにそう教えてくれたのが、先住民を絶滅へと追い込んだ当の
スペイン人の末裔たちというのも、ちょっとショックだった。私はこのことを知って
ひどく落胆したものだ。ルーツの探求を通してキューバという国の固有性に少しでも
迫ろうという目論見が、行く手を遮られてしまったような気がしたからだ。キューバ
には他の中南米諸国に見られるようなたった一つの先住民居留地もなければ、むろん
一人のサパティニスタもいない。先住民を100パーセント駆逐し、新しい住民として
住みついたのがスペイン人と、彼らによって奴隷として連行されてきたアフリカ人で
あるとすれば、この土地の文化の固有性とは一体何なのかと。所詮それはスペイン文
化やアフリカ文化の外延でしかないだろうかと。

●しかし・・・

それにしても、なんと不用意で無知極まりない旅行者であったのかと、いまにして恥
ずかしく思う。実際ハバナの街をすこし歩きはじめると、私の思い込みや落胆はたち
まち雲散霧消してしまったのだ。それどころか、ルーツやオリジンを探求することに
よって文化的な固有性に迫るというこれまでの方法論が揺らぎはじめる。方法が有効
性を発揮しないのではなく、方法そのものが否定されるのである。不思議にもそれが、
なんとなくいい気持だった。

ハバナはたしかに魅力的な街だ。ハバナの街を歩いていると、眼を惹きつけてやまな
いかずかずのものに出会う。それらはキューバに固有の光景であることが多いのだが、
そのオリジンはと問えば、キューバ固有のものとは縁遠い。たとえばひときわ派手な
容姿をもつ1950年代のアメリカ車が街中を走り回るといった光景は、現在キューバ以
外のどの国でも目にすることはできない。むろん車のオリジンはアメリカにあるが、
いまアメリカでこれを見るには、博物館まで出かけなければならない。

街を走りまわる50年代のアメリカ車の光景は、まぎれもなくキューバ固有のものだ。
だからヴェンダースをはじめ、ハバナを描くどんな映像も、この光景を見逃すことは
なかった。だがこの光景の固有性は、1959年にキューバ革命が起こり、やがてアメリ
カがキューバとの国交を断絶し、そしていまなおきびしい経済封鎖を続けていること、
そしてそこで発揮されたキューバ人たちの並外れた創意と技術力、これらの要因のい
ずれを欠いても現出することはなかったはずである。これらはすでに、オリジナルに
似て非なるなにか、カクテルのようなものではないのか。

われわれ映画スタッフのハバナでの常宿は、ラ・アバーナ・ビエハ(旧市街)にある
Hotel LIDOと決まっている。それはまず圧倒的に値段が安く、便利であることが最大
の理由である。だがそればかりではない。その界隈に漂う独特の異種混合の匂いが忘
れ難く、ことしもまたこの宿を選んでしまったのだ。一帯にはスペイン植民地時代の
コロニアル風の建築が立ち並び、少なくとも百年以上を経たいま、建物の多くは崩れ
かけているのだが、その中にいくつもの家族が住んでいる。中間層以上の人たちがは
るか東方のベダード地区(新市街)に住んでいるので、ここは経済的にはもっぱら下
層の人びとの居住区である。街の中心部の広場付近には、豪華な装飾をほどこした柱
頭や礎盤のある円柱やファサード付きのひときわ豪華な邸宅跡があり、その1階と
ファサード部分はしばしばレストランなどになっていて、昼間から観光客向けに生演
奏をやっているが、2階以上はやはり住宅で、子どもらが走りまわり、バルコニーに
は色とりどりの洗濯物がはためいている。.

ここでわれわれの注意を引くのは、黒人と白人の若いカップルが腕を組んで歩いてい
たり、さまざまな皮膚の色をした子ども等が一緒に遊び戯れ、母親たちもまた同じよ
うにして子らを見守っている情景である。こうした情景はヨーロッパではあまり見か
けないし、アメリカでさえこれほどではない。いや、たしかにそれらの国々でも、黒
人と白人とが混在する光景もいまや珍しくはないだろう。だが、キューバでは二つが
混在ではなく、溶解していると言うべきなのだ。

キューバでは圧倒的にムラート(混血)の比率が高い。たしかに一方には完全なスペ
イン系白人がいるし、他方には完全なアフリカ系黒人もいるのだが、注目すべきはそ
の中間が見事に埋められているということなのだ。つまりキューバでは白い皮膚と黒
い秘皮膚とをつなぐ完璧なグラデーションが成立しているのである。そのような国は、
まだ他には見当たらない。.

入り混じること、混血をほとんど厭わないこの多くのキューバ人たち。そこでは血統
の純血のオリジンがほとんど相対的な意味しか持っていないことに気付くのである。
このことはおそらく、日系と呼ばれるキューバ人にも影響を与えずには置かないだろ
う。(つづく)


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
映画研究家。研究でも実生活でも「crossing borders」が目標ないしテーマ。研究で
はこのところ20世紀芸術と映画との関係性(または無関係性)がテーマとなってい
る。実生活ではもっぱら世界の辺境域を旅し、6年前にはオートバイでユーラシア大
陸を横断。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


□投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第15回
■提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭/夏の湯布院映画祭もよろしく!)

「オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。
映画・ビデオ・テレビなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんで
もOK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指
摘したり…もちろん「オススメしない映画とその理由!」も歓迎です。

200字以内の本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先
(メールアドレスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して清水まで
お送りください。(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけると有難いです)
清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839


A-021 『琵琶湖・長浜 曳山まつり』
1985年・ポーラ伝統文化振興財団+英映画社/監督:松川八洲雄
見た場所:第七回ゆふいん文化・記録映画祭  http://www.d-b.ne.jp/yufuin-c/ 

長浜地方の山車の曳山で演ずるこども狂言。練習するワンパクたちの真剣さ、神妙さ
がいい。女形なんかたいしたものだ。祭りの当日、若衆たちの芝居を見上げる深い眼
差し。全体をしきる中老。世代をまたいで祭りがある。この町で生まれ老いていく、
ということが少しわかったような気がする。「…男の子たちが生まれる、もちろん女
から」とナレーション。どのカットも印象深く、見終わっていとおしさのつのる作品
でした。
(井口みどり/東京)


A-022 『兼子』
2004年・「兼子」製作委員会(全農映)/監督:渋谷昶子
VHS・DVD発売中 TEL:03-5281-8781
柳兼子と白樺派について→「白樺文学館」  http://www.shirakaba.ne.jp/ 

「声楽の神様」と称され、柳宗悦の伴侶でもあった柳兼子の歌と彼女ゆかりの方への
インタビューで構成された作品。たくさんのインタビューが兼子の歌の理解を深めて
いく助けになっている。私生活にはあまり踏み込まず、日本の歌曲にこだわるアルト
歌手・兼子の謎と魅力に迫る。凛とした着物姿で歌う兼子。必見です!!
「あの感動をもう一度」と買い求めたCDは別人の歌に聞こえ、渋谷さんの理解力に脱
帽。
(井口みどり/東京)

清水注)もうすぐオリンピック…ということで、今月はCS放送「チャンネルNECO」で、
“東洋の魔女”ニチボー貝塚バレーボール部を記録した渋谷昶子監督の傑作『挑戦』
を放映!とめどなく繰り出される回転レシーブの虜になりましょう!


A-023 『元素誕生の謎にせまる・増補版』
2001年(?)制作:イメージサイエンス 企画:理化学研究所
ビデオ実費配布のお知らせ→ http://www.image-science.co.jp/ 

壮大な話だ。ミクロとマクロがどちらも宇宙のビッグバンに由来しているという。わ
たしたちが生きていくために必要不可欠な元素は宇宙創造と進化の歴史のなかで驚く
ような偶然が積み重なって生まれたらしい。気の遠くなるような確率の数字に圧倒さ
れながら、今ここにわたしが存在することのありがたさを感じさせてくれる映画。制
作に3年半かかったそうである。内容の理解には程遠かったが、久しぶりに科学的な
好奇心を刺激させられた。
(井口みどり/東京)


B-050 『トントンギコギコ 図工の時間』
2004年・海プロダクションほか/監督:野中真理子
見た場所:ポレポレ東中野(水曜14時・大槻支配人を目撃↓)

品川区第三日野小の図工室はレオナルド熊似の内野先生率いる木工ファクトリーと化
し、日々子供ならではの独創に満ちた作品が生まれている…というのが全体的な印象
ですが、子供たちへのインタビューよりも彼らの作品や表情の方が遥かに雄弁だった
り、各シーンで数カットずつ多めに感じたりと、特に前半は入り込めず苦労しました。
六年生の卒業制作へと腕前が上がるにつれて、俄然映画も引き締まってくるので、余
計に惜しいです。
(清水浩之/東京/36歳/図工の成績は「3」でした)


B-051 『まかせてイルか!』
2004年・☆画プロ/監督:大地丙太郎
見た場所:下北沢トリウッド(水曜15時・大槻支配人を目撃…ワープ?)
DVD発売中!http://www.irukaya.com/

「教育映画」なるマーケットが見当たらない今、僅かに制作された作品も面白くない
し…と思ってたら、こんな所で発見!『おじゃる丸』を成功させ『あたしンち』を途
中降板した大地監督の自主制作。学校に行かず便利屋を営む三人娘、という非凡な主
人公が同世代の子供たちに「平凡な幸せ」を気づかせる物語が味わい深い!ヒロイン
が手話で話したり、便利屋の業務に外国人労働者の不当解雇撤回があったりと、ニク
いまでの教育的効果!
(清水浩之/東京/36歳/夏休みに親子で見てほしいなー)

ところで…neoneo坐で今秋以降、何ヶ月かおきに「日本の科学映画」を特集したいな
ーと企んでいるのですが、なかなか情報が少ないため苦労しております。
そこで、我こそは面白い科学映画を発見したい!という方々に、この場をお借りしま
して『科学映画特捜隊(略して科特隊)』結成を呼びかけます!(円谷プロさんごめ
んなさい)。興味のある方、清水までご一報ください。ではまた次号!


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●前号の「ドキュメンタリー映画のかたち」(細見葉介氏執筆)を読んで
本田 孝義

neoneo15号の写真とドキュメンタリーの関係について考察した細見さんの文章は、ち
ょうど私が現在取り組んでいることと密接な関係があり、とても刺激を受けました。
沖縄在住の写真家に、石川真生という方がいます。長年、沖縄の様々な人々を撮り続
けている方です。ひょんなことから、石川さんの写真と私・本田の映像をジョイント
した展覧会「沖縄ソウル」が企画されました。写真と映像、近くて遠い表現を同一の
空間で見せるという企画にかなり頭を悩ませました。
一定時間観客を拘束する”ドキュメンタリー作品”でもなく、石川さんの写真と関係
のない映像でもなく、一体どういう映像を作ればいいのか、と。6月19日現在、その
展覧会で流す映像制作のため、沖縄に滞在中。どんなものになるかは、8月11日の
オープニングまでは分かりません。自分にとっては、これもドキュメンタリーだとは
思っています。

「沖縄ソウル」展情報
 http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/siyasinten.html 


                 * * * * *                

●訂正
前号の「ドキュメンタルな人々 続・幻のフィルムを求めて(6)の文中、「渡辺」
が「渡部」になっている箇所がありました。訂正します。


     ◇────────────────────────◆◇◆    

■上映

●【シネトライブ・カフェ/Cinetlive Cafe】in Comon Cafe
 (入場無料・ワン・オーダー制)

PM6:30〜Cafe Time  PM7:30〜Guest Time  PM9:00〜Free Time
■今年は参加作家と観客そしてスタッフの交流の場としてカフェを運営いたします。
トークイベントは7:30からですが、シネトライブカフェは6:30から深夜までオープ
ンしていますので、気軽に立ち寄って下さい。ゲストの方や参加作家の方もイベント
以外の時間に集う場所です。

7/2(金)Opening Cafe → 「シネトライブと世界の映画祭」
7/9(金)Document Cafe → ゲスト:村上賢司、松江哲明
7/16(金)Independent Cafe → ゲスト:山下敦弘、アレックス・ツァールテン、丹下
 紘希(予定)
7/23(金)Animation Cafe → ゲスト:ヨシムラ・エリ
7/30(金)Ending Cafe Party → 受賞発表

特集上映「シネアストの眼」シリーズ
■PLANET+1がCS放送用に製作するパーソナル・ドキュメンタリーでもプライベート・
ドキュメンタリーでもない新たなDVシネマの可能性を追求するシリーズ。シリーズの
第一作目は『あんにょんキムチ』で知られる新生ドキュメンタリー監督松江哲明、そ
して第二作目は『夏に生れる』で注目された村上賢司。第三作目は昨年のシネトライ
ブで注目された松岡奈緒美監督『花の鼓』のショートバージョン。加えてシネトライ
ブ常連の名古屋の「トラッシュ映画王」鎌田大資。

Aプロ(60min)
「カレーライスの女」2003/DV/30min 監督:松江哲明
「川口で生きろよ!」2003/DV/30min 監督:村上賢司

Bプロ(60min)
「こわれたまご」2003/DV/30min 監督:松岡奈緒美
「失業エヴォルーション」2004/DV/30min 監督:鎌田大資

Aプロ 7/5・ 7/7 PM7:30 7/9・PM4:30 7/21PM6:00 
Bプロ 7/4・7/6 PM7:30  7/8・PM7:30  7/22PM6:00



●「ろばや de CINEMA」(東京・国分寺)

国分寺に新しくできた無農薬珈琲・自家焙煎「ろばや」さんの2階にて、個人映像の
上映会を企画しました。去年開催されたスタン・ブラッケージ回顧展に関わったス
タッフの旧作と、ブラッケージを観て撮りはじめた若い作家の作品が中心となってい
ます。いわばブラッケージがつなぐ縁。
そして国分寺といえば、日本の個人映像の大家、山崎幹夫の作品も特集します。美味
しいコーヒー(紅茶もあり)を飲みながら、午後のひととき、濃いい個人・実験映像
をお楽しみください!

7月4日(日)
◆13:00  フレッシュシネマプログラム(55分)  入場料:500円(コーヒー付)
齋藤さおり『肩を 首を 耳を 髪を』6分半 8ミリ 2004  
星野出穂『ともだちゴッコ』6分 8ミリ 2001 
斉藤麻子『せんのからだ』4分 ビデオ 2004 
熊倉藍子『じじいとちょうちん』1分 ビデオ 2004
坂井春菜『step』1分30秒 ビデオ 2004
マイケル・ダンソック
『Embrayonic Development of Fish(育ちゆくサカナの胎児)』4分 ビデオ 1989
居島知美『存在』3分 8ミリ 2004  
田巻真寛『NET』13分 8ミリ 2004 
大屋光代『陽餌(ひじき)』16分 16ミリ 2002 

◆15:00 個人映像講座:山崎幹夫傑作選(59分) 入場料:800円(コーヒー付)
『海辺の記憶』5分  8ミリ 1982
『世界はがらくたの中に横たわり』12分 8ミリ 1984
『陸路は夜の底に沈み…』19分 8ミリ 1985
『VMの漂流』9分  8ミリ 1990
『あいたい<2002年版>』11分 8ミリ 2002
『8ミリシューター論理狼』3分 8ミリ 1998

◆17:00  個人映像特選プログラム(74分) 入場料:800円(コーヒー付)
水由章『水光色』7分 16ミリ 2002
片山薫『ゆう、そう、もぐら他』3分 8ミリ 2001 
前田敏行『おしまい』3分 8ミリ 1996
辻直之『夜の掟』7分 8ミリ版 1995
小池照男『生態系-5-微動石』16分 8ミリ 1988
黒川芳朱『イコノクラスムNO.1』12分 16ミリ 1999
能登勝 『無題六』 10分 16ミリ 1986
山口卓司『BEYOND』8分 ビデオ 1992
松本俊夫『色即是空』8分 16ミリ 1975

◇場所:無農薬珈琲・自家焙煎「ろばや」2F
    東京都国分寺市本多1-6-5 JR国分寺駅北口徒歩10分
    当日のみ(tel:042-321-6190) 
◇問いあわせ:tel/fax 042-387-7035(片山)


●『インディペンデンス アモス・ギタイの
映画「ケドマ」をめぐって』の上映

このたび日本映画専門チャンネルでの放映が終わったばかりの藤原敏史監督の『イン
ディペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』を、慶応大学の表象
文化論研究会で上映します。

期日:7月9日(金)午後6時15分〜
会場:日吉校舎・来往舍シンポジウムスペース
(東急東横線・日吉駅下車)

お忙しいことと存じますが、お時間の都合がつけばぜひご来場をお待ちしています。


●「人らしく生きようパート2〜新たな出発」東京上映会

国鉄分割・民営化で不当解雇されて17年。たたかいと生活の今を追ったドキュメンタ
リー「人らしく生きようパート2」(2004年・ビデオプレス作品・100分)の東京上映
会を開催します。

・7月14日(水)午後6時開場・6時半開演
・東京ウィメンズプラザホ−ル(地下鉄「表参道」5分・03-5467-1711)
・制作者・出演者のトークあり
・参加費 1000円(電話orメール予約800円)
・主催 上映実行委員会(ビデオプレスTEL.03-3530-8588 MGG01231@nifty.ne.jp )
・作品の詳細は→ http://www.vpress.jp/ 


●『土本典昭フィルモグラフィ展』開催!
土本典昭フィルモグラフィ展の開催を記念して、7月17日(土)18日(日)の両日、国際
交流基金フォーラムにてシンポジウムを開催します。土本監督のほか、ゲストに
「S21」のリティ・パーニュ監督、「送還日記」のキム・ドンウォン監督を招聘しま
す。また土本監督の新作「水俣日記ー甦える魂を訪ねて」、「S21」「送還日記」の
3作品の上映もあります。
☆シグロ: http://www.cine.co.jp/ 



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┃06┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●読者参加型企画を、清水浩之さんが提案している。「8月15日に見たい映画」の
アンケート募集である。

8月15日からイメージする映画といえば、私は91年の山形映画祭が特集した「日米映
画戦」を挙げねばなるまい。当時の日米双方の戦争ドキュメンタリー映画を上映した
好企画として、今なお記憶に残っている。最近では、黒木和雄監督の『美しい夏キリ
シマ』を思い出してしまうし、近日公開(岩波ホール)の『父と暮せば』も思い浮か
ぶ。後者は試写会で見ることが出来たが素晴らしい作品で、黒木監督の一貫した戦争
へのこだわり(志)には心より敬意を表してしまう。

果たして、皆さんの「8月15日に見たい映画」は何であろうか。詳しくは、「広場」
欄をご覧いただき、奮って応募くださるよう、お願いします。

●今回で6回の連載となる『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』は、ぜひ眼を通し
ていただきたい制作レポートだ。波多野哲朗さんが取り組んでいるこの新作は、沖縄
からキューバに移民した一家の流転を通して、国家とはなにか、移民とは何か、歴史
とは何かを真正面から問う作品。このレポートの、毎号毎号、短期間で執筆を急がね
ばならない波多野さんの「しんどさ」を推察しながら、毎号を娯しんでいる。いよい
よ佳境に入りつつあるこの力作に、胸が高鳴るのである。

●6月26日と27日の二日間、neoneo坐では金井勝作品―『時が乱吹く』(プログラム
1)と『聖なる劇場』『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』(プログラム2)の3作
を上映した。これまでの動員記録を塗り替えた盛況ぶりで、特に2日目のプログラム2
は、場内整備しても立ち見がでるほどの超満員。『聖なる劇場』の小鳥や魚、昆虫な
どのパフォーマンスを凝視するカメラ・アイに観客は引き込まれ、『スーパードキュ
メンタリー 前衛仙術』では監督の妄想(エロス)の世界に誘われていった。笑いが
随所に出て、終幕には拍手が鳴り渡った。

トークの初日は、オーバーハウゼンの映画祭での反響や映画人としての生き方が語ら
れた。2日目には『時が乱吹く』で試みたフィルム(16ミリ)の技術的工夫の数々を
披露された。両日にわたって金井さんは「映画をよく見ること。まめに映画館に足を
運ぶこと」を強調し、60年代に大島渚の言葉に強い影響を受けたことを語った。

「全く新しい内容のものを、全く新しい方法論で作らなければ映画として認めない。
自己模倣も許さない!」(大島渚)

20代であった金井さんにとって、これはその後の映画人生を決定する言葉として刻ま
れ、事実、金井さんの一作一作は独創的な作品となって誕生していったのだった。
金井勝さんのHP「映像万華」:
 http://www.hinocatv.ne.jp/~katsu/index.html  

●「ワールドワイドNOW」≪北京発≫の馮艶さんと、「列島通信」≪沖縄発≫の真喜
屋力さんの記事は、ご本人の都合で休載します。いずれ機会をみて、登場していただ
きます。



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■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
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