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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.14 2004.6.1

2004/06/01


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      観客のかたち(4−最終回)  村山 匡一郎
 †02 自作を解剖する
      『LEFT ALONE』  井土 紀州
 †03 列島通信 ≪埼玉発≫
      埼玉映像事情と私  村上 賢司
 †04 neoneo坐通信(1)
    neoneo坐オープン!  伏屋 博雄
 †05広場
     投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(4)
         移民にとって故郷とは?  波多野 哲朗
     投稿コーナー「クチコミ200字評!」(13)提案者:清水 浩之
     投稿:『人らしく生きよう パート2』批評  正木俊行
 †06 編集後記  伏屋 博雄

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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■観客のかたち(4―最終回)
┃ ┃■村山 匡一郎
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●観客は自らの感性を磨け

現在のところ、映画を見るためには主に映画館、ないしはそれに準じたスクリーン
上映の場に赴くことが必要である。たしかにビデオやDVDなどによって、自宅のモニ
ターで映画を鑑賞するかたちも併存する。だが、今のところドキュメンタリー映画
に関しては少数派といわざるをえない状況にある。もちろん今後は「Eシネマ」など
インターネット配信を含めて、個人が製作したドキュメンタリー映画を別の個人が
簡単に入手できるようなシステムが構築されるかもしれない。その意味で「見るか
たち」が大きく変化することは予想される。

とはいえ、そうなったとしても、「観客であること」の根本条件に変化はないだろ
う。どんなに「見るかたち」が変わったとしても、見るための代価が必要であるこ
と、また「見る時間」を費やさなければならないこと、という条件に変わりはない
はずだ。この見るための代価と時間は、作り手側からいうと、きわめてシビアな条
件である。それは何よりもまず見るに値するかどうかが問われていることを意味す
るからだ。つまり、作り手側は人々を少なくとも「観客であること」に引きずり込
まなければならないということだ。ハリウッド・メジャーのように、多くの費用を
かけて、あの手この手とさまざまな宣伝を行うことが可能であるなら、人々の見る
欲望をくすぐることぐらいはできるかもしれない。だが、それができないとしたな
らば、人々にお金と時間をかけても見てみたいと思わせるだけの何かが必要となる
だろう。.

もっとも、観客というのは気まぐれで自分勝手である。どんなにその何かが面白い
ものだとしても、当人に興味がなければそれまでである。あるいは興味があっても、
感性や知性、好奇心の度合いや教養の度合いなどによって、反応は人さまざまとい
える。同じ文化圏に暮らす人々さえそうなのだから、さまざまな文化で培われた世
界の人々を観客にするためには、作り手にとって気の遠くなるような限りなく雑多
な受容性を覚悟しなければなるまい。もちろん、文化や個性などが多面的である以
上、そうした見る欲望の多様性は自然のことだといえる。人は自分の感性や知性な
どに応じて見る欲望を活性化する自由を享受できるからである。.

とはいえ、少なくともドキュメンタリー映画を見るという状況に関しては、そうし
た「自由」は一面的であるように思えてならない。たしかにドキュメンタリー映画
を見ないという自由は個人にはある。だが、それは劇映画と並んでドキュメンタ
リー映画を自由に見ることができる状況にあることを前提とする。ドキュメンタ
リー映画の場合(実験映画も同様だ)、見ないで嫌われるという不幸な状況が続い
てきた。最近は山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ一部の人々の努力によっ
て少しは事態が好転しているように見えても、少なくともわが国の場合、状況はほ
とんど変わってはいないように思う。.

問題はやはり教育にある。見ることが問題である以上、それも観客を育てるという
教育である。大学や専門学校などでは映像教育が増えてきていることはたしかだが、
そのほとんどが作り手を育てることに主眼が置かれていることも事実である。その
ために最新のパソコン制作の細かい技術などに時間が割かれてカリキュラムから映
画の理論や歴史などの授業が排除された学校もあると聞く。それが本当であれば、
ほとんど本末転倒といえる。作り手を育てたとしても、見る人がいなかったらどう
なるのだろうか。そもそも見ることを知らないのに作り手になることなどできるの
だろうか。.

映画は出会いである。若い時に土本典昭の『ドキュメント路上』(1964)や小川紳
介の『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968)、あるいはリチャード・リーコックの
『プライマリー』(1960)やジャン・ルーシュ/エドガール・モランの『ある夏の
記録』(1961)など多くの優れたドキュメンタリー映画に出会ったことが、その後
の映画体験にどんなに豊かな影響をもたらしたことか…。映画を見るということは、
教師や映画評論家など誰かに言われたことを鵜呑みすることではない。自分で出会
い、自分の感性で向き合うことが「観客であること」の大前提である。映画を見る
ことは、そこからしか培われないだろう。それも若いうちに、である。できれば小
学生や中学生の頃からドキュメンタリー映画を鑑賞させるべきだと思う。分っても
分らなくても、その体験は当人のその後の感性と知性に豊かなものをもたらすこと
はたしかである。

「観客のかたち」は多様であっていい。だが、その前提にはドキュメンタリー映画
も実験映画も劇映画も等しく映画であるという認識が必要である。もしそうなれば、
実は「ドキュメンタリー」というのは、映画のひとつのジャンルというより表現の
ひとつの方法であるということが理解されてくるかもしれない。誕生したneoneo坐
がドキュメンタリー映画との大いなる出会いの場となり、多様な「観客のかたち」
がぶつかり合って「ドキュメンタリー」の意味を問いかける場となるのを期待した
い。(完)


■村山 匡一郎(むらやま・きょういちろう)
肩書は映画評論家や映画研究者などいろいろ。neoneoはメールマガジンであるが、
実はまだパソコンを持っていない。いつもやるやると言いながら今日まできてしま
った。そんなわけで、この連載の原稿は伏屋編集長に打ち直していただいた。心か
ら感謝。今年は何とかパソコンを手に入れるつもりでいるが、…また空手形になる
かな。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『LEFT ALONE』
┃ ┃■井土 紀州
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あの素朴で直接的な8mmフィルムでしか映画を作ったことのなかった私が、デジタ
ル・カメラとコンピューターで映画(?)を作ってみようと考えたのは、スガ秀実
の提唱する六八年革命に対する関心とDJ SHADOWの作り出す音楽に対する関心とが、
私の中で交錯したことが原因だった。断っておくが、私は大してブレイク・ビーツ
と呼ばれる音楽が好きではなかったし、詳しくもない。ただ、DJ SHADOWの『ENDTRO
DUCING……』というアルバムを妻が愛聴していたので、繰り返し耳にしているうち
にその音楽の在り方に興味を抱くようになり、野田務氏によるライナーノートの次
のような文章を読んでそれは決定的になった。

DJシャドウはこのアルバムで、サンプリング・ミュージックの発展型を自ら提示し
た。それは過去に残されたトラックと過去に残された声を使って、あるいはまた象
徴的な曲名をもって、サンプリング・ミュージックがひとつの楽曲として成立する
ことを証明した。スクラッチの音は、まるで優れたギター奏者の音のように表情豊
かでさえある。『NME』誌はDJシャドウのこのアルバムを“創造的盗用”という言葉
で評した。その盗用は、もちろんストリート・キッズの手による盗用だ。アルバム
のジャケットにはおびただしい量のレコードが陳列されたレコード店の店内が広が
る。レコード店はもはや、創造的な資源のマーケットのようだ。

「創造的盗用」とは何て素敵な言葉だろう。私は音楽におけるサンプリングという
概念にも、技術に対しても全く無知だが、おそらくそれはスガ秀実のいう六八年の
思想と無関係ではないような気がした。スガは、六八年が革命的であるとすれば、
それはまず言語論的な展開において革命的だったのだという。スガが繰り返し例に
あげるのは「詩は表現ではない」と宣言した入澤康夫の詩的実践や、宮川淳の「引
用の織物」という概念、あるいは廣松渉よる疎外革命論批判などだが、それは疎外
論=表現論の批判であり、創作行為における主題の否定でもあるだろう。.

しかし、同時にスガは、その六八年的展開を推し進めていくと、結局、それ自体が
六八年の革命性の否定になってしまうというパラドックスを抱えているという。こ
のことを、私なりに考えると、疎外論=表現論の批判、主題の否定という六八年的
展開を推し進めるうちに、そこから六八年が本来持っていたはずの政治性、アジプ
ロが抜け落ちてしまい、遊戯的になってしまうということだろう。一方、DJ SHADOW
の音楽はインストゥルメンタル・ヒップホップと呼ばれるもので、本来、ヒップホ
ップには必然であったはずのラップ(=主題)というものがない。だからこそ、DJ
SHADOWの音楽は私のような人間にも、革命的に響いたのだ。しかし、同時にDJ SHAD
OWの音楽も、スガがいうような六八年的展開のパラドックスを抱えているように思
える。ともかく、私はそんなことを漠然と考えながら、デジタルによる映像製作に
取り組み始めたのだった。そこで、私が目指したことは、作り手が映画を通じて主
体的に主題を展開するのではなく、複数の他人の声を映画の中に響かせること、新
左翼についての膨大な活字資料を映像として引用し、それらを織り上げることでひ
とつの作品とすることだった。

そして、なにより、それが遊戯的な行為に終わらないように、アジプロとして存在
させることだった。だが、作り手の小ざかしい意図などどうでもよいのだ。映画が
観客を作るのと同時に、映画が作り手を作り出す。『LEFT ALONE』でインタヴュー
した津村喬は、毛沢東の「活学活用」という言葉を、勝手に読んで勝手に使え、と
いうことだと解釈していると言っていた。その通りだと思った。だから『LEFT ALON
E』も作り手の製作意図などと関係なく、勝手に見られればいいし、勝手に使われれ
ばいい。そもそも、この映画自体、私たち作り手が、他人の言葉と様々な資料を勝
手に読んで(聞いて)、勝手に使った「引用の織物」なのだから。

付記: 『LEFT ALONE』の製作過程における詳細に関しては、雑誌「重力」の第二号
( http://www.juryoku.org/ )や、近畿大学の学生有志が運営しているWEB
( http://www.eonet.ne.jp/~scarab/index.htm )で詳しく触れているので、興味
のある方はそちらを読んでみてください。


■井土 紀州(いづち・きしゅう)
1968年三重県生まれ。法政大学卒業。94年よりピンク映画のシナリオを書き始める。
主な脚本作品に『雷魚』(97)、『HYSTERIC』(00)、『MOON CHILD』(03)。監
督作品に『百年の絶唱』(98)がある。



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┃03┃□列島通信 ≪埼玉発≫
┃ ┃■埼玉映像事情と私
┃ ┃■村上 賢司
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●終わる劇場

午前3時を過ぎても離れる人は無く、皆ぼんやりと閉館してしまった劇場を見つめる
だけだった。

2004年5月7日(金)の午後9時15分からの『追悼のざわめき』(1988)の上映が中野
武蔵野ホールでのラストショーであったが、予想以上の観客が駆け付け、午前0時か
らの上映が追加された。監督の松井良彦さんは舞台挨拶で劇場への感謝を言葉少な
に語った。そして観客席にいた私はさまざまの憶いが巡ってきて、視界がジンワリ
と滲んできてしまった。

私が始めて中野武蔵野ホールに訪れたのは高校3年生の時。観た映画は奇しくも『追
悼のざわめき』だった。インモラルな表現の連打にノックアウトされた私は帰宅の
車中、流れる夜景を眺めながら、いつかあの劇場で自分の作品を上映したいと思っ
ていた。

当時、群馬県高崎市に住んでいた私は、東京でのインディーズ映画の盛り上がりに
憧れていた。『追悼〜』を観た前年に『ゆきゆきて神軍』(監督・原一男)と『ロ
ビンソンの庭』(監督・山本政志)を渋谷と新宿の映画館をはしごして観たのが決
定的だった。何かを表現したいといつも渇望していた私にとって、この2本は刺激的
で、かつ共感できた。そして、それまで遊び半分で撮影していた8ミリフィルムカメ
ラのグリップを力強く握っていた。それまで遠い存在だった“映画”がすぐにでも
手が届く場所にあると誤解したのだ。田舎の高校生がエレキギターを握りしめ、都
会のロックバンドを憧れるようなものだった。

そんな私にとって中野武蔵野ホールはワクワクできる、お気に入りのライブハウス
みたいな存在となった。賑やかなアーケードの、なんだかひんやりした横道にある
という独特なローケンションも気に入った。高崎にいた頃はぴあの映画欄で上映し
ている作品を必ずチェックしていた。1990年、上京して一番最初に行った映画館も
中野武蔵野ホールで、『自転車吐息』(監督・園子温)を観た。そして同じ劇場で
私は一生一本の傑作と出会う。『時が乱吹く』(1991)(監督・金井勝)である。

公開された年、イメージフォーラム付属映像研究所に通うことを決めていた私は専
任講師に名前のあった金井さんの新作を何気なく観に行った。そして一気に圧倒さ
れてしまった。創造性に富んだ展開と縦横無尽に動くカメラワーク。撮影場所がほ
とんど監督の自宅という大胆さにも驚かされた。こんな映画は初めてだった。この
驚きは研究所に入り金井さんの旧作を観る時も、そしてご本人と交流する時も、そ
して今、デジタルビデオで作られた新作と対峙する時も持続している。劇場を出た
時、振り返ると、先程まで『時が乱吹く』が上映されていた中野武蔵野ホールが誇
らし気に輝いて見えたとことを今でも憶えている。

『追悼のざわめき』や『時が乱吹く』の他にも刺激的な作品を中野武蔵野ホールで
観た。思い出すままに挙げてみると『鉄男/TETSUO』(監督・塚本晋也)、『TVO』
(監督・太田達也)、『ピノキオ√964』(監督・福井ショウジン)、『裸足のピク
ニック』(監督・矢口史靖)、『桂子ですけど』(監督・園子温)、『きらい・じ
ゃないよ2』(監督・内田栄一)、『金日成のパレード』(監督・アンジェイ・フェ
デック) などなど。特集上映としては河瀬直美、歌川恵子、長屋美保作品などを上
映した「みんな女の子監督」、異常に盛り上がった「ドリフターズ映画特集」と
「千葉真一映画特集」、ピンク映画勝ち抜き上映会の「P1グランプリ」、『闇の
カーニバル』(監督・山本政志)や『爆裂都市 Burst City』(監督・石井聰
亙)などが上映された「インディーズの伝説」が記憶に残っている。またレイトシ
ョーが終わった後の深夜に始まる「レイトレイトショー」という持ち込みOKの無
料上映会もあった。新人監督の登竜門的な雰囲気となっていて、何度か足を運んだ。

そして1999年11月、自作の個人映画『夏に生れる』が中野武蔵野ホールでレイトシ
ョー公開された。同年のゆうばり国際ファンタステック映画祭のオフシアター部門
でグランプリを受賞したことが切っ掛けだった。一週間の上映だったが高校生の頃
の夢がやっと叶えられ感無量だった。上映の条件も、劇場のレンタル料は無く、売
り上げからチラシ代や人件費などを差し引いたものを折半するというものだった。
私自身の金銭的負担は皆無になるわけで、そんな劇場側のインディーズ作品を応援
しようという姿勢がうれしかった。余談ではあるが最終日の深夜、打ち上げ会場に
ひょっこり現れたのが松江哲明くんだった。その日が初対面だった彼は翌日から上
映される『DEAD OR ALIV 犯罪者』(監督・三池崇史 )での哀川翔と竹内力の舞台
挨拶のために零下の劇場前で並んでいたのだ。さすがにそんな気合いの入った観客
は彼一人だったらしく、寂しくなって顔を出したらしい。そんな、松江くんのよう
な熱狂的な映画ファンが集う“場”が中野武蔵野ホールだったのだ。.

その後も『花を摘む少女と虫を殺す少女』(監督・矢崎仁司)、『うつしみ』(監
督・園子温)、 『犬猫』(監督・井口奈己)、『山田広野〜その華麗なる世界〜』
(監督・山田広野)のような魅力的な新作が上映されたが、その数は徐々に減って
いった。中野より都心にあり、交通の便は良い、テアトル新宿、シアター・イメー
ジフォーラム、ユーロスペースなどが今まで中野武蔵野ホールで上映していたよう
な低予算のインディーズ作品をより多く扱うようになったからだ。これはビデオプ
ロジェクターの性能が上がり、予算の少ないビデオ作品でもクオリティーの高い上
映が可能になったことが、大きな理由だろう。カルト邦画専門の名画座だった大井
武蔵野館、仁侠映画専門の新宿昭和館が閉館したこともあり、それらで上映されて
いた邦画旧作の上映プログラムが中野武蔵野ホールのメインになってきた。固定フ
ァンはついたが、これまで来ていた若者たちの劇場離れは止められなかった。今頃、
反省してもしかたないが、私自身も2年前埼玉県川口市に越してから、ほとんど中野
には行かなくなってしまった…。

そして、中野武蔵野ホールは閉館した。ひとつの劇場が無くなることは、人々によ
って育てられたひとつの文化が消滅することと同じだと思う。もう後戻りはできな
いが、せめて中野武蔵野ホールを経験した人々が、別の場所で、中野で得たそれぞ
れの感動を'カタチ'にして欲しいと思う。私はそうするつもりだ!

●始まる劇場

どうしても後ろ向きになる話題だけでは寂しいので明るい話をひとつ。終わる劇場
があれば、始まる劇場もある。それが私の生まれ故郷の群馬県高崎市のことだから、
すごく嬉しかった!

今年で18回になる高崎映画祭の事務局を中心にして今、ミニシアターを設立しよう
としている。開館予定は今年の秋で、現在、賛助会員募集中。個人賛助会費は1口一
万円で新設されるミニシアターでの4回分の無料招待券が進呈され、10口会費を支払
えば40回分の無料招待券の他に、館内に特製プレートで名前が提示できる。設立コ
ンセプトに「アート、文芸、ドキュメンタリー、インディーズ、過去に上映された
名画等、様々なジャンルの映画を上映」とあり、このメルマガを購読している映画
関係者の皆さんは他人事ではないはず。ぜひぜひ協力して欲しい。私も微力ながら、
いろいろ応援しようと思っている。

設立予定地は高崎駅から歩いて5分ほどの、今は空家になった銀行で、その特異な造
りを活かして2つのスクリーンのある劇場を作ろうととしている。郊外の大型店進出
によって客足が減少している市街地の活性化につながればと市民も期待しているよ
うだ。

設立コンセプトにはもうひとつ「群馬で生まれた映画の上映」とある。現在、群馬
県、特に高崎での映画作品の撮影は、東京から日帰りできるという地の利もあり、
非常に多くなっている。最近でも『KAMACHI・かまち』、『半落ち』、『油断大敵』、
『アイデン&ティティ』、『花とアリス』、『死に花』、『あゝ!一軒家プロレ
ス』、『珈琲時光』などがそうだ。しかしこれまでは、多くの市民がエキストラな
どで協力しながら、高崎の映画館では公開されなかった作品が多くあった。これで
はせっかくの協力が消化不良のままで終わってしまう。現場を体験した人が、大き
なスクリーンで協力した作品を観ることで、映画そのものに親近感が湧き、より熱
心な映画ファンになるかもしれない。そしていつか、新しい劇場で育った新人監督
が出現することも期待できるのだ。

ちなみにこの劇場設立の情報は高崎に住む母親が地方紙の切り抜きを郵送してくれ
たことで知った。そんな親心も嬉しかったな〜。

高崎映画祭: http://www.wind.ne.jp/tff/ 


■村上 賢司(むらかみ・けんじ)
今回は川口の情報はナシ。でも勝手に列島通信・関東代表だと思っているので許し
てね。4月からブログに挑戦している( http://d.hatena.ne.jp/MURAKEN/ )。サイ
ト名は自作『川口で生きろよ!』の英題。いきなり怒濤の日々となったが、息切れ
しながら更新中。現在、某民放の深夜ドラマの企画に参加中。昨年、完成した刑事
まつり作品『集団自殺刑事』が宮崎映画祭(http://www.bunkahonpo.or.jp/mff/ )
で上映予定。



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┃04┃□neoneo坐通信(1)
┃ ┃■neoneo坐オープン!
┃ ┃■伏屋 博雄
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ついにneoneo坐の柿落としが始まった。5月15日と16日の土日の二日間、私が企画し
たプログラムを上映した。まずは「入り」の報告から。『土本典昭 ニューヨーク
の旅』(監督:藤原敏史)は、旗揚げの初回にしては少々寂しい人数だったが、翌
日はまずまずといった状態に回復。幸いにも、『インディペンデンス』(監督:藤
原敏史)と『小川プロ訪問記』(監督:大重純一郎)は満席となり、開設の準備に
時間を取られ宣伝に専念できなかった杞憂があっただけに、ほっと胸をなでおろす。

さてneoneo坐では基本的に、上映後は監督によるトークと質疑応答を行うことにし
ている。『土本典昭 ニューヨークの旅』と『インディペンデンス アモス・ギタ
イの映画「ケドマ」を巡って』では、藤原敏史さんが始めての公開のためか、やや
緊張した面持ちで登場。しかしそれもつかの間、持ち前の饒舌振りを発揮。前者で
は、ロバート・フラハティセミナーでの高い土本評価(特に『ドキュメント路
上』)が詳細に語られた。また後者で特に興味深かったのは、アモス・ギタイ監督
に誘われてそのロケ現場を撮影した作品の狙いが、編集段階でより深まっていった
そうだ。…つまり、フランスからの帰国子女という自分の、ともすればデラシネ的
なるが故の希薄な国家観が、多民族で構成されるイスラエルの人々との国家観に近
似性を感じていったと語ったことだった。.

『小川プロ訪問記』は大島渚が『古屋敷』を撮影中の小川プロを訪ねる作品で、上
映後のトークでは、小川紳介に多大な影響を与えた彼の祖父(市井の博物学者)の
話を私がした後、特別ゲストの土本典昭監督にバトンを渡した。
土本さんは、小川紳介について「大監督とは思わないが、世界に一人としていない
作家だった。岩波映画でも、青の会でも、そして小川プロでも映研(映画研究会)
を通した」とか、「小川さんの話術は天下一品!聞き惚れてついお金を出したくな
ってしまう。出したこともあります」など、小川の映画スタイルや、いつも相手を
引きずり込んだ話術の妙を語り観客を笑わせた後、『ニッポン国 古屋敷村』論を
40分にわたって展開。『古屋敷』を撮影中の小川から聞いた話として、「何故、い
つもあれだけ痛めつけられている農村が、今なお自民党の票田になっているかを語
ってくれてものすごく面白かった。もしこのシーンが撮れて『古屋敷』に入ってい
たならば、大変な傑作になっただろうと思います。天皇制の根幹を突く話だっただ
けに、ラッパ手のシーンはノスタルジーに傾斜してしまっている」と当時小川が構
想していたシーンが作品に描かれていなかった落胆ぶりを披露。終始小川への友情
に満ち溢れながらも、初めて聞く土本さんの『古屋敷』批判に、プロデューサーだ
った私は思わず「うーん」と考え込んでしまった。土本さんによれば、いずれ小川
紳介については全面展開したいとのこと。ならば、その機会をつくらねばなるまい
と思ったのだった。.

その後会場は一転して交流会となった。緊迫の空気が一変し、土本さんのトークを
話題にする者、談笑する者、情報交換する者、いくつもの輪ができていった。ここ
では、見ず知らずの者同士も打ち解けて話に興ずることができるのである。ビール
で乾いた喉を潤しながら数種類のつまみをシェアする。安いのもありがたい。

続く5月23日(日)は、清水浩之さんが企画した「ゆふ in Tokyo」だった。かって
「ゆふいん記録・文化映画祭」で上映された3作品『『由布院源流太鼓』( 監督:
呉美保)、『手筒』(監督:園八雲)、『ムカシが来た ―横浜市長屋門公園古民家
復元の記録―』(監督:松川八洲雄)と、湯布院での初公開に先立って『プロジェ
クトY ―ゆふいん after X―』(監督:楢本皓)が先行上映された。作品では『手
筒』が気に入った。愛知県豊川市で行われる「手筒花火」の勇壮さに圧倒され、映
像美に眼を見張った。また、『プロジェクトY』はまだ編集(清水浩之)が追い込み
段階で未完だったが、今年1月に行われた町議会議員選挙を中心にした作品で、湯布
院が町村合併や自衛隊駐屯地での米軍演習によって町を二分する大問題に直面して
いることを知った。この日も多士済済の方が訪れ、交流会の夜は賑やかに更けてい
った。

さてここで、今後のスケジュールと6月の上映をお知らせします。

6月5日(土)19時〜「企画会議」neoneo坐(スペースneo)で行います。「見せたい
映画」「見たい映画」の企画を皆さんから募集しますので、ご来場ください。(場
所の地図は下記のサイトをご覧下さい。)

6月上映:金井勝のスーパードキュメンタリー!
6/26(土)
(1)プロ15:00-
『歌・句・詩シネマ『時が乱吹く』(1991年、16ミリ、1時間4分)
短歌篇『夢走る』、俳句篇『一本勝負の螽斯』、詩篇『ジョーの詩が聴える』に幕
間2景を挟んで完成させた、映像詩人・城之内元晴への追悼作品。しかしただの追悼
映画ではござんせんよ !

(2)プロ16:30-
『聖なる劇場』(1998年、VTR、34分)
舞台づくりと、小鳥や魚、昆虫など、脇役たちのパフォーマンスの瞬間を撮るのに
6年の歳月を費やした作品―その脇役たちを従え、黄泉の国の住人たちが競演を繰り
広げる。

『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』(2003年、VTR、33分)
オーバーハウゼン国際短篇映画祭・国際批評家連盟賞受賞(2004年)。映像作家・
金井勝が自分の中に棲む〈別人〉勝丸をドキュメント。前衛仙術なるものを編出し
た勝丸は次々と奇跡を起こすが、それは決して絵空事ではないミラクル――他に類
例のない怪作にして快作!
17:40- 金井勝監督のトーク(終了後、交流会)

6/27(日)
(1)プロ 15:00-
『歌・句・詩シネマ『時が乱吹く』(1991年、16ミリ、1時間4分) 
16:10- 金井勝監督トーク

(2)プロ17:00-
『聖なる劇場』(1998年、VTR、34分)
『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』(2003年、VTR、33分)
  (終了後、交流会)

料金●1プログラム:当日1500円/会員1000円(入会金:2000円、1年間有効。
当日加入できます。)
交流会(誰でも参加できます):最初700円(ドリンク+つまみ)、その後、各300


☆neoneo 坐サイト:
 http://www014.upp.so-net.ne.jp/kato_takanobu/neoneoza/index.html 



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┃05┃□広場
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□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(4)
■移民にとって故郷とは?
■波多野 哲朗

●撮影につまずく

2000年3月、キューバ本島から行き当たりばったりでイスラ(島)に渡り、日系人家
庭の厄介になったおかげで、私たちとかれらの関係はきわめて親密なものになって
いった。もし、もう少しまともな計画を立て、島のホテルにでも滞在していたら、
とうていこのような関係は築けなかっただろうし、ましてや4年後に再び訪れること
もなかっただろう。

私が世話になった上間清・照子夫婦の間には、いずれも30歳を超え、独立した家計
を営む3人の子がいた。長男洋(ひろし)、長女あけみ、次男寛清(くわんせい)の
3人、かれらは日系3世である。長男洋に島で会えたのは偶然で、彼は九州の大学院
に留学していたが、たまたま休暇で帰国していた。唯一日本語を上手に話す。あけ
みはイグナッシオというキューバ人と結婚して、その間には腕白な少年ダニエルと
よちよち歩きのアネットという可愛い女の子がいる。日系4世である。清・照子夫婦
は毎日勤めに出る両親に代わって、この孫たちを可愛がり、よく面倒をみていた。
次男寛清もまたキューバ人女性と結婚していて、かれらの間にもはるみという3歳に
なる女の子がいた。そして土曜の夜には、これら2世、3世、4世からなる一族が上間
夫妻の家に集ってささやかなパーティを開く。

日に幾度もの停電や断水を繰り返す環境のなかで、裕福と呼ぶにはほど遠い配給品
中心の質素な生活を送るかれらではあるが、しかしさまざまな創意工夫によって切
り抜け、ささやかな団欒の時間をたのしむ一族の姿を目の当たりにして、私はえも
いわれぬ感動を覚えた。このとき私の眼には、日系移民の末裔であるこの色とりど
りの上間一族が、20世紀のはじめに沖縄からキューバへと渡って錦衣行の夢を果た
せぬままに逝った1世上間利清(りせい)の、キューバに残した宝のように見えたの
だった。

私がキューバから東京に戻って2ヶ月ほど経ってから、私は上間清・照子夫妻が、イ
スラの墓地に埋められている上間利清の遺骨を持って日本にやってくるという話を
耳にした。上間利清の故郷は沖縄本部半島の先にある瀬底島(せそこじま)で、そ
こには上間家代々の墓がある。その墓に父の遺骨を納骨するためにやってくるのだ
という。そこで私はその模様を撮影すべく、先乗りのスタッフを送り、みずからも
沖縄へと飛んだ。しかし私が沖縄に着いたとき、納骨の撮影が断わられたことを知
った。それには以下のような訳がある。.

瀬底島の上間本家は、長男の上間利清がキューバに渡ったあと、次男の上間利昌
(りしょう)が守ってきたが、その利昌が亡くなった後は、利昌の長男上間利夫が
継いでいた。もともと上間家は瀬底島の旧家で、利清の父上間松助は瀬底島最初の
長であった。しかしこの旧家にとって、家を継ぐべき長男利清がキューバに渡り、
ついに帰郷しなかったことは、島に残された上間一族にとっては大問題だったので
ある。私たちのスタッフはこう言われた。「島じゅうの家々から借金をして外国へ
出稼ぎに行き、そのまま戻らなかったのは上間家代々の恥」「そのために残された
者がどんなに辛い思いをしたことか」「だからそんな人間の納骨式を映画にするな
ど絶対に許さない」と。かくて私たちは瀬底島での撮影を断念せざるを得なかった
のだった。上間利清の「帰郷」をカメラに収めようと息せき切って沖縄へと飛んだ
私たちにとって、これはまったく落胆すべき出来事であった。仕方なく瀬底島の風
景などを撮ってはみたものの、なんとも収まりがつかない。.

しかし、そうこうするうちに、この事件が自分の中で少しずつ興味ある出来事へと
転じはじめていることに気づいた。それは、このささいな事件を通して、移民とい
う存在が見事に照らし出されているように思われてきたからである。移民にとって、
故郷とは追慕すべき土地ではあっても、帰還すべき土地ではないということなのだ。
故郷に錦を飾った一握りの移民を除いて、移民とはそのほとんどがすでに故郷喪失
者なのだ。

瀬底島はいまなおサンゴ礁に囲まれた美しい島だ。現在は本部半島と立派な橋で繋
がれているが、15年ほど前まで人びとは舟で往来していた。かつての貧しかった沖
縄の中でもひときわ貧しかった本部半島。その突端の離島の姿が、なぜかキューバ
の離島フヴェントウ島の姿を想起させる。むかし、この島の東北端の小高い丘の上
で、本部の人たちは島をかすめて那覇港から神戸港へと向かう移民を乗せた船を見
送るために、火を焚き、歌をうたった。一方船上の人たちは、今生の別れとなるか
も知れぬ家族の姿と故郷の山並をここで見納めたのである。


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
映画研究家。研究でも実生活でも「crossing borders」が目標ないしテーマ。研究
ではこのところ20世紀芸術と映画との関係性(または無関係性)がテーマとなって
いる。実生活ではもっぱら世界の辺境域を旅し、6年前にはオートバイでユーラシア
大陸を横断。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第13回
提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭)

「オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。
映画・ビデオ・テレビなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんで
もOK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指
摘したり…もちろん「オススメしない映画とその理由!」も歓迎です。

200字以内の本文とは別に「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡先
(メールアドレスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して清水まで
お送りください。(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけると有難いです)
清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

A-019 『オタカラ〜そのあくなき挑戦〜』
2004年・NHK/演出:?
NHKドラマ「もっと恋セヨ乙女」公式HP
「株式会社オタカラ・プロモーションビデオ」より
 http://www.nhk.or.jp/23renzoku/ 

ドラマの中に存在する、おつまみメーカー「オタカラ」の「会社案内ビデオ」です。
本放送では一部しか見ることができない6分28秒の超大作をHPで公開中!
これが「企業案内ビデオ」として完璧、しかも企業は架空。NHKドキュメンタリーを
もパロっており、「おいおい、このスタッフたち大丈夫なの?」と見ている方がハ
ラハラしてしまう程の出来映え。こんな「会社案内ビデオ」を密に作ってしまうス
タッフの意気込みとしたたかさに感心しきり。(西川陽子/大分/37歳)

B-044 『酔中日記』
2004年/監督:かわなかのぶひろ
「イメージフォーラム・フェスティバル2004」招待作品

お手軽ハンディカムで友人知人を撮って撮って撮りまくる、祭りや火事や喧嘩に出
喰わすとついつい撮ってしまう、そんな脈略のない身辺雑記映像も、テンポの良い
編集で千切りにされると一つの脈略を生む。これすなわち記録映画ならぬ『記憶映
画』。既にあの世へ旅立たれた人も作品の中では「いつも通り」元気な姿を見せて
くれる、そんなビデオならではのライヴ感がちょっぴり切なくも楽しいのです。そ
れにしても編集お疲れさまです!(清水浩之/東京/36歳/編集やつれ)

B-045 『刺青』
2004年/監督:山崎英樹 撮影監督:長田勇市
ビデオ・DVD発売元:GPミュージアム  http://www.gp-museum.com 

『闘犬の世界』『日本の防衛』『全日本アートトラック大爆走』…男気溢れる独自
路線を貫く「ドキュメンタリー界のラジオ日本」GPミュージアムからの1本。要す
るに和彫りの実録ですが、いざ刺青が出来てしまうと、あとはモデルのお姉さんの
イメージショットが続くので、40分のうち半分はとてもよく眠れました。最新作は
『実録・プロジェクト893XX 沖縄抗争篇』だそうで、こちらも全然期待しません
が楽しみです。(清水浩之/東京/36歳/ビデオ屋の棚で見かけるたびに応援して
ます)

さっき『プロジェクトY』の編集が終わりました…でもまだまだ納得しかねるので明
後日(29日)の湯布院上映まで手直し手直し。というわけで今回は3本にて失礼して
「湯布院映画祭の良心」こと西川さんにお会いしてまいります。ではまた!


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●『人らしく生きよう パート2』批評  正木 俊行

『人らしく生きよう パート2』が完成し、試写を見た。私なりの感想を述べておき
たいと思う。

1987年の国鉄分割民営化に端を発した不当解雇とその後の国労闘争団の15年間に渉
る闘いを粘り強く描いた『人らしく生きようー国労冬物語』の劇場公開版完成が
2001年。今回の『パート2』は、その後の闘争団の闘いを描いたものだ。といっても、
必ずしも単純な「続編」と言い切るわけにはいかない。時系列としては確かに続編
に違いないが、描かれているのは前作とパート2ではやや異なっている。

パート1が闘争団のオモテの動きを劇的に捉えたとすれば、パート2はむしろその闘
争を支える、家族、生活、仕事といった日常に視線を注ぎ、ウラの姿を衒いなく見
せた作品だ。あるいは前作を「動」の映像と言うならば、今回の作品は「静」と言
えるかもしれない。いずれにしても、パート2ができ上がったことによって、2作が
相補って闘争の全体像を語るトータルな作品になったということができる。
監督のビデオプレス、松原明は、「前作が評判を呼んだだけに、続編の出来は非常
に心配だった」と語る。だが試写を見た数人に聞いてみたところ、「前作に劣らな
い」「むしろ今度の方がよかった」という声も聞こえて来た。

映画は前半、ノーアボでの村山元首相のインタビューで観客を引きつける。もっと
も、突っ込みの弱さで、他人事のようなリタイア首相の姿が一つのエピソードにと
どまっているのは残念だが。

作品の主要な部分で、北海道北見闘争団から空白地域をオルグするために四国に渡
った中野勇人、同じく東京多摩地区でオルグを続ける西川信雄の日常生活をカメラ
は追う。国労からの援助金を断たれ、生活をかろうじて支えているアルバイトも一
方的な賃下げを宣告されるなど財政的な困窮の中で、それでも闘いの展望を切り開
くためにはオルグを止めるわけに行かず、「勝ち切るしかないでしょう」(中野)
というきわめて厳しい状況。.

にもかかわらず、淡々と、あるいは生き生きとオルグ活動を行なっている中野の姿
をカメラは捉えている。西川もまた、開けない展望に苦虫をかみつぶしながらも、
時にはカラオケに遊ぶ(このシーンは監督自ら「浮いている」と自作批判。たしか
に浮いてはいるのだが…)。

パート1に登場した山田則雄も、相変わらずのJRの差別職場で働きながら、国労内部
での地道な活動を続けている。仲間であったはずの国労からビラ配りを拒否されて
街宣のマイクを握るその時の言葉は、労働組合とは、運動とは、連帯とはなんだっ
たのかを考えさせずにはおかない。

4党合意、最高裁敗訴、国労本部の裏切りと生活の困窮等々、闘争団の周りに明るい
材料は見られない。必然的にその様子を追いかける映画自体も重苦しくつらい映像
にならざるを得ない。何かもっと明るい話題はないのか、心の和むような映像はな
いのか、と観客は出口を求める心理になる。制作者にとっても、それは同様であっ
たに違いない。松原、佐々木両監督は、その答えを「家族」に見いだした。
北見に帰った中野とその家族の姿を、カメラは密着して映し出す。闘争の初期には
まだ赤ん坊であった長男はすでに高校生になっている。久しぶりの、ややぎこちな
い家族の会話は微笑ましくも心温まる映像になっている。観客もまた、このシーン
でひととき現実の厳しさを忘れ、しばし癒されるのだ。

それだけに−−あえて言うとすれば−−、つらく厳しい現実を描いたシーンを中和
し、補償するものとして、つまり作品全体のバランスを整えるカウンターウエイト
として、この家族のシーンを多用し依存し過ぎたきらいがあるのではないかと私は
思う(先の西川のカラオケシーンにしても、同様な役割を背負わされてしまったと
言えるのではないか)。.

バランス感覚は制作者としてある意味当然の本能的配慮であったにせよ、意識的に
描かなければならなかったところに、闘争自体の行き詰まりや苦しさという現実が
透けて見える。

もっともこの中野家の団らんの情景は、親のスボーツ能力だけは尊敬すると言う次
男が、やはり腕相撲で父親に勝てないといったシーンによって、ラストの中野のサ
ロマ湖100キロマラソンへの挑戦という話題にさりげなくつなげる、実にうまい伏線
になっている。

パート2で、前作とは異なる特筆すべき部分を挙げるとすれば、それは「子どもた
ち」だろう。親が何をやっているのかわからなかった子どもたちも、進学や就職を
考える歳になって、「闘争」の意味を理解し始める。はにかみながらも、彼らが澄
んだ目ではっきりと自分の意志を語るシーンは心を打つ。親たちが「スジを通して
きた」生き方を、子どもたちはきちんと理解している。闘争団そのものを物理的に
引き継ぐことはないにしても、少なくともその意思は確実に次の世代に引き継がれ
るであろうと予感させる、感動的な場面だ。

映画のラストは、サロマ湖100キロマラソンに挑戦するためランニングをする中野の
姿を、恐らくカメラを抱え伴走しながら追いかけたであろうシーンだ。

 朝陽が昇るとき目を伏せてはいけない
 闇の中に君の孤独だけがあるのではない
 この国の病は治らないかもしれない
 だけど私たちが死ぬわけにはいかない

松原が「ぴったりの歌だ」という趙博の『光のエチュード』をバックに、中野はひ
たすら走る。

考えてみれば、マラソンへの挑戦は労働運動とは何の関係もない、個人的な目標に
過ぎない。それを監督は、あえて闘争そのものが目指す明るい未来の象徴のように
観客に提示した。これは実は、ドキュメンタリー制作上の巧妙なトリックである。

しかしこのトリックを単にテクニックと見るのは浅慮に過ぎよう。家族の描写につ
いて述べたと同様な、作品上のバランス感覚が結果的に生み出したものではないか。
それはつまり、闘争の苦しさであり、開けない展望そのものだ。作品自体が、いわ
ばこのラストシーンを望んだのである。.

映画の中には確かに暗く重いエピソードが多い。しかし気を滅入らせるだけの映画
ではまったくない。試写会のアンケートに、「頑張れ」と同時に「自ら励まされ
る」という声が多かったというのもうなずける。人らしく生きることの正しさ、素
晴らしさを感じさせる、これは希望の映画なのである。

☆『人らしく生きよう パート2』(ビデオプレス作品・2004年・100分)
上映スケジュール: http://homepage3.nifty.com/videopress/part2jouei.html 


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映

●『熊笹の遺言』(監督:今田哲史)の再上映(東京・大阪)

東京・渋谷:「ユーロスペース」にて5月29日から大体6月一杯まで。
10時40分からのモーニングショー、1日1回上映
上映期間はお客さんの入りがよかったらのびる可能性もあります。
お問い合わせは、03-3461-0211(「ユーロスペース」)まで。

大阪・九条:シネ・ヌーヴォ
6月19日〜7月2日 午前10時50分からモーニングショー
7月3日〜7月16日 午後8時40分からレイトショー
お問い合わせは、06-6582-1416(シネ・ヌーヴォ)まで。


●路上発 希望のドキュメンタリー映画『あしがらさん』(東京)
未曾有の大盛況につき 期間限定 追加レイトショー!!
6/5(土)〜11(金)PM8:15より1回上映

だれもが一度は見かけたことのある路上で生活しているひとたち。でも、立ち止ま
って気にかけたことはないでしょう。この映画はそんな"あしがらさん"をひとりの
若者が見つめ続けて生まれた物語です。20年以上も路上で暮らした男性が、監督と
の間に生まれた信頼を通じ人とのつながりを取り戻してゆくさまは、まるで奇跡!

連日、上映終了後には監督舞台挨拶もしくはゲストとのトーク開催
6/5(土)ゲスト:森達也(「A」監督)
6/6(日)監督による舞台挨拶
6/7(月)監督による舞台挨拶
6/8(火)監督による舞台挨拶
6/9(水)ゲスト:土屋豊(「新しい神様」監督)
6/10(木)監督による舞台挨拶
6/11(金)ゲスト:後藤浩二/中村幸恵 (いずれも出演者)

『あしがらさん』(2002年制作/ビデオ/73分)監督・撮影・編集・制作:飯田基
晴 音楽:梅津和時 他、配給:「あしがらさん」上映ネットワーク
URL: http://www5f.biglobe.ne.jp/~ashigara/ 

当日料金:一般\1,500/18歳以下・シニア\1,000/小学生以下\700/親子(小学生)ペア
\2,000 ※「あしがらさん」モーニング上映時の前売り券でもご入場になれます。
ポレポレ東中野03-3371-0088  http://www.mmjp.or.jp/pole2/ 
JR東中野駅西口北側出口または地下鉄大江戸線A1出口より徒歩1分


●魂のシネアストーー高林陽一の宇宙(東京)

いまこそ、発見せよ!!自主映画と商業映画を往還しつつ、京都を舞台に暗闇の情
念を見つめ続けた孤高の映画作家・高林陽一。16年ぶりの最新作『愛なくして』と
ともに、鉄道映画の神髄『すばらしい蒸気機関車』のニュープリント復活版、『本
陣殺人事件』『金閣寺』などのATG作品を筆頭に、高林陽一の映画放浪の旅を一挙上
映!!

◎上映日程:6月12日(土)→6月18日(金) 特別先行レイトショー
      6月19日(土)→7月2日(金)  ロードショー

◎上映劇場:ポレポレ東中野  http://www.mmjp.or.jp/pole2/ 
◎上映作品およびタイムテーブルの詳細は、 http://www.cinematrix.jp 

◎トーク(1):6/12(土)20:15の回上映前 大林宣彦(映画作家)&高林陽一監督
◎トーク(2):6/26(土)16:35の回上映前 松本俊夫(映画監督)&高林陽一監督
◎舞台挨拶:6/19(土)12:40、14:20の回上映前 高林陽一監督、遠藤久仁子ほか
(予定)

◎料金:前売:前売1回券1300円、前売3回券3700円/当日:一般1500円、学生1300
円、高・中・小・シニア1000円、当日3回券4000円
◆前売券は劇場窓口、チケットぴあにて発売中!(Pコード:473-093)

配給:シネマトリックス+シネヌーヴォ  http://www.cinematrix.jp 


●原一男「CINEMA塾」 セレクション(京都)

上映作品:『かけがえの前進』(2002/DV/43分) 
録音:垣本典一、撮影:齋藤恵美子、企画・製作:酒井美穂子、企画・演出:長岡
野亜、編集:羽原裕輔

作品紹介へのリンク(CINEMA塾):
 http://www.cinema-juku.com/kakegaeframeset_104.htm 

2002年渋谷。拡声器を片手に爆竹を鳴らし、過激に訴える男。江端一起(40)、精神
病者。彼は「医観察法案」反対を訴えるが、それは自身の痛切な経験が裏打ちされ
ていた。彼はカメラの前で自らの生い立ち−青年期の発病、家族への暴力、そして
患者会との出会い−を語ってゆく。

上映日時:6月19日(土)13:00, 15:00, 17:00 各回、作品上映の後、トークあり
「精神病者 想いとセーカツ」出演:江端一起さん(「かけがえの前進」主人公)
ほか

料金:一般 1000円、ドフィル会員 800円
会場:洛陽教会 地階ホール(京都市・寺町丸太町上ル) TEL: 075-231-1276

☆主催:『かけがえの前進』を観る会・京都(前進友の会、たまりば・らくよう、CIN
EMA塾、ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー)
☆問い合わせ TEL:075-591-7926 (昼間/前進友の会・やすらぎの里)
TEL:075-344-2371(夜間/又川)、E-mail: dofil87@infoseek.jp 
URI: http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/ 

ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー:
 http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/   E-mail: dofil87@infoseek.jp 


●海南友子(かな・ともこ)監督第二作上映会(京都)

上映作品:『にがい涙の大地から』(2004/カラー/ビデオ)撮影・編集・監督:海
南友子

作品紹介へのリンク: http://kanatomoko.jp.todoke.net/ 

劉敏(リュウ・ミン 27歳)の父親は1995年に旧日本軍の砲弾で命を落とした。工事現
場で突然爆発した砲弾は父親の両手を吹き飛ばし、全身にやけどを負わせた。18日
間苦しんで父は死んだ。後には、莫大な医療費が借金になって残った。高校生だっ
たリュウ・ミンと中学生だった弟は学校を退学して借金を返すために働き続けてい
る。
李臣(リ・チェン 59歳)は1973年に川の浚渫(しゅんせつ)工事中に旧日本軍の毒ガス
弾の事故にあった。全身が水脹れになり、両手はブドウのように腫れ上がった。生
死の境をさまよったあげく、深刻な毒ガスの後遺症が残った。内臓、神経全てを蝕
む毒ガス。30年たったいまも後遺症が消えることはない。事故当時20歳だった妻は
夫の代わりに建設現場で働いて一家を養ってきた。
戦争が終わって60年。中国の大地には、今も、日本が捨ててきた毒ガス兵器(大量破
壊兵器)や砲弾が人知れず眠っています。かつての戦争の置き土産で、平和な時代に、
傷つき命を落とす人々。彼らの声に耳を傾けてください。

上映日時:6月20日(日) 16:30〜映画上映, 18:00〜海南監督のトーク
料金:大人 1000円、学生 500円
会場:京都YWCA(京都市・上京区室町出水上ル近衛町44)
TEL:075-431-0351、FAX:075-431-0352

主催:「にがい涙の大地から」京都上映委員会、後援: 京都YWCA
協力: ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー
お問い合わせ TEL:075-702-5135(前日まで)、TEL:075-431-0351(当日)
 http://www.ywca.or.jp/kyoto/ 

ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー:
 http://dofil87.hp.infoseek.co.jp/  E-mail: dofil87@infoseek.jp 


●第18回福岡アジア映画祭2004上映スケジュール(福岡) 
(5月12日現在。ゲスト、作品などが変更になる場合もあります。)

7月2日(金)11:00〜「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち 」
      13:00〜「マーシー/ルクナムの命」
          (短編)「ラム酒瓶の冒険」「魔王」「イズミール即興詩」
      14:15〜「ジェニファ/涙石の恋」
      16:00〜「もうひとつのアフガニスタン」
         「在りし日のカーブル博物館」
      17:45〜「笑うイラク魂/民の声を聞け」
      19:00〜「戦場の夏休み/小学2年生の見たイラク魂」
7月3日(土)10:30〜「鉄西区」第1部・工場
      15:30〜「鉄西区」第1部・街
      19:00〜「鉄西区」第1部・鉄路
7月4日(日)10:30〜「もうひとつのアフガニスタン」
           「在りし日のカーブル博物館」
      12:00〜「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」
      14:00〜「笑うイラク魂」
      15:15〜「戦場の夏休み」
      16:45〜「ジェニファ/涙石の恋」
      18:30〜「マーシー/ルクナムの命」
          (短編)「ラム酒瓶の冒険」「魔王」「イズミール即興詩」
      19:40〜「ボリウッド・リミックス」
      *以上、大名・九州日仏学館5Fホール(地下鉄赤坂駅3番出口そば)
7月9日(金)14:30〜「愛しのサガジ」
      16:30〜「旅人とマジシャン」
      19:00〜「氷雨」*ティーチ・イン
7月10日(土)10:30〜「日系人野球、独立の日」「ビザと美徳」
       11:45〜「旅人とマジシャン」
       14:00〜「氷雨」       
       16:30〜「飛躍、海へ」*ティーチ・イン
       19:00〜「愛しのサガジ」*ティーチ・イン
7月11日(日)10:30〜「日系人野球、独立の日」「ビザと美徳」
       11:45〜「愛しのサガジ」*ティーチ・イン
       14:00〜「飛躍、海へ」*ティーチ・イン
       16:30〜「氷雨」*ティーチ・イン
        19:00〜 グランプリ発表
           「アラブ・ナン・ラヒ/戦場の友へ」*舞台あいさつ
(予定)
*以上、天神岩田屋ジーサイド7F・NTT夢天神ホール

☆料金:前売(1作品券)¥1400、(5作品券)¥6000(10作品券)¥10000
    当日(一般)¥1800(大学)¥1500(中高・シニア60才以上)¥1000
    7月10日パーティーチケット¥4000
*前売券は、チケットぴあ、ファミリーマート、セブンイレブン(Pコード:
473-076)、ローソンチケット(Lコード:82285)、九大生協、福岡市内有名プレイ
ガイド(ソラリアプラザビル、大丸、マイング博多駅、ショッパーズ福岡、キャナ
ルシティ、博多リバレイン地下アートリエ)などにて発売中!
☆主催:福岡アジア映画祭実行委員会 電話092-733-0949
    映画祭ホームページ  http://www2.gol.com/users/faff/faff.html 
    e-mail: faff@gol.com 



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●村山匡一郎さんの連載が終わった。その主意は、作り手と観客の新しい関係を問
うものだったと言える。つまり、映画の質は作り手の努力はもちろんだが、作品は
観客が育てるという視点を導入して、観客の質的向上と環境の充実…教育やドキュ
メンタリー映画を見る機会を増やすことなどを提言する。
確かに私たちは、ともすれば作品に対する感想や印象を述べるだけで満足している
傾向を脱して、今こそ、創造的な批評精神をもって映画に臨まなければならない。

連載中は、ちょうど私たちがneoneo坐を創設するための準備に追われていた期間で
あり、やっと柿落としに漕ぎ着けた時期とも重なっていた。この偶然の一致は、現
在のドキュメンタリー映画を取り巻く環境を改善しようとする点において、村山さ
んと私たちのドキュメンタリーに対する共通認識に基づいた相互の発信だったと言
えるのではないだろうか。そのような意味で村山さんの提言は、neoneo坐を立ち上
げた私たちに大きな励ましを与えてくれた。心から感謝したい。
今号から新たに設けた「neoneo坐通信」では、小屋の動向をつぶさにレポートしま
すので、ご愛読のほど、よろしくお願いします。

●村山さんの連載と共振する文章として、村上賢司さんの「列島通信」も、私の心
を揺さぶった。作家への道を促し、叱咤激励する作品を上映してくれた映画館の閉
館について哀切を込めて綴っている。ラストショーの日、シートに身を沈めた村上
さんの胸に去来する作品の数々。共感し圧倒的な影響を与えた映画館と交叉する村
上さんの青春グラフィティ。消滅がある一方で、郷里に新たに誕生する小屋の出
現!「終わる劇場」と「始まる劇場」。映画館もまぎれなく生命体のひとつである。

●投稿欄が充実してきている。創刊号から続く清水浩之さん担当の「クチコミ200字
評!」に加えて、波多野哲朗さんの新作『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』の
制作過程を克明に記す連載、そして今回、正木俊行さんの投稿があった。「クチコ
ミ200字評!」は、neoneoの間口を広くして気楽に応募して頂きたいという清水さん
発案の欄である。波多野さんは、キューバの日系移民の家族が辿る運命と沖縄との
相関関係を辿ろうとする現在進行形型撮影レポートであり、正木さんは『人らしく
生きよう パート2』の映評である。どちらも読み応えのある力作である。このよう
に読者からの寄稿を求めていますので、どんどん応募ください。



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■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
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