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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.9 2004.3.15

2004/03/15


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    9号  2004.3.15


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 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
     セルフ・ドキュメンタリーの現在(4) かわなか のぶひろ
 †02 自作を解剖する
     『citylights』  服部 智行
  †03 ワールドワイドNOW ≪台北発≫
     第四回台湾国際ドキュメンタリー隔年映画祭 吉井 孝史
 †04 ドキュメンタリー時評
     生き延びることの意味
     ―自分の体験、土本典昭、アフガニスタン、イスラエル  水原 文人
  †05 広場
     投稿コーナー「クチコミ200字評!」(8) 提案者:清水 浩之
  †06 編集後記  伏屋 博雄

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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■セルフ・ドキュメンタリーの現在(4)
┃ ┃■かわなか のぶひろ
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●『幸せ蝙蝠』に見る家族間の本音

編集長の伏屋さんから締切りがタイム・リミットになっている、というメールが届か
なければ気づかなかった。制作中の新作をめぐるアクシデントに気をとられていたの
だ。
メールの中で、伏屋さん推薦による金丸裕美子のドキュメンタリー『幸せ蝙蝠』が、
日本映画専門チャンネルで、5月に放映されることになった、と書かれていた。

この作品は、2001年の<イメージフォーラムフェスティバル>で入選。さきごろ開催
された<イメージフォーラム・シネマテーク>でも『団地酒』とともに「家族の肖
像」というアンソロジープログラムとして上映された。
このときは作者も会場に来ていたのだが、面識がなかったぼくは、レクチャーを担当
していながら『幸せ蝙蝠』にはふれずに、『団地酒』の制作プロセスや、セルフ・ド
キュメンタリーの歴史的意義について深入りしていた。

レクチャーを終えたロビーで、作者に感想を求められて不明を恥じた。
しかも当日は、札幌の教育大学で教鞭をとっている伊藤隆介が東京へ来ていて、同期
の教え子たちと新宿で待ち合わせしていたのだ。
感想を述べている間もなく、後にメールで述べる約束をしたまま慌ただしく新宿へ向
かってしまった。
一緒に誘えばよかったのに…。

『幸せ蝙蝠』は家族を被写体にしたハードなドキュメンタリーである。
冒頭、幸せそうな結婚式の8ミリ映像が流れる。披露宴の会場は「京都ホテル」。新
郎と新婦を紹介する司会者の美麗な異口同辞がつづく。どこにでもある典型的な結婚
式だ。
しかし、タイトルが終ると、その様相は一変する。
一見幸せそうな結婚から二十数年を経た現在の視点で、そもそもこの結婚は最初から
波乱に満ちていたことが明かされる。

それは主として嫁と舅の意見の違いである。
舅は、評判の美容師だった女性を息子が嫁に迎えるとき、最高の結婚式を演出しよう
と、知り合いの俳優達を動員して華やかな演出を試みる。
ところが嫁は、そんな派手なことに金銭を遣いたくない。地道な門出を望んでいた。
その食い違いが衝突して、式の数日前に結婚が暗礁に乗り上げる。
嫁の側は、結婚をしないという。土壇場で結婚式を取止めるわけにはいかない舅は、
嫁の母を説き伏せて、なんとか式にこぎつけ世間体を繕う。

その経緯を、それぞれの立場から聞き出していくのが、二人の娘である作者…。
望まない結婚式に対する嫁、つまり作者の母の意見は仮借ない。
結婚式の当日、仲人が欠席する事態になり、その代理として新郎のかつて付きあって
いた女性が仲人役として乗り込んできたことを暴露する。
「ふつう断わるやろ、それが常識やないか…」
そのことを知らない舅は、断わったことが面白くない。かくして「自分勝手な嫁」と
いう認識が当初からすり込まれてしまう。

結婚しても嫁ぎ先の仕事はしないという約束だったけれど、その通りにされると、舅
としては心穏やかではない。
嫁は最初からの約束だったから、同居はせず、舅が手配した長屋マンションで暮らし、
一男一女をもうける。
やがてそのマンションを(嫁の側からは)追いだされ、(舅の側からは)勝手に出て
いって、舅は孫にも会えない日々が続く…。

冒頭の十数分でほとんど泥沼の様相を呈している嫁と舅の関係が、それぞれの立場か
ら描かれるのだ。
舅の息子である夫は、二人の間に立って、どっちつかずの沈黙をするばかり。
タイトルの「蝙蝠」はここから来ているのか。
嫁と舅のこの舌戦はやがて直接対決を迎え、火を吹くような怒鳴り合いに発展するの
だが、作者は、その壮絶な罵り合いをも、じつに冷静に記録している。

この作品を見たとき、反射的に思い出したのは「大阪写真専門学校」の卒業制作で見
せてもらった『ぼくん時は…』であった。
かなり昔のことなので、タイトルの記憶も定かではないが、所も同じ京都の旧家に嫁
いだその日から、舅、姑、小舅たちのいいように使われ、しかも寝たきり老人の介護
まですべておっかぶせられた女性の半生を、息子が捉えた作品である。

この作品でも、作者は、それぞれの立場からの言い分を集積し、嫁にすべてを押し付
ける因循姑息な家族のエゴを剔抉していた。
「大阪写真専門学校」は、後の「大阪ビジュアルアーツ専門学校」で、金丸裕美子が
在籍していたところである。どこかで繋がりがあるのかも知れない。

たとえば現在、家族を被写体としたドキュメンタリーを最も多く手がけているのは、
「アマチュア映像作家連盟」であるが、ここで手がけられる作品の大半は、「父母ニ
孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ…」という教育勅語そのままの作品である。
嫁姑の問題がまったくないという家庭は、現実にはまず珍しいだろう。問題があって
も多くの家庭は、衝突の回避をいわば生活の方便としているにちがいない。

『幸せ蝙蝠』のように、お互いの気持ちを剥き出しのままぶつけ合うということは、
上品とは言い難い。が、しかし、そう出来るのが若さなのかも知れない。
かつて若い世代が、社会や教育のひずみに学生運動というかたちで異議を申し立てた
ように、いまの若い世代は、より身近な、そして最も自分にかかわりのある家庭内の
問題にカメラを向けるのだろう。

癒しというコトバがぼくは本能的に嫌いであるが、互いに罵声をあげて、普段は腹蔵
している本音を吐き出しあうのも、これは一種の癒しといえるのではなかろうか。
作品の中でも、ひとしきりとげとげしいコトバの応酬を交わした後に、かすかながら
歩み寄りが見られるところが、ぼくには清々しかった。


■かわなか のぶひろ
新作のための素材(34年前に撮影したフィルム)がどう探しても出てこない。作品の
コンセプトを根底から変えなければならなくなってしまった。かてて加えて13日から
<イメージフォーラム付属映像研究所>の卒業制作展がはじまり、終了までの1週間
で恒例の「全作品講評」を書かねばならず、苦慮するところ。
さて、今年はどんな作品に出会えるか…。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『citylights』
┃ ┃■服部 智行
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2002年10月から2003年4月まで、6ヶ月間、シティライツの活動の中心である都内で取
材・撮影いたしました。日本ではまだ商業的な映画のバリアフリー化は推進段階にあ
って、特定の上映機会に、視覚障害者が映画を楽しめるための音声ガイド付き特別上
映が行われているというのが現状です。

ボランティア団体「シティライツ」は、そういった制限なしに映画を楽しむことがで
きるための活動を行っています。会員は、目の見える方も見えない方もメーリングリ
ストを通して、好きな映画や見たい映画について語ったりと、活発に交流がなされて
います。団体の活動のなかでも大きな柱は、現在上映されている映画に対して、音声
ガイドを制作し、会員同士が一緒に映画を鑑賞する同行鑑賞会、そして、会員同士が
議論・吟味しながら音声ガイド制作を行う音声ガイド研究会です。

取材をはじめた頃、丁度、映画「アマデウス ディレクターズカット版」の同行鑑賞
会が行われていました。参加者は100名を越えるほどの大きな規模のものでした。
「以前、目が見えていた頃同じ映画を観たが、失明したあとのほうがより映画を深く
鑑賞することができた」という方や、「だんだん目が見えなくなっていく、不安な中、
ボランティアの活動に触れて、生きる励みになった」という方、印象的な意見を聞く
ことができました。

実際、音声ガイドとはどのようなものか、どのように制作されるのか、音声ガイド研
究会の模様を撮影しました。大学生や社会人の若者のボランティアによって制作され
た音声ガイドが、数名の視覚障害者の前で読み上げられ、検討されます。しかし、画
面が止まらずにどんどん進んでいく映画というメディアにおいて、限られた時間の中
で、映像の情報を言語化するのは、非常に困難な作業です。どの情報をガイドに盛り
込んで、どの情報を削るのか、どの情報が必要で、どの情報が必要でないのか。それ
らは、鑑賞する人によって異なってきます。その人が中途失明なのか、先天盲なのか、
弱視なのか、その人がガイドを最小限にして映画の余韻を楽しみたいのか、カメラア
ングルまで詳しいガイドを入れて、映画の情報を出来るだけ楽しみたいのか。

会員の方たちへのインタビューを通してわかってきたのは次のようなことです。鑑賞
者の趣味や人間性によって、ガイドの「良さ」の基準は変化するし、音声ガイドの制
作者の趣味や人間性によっても、「良さ」の基準も変化する。そうすると、ガイドの
「良さ」の一般的な基準は、多数決のようなもので、より多くの人に好まれるものが、
妥当なガイドということになってくるのではないだろうか。しかし、果たしてそれは
本当に「良い」ものなのでしょうか。

シティライツの代表、平塚さん(旧姓;稲葉さん。映画のなかではずっと稲葉さんで
す)は、その頃、団体の方向性が一つの分岐点にあると考えていました。もともとシ
ティライツは、目の見えない友人何人かに、映画館のなかで好きなようにガイドを囁
くことからはじまった。友人同士の付き合いで映画鑑賞を楽しむことができた。けれ
ど今や同行鑑賞会には100名も越えるほどの参加者になってきている。より多くの人
の基準を満たすものが良いガイドなのではないだろうか。また、映画館までの誘導は、
シティライツの会員だけではなく、福祉専門の方に依頼する必要があるのではないだ
ろうか。

しかしシティライツの「良さ」は、何といっても皆が友人づきあいをして、皆が一緒
に映画を鑑賞するという、好きなことをしているうちに、それがたまたま結果として
ボランティアになってしまったということだったのです。数あるボランティアのなか
には、健常者が障碍者の上に立って、何かをしてあげているのだという気持ちになっ
ている場合がまれにあります。それはそれで有益ではあるし良いことであるけれども、
そのようなボランティアはシティライツの魅力ではないのです。シティライツはその
魅力を失いかけているのではないだろうか、と稲葉さんは考えていました。

映画は、会員の視覚障害者個々人に焦点を合わせ、インタビューを行っています。家
族で映画を鑑賞しながら、子供のガイドを聞いたり、あれこれいって楽しんでいると
いう人、自分なりの映画の鑑賞をしながら一人映画に入り込むのが楽しいという人、
言葉の表現というのを楽しむという人、バンド仲間と演奏するように、ガイド制作も
も友人とわいわいやって自分の表現をするのが楽しいという人、触れて鑑賞すること
ができる自分の彫刻作品と違って、映画は同じようには楽しめないけれども、画面を
想像するのを楽しむという人…

現在の生き生きとしたシティライツ会員の姿を映しています。

その分岐点からどういった道を進んでいくのか、映画が終わった後で、今後のシティ
ライツの姿を想像していただければと思います。ラストシーン、夜の街明かりのなか、
恋人の平塚さんと腕を組んで誘導して歩く稲葉さんの表情を見ていると、シティライ
ツがこれからもその活動を拡げつつ、きっとその魅力を増していていくのだろうとい
う気持ちを強く持つのではないでしょうか。


☆『citylights』(2003年 100分 ビデオ)監督・編集:服部智行、撮影:中原想
吉、撮影協力:松本岳大・西浜梓珠子・吉村健作・與語哲士、音楽:三橋武、音声ガ
イド朗読:堀内里美、Cast:稲葉千穂子・内田知(ウッチャン)・佐野彰芳(ヴォル
フィー)・鈴木健夫(ヤングさん)・土肥基・平塚秀人・深津加代子・森川加奈子
(モリカナさん)・美月めぐみ(めえたん)・杢代絵三子(しろさん)・森永美紀・
吉川俊平・City Lightsのみなさん


■服部 智行(はっとり・ともゆき)
1977年北海道生まれ。大学入学時に上京し、大学では哲学を専攻。
就職後、映画美学校フィクションコース初等科・高等科を受講。
高等科受講中に、『citylights』を自主製作。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪台北発≫
┃ ┃■第四回台湾国際ドキュメンタリー隔年映画祭
┃ ┃■吉井 孝史
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●運営方法の変更

今回「neoneoに台湾の情報を…」という依頼を受けて、四回目となる「台湾国際ドキ
ュメンタリー隔年映画祭」が今年開催されることに関し調べてみると、今年は台湾の
フィルムアーカーブとして日本の方にもおなじみの「國家電影資料館」が担当するこ
とになったという情報を入手した。

ここで、ご存知でない方のために簡単に書いておくが、1998年から山形映画祭と対を
なすように一年おきに開催されてきた「台湾國際紀録片雙年展(=台湾国際ドキュメ
ンタリー隔年映画祭)」は、前三回とも政府関連機関である文化建設委員会の呼びか
けで始まり、最終的に応募した複数の民間団体に競争入札をさせ、主催団体を決める
形で行われてきた。

その結果どうなったかは、本誌の読者の方ならおわかりだろう。つまりは「台湾」や
「国際」と聞いて当然思い浮かぶであろう台湾側の運営団体の連絡先が、どの民間団
体が主催するか決まるまで(つまり開催年まで)わからない、あるいは映画祭としての
主旨や目標といったものがはっきりと見えてこないという、映画祭の運営としては
「あまり理想的でない状況」が生じることとなってしまった。

「では今回はどうなのか?電影資料館は民間団体ではないが…?」という疑問を抱き
ながら、今回の担当団体である電影資料館に電話してみると、映画祭の担当者だとい
う男性が電話口で応対してくれた。彼曰く「今回の第四回からは、運営方法が変わっ
た」とのことと。ならば、直接会って色々教えてもらわなければなるまいということ
で、日を改めて電影資料館へ足を運んだ。

電話で応対してくれたのは、映画祭の運営においてプログラムの編成を担当している
王派彰氏。彼はフランスに留学し、芸術理論を学んだという人物。留学中に実験映画
の面白さに目覚め、台湾に帰ってきてからは「影像─運動(Image-Movement
Cinematheque)」という名で実験映画普及活動を続けてきた。そうした過程のなかで、
実験映画だけでなくドキュメンタリーの多面的な可能性に気づき、ついに第三回の映
画祭の運営に応募し、実際の運営を担当したとのこと。つまりは、以前私が書いた
「今まで実験映画の小規模な映画祭を開催したりした人物」が彼だったのだが、もち
ろん会ったのは初めて。

彼に会って色々話すうちにわかったのは、
1)文化建設委員会としても、上記のような問題は理解しており、運営方針の変更を
考えていたこと。
2)ただ、自分たちが実際の運営を行うことはできないので、「公共性」のある電影
資料館へ委託する形式にしたこと。
3)電影資料館では、映画祭のためのプロジェクトチームを組織し、その実際の運営
にあたることになったこと。
4)文化建設委員会は、映画祭の運営方針を変更したものの、2004年以降の運営に関
しては細部におよぶ検討はなされておらず、2004年の成果をふまえ修正が施される可
能性があること。
5)準備期間の関係もあって、今年の映画祭も12月に行われること。
の五点。

王派彰氏自身も、以前から映画祭運営の「まずさ」を感じていたとのことで、第三回
の運営の際、赤字を出しながら頑張ったものの、本来であればあまりに「しんどい」
ので、それでやめるつもりだったようだ。しかし、「台湾」の名を冠した映画祭の将
来を考えて翻意し、気持ちも新たに今の仕事に取り組みだしたことは、本人が直接こ
のような表現を使ったわけではないがよくわかった。

このような変更が行われたことで、今まで打ち上げ花火的に行われた映画祭だったた
めに失われてしまった、貴重な資料の散逸も防げるようになるであろうし、台湾で行
われる映画祭としての「顔」もより鮮明になってくることが期待できる。

ただこの新たな試みはまで緒についたばかり。私のような「チンピラ外国人」が言う
ことでないかもしれないが、願わくばこの変更が功を奏し、多くの人びとに受け入れ
られ、この社会に根付くことを祈りたい。

尚、映画祭の実施内容やウエブサイト等は、取材段階でははっきりしていなかったた
め、確実な情報が手に入り次第、本誌の「広場」欄でお知らせしたいと思う。


■吉井孝史(よしい・たかし)
1992年より台湾に定住。『陳才根と隣人たち』や『生命(いのち)』といった、一連
の全景作品の字幕翻訳を担当。日本と台湾の文化交流の場の「介添え役」として、多
くの仕事をこなす。



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■生き延びることの意味
┃ ┃─自分の体験、土本典昭、アフガニスタン、イスラエル
┃ ┃■水原 文人
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●火事の顛末

僕が最近、自宅でボヤを消火しようとしてあやうく命を落としかけ、入院していた件
については、neoneo第7号で伏屋博雄編集長が詳細に報告されているが、本人として
は、火事に気がつき、一大事とばかり消化に必死だったわけである。本人がただ危険
性を認識していなくて、消火訓練などで習った通りに、出来るだけ火元を狙う、これ
を実践しただけなのだ。ただ、消火訓練は屋外だったりするわけだが、現実はもうも
うと煙が立ち込め熱気がこもった室内、とても思ったようには行かない。

さすがに消火器が空になったところで激しく咳き込み、ひどく熱気を吸ってしまった
ことに気付いた。とはいえ「第一発見者」でもあるわけだし、消防が来れば事情聴取
に応じなければならない。これがなんと30〜40分、繰り返し詳細に話さなければなら
ない。元々火の気はない部屋だし、原因はなにかと言われれば、思い付くのは煙草の
火程度。で、消去法でそう述べたところ、そういうことになってしまった。確かに論
理的にはそれしかあり得ないのだが…実はその前に煙草を吸っていた記憶がない。

まあそんなことはどうでもよくて、なにしろ必死に答えていたせいか、消防の方では
「意識もクリアでちゃんとしゃべれるから問題はなさそう」と。そもそも火災の規模
としてはたいしたこともないし、「一応救急車は来てるけど、大丈夫ですよね」と言
われてしまった。南無三! このときに「いえ、ぜひお願いします」と頼んでいなか
ったら、二、三時間後には呼吸困難を起こして本当に死んでいたところだった。

やっと救急車に乗せてもらい、血中酸素濃度を測るセンサーをつけたところで、濃度
がかなり低い、つまりけっこう一酸化炭素を吸っていることが判明。声は出るものの
喉は相当に痛む。土曜の夜ゆえに受け入れ態勢が整っている病院が少なく、「最悪の
場合は所沢の防衛医大なら大丈夫」と言われた。救急車でも30〜40分かかるという。
どうなることかと思っていると、次から次へと病院から断られたらしいのが分かる。
このときはまだ「防衛医大か、遠いなぁ」と呑気にも思っていたが、結果としてこれ
が幸いした。なんでもこの手の負傷については、トップクラスの実績がある病院だっ
たのだ。さすがに軍医さんを育てる学校ではある。

12時前にやっと防衛医大に到着。自分でも自分の負けん気の強さに嫌気がさすという
か、どうしても自分が辛いことなど言葉にならない。医師どうしの会話で聞こえた言
葉から「それって一酸化炭素中毒ってことですよね。致死量を超えると死ぬんですよ
ね」などと軽口ばかり叩いてしまう(今思えば、致死量を超えたら死ぬのは当たり
前)。だが先方はさすがに医者、「元気そうだ」などとは思ってくれないわけで、鼻
から内視鏡を入れると、相当に奥まで熱でやられていることが判明…というか、こち
らは医師どうしの専門用語横文字の会話から推測しているだけなのだが。

最近の病院はとても丁寧に、なにが問題でどのような治療をするのか分かりやすく説
明してくれる。「最悪の場合には集中治療室に入って、鼻から気管にかけて管を入れ
て気道を確保することになります」「はい分かりました」。酸素マスクをしながら、
鼻から管とは辛そうだな、そうならなければいいなぁと思っていたら、二時間もしな
いうちにやはり危険なので集中治療室に。

案の定、元々アレルギー性鼻炎があるので、鼻の管が辛くて仕方がない。「全身麻酔
をお願いできますか」と口は聞けないので紙に書き−−なんともまぁ、めちゃくちゃ
なことを頼む患者だ。そのあとは四日間まったく記憶がない。目が覚めたときには、
本当に全身麻酔をやってくれたのだとばかり思っていた。

が、全身麻酔で人工呼吸なんて、よく考えればこの症状でできるわけがない。実は本
人がまったく知らないところで、大変なことになっていたのだ。いろいろなタイプの
麻酔薬を使ったようだ。後で主治医がなにやら文字を書きなぐった紙を見せてくれて
「これ、覚えてますか?」と。まったく覚えていないのだが、「途中から英語になっ
たんですよ」と言われ…。よくは見せてもらわなかったが、どうもいろいろ治療に関
する文句を書き連ねていたらしい。ちゃんと説明を受けているのに、なんと言う八つ
当たり! しかし本人にはまったく記憶がない。

さらに、意識が回復して三日後に看護婦さんに教わったのだが、あまりに苛立ってい
て、自力で鼻から気管に通した管を抜いてしまったのだという。「へぇ。そんなこと
出来るんですか?」とついつい他人ごとのように聞いてしまう。「ええ。そこまでや
る人はめったにいないんですけどね」。なんでもそのせいで彼女は始末書を書いたの
だという。それは本当に悪いことをしちゃいました。ごめんなさい。

なんでも本人の抱えているストレスのレベルによって、こういうことが起こるらしい。
未編集のテープがどうなったのか、というストレスがどんなものか、家族にだって分
かれという方が無理なのだから、医師に話しているはずがない。どうもこの騒ぎで、
本当に危険な状態になったそうだ。

死ぬと言うのは妙なことだと思う。たぶんいずれ自分が死ぬときも、こうやって意識
のないまま、あの世に行ってしまうのかも知れない。

意識が回復してすぐの土曜日は、土本さんのお宅にうかがってインタビュー撮影の予
定であった。お詫びのファックスを家から送ってもらうため書き始めたところで、面
会に来た家人より、伏屋さんが速達で送って下さった土本さんの文章を渡された。
先々号のneoneoに掲載されたものである。さっそく読んで、あわててファックスを書
き直す。僕程度の小生意気なだけの駆け出しを、土本さんがここまで思って下さって
いるとは。以前から不相応にも大変可愛がって頂いていたとはいえ、ひたすら恐縮し
て頭が下がるばかりだ。

さらに二、三日して、病院から土本さん宅に電話をさせて頂いた。ファックスだけで
なく本来ならまっ先にお電話を差し上げて直接お礼と、これほどご心配をおかけした
お詫びをしなければならないのだが、neoneo原稿の言葉に恐縮してしまってた。まず
電話したのはアシスタントをやってもらっている香取君。我ながら困ったもので、彼
にだって大変に心配させてしまっていると言うのに、こちらが話すことは機材の修理
の見積もりのことなど、実務的なことばかり。

それから伏屋さんに電話。思えばやはり実務的なことしか言わない自分に、相当に面
喰らわれたのではないか? (いや、こいつはこんなものだ、と達観されていたの
か)。そして入院中の手許になかった土本さんの電話番号を伏屋さんからお聞きし、
電話を代わられた伏屋夫人に「あなたは病人なんだから、早く寝なさい!」と叱られ、
そして土本さんにやっとお電話をした次第だ。「よかった、よかった」と繰り替えさ
れる土本さんに、申し訳ないと思うとともに、本当に有り難かった。

「助かってよかった」「とにかく休むように」といろいろな方から言って頂いた。
「原さんの映画なんて二年ぐらいかけてゆっくりやればいい」とまで言って頂いた方
もいる。とは言っても本人は気が焦るばかり。「映画に命を賭けるとは言うけれど、
本当に死にかけては元も子もない」とも言われた。だが四、五日も危篤だったのだか
ら文句も言えないとはいえ、退院したもののなかなか気力も体力も続かない。イスラ
エルから国際電話までかかって来て、自身戦場で死にかけた体験から映画作家を志し
たアモス・ギタイから「こういう体験はしっかり内面化すれば自分の力になる」と言
われても、なにしろ記憶がないのだから、まったく実感がない。次第にやっと、“生
き延びた”ことの意味が分かるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

●『よみがえれカレーズ』が問う意味

かれこれ一ヶ月近くたって、やっと活動再開の第一歩は、国際交流基金フォーラムの
『映画とアフガニスタン』特集での、『よみがえれカレーズ』と二本のアフガン私家
版ビデオ作品の上映と土本さんのトークを、撮影することだ。

『よみがえれカレーズ』は公開当時、僕は確か19歳。頭を抱えさせられてしまった映
画だ。政府側の委任で地方の町のコマンダーを勤める地主を、近所の山に立てこもる
ムジャヒディンのボスが訪ね語り合う夜のシーンに、いったい何が起こっているのか、
ワケが分からなくなった。帰還して来た難民の男たちを集めたインタビューで、「こ
のなかでムジャヒディンに参加した人はいますか」という質問が発せられたときの不
穏な空気にも戸惑った。

確か2002年の秋だったと思う。土本さんから「前から直したいと思っていたところを
やっと直すことが出来た」と伺った。一ヶ所をストップモーションにしたというお話
に、「あの難民にムジャヒディンのことを聞くところですか?」と直観した。一人の
難民がムジャヒディンへの参加を否定し、周囲にジロっと横目で目線を送る、その目
がストップモーションに。最初から釈然としない“何か”を感じていた、その“何
か”がこの修整で明晰になった。昨年ニューヨークのフラハティ・セミナーでの上映
では、観客から居心地の悪い笑いがもれた。

僕が長篇第一作『インディペンデンス』でイスラエルの建国と現在を扱うことになり、
エルサレムでアラブ系イスラエル人のしたたかなたくましさに接し、そして今、自分
自身が些細なこととはいえ一応は死にかけた体験を経た後では、この映画が本当に伝
えていることがなんなのか、より明晰になって来た気がする。

これはアフガンの人々の生き延びることの条件を見つめた映画なのだ。我々が外から
新聞やテレビだけでアフガン情勢を見て、安易な善悪論で否定したり肯定したりする
次元とは懸け離れた現実が、生き延びなければ行けない当事者たち、名もないアフガ
ンの人々にはある。それは差蔑の歴史とホロコーストを経てイスラエルを建国したユ
ダヤ人たちにもあったろうし、その結果彼らに追い出されてパレスティナ人となった
アラブの人々にも、今すさまじい生存の闘いを続けている名もないイラクの人々にも、
あるはずだ。

『よみがえれカレーズ』が答のない映画なのは、もっとも当然なことなのだ。1974年
のいわゆる4月革命から新聞の切り抜きを続けて来た土本典昭は、最初自分の学生時
代のことを想起したという。全学連の公然活動家だった土本典昭は、そこにまずはひ
とつの理想を見ただろうし、そのような経歴があればなんらかの理想主義的な先入観
を持ってアフガンに行ったとしても、不思議ではない。映画そのものは人民民主党政
府の協力で作られ、その視点は政府の側にある。しかし土本はいわゆる不偏不党・中
立公正を装って外からの視点に立つのではなく、むしろ一方の側を選びながらその中
にある矛盾を見出していく。人間が、それも極限の状況を生きるとき、その生存が矛
盾だらけになるのは当然だ。まして国のあり方、19世紀植民地列強による国境線の引
かれ方自体が、最初から矛盾をはらんでいた中近東である。

『よみがえれカレーズ』に引き続き、その未使用ネガを用いた『もうひとつのアフガ
ニスタン』と『在りし日のカーブル美術館』を上映。『カレーズ』で使用されたフィ
ルムの、その前後を用いているところも多く、立て続きで見ることは映画の編集とい
うことを考える上でも示唆に富んだ体験だった。

上映後、土本さんの講演である。ふだんは明確な論理構成で語られる土本さんが、こ
の日は自由に(後で「話があちこちに飛んでいた」と御本人は言うのだが)言葉をつ
ないで行く。アフガンに興味を持ったきっかけ、この記録を撮っていたことが今にな
って持つ意味−−アフガニスタン人ですら、たとえば『もうひとつのアフガニスタ
ン』に映し出される85年のカーブルの、女性のための職業訓練学校や、男女共学の英
語教育などに、「こんなことがあったとは知らなかった」と言うのだそうだ。

やがて話は、『よみがえれカレーズ』のときに自分がいかに自信を持てなかったかに
収斂して行った。なにも語ることもできずに、「この十年はアフガニスタンの歴史に
どのような物語を残すのでしょうか」との問いかけで終わるしかなかったこと。この
映画を「失敗作だ」とまで口走る土本典昭がそこにいた。そしてもうひとつ、「ソ連
に裏切られた」との思いも。

●『よみがえれカレーズ』を検証する

当時を思い返そう。ソ連軍がアフガンに入ったのは、今思えばいわゆる共産主義国家
に対する理想主義的な幻影が崩壊していく時代の始まりだった。その後の10年で、旧
東欧の崩壊、「自由と解放」、ベルリンの壁の崩壊。『よみがえれカレーズ』はその
年(1989年)に公開されている。その時代に人民民主党政権が少なくとも良心的では
あったことも見せている映画が、もう無効になった共産主義・社会主義の理想にしが
みついた時代錯誤に思われたこともあったのかも知れない。

だが一方で、映画はイスラム教への信仰や、それに基づく伝統的な文化を守ろうとす
る動きも見せる。とくにフライデー・モスクのモザイクを修復する職人たちの仕事を
丹念に描写する五分ほどのシークエンスは、土本の好奇心と繊細さに満ちたまなざし
が圧倒的だ。ただその工程を見せるだけでなく、どれだけ時間と忍耐を要する仕事か、
それを黙々とこなす職人たちの人柄までが、立ち上がって来る。

土本さんは当時の自分の迷いを自己批判する。だがその“迷い”こそが、『カレー
ズ』をいかにも土本典昭らしい傑作にしているのだ。ただあやふやで曖昧なのではな
い。モザイクの修復シーンのように、この土地に生き延びる人々とその生活をひたす
ら丹念に見つめ、彼らに近づけば近づくほど、確信など持てるはずもない。

丹念に見ればみるほど、現実はあまりに複雑なのだ。それに、この映画を作った土本
も、見ている我々も、アフガニスタンの命運にとって当事者ではない。なにを選ぶの
かは彼らの選択であって、我々が押し付けるべきものではない。押し付けないこと・
・・フラハティ・セミナーでこの映画を見た映画批評家のジョナサン・ローゼンバウ
ムは、「この映画はなにも対象に押し付けていない。むしろ彼らからなにかを受け取
っている映画だ。これはドキュメンタリーでは当たり前のことに思えるが、実はちが
う。ほとんどのドキュメンタリーは実は対象に何かを押し付けていて、ただ我々がそ
れに気付かないだけだ」と論じた(拙作『土本典昭 ニューヨークの旅』でのインタ
ビュー)。

とりわけ他の世界を撮ったドキュメンタリーで、その現実を日々生きている人々に
“正義”や“正しい選択”を押し付けることに意味があるのだろうか? 僕自身、第
一作『インディペンデンス』で自問せざるを得なかった問いである。土本典昭のアフ
ガン映画上映会の後、僕はこの第一作に日本語の字幕をつける作業を始めるため、久
々に見直した。2002年に作ったこの映画で自分がとるしかなかった立場、この映画を
どう終わらせるか…僕もまた答えを出すことを避けている、その知恵と勇気は、実は
この10年以上前に見ていた『よみがえれカレーズ』から受け取ったものだったのだと、
今、思える。

●再度『カレーズ』を見て、思うこと

実は危篤状態だという、その時から一ヶ月。自分が死ななかったことの意味を考えな
がら、僕は『カレーズ』を見た。この人たちは今でも生き延びているのだろうか?
そうでなくてはおかしい、とも思えてしまう。だが彼らの半分以上は、その後の残酷
な時代のなかで命を落としたのだろう、その予兆も、土本のキャメラは捉えている。
今、自分の出発点であったイスラエルの映画を見ながらふと思い出すのは、あの時に
も自分は運良く2002年3月末のテルアヴィヴ自爆攻撃に出会わずに済んだことだった。
あの街にいたときにはよく行っていたカフェが、ギリギリで旅行をとりやめたその時
に爆破されたのだ。

別に幸運の女神など信じるつもりはないが、今度も「死ななかったこと」になにか意
味があるのだろうか? 死ななかった代わりに自分にできることはなにか? かつて
「職業革命家」を目指していたという土本さんが今もなお世界を見続けているように、
自分もまた及ばずながらも目撃し、思索し続けるしかないのかも知れない。可能な限
り丁寧に見て、思索すること。その思索のプロセスそのものが『よみがえれカレー
ズ』のように映画に結晶するとき、我々は時に不安にゆさぶられもするのだが、それ
こそこの現代に生きると言うことの本当の意味なのだと思う。自分が生きているとい
うことがほんのちょっとした偶然の産物かも知れないことを自覚できただけでも、意
味はあったのかも知れない。


■水原文人(みずはら・ふみと 藤原敏史)
映画批評/ドキュメンタリー映画作家。長篇『インディペンデンス アモス・ギタイ
の映画「ケドマ」をめぐって』(2002)、『土本典昭 ニューヨークの旅』(2003)。
実験的短編ビデオ『WALK』(2002-2003)。2003年には作曲家ジーモン・シュトック
ハウゼンを中心にした反ブッシュ政権の短編ビデオ国際プロジェクト『da Speech』
を立ち上げ、自ら二本を監督(プロジェクト全体で現在9作品)。今年は、DVD特典映
像として『Fragments: on Amos Gitai & ALILA』(2004)を完成させ、現在、原一男
監督についてのドキュメンタリーを編集しつつ、土本典昭監督についての長篇を撮影
中。



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┃05┃□広場
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■投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第8回
提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭/今年も5月末開催予定!)

「オススメ作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。映
画・ビデオ・テレビなどなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんで
もOK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指摘
したり…。「オススメしない映画とその理由!」でもむろんOKです。

200字以内の本文とは別に、「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡
先(メールアドレスまたは電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して、清
水までお送りください。
(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけるとうれしいです)

清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

「neoneo」は毎月1日・15日の配信ですので、その2週間前を〆切日として(こっちも
1日と15日ですね)基本的に無審査・先着順で掲載させていただきます。皆さんのご
参加、お待ちしております!

NO.000 『六月の勝利の歌を忘れない』
2002年・エンジンネットワーク+電通/監督:岩井俊二
ビデオ&DVD販売元:ポニーキャニオン

言わずと知れたワールドカップ日本代表戦記。サッカー音痴で非国民な私には縁遠い
世界かなと思ったけど、実質的な主役・トルシエ「座長」率いる一座のバックステー
ジものとして楽しめました。執拗なまでの「立ち位置指定」や「細かいダメ出し」な
ど、まさに舞台演出家としての奮闘・努力・エネルギーには頭が下がります(中田ヒ
デには近寄らないが)。市川を吊るし上げた後で「言い過ぎたかな…」とつぶやく背
中が素敵です。
(清水浩之/東京/36歳/「J」より「パ」リーグ)


NO.000 『青きテハミング』
2003年/監督:国本隆史 撮影:井川広太郎
作品HP→ http://lostintokyo.hp.infoseek.co.jp/blue/ 
見た場所:池袋アムラックスホール「Az Contest 2003」

こちらはワールドカップ期間中の新宿コマ劇場前〜大久保コリアン通りを舞台に、熱
狂する日韓サポーター気質の温度差をあぶり出します。赤と青のサポーターがゴッチ
ャになって「テーハミングッ!」と連呼する姿は感動的ですが、「赤組」本国での
DNAレベルの?反日感情や、「青組」内部から漏れ聞こえる「盛り上がれればいいじ
ゃん!」的なお気楽さも見え隠れして、やっぱり一筋縄ではいかない両者の関係がじ
わじわ伝わります。
(清水浩之/東京/36歳/あの頃は日本中で仕事が止まってたなー)


NO.000 『自転車でいこう』
2003年・モンタージュ/監督:杉本信昭
作品HP→ http://www.montage.co.jp/jitensya/ 
見た場所:ポレポレ東中野(『ネコのミヌース』近日公開!)

猫の住みよさそうな街。作品の中に2回、お話とは余り関係なく猫の姿が入っている
のは、大阪・生野の名物自転車男プーミョン君の『通い猫的ライフスタイル』という
隠しメッセージかな?と考えたら、がぜん面白くなりました。“猫の手も借りたい”
時にしか頼みたくない「カフェ係」なる仕事や、他人の都合にお構いなく執拗に繰り
出される「かまって攻撃」を受け止めてくれる街と人は、たぶん猫にとっても快適か
なと思う次第です。
(清水浩之/東京/36歳/猫派)


NO.000 『乙女のゐる基地』
1945年・松竹大船/監督:佐々木康
ビデオのあった場所:ツタヤ新宿店・邦画フロア「監督別コーナー」

『整備員として航空機を愛し、航空機整備の困難な仕事をする女子挺身隊員達の青春
と乙女の悩みを描いた』(ビデオ紹介より)要は女性映画の松竹大船が「得意分野」
で戦意高揚しようとした不思議な映画。“昭和ニ〇年三月完成”という出し遅れな時
期のせいか、えらくのどかな挺身隊ガールズの青春群像に終始して、「メカ+コスプ
レ少女+敵は見せない」50年後のオタクな売れ線を先取りしてます。爽やか青年将校
役に悪親分安部徹!
(清水浩之/東京/36歳/あれっ劇映画でしたか?)


NO.000 『海上自衛隊コマーシャル“SEAMAN SHIP”』
2004年・海上自衛隊/動画公開中→ http://www.jda.go.jp/JMSDF/ 
2004年3月31日(水)まで、渋谷駅ハチ公口付近の大型スクリーンで上映中!

『若者・女性等を中心に、海上自衛隊の役割や現状(!)をより広く理解して頂くた
めのきっかけになることを目的として』作られた爆笑CM。内容を要約すると、空母の
甲板の上で踊る若い水兵さんたちに、こんな歌がかかります。
♪ウィー・アー・シーマン・シップ、シーマン・シップ、フォー・ラヴ!!
とどめに「旭日旗をバックに敬礼する女の子」…どうです?見たいでしょう!
これを笑えるかどうか、まさに日本中が試されてます!
(清水浩之/東京/36歳/ただいま感想募集中!あなたはどう見ますか?)

勝手なことばかり書いてすみません。蛇足にもう一つ、今年80歳の石井輝男監督が
“新人自主映画作家”として挑んでいる『盲獣VS一寸法師』、これもスゴ〜く面白い
です。渋谷シネ・ラ・セットで2週間限定公開中。ではまた!

     ◇────────────────────────◆◇◆     

■告知

●関西圏ドキュメンタリーの上映情報ML(KDML)のお知らせ

このたび、関西圏におけるドキュメンタリーの上映・製作・展示情報を交換するMLを
開設しました。マスメディアには載りにくい、しかし意義のある多数のドキュメンタ
リー映画・映像作品がもっと広がる一助となれば、と思い開設します。
とりあえず、自由参加制とし、1年間の試験運用をしてみます。お気軽にご参加・投
稿ください。広く上映会の宣伝・告知などにご自由にご利用ください。

下記ホームページより自由に登録できます。
 http://www1.vvjnet.biz/kdml/ 
また、過去ログは下記に公開されるように設定していますので、広く利用ください。
 http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageListForm/kdml@freeml.com 

メールが多く来て大変だという方もいらっしゃると思いますので、登録せずとも利用
できる形態にしてあります。(投稿先… kdml@freeml.com )
(ウイルス対策のため、添付ファイルやHTMLメールは投稿できない設定になって
います)また、下記 担当者(管理者)あてに情報をいただければ、代わって担当者
がML宛に投稿します。

運用に関する問い合わせ・ご意見その他は、
暫定管理者 木村 < vein@mx.vvjnet.biz >までよろしくお願いします。

     ◇────────────────────────◆◇◆     

■上映

●フィルムセンター:キューバ映画特集の記録映画プログラム(東京)

フィルムセンターの上映「キューバ映画への旅」(4月6日―25日)の中で、キューバ
の短篇ドキュメンタリー作品が上映されます。特に、類いまれな編集の才を駆使し、
革命キューバの記録映画の礎を築いた異色のドキュメンタリスト、サンチアゴ・アル
バレスの作品は単独のプログラムとして特集されます。

会場:東京国立近代美術館フィルムセンター(京橋) 大ホール
料金:一般500円、高校・大学生・シニア300円
フィルムセンターURL(作品解説あり): http://www.momat.go.jp/fc.html 

上映作品・日程:
4月11日(日)4:00pm、4月15日(木)7:00pm、4月23日(金)3:00pm
短篇集[1]:サンチアゴ・アルバレス選集
『ハノイ13日火曜日』(1967年・38分)監督:サンチアゴ・アルバレス
『79歳の春』(1969年・25分・日本語字幕なし・解説配布)監督:サンチアゴ・アル
バレス

4月13日(火)3:00pm、4月18日(日)4:00pm
短篇集[2]
『エル・メガノ』(1955年・25分)監督:フリオ・ガルシア・エスピノーサ他
『われらの土地』(1959年・19分)監督:トマス・グティエレス・アレア
 侵略者に死を(1961年・10分・日本語字幕なし・解説配布)監督:サンチアゴ・ア
ルバレス他
 はじめて映画を見た日(1967年・10分)監督:オクタビオ・コルタサル

4月14日(水)3:00pm、4月20日(火)7:00pm、4月25日(日)4:00pm
『キューバの恋人』(1969年、日本=キューバ合作)監督:黒木和雄、主演:津川雅
彦(劇映画ですが、革命10周年を迎えてなお熱気あふれる新キューバのドキュメント
としても貴重。ニュープリント上映)



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┃06┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●「広場」欄に連載の「クチコミ200字評!」は、清水浩之が企画するドキュメンタ
リー映画の短評欄である。本誌に読者が気軽に参加できるようにとの考えから設けた
コーナーである。毎回5作品を掲載しているが、今回は全て清水さんが執筆すること
になってしまった。皆様にはもっと活用してもらいたいと思う。この欄の投稿先は、
shimizu@ad-ult.co.jp 清水浩之宛です。
(他の投稿先は、visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛です。)

さて、清水さんは、「ゆふいん文化・記録映画祭」のコーディネーターでもあるが、
近ごろ私は彼と話し合う機会が多くなった。というのは、ドキュメンタリーを発表し
たり見たりする場が東京もまだまだ圧倒的に少ないのではないか、というお互いの共
通認識のもとに、上映会を定期的に行っていこうと話し合ってきたのである。小さく
ても気軽に上映ができる場。つまり、映画の交流をはかれる場の実現、という訳であ
る。誰だって、映画で「遊べる場」が欲しい。

こんな「夢」を清水さんと語り合ってきたのであるが、何と!このような「夢」を理
解し「場」を提供しようという方に出遭ったのである。彼らもドキュメンタリー映画
の上映を「夢」に描いていたのだ。しかも場所は東京のど真ん中、至極、交通に便利
なところ。話はとんとん拍子に進んだ。オーナーの方との共催。上映母体「neoneo
座」の旗揚げ。当面は月1回のペースでの上映。全体の責任は私と清水が担い、作品
は入れ替わり立ち代わり企画者がプランを組み、上映後は監督とスタッフを交えて交
流する…などが決定。上映後は、山形映画祭の「香味庵」スタイル(1ドリンク制)
で歓談するのも面白い。

まだ細目を詰める作業が残っている。しかし、このような構想が現実を帯びてきたこ
とはうれしいことだ。今のところ、4月24日(土)を柿落としと考えている。近くよ
り具体的なプロジェクト「neoneo座・宣言」を提示できることと思う。乞うご期待!

●水原文人こと藤原敏史さんが火事の災難に遭遇したものの、順調な回復をしつつあ
る。心配されたデジタルテープの損傷もなくスタッフ一同まずはほっと胸をなでおろ
した。その彼が自らの災難を反芻しつつ、先日行われた「アフガニスタンの映画」
(アジアセンター主催)での土本典昭作品と講演について執筆している。自ら死と直
面しただけあって、土本の『よみがえれカレーズ』と自作『インディペンデンス』を
交叉しての思索は興味深い。

『カレーズ』(1989年)が公開された当時は、この作品は表立った批判はなかった
(ように思える)ものの、それまでの土本作品を全面的に支持していた評者からも、
微妙な陰りを帯びた言辞が出されたと記憶する。それはアフガンが一国の問題にとど
まらず、国際間の政治力学関係によっても大きく左右される事態に直面していたこと、
したがってアフガン民衆に多様な「生き方」(亀裂)が生じ、さらに土本の撮る姿勢
が「客観主義」に止まらず、状況に踏み込み、彼らの生の姿をすくい上げようとした
結果、混沌たる事態に追い込まれた結果の作品だったからとも言えよう。

このような渦中にあって制作された『カレーズ』は、当然不均衡な位置での撮影を強
いられた。しかし、私は思うのだが、制作から15年、時間はただ過ぎ去ったわけでは
ない。作品は時を経てより大きく問いかけ、作家も問に応えようとするプロセスだっ
た。15年の弛まない月日は無為には経ていない。普段とは趣が違う訥々とした語りの
真っ芯で、土本典昭は粘り強い思想的検証を持続してきた。それが『もうひとつのア
フガニスタン』を生み出した。私は土本典昭の作品と講演を、このように受け取った。



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■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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