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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

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ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.6 2004.2.1

2004/02/01


☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    6号  2004.2.1


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
 
 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
       セルフ・ドキュメンタリーの現在  かわなか のぶひろ
 †02 自作を解剖する
       『ニュータウン物語』  本田孝義
  †03 ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
       ドキュメンタリーの場所  水野 祥子
 †04 列島通信 ≪沖縄発≫ 
       リアリティのある夢  真喜屋 力
 †05 随時連載「映画は生きものの仕事である」(1)
       デジタル時代に思う  土本 典昭
  †06 ドキュメンタルな人々
       続・幻のフィルムを求めて(2)困った問い合わせ  安井 喜雄
  †07 連載寄稿 ヤマガタを味わい尽くす (5)    
       白熱!学校スペシャル  佐藤 寛朗
  †08 広場
       交信:林和秀さんの投稿に対する返信  岡田 秀則
       投稿コーナー「クチコミ200字評!」(5)  提案者:清水 浩之
       訃報:大内田圭彌監督永眠  安井 喜雄
  †09 編集後記  伏屋 博雄

  ★バックナンバー閲覧はこちらまで
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■セルフ・ドキュメンタリーの現在
┃ ┃■かわなか のぶひろ
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●映画の誠実さ

ドキュメンタリー・マガジン「neo」の復活を報じた、昨年11月6日付け朝日新聞の同
じ紙面に、沢木耕太郎の「無名」を紹介した署名記事が掲載されていた。
衆知のごとく「無名」は、著者の実の父親を素材としたノンフィクションである。
実父とはいえど、市井の無名人を題材に採り上げたことが話題を呼んで、ベストセ
ラーとなった。

記事の中で、筆者の石飛徳樹は、「自己の周囲を素材にするという方法は、映像の世
界では一足先に流行になっている」として、『home』や『ファザーレス・父なき時
代』をひきながら、「活字ジャンルにも『セルフノンフィクション』の波が押し寄せ
る日は近いのではないだろうか。」と結んでいる。

嬉しかった。
これまで「セルフドキュメンタリー」は“じぶん語りの映画”という揶揄めいた表現
でしばしばさげすまれてきたからである。
たとえば「自己満足」というと、作者だけがいい気になっているという印象を与える
けれど、「自分が満足しない作品を、他人に見せるのは失礼である」という文脈で受
けとれば、きわめて誠実な映画の謂ということもできる。“じぶん語り”のどこが悪
い。と言い続けてきた日頃のうっぷんが晴れる思いだった。

そもそも映画の歴史の最初のページは、家族のドキュメンタリーだった。
それが寄席や、演劇や、文学といった先行メディアの形式を採り入れることによって、
商業化し、やがて大衆娯楽として発展してきたのである。.
ドキュメンタリーも、ときには大衆を戦争に駆り立てるプロパガンダとして使われた
り、その反省から、いっさいの“操作”を加えないシネマヴェリテというアプローチ
が生まれたり、しかし、そのあまりの素っ気無さから“演出”を加えることが再浮上
したり、それが“やらせ”問題として社会の非難を浴びた時期もあった。
アメリカではドキュメンタリーとドラマが合体した「ドキュドラマ」という方法が模
索され、いっぽうヨーロッパでは、それらのすべてを取り込んだなんでもありの「ハ
イブリット・ドキュメンタリー」が浮上しつつある。

セルフドキュメンタリーは、そうした変遷の中で捉えると、実験映画と同じく、映画
の歴史をスタート点に引き戻して再検証しようという試みにほかならない。
産業としての映画業界では、人間を描くことにはきわめて旺盛であるが、しかし無名
の個人は、これまで被写体としての価値を認められなかった。

けれども、16ミリや8ミリ、ビデオといった映像機器の普及によって、無名の個人も
立派に映画の題材となりうることが実証されるようになった。
ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』などは、まさに産業としての映画史
がこれまで振り捨ててきた題材といえるだろう。
日本でも、あえて「極私的」と銘打った鈴木志郎康の『日没の印象』や、原一男の
『極私的エロス・恋歌1974』といった先駆的作品が手がけられ、やがてそれが“じぶ
ん語り”の大きな奔流をかたちづくるところとなる。

作者にとって最も関心のある題材は、自分にほかならない。
ならば、自分という存在から始めようという事なのである。

『以毒制毒宴』という作品をご存知だろうか。
これを8ミリで手がけた作者の二宮正樹は、高校生の時にいわゆる落ちこぼれだった。
名門高校を2年で中退し、各種学校へ行くのだが、ここでも学習になじめず中退。
彼の兄もまた社会になじめず、サラ金から借金をしまくって母親を泣かせているとい
う。家庭内暴力もしばしばらしい。

<イメージフォーラム付属映像研究所>の、卒業制作プラン講評のとき、作者からそ
んな愚痴めいた話を聞いた。
家庭内がごたごたしていて、作品どころではないという彼に、
「そんなにいい題材があるのに、なにを悩んでるんだい?」
と訊いた。

家庭内暴力は、肉親の問題として捉えると、かなり深刻である。が、いっぽう作家と
しての視点から捉えると、これは絶好の題材といえよう。
ぼくにそんな兄弟がいたら、きっとカメラで対峙するだろう。
「不幸と思わずに、面白がればいいじゃないか」
とけしかけた。

彼は、兄の借金のために三つの職場を掛け持って懸命に働く母や、無干渉をきめこむ
父や、ときには暴力をふるう兄に、カメラを持って対峙した。
その結果、全国の映像系大学および専門学校の学生を対象とした映像コンペ<BBCC>
で、なんとグランプリを獲得してしまったのである。

マイナスのカードばかり集めるとプラスに転じるトランプゲームがあるけれど、彼は
この作品によって、人生のマイナスを一挙にプラスに転じてしまったのである。
賞を獲得したからというのではない。観客の共感を得たからというのでもない。
彼は、映画を撮るということを通じて自分自身をたてなおし、なかんずくこれまで意
識の外に置いていた兄の存在と、積極的に取り組むようになったのだ。

カメラの前でタイマツを掲げ
「これはぼくと、ぼくの兄が立ち直るための映画である」
と宣言する作者の鮮烈な姿を見ると、思わず目頭が熱くなる。
社会を広い視野で捉える正統派ドキュメンタリーとは異なるけれど、映画を通じて自
己を回復しようとする、このようなドキュメンタリーの切実さが、ぼくは好きだ。
                                 (つづく)


■かわなか のぶひろ
1960年代初頭から8ミリで映像作品を手がける。60年代末に個人を基盤とする
実験映画の配給・上映組織<ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ>の事
務局を担当。70年代初頭<アンダーグラウンド・フィルムセンター>(現・イメー
ジフォーラム)を設立。日本の実験映画の上映・配給に奔走する。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『ニュータウン物語』
┃ ┃■本田 孝義
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●「輝かないもの」に対する興味

『ニュータウン物語』を制作するきっかけは、様々な要因が重なっていて簡単に説明
することは難しい。ここでは、今までどこにも語っていないことを書きとめておこう。
ドキュメンタリー映画を作る動機として、人や事象に強烈に惹かれるということがあ
るのではないかと思う。そして、多かれ少なかれ、何がしかの「輝き」を捉えたいと
願うものであろう。
私はどうもひねくれているようで、ニュータウンに興味を持ったのは、その場所があ
まり輝いていないように思えたからだ。作る側の欲望から言えば、素晴らしい自然や
猥雑な都市は、映画を作る欲求を喚起させるものがある。それに対して、ニュータウ
ンの風景は作家の創造力をあまり刺激してくれない。逆説めくが、だからこそ私は
ニュータウンにカメラを向けたい、と思ったのだ。だからと言って、ニュータウンを
魅力的に描きたいと思ったわけでもない。良かれ悪しかれ、私を含め、ニュータウン
(あるいは団地、新興住宅地)で膨大な数の人間が生きてきた、その現実を無視して
通り過ごせばいいというものでもなかろう。.

●カメラの向こう側

今作は“まち”そのものが主役とも言えるが、とっかかりは人である。1971年に新し
く生まれた街の中で人びとが何を感じて生きてきたのか、そのことを知りたいと思っ
た。そのため、映画の作り方としてはインタビューを中心に考えていった。その際に、
大上段に構えて「ニュータウンをどう思うか」という話をするのではなく、何を見聞
きしてきたのかを、個人の記憶を頼りに出来るだけ個人的な話をしてもらうことを心
がけた。ここで浮上してきたのは、「私」という存在であった。
これは初めから意図していたことでもあった。全国に数多くあるニュータウンの中で、
私が選んだのは私が育った街。そこには私の記憶が抜きがたく存在していると同時に、
近所のおじさん・おばさんや同級生の中にも、私に対するかすかな記憶も存在してい
る。そこを一つの拠り所として話を聞こう、と思っていたのだ。街に「内」と「外」
の境界があるとすれば、境界線上から内を覗き込むようなスタンスと言えるかもしれ
ない。.
画面上には現れていないが、こうした撮影は想像以上に疲れるものだった。いつしか
自然と年を重ねた顔々は、しっかり生きてきた刻印を刻んでいて、それに引き換え自
分はどうなんだろうかとついつい省みたりする日々だった。

● 「私性」の問題

映画が出来上がって約1年が経つ今となっても、製作者である「私の話」をどういう
ふうに映画に反映させればよかったのか、いまだに考え続けている。「映画は人に見
られてから完成する」とはよく言ったもので、まだまだわずかばかりの人ではあるが、
見ていただいた方から感想を聞いたりする。その時におもしろいのは、『ニュータウ
ン物語』をきわめて社会学的な映画と感じる人と、私・本田の個人的な映画と感じる
人と様々なのだ。「お前はどっちなんだ」と聞かれれば「どっちもだ」と答えるしか
ないのだが、逆に言えば、どちらにせよ「私」という存在が、映画の中では中途半端
な立ち位置しか示していない、ということでもあるのだろう。今にして思えば、故な
きことでもなさそうだ。自分が育った街を撮りつつも、そこに対する強烈な「愛」も
「憎」も感じていなかったのだから。この映画を見たあるニュータウン育ちの方は
「そういうところがニュータウン的」とも語っていた。

●映画を育てる

作者にとって映画は「子どものようなもの」と例えられることがある。普通、映画が
完成した時点で、映画は作者の手から離れ、独りでに歩き出してくれるものなのかも
しれない。しかしながら、『ニュータウン物語』は人間の子供と同じで、自ら子育て
をしなくてはいけない映画だったようだ。完成から言えば満1歳ということだが、や
っとよちよち歩きを始めたところである。幸い多くの人に手助けをいただいてここま
では来ることが出来た。何かと大変なことも多いですが、子育ても楽しいものです。

☆『ニュータウン物語』(2003年/16mm/103分)
監督・撮影・編集:本田孝義、プロデューサー:伏屋博雄、
製作:ビジュアルトラックス/戸山創作所、平成14年度文化庁映画芸術振興事業

2月21日(土)〜28日(土)
<パルテノン多摩小ホール>特別先行上映
連日:11:00 13:40 16:20 19:00
本田孝義トークセッション 連日20:45〜21:30(予定)
21日(土)本田孝義トーク
22日(日)七里圭(映画監督)、清水浩之(映画監督)、根来祐(映画監督)
23日(月)勝村誠(政治学者)
24日(火)若林幹夫(社会学者)
25日(水)伊勢真一(映画監督)
26日(木)上野千鶴子(社会学者)
27日(金)PHスタジオ(アーティスト)
28日(土)竹内昌義(建築家fromみかんぐみ)

2月28日(土)〜3月19日(金) 
<ポレポレ東中野>モーニングショー
連日10:50〜 (1回上映)
初日(28日)本田孝義の舞台挨拶あり。

公式ホームページ: http://www12.plala.or.jp/toyama-honda/ 


■本田 孝義(ほんだ・たかよし)
1968年、岡山県生まれ。法政大学卒業。大学在学中から、自主映画の製作・上映を始
める。卒業後、「小川紳介と小川プロダクション」全作品上映に関わる。テレビの仕
事を経験した後、ビデオによる自主製作を始める。主な作品に『デフ・ディレクター
〜あるろうあ者の記録〜』、『影ふみ』、『科学者として 笑顔と告発』など。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
┃ ┃■ドキュメンタリーの場所
┃ ┃■水野 祥子
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●土本作品の緩やかなれど着実な上映予定

昨年6月のロバート・フラハティー・セミナーに土本典昭監督が招待され、5作品−
『ドキュメント、路上』、『ある機関助士』、『水俣:患者さんとその世界』、『不
知火海』、『よみがえれカレーズ』が反響を呼んでいたことはneoでお伝えした。
各作品上映直後に、セミナー参加者や招待者の中にいた上映会コーディネーターの方
々から、是非これら土本作品を上映したく、これから計画を進めていきたい、との話
を伺った。

しかし、ニューヨークや他の東海岸の都市だけでなく中西部、西海岸、カナダからも
来ていた多くの非営利系シネマテーク映画コーディネーターたちの悩みは、日本−米
国往復プリント送料を賄う余裕がないことだった。コーディネーターたちは、セミ
ナー後に上映されたフィルムが日本に帰っていくことをとても残念がりながら、上映
会がいつになるか見当がつかない状態では致し方なく、そのうちプリントが再訪する
機会があれば是非、と、名刺をくれた。

それから数ヶ月後、夏が終わろうとしていた9月、私は慌しくニューヨークからロサ
ンゼルスへ引越しを済ませた。LAのドキュメンタリーの居場所がなかなか見つからず
困惑しながらの私の時間は矢のように過ぎ去ったけれど、2004年の土本作品旅行日程
作成はゆっくりと進行していたようである。

9月も終わろうとしていた頃、最初の吉報が届いた。ワシントンDCの国立美術館、ナ
ショナル・ギャラリー・オブ・アートから2004年2月14日のフラハティー・セミナー
・アンコール上映会で、『ドキュメント、路上』、『ある機関助士』、『不知火海』
を上映したいという。日本−米国間往復プリント送料ももちろん予算に入っていると
のこと。これで往復の旅費はできた。この絶好の機会に、プリントに長期滞在をして
もらって、これら3作品の米国ツアーはできないものだろうか、と、シネ・アソシエ
と配給その他のコーディネートをしてくださるシグロに連絡して可能性を伺い、セミ
ナーで出会ったコーディネーターの方々に「これら3作品のプリントが再び米国に来
ます」、とEメールを出した。

10月に入り、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校での上映が決まった。キャンパス
内のドキュメンタリーや実験映画を定期的に上映するユニオン・シネマでの3月16日
から3日間の土本特集となった。ミルウォーキーはかつては汚染のひどかったミシガ
ン湖沿いの小さな街で、土本作品が上映されることは意義のあることではないかと思
う。

その連絡の直後、ニューヨーク近代美術館から12月のドキュメンタリー特集で『在り
し日のカーブル博物館−カーブル日記・1985年』と『もうひとつのアフガニスタン:
カーブル日記・1985年』を上映したいとの連絡が入った。この2作はヴィレッジ・ヴ
ォイス誌でも高く評価されて、ミルウォーキーの3月の土本シリーズに加わることに
もなった。

11月にはフラハティーセミナーに参加していたボストンの「バラガン実験上映シリー
ズ」のコーディネーターが『カレーズ』をBEATにて上映。さらに、サンフランシスコ
にあるパシフィック・フィルム・アーカイブからは、12月末にようやく、アジアン・
アメリカン・映画祭のひとコマとして『路上』と『機関助士』を上映したいとの連絡
が入った。これは3月9日の上映だそうだ。2月からのワシントンDC、サンフランシス
コ、ミルウォーキーの旅程が整った。

当然私の住むロサンゼルスでも、と思い、各所に尋ねてみた。あるコーディネーター
は、是非実現したい、と言いながら、ニューヨークやサンフランシスコとは違って、
ロサンゼルスの実験的ドキュメンタリー上映に通う固定観客層の薄いことをまず口に
した。もちろん不可能ではない。しかし、やるならある程度の宣伝(資金)が必要で
ある、ということらしい。

確かにこの数ヶ月間、ロサンゼルスとニューヨークの都市のドキュメンタリーを囲む
映画文化の違いを痛感していた。ロサンゼルスにはニューヨークに比べると、新作や
「古典」といわれるドキュメンタリー映画が観られる機会が少なく、人々の劇場公開
ドキュメンタリーへの関心度が低いことも否めない。どの上映会に行こうかと日々選
択に困ることが多く、上映会を中心にコミュニティーが生まれていたニューヨークで
の環境がいかに特別であったかを思い知らされていた。.

しかし、映像の力を放つ土本作品が、ちょっと背中を突ついただけで、米国の幾つか
の都市をひとり歩きすることになったという事実が、ドキュメンタリーの場所が少な
いなどと嘆かずに、ないなら作ることができるでしょ、と逆に私の背中を押してく
れている。気長に構えてやってみよう、と思っている。


■水野 祥子(みずの・さちこ)
摂氏20度を超える快晴続きの1月のLAより、ニューヨークを想いながら恋しいものリ
ストを作ってみました。“歩行者、ポテト・パンケーキ、地下鉄、雪、実験映画自主
上映会、ファラフェルを売る屋台、公立図書館メディアセンター、飲茶、E2丁目を歩
くジョナス・メカス、超高速で走る自転車メッセンジャー、ひどく意地悪でやる気の
ないカフェテリアのレジ係(続)…”



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┃04┃□列島通信 ≪沖縄発≫
┃ ┃■リアリティのある夢
┃ ┃■真喜屋 力
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●好企画『琉球電影烈伝』に欠く立体的な視点

昨年、沖縄ではドキュメンタリー映画に関して二つの目立った動きがあった。一つは
『琉球電影烈伝』( http://www.okiden-bbex.jp/ryukyu/ )の開催。そしてもう一つ
は僕自身が深く関わっている『白百合クラブ 東京へ行く』(中江裕司監督作品)の公
開だ。

『琉球電影烈伝』は、山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)の関連企画。
昨年のYIDFFで行われた『沖縄映画特集』がきっかけになって、御当地沖縄でも開催
されたようです。沖縄映画の特集上映は、一昨年も確か行われていたけれども、今回
のようなテレビの報道番組や、沖縄が舞台のブロードウエイ・ミュージカルの映画化
『八月十五夜の茶屋』(ダニエル・マン監督)などの時代を反映した一般映画まで広
くセレクトされたことはなく、ユニークなイベントだったと思う。インターネットが
世界を縮めたという御時世ではあるが、インターネットは情報を運ぶことしかできな
い。情報でしか知らない作品が沖縄で一挙公開ということは、観客にも作り手にも刺
激になることは想像に難くない。

しかし、部外者として無責任な意見を言わせてもらうと少し残念なところもある。
『琉球電影烈伝』の公式サイトを観ても、沖縄映画の紹介は網羅しているものの、沖
縄と直接関係ない作品の紹介記事が見当たらないのだ。沖縄がどのように語られてき
たかを俯瞰することが映画祭の基本のコンセプトなのは想像に難くない。でも、他の
土地で、それぞれの時代を生きている人が、どのように自分たちの問題を語ってきた
のか。そう言った立体的な視点が、こぼれ落ちたようでもったいない。沖縄に沖縄好
きはたくさんいる。それ以上の+αとしてドキュメンタリーそのものの観客を育てる
ことは、主催者が今後もこういうイベントを続けたいと思っているならば、なおのこ
と重要なファクターではないのかなあ。まあ、とは言えこのような企画はどんどやっ
ていただきたいです。まずは関係者のみな様の苦労には感謝。.

ついでに言えば、沖縄の美術館、公文書館も、こういった作品の収集や、上映などを
真面目にやって欲しいとつくづく思う。実は戦前や終戦直後に、多くのフィルムが沖
縄県内で撮影されている。その多くは押し入れの奥で朽ち果て続けているはず。沖縄
県もデジタル特区を目指すくらいなのだから、デジタルによる修繕作業や、上映など
の機会をもっと作ってもらいたいと真剣に思います。

●コツコツ歩む

そして僕にとってのもう一つの昨年の重大事件、それは『白百合クラブ 東京へ行
く』
http://www.shirous.com/shirayuri/ )の公開。前回の文章(neo49号)にも製作途
中のレポートを書かせていただいたのでご記憶のかたもおられると思います。『ナビ
ィの恋』『ホテル・ハイビスカス』という沖縄ものの一般映画を監督した中江裕司監
督とその仲間で自主製作したドキュメンタリー。内容は石垣島の白保と言う土地に住
む老人たちの楽団『白百合クラブ』を追ったもの。彼らは1941年から楽団を続けてい
る。
平均年齢70歳(最年長79歳)の現在も、集まれば青春時代のノリを醸し出すスコブル
元気な老人たちだ。小さな集落に住む仲間たちの楽団だけに、『ブエナ・ビスタ・ソ
シアルクラブ』のようにプロフェッショナルではないけれど、音楽が結びつけてきた
人と人の大らかな暖かさが満ちている作品…になったと思う。手前味噌でもうしわけ
ない。

しかし、この作品は自主製作に踏み切るまで、いくつものテレビ局に企画を蹴られ続
けてきた。某局のプロデューサーには『老人会のお遊戯』とまで言われた。にもかか
わらず僕らが自主製作に踏み切ったのは、自分たちにこれが一般上映に耐えうるだけ
の内容で、意義のある行為だと思えたからだ。東京を中心としたメジャーなメディア
の価値観で地方の生活感が描けないのはおもしろくない。自分たちの信じるものを作
りたい。しかし地方の感覚はとはだいたいが「井の中の蛙」の上に成り立っているも
の。それを自覚しつつも、地方発全国展開の上映を行ないたかった。.

デジタル技術は製作費を押えることを実現し、僕らのような作り手にも製作への敷居
を下げてくれた。しかし、作ったものをどうやって売っていくのかは感覚的に理解で
きない部分でもある。だからどうしても小さくまとまる。古参の製作会社のように地
道なネットワークを持っているところは良いが、次世代の作家には不透明な部分だと
思う。地方の映像作家で、いつかお金を持った東京のプロデューサーが迎えに来てく
れるような、リアリティのない夢を見ながら悶々としている人は多いのではないか。
そんな人たちにも突破口となるような映画の展開をできないかと、僕自身は密かに思
っていた。.

僕らは『白百合クラブ 東京へ行く』で製作・配給の主体を沖縄に置きつつ、東京の
オフィス・シロウズと共同配給することで全国展開を試みた。とりあえず渋谷と沖縄、
石垣島でのメインの上映と、全国のミニシアターでの上映をおこない、とんとん拍子
に観客のもとに作品を届け続けている。製作費も公開半年で回収できた。とりあえず、
第一段階の展開は成功したのかも知れない。今僕らは次の展開を画策中だ。沖縄の次
世代の作家たちに、リアリティのある夢みたいなものが届けばいいなと思う。
作るだけなら誰でもできる時代だからこそ、地方の作家に求められるのは映画全体の
プロデュース能力なのかなと、つくづく思う。

こんな風に、沖縄に映画を呼び込むこと、そして沖縄から映画を語ることが、もっと
活性化していけば、なにか楽しい状況になっていくような気がする今日この頃です。


■真喜屋 力(まきや・つとむ)
1992年『パイナップルツアーズ』の1パートを監督。BOX東中野スタッフを経て現在フ
リー。演出業、Web製作などで、東京と沖縄を行ったり来たり。
 http://www.tebichi.com



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┃05┃□随時連載「映画は生きものの仕事である」(1)
┃ ┃■デジタル時代に思う
┃ ┃■土本 典昭(シネ・アソシエ)
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●パソコン編集に熱中する

もう数年前になろうか、neoの発刊を前に伏屋博雄氏がこのドキュメンタリー・マガ
ジンに毎号、記録映画論のようなものを連載したいと申し出られた。その意図は殆ど
察することができたし、好意とも受けとったが辞退した。とても“論”というか、指
標となるような理論を持てなかったからである。

それは今も変わらない。ただ、映画を作る過程を吐露し、その都度、意見百出を待つ
ことの魅力は失っていない。私は自分の「迷い」や「自信のなさ」をあからさまに口
にしてきた節がある。むしろ、その“自虐”によって、それらを克服することの術す
ら手にしてきたようだ。「…てんやわんや、口角泡をとばしての現場」、「とんでも
ないことを言い出すスタッフ会議」。そうしたプロセスがドキュメンタリー映画には
つきもの、という体験をしてきた。だから「ドキュメンタリーはカクカク…」といっ
た整理された所説は苦手、それどころか、言ったことに自縄自縛になる恐れがあって、
“逃げた”。.

それに、言われた当時は作品を作る状況に恵まれず、体調の劣化から撮影現場からは
遠ざかり、古希を越え、専ら回顧的に作品の纏めにかかるといった“惰性”になるの
では…と予防線を張ったが、その後、次号から触れるように、自宅で構成・パソコン
編集に親しむ条件が整い、再び、映画作りの“過程”に復帰した形になった。アフガ
ニスタン、水俣についての“新作”ビデオ化…主なしごとはそれであった。

neoneoの前号で大阪の安井喜雄氏の「映画はフィルムだ。フィルムで撮らなあかんで
!」という声に首をすくめるのだが、いま、私はパソコン編集に嵌まっている。「こ
れもムービー・ピクチャー(活動写真)だ」と思う。その変化は私の気分を変えた。
映画作りの話を語ることが出来る…ならば、という気がしてきた。なによりDVの特性
である原画の保持能力と編集の“推敲”に耐える“複写の劣化に少なさ”に励まされ
るのだ。ドキュメンタリー映画にとって、かつて乏しいかった“試行錯誤”の可能性
と時間性が見えて来た。

最近、小津安二郎の作品が戦前のものまで溯って放映される。その冒頭に「古い作品
ゆえにお見苦しい所もありますが…」と断ってあるものの、その劣化したフィルムに
は耐え難い。サウンドネガも潰れたのか、ノイズで台詞も聞き辛い。かろうじて作品
の意図とストーリーを“解説”を読んだうえで判る程度だ。
サイレント時代ものは骨董品でしかないのか。比べてみるのも酷だが、チャップリン
のサイレント・フィルムはなんとネガの綺麗なことか。この時代から古典的評価を見
通していたのかとアメリカ映画界の見識を思う。.

雨のようなすり傷だらけの映画、カラーなのに茶色の濃淡しかないモノクロ様の褪色
は映画を殺している。あの亀井文夫の『戦ふ兵隊』すら、複写を重ねてせいか、軟調、
白黒画面の名手で知られる三木茂の描写力は今は伺い知り難い。もしネガから起こし
たら、映画的評価は一新するであろう。「…さすが三木さんのカメラは素晴らしい」
などという評価を耳にすると、「あなたは発表当時のあの画質を観たのですか?」と
訊きたくもなる。

閑話休題、今後、ビデオ・プロジェクターの日進月歩を期待できる。映画100年の歴
史性に加えて、IT時代の革新的な記録性は希望がある。同時に、なおフィルムの特
有の映画的創作・表現力は不動であり、かつ競合的に深化すると思う。この映像の多
元化に恵まれた時代にこそ、新たな発見があろう。それを述べるのも“生きものの仕
事”と思うのだ。   (つづく)

☆土本監督のフィルモグラフィーや著書、主要な講演記録は「シネ・アソシエ」に
掲載されています。 http://www2.ocn.ne.jp/~tutimoto/index.html 


■土本 典昭(つちもと・のりあき)
ボクが30代、40代の頃、六十歳を越えた先輩は「敬すれど、近づけず」であった。
それが75歳になった。自戒々々である。ただ、アフガニスタンと水俣の仕事にし残し
がある。今年、春、「またも」といわれそうだが、水俣映画の締めくくりの小品を作
り、夏にはアフガンに『在りし日のカーブル博物館』の現地語版を仕上げて手渡しに
行くつもりである。といっても中身は“隠居しごと”である。パソコン編集で映画生
活を楽しんでいる。45年前にこれがあったらとも思う。だからアジアの新人がビデ
オで力作を発表しているのが頼もしくてならない。どうかしばし仲間に入れておいて
欲しい。



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┃06┃□ドキュメンタルな人々
┃ ┃■続・幻のフィルムを求めて(2) 困った問い合わせ
┃ ┃■安井 喜雄
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●幻の映画『アリラン』の顛末

「上映したいがフィルムは何処にあるのか?」との問い合わせが結構多い。基本的に
はその作品の配給会社を教えているが、困るのは実在しないフィルムの問い合わせだ。
一番多いのは、羅雲奎(ナウンギュ)監督と言われる(キネマ旬報では津守秀一監
督)の1926年作品『アリラン』で、年に1、2回は問い合わせがある。この映画は韓国
映画史上の幻の作品となっており、なぜか大阪にそのプリントがあるという噂が広が
っているため、こちらは迷惑至極である。その噂の発信元は生駒のコレクターとして
知られている安部善重氏で、新聞や雑誌でその所持を明言しておられるからである。

私が安部氏を知ったのは、70年代に「無声映画を守る会」を紹介するNHK大阪局のテ
レビ番組に出演した時だった。無声映画好きの人たちが大同団結して「無声映画を守
る会」(大村圭介会長、後に大山英之亮会長)を結成し、弁士楽団付きの上映会を定
期的に開催していたが、そのスタッフがフィルムを探し回ってようやく無声映画の上
映会に漕ぎつけるという内容の報道番組だった。年輩者ばかりの会の主宰者たちに混
じって、当時は若かった私も駆り出され、フィルム借用の交渉場面を撮影のために安
部氏を訪ねたのが初めてである。

その時はENG(Uマチック使用の可搬型ビデオ取材システム)が開発されてなかったの
で、カメラマンは16mmのエクレール持参で、その交渉の模様をガラガラ(同録カメラ
なので本当は静かにサラサラ)廻していた。民放では考えられないフィルムの使用量
(カットを割らずに廻しっぱなし)に驚いた記憶がある。安部氏はフィルムライブラ
リー助成協議会(現・川喜多記念映画文化財団)の清水晶さんの名刺を机に置いて、
将来はフィルムを全部ここに寄贈すると言っておられた。その時、話題は『忠次旅日
記』に及んだ。安部氏は、幻の映画と言われて久しい『忠次旅日記』のプリントを2
本所有していたが、1本を人に貸したところ戻ってこなかったので、以降、他には貸
さないことにしたとのことだった。1本は所有しているけど、貸すのはもってのほか
と断られた。

私はフィルムの保存はどうしてるのか疑問に思い訊いてみた。すると「何人かの人を
雇い点検している。フィルムに塗るワックスも、ドラム缶で購入している。保存とい
うのは人に貸すことではない。上映しないことが保存だ」と論理的には正しい回答を
得て、みんな反論できず、結局は何も貸してもらえなかった。NHKは狙い通りの場面
を撮影できたようだ。その番組では結局「アート芸能企画」の主宰者、大坂稔氏から
の借用シーンを挿入して完成していた。

それから時を経て次に訪問したのは、山根貞男氏がフィルムコレクターの取材をした
いと言うので、「無声映画を守る会」の世話役だった湯原信男氏の案内で久しぶりに
訪ねた時だった。この時は、『アリラン』にも話が及び「フィルムが島根の倉庫にあ
って、まだ出てこないので、出てきたら北、南、日本の三者同時に提供する」と明言
された。「日本の代表は辛基秀(シン・ギス=青丘文化ホール代表、『江戸時代の朝
鮮通信使』製作、2002年10月5日没)さん」と言われていた。

安部氏の元には前述の湯原氏を初め辛基秀氏、NHK大阪局の資料担当だった大塚融氏
などが日参したにもかかわらず、未だにフィルムは門外不出のままである。例外とし
て無声映画を守る会に羅門光三郎主演の『八荒流騎隊』(1930年、東亜キネマ、後藤
岱山監督) を貸し出されたのと、辛基秀氏に日鮮融和をテーマとした教育映画 『隣
人愛の麗容』(1934年、 奥田商会、山形国際ドキュメンタリー映画祭'97の「大東亜
共栄圏と映画」で『隣人愛』として上映)の複製を許可されたことがある。なお『ア
リラン』探索の様子は「わがシネマの旅・韓国映画を振りかえる」(凱風社)に詳し
いが、安部氏の説明が私たちへの回答と少し違っているので可笑しかった。

●『半島の舞姫』は何処?

『アリラン』に次いで問い合わせの多いのが新興キネマの 崔承喜(チェスンヒ)主
演作『半島の舞姫』(1936年、今日出海監督)である。朝鮮の舞姫として著名な崔承
喜の姿が拝めるとあって各方面から問い合わせが来る。先年上映された『伝説の舞
姫・ 崔承喜 金梅子が追う民族の心』(2000年、藤原智子監督)にも挿入されてい
なかった。やはりどこを探しても見つからなかったのだろう。

●『義人呉鳳』を追跡

台湾を舞台にした映画の問い合わせもあった。『哀の曲』(1919年、天活、枝正義郎
監督)や『阿里山の侠児』(1927年、日活、田坂具隆、溝口健二監督)など幻の映画
ばかりだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭の常連、台湾の李道明監督からは台湾係
の資料探しを依頼され、私が『義人呉鳳』(1932年、台湾プロダクション、安藤太郎、
千葉泰樹監督)なら日本にあるかも?と言ったので、探して欲しい旨の要望を得た。

この映画は、羽曳野市在住の映画業者の未亡人で和田喜代野さん所有の目録に載って
いた記憶があった。帝国キネマの撮影助手だった古老で「無声映画保存協会」を名乗
って無声映画の活弁付き上映を開いていた森田留次氏の案内で和田さん宅を訪れこと
があり、残っていたフィルムを全部購入したが、長編作品は他の人に買われてすでに
なく、地団駄踏んだことがあった。『義人呉鳳』もその中に含まれていたようだ。
後の調べで、それらのフィルムの多くは京都府文化芸術室に納入されたことが分かっ
た。.

当時、京都府は共産党蜷川府政の音頭取りで、京都で製作された作品を収集して映画
の博物館を作る計画のため、府文化芸術室の江馬道生氏が奔走し多くの無声映画を収
集していた。フィルムは後に京都文化博物館に移管されたので、もしかしたらこの映
画も文化博物館に収蔵されている可能性があると思い問い合わせたら、そのフィルム
は目録に載せていないが保管しているとのことだった。台北の國家電影資料館から複
製を依頼されている旨を説明し、その実現の方向で交渉していた。その最中に香港国
際映画祭に参加し、佐藤忠男ご夫妻にお会いした。そのとき、 岡山の映画資料収集
家、松田完一氏の話題となり、彼が『義人呉鳳』を所有しているとの情報を得た。

帰国後、暫くして松田完一氏と連絡を取り、岡山へ出向いた。大きな瓶の中に貴重な
無声映画(16mm)が何本も積み重ねられていた。この時は台湾側の意向を伝えたもの
の具体的な交渉は後日とした。京都府版は状態がもうひとつで躊躇していたが、松田
版の方は良好な状態だったので有り難かった。その後、幸運なことに松田氏から提供
承諾の旨連絡が来た。従って、台湾で幻だった『義人呉鳳』も現在では幻ではなくな
ってしまった。  (つづく)


■安井 喜雄(やすい・よしお)
16mm映写機の最後の砦、映機工業がポータブル映写機の生産を中止するという噂を数
カ所から聞いたので、不安に思い営業マンに直接聞いてみた。そんなバカなことはな
いと否定されたので安心したが、ビデオ投影機器に押されて映写機生産は年々縮小し
ているようだ。いずれ16mmも8mmのように消え去るのだろうか? その16mm専門だった
小川紳介監督の13回忌が経過しようとしているが、松本映画研究会から三里塚シリー
ズ全7作上映会の案内(1月18日、2月1、7、21日、松本市中央公民館Mウイング6F
ホール)が届いた(「広場」欄を参照)。アテネ・フランセ文化センターでも小川の
全作品が近く上映されるらしい。ビデオやDVDが出ていないのでお見逃しなく。



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┃07┃□連載寄稿 ヤマガタを味わい尽くす (5)
┃ ┃■白熱!学校スペシャル
┃ ┃■佐藤 寛朗
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●学校スペシャルプログラム

10月14日、火曜日。3連休も終了し、いよいよ映画祭も後半戦に突入である。
街の人影はいくらか減ったようだが、メイン会場の中央公民館(AZ)は相変らずの賑わ
いよう。今日のコンペの上映は、一日がかりの『鉄西区』である。

私はこの日、「学校スペシャル」と名付けられた、日本の映画を教える機関から生ま
れた作品の特集上映の会場に張り付いた。ここ数年、日本の若手のドキュメンタリー
の製作状況を語る上で、日本映画学校・映画美学校・CINEMA塾といった機関の存在は
無視できないものとなっている。

現役の映像作家やプロデューサーの元で教えを乞い、仕上がった作品が劇場公開され
話題になるという華々しさが、ドキュメンタリーを志す若者を増やしているという一
方で、これらの機関が生み出す作品群には、セルフドキュメンタリーの隆盛に対する
違和感や、彼らの次作が続かない事への懸念といった議論の火種が常に内包されてき
た。

かような状況の中で、学校という形式で映画を教えるという事には、そこで作り手に
何を提供し得るのか?という教える側の問題と、そこから何を享受して、その後の作
家生活に役立てていくのか?という作り手の側の問題が問われることだろう。地元の
れっきとした映像教育機関である山形芸術工科大も加わって、これらの一連の議論が、
今回の山形映画祭で初めてクロスし、明らかになる。
学生時代、CINEMA塾に関わった後、宙ぶらりんの状態を続けている私にとっても、こ
の企画には少なからずの関心があった。

昨日までニューズリール特集が上映されていた小ホールは、朝から100人以上の人で
溢れかえっていた。そういえば昨日まで、前後に自作の告知看板(?)を貼り付けた
自転車で、街中を走り回ってお客を呼び込んでいた彼らの姿を何度も目撃していたっ
け。彼らは夜の香味庵でも、チラシを片手に拙い?英語で果敢に海外のゲスト監督に
自作を紹介していた。このような徹底した上映の告知・宣伝のノウハウも映画学校仕
込みだとしたら、まさに映画学校恐るべし、である。

●各学校の作品の上映

前半は各学校の作品上映と、それに関する質疑応答が展開された。各学校の教育内容
の特徴については、作品を結実させた彼らの口から語られる、という仕掛けである。
旧「neo」などで何度か紹介された作品もあるので、ここでは個々の作品の紹介より
も、彼らの質疑や作風から感じられた、各学校の雰囲気に対する私見を記しておく。

トップバッターは、日本映画学校。『向かい風吹くまで〜おやじの唄』(大池正芳監
督)と、『熊笹の遺言』(今田哲史監督)の2本である。獄中にいる父親への思いを
残された家族と共に整理する、という内容の前者が、同校の『home』や『ファザーレ
ス』にも連なるセルフドキュメンタリーの系譜に属するのに対し、ハンセン病の療養
所の老人達との様々な交流を描いた『熊笹〜』は、より厚みのある、完成度の高いド
キュメンタリーであった。

『向かい風〜』の大池監督は『熊笹〜』では録音を担当しており、逆に『熊笹〜』の
今田監督は『向かい風〜』の編集を担当している。2人は同じゼミで、奇しくも違う
年次に作られた作品をお互いに発表する結果となったが、彼らのプレゼンテーション
の様子を見ていても、スタッフワークを重視するという同校の校風が感じられた。さ
すが、フィルムオンリーの時代からの、伝統的な学校である。役割分担をきっちりし
つつ、議論すべき所は互いに議論を積み重ねる。その事が作品の精度と質に反映され
ている、といった感じだ。

続いて映画美学校。『粘土ができるまで』(田村一郎監督)と『ヒノサト』(飯岡幸
子監督)『GO!GO!fanta-G』(清水浩之監督)の3作が上映される。こちらはどちら
かといえば作家が作りたいものを自由に作る、という風土があるようで、極めて自然
主義的な『粘土〜』から「マンガを意識した(清水監督)」作風の『GO!GO!fanta-
G』まで、3作が全く違う感じ。但しそれゆえに「同じ学校なのにあまり話をしない、
相互で作品を批評し合う空気が無い(田村監督)」などという不満もあるようだ。

CINEMA塾からは、『かけがえの前進』(長岡野亜監督)と『レター』(津本真理監
督)。強烈なキャラクターの精神病者のパフォーマンスと生活を通して市民社会のあ
り方を問う『かけがえ〜』に対し、『レター』は父への積年の愛憎を主人公がカメラ
を通して確信犯的にぶつける、というストレートなセルフドキュメンタリー。一見対
極的な方向にある2作だが、両者とも被写体にカメラを向ける事の意味を問われる事
へ葛藤が壮絶だった、と告白していた。作品の丁寧な構成とは裏腹に、過酷な取材で
倒れたり、撮影を拒否する相手を何故撮らなくてはならないのか?という問いと、表
現との狭間で随分と悩んだそうだ。このような問いを否応なく反芻させられるのは、
さすがは日頃から「人と向き合う」ことを説く原一男の塾だなと思う。

そして地元・東北芸術工科大学からは、『車は走らなくても、良かった。』(大木千
恵子監督)と『砂の入った靴のままで』(黄木優寿監督)が登場。どちらも10分強の
短編で、ナレーションやモンタージュを駆使したりと、実験映画風の作りである。上
の3校とは異なるテイストが私には斬新だったが、「この映画を撮ることが、家族、
とりわけ父と話をするようきっかけになった」という大木監督の弁に、カメラを向け
る事がコミュニケーションそれ自体の動機となり得るという、『レター』にも通じる
現在の映像表現の一つの潮流を感じた。

ざっと概観してみると、各々の作風には、校風や、講師の個性といった教える側の影
響が存在する事が分かる。彼らと話をしていて、それが話題になる事も良くある。し
かしそれはあくまで結果論に過ぎず、作家達自身にとっては、今回の上映は、色々な
作風に触れる事で、それを今後の自分の作家性の糧とする、という意味合いの方が大
きかったのではなかろうか。その意味では、卒業制作発表会などのいわゆる“ご祝儀
上映”の場を離れ、初めて山形の観客の目に晒された彼らにとって、「ショットの力
をもっと意識したほうが良い」(『熊笹の遺言』に対しての発言)「正直良く分から
ない」(『ヒノサト』)「(セルフドキュメンタリーはどれも)同じようにしか見え
ない」(『レター』)といった一連の観客の批評は、どのように響いたのであろうか?

●シンポジウム〜ドキュメンタリーは教えられるか? .

後半に入り、各機関で講師として学生の指導にあたる安岡卓治・佐藤真・原一男・加
藤到の各氏によるシンポジウムが行われる。「ドキュメンタリーは教えられるか?」
と題されたこのシンポジウムでは、現役の作家でもある彼らの、現在形の模索と葛藤
がにじみ出た、濃密で緊張感のある議論が展開された。

イメージフォーラムの1期生だった加藤氏を除き、彼らは映画学校の出身ではない。
表現の差こそあれ、彼らが学び鍛えられてきた所は、基本的には映画の現場であった
という。「あとは、武田美由紀、小林佐智子という女です」と原。
そのような前提を踏まえた上で、彼らは今、どのような事を心掛けて“教える”とい
う立場にいるのだろうか。ここで、それぞれのスタンスが分かれた。

日本映画学校の専任講師を長年勤め、『ファザーレス』や『home』といった多くの作
品の誕生に立ち会ってきた安岡卓治が口火を切る。「自らの映画経験を教えるという
よりも、彼らの目線をどのようにすくい取るかが先決だと考えている。若い彼らの切
実な思いを表現として具体化するための回路や可能性を閉ざしてはいけない、という
思いがある」

現在も“私塾”としてCINEMA塾を展開する原一男は「『ドキュメンタリーとは生き方
である』を体現する。イメージとしてはコミューンです。彼らと付き合うということ
は、テクニックではなく彼らの生き方を問う事になる。彼らと付き合うと1ヶ月や1年
じゃとても足りない。実際には彼らにエネルギーを吸い取られている感がある」と愚
痴りながらも、「順送りの精神」で、今後も若者と関わり続けることを宣言。

日本映画学校とCINEMA塾という、先行する両者を見届けた後に映画美学校の専任講師
になった佐藤真は、「教育主義や精神論を払拭して、ドキュメンタリーのありとあら
ゆる方向性・可能性を検討する。モチベーションは問わない。素材との格闘や教養教
育も含め、世界に対する批評性を持たせる事が大事だ」との考えを披露。「原さんが
直球だとすると私は変化球勝負」などという絶妙な表現で、会場を湧かせた。

一見、相反するような事を言う原一男と佐藤真ではあったが、あまり学校の先生をや
りすぎると作家としての創作エネルギーが吸い取られてしまう、という考えでは奇妙
に一致していた。「実際に現場を共有しないともどかしい」と言う原も、「あくまで
映画の基本は現場であり、スタッフ論、実践論が主軸なんです」という佐藤も、教え
るという立場と己の作家主体の確立との狭間で、常に格闘しているのだ。

では、結局こうした映画学校の授業が、映像作家の育成や次なる現場の創出へと繋が
るのか?という問いには、三人とも一様に否定的な見解を述べた。.
「(卒業後の進路が)どんなに劣悪な映像の現場でも、僕はそこで揉まれる事を勧め
る。僕が今まで出会った人のうちの何人かは、別の形で僕のところに戻ってきてい
る」とは安岡卓治。
「映画の学校は現場への近道ではない。全然直結していない。優れた映画は歴史的に
も映画学校からは出ていない。映画学校に通う人は、この事に対する恐れと、すごい
奴が世界のどこかで、1人でも作品を作っているんだという思いを持って欲しい」と、
佐藤真。
加えて原一男も、「基本的には映画学校での先生と生徒、という関係はいびつだと思
っている。あとは自分がそこで何を学ぶかの方向を絶えず意識して持つしかない」と、
とどめを刺した。

私はこの一連の議論を噛み締めるように聞いていた。なるほど、高名な映画監督との
関わりができたからといって、ドキュメンタリーは徒弟関係が成立するほど甘い世界
ではない。この日上映された作家達のほとんども、何か保証があるわけではなく、今
後は再び、個々人の立場で映像作家への歩みを進めていくことになる。そして、原や
佐藤が盛んに現場主義を説くのも、若い作家たちに対して、今後は「いかに描くか」
という作家性に加え、技術や状況的なことも含めて「いかに現場を作るか」という泥
臭い創造力が問われるんだよ、ということを示唆しているように私には思える。.

つまりドキュメンタリー作家として独り立ちするには、それだけ現実的な困難が伴う
のだという事を、彼らは身を呈して教えてくれているわけだが、私にとってこのこと
は、絶望でもあり希望でもあった。極めて原則的なことだが、どんな状況であれ、作
家にとっては、作り続ける、その事が一番大事なのだ。

シンポジウムの終了後、なぜかボウリング場の片隅で、各学校の学生と講師を交えた
交流会が行われた。厳しい結論のシンポジウムではあったが、様々な講師の話を聞く
学生達の目は真剣そのものであった。やがてどこで聞きつけたのか、呉乙峰がやって
来て、原一男に『生命』の感想と批評を求めた。益々顔を紅潮させて(前号に記した
ような)批評を鋭く説く原一男に、さすがの呉乙峰もジッと黙って話を聞くより他な
かった。私はその姿に、'70年代以降の日本のドキュメンタリーを常に第一線で支え
続けてきた男の士魂を見るのだった。
                                (つづく)


■佐藤 寛朗(さとう・ひろあき)
ちょっと補足したい事があって、山形へと追加取材を決行。美味しい蕎麦とお酒と温
泉は相変らずでしたが、10月とはうって変わって猛吹雪!真っ白に埋もれながら、ラ
イブラリー最寄りの停留所で1時間に1本しかないバスをひたすら待ち続けました。寒
かった。



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┃08┃□広場
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□交信
■林和秀さんの投稿「岡田秀則『アーカイヴ上映の現場から (3) 』より
 “すべてのフィルムは等価である”によせて」に対する返信  
■岡田 秀則(東京国立近代美術館フィルムセンター研究員)

ご意見拝読しました。
周知のこととは思いますが、多くの人間がある映画を「優れている」とか「つまらな
い」とか述べたことの集積が、やがて作品に関連した人名に結晶し、それが一人歩き
して権威になってしまう現象は無数にあります。だから、現実のフィルムにある事柄
から批評を紡ぎ上げる態度は、劇映画・ドキュメンタリーの別にかかわらず、常に有
効だと私は思います。.

しかしここで確認しておきたいのは、連載で私が「すべての映画が面白い」と述べた
のは映画の“批評”ではないという点です。「受け取る側の人生の記憶に依拠する
“身びいき”」というくだりがありましたが、「人生の記憶」が問われるのは、あく
まで批評の領域ではないでしょうか。私の言う「愛しい」とは、林さんの言う「人生
の記憶」を動員する以前に起こる、ありていに言えばフェティシズムに近い感情かも
知れません。「任意の映画」と書かず「任意のフィルム」への愛情と書いたのもその
せいです。それが「身びいき」なのは、恐らくおっしゃる通りでしょう。ただ、映画
の「発掘」に関して言えば、永い年月を経て再び世の中に現われてきたフィルムを、
評価以前の気持ちとして、ささやかに歓迎する権利は認められてもいいだろうと思い
ます。.

また、映画を区別せず、(作品の体裁をなしている限り)どれも平等に保存するとい
う態度は、映画アーキヴィストの一つの職業倫理でもあります。むしろこの点を強調
するべきかも知れません。フィルムセンターの保存庫の中では、成人映画も小津安二
郎も仲良く収められています。そしてそのうちの一部のノンフィクション映画を上映
するにあたり、連載で述べた通り、一つの可能性を見つけたのです。

以上、ご理解をいただければ幸甚です。

     ◇────────────────────────◆◇◆     

■投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第5回
提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭/今年も5月末開催予定!)

「オススメ作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。
映画・ビデオ・テレビなどなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなん
でもOK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指
摘したり…。「オススメしない映画とその理由!」でもむろんOKです。

200字以内の本文とは別に、「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡
先(メールアドレスまたは電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して、
清水までお送りください。
(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけるとうれしいです)
清水浩之 → E-mail:shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

「neoneo」は毎月1日・15日の配信ですので、その2週間前を〆切日として(こっちも
1日と15日ですね)基本的に無審査・先着順で掲載させていただきます。
皆さんのご参加、お待ちしております!


NO.008 『トスカの接吻』
1984年・スイス/監督:ダニエル・シュミット
見た場所:第七藝術劇場(DVD販売元:ジェネオン・エンタテインメント)

同じシュミットの『主人の蝋燭を節約するためにすべてを暗闇で行うこと』を思い出
させる。この映画では引退したオペラの音楽家たちの住む“ヴェルディの家”を、
『主人の〜』は召使の学校を、というように、ともに古いヨーロッパ文明が置き忘れ
られているかのように残る空間を舞台にしているから。それからこの映画は裏『ブエ
ナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(ヴィム・ヴェンダース)という感じもする。とも
に引退した音楽家にカメラを向けているから。それにしてもなんという印象の違いか。
これは、監督の違いなのか、それとも‥‥‥。
(脇阪亮/大阪/34歳/行政書士兼ファイナンシャル・プランナー)


NO.000 『アフリカへの想い』
2000年・ドイツ/監督:レイ・ミュラー
ビデオ・DVD発売中(発売元:エスピーオー)

昨年惜しくも逝去されたレニ・リーフェンシュタール女史。スーダンのヌバ族と再会
を果たしに行く、というだけでは収まらないのが女史の女史たる所以で「友人の死を
知らされてショックを受ける私を撮り逃がした!」とスタッフを叱りつける98歳(で
も美人!)が主役の秘境探検ロマンになっていきます。
藤岡弘、もびっくりの冒険家魂と、演出家としてのサービス精神、銃撃されても死な
ない生命力には呆れ笑いと敬服あるのみ。合掌!
(清水浩之/東京/36歳/会社員)


NO.000 『連句アニメーション 冬の日(冬の日の詩人たち)』
2003年・電通テックほか/メイキング演出:和田敏克
DVD発売中( http://www.fuyunohi.com )

芭蕉と仲間たちの連句を35組のアニメ作家が競作?でも俳句も短編アニメも不勉強な
自分にはちょっと難解だなあ、と思いながらアニメパートを見終えると、そこから延
々1時間にわたり全作家にインタビューするメイキングパートがあって、むしろこっ
ちの方を大いに堪能。「アニメ映画」としてより、CGから銅版画(『ポケモン』の小
田部羊一夫妻!)まで、35通りの技法を見学できる「アニメについての映画」として
おすすめです。
(清水浩之/東京/36歳/ANIME好き会社員)


NO.000 『世界潮流2003 ANIMEが世界を駆けめぐる』
2003年・NHK/構成:谷卓生+今井陽子
放映日:2003年12月31日再放送・NHK衛星第一

日本製ANIMEの世界での受け止められ方を、「文化」として再認識されたフランス、
「ビジネス」の大きな壁に直面するアメリカ、「国家的産業」として猛追する韓国か
ら報告。国立アニメ高校!を設立しちゃった韓国のやる気もスゴイけど、スタジオで
の討論で、40年変わらず貧乏で有名な日本の制作現場からの声として「経済学部を出
た人間がアニメを作った気になってるんじゃないか?」とツッコんだ細田守監督、ア
ナタはエライ!
(清水浩之/東京/36歳/経済学部でしたが…)


NO.000 『コミット?』
2003年/監督:梅山景央
見た場所:池袋アムラックスホール「Az Contest 2003」

昨今オタク界で語られる「萌え〜」な感情とはどんな状態なのかを、「ある日自分に
12人の妹が出来たら?」という豪快な設定の『シスタープリンセス』に「萌え〜」な
ファンサイトのお兄さんたちに密着取材。高校生から社会人まで、年齢も生活も様々
な彼らが初対面から意気投合し、徹夜作業でコミックマーケット出展を目指す高揚感
は、人生で一度は体験する「学園祭前夜の団結」を思い出させ、特に文科系のヒトは
ホロリとしますよ。
(清水浩之/東京/36歳/高校時代は映研でした…)


「超甘口」という評判も出ておりますこのコーナー。提案者が甘党なもので…
辛口のクチコミもお待ちしております。ではまた次号で!


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■訃報:大内田圭彌監督永眠       安井喜雄

冤罪事件を描いた『松山事件』(1964)、新宿西口広場のフォーク・ゲリラの記録『地
下広場』(1969)、暗黒舞踏の創始者・土方巽の貴重な舞踏記録『疱瘡譚』(1972)、そ
して同じく土方巽の主演映画『風の景色』(1988)など、ユニークな映画作りで知られ
る大内田圭彌監督が昨年の12月22日に肺炎のため亡くなられた。

「わたしは『死』とは、すべての終わりだと考えています。…もしわたしが存在する
としたら、それはわたしを知った人々の記憶の中にだけと思います。
‥通知は、死後一ヵ月以上後にお願いします。…死後一ヵ月以上後にお知らせしても
らう理由は、皆さんの生活を乱したくないからです。…親しくして下さった方々には、
心からのお礼を伝えて下さい」との本人の強い遺志ですぐに密葬され、一ヶ月後に公
表された。

電話の声はいつも元気だったので、今回の入院もそのうち退院されるだろうと思って
いたが、訃報に接しやるせない気持ちになった。今後の氏の再評価を期待したいとこ
ろである。


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映

●映画美学校「1st Cut 2003」ドキュメンタリー3作品がレイトショー

1/31から2/6までの間、渋谷ユーロスペースにて映画美学校「1st Cut 2003」ドキュ
メンタリー3作品がレイトショー公開されています。期間中、映画美学校講師でおら
れる、佐藤真さんによるトークショーも予定しております。

1月31日〜2月2日『city lights』(監督:服部智行、2003年、100min / Video )
2月 3日〜2月6日『人生 紙芝居』(監督:丸谷肇、2003年、27min / Video )
        『あはは おほほ』(監督:田村一郎、2000年、47min /Video )
当日券:900円、時間:連日21時より
2/04(水)上映後、佐藤真さんとドキュメンタリー科監督によるトークショーを予定
しております。
※上記イベントは変更になることもありますので、お手数ではありますがご確認のう
え、お越しいただけるようお願い致します。

お問い合わせ:映画美学校 03-5205-3565 まで
会場:ユーロスペース(03-3461-0211)
詳しくは、1st Cut 2003のHPをご覧ください。
 http://www.spritenum.com/firstcut2003/ 


●松本映画研究会「三里塚」上映会

2月1日  13:00『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』、
    14:00『三里塚・第二砦の人々』
3月7日  13:00『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』、14:35『三里塚・辺田部落』
3月21日 13:00『三里塚・五月の空 里のかよい路』、
    14:35 上野昂志氏講演「小川紳介と三里塚」

会場:松本市中央公民館Mウイング6Fホール (0263)33-1132
入場料:当日1500円 共通前売券1200円 高校・予備校生500円
    中学生以下無料 4回通し券4000円
主催:松本映画研究会
連絡先:(0263)33-9513北沢(土日、祝祭日を除く9:00〜17:00)
協力:松本市中央公民館、ネットワークガイアメッセ
後援:松本市教育委員会 信濃毎日新聞社 市民タイムス


●第14回Theater KINOkuniya (社)映像文化製作者連盟設立50周年記念
DVD「日本アートアニメーション映画選集」完成記念上映会
『アニメーションの旅〜漫画映画から実験アニメまで〜』

日時:2004年2月11日(祝)11時より4プログラム
会場:紀伊國屋サザンシアター(新宿駅南口・紀伊國屋書店新宿南店7階)
 http://www.kinokuniya.co.jp/02f/d12/2_12000o.htm 

図書館・大学での資料用として刊行するDVD(全12巻・378,000円!)を当日限りの劇
場一般公開!日本のアートアニメの歴史を体験する一日の旅。
『くもとちゅうりっぷ』の政岡憲三による音楽ファンタジー『桜』をはじめ、劇作家
・飯沢匡、抒情画家・蕗谷虹児、映画評論家・岩崎昶らによる異色作、野外アニメ
『STONE』までを網羅した垂涎のプログラム!

Aプロ(11時):開拓者たち(全74分)
大藤信郎『春の唄』『馬具田城の盗賊』『ちんころ平平玉手箱』/
政岡憲三『茶釜音頭』『桜』/瀬尾光世『のらくろ一等兵』『アリチャン』/
荒井和五郎『お蝶夫人の幻想』

Bプロ(13時):人形アニメーションの旅(全89分)
持永只仁『瓜子姫とあまのじゃく』/飯沢匡『ビールむかしむかし』/
渡辺和彦『かぐや姫』/岡本忠成『ちからばし』/川本喜八郎『火宅』

Cプロ(15時):セルアニメーションの道程(全72分)
大塚康生『草原の子テングリ』/薮下泰司『こねこのらくがき』/
蕗谷虹児『夢見童子』/矢吹公郎『生きているってすばらしい!』

Dプロ(17時):実験アニメの挑戦(全79分)
久里洋二『軌跡』『Man and Woman and Dog』『Flower』/
村山寿子・村山知義・岩崎昶『三匹の小熊さん』/
横山隆一『5万匹・傑作選』/鈴木伸一『プラス50000年』/
柳原良平『池田屋騒動』/真鍋博『時間』/林静一『鬼恋歌』/
島村達雄『幻影都市』/月岡貞夫『娑羅双樹の花の色』/
古川タク『驚き盤』/相原信洋『STONE』

前売:4枚セット4,800円・各回1,300円/当日:各回1,500円
自由席・各回定員入替制
前売・電話予約・問合せ:紀伊國屋サザンシアター(10:00-18:30)
電話:03-5361-3321 http://www.kinokuniya.co.jp/ 


●毎週木曜よる11時は、日本映画専門チャンネル“ドキュメンタリー傑作選”

CSスカパー!&スカパー!2と全国のケーブルTVでお楽しみいただける日本映画専門
チャンネルでは、岩波映画の映像作家からCCDビデオカメラ世代の新映像作家まで、
時代と人間の真実を描いた秀作を特集し、ドキュメンタリーの魅力を検証します。

<2月放送作品>
2月5日(木)よる11時
『北壁に舞う』(1979年・カラー)
監督:松山善三 出演:長谷川恒男/長谷川満子

2月12日(木)よる11時
『不確かなメロディー』(2001年・カラー)
監督:杉山太郎 出演:忌野清志郎/武田真治/藤井裕/上原“ユカリ”裕

2月19日(木)深夜12時
『路地へ 中上健次の残したフィルム』(2001年・カラー)
監督:青山真治 旅・朗読:井土紀州

2月26日(木)よる11時〜2作品
『新宿ボーイズ』(1995年・カラー)
監督:キム・ロンジノット/ジャノ・ウィリアムズ
『ドリームガールズ』(1993年・カラー)
監督:キム・ロンジノット/ジャノ・ウィリアムズ
出演:安寿ミラ/真矢みき/杜けやき

詳細は公式サイトからどうぞ!  http://www.nihon-eiga.com/documentary 


●フィルムセンターで白井茂撮影作品を上映

フィルムセンターの新シリーズ「日本の撮影監督(1)」(2月3日―3月28日)の中で、
日本のドキュメンタリー撮影の先駆者白井茂がキャメラを担当した作品が上映されま
す。

会場:東京国立近代美術館フィルムセンター(京橋) 大ホール
料金:一般500円、高校・大学生・シニア300円
フィルムセンターURL(作品解説あり): http://www.momat.go.jp/fc.html 

上映作品・日程:
2月13日(金)3:00pm、3月10日(水)7:00pm
社会教育劇 街(ちまた)の子(51分・35mm・白黒・無声) 1924年 ※教育劇映画
黒部峡谷探検(24分・35mm・白黒・無声) 1927年

2月13日(金)7:00pm、3月13日(土)1:00pm
南京(56分・35mm・白黒) 1938年 秋元憲編集
小林一茶(27分・35mm・白黒) 1941年 亀井文夫演出


●「新たなウカマウ集団の創造に向けて
−ボリビア・ウカマウ集団プロデューサー ベアトリス・パラシオス追悼上映−」

2月14日(土)
14:00 上映 『ただひとつの拳のごとく』
15:50 報告:太田昌国 「新自由主義攻撃下のボリビアとウカマウの映画」
    新作『最後の庭の息子たち』(仮題、サンヒネス監督)予告映像
    ホルヘ・サンヒネス監督からのメッセージ映像
17:00 ボリビアに捧ぐ コンサート
    出演:木下尊惇(ギター、チャランゴ、ボーカル)、
    菱本幸二(ケーナ、シーク)
18:00 上映『ここから出ていけ!』

会場:アテネ・フランセ文化センター〈水道橋/お茶の水〉
入場料:2,500円(当日のみ)
主催:シネマテーク・インディアス、
共催:スタンス・カンパニー、ムヴィオラ、現代企画室
お問い合わせ:現代企画室 Tel.03-3293-9539
会場お問い合わせ:アテネ・フランセ文化センター Tel.03-3291-4339
(13:00―20:00)
イベントの詳細は、 http://www.jca.apc.org/gendai/event/index.html 
ウカマウ集団については、 http://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/index.html 


●CINEMA ENCOUNTER SPACE VOL.7
<IN DOCUMENT!>
「ドキュメンタリー映画の世界 佐藤真セレクション2004」関連企画
2004年新年明けてのCINEMA ENCOUNTER SPACEは、新旧のドキュメンタリー映画を中心
に構成しました。日本のドキュメンタリー映画が示すひろがりを中心に、時代を越え
て今なお映画表現の魅力を放ってやまない傑作や、海外から発信されつづける新しい
表現力をもつ作品をとりどりに、過去から現在、そして日本から世界という縦横の視
野の回路を開拓したいと考えます。
また、作品の上映に際し、各開催ごとに作品資料や批評家、実作者、関係者の方々に
よるコメントなどで構成する冊子をご来場のみなさまに配布します。
主な内容は以下の通りです(予定)。

・日本のドキュメンタリー映画は、どのような足跡を残してきたのか。
(黒木和雄(『美しい夏キリシマ』キネ旬日本映画第1位)監督コメント、岩佐寿弥
(『叛軍NO.4』)監督インタヴューほか)

・亀井文夫の精神―いかにして“戦ふ”か?―
(鈴木一誌氏(『画面の誕生』著、『映画監督・深作欣二』ブックデザイン)コラ
 ム)

・柳澤壽男監督の方法から学ぶ、“甘えることは許されない”映画づくり。
(浦辻宏昌(京都ドフィル)氏コラムほか)

・現在の映画制作における問題と課題、その攻略法はいかに?
(佐藤真(『阿賀に生きる』)監督コラムほか)

・世界で活躍する作家たちの仕事と状況について。
(「ジャ・ジャンクーと中国第六〜七世代の躍動」妹背有香氏ほか)

・映画時事コラム
(座談会「自主制作映画の住処」原田拓郎(『CAMERA GIRL MY SWEET』製作総指揮)、
 田中誠一(CIENMA ENCOUNTER SPACE))ほか

※「ドキュメンタリー映画の世界2004 佐藤真セレクション」の情報はこちらのURL
にてちかじかアップされる予定です。
 http://www.acic.kyoto-art.ac.jp/acic/acic.html 

2/20(金)
16:20〜17:40 インディーズ新作選7―
『LUNA』今江康弘(Strange Love)、『届けよギター』井村征爾(青春組立式キット)、
『総合恋愛科』葛西勇也(以上VOL.7)以降、毎回多数インディーズ作品上映。
18:00〜19:30
『三人三色』(2001/中国、イギリス、台湾/ジャ・ジャンクー、ジョン・アコムフ
 ラー、ツァイ・ミン・リャン監督/92分)

2/21(土)
13:00〜14:30 インディーズ新作選7
14:50〜15:35『新学期・操行ゼロ』(1933/フランス/ジャン・ヴィゴ監督/45分)
16:00〜17:30『三人三色』
17:50〜19:30『甘えることは許されない』(1975/日本/柳澤壽男監督/105分)

会場:京都造形芸術大学 人間館B1階 芸術文化情報センター 映像ホール
前売チケット・事前予約:一般1回券\800、学生1回券\500
            一般4回券\2,000、学生4回券\1,500
※前売りは直接取り扱いとホームページでの募集(事前申し込み受付)。
当日:一般1回券\1,000、学生1回券\600、インディーズ新作選\500
※造形大生は1回券のみ学生料金からさらに\100円引き(学生前売料金)。

【主催】CINEMA ENCOUNTER SPACE
その他、詳細は以下のURLをご参照下さい。
CINEMA ENCOUNTER SPACE < http://www.geocities.jp/positionwest3/ >



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┃09┃■編集後記 伏屋 博雄
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●かわなかのぶひろさんに登場してもらうのは、私の夢だった。昨秋新宿で遭遇した
際、思い切って執筆を頼んだところ、快諾を得た。長年自ら作品を発表し続けている
現場、かつ後進の指導にあたられている現場を踏まえてのセルフ・ドキュメンタリー
論。これまでも侃侃諤諤の論争を生んできたテーマに満を持しての登場は、すでに新
たな視点を提示していて、ますます、これからの展開が楽しみである。

●本田孝義監督の『ニュータウン物語』は薄氷を踏む思いの果てに昨年完成した。
今彼は2月21日からの上映に向けて駆けずり回っている。こうした日々を克明に綴る
記録が、公式サイトの「上映日誌」に掲載されている。少しでも多くの人に見てもら
いたいのは、映画をつくった者なら誰しも抱く願い。しかし、宣伝費はかけられない。
だからこそ、工夫を凝らし体当たりで上映運動に邁進する。かって「neo」の「のる
かそるか通信」に制作プロセスを執筆(48回の連載)。今回は「上映日誌」である。
ふたつの報告は、映画を志す者に多くの示唆を与える貴重な記録となっている。
 http://www12.plala.or.jp/toyama-honda/ 

●土本典昭作品を上映しようとする気運が各地に現れている。今号の水野祥子さんの
レポートによれば、昨春ニューヨークで行われた「ロバート・フラハティセミナー」
がきっかけとなって、全米に上映の波及が及びつつあるようだ。

日本でも昨年は「奥出雲横田映画祭」や「なみおか映画祭」などで上映・対談・講演
が組まれた。特にアテネフランセ文化センターを会場とする「土本典昭 映画セミ
ナー」は長期にわたる本格的な取り組みで、昨年7月から2ヶ月ごとに順を追って上映
を行っている。テーマに沿ってゆかりの方々が登場する対談も楽しみのひとつで、先
ごろは黒木和雄・岩佐寿弥両監督が加わり、伝説的な運動体「青の会」について活発
な意見が交わされた。 

この顛末については、岡田秀則さんが的確な感想を述べているので、引用すると‥

「青の会」は、恐らく日本最後のコミューン的な映画芸術運動だろう。日本映画史上、
一本の作品をめぐって人間の思想対立があからさまに表面化したのは『あるマラソン
ランナーの記録』だけだと僕は思うが、三人の話はやはりそこへ向かっていった。
日共系のPR映画擁護論を批判する、黒木さんの「納品=革命」という皮肉な表現が痛
烈。ふと、伝説の冊子「『あるマラソンランナーの記録』事件の真実」を今こそ復刻
すべきではないか、という考えが頭をよぎる。そして土本さんの、若い映画人こそ徹
底的に酒を飲んで議論する場所を作れ、もう一つの「ナルシス」を建設せよ、という
アジテーションには背筋がしびれた。金のない連中が朝まで議論できた「ナルシス」
は本当に寛容なバーだったらしい。(「アトリエ・マニューク」の「日記」1月24日
の項。 http://users.ejnet.ne.jp/~manuke/ )

「土本典昭 映画セミナー」では7月頃全作品上映を目指す、と企画の代島治彦さん
から伺った。私が製作している『土本典昭』(仮題)も来年完成に向けて疾走してい
る。
そんな矢先、今号から始まった随時連載「映画は生きものの仕事である」は、氏の最
新の考えを披露するエッセイ。土本さんからは「ぜひ、若い方に読んでいただきた
い」とのメッセージをもらっている。



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■責任編集 伏屋博雄
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創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
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