映画

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo

映画関係者必読のメールマガジン。プロデューサー、監督、評論家、映画館支配人など、さまざまな立場からこれからのドキュメンタリー映画を熱く語ります。

全て表示する >

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo Vol.4 2003.12.15

2003/12/15

 
☆━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
┗━┫e┣━┫n┣━┫o┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○
  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    4号  2003.12.15


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
 
 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      アーカイヴ上映の現場から (4) 歴史と向かい合うアーカイヴ
                               岡田 秀則
 †02 自作を解剖する
     『自転車でいこう』  杉本 信昭
  †03 ワールドワイドNOW ≪ジャカルタ発≫
     ジャカルタ、ゲイ・レズビアン映画祭   佐藤 万帆
 †04 ドキュメンタリー時評
     『B-52』(監督:ハルトムート・ビトムスキー)  水原 文人
 †05 連載寄稿「山形国際ドキュメンタリー映画祭」レポート
     ヤマガタを味わい尽くす (4) 『日本パノラマ』とNEONEOのこと 
                               佐藤 寛朗
 †06 広場
     投稿コーナー「クチコミ200字評!」第4回  提案者:清水 浩之
     アンケート大募集!「わが一押しのドキュメンタリー2003」
  †07 編集後記 伏屋 博雄

  ★バックナンバー閲覧はこちらまで
   まぐまぐ配信    http://www.mag2.com/m/0000116642.htm 
   melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/ 


┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■アーカイヴ上映の現場から (4) 歴史と向かい合うアーカイヴ
┃ ┃■岡田 秀則
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●映画が豊かになるために

ドキュメンタリーを完成させるための、劇映画にはない精神的、肉体的労力をないが
しろにして、無数の映像が漂う“海”の話から説き起こすのは、ある意味で失礼なこ
とかも知れない。だが、記録という行為が本質的にアーカイヴという思想を呼び寄せ
るのもまた事実である。アーカイヴは決して「区別」をしないのだから。

2年前、研究費を得て短期間オランダへ渡る機会があった。日本占領期のインドネシ
アで製作された映画の調査のためだ。すでに山形映画祭「Documentary Box #20」に
も執筆したので詳細はそこに譲るが、3年8か月にわたる日本軍政時代に、日本映画社
ジャカルタ製作所は数多くのニュース映画、文化映画を完成させた。これらは、旧宗
主国のオランダが充実した撮影所や大量のフィルムを残していたこと、ジャワ島が激
戦地とならなかったことなど、いくつかの条件が重なって辛うじて成立したものであ
る。日本の敗戦後、フィルムは再占領を目指したオランダ軍が本国に持ち帰り、これ
まで50年以上もの間、不燃性フィルムへの転写などの適切な保存処置を施していた。
現在はオランダ政府視聴覚アーカイヴ(NAA)の管理下にあり、今も第一級の資料と
して日本の占領政策を伝え続けている。一部は1997年の山形映画祭でビデオ上映され
たが、それらは占領日本軍の「PR映画」と言って差し支えない。

その日本映画社ジャカルタ製作所の製作部長だったのが、文化映画の演出家石本統吉
であった。フラハティやグリアソンの日本における正嫡子の一人として、『雪国』
(1939年)などの作品で社会改良を訴えていた石本が、軍国日本とその政策の宣伝映
画を喜んで作っていたわけはない。「作りたい映画」と「作らなければならない映
画」の間に立たされたノンフィクション作家、という構図はこの時代からもう存在し
たのである。ただ、後の黒木和雄のような反逆への道はほぼ完璧に閉ざされていた。
「スポンサー」は、最終的には、銃を握っていたからである。そのジャカルタには、
やがて戦後ドキュメンタリーの巨人となる編集の伊勢長之助や撮影の小林米作もい
た。

土本典昭が助監督を務めたという製鉄のPR映画『新しい製鉄所』(1959年)を観た人
なら分かるだろう。瀬川順一の鋭敏な構図感覚を寸分の狂いもない呼吸でまとめ上げ
た、伊勢長之助による編集の“美”を。小川紳介が「トントンパッ」と呼んだ伊勢の
システマティックな編集技術は、ジャカルタ時代の例えば『防衛義勇軍の歌』(1944
年)という作品に早くも見ることができる。日本とともに戦うインドネシア志願兵の
募集を促すこの映画は、野山を行進するイスラーム青年たちの映像から構成されてい
るが、その呼吸は伊勢の戦後の膨大な仕事の原点に立っていると思われた。

2年前に私がお会いした小林米作は、ジャカルタ時代の石本ら撮影所首脳陣のことを
「毎晩、歌って遊んでばかりいた」と批判した。極端とも言える集中力で仕事をこな
す小林にしてみれば、ほとんどの人間の仕事ぶりなど生易しく見えるのかも知れな
い。だがもちろん、これは不当な言い方でもある。現在残されているフィルムから、
プロデューサー石本の生産性の高さは否定しようもなく、同時に、抑圧的な内地を逃
れた心理的な解放感も当然想像すべきだろう。そのせいか、全般的に作品のタッチは
むしろ伸びやかである。小野佐世男の描いたイラストを駆使した衛生PR映画『マラリ
ア撲滅』(1944年)という作品は、内地では瞬く間に権力に取り込まれていった「文
化映画」の再興を、少数の精鋭の助けを得てこの新天地で夢見るかのような勢いさえ
感じられた。それは私には、彼が英国ドキュメンタリーから学んだ“映画による社会
変革”への希望をつなぐ、最後の小さなともしびのように見えた。

その名は、小川紳介からも述べられた。好著「映画を穫る」の巻末に収められた、安
井喜雄による小川へのインタビューを読むと、彼が自分以前のノンフィクション映画
に豊かに言及していたことが分かる。そこには伊勢長之助も、石本統吉もいる。生物
映画の先駆者、太田仁吉といった名前まで出てきた。「青の会」でも若手に属したで
あろう彼は、思いもよらず「文化映画好き」だったのだ。國學院大学の映画研究会に
いた小川は、この世界に入るに際して、当時日映科学映画製作所の社長であった母校
の先輩石本にまず接触している。そして、『ニッポン国古屋敷村』で稲作を撮る際
に、太田の『いねの一生』をいかに批判的に吸収したかを語っているが、それを読ん
で、彼もまた「映画史」を乗り越えようとしていたのだと知った。PR映画とついにク
ロスすることのなかった小川だからこそ、そうした過去への言及は見逃すことができ
ない。彼もまた頭の中に「アーカイヴ」を描いていたのだ。小川とて独りですべてを
案出したのではない以上、「小川以前」を探る作業は今後も続けられなければならな
い。ただ、それにも過去の膨大なる映像の蓄積を要するだろう。それらもまた、一つ
残らず「世界」との対決の痕跡である。

これまで記してきたことは、論考というよりは、むしろ未定形な問題提起と言えるも
のだろう。4年前に知り合ったフィルモテカ・エスパニョーラ(スペインの映画アー
カイヴ)のアルフォンソ・デラーモさんは、1990年代に入って「スペイン内乱全映画
カタログ」なる1000ページ近い本を出版した。これこそ歴史との対決であろう。スペ
イン人にとってのこの永遠の課題を、映画アーカイヴが「カタログ化」という作業を
通じて正面突破しようとしたことは私を驚かせた。ドキュメンタリストは「世界」に
飛び込む。だが私は、個別の映画を特権化しない静かなアーカイヴ保存庫の中にも、
「世界」とアクティヴに交わる無数の契機があるのだと思っている。

※今後のいろいろな議論の素材となることを願っております。ご意見、ご感想などお
寄せください。(筆者)


■岡田 秀則(おかだ・ひでのり)
東京国立近代美術館フィルムセンター研究員。なみおか映画祭ではワイズマン作品に
出会えた興奮もさることながら、土本典昭さんも交えて「記録作家とフィルム保存」
の問題を語り合えたことが嬉しかった。東京フィルメックスでは清水宏の無手勝流の
撮影術にあらためて驚愕。『簪』なんて、どう見ても劇映画のフレーミングじゃな
い。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『自転車でいこう』
┃ ┃■杉本 信昭
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●映画の底に横たわるもの

『自転車でいこう』の撮影は2002年6月に始まり2003年3月に終わった。舞台は大阪市
生野区。知的障害のある青年、李復明(リ・プーミョン)と彼を取り巻く街の人々の
付き合いを追いかけた。李くんの肩越しに見る街はいつも波乱含みだった。彼は自転
車に乗って休みなく、街に、人々に働きかけ良し悪しにかかわらず漏れなく何らかの
反応を引き出した。そして彼はこちらを振り返りカメラに向かって話しかけ私達撮影
スタッフをからかった。ピンマイクを付けることを積極的に希望し、撮影が終わると
そのまま家に帰り、スイッチを切り、朝出かけるときにスイッチを入れ、私達は近づ
いてくる李くんの独り言を聞いてカメラを構えた。しかし彼がエネルギッシュであれ
ばあるほど、人なつこい笑みを浮かべれば浮かべるほど、私はせつなくなるのだっ
た。李くんの疾走が今の日本社会と逆走するものに思えたからだ。いや、社会の方が
李くんとは真逆の方向へなだれを打って動いている。そんな風に感じたのだ。

李くんとの出会いは偶然だった。
6年前、生野区内にある健常児と障害児を一緒に保育する療育施設の映画を作りたい
という依頼を受け私は初めてこの街にやってきた。そして数ヶ月後、この映画の企画
は頓挫した。理由はプロダクションの経済的なことと、何人かの障害児の母親がこど
もの撮影を拒否したためだった。私にはその母親達の考えを覆す言葉は無かった。
5年後。2002年5月。私は療育施設の人から紹介され学童保育所“じゃがいもこどもの
家”へ遊びに行った。そこへ李くんがやってきたのだ。彼は私を見るなり「家、ド
コ―?」と質問してきた。李くんは初対面の私との距離を瞬く間に縮めてしまった。
それは驚くべきコミュニケーションの力、技術、才能に思えた。

頓挫していた映画作りが別の形でスタートした。スタッフと私は中古自転車屋で自転
車を買い李くんを追って街を走り出した。私達は、知的障害者であり、在日コリアン
であり、20歳の青年である李くんという個人を通して生野という街に入っていった。
生野は肉体的な街だった。食べるとか、働くとか、喋るとか、眠るとか、生活の根っ
このような部分がいたるところで露出していた。
例えば李くんの繰り出す質問に漏れなく全部答え切った高さんという女性。彼女は李
くんがたまたま飛び込んだ喫茶店のお客だったに過ぎない。二人のやり取りを聞きな
がら、私は「人の付き合いとはこういうものだったなぁ」と妙に感動してしまった。
ちっぷり作業所にはプーミョンの同僚達がいた。和田君、マキちゃん、タツヤ、サッ
ちゃん、そしてプーミョン。障害を持つ彼等はお互いを非常に強く意識し微妙なバラ
ンスを保っていた。和田君が角のお菓子屋に突入することやサッちゃんが俯いたまま
固まってしまうことさえもが、そのバランスのなかに織り込まれているように思え
た。.

秋になってじゃがいもこどもの家が撮影できるようになった。毎夕“カフェ係”をや
りに行くプーミョンと同年代のスタッフが働いていた。保育後のミーティングを山の
ように撮った。アオキン、チッチ、吉田君、マッちゃん、カフェ係プーミョン。話し
合い冗談を言い合う彼等の隣にいると、恥ずかしいけれど「青春」という言葉が浮か
んできた。しっかりと地に足が着いたかのような彼等の言動の裏に実は切羽詰まった
不安や焦燥感があり、そういうものと毎日格闘しているようだった。だから彼等は美
しく見えた。

そのうちに、経済的な理由で私は街の真ん中にアパートを借りなければならなくなっ
た。家賃2万5千円日当たりゼロ。撮影の間だけとはいえ私はそこで暮らし始めた。
朝早く起きて近所の喫茶店へ行き続々とやってくる在日の婆ちゃん達の間でモーニン
グを食べ、撮影に出かけるという日常が出来上がった。
しばらくするとプーミョンのお母さん、盧さんが撮影を許してくれた。彼女はどこの
馬の骨とも知れぬ我々を毅然とした態度で拒否し続け、そして最後に信用してくれ
た。そのとたん2日間6時間にわたるインタビューに答え、晩御飯を食べていけと言っ
た。
街の人々には静かな寛容さがあった。そして人と付き合うための厳しい知恵があっ
た。私はじゃがいもこどもの家の若者も含め、彼等こそが本当の意味の大人だと思っ
ている。

映画『自転車でいこう』はこういう人々の懐でできあがった。撮影が終わったことを
告げると李くんはこう言った。もう遊ばへんの?…彼を見てせつなくなったのは間違
いだったかもしれない。


☆『自転車でいこう』(2003年、115分、35ミリフィルム(撮影 ベータカム))、
監督:杉本信昭、杉本信昭プロデューサー:小松原時夫、住田望、撮影:南幸男、VE
・現場録音:落合 智成、編集:村本勝、EED:久保田尚、整音:滝澤修、音楽:寺
嶋琢哉、制作:(株)モンタージュ

☆東京:上映中、ポレポレ東中野、
大阪:1月31日〜第七藝術劇場、2月7日のみ生野KCC会館、3月6日〜動物園前シネフェ
スタ
名古屋:2月21日〜シネマスコ―レ


■杉本 信昭(すぎもと・のぶあき)
1956年新潟県生まれ。法政大学中退。前田勝弘プロデューサー主宰の幻燈社で東陽一
監督の助監督。その後の主な映像作品に『てなもんやコネクション』助監督、『東京
の休日』助監督。ドキュメンタリー映画『蝶が飛ぶ・森』、『蜃気楼劇場』監督。
2003年(株)モンタージュで『自転車でいこう』監督。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ジャカルタ発≫
┃ ┃■ジャカルタ、ゲイ・レズビアン映画祭
┃ ┃■佐藤 万帆
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●闘うインドネシアの映画人

少し前の話になるが、9月18日にジャカルタのゲーテ・ハウスにて、ゲイ・レズビア
ン、バイセクシュアル、トラスセクシュアル(LGBTと呼ばれていた)とHIVをテーマ
にした映画祭、Qフィルム・フェスティバルのオープニングを見に行った。300ほどの
座席が一杯、映画上映後のレセプションは特に若い世代のアーティスト、活動家で大
賑わいで、ジャカルタではセクシュアリティが最もホットなテーマであることを痛感
させるイベントだった。主催したのはQコミュニティという、ゲイ・レズビアン活動
家、映画好きのサークル。ゲーテ・インスティトゥートで働き、映画の記事を英字紙
に投稿している32歳のジョン・バダルが代表。実は去年も同様の映画イベントを企画
したが、今年は規模が拡大、50本以上の映画が上映された他、セクシュアリティを
テーマとしたディスカッション、展覧会(写真と絵画の両方)、作家による短編朗読
などが同時開催された。海外から監督も招聘した。インディペンデントのサークルの
企画にしてはすごい。コーディネーションもきちんとしていた。

インドネシアの映画も4本、そのうち2本はオープニングに上映された。一本目はトト
スという若い監督による『Don’t Think』。幼なじみの二人が、同性愛に目覚めると
いうコメディ・タッチのショート・フィルム。監督本人は、政治的に聞こえるのを躊
躇ったのか、半分冗談なのか、これはゲイ映画ではないとコメントしていた。二本目
はインドネシア・コンテンポラリー・ダンス・センター(ICDC)が制作、マレーシア
からシャーマン・オンという若手映画作家を招聘して作ったダンス・フィルム、
『Exodus』。会話は一切なく、脚本に基づき振付家が振り付けを行い、それをダン
サーが踊り演じるという、舞踊の盛んなインドネシアの、才能ある振付家・批評家・
ダンサーが集まって作り上げた作品。ヘア・サロンで働く華人の主人公の、ジャワ貴
族のような伝統舞踊の美人ダンサーへの性的欲望の入り混じった羨望を描いたもの。
どちらも同性愛を真正面からシリアスに扱った作品とは言えないかもしれない。
すべての関連行事を覗いたわけではないが、特に興味深く感じたのは、「宗教と同性
愛」を扱ったディスカッション。3人のスピーカーが、自らの宗教生活と同性のパー
トナーとの関係は、まったく矛盾しないのだと力説していた。観客も熱心に耳を傾け
ていた。同性愛と信仰心は矛盾しないなんて至極当然ではないかと思うが、イスラム
教の聖典コーランでは同性愛は禁じられているため、これはとてもセンシティブな
テーマのようだ。

実際、昨年の映画祭開催に際し、彼らはある宗教団体から脅迫電話を受けた。そんな
わけで、今年のオープニング・レセプションには招待状を持っている人以外は排除す
るという、通常のアート・イベントと比べるとかなり厳しいセキュリティが敷かれて
いた。断食(レバラン)時期にはクラブやバーが宗教団体に襲撃され、爆弾事件も頻
発するジャカルタで、ゲイ・レズビアン映画祭を開催するのはそれなりの勇気がいる
だろう。
ちょうど同時期、同性あるいは18歳以下のものと性行為を行ったものを最低1年・最
高7年の懲役に付す、という刑法改正案がニュースになっていた。このあたりは外国
人の私には不思議なところであるが、インドネシアは現在ではイスラム教徒が9割を
占めるといっても、そもそもアニミズム信仰の基盤に加え、仏教、ヒンドゥー教など
を受け入れてきた歴史を持ち、「寛容なイスラム」と言われる。たとえば去年旅行し
た南スラウェシでは、王国の「ご神体」を預かる伝統的霊能者ビスは、ほとんどトラ
ンス・セクシュアルという話だったし、友人によれば、現在も身分証明書であるKTP
の性別は簡単に変えられるという。一方で宗教に基づいた「道徳的??」締め付け
や、イスラム過激派の暴力的示威行為は強くなっている。

映画の上映が終わった後で、Qコミュニティのメンバーとご飯を食べに行った。ジャ
カルタでは同性愛者であることでそれほど不自由はしないが、故郷へ帰るとつらいと
いう。家族に理解してもらうのが難しいそうだ。日本でも同じだろうが、日本よりも
家族主義が強い(ような気がする)インドネシアで、やっぱり大変だろうなあと思
う。
そうこう言っているうちに、映画祭は終わり、ジョンは奨学金を得てイタリアへ映画
を勉強しに行ってしまった。インドネシアの映画批評の将来を背負っている彼に、が
んばって欲しいなと思う。


■佐藤 万帆(さとう・まほ)
1971年、横浜生まれ。96年より国際交流基金勤務、2001年9月より同基金ジャカルタ
事務所に赴任。95年に、監督アテンドとして山形映画祭で働いた経験あり。
大学での専攻は比較文化と社会人類学。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■『B-52』(監督:ハルトムート・ビトムスキー)
┃ ┃■水原 文人
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●B-52のパラドックス

2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員作品として上映され、アテネ・
フランセ文化センターのビトムスキー監督特集でも上映、そして旧BOX東中野での劇
場公開でも注目を集めた『B-52』が、このたびDVDで発売された。ドキュメンタリー
映画の一般上映やソフト発売が難しくなる傾向がある今日、これは快挙といえるだろ
う。

もちろん、この映画が2001年以来、とてもタイムリーな映画だからでもある。2001
年の11月にアメリカで公開された時には、左派リベラルの「ヴィレッジ・ヴォイス」
誌にすら酷評されたのだが、その後のアフガニスタンでの戦争、そして今まさに占領
政策が破綻を露呈しつつあるアメリカのイラクに対する戦争のなかで、このアメリカ
が開発した史上もっとも有名な“大量破壊兵器”の映画的分析を見る意味は、大きく
なるばかりだ。と同時に、この映画は単なる「反米」でもなければ、「反戦」を教条
的に訴えるものでもない。

それはビトムスキーのドキュメンタリーにおける、対象に対する一貫した態度にも起
因する。アテネ・フランセでの観客との対話のなかで、このドキュメンタリー作家は
「劇映画なら16ミリでもいいし、今ではデジタルビデオもある。だがドキュメンタ
リーは35ミリで作るべきだ」と豪語した。無論、予算規模が小さいドキュメンタリー
の分野では冗談半分のコメントではあるが、実際にこの『B-52』は35ミリ作品だ。そ
の理由は、「ドキュメンタリーはまず対象をできる限り丁寧に、その美しさを最も正
確に再現するように撮るべき」だからなのだと、ビトムスキーは言う。

実際、大量破壊兵器でありながら、B-52はとても美しい機械だ。人類の到達した技術
的到達のひとつの頂点であり、その機能性を徹底して追求したフォルムの洗練。細部
にまで行き届いたデザイン。映画はまずがっちりとしたフィックスの、配慮され尽く
した構図で機体の全体や細部を様々な角度から映した数々のショットをリズミカルな
編集で、その表層のフォルムとしての美しさを刻んで行く。青空を背景にブルー・
グレーの機体を見せるそのシンプルな洗練−−土本典昭の名作『ある機関助士』には
今でも鉄道マニアからの大変な需要があるそうだが、この『B-52』の冒頭部も、航空
機マニアの垂涎の的になること、間違いないだろう。

だがこの“美しさ”を徹底描写することは、この映画の論理的戦略の第一歩であり、
それは「機能美」、現代のデザインにおける最も基本的な理念である「フォルムは機
能から生まれる」ことに対する、批評的なまなざしにも通じる。機能的なフォルムと
は、言い換えればデザイン、ものの見た目や形態から思想的な象徴の要素を極力排除
していることに思われがちだし、「フォルムは機能から生まれる」という発想自体
が、装飾的要素に必ず伴う思想的象徴性と記号性を排除することと密接に結びついて
いる。
装飾のない、「純粋に機能的なモノ」なのだからそこに政治性や思想性が入り込む余
地がないはずだ、というわけである。だが映画『B-52』が次第に明らかにしていくの
は、B-52の機能美を突き詰めたフォルム自体が、現代の世界の文脈において様々な意
味を持って行った事実だ。

この爆撃機はそれを“使う”側であるアメリカ軍にとっては自分たちの進歩と技術
力、そして軍事力と権力の象徴としての神々しさを持つ。たとえば映画でインタ
ビューされている航空機専門の画家で米軍の広報用カレンダーなども描いている人物
などは、明らかにそこに貢献している−−しかしそのことを決して言わず、ただ自分
は機械を忠実に描いているだけだという姿勢を貫くし、もしかしたら自覚もしていな
いのかも知れない。

一方でB-52の攻撃を受けた側、たとえばヴェトナムでインタビューされているヴェト
ナム軍の退役将校などにとっては、B-52自体が別のなにか−−力の象徴であること自
体は共通するが−−を象徴するフォルムになっている。

ビトムスキーの映画の多くに共通するテーマは、人造物のフォルムに対する関心と、
そのフォルムに表現されているもの、あるいはそのフォルムが結果として表現するこ
とになったものだ。その「人造物」とは巨大公共事業(アウトバーン)、自動車
(フォルクスワーゲン)、飛行機(B-52)、建築(戦後ドイツの代表的建築家ハンス
・シャルーンについての『イマジナリー・アーキテクチャー』)、そして映画そのも
の(シネマ・アンソロジー・シリーズや、ナチス政権時代の文化映画を分析した
『ジャーマン・イメージ』)などなどだ。

そこに共通するのは、それぞれのフォルムが、常にまずそれ自体が表現するように明
白に意図されているもの(B-52であれば、その機械としての優秀さ)、潜在的に表現
するように当初から組み込まれているもの(再びB-52についていえば、アメリカの技
術力と軍事力を代表すること)、そしてそのフォルムが現実のなかで存在するうちに
当初の意図をねじ曲げたり否定する形で意味するようになったもののすべてを背負っ
て、現在の文脈のなかで映し出されていることだ。

当時の航空機技術の粋を結集し、開発後50年近く経っても軍用機の最高傑作とされる
(未だに現役でもある)B-52。だがそれが「完璧さ」を表象する一方で、人間の作っ
た現実のモノが「完璧」であることなど実はあり得ず、さまざまな事故も起こしてい
ることが次第に明らかにされていく。スペインの地中海沿岸で起きた墜落事故では核
弾頭が実際に爆発し、被曝した表土をぜんぶ回収してネヴァダ州に投棄したとか、そ
うやって“事故=不完全さの証明”を隠蔽してB-52の「完璧さ」のイメージを守ろう
とし続けた米軍当局。機械的な完璧さのみを追求したはずの、そこからあらゆる思想
的あるいは信仰的な要素を排除したはずの道具それ自体が信仰対象のフェティッシュ
となり、それを道具として使いこなしているはずの軍がそのフェティッシュ性に振り
回されるこの皮肉。映画『B-52』は単に機械的力に依拠した軍事力に対する批評に留
まらず、機械文明そのものの矛盾を暴いて行く。

核拡散防止条約などの軍縮の流れで長距離爆撃機の保有数が制限されたことから、フ
ロリダの砂漠に引退し、次々とスクラップされていくB-52はこの映画で最初に撮られ
た映像であり、もっとも強烈な印象を残すシークエンスのひとつだ。この飛行機を巨
大な殺人兵器、戦争という悪の象徴としてみなそうとしても、その破壊されていく様
子には一抹の哀感を覚えずにはいられないだろう。史上最強の兵器であると同時に、
これだけの技術力の粋、まさに人間が歴史のなかで培って来た叡智(機械文明、技術
力)のひとつの到達点を象徴する巨大な物体が、いとも簡単にバラバラにされていく
その姿。

一方で、バラバラになった爆撃機の、部品部品が回収されていく。優秀な部品だから
再利用されるのかと思えば、それ以上に需要が高いのはマニアのコレクター市場。
さらに、B-52の部品を使ったアート・インスタレーションをやるアーティストまで登
場するに至っては、現実の不条理はほとんどコメディの様相を呈する(このアーティ
スト二人組はビトムスキーの友人だったが、この映画の完成後、彼らからの連絡は一
切ないとか)。

最後に、映画はあえてB-52そのものからも、軍用機からも離れ、空港を離着陸する旅
客機、そしてボーイング社の民間機を作っている工場を映し出す。そこで思い出すの
は、我々がその便利さを享受している技術の多くが、戦争を目的に開発されたり発達
したものだということだ。航空機の実用化が第一次世界大戦と密接に絡んでいること
は言うに及ばず、B-52を作っているボーイング社は、そういえば我々がよく乗るジャ
ンボ機だとか767だとかを作っているのと同じ会社だ…。このラストこそ、この映画
のもっともショッキングな部分かも知れない。人造物やそのフォルムが、当初に意図
されたものとは違うものを現実の時間の流れのなかで持つとしたら、これこそその典
型的な例ではないか−−いい意味でも、悪い意味でも。戦争によって発達し、B-52と
いう巨大な大量破壊兵器に結晶した航空機技術の粋は、旅客機に平和利用されてい
る。これはいいことだ。と同時に、快適で高速な旅客機に至る技術は、戦争なしには
恐らく人類がそこに到達することはなかったのではないか…。


■水原 文人(みずはら・ふみと)
原一男監督をドキュメンタリーに撮る『ゆきゆきて、ゆきゆきて… 原一男』撮影中
(プロデューサーは伏屋博雄編集長)。「映画なんてやってる間は苦しくて辛いだけ
のものですよ。彼はたいして苦しんでないから、たぶんたいした映画にはならない」
と原さんに言われてしまった。今でも十分苦しんでるつもりなんですけど…。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃05┃□ヤマガタを味わい尽くす(4)
┃ ┃■『日本パノラマ』とNEONEOのこと
┃ ┃■佐藤 寛朗
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●日本パノラマ

10月12日の夕方、私は「日本パノラマ」の上映会場である遊学館へと足を運んだ。
とかく海外の作品に目が向きがちな山形映画祭だが、作り手志望の端くれとして、
日本の同世代がどのような作品を作っているかは、やはり気になるところである。

今回、日本パノラマは国民文化祭(国体の文化祭版)の一貫として開催されており、
なんと無料。飛び込みの客もいるに違いないと期待して扉を開けると、大ホールでの
上映というせいか場内は閑散としており、いささか拍子抜けであった。

『国境を越えて』という、今回の国民文化祭の一貫として山形で開催されたワーク
ショップで作られた作品の上映途中だったが、途中入場だとどうしても作品世界に入
り込めず、申し訳ないが退散。結局、この会場で私が見たのは『戦争が終わって僕ら
は生まれた』(荒木正登監督)『エロティック・煩悩ガール』(山内洋子監督)
『Father Comprex』(佐俣由美監督) の3本であった。

『戦争が終わって僕らは生まれた』は、カナダに留学中の荒木監督が、ルームメイト
のドイツ人に南京大虐殺について問いただされたことから、日本の侵略戦争や歴史教
育についてホロコーストと比較しながら問うていく、という内容の作品であった。

日中韓それぞれの留学生が、歴史認識について英語で激論を交わすシーンが秀逸であ
る。アジアから遠く離れたカナダという地でそれがなされていることも面白いが、熱
い議論に冷や水が浴びせられることで、お互いの歴史認識が相対化されていないこと
知る、その過程が面白い。普段メディアで垂れ流されている、この手の話題に対する
情報がいかに一面的で、実際の認識とはかけ離れたものであるかを、我々は彼らの議
論によって追体験するのである。

いささか教条的な結論には辟易したものの、テーマ自体はもっと多くの人に見てもら
いたいと思わせる、ストレートな好篇であった。『新しい教科書を作る会』や教育関
係者などは、この作品を見てどのような感想を抱くのだろうか。と同時に、ガラガラ
の客席が監督には少々気の毒でもあった。.

暗闇の中で後ろを振り向くと、時々通訳の人に解説をもらいながら、作品をじっと見
入る監督の姿がある。この人こそ、あの『鉄西区』の王兵監督であった。大体どの会
場でも観客に混ざって監督の姿が1人や2人は見えるものだが、今回の私には、この時
の彼の姿が一番印象に残っている(と同時に、あの9時間5分の『鉄西区』にチャレン
ジしなかったことを今では激しく悔いている)。「いろいろな作品を見たい」と言っ
ていた彼だったが、彼の目に、日本の若手の作品は一体どのように映っているのであ
ろうか。

上映後、松江哲明・村上賢司両監督による軽妙な司会で質疑応答が入り、入れ替えの
時間になると、まとまった数の若い女の子達が会場になだれ込んできた。後で聞くと
ころによると『Father Comprex』の佐俣監督は地元・芸工大の学生で、この作品が初
めて上映された時は、ちょっとした評判を呼んだという。期待を込めて、『エロティ
ック・煩悩ガール』と続きで2本、一気に見た。

『エロティック・煩悩ガール』は、恋愛のうまくいかない少女(恐らく山内監督自
身)が、その解決を求めて両親に縁のある海辺の寺に修行に行くのだが、そこで何を
悟るというわけでもなく悶々とする、という展開。虚実が交錯し、時に少女漫画の様
にふんわりとした演出がユーモラスだが、そこで発せられる自意識への問いには、典
型的な「自分探し」のルーツ・ドキュメンタリーの系譜を読み取った。

『Father Comprex』の演出には、正直やられた、との感想を持った。この作品も、父
親を亡くした監督が、実家に遺品の整理に帰った折、父親や家庭環境・地域といった
縁あるものに対する複雑な思いや憎悪を映像にぶつける、という展開なのだが、その
手法が斬新だった。彼女は父親への思いを画面に展開するのに、携帯電話での独白と
いう、極めて現代を象徴するツールを使ってそれを成し遂げるのだ。
 
直接的には、ある意味誰とも関わらずに、一本のドキュメンタリーが作られてしまう
のだ。私などはCINEMA塾で、他者と関わる事の重要性を口酸っぱく指導されてきたと
いう経緯があるので、いくらセルフ・ドキュメンタリーとはいえ、このような作品に
出会ったことは少なからず衝撃的であった。その意味では、同じ父親への思いという
テーマにおいて、6月のCINEMA塾の東京上映会で見た『レター』(津本真理さん演出
・山形では「学校スペシャル」で上映)と好対照をなす作品であった。

すると上映後、デイリーニュースの事務所で、スタッフの女の子にその『レター』の
取材インタビューに関する相談を受けた。この作品の主人公である藤田直美さんの行
為に共感したのだが、演出者と主人公どちらにインタビューをするべきか迷ってい
る、とのこと。

結果は恐らく今後映画祭のホームページや記録集で展開されることと思うが、観客
(恐らくは映像制作を志す者がほとんど)の側にセルフ・ドキュメンタリーや、映像
表現を通じて主人公がカタルシスを得る、といった内容の作品への根強い支持がある
ことは、山形で目撃した事実として記しておかねばなるまい。

●日中の作品に見られる比較

日本パノラマの作品群を見て、なんとなくもやもやした気持ちが残った。もちろんセ
ルフドキュメンタリーを多く見せられたせいもあるが、それ以上に海外、特に中国の
作品と比較した時に、日本の作品に顕著な、ある一つの傾向を感じたからである。.

過日、やはり「日本パノラマ」で上映された、松江哲明監督の『カレーライスの女た
ち』と村上賢司監督の『川口で生きろよ!』を見る機会を得て、私の中でそれが明確
になった。前述の『一緒の時』あたり比較すると、小型のDVカメラで誰もが手軽に作
品を作れる時代になったという状況は日中で変わりないが、そのカメラという武器の
向け方が、日中の作品で余りに対極的である、ということだ。

単純に言えば、中国のドキュメンタリーが「はじめに対象ありき」な傾向にあるのに
対し、日本の作品は「はじめに(作家である)私ありき」という傾向が目立つというこ
とだ。どちらかといえばありのまま、自然主義的に対象に近づくことで、観る側に様
々な文脈を想起させる【注1】中国の作品に対し、日本のそれは、まず作家主体であ
る私が対象に迫ることで、世界との関わりを認識・発見していくといった展開の作品
が多い、ということだ。

このことは、一概に優劣をつけて論じることは出来ない。どんな作品であれ、作家の
意識は作品に反映されるものだし、作家としての私性を前面に押し出すという方法が
作家的な戦略として有効であるならば、充分に表現の一つのバリエーションにになり
うるからだ。

実際『カレーライスの女たち』や『川口で生きろよ!』は監督達が自己のキャラク
ターを前面に押し出して画面の上で直接交流をするからこそ、都会に生きる女の子の
孤独に裏打ちされた優しさや、どこか必死でユーモラスな川口の街といった主題が浮
き彫りにされるのだし、逆に私が感じた『一緒の時』や『蒲公英的歳月』の魅力は、
監督の作家的な意図よりも、素材の持つ力に拠るところが大きかったのかもしれな
い。.

ではしかし、例えば都会の孤独の輪郭を描くのに、川口という街の魅力を描くのに、
本当に「私」を前面に押し出すことは必要だったのだろうか?その事は、一度はきち
んと吟味されるべきであろう。何故ならば、過度に「私性」にこだわることは、素材
それ自体の持つ魅力や意外性を見落としてしまうということになりかねないからだ。
そして映像の面白さは、両者の絶妙なバランスの上に成り立っているとも言えるから
だ。

手軽なDVキャメラという武器が、状況や対象への入り込み易さへと直結している中国
の作品に対し、日本のそれは、作家の自意識の反映へと直結する傾向がある。むろん
そこにのっぴきならぬアイデンティティの危機があるからこそ、作品として成り立ち
うる『Father Comprex』のような映画もあるわけだが、安易な自意識の反映は、逆に
観るものの想像力を奪い得る、という事も言えるのではないだろうか。

13日の夕方、原一男監督にかつての対談相手、呉乙峰の新作『生命』の感想を求めた
時に返ってきた言葉は、この問題を示唆していて、実に興味深かった。
「(呉乙峰の父親とのエピソードを挿入するという)大河ドラマ風の作りは、どうか
なあ。それを入れる事を悪いとは思わんが、(両親が生き埋めになった地点で呆然と
する)あの娘たちのショットを見て“素材の持つ力”というものを考えた時、私家版
でもいいから、地震のエピソードだけでまとめた短縮版を作れと言いたいんだよな」

『生命』を見て、何度も涙したという原監督の言葉だが、ここには「素材の持つ力」
の見極めと、作品における「作家主体の位置取り」という、作家として極めて基本的
な問題提起が含まれている。

●「neoneo読者交流会」のこと

この日の夜、メイン通りの一角にある「カラオケハウスゆー坊」では、本誌・neoneo
の読者交流会が行われた。事前の告知を手伝わせてもらったこともあり、どれだけの
人が集まるのか不安ではあったが、蓋を開けてみると、佐藤真監督・安岡卓治プロ
デューサー・かわなかのぶひろ氏・アテネフランセの松本正道氏・国際交流基金の石
坂健治氏など、そうそうたるメンバーにびっくり。本田孝義氏・松江哲明氏・村上賢
司氏といった若手の映画監督や映画美学校・CINEMA塾の学生、デザイナー・新聞記
者・TVのプロデューサーなども含め、多士済々の面々で、実に刺激的な交流会となっ
た。

ひと通りの自己紹介の後は、チラシにも予告されていた、私的ドキュメンタリーを巡
る論争の続きである。旧neoをにわかに活性化させた佐藤真監督vs安岡卓治氏の論争
であるが、いざ膝を突き合わせ、実地で始まってみると、名指しで批判された松江哲
明監督も含め、次から次へ、入れ替わり立ち替わりでマイクを握る人が出て、激論。
司会の清水浩之氏(『GO!GO!fanta‐G』監督) などは、「司会が暇で良かったです」。

全体的には、この議論を引き続きneoneoに持ち込んで展開していこう、という論調だ
ったが、いくつか印象に残った言葉があった。まずは当事者である佐藤真監督が、こ
の論争を「neoneoでは現場論として続けていきたい」と力説していたことだ。

これは安岡氏が私的ドキュメンタリー誕生の必然性を、数多くの現場体験・指導から
理解していったというneoでの論旨に呼応するものだが、そこには批評を述べるにせ
よ、あくまで映画は現場から始まるのだという氏の映画作家としての信念とプライド
が感じられた。すると松江監督が「じゃあ、名指しで作品を批判された作家たちは、
誰もがneoneoで反論する義務がある」と応酬。会場が沸いた。

これに対し、イメージフォーラムで幾多の個人作家を育成してきたかわなかのぶひろ
氏は少し違う観点で個人映画作家の立場を擁護した。「彼らはプロダクション制作と
は違い、個を根拠に自意識の全てをぶつけてきている。頭ごなしに私的だと批判する
のでは無く、まずは見てからものを言って欲しい」

後ろのモニターでは、カラオケならぬ『土本典昭・ニューヨークの旅』(藤原敏史監
督・So-net Cannelで放映 )が流されていたのだが、プロデューサーとして今後も
継続的に土本監督を追うという伏屋さんが、議論の後半、このことに言及して、「私
は土本監督を通じてスタッフ論を展開したい」と言ったのもまた、印象に残った。

氏は小川プロという集団制作の渦中にいながらも、製作として資金集めに奔走するべ
く東京に残っていたので、現地の小川やスタッフとは微妙な距離感があったという。
その距離感を抱えたまま、ついに小川の言葉を残す事の出来なかった氏の無念が、同
時代の偉大な記録映画作家である土本典昭監督の記録という行為を駆り立てているよ
うだ。

しかし、なぜスタッフ論なのか。DVカメラが全盛で、1人でも作品を作れるという時
代状況の中、あえて現場やスタッフの話を積極時に持ち込むことで、若い人を喚起し
ようとする大先輩たちの言葉には、一体どのような狙いがあるのだろうか。その答え
はわからない。理屈で理解すべき類のものではないのかもしれない。

お酒も入り、不覚にもこの時間になると鼻ちょうちんなど掻いていた私であったが、
そこでは酒席で消化してしまうには余りにも勿体無い、ドキュメンタリー映画と作家
の問題に関する、重要な問題提起がなされていたのである。
(つづく)

【注1】中国のDV作品における以上のような傾向は、実は旧「neo」33号で、石坂健治
さんが「89年の変容」とアジア・ドキュメンタリーの現在(4)〜中国のインディペ
ンデントで指摘されていることである。アジア、ドキュメンタリーに対する石坂氏の
慧眼にはいつも敬服させられるが、ここでは佐藤が山形で中国の映画を観て感じたこ
ととして、似た内容の考察を展開させていただいた。


■佐藤 寛朗
映画祭終了後2ヶ月近く達つのだが、突然意外な人から反応が返って来たりして、嬉
しい限り。「学校スペシャル」のシンポジウムのことなど、書きたいことはまだまだ
沢山あるので、2月からも引き続きよろしくお願いします!また感想・批判・ご意見
などを kanrou@aol.com にお寄せいただけると幸いです。



≪お詫び≫
(1) 前号の「自作を解剖する」欄の『白神の夢―森と海に生きる』のスチールが、
「ワールドワイドNOW」の文章末尾に入ってしまいました。申し訳ございません。
(2) 前号の「ドキュメンタルな人々」欄の文中、「大阪万博に対抗して大阪城で開か
れた反博」は、「大阪万博に対抗して大阪城公園で開かれた反博」に訂正します。



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃06┃□広場
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第4回
               提案者●清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭)

「最近のオススメ作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーで
す。映画・ビデオ・テレビなどなど、皆さんがノンフィクションだと思う作品だった
らなんでもOK!「知られざる傑作」を発掘するもよし、おなじみの名作の今までにな
い見方を指摘するもよし…もちろん、「オススメしない映画とその理由!」でも結構
ですよ。

200字以内の本文とは別に、「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡
先(メールアドレスまたは電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して、清
水までお送りください。
(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけるとうれしいです)

清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

「neoneo」は毎月1日・15日の配信ですので、その2週間前を〆切日として(こっちも
1日と15日ですね)基本的に無審査・先着順で掲載させていただきます。皆さんのご
参加、お待ちしております!


NO.004『クラッシュ』
2003年・「クラッシュ」製作委員会/監督:奥山和由
見た場所:Tジョイ

事故でひどい熱傷をおったレーサーが復帰するまでを収めた本作。感動的な音楽と、
衝撃的なシーンを何度も繰り返すのはいかにもワイドショー的だ。テロップも出てこ
ないから人物の関係が分からないし…身内でみる映画なのだろうか?それにしても、
DV編集で処理が追い付かなくてみられる四角いのを劇場で見る日がくるとは!流行り
のレボリューションズか?(横村大/?歳)


NO.000『私たちは忘れない 感謝と祈りと誇りを』
企画・制作:日本会議・英霊にこたえる会
見た場所:靖國神社遊就館( http://www.yasukuni.or.jp/ )

「日本最古の軍事博物館」遊就館で連日上映中。題名通りの内容なんですが、「英霊
たちを忘れるな!」というメッセージが見る者の歴史観の違いを超えて大変わかりや
すく伝わります。うっかりすると戦争に負けたことすら忘れてしまうほどで、館内の
感想ノートには若者の字で「かっこ良かった」と書いてありました。靖國神社の営業
努力には感心したので、イラクでの殉職者(とうとう出ましたね…)もキチンと讃え
てほしいです。だめ?
(清水浩之/東京/36歳/会社員)


NO.005『死の谷へ』
2001年/監督:Charles Kiselyak
見た場所:『サルバドル 遥かなる日々・DVD特別編』特典映像

Hi8の生々しい虐殺映像から始まる『サルバドル 遥かなる日々』(監督:オリ
バー・ストーン)のメイキング。「オレたちの映画に協力するのなら政府軍だろうが
革命軍だろうが知ったことか!」と暴言連発の原作者。空砲で頭をブチ抜かれそうに
なりマジギレする主演俳優。嘘つきでヤク中の元アメリカ兵が映画を撮ると周囲がど
のような目に合うのかが克明に記録されたドキュメンタリー。アドレナリンが分泌さ
れまくった一同の証言は本編以上に衝撃的であります。
(松江哲明/東京/26歳/映画監督)


NO.006『ドキュメント ラブアンドポップ
    第0部「ラストシーン」 最終章「悪い夏」』
1999年/編集・構成:カンパニー松尾+バクシーシ山下
見た場所:『ラブ&ポップ・DVD特別編』特典映像

メイキング撮影の依頼を受けたAV監督カンパニー松尾は「これがメジャーへの足架か
りだ!」と喜んで現場に向かいます。しかし撮影と言えばセックスしか思い浮かばな
い松尾にとってチンタラ同じ芝居を繰り返す姿は異様です。飽きてしまった松尾はト
イレでお姉ちゃんとハメ撮り。援助交際の映画を作るスタッフを尻目に街中でホンモ
ノにインタビューを始める極悪AV監督バクシーシ山下。格が違います。撮影助手の目
線で描いた「第0部」、庵野監督が浅野忠信にしか興味を示さない「最終章」。共に
傑作。(作品内では失敗作と言い切っていますが…)
(松江哲明/東京/26歳/AV好き)


NO.007『魚からダイオキシン!!』DVD撮り下ろし内田裕也Interview
2002年/撮影・編集:浜口文幸
見た場所:『魚からダイオキシン!!デラックス版』DVD特典映像

フセインの顔シャツを身にまとったYUYAが都知事選立候補!そして「コミック雑誌な
んかいらない」をアカペラで歌った政見放送!!ラストは軍艦島爆破!!!今こそ見
るべき名作ROCK MOVIE『魚からダイオキシン!!』について金髪ロン毛(2002年現在)
の裕也さんが語り倒すお腹いっぱいの27分。貴重な新聞記事、篠山紀信撮影の選挙ポ
スターがインサートされながら飛び出す名言「笑う方はどうぞ笑う犬になって下さ
い」。ドキュフィクション?現実と虚構? そんなもんは10年前に脚本内田裕也&監
督宇崎竜童が到達してんだよ!
(松江哲明/都民/26歳/R&R)


■松江 哲明(まつえ・てつあき)
1977年東京生まれ。映画監督。近況は来年公開の「刑事まつり」の一編『ほんとにい
た!呪いのビデオ刑事』(出演:えり、坂本礼、藤岡朝子、アミール・ムハマド、山
崎陽一)が先日完成。1月末に構成編集を担当したカンパニー松尾監督の『裸のオー
ディション10』がレンタルされます。見終わって元気になれる作品を目指しました。
現在撮影中の作品は在日韓国籍のAV女優を撮影した『identity(仮題)』。

4回目にして投稿も増えてきました!横村さんの「身内でみる映画なのだろうか?」
イイですねー。静かな怒り。そして松江さんからは<知られざるジャンル>メイキン
グ3連発!DVDの普及で盛んになっているのに、その評判を聞くことは殆どないので、
貴重なクチコミうれしいです。それにしても「刑事まつり」のキャスティング…
(苦笑)。

次回は「neoneo」新春アンケートのためお休みします。「わが一押しのドキュメンタ
リー2003」にどしどし御参加ください!次回の「クチコミ」は2月の予定です。
ではまた!


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■告知

●アンケート大募集!      伏屋 博雄(本誌編集長)

早いもので2004年まで残り1ヶ月となりました。本誌では新年特集として、皆様から
アンケートを募集することになりました。下記3問のうち1問でも構いません。奮って
応募ください。1月15日号に発表します。

(1)「わが一押しのドキュメンタリー」
2003年にご覧になった作品のうち、これこそドキュメンタリー!と思う作品と
その理由。(200字以内)

(2)「ドキュメンタリーの現状について」
「どう思うか、どうしたいか、どうなるといいと思うか?」を、制作・上映・批評・
宣伝・観客…などいろいろな立場の方から聞いてみたい。(200字以内)

(3)「私の2003年」
印象に残った出来事、取っておきの話、あるいは問題提起など、映画に限らず思いを
新たにすることは?(200字以内)

各問いに200字以内(1問でも可)、氏名とお仕事を明記のうえ、年末までに送信くだ
さい。 送信先: visualtrax@jcom.home.ne.jp 


     ◇────────────────────────◆◇◆     


■上映

●講座「ドキュメンタリー映画への招待」

「ドキュメンタリー映画への招待」と銘打った4週連続の講座を来年2月に開きます。
映画上映(ビデオ)の後、監督を会場にお招きしての「トーク&質疑応答」あり!
neoneo読者にはおなじみの佐藤真監督ほか、今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭
で好評を博した大池正芳監督、任書剣監督、2003年東京ビデオフェスティバルで「ビ
デオ大賞」を受賞した福岡典子監督を講師としてお迎えします。受講費は2000円(4
回講座分)。ご参加をお待ちしております(講座の詳細と申し込み方法は以下のとお
り)

開催日:2月7日(土)「まひるのほし」(佐藤真監督)/14日(土)「向かい風来るまで〜
おやじの唄〜」(大池正芳監督)/21日(土)「蒲公英的歳月(たんぽぽのさいげつ)」(任
書剣監督)/28日(土)「ROGO」「たいせつなもの」(2作品、福岡典子監督):
(各講座とも午後2時から4時まで)

申し込み方法:往復はがきに(1)講座名(「ドキュメンタリー映画への招待」)
(2)住所(3)氏名(4)年齢(5)電話番号(在勤の方はその名称・所在地・電話番号)を明
記のうえ下記までお送りください(1月23日(金)必着、定員50名・応募多数の場合は
抽選)
〒102-0074 千代田区九段南1-5-10 九段社会教育会館・文化学習スポーツ課
(Tel:03-3234-2841)
主催:千代田区(企画・運営:御茶ノ水映像研究会)
場所:九段社会教育会館(地下鉄「九段下駅」スグ)



┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃07┃■編集後記 伏屋博雄
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●岡田秀則さんが小川紳介について、「彼が自分以前のノンフィクション映画に豊か
に言及していたことが分かる」と書いておられるのに刺激を受けて、久しぶりに「映
画を穫る」(筑摩書房)の中の「私論 戦後ドキュメンタリー映画史」を読み返して
みた。小川の人を引き入れてしまう語り口は、ここでも遺憾なく発揮されていて、い
つしか小川ワールドにはまってしまうのであるが、それは小川の批評精神の豊かさに
他ならない。そして若き小川が50年代半ばから60年代初頭にかけて多くのドキュメン
タリーを貪欲に見、咀嚼し、先達の表現を乗り越えようとしたかを改めて確認した次
第。

さて、岡田さんの連載は今回が最終回。アーカイブの場から数々の問題提起をされ
て、私たちが映画を考える上で、大きな示唆を与えられた。いずれまた執筆いただく
ことがあろうと思う。ありがとうございました。

なお、岡田さんの原稿に付随して、参考文献を下記に掲載しておきたい。

ひとつは、土本典昭監督がフィルムセンターに執筆した「学校だった岩波映画と
『青の会』」である。
土本典昭の「映画同人シネ・アソシエ」:
 http://www2.ocn.ne.jp/~tutimoto/sub4.htm#h

さらに岡田さんの「アトリエ・マニューク」の「映画」欄「3人のドキュメンタリス
トの肖像」である。
野田真吉、黒木和雄、工藤充がたどった軌跡を執筆されている。
 http://users.ejnet.ne.jp/~manuke/zatsu/eiga.html

●山形映画祭の最中に本誌の「読書交流会」を開催したことは、すでに創刊号の編集
後記に触れているが、より詳しく佐藤寛朗さんが報告をしている。その中で、私が
「今、土本典昭監督のドキュメンタリーを撮っていて、今後スタッフ論を軸に撮影を
していく」という発言に対し、彼は「ひとりで操作出来るデジタルカメラに、何故ス
タッフ論が必要か?」と疑問を投げかけているので、一言。

私の考えでは、一人で何事も操作出来る(作品を制作できる)ということは、つま
り、一人でいくつもの担当を自らの内に抱えることであり、当然各パートの葛藤を一
人身で受け持つ訳で、実はとても大変なことだと思うのだ。一般に、スタッフの分業
→作品へというベクトルが、デジタルの場合、一人のうちに分業を内包している。
つまり、デジタルだから便利だということだけでは収まらない問題を持っていると
思う。.

たとえば、デジタルの場合、ロングショットの音声は的確に確保できない。ひとり
ではどのように解決するのであろうか?また、監督・撮影、さらには編集という行為
は、互いに刺激し合い作品を高めていくうえで、ひとりで映画をつくろうが、何人で
つくろうが、本質的にはスタッフ論に収斂される問題であると思うのである。
(この問題については、読者の意見を待ちたいと思う。)

●今号は今年最後のneoneoである。創刊してからまだ間もないが、来年も皆様のご愛
読を期待し、誌面への積極的参加をお願いします。
その第一歩として、ぜひ、「告知」欄のアンケート「わが一押しのドキュメンタ
リー」にご応募くださるよう、お願いします。

なお、正月は休刊し、来年は1月15日号から再開し、この号にアンケートの結果を発
表します。では皆様、お元気で。よいお年を!



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集 伏屋博雄
──────────────────────────────────────
★ご意見・ご感想はビジュアルトラックスまで
★いただいたメールには全て目を通しますが、必ずしも返信できるわけではありませ
ん。また、いただいたメールをこのメールマガジンに掲載させていただくことがあり
ますが、掲載不可の場合はその旨をお書き添えくださるよう、お願いいたします。
──────────────────────────────────────
★バックナンバー閲覧、およびメールマガジン配信解除はこちらまで
 まぐまぐ配信    http://www.mag2.com/m/0000116642.htm 
 melma!配信    http://www.melma.com/mag/39/m00098339/ 
※編集部では配信解除、メールアドレスの変更などは受け付けておりません。
お手数ですが、ご自身でお願い致します。
注)デザインが崩れて見える場合は等幅フォント(MSゴシック、Osaka等)でご覧く
ださい!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyright (c) 2003 visualtrax
当マガジンの記事を許可なく転載することを禁じます。


規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2003-09-01  
最終発行日:  
発行周期:月/2回  
Score!: 74 点