小説

アレキサンドリアの夜は更けて

異端者の視点から世界を眺めた感想を文章に書きつづる。ちなみに好きな作家は⇒夢野久作、筒井康隆、小栗虫太郎。好き嫌いが極端に分かれる作風ですので、肌に合わないかたは登録をご遠慮ください。

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異端小説&邪説コラム

2003/08/25

    アレキサンドリアの夜は更けて    death&birth   6



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           同性結婚特区   第二回

 
  




  《帝都・東京からの転入者である舎人雅彦(とねり・まさひこ)の手記》

 
 きょうから4月だというのに、北海道は寒かった。道路にはなお雪が残っていた。東京では考えられないことだ。
 ぼくとパートナー(連れ合い)の涼―――星川涼(ほしかわ・りょう)―――は、地の果てであるJR室蘭駅に降り立った。
 室蘭駅の駅舎は、それほど大きくはないものの、新築の、近代的なつくりである。東京駅丸の内口のミニチュアのような、丸屋根の天井だ。偽ルネサンス風ドームと言い換えてもいいかなあ(笑)。
 駅舎の壁の市街地図で、室蘭市役所の位置を確認する。ここ室蘭駅からはそんなに遠くはない。歩いて5分もあれば着きそうだ。
 左手の方向に
「長崎屋」
の大きな看板がある。千葉県の柏市にあるものと同じ看板だ(注:JR常磐線・柏駅近くにも長崎屋はある)。
 長崎屋のすぐ近くに、室蘭市役所はあった。古びた市庁舎の外壁に、大きな垂れ幕がかかっていた。そこには、白地に黒文字で次のように書かれていた。
「わが街むろらんは日本ただ一か所の“同性結婚特区”です。先進的な街であることの証です」
 駅前商店街の驚異的なさびれかたを見ると、とても先進的な街、時代の先頭をひた走るような街には見えないのだが、こと結婚制度に関する限り、この廃墟のような街が、世界屈指の大都市・東京以上に進んでいるのだ。だから、この垂れ幕に書かれた文字は偽りではない。
 ……偽り……今までの日本では、男と女が結婚することが正しく、男と男、女と女が結婚することは邪道であって認められない“偽りの契り”とされてきた。その常識が、まさに今日、日本の国土の端っこにへばりついているようなこの小さな小さな街、まるで廃墟のような街から変わろうとしている。コペルニクス的転回をとげようとしている……。

 ぼくと涼は、庁舎内に足を踏み入れた。
 テレビカメラやライトをかついだ、テレビ局の関係者たちが十人以上いた。ライトが目に入り、ひどくまぶしかった。これは今日からスタートする“同性結婚特区”の取材だろう。
 庁舎の入り口のすぐ前に、案内カウンターがあった。
「あの、婚姻届を出したいのですが」
とぼくが言うと、緊張した面持ちの女性職員がやや上ずった声で
「は、はい。その廊下を曲がっての、突き当たりになります」
と教えてくれた。
 指示されたとおりに歩いていくと、カウンターの前に緊張した表情の男性職員が立っていた。ドラえもんみたいな体型をしていた。
 ここでも
 「あの、婚姻届を出したいのですが」
と言うと
「は、はい……」
と、これまた上ずった、なおかつ半分、裏返った声で返事が返ってきた。このドラえもん風の職員のみならず、その周囲の職員たちが皆、緊張した表情である。中には、自分の机の上に置いてある書類に視線を落としながら、時折り上目づかいに、ぼくと涼を見るものもいる。
 あらかじめ必要事項を記入しておいた婚姻届を手渡すと、ドラえもん似の職員は
「は、はい……。たしかに受理いたしました。ご結婚おめでとうございます」
と、ぼくと涼にぎこちない不自然な笑顔を見せてくれた。
 ぼくと星川涼は、この瞬間、戸籍上の
「夫婦」
となった。
 なお、ぼくも涼も“夫婦”別姓ルールを選択したので、結婚後もそれぞれの苗字は変わらない。

 その翌日からぼくは、室蘭市内にあるコンクリート製造工場で働きだした。工場勤め、といっても作業服を着てブルーカラー工員として働くのではなく、工場のすぐ近くにある事務所でパソコンを操作し、事務をおこなう。
 職場での自己紹介でぼくは、自分の経歴を正直に述べた。
 ……自分は東京の阿佐ヶ谷で生まれ育ち、大学卒業後、総合商社であるシリウス社に就職した。ちなみに同社は東証一部上場企業であるが、近年、その株価は百円ラインをはさんで一進一退している。シリウス社時代は自分が男色家であることをひた隠しにして、異性愛者として振る舞っていたが、ことのほかストレスがたまった。役者でもないのに本然の自分とは違う自分を演じつづけるのはつらいものだ。
「毎日が仮面舞踏会」
状態なのは、やはりしんどい。そこで、同性結婚特区であるここ室蘭に転居し、連れあい(ライフパートナー)とともに“夫婦生活”をいとなみたい。ちなみに連れあいは当分の間は「主夫」専業でいきます。仕事は全力でバリバリこなすつもりなので、よろしくお願いします、と述べた。
 質朴そうな顔つきをした同僚たちが拍手で迎えてくれた。この地は、外気温は寒いが、人情は暖かいようだ。
 頭がきれいにはげ上がった、声がやたら大きい、見るからにエネルギッシュな社長が
「うちは社員数25人です。大企業シリウス社から見ると、太陽の前の月みたいな小さい会社だけれども、みんな一生けんめいに頑張っている。シリウス社についこのあいだまで勤めていた人から見ればうら寂しい職場とは思うが、気合入れて頑張ってください」
と、ぼくを励ましてくれた。
 
 初出勤を終えて新居に帰りついた。
 涼が待っていた。
「このマンションの管理人さんと、両隣の部屋の人には、あいさつをすませておいたよ。電話やパソコンの(インターネットへの)接続も、無事にすんだ」
「うん、うん」
ぼくはうなずいた。涼はなおも話し続ける。
「ホームセンターでゴキブリ取りを買おうとしたら『北海道にはゴキブリはいません』と言われちゃったよ。夏場でもいないんだって」
「うん、うん」
「東京にいた頃と比べると、収入はだいぶ減るけど、なんとかやりくりして頑張るよ。もう少し落ち着いたら僕も仕事を見つけようと思う」
 株価百円前後とはいえ、東証一部上場企業であるシリウス社でもらっていた給料に比べると、この凍土の中小企業でもらえる金額はたしかに半減した。それでも、世間体を気にせず、自分たちの“愛”に正直な生き方をぼくたちは選んだ。

 その後、ぼくと涼はこの北の大地で明るく暮らしていた。
 東京時代は、ぼくと涼の関係が周囲(特に勤務先)にバレないように神経を使っていた。しかし、この最果ての地に移ってからは、誰はばかるところなく、大らかに生きることができていた。
 室蘭は日本の国土が尽きる場所とはいえ、ロッテリアもユニクロも長崎屋もある。特に長崎屋は室蘭市の中央部と西部に二店舗ある。ただし、格安牛丼の吉野家や松屋や神戸らんぷ亭は残念ながらない。
 それに、特急列車で片道1時間半のところには、百万都市&オリンピック開催都市である札幌があるので、たいていの用件はここでまにあう。
 また、ぼくも涼も温泉マニア、温泉フリークではないけれども、近くに世界的名湯である登別温泉があるのも気に入った。

 その後、ぼくは仕事に打ち込み、休日には涼と一緒に室蘭駅始発の札幌行き特急列車「すずらん」号に乗り込み、札幌でデートしたり、登別温泉で日帰り入浴をしたりした。
 ぼくと涼は登別温泉にある世界屈指の広さを誇る大浴場の湯舟のなかでそっと手を握ったり、脚をくっつけたりからませたりした。温泉は白く濁っており、おまけに湯気がもうもうと立ち上っているので、極度の視界不良。水面下で何をしようと、他の入湯客の目からはまったく見えない。

 そんな牧歌的な日々が一年半ほど続いたある夜のこと。
 ぼくと涼が少し遅い夕食をとりながらテレビを見ていると、ピポンピポンという電子音とともに、画面の上端にニュース速報のテロップが流れた。
 そこにはぼくと涼にとっておどろくべき内容の文字が並べられていた。

 「今期の小栗虫太郎賞の受賞作は花京院裕子氏(27)の『一人だけの心中』、夢野久作賞の受賞者は若林チャカポコ邦夫氏(42)の『厄年メルヘン』に決定」
 
 …………か、花京院裕子(かきょういん・ゆうこ)…………ぼくの別れた妻だ……………。

 ぼくと涼と、そして花京院裕子は、大学の同級生だった。
 ぼくは大学に入学した当初から涼のことが好きだった。一目ぼれといっても良い。色白で小柄なからだ。それでいて引き締まった、たくましい筋肉。整った目鼻立ち。童顔。いたずらっぽい笑顔。回転が速い頭脳……。もう、すべてがたまらなく好きだった。
 そして涼もまた、ぼくの想いを徐々にではあるが、受け入れてくれた。お互いにひかれあうものがあったのだ。
 ぼくと涼が大学の学食(学生食堂)で食事をしていると、必ずといっていいほど、花京院裕子が割り込んできて、にぎやかに話がはずんだ。
 花京院裕子はわが大学有数の美人と言われていた。大きくパッチリした目。すっきり通った鼻筋。やや厚く、肉感的な唇。細身でやや長身。まさにファッション雑誌から抜け出したような女だった。
 この裕子は、町の規模の割りには抜群に知名度が高い、北海道長万部(おしゃまんべ)町(注:市制はとっていない)の出身ということで、よくからかわれていた。ちなみに長万部は、ぼくと涼がのちに移り住むことになる室蘭からは、それほど離れてはいない。
 裕子はとにかく勝気で積極的な性格。どういうわけか、ぼくにのめりこむほどほれこんでしまったらしく、始終ぼくにまとわりついてきた。裕子が美人でなければうっとおしかったかもしれないが、ぼくとしても美人につきまとわれて悪い気はしなかった。ぼくは男色家ではあったが、女嫌いではなかった。好きでもなかったが。
 裕子は人目をひきつける華やかなルックスの持ち主だったが、見かけによらず読書好きの地味な一面を持っていた。司馬遼太郎、夢野久作、久生十蘭、渡辺温(戦前の探偵作家)という共通項があまりない四人の作家の著書をを好んで読んでいた。読書の好みはどちらかというと偏向していたと思う。
 裕子は当時から既に小説を書いていたが
「恥ずかしい」
の一点張りで、ぼくには書いたものを一度も読ませてくれなかった。
 ところで、裕子はぼくと涼の関係を
「単なる親友」
と思い込んでいたらしい。
 ぼくは涼との関係をカモフラージュするため、裕子と《恋人のように》ふるまった。裕子はあくまでも《ダミー》《当て馬》にすぎず、ぼくの心は涼にあった。

 やがてぼくは大学を卒業して、シリウス社に就職した。

 プロポーズしてきたのは裕子のほうだった。単刀直入にいきなり
「ねえ、結婚しようよ」
と言ってきた。
 ぼくは思い悩んだ。
 ぼくはあくまでも涼を愛していたが、日本社会においてサラリーマンとして出世するためには、きちんと女性と結婚しなければならない。男色家は受け入れてもらえない……。異性愛者でなければ社会的信用を得ることができない。下積みの窓際族になるのはどうしてもいやだった。だいいち、日本では同性と結婚できない……。(今にして思えば、同性結婚を認めている国の市民権を買い取り、涼と二人でその国に帰化する、という選択肢もあったし、あるいは日本国内にとどまり独立して仕事をすることもできたのだが、当時はそういうことを思いつかなかった。「いい大学を出て、いい会社へ入る」という世間の常識にぼくはスッカリ洗脳されていた)。

 ぼくは愛よりも、社会的成功を選んだ。
 大企業に勤め、美しい妻がいる……。外面的には申し分なかったぼくの人生だった。しかし、ぼくは涼のことを忘れることができなかった。
 そんなある日、この日本の一角に「同性結婚特区」ができることを知った。
 ぼくはひそかに涼と会い、「同性結婚特区」となる北海道室蘭市へ移住して、人生をやり直そうと言った。
 涼も
「おまえと一緒ならば、室蘭だろうと北方領土だろうと、どこへでも行くよ」
と言ってくれた。うれしかった。暖かな、ほのぼのとした気分になった。
 
 その夜、ぼくは裕子にすべてを話した。

 裕子に別れてくれと頼んだ。
 慰謝料として、ぼくの全財産(といってもたいした金額ではないが)をくれてやるから、どうか離婚してくれと頼んだ。

 ……その夜、裕子はいつまでたっても浴室から出てこなかった。オカシイナ。
 様子を見に行くと、浴室内で裕子が手首からドクドク血を流していた。赤い血の線が排水溝へと流れていた。
ぼくは大あわてで止血をし、意識を失って倒れている全裸の裕子にぐるぐるとバスタオルを巻き、救急車を呼んだ。
 
 救命処置をほどこされた裕子は、きわどいところで命拾いをした。
ただし、検査の結果、内臓(脾臓であったが)に以前からのものと思われる重大な疾患が見つかり、手首の傷が癒えたあともそのまま入院を続けた。
 裕子は病院の個室に入院していた。
 ぼくが見舞いに行くと、裕子はベッドに横たわりながら、ぼくの手をつかみ
「わたしはお金なんかいらない。あなたとずっと一緒にいたいの」
と哀願した。
 ぼくは裕子の手をゆっくり振り払って
「……本当にぼくのことを愛しているなら……ぼくに幸せになってほしいならば、ぼくと別れてほしいんだ……本当に申しわけないが、ぼくは君のことを愛していないまま結婚したんだ……それは社会的な体裁をととのえるためだった……。ぼくは涼のためになら、よろこんで死ねるが、君のためには死ぬ気になれないんだ……」
 そして、ぼくは裕子の枕元に、自分の印を押した離婚届を置いた。
 今にして思えば、裕子に対してはひどいことをした。冷酷な仕打ちをした(実は裕子は、大学時代、美しい自分をチヤホヤする男たちには目もくれず、多少冷たい扱いをするぼくにほれこんでいた。少し冷たくされると、逆に燃えるタイプの女だったようだ)。
 もっと裕子をいたわってやればよかった。
 しかしその時のぼくは、ノドがかわいた者がひたすら水を欲するがごとく、涼を欲していた。涼と一緒に暮らしたかった。
 裕子は大きな目でぼくをじっと見すえながら、何かを言おうとした。しかし何も言わなかった。ただ、確かにこの時ぼくは裕子からスサマジイ殺気を感じた。
 今となっては永遠の謎であるが、この時、裕子の手元に刃物があれば、裕子はぼくを刺殺して、返す刀で自分をも刺し、無理心中を遂げたのではないか?ぼくはそんな気がしてならない。

  退院後、裕子は、ぼくのいなくなった部屋で、精神的空虚さをまぎらわせるために、一心不乱に小説を書きはじめたらしい。上古の巫女(女シャーマン)が洞穴に閉じこもり、ひたすら霊感や天啓を得ようとしたごとく、裕子もまた自分の世界に閉じこもった。そして、ぼくが部屋に置き捨てていったパソコンを使用して、ひたすら、ひたむきに、トランス状態に入ったかのごとく、執筆を続けたようだ…。

 ……幸せな結婚生活を送っていた女の夫に、同性(つまり男)の愛人ができる。夫は妻を捨てて愛人とともに北海道に逃げ、新天地で新生活をはじめる。その頃、ひとり東京に置き捨てられた妻は、夫を刺殺して自分も死ぬ―――つまり無理心中―――ことを決意し、ひそかに北海道を訪れる。が、夫とその愛人が暮らすマンションの部屋の灯りを遠くに見ながら、愛する夫が幸せになってくれればそれはそれでいいと心境が変化する。そして寒風吹きすさぶ雪原の上で、妻はひとり手首を切り自殺する。雪は赤く染まっていった……。

 という内容の小説「一人だけの心中」を発表したところ、これが思わぬ反響を呼び、裕子は今夜、栄光ある小栗虫太郎賞を受賞したのだ……。
 明らかにぼくと裕子と涼がモデルだ……。

 ところでこれはだいぶのちになってから知ったことだが、裕子は自殺未遂を起こして入院した際に受けた精密検査で、死に至る可能性が高い内臓(脾臓)疾患が発見され、医師からそのことを告知されていた。裕子は表情を変えることなく医師に礼を言い、さらに
「少しだけでいいので、寿命を延ばしてください。三日あれば、それだけでも多少のことをこの世に遺せますから」
と冷静そのものの口調で頼んだそうだ。
 
 以前からの豊富な読書や、ぼくとの結婚、そして離婚といった体験が、裕子にそれなりの達観を得さしめる結果につながったらしい。
 その後、裕子は自室に山岡鉄舟(幕末の硬骨漢。明治維新後は宮中に入り侍従を勤めた)の
「死んだとて損得もなし馬鹿野郎」
という愛言を貼りつけ、執筆を続けたらしい。このあたり、いかにも司馬遼太郎の歴史小説を好んだ裕子らしい。

 小栗虫太郎賞を受賞後ほどなくして、裕子は闘病日誌「死への階梯」を書き下ろし出版したが、これがまた新聞の書評などで賞賛された。賞賛というよりも激賞といったほうが正しいかもしれない。
 「悟ろうとして、悟りきれずに苦悩する一つの精神の流転を巧みに描いている」
とか
「冥府から現世へと逆上陸した、のたうつ魂の記録」とか、文学には無縁なぼくから見れば、わかったようなわからないような言をもって評された。
 ぼくは大学の同級生として、そして夫として、何年ものあいだ裕子とつきあってきていたが、そこまでの文才が宿っていることには、まったく気づかなかった。これは、人間には配偶者ですら気づかない隠れた才能がひそんでいることもある……というよりも、ぼくにとって裕子は、社会的信用を得て、大企業のサラリーマンとして生きていくための道具(ツール)にすぎなかったので、彼女の内面にまでは観察がいきとどかなかったのだろう。
 もっとあからさまに言えば、ぼくは裕子に対して無関心だったのだろう……。
 無関心……無関心こそ、真の冷酷にほかならない。

 そんなある夜、思いがけないことが起こった。
 裕子からぼくにメールが届いたのだ。
 「おひさしぶりです。今度、サイン会のために札幌に行きます。そのあと、長万部の実家に立ち寄ります。もし良かったら、札幌か室蘭で一緒にお食事でもしませんか。 裕子」
という簡潔な文章であった。

 ぼくはしばらく思案したのち、涼に相談した。すると、涼は即答した。
「行ってこいよ。花京院さんに会ってこい。……ふたりで一緒に泊まってもいいよ……」
「……いいのか?……本当にいいのか?……」
「花京院さんに会わないまま、彼女が……なんだ……そういうことになったら、一生後悔することになるんじゃないか?今のうちに会わないと、もう二度と会えないかもしれないじゃないか」
涼は少し間をおいてから続けた。
「一生後悔しつづける、暗くて陰湿なお前と一緒に暮らしていかなきゃならないこっちの身にもなってみろよ。だから、ぼくのためにも会ってきてくれ」
 
 だが、その翌日の夜になっても、ぼくはなお迷っていた。決断を下すことはできずにいた。裕子に会ったほうがいいのか……会うべきなのか……?
 ぼくはパソコンを起動させた。そして裕子のホームページをのぞいた……。
 「花京院裕子の部屋へようこそ!」
というアイルランド風、ケルト風の装飾文字の下に、裕子のカラー画像があった。
 かっての裕子は、見るからに
「わたしって美人なの」
という言葉がノド元にまででかかったような、勝気で高飛車な表情をしていたのだが、いま、ぼくの目の前にいる裕子は、何か達観したような、そして澄み切った笑顔をしていた。
 さらにその画像の下には
「他界予定日まで あと452日」
の文字があった……。
 この一句を見たとたん、ぼくは裕子に会おう、いや、会いたい、会わなければと思った。

 ぼくはJRの特急列車で札幌駅に着いた。
 人ごみの中を五分ほど歩くと、カフェバー「ミニヨン」があった。ぼくはゆっくりとドアを開いた。
 薄暗い店内をゆっくり見回すと、ぼくのほうを見て、手を振っている人がいる。裕子だ……。 
  ……ほとんどやつれてはいない。死病にとりつかれているようには見えない……。
 ぼくはなんと話しかけてよいのかわからず、軽く会釈をしただけで、柔らかいイスに腰をかけた。
 裕子の左手薬指が目についた。ぼくが贈った結婚指輪をつけていた……。
 ぼくは鋭利な刃物で、胸をえぐりとられるような気がした。
 そして裕子はその左手でぼくに一枚の小切手を渡した。
 「あなたから、あの時(離婚直後)に押しつけられた慰謝料は全部返すわ……。わたし、原稿料や(本の)印税が入ってきて、お金にはぜんぜん不自由してないの」
「……いや……きみには本当に悪いことをした。だから……」
 裕子は持ち前の大きな目でぼくの目をじっとみつめていたが、ぼくはすっかり気合負けしていて、裕子と視線をあまり合わせないまま話をした。
 裕子はキッパリとした口調で
「おねがい。何も言わずに受け取って……」
と言った。裕子と視線が合った。哀願するようなまなざしをしていた……。
ぼくは蛇に見入られた(魅入られた)カエルのようになり、すくんでしまい、反論する気が失せた。気合負けしたぼくは裕子から小切手を受け取った。
 「ありがとう……」
裕子は心の底からうれしそうな、ホッとしたような、天真らんまんな笑顔を見せた。この笑顔はぼくの網膜にシッカリ焼きついてしまった。この時、ぼくはタマラズ裕子に“一目ぼれ”してしまった……。 
 離婚した――それもぼくの側から強く望んで離婚した――元妻に一目ぼれ、という形容はどうかとは思うが、ともかくこれ以上ぴったりした言葉は思い付かない。
 裕子の笑顔は、ぼくの魂を捕獲した……。ぼくの魂は、裕子によってガッチリと手錠をかけられた。ぼくは裕子の“恋愛捕虜”になった……。
 ぼくは裕子に引きずられるようにしてカフェバー「ミニヨン」をあとにした。
  そして札幌駅近くの高級ホテルへと入っていった。ふらふらと。入っていったというより“連行された”といったほうが正しいのかもしれないが。
 
 裕子は首にかけていた金のネックレスや、右手首に巻いていた銀のブレスレット、そして左手首に巻いていたスイス製(オメガ社製)の高給腕時計を次々と自分の身体から解き放ち、ぼくに与えた……。この間、裕子はずっと無言だったが、ぼくへの“形見分け”だということは、暗黙のうちに理解できた……。
 そして裕子がはじめて口を開いた。
「これは……」
裕子は自分の左手の結婚指輪を見つめながら言った。
「“その日”までわたしがつけておくね……。」
 “その日”という言葉は、ぼくの脳天にグオンと重い鉄槌を打ち込んだ。ぼくはタマラズよろめいた……。ぼくの全身を流れる血液が一気に熱くなった。
 
 ……この夜ぼくはガムシャラに裕子を抱いた……。
 
 裕子のやや厚い、肉感的なくちびるに、ぼくのくちびるを強く押しつけたまま、身体を抱き寄せた。ぼくはこのときはじめて裕子の身体におきている“異変”に気づいた。見た目ではわからなかったが、たしかに裕子は以前よりも痩せていた……。筋肉にも、若い女性特有の弾力や、躍動感がなかった。
 目で見た限りでは、裕子の美貌や生命力の衰えは感じられなかった。だが、こうして久しぶりに抱きしめてみると、裕子の生命力はたしかに衰えているのがハッキリわかった。
 ぼくは、いまこの瞬間、密室で抱き合っている“愛人”である裕子が、もうタマラナクいとおしくなり、ぼくの生命力をいくらかでも、女体という器に注ぎ込みたい……ブチこみたいと思った。ぼくは激しく、狂おしく裕子を突いた。なにかデモーニッシュなものにとりつかれたかのように裕子を犯しつづけた……。

 その夜から、およそ一年半が過ぎた……。

 薄暗い自分の部屋で、ぼくはパソコンを起動した……。

 「花京院裕子の部屋へようこそ」

と書かれたアイルランド風、ケルト風の装飾文字の下に、北海道特産の花であるすずらん(鈴蘭)に囲まれた裕子の画像があった。どこかモナ・リザを連想させる謎めいた微笑をたたえていた。
 ……そして、その下に黒い文字が並んでいた……。
 
 「わたし、花京院裕子は皆さんのご声援、ご支援に支えられ、無事に生涯を終えることができました。長くはない人生でしたが、なぜか人生にきちんと春夏秋冬のめぐりを感じました。いろいろな人との出会いがあり、そして別れがあった。つらかったことも、楽しかったことも、今となってはどれもこれも楽しくて暖かな、そして優しい思い出です。ありがとう。人生というマラソンを完走することができて本当によかったです。わたしにとってはマラソンというよりも、ハーフマラソンといった感じだったけれど。皆さん、本当にありがとう。 敬具。」

 ……さらに別の画像には、生前の裕子が執筆に使用していたパソコンや銀ブチメガネなどが映っていた。
 ……ぼくは、これらのディスプレイ画面を見ているうちに、目に涙がにじんできて、トテモ文字を判読できなくなってきた。
 ……ユウコォォォォォォォォォ……。
 
 仕事が休みの日曜の午後。
 ぼくは上京し、東京・飯田橋のとあるホールにいた。
 「同性結婚を考えるシンポジウム」
のパネリストを務めるために。
 夭折した小栗虫太郎賞作家・花京院裕子の元夫として……同性愛をテーマにした小栗賞受賞作「一人だけの心中」のモデルとしての登壇だ。
 会場にはたくさんの聴衆がいた。モノスゴク緊張し、一瞬立ちすくんだけれど、昨夜、JR東室蘭駅から上野行きの寝台特急列車「北斗星」に乗り込む直前に、愛する涼から受けたアドバイスを思い出した。
「万一、パニック状態におちいったら、腹式呼吸なり深呼吸しろ。たいていはこれでなんとかなる」
この原始的なリラックス方法を試してみた。意外と効果があった。
 そして、シンポジウムの司会者に指名され、ぼくは発言をはじめた。
 「愛するものと愛するものが、精神面と肉体面での双方で結ばれる……。それが異性のあいだでおこなわれようとも、あるいは同性のあいだでおこなわれようとも、それは問題ではない、どちらでもよいとぼくは考えます。大切なのは愛を体験するかどうかという点にあるのではないでしょうか。……ふたりの人間が、愛を分かちあいながら肉体的に結ばれるということが、大事なポイントです。そしてその二人の肉体の結合に、誠実さと愛がある限り、それは正しい恋愛であり結婚であると考えます」
 そう語るぼくの左手首には、腕時計にからみつくようにして、裕子の形見である銀のブレスレットが巻きついていた。発言を終えたぼくはそのブレスレットをじっと見つめながら、どういうわけか裕子が好んでいた山岡鉄舟の言葉を思い出していた。
 「死んだとて損得もなし馬鹿野郎」。 




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇   終わり     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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