海外旅行

SHIZA旅 3年4ヶ月世界一周ひとり旅

「日本から飛行機を使わずにケープタウンまで行ってみよう」それが当初の旅の目的だった・・・3年4ヶ月世界一周半。累積訪問国110ヶ国以上。アジア、中東、アフリカ、中南米、中央アジア、ロシア。「辺境」を好んで旅した著者による記録。是非ご登録下さい。(無料)【相互紹介歓迎】

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SHIZA旅(ルワンダ3)

2011/06/13

SHIZA旅(ルワンダ3)
2011.06.11 18:21作成:日本
2011.06.11 22:31貼付:日本
2011.06.13 10:00配信予定(日本時間):時差0時間
まぐまぐ:342部 melma!:455部
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【このメールマガジンについて】
これは、2003年4月から2006年8月まで旅をした経験などを元に
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【目次】
1.ツチとフツ
2.愛国戦線
3.虐殺記念館
4.衣類の部屋
5.編集後記
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【1.ツチとフツ】

(ルワンダ「虐殺記念館」続き)

ルワンダの歴史は、ツチ族(Tutsi)と
フツ族(Hutu)の葛藤の歴史でもある。

ツチというのは、北方系の民族と言われており、
いわゆる遊牧民の範疇に入るだろう。

背が高く、精悍な顔つきをしており、鼻梁の高さ、長い四肢が特徴だ。

それに対し、フツは、背が低く、鼻も低く、全体にずんぐりしている。
農耕系に属していると言えばいいだろうか。

ツチは、遊牧民であり家畜の管理が得意だ。
また、遊牧民の特性として、人を支配する術にも精通している。


家畜は、ルワンダでは貴重で、家畜を通じて、
ツチはフツを支配するきっかけを作っていったという。

このツチとフツの関係は、ドイツの植民地時代、
そしてベルギーの委任統治下でも利用される。

王政の廃止と共和制の移行があり、
ルワンダは、その後、1962年に独立する。

これにより、フツが政治の指導権を握ることになる。

以前、紹介した「ルワンダ中央銀行総裁日記」は、
共和制移行・独立後のルワンダでの体験を元に書かれている。

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【2.愛国戦線】

さて、1973年に、ジュベナール・ハビャリマナが大統領になり、
反ツチ色が強められ、
ツチは、隣国のウガンダに難民となって出国していく。

その難民達が結成したのが「ルワンダ愛国戦線」だ。

「RPF」とも呼ばれるこの組織が、
ルワンダの歴史に暗い影を落とす。

「虐殺」が始まる前にも、
RFPは、ルワンダ領内に何度も武力攻撃を仕掛けている。


さて、ハビャリマナ大統領の搭乗した飛行機が攻撃され、
大統領は死亡。

この事件をきっかけにして、「虐殺」が始まったとされる。


フツの人は、大統領の死亡は、RPFによるものだという主張をし、
それを信じた多くのフツにより、
ツチへ対する虐殺が行なわれることになる。

で、この混乱の中、RPFがルワンダに侵攻、ルワンダ全土を制圧し、
多数の難民が、隣国へ避難することになるのだ。

その後、帰還難民に対する報復などもあり、
混沌とした状況は長く続く。

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【3.虐殺記念館】

私が「虐殺記念館」で、眼にしている遺体は、
ツチの人なのか、フツの人なのか。

どちらなのか、全く分らない。

しかし、初期の頃は、多数のツチが殺害されたから、
ツチの可能性はある。

それに、後にRPF(ツチ主体)が政権を掌握することになるから、
ツチ迫害の証拠として、
「虐殺記念館」を作ったというのは考えられる。

余談だが、私がルワンダを訪問した時の大統領は、ツチの
ポール・カガメ氏であり、氏は、RFPの最高司令官であった。



多数の遺体が安置されている部屋を出ると、
次は「服の部屋」へ行った。

ここは、少し大きめの建物になっていて
集会所のようなものに使われていたのだろうと推測できた。
元は学校だったから、講堂のような役割をしていたのだろうか?

ドアはなく、小火でもあったのか、天井の一部が焦げている。

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【4.衣類の部屋】

建物の入口に立つと、ずらりと並んだ衣類が見えた。

遺体が着ていた衣服なのだろう。
衣類はくすんでいる。

その部屋には、右から左へとロープが張られ、
服が吊り下げられていた。

ロープは8本。
ざっと数えて、一本のロープに64の衣服が吊り下げられていた。

この大きな部屋には窓ガラスが無く、外から風が吹き込んでくる。
その度に、服の群れが揺れる。ゆーらゆらと揺れている。

服はどれも汚れている。

泥や血糊のようなものがこびりついていた。
汚れきって、古びていて、血と泥と区別が付かない。

蜘蛛の巣が張っているのもあった。

ただ、白い砂粒のようなものが付いているものがあり、
それが、遺体の白い色を連想させた。

何とも言えない。

これを着て生活していた人がたくさんいたんだと思う。

ここに来るまでに見た村人たちのように、食事し、歩き、笑い。
「こんにちは(ぼんじゅーる)」といい、語り、歌い。

主のいない服たちは、風に吹かれて、ゆーらゆらと揺れ続ける。

どれだけ長い時間こうしてきただろうか。
そしてこれからも・・・

アーメン、主イエズスよ、来てください。(新約聖書「黙示録」)


クリックすると写真が表示されるはずです。
(飛べない場合はコピペして下さい)

これが「虐殺記念館」
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/rwanda03.jpg

途中で会った人たち
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/rwanda04.jpg

ギコンゴロの食堂で
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/rwanda05.jpg

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【5.編集後記】

この日からしばらくは、強烈な印象が脳裏に焼き付けられ、
何とも言えないような日々が続いていた。

今でも、あのときのことを思い出す。

しかし、それは政治的な目的をもっているのかもしれないし、
何というか、私には、上手く説明できないが、
見てきたことを淡々と記述するしかできないような気もする。


ところで、本文には書けなかったが、
ツチとフツの葛藤には、
外国勢力も絡んでいるとみて間違いないだろう。

ツチの背後にいるウガンダ、英国、米国、カナダ。(英語圏)

フツの方は、フランス語圏だという。(フランスやベルギー)

そういう国際的な勢力争いが、状況を複雑にしているという状況は
多くの紛争に共通するものなのだろうか。

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