おしゃべり

六津姐の「そして今夜も言ッ気のみ」

不景気ゆえのヒマに耐えかねて、本業棚上げ、放言、断言、無責任発言…つれづれ綴る気ままな&お気楽エッセイ。目指したいぞ、遅咲き!熟女咲き!

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今宵も六津と

2007/09/01

●真夏の迷想(その4)

まずいなぁ。しばしの銭稼ぎに時間をとられていたら、頭の中から歌が消えてしまった。実は前回までの文章を書いたのはもう数週間前なのである(といっても格別忙しかったわけではない。だいたい、この六津のグチ事はヒマを持て余し、かつ書く気になった時にしか書かないから、発刊もデタラメになっている)。
というわけで…歌が消えると情熱も消えるのは当然の帰結。
しかし、ここまで書いてきて途中で「や〜めた」というのは、暑さのせいにするにもホドがある。ここは何とか、こじつけでも無理やりでもカタをつけなければなるまい。

思い出せば、おはぎが下関に行くのは船に乗るためで、その船の行く先は…という話だった。しかし、行った「船」は、当然のことながら、出航した港へ帰ってくるのが普通。難破でもしない限り。
文明というものが生まれて古今、出た港へ帰らない意図を持って就航した例は2タイプほど。

その一つは、秦の始皇帝の時代、始皇帝の命で不老長寿の薬を求めて国を出た徐福(字当ってんのか?)の船団。不老長寿の薬を探すのに不可欠に思える大人の兵士ではなく、少年少女たちを大勢船に乗せていたという。移住する気満々のメンバー構成である。始皇帝がこのことを知らなかったのは間違いない。

もう一つは、欧州各国から船を出し、新天地を目指した連中。新天地ではネイティブを追い出し、ほろぼし…その一部は21世紀現在、石油のためなら何とでも理由をつけて開発発展途上国に戦争と搾取の手を伸ばす超大国を作り上げている。いかん。また、それたな。いや、時事問題や国際問題を語るつもりはなかったんだが。

とにかく。船は戻っても、その船に乗っていったおはぎは、もう戻らない(可能性が高い)ということである。では、下関から目指してゆく、「もどれないところ」とは?

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ここで少しだけ戻って考えよう。おはぎは「お嫁に行く」のである。
しかし、これを言葉通りに取るのは単純すぎる。むしろ、お嫁に行くのと同様の意味合いを持つ何かである。
現代歌ではないこの歌の生まれた頃が実は正確にわからないが、似たような童謡はだいたい明治期に生まれている。その頃の嫁入りの観念を時代の道徳や社会状況に照らしてみれば…嫁に行くことはすなわち、その後の人生を嫁ぎ先(相手)に捧げるということであったと考えていい。

となれば、当時、人生を捧げるもの、あるいは捧げざるをえない,
しかも、自分の身を犠牲にしてでも…というものと言えば、当時の社会状況を考えると、まず第一に「お国」。お国にささげるといえば、往時の西洋列強に追いつけ〜!の富国強兵策を支えた兵隊さんたちである。兵隊さん…う〜ん。ひょっとしておはぎの歌って、日清戦争(あるいは日露戦争)へ出征する人々の歌だったのかも。

当時、現在の中国を統治していた清朝との戦争のために、下関の港に終結し、出航の時を待つ日本の兵士たち。もちろん、下関が唯一の出航地ではなかっただろうが、少なくともある程度の規模の舞台が下関から大陸の戦線へと旅立った。そんな状況の中で歌が生まれる。おはぎの化粧は兵士たちの出征正装(軍服)であり、軍備である。

生まれた歌はその言葉のわかりやすさと節回しの覚え易さから、人から人(主に子ども)へと歌い伝われてゆく。そして全国へと広がるも、長い時の流れの中で次第にその発祥が忘れられ、かくして歌のみが唄い継がれ、時はもはや平成にして21世紀に…。

いや〜、おはぎが戦争に結びつくとは思わなかった。
え?それ本当かって?何だ、その疑問は?人が延々と推論を重ねてきた結果だというに。題名にも表明してあるだろうに。「真夏の迷想」だって。私と同じように脳みそが煮立っているなら、納得できるはずである。

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創刊日:2003-03-01  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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