おしゃべり

六津姐の「そして今夜も言ッ気のみ」

不景気ゆえのヒマに耐えかねて、本業棚上げ、放言、断言、無責任発言…つれづれ綴る気ままな&お気楽エッセイ。目指したいぞ、遅咲き!熟女咲き!

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今宵も六津と

2007/08/25

●真夏の迷想(その2)

前号で「おはぎがお嫁に行く時は〜♪」という歌が暑さに浮かされた脳みその中をぐるぐる回っていると書いた。でもって、続く歌詞のラスト部分の「明日はいよいよ下関〜♪」の下関の登場に疑問を呈した。今回は、いよいよマゾ時に、違う、謎解きをしていくわけである。

では始める。おはぎと下関。この関係は何か?「おはぎ」とひらがなで書くとまるっきり訳がわからないが、ネットを探ればあのアンコロ餅を「お萩」と表現している記事が散見できる。「萩」となると、やはり、山口県萩市。いや、強引ではない。明治以前の人間にとって、今の山口県、すなわち当時の「長州」と「萩」は、ほぼ同義語だった。そして「萩」が「おはぎ」に結びつくのも当然の帰結であったようだ。

現に、徳川の将軍様が大好きで倒幕先鋭の長州藩や薩摩藩が嫌いだった当時の江戸っ子たちは、葵咲く五月の頃は、おはぎも芋も腐ったり、ひからびたりしてしまう…というような意味の狂歌や俗謡を歌っていた。当然、葵は徳川家の家紋(三つ葉葵)であり、おはぎは「萩」、芋はサツマイモ産地の鹿児島、すなわち薩摩を指している(ジャガイモはジャガタライモ、すなわちジャカルタから来た芋と呼ばれ、日本国内のどこかが特産地イメージを持つものではなかった)。

《ここでCMタイム》ずっと以前、ヤフーのブログで
「裁判!」鑑賞主義    (※「 」と!が不可欠) 
という裁判傍聴記録を展開しているとアピールした。だ〜け〜ど、未だに訪問者数が地ベタを這っている。というわけで、きっとムダとは思いつつぅ〜、もっぺんアピール。
「裁判!」鑑賞主義    (※「 」と!が不可欠) CM終わり。

なお、余談ながら、「天ちゃん帰して(京都にネ)徳さま呼んで、元の正月してみたい」なんて有名な狂歌も当事はあった。江戸っ子は「朝廷」という存在も、どうでも良かったようだ。さらにいうと、当事の江戸は、庶民にとってとても暮らし易いところだったという。
時代劇のドラマよりよほど平和でエコロジカルな生活していたし、
大工の親方なんぞになると同心や普通の武士よりフトコロ豊か。

実のところ、江戸で一番貧しかったのは侍(サムライ)で…要するに、「お侍様」は、今の公務員よりよほど清貧な暮らしをしていたというわけ。そして、それこそが武家の誇りでもあった。
してみると、時代劇に登場する「おヌシも悪よのォ」などど言われる越後屋さんや悪代官なんてのは、現代人が考える存在、すなわち当時ではなく、現代を反映した人間像といえたりするのである。

ちなみに、農民は確かに飢饉などがあり、苦しかったともいえるが、それでも。市民革命を終えたフランスをはじめ、(当時の民主主義先進国とされる)欧米諸国の同時代に比べ、餓死率は日本のほうがずっと低い。これホント。これは、あちらの領主に比べ、幕府や各藩領主が備蓄していた食糧を飢饉の際に放出していたという事実があったことと無関係ではないらしい。(つづく)

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創刊日:2003-03-01  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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