【BRASIL NEWS】ニッケイ新聞メルマガ版 129号★新年特別号★
発行日:12/31
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【BRASIL NEWS】ニッケイ新聞メルマガ版 129号 2005/01/01
★新年特別号★
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これであなたもブラジル通!!! 様々な顔を持つこの国の魅力の一端を紹介
Feliz Ano Novo! (みなさん、良い新年を!)
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==■冒頭コラム■==ロナウジーニョが世界最高のプレイヤーに選ばれるなど、
常にサッカーの話題にはことかかないブラジルですが、今年は経済が上向きになる
など、明るい希望に溢れた一年の締めくくりでした。もちろん、スマトラ沖地震の
津波被害で死んだブラジル人もいましたが、スイスやドイツなどの欧米人に比べれ
ば微々たるものでした。▼新年を迎え、日本移民百周年まであと三年。今年五月に
はルーラ大統領の訪日も予定されています。日本の秋には、NHKが昨年五月から
ブラジルで収録を開始した同局放送開始八十周年記念ドラマ「ハルとナツ」(全五回)
も放送されるはずで、〇八年の日本ブラジル年に向けて着々と雰囲気が盛り上がっ
ていくのではと思われます。▼新年が日伯関係再活性化元年となるよう、編集部一
同、心から願っています。良い新年をお迎えください。
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****▽ニュース目次▲**********************************************
●今週のおすすめ記事●
○日系社会
■酉年(とりどし)=多士済々の年男たち=隔年で酉年会=「酉年には識者が多く」
■コチア青年50周年=野心に溢れた男たち=成功者も多数輩出
■50年前の“巻き返し”=文協役員の不思議な符合=100周年を担う新会長像とは
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★日系社会
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■酉年(とりどし)=多士済々の年男たち=隔年開催で酉年会=「酉年には識者が
多く」=若い酉年の出席呼びかけ
-------------1月1日
今年はやるぞ──。二〇〇五年を前々から楽しみに待っていた団体はどこか。創
立五十周年を迎える文協?それとも、規模の拡大に伴いイミグランテス展示場に日
本祭りの会場を移す県連?いや、違う。干支の集まり、酉年会だ!
ブラジルでガリーニャと言えば普通娼婦を指し、国民にとって余り好ましくない
表現だ。日本で金鶏伝説に代表されるように、鶏は縁起の良い動物。「情報に敏感で
時代を先取りする能力に優れている」と酉年についての記述も占星術の書籍にはみ
られる。
「コロニアの識者が多い」。酉年会の特長を尋ねると、発起人の一人で世話人の羽
田武人元県連事務局長(83、長野県出身)は、そうずばりと言い切った。
メンバーの顔ぶれをみると、尾身倍一元文協会長(故人)、高野芳久元県連会長、
柳森優旧日本語普及センター理事長、延満三五郎元文協会長(故人)、八巻培夫旧日
伯毎日新聞社編集長、花城清和元沖縄県人会会長など確かにコロニアを代表する人
たちの名が並ぶ。
今上陛下も酉年なので、誇りも高いことだろう。これまで出席したことがないも
のの、植木茂彬元鉱山動力相の父酉二さん(95、長野県出身)も一九〇九年生ま
れでコロニア最古の酉の一人になるはずだ。
「文協や県連のトップの人が参加を呼びかけたので、堅苦しい会と勘違いした人
がいるかもしれません。でも、本当は皆肩書きを外して一人一人の人間として付き
合っているんですよ」
会の発足は一九八六年一月のことだった。羽田さんが八一年に県連事務局長に就
任。間もなく高野元県連会長と同じ大正十年生まれであることが分かった。趣味な
ど共通した話題が多かった二人。尾身元文協会長も同い年だということになり、酉
年会結成に向け三人が意気投合した。「大正年間の酉は、我々の年しかいないんです」。
記念すべき最初の親睦会は大正十年生まれ酉年会と銘打ち、十一人の参加者を得
た。第三回目(九三年)には、還暦祝いを兼ねて実施。一回り上の世代にも声を掛
け、明治、大正、昭和の三時代の酉年が約六十人揃った。
羽田さんは、レストランの領収書などをきちんと保管。「通貨はクルゼイロだった
んだよ」と懐かしむ。
以後、九九年に四回目、〇一年に五回目、〇三年に六回目の酉年会を開いた。次
回は今年二月を予定している。年々会員の高齢化は着実に進み、若い酉が多く出て
きてほしいところだという。
■コチア青年50周年=野心に溢れた男たち=成功者も多数輩出
--------------1月1日
壮大な野心と希望に満ち溢れた男たちだった。一九五五年九月十五日、約四十日
間の船旅を終えた百九人の若者がサントス港に降り立ってから今年で半世紀の節目
――。その背景や形態から日系移民史でも特筆されるべき存在である「コチア青年」
が九月に五十周年記念式典を開く。「ジャポン・ノーヴォ」「新来移民」などと当初
は冷ややかな目で見られることが多かった彼らだが、ブラジルの大地に骨を埋める
との一大決心を元に、農業や開拓に明け暮れた。戦前移民の農業後継者として大き
な役割を果たしたコチア青年。セラード開発へ先鞭を付けた事実や花卉栽培の成功
などその功績は大きい。総勢で二千五百八人と言われるコチア青年がブラジルに刻
み込んだ半世紀を振り返る。
●時代の落とし子、コチア青年移住
第二次大戦で大きな被害を被り、復興期にあった日本は農村部を中心に農家の二、
三男問題が深刻な陰を落としていた。一方、五〇年代に入り、サンパウロ州を中心
に、農業の後継者不足に頭を悩まし始めていた日系コロニア。双方の悩みを一石二
鳥に解決しようと始まったのが、コチア青年移住である。
後続移民の存在は、当時農業を中心とした日系コロニアの発展に欠かせない、と
コチア産祖の下元健吉専務は五二年、計画的な移住を計画。
五五年一月に、コチア産祖がブラジル政府との間で締結した「日本国籍を有する
千五百名の移民をブラジル国内に導入するための約定書」に基づくのがコチア青年
である。
いずれ故郷(日本)に錦を、と考えていた戦前移民と異なり、十八歳から二十五
歳までの独身男性を対象にブラジルに骨を埋めようとするコチア青年は日系移民史
でも極めて特異な位置づけ。そして農業移民が主流だった当時の日系社会にとって、
彼らの存在は必要不可欠だった。
「日系農業界にとっての輸血である」と同移住制度の重要性を訴えた下元専務は
五五年三月初旬、パウリスタ新聞記者の取材に対し、コチア青年ならではの特徴に
ついて答えている。「単独青年を選んだのは、引き受け側の負担も少なく、さらに青
年らがブラジル農業を覚えた頃は独立が可能だ」。
大きな希望と少しばかりの不安を抱いて最初にサントス港に下船した百九人の中
の一人だった黒木慧さん(一次一回、宮崎県)さんは、コチア青年がブラジルに第
一歩を記した日のことを鮮明に覚えている。
「試験場(モイーニョ・ヴェーリョ)に風邪気味の下元さんがネズミ色のオーバ
ーをまとってやって来て、二つの話を聞かせてくれました」
遠くを見つめながら、呟くように語る黒木さんは下元が若者らに語った訓話を振
り返る。
「自らが積んだ経験がいつも通用する訳ではない」「机上の理論は実際には役立た
ない」と二つの話を通じてコチア青年に説いた下元――。黒木さんは「日本での学
問経験だけではダメだと言う事を訓辞で送ってくれたのでは」と言う。
戦前移民と異なり、一定の学歴や農業などの専門知識を備えていたこともコチア
青年の特色の一つだった。やがて、彼らの中からそうした専門性を生かして成功し
ていく人が出る。
●野望と挫折
日系移民発祥の地とも言える神戸港。芥川賞作家、石川達三の小説「蒼茫」の舞
台としても登場する旧国立神戸移民収容所(現神戸移住センター)は、約二十五万
人の移民が祖国での最後の日々を過ごした思い出の場所でもある。
二〇〇二年に同センター内で偶然、発見されたあるコチア青年による落書きに二
千五百八人の思いが代弁されている。
「別離の言」と題された落書きの主は第十期コチア青年(一次十期の五七年か二
次十期の六一年かは不明)。
「俺は故郷を思う 俺たち皆は成功を夢見ている これが俺たちの願望である(一
部省略)」
見果てぬ大地への強烈な思い入れが伝わってくる。
現在バイーア州で牧場を経営する徳重富夫さん(一次六回、鹿児島)は農家の八
人兄弟の末っ子で、コチア青年移住に自らの人生を託した一人。「本当に貧乏な時代
で、日本ではどうしようもなかった。まだ後進国のブラジルならば何とか頑張れば
成功できるはず」と夢を膨らませたと当時を振り返る。
サントス港に到着した青年らは、まず聖市郊外のモイーニョ・ヴェーリョ試験場
の寄宿舎に入り十日間にわたり、ブラジル農業についての基礎知識などを伝授され、
その後、コチア産組の指定する組合員の農場に配耕。
募集要項の第五項目には「義務」と重々しい二文字が並び、こう続く。
――組合員である雇主の命ずる労働に最低四カ年就働しなければならない――
条件こそ「家族的待遇」との名目だったが、実際にはごく安い給料制に等しく、そ
の条件は極めて悪かった。受け入れが始まった五五年当時のサンパウロ州の最低賃
金は二千三百クルゼイロ。コチア青年は諸経費を差し引かれた後、約八百クルゼイ
ロを手にしたに過ぎず、原則的に四年間の就労義務を果たして、パトロンから独立
していくことになる。
ただ、道のりは決して楽ではなかった。
初期のあるコチア青年は苦々しげにこう語る。
「パトロンはワシらのことをカマラーダ以下と考えていやがった。いつか成功し
て見返してやるとの反骨精神が身に付いたが唯一の収穫だった」
今でこそ成功を収め、余裕を持って当時を振り返ることが出来る人も増えたが、
当時はパトロンに対して不満を抱えるコチア青年は多かった。当時約半数が、四年
間を待たずして、パトロンを替えているというデータからも、過酷な労働条件が伺
える。
五七年に下元がまとめた「第一次青年移住に関する報告」は、青年らの働きぶり
を客観的に分析している。
優秀が三〇%、良好五〇%と約八割が「合格点」を得ているが、問題も多かった。
残る二割に含まれた陰の部分を自分の目で見たコチア青年最年長格はキッパリ言
う。「順調に成長するかどうかはパトロンによって千差万別でしたよ。悪いパトロン
につけば苦労は多かったはず」。
九人兄弟の三男坊に生まれた徳留清さん(一次六回、鹿児島)である。
当時、バタタの一大生産地として知られたイビウーナに入植し、パトロンの農場
でバタタ栽培に明け暮れた。独立して二年経ったある日、徳留さんは農作業中にア
キレス腱を切断する不運に見舞われ、ブラジルでの農業は六年で断念せざるを得な
くなる。
しかし、当時同市にあったコチア産組に勤務できたため、生活には困窮すること
がなかった。
コチア青年が最も多く配耕されたイビウーナ市だけに、記録に残るだけでも五八
年から六七年までに三人が自殺。徳留さんらが中心となり、葬式を出したこともあ
るという。
また、五七年には当時のコロニアを震撼させ、コチア青年の受け入れ拒否の声ま
で上がるきっかけとなったパトロン殺害事件や六三年のガルボン・ブエノ街での
乱闘事件などで、すっかり「新来」などという有り難くない呼び名も頂戴すること
になる。
ただ、「ゼロから立ち上がるのが強み」「自分の意志でブラジルに賭けた」と多く
のコチア青年が口にするように、こうした「逆風」を自らの手ではね除けた事実は
特筆に値する。
現コチア青年連絡協議会会長の高橋一水さん(一次六回、高知)は「確かに学歴
が災いして、すぐに他の仕事に目移りしたりするものもいたが、僕らには恵まれて
いた二世にはないガッツがあった。自分で頑張るしか仕方なかったので、まず独立
を目指し独立後もメキメキ働いて信用を勝ち取った」と力を込める。
●確かな足跡
コチア青年がブラジルに残した物ーー。その半世紀を振り返るとき、誰しもがま
ず最初に口にするのが、花卉栽培における功績だ。
五〇年代以降、サンパウロ市近郊の農業は人口流入に伴う地下や人件費の高騰が
足かせとなり、ジャガイモやトマト栽培は過去の遺物となりかけていた。
そんな近郊農業に花卉栽培という「新たな命」を吹き込んだのがコチア青年であ
る。
「花を売り物にするという概念がなかった日系コロニアを我々が変えた」
アチバイア市で四十二年間に渡って花卉栽培に従事し、コチア青年連絡協議会初
代会長も務めた山口節男さん(一次二回、長野)は、誇らしげに胸を張る。
高校卒業後、日本でも有数の花卉栽培地域として知られた長野県坂城町の農協の
技術者として働いていた当時から花の生産、販売に携わった山口さん。コチア青年
には専門知識を身につけていた人も多く、後に農業界に技術革新をもたらしていく
ことになる。
五五年の入植直後こそ「組合員に花をしている人がいないから」との理由でエン
ブーの農場に入ったが、五七年からはアチバイアのパトロンの所でカーネーション
の栽培に従事。
独立した二年後からはアチバイアの七・五ヘクタールの土地でカーネーションや
バラを植えてきた。
当初は収穫したバラを手に抱え当時、花の卸売市場だったサンパウロ市パカエン
ブー区の青空市場までバスで向かったという。山口さんに師事し、花卉栽培を学ん
だいわゆる「山口学校」の卒業生らも次々に現地で花作りをし、アチバイアは「花
どころ」として活気を帯びていく。
花卉だけでなく、果樹栽培もコチア青年の得意分野の一つだ。
コロニア・ピニャールはブドウの里として知られるが、ここは別名「福井村」と
呼ばれることからも分かるように、六三年に福井県が後の海外移住事業団と土地の
選択、購入をし、南伯産組が営農指導したことで始まった。
「自分の手でゼロから町を築く喜びがあった」。山下治さん(二次一回、福井)は
故郷の父から、福井村の造成を知らされ、現地では第一号として入植。以来、ブド
ウ栽培と町づくりの二足の草鞋を履きこなしてきた。
昨年四十周年を迎えた同地では、市長が日系人の貢献ぶりを高く評価したという
が、まさしくコチア青年が無から生み出した町だ。
●ブラジル全土が舞台
現在、大豆生産で世界の四分の一を占めるセラード。かつて「陸の孤島」に過
ぎなかった大地の開発に先鞭を付けたのも、忘れてはならないコチア青年の功績だ。
セラード開発を日伯両国の共同事業として実施することを決めた七四年の田中角
栄首相とガイゼル大統領の会談から三年後。コチア青年の大半が憧れたであろうフ
ァゼンデイロへの夢に挑戦しようと、青年の有志がミナス・ジェライス州パラカト
ゥーに五千五百ヘクタールの土地を取得。ムンド・ノーヴォ農場を発足させる。発
起人の一人だった山田充伸さん(一次十四回、岐阜)は、ヴァルゼン・グランデで
花卉栽培を軌道に乗せていたが、来伯当時の夢だった大牧場所有の夢を忘れられず、
セラードに挑むことにした。
結局ブラジルが迎えた「失われた十年」に伴うインフレ政策に翻弄され、山田さ
んらは農場を手放して借金を清算。「ムンド・ノーヴォ(新世界)」の夢は実現しな
かったが、後悔はしていないという。
「セラードの今の姿があるのは僕らが入ったからだと誇りに思っています」と山
田さんは言う。
飽くなき開拓魂を持つ彼らはセラードに留まらず、ブラジル各地に点在する。
「金のなる木はココにあり」。椰子(ココ)を巧みにもじった当時の邦字紙広告を
見たわけではないが、徳重さんは来伯後四年目に、日系人がほとんどいなかったバ
イア州テイシェイラ・デ・フレイタスで椰子栽培に取り組んだ。
「戦時中南洋に従軍した兄が『椰子を植えている原住民は食いっぱぐれがない』
と教えてくれたんです」
単純な動機だったが、言葉も通じず食材にも苦労しながら、徳重さんは椰子栽培
に専念。やがて牧畜を始め、現在では千ヘクタールの牧場で一日に千二百リットル
の牛乳を大手乳飲料会社に納入しているという。 「日本ではダメだったでしょう。
本当にブラジルに感謝しています」と農家の八人兄弟の末っ子は笑う。
●幅広い分野での活躍
神父(貝塚博身さん、一次十五回、茨城)や五輪柔道のブラジル代表監督(小野
寺郁夫さん、故人、二次一回、宮城県)ーー。農業以外の分野にも人材を輩出して
いるのも、コチア青年ならではの特徴だ。
戦前移民はしばしば「コチア青年はこらえ性がない」などと罵ったと言うが、や
はり戦後の個人主義を身につけている世代だけに、よく言えば「頭の切り替えが早
かった」とも言える。
今年コチア青年として初めて旭日双光章を受勲した今井真治さん(70、一次十
二回、埼玉)もその一人で、現在は弁護士と公証翻訳人として農業から一転、法曹
界に転身した。
中央大学卒業後の五八年にブラジルに渡った今井さんはカンピーナスに配耕され
た後、二年目にコチア産組の組合員として独立。数年は農業に明け暮れるが「外国
人がこの国で弁護士になるのは一つの挑戦だ」とコチア青年ならではの「開拓魂」
を発揮し、七二年にゴイアス連邦大学へ入学。七八年に弁護士となり、ブラジリア
の日本大使館で顧問弁護士も務めた。
●半世紀の節目と未来
名は体を表すーー。「青年」と自らを呼ぶだけに、平均年齢七十歳に近づきつつあ
る今でも、コチア青年の意気は盛んで衰えを見せない。裸一貫で単身来伯し、大地
を切り開いただけにそのバイタリティーは自他共に認めるところだ。「希望も何もな
い時代にブラジルに渡り、頑張った。間違いなく我々がコロニアを活性化させた」
とジャガイモ栽培に魅了された神取忠さん(一次十一回、北海道)は断言する。
八年間畑で汗を流したにも関わらず、農薬中毒のため農業を断念。その後農芸関
係の店を営んだ瀬尾正弘さん(一次五回、徳島)も神取さんの言葉に継ぎ足すよう
に「コチア産組の後継者問題というコロニアの問題だけでなく、セラード開発でも
貢献は多かった。コチア青年の意義は大きい」と言う。
戦後移民史に残るコチア青年の足跡ーー。今年九月に半世紀の節目を迎えた後、
コチア青年はどこへ向かうのだろうか。
ブラジル日本都道府県人会連合会会長の中沢宏一さん(二次二十一回)は、「コチ
ア青年ももっと積極的に社会参画するべきだ」と指摘する。
三年後には、日系社会全体で取り組むべき移民百周年が待っている。「開拓魂」を
忘れない青年には本来、もってこいの舞台のはずだ。ただ、現状では中沢さん県連
会長として同協会副理事長で目立った動きを見せる以外、コチア青年の姿は要職で
は目に付かない。
瀬尾さんも言う。
「今の祭典協会は学歴エリートが中心。汗を流して鍛えてきたコチア青年とはそ
りが合わないのかも」
しかし、一部には百周年に参画したいという動きもある。五十周年の記念事業と
してサンロッケ市に植林する広さ五ヘクタールに及ぶ「コチア青年の森」だ。
造成委員長を務める黒木さんは「日本とブラジルの双方に対し貢献した我々がブ
ラジルに生きた証にしたい。そしてこの五十周年をお祭りのように盛り上げること
で、百周年につながる動きになれば」
コチア青年はまだまだ「青年」の心意気を忘れてはいない。
■50年前の“巻き返し”=今年は文協会長改選年=役員の不思議な符合=100周年
を担う新会長像とは
-------------1月1日
四月二十三日に行われる予定のブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)の定期総
会だが、次回のそれは今までと少々重みが違う。新しく選ばれる文協会長は、二〇
〇八年の移民百周年祭典を取り仕切る理事長に就任する可能性が高いからだ。つま
り、誰が文協会長に就任するかで、ゴタゴタ続きのブラジル日本移民百周年記念祭
典協会の将来を、日系社会の今後三年間を大きく左右することになる。加えて新会
長には、文協五十周年という大きな節目の行事を、先頭に立って進めていく重要な
役割が課せられている。出馬がささやかれる候補はすでに数人いる。その状況や背
景を俯瞰しながら、どのような会長像が理想的なのかを、広く一般に聞いてみた。
■本命は上原会長続投■
あと三カ月余りに迫った役員選挙で、最も可能性が高いのではと噂されているの
は、上原幸啓現会長の再選のようだ。現執行部としては、上原氏を説得して〇八年
まで現在の体制のまま押し切ろうという“絵”を描いている。
吉岡黎明第一副会長は、「僕らとしては続けてやってもらいたい。チームを代える
のはまだ早い。もうしばらく続けてほしい」とその動きを肯定する。ただし、「今後、
どういう動きが出てくるか分からないけど」と変動の余地を残す。
〇三年五月に就任した時から、上原氏は一期二年限りと明言しており、その意思
は固いものと思われていたが、後継者不足から再出馬する可能性が出てきたようだ。
事実、上原氏は就任する時も、直前まで出馬を否定していた。
というのも、後継者最有力候補と見られていた吉岡黎明第一副会長の人望が今一
つで、会長に押し上げたところで余計に風当たりが強くなる、との観測があるから
だ。
現執行部としては、吉岡氏に橋渡しするための準備を着々と進めてきた、と言わ
れる。例えば、小泉首相が来伯した昨年九月頃から、ブラジリアにロドリゲス農務
大臣や堀村隆彦大使を訪ねたり、アウキミン州知事を訪問して百周年祭典協会の打
合せに行ったのは吉岡氏で、今後の顔合わせの意味合いが強いと言われる。
さらに、〇三年、上原会長が行った海外日系人大会に、〇四年はやはり吉岡氏が
行き、日本側関係者に顔合わせしている。
ただし、移民史料館運営委員長など、現在でさえ数々のコロニアの要職を兼任し
すぎていて、「名前だけで仕事をしてない」との批判が聞こえるのも確かだ。
吉岡氏自身も出馬の噂に関しては、「そんなことは絶対にない。僕はそんなつもり
で、要人に会いに行っていた訳じゃない。全く考えてもない」と言下に否定した。
■隠然たる影響力■
現執行部の背後でコーディネートしているのは、渡部和夫USP法学部教授とい
われる。聖州高等裁判所の元判事でエリート中のエリート。囲碁を愛好するだけあ
って、先手を読む力は人一倍とも。
現執行部における存在感からすれば、渡部氏が本来なら会長候補ナンバー1だが、
「自分は気が短いし人前で挨拶するのは苦手」と周囲に漏らし、「文協に協力はする
が、ブラジルの裁判制度の改革に向けた調査や研究を自分が座長役で行っているた
め時間は割けないし、適任とも思えない」と会長就任を固辞する回答を、以前本紙
の取材に対して行った。
文協においては改革委員会の平(ひら)委員、百周年においてもただの補佐にも
関わらず、衆人環視の会議中でさえトップの上原理事長に指示をする姿は、関係者
みなが目にするところ。隠然たる影響力は誰の目にも明らかだ。
内部からも、「現在の路線を進めるなら当然、渡部さんが会長になって良くも悪く
も責任を取るべき。院政のように隠れているのはどうか」(文協役員)との声も挙が
っているが、選挙に出る可能性は低そうだ。
■複雑な図式の原因■
有力者が表面に出てこないことに加え、「文協会長=百周年祭典協会理事長」とい
う図式が、文協会長選の背景を複雑にしている。
百周年のメイン記念事業として承認されたが、「実体としての総意がない」との批
判を受けているヴィラ・レオポルジーナ区の日伯総合センター構想は、渡部氏、建
築家の大竹リカルド氏、日系研究者協会が中心になったプラン。
もともとJICAサンパウロ支所が「二十年後の日系社会と日系人との連携事業
について」という調査プロジェクトを日系研究者協会に依頼し、その結論を元に生
まれた構想だ。従来のように、コロニア代表団体が協議して、長い時間かけて話し
合いながら練り上げたプランではない。
その証拠に、三十五億円という、コロニア記念事業史上空前の総事業費を見積も
りながら、同構想の中心メンバーに誰一人として百周年協会どころか文協、援協、
県連など日系代表団体の要職にあるものはいない。その辺も状況を複雑にしている。
とはいえ、次期理事長も当然この関係者が主導権を握らなくては構想実現も不可
能になるから、上原、吉岡、渡部三氏およびその周辺からの立候補は間違いない。
■文協会長と百周年理事長は別人でもいい■
リベルダーデ文化福祉協会の網野弥太郎評議員会長は、「今の文協と百周年は重な
りすぎていて外から見ると分かりづらい」という。
移民五十周年から九十周年まで、文協会長が周年事業実行委員長に就任し、旗を
振ってきた歴史はあるが、必ず代表五団体が寄り集まって執行部を組織し、会合を
繰り返しながら合議を進めてきた。「今回も文協会長がトップにはなったが、合議が
全然ない点が今までとまったく異なる。その点を、中沢県連会長はじめ、みなが指
摘しているのでは」と網野氏はいう。
十四日に栃木県人会で行われた県連主催の百周年意見交換会でも、「現在の協会の
やり方は一方的」「コロニア全体が賛同するような進め方をしていない」「議決する
前に、まずしっかり説明し、みんなでじっくりと考える時間がほしい」という意見
が大半を占めた。
この意見交換会を呼びかけた中沢県連会長は、「昔はコロニア代表団体が結束して、
話し合いながら大きな行事を進めて行ったが、百周年からはまったく何の呼びかけ
もない。県連も百周年の副理事長になっているが相談もなにもない。上原さんやら
渡部さんやらの周りだけで決めて、どんどん進めてしまっているのはおかしい」と
考えている。
「今の百周年協会の組織にも納得できない。各地に連合会があるのに、連合会と
その傘下の一日本人会が同じレベル、同じ権限を持つ副理事長になっている。なん
のための連合会かわからない」と憤る。
百周年に対して援協、商議所あたりが消極的な姿勢を貫くのも、文協内部の一部
勢力が合議をせず、“独走”していることへの牽制意識もありそうだ。
戦後移民の佐々木憲輔氏(58、岩手)は、「昔は文協が全伯の団体を代表する存
在だったが、今は同じようなレベルになってしまった。だから、必ずしも文協会長
が百周年の理事長を兼ねる必要はない。会員数の多さからいくなら、沖縄県人会の
会長がなったっていいはず」と、文協と百周年を分離することに賛成する。
「俺たちが決めるから、後はやってくれじゃ困る。今コロニアに必要なのは学者
じゃない。自ら頭を下げて回れるような百周年理事長でなきゃ、みんなはついてい
かない」と強調した。
ブラジル日系老人クラブ連合会の重岡康人会長(79、山口)は、「コロニアのこ
とをもっとよく分かった人に文協会長になってほしい。現在の方も学者としては素
晴らしい人だが、日系社会の実態を認識していないと思う」という。
「本当は、戦後の人たちがもっと早い時期から積極的にコロニアに関わってきて
徐々に世代交代していれば、こんな問題は起きなかった」と残念がる。
■説明不足解消のために■
根回しが足りないという批判に対して、常に矢面に立って、実質的に“広報官”
的な役割をする吉岡百周年プロジェクト委員長は、「確かに、説明が足りないことは
感じている。実際に人手が足りなくて説明に回れないのが実情です。新年からボラ
ンティアで動いてくれる人を増やし、地方も含めてどんどん説明会を開いていきた
いと思っています。ただ、手弁当で動いてくれる人はそうそういないのも事実です
が…」と弁明する。
現在、記念事業説明用のシナリオを作ってコンピューターのCD化し、何人かの
役員が同じ説明をできるように練習しているという。「誤解のない広報活動をするた
めには、みんなで同じ説明をすることが大事。そのための準備をしています」と強
調した。
さらに、「先日、コーペルコチアに説明に行きましたが、そのCDを使ってちゃん
と説明したら、『これだったら俺たちも賛成しなきゃ』という声を幾つも聞きました」
と語った。
■どんな2世が理想的か■
福岡県人会の元会長、中村勲さん(81、福岡)は、「コロニアのリーダーには、
大きな金をポンと出す人を連れてくる会長より、瓦一枚寄付する人をコロニア全体
からたくさん集められる人がいい。学者じゃなくてコロニアに馴染みのあり、事情
のよく分かる人だと思う」と期待している。
福岡県人会では一昨年、USP医学部の現役教授を努める秀才二世会長と元会長
ら一世陣が、会の運営方針を巡って対決し、裁判沙汰にまでなったのは記憶に新し
い。「リーダーに相応しいのは、頭は良いが他人の意見を聞かない人ではない。みな
の意見を聞き、人望がある人だ」とは辛い経験から学んだ教訓だ。
振り返ってみれば、ブラジル社会で成功し名声を得た二世らが、定年を過ぎ、こ
こ数年でたくさんコロニアへ戻ってきた。彼らは「模範的なブラジル人」であるこ
とを突き詰め、他の非日系人を押しのけて出世してきた優秀な人たちだ。コロニア
が誇る明晰な頭脳を持つ人たちであることは、誰もが認める点だろう。
ただ、それがコロニア的に望ましい資質かどうか、意見の分かれるところだ。ブ
ラジル社会での出世競争にしのぎを削る過程で、日系的な何かを犠牲にしてきた可
能性は否めない。
スザノ福博村の大浦文雄さんは、「今の七十歳前後の二世は、日本の敗戦によって
脱日本という意識を強く持った世代。自分たちはブラジレイロ(ブラジル人)だと
強く思うことによって、自らを救おうとした。複雑な精神構造をもっており、それ
を理解しないと彼らが言っていることの真意は読み取れない」と分析する。
■世代間の対立か■
また、この世代は戦時中に思春期を迎えた。コロニアに戻ってきたとはいえ、勝
ち負け紛争に代表される負のイメージを一世や日本文化に重ね、根回しなどコロニ
ア的な“しきたり”を嫌悪している可能性すらある、といわれる。
三〜四十年ぶりにコロニアへ戻ってきた二世たちの持つ日本文化や日系社会への
イメージは、コロニアの現実とは少々違っていても不思議はない。
コロニアの伝統を無視して日系代表団体内での根回しをまったくせず、修好百周
年までのやり方を踏襲しない現在の百周年取り組みのあり方は、どこかその辺の流
れを感じさせるものかもしれない。
だいたい、戦後移民と二世との対立は、戦後移住開始直後の五十年前まで遡る“伝
統の儀式”でもある。
大浦さんは「彼らは世代と、今の四十代の二世は、同じ二世でも考え方がまった
く違う。その辺もしっかり考えないと。単純に一世対二世という図式は当てはまら
ない。もっと若い二世の声、特に地方文協の代表者の意見を聞くべき」と指摘する。
吉岡プロジェクト委員長に、根回しという日本的習慣に文化的な違和感があって
していないのか、と問うと「そういうことも多少はある」と答えた。
二世が中心になって根回しせずに物事を進めていることから、戦後移民を中心と
した従来のやり方にこだわる人たちから反発が生まれているのが、現在の図式では
ないか。プロジェクトの中身というよりは、むしろ、そのような方法論や手続きの
違いが感情的な対立へとつながっているように見える。
■文協創立時の秘話■
実はこの対立の構図、今に始まったものではない。
安立仙一文協事務局長は生前、「今日ある文協を描いたのは山本喜誉司初代会長で
あり、以後の歴代会長は山本構想の実践家なのだ」と常々、明言していた。その意
味では、現体制は文協始まって以来、山本構想から外れた方向性をもった存在だ。
発足から二年が経過する中で、良くも悪くもその成果が問われる時期になってき
た。
六四年に発行された日本文化センター落成記念特別号(『コロニア』別巻)には、
興味深い事実が書かれている。
六〇年六月二十二日、文協ビル建設を構想していた山本喜誉司氏は、若き渡部氏
らピラチニンガ文化体育協会の二世代表者と会合を開いたが、意見が対立し合意に
は至らなかった。文協の文化センター建設構想発表の直前に、当時の二世団体の代
表格だったピラチニンガ文協でも会館建設計画が総会で承認されていたからだ。
同時期の建設では募金活動が重なり、双方に支障をきたすので日本文化センター
へと一本化できないかという思惑のもと、文協側の山本会長、中尾熊喜副会長、中
沢源一郎副会長、須貝アメリコ理事らが、ピ文協の柳沼会長、小野田ジョルジ理事、
植木茂彬理事(後の鉱山動力大臣)らとともに出席したのが渡部和夫副会長だった。
ピ文協は五〇年に創立された二世団体。上原幸啓氏(現文協会長)、翁長英雄氏、
植木茂彬氏、大竹ルイ氏(現日伯総合センター設計者)などの後のそうそうたる創
立メンバーらの中に、当時USP学生だった渡部氏もいた。
安立氏の記録によれば、まず山本会長は、「まだ子どもだと思っていた二世諸君が、
この五、六年の間に一線に進出されるようになり、我々の知らない二世の方々が活
躍されるようになった。これは少なくとも我々の不注意だった」と詫びつつ、お互
いに話し合って仕事をしてゆきたいという希望を述べた。
中沢副会長は、「いずれこの建物は二世諸君に引き継いでもらわねばならないのに、
あなたがたの方でもやるということは、こちらでやることと対立することになりま
す」と合流に対する強い呼びかけを行った。
ピ文協側から、存立の第一目的は「ブラジル人としての意識にめざめていない二
世を、立派なブラジル人に育成すること」で、第二が「日本文化の紹介」との説明
がされた。現状としては第一目的に活動範囲が絞られており、第二には手が届かな
いと報告された。
これに対し、文協は第一に「日本文化の紹介、宣伝」や「一世を対象にした文化
的啓蒙活動」であり、両会の存続目的は異なるので合流は不可能である、との結論
に達した。
その後、両団体はまったく別の活動を続け現在にいたる。ただ、文協には日本政
府の資金が流れ込み、記念講堂、移民史料館建設など次々に建物を拡張していった。
■半世紀後の“合流”■
なんの因果か分からないが、合流不可能との結論に達した当時のメンバーが半世
紀後の現在、文協の舵取りを担い、百周年を契機に文協を二つに分離し、ピニェイ
ロスのピラチニンガ文協の先へ移転させようとしている。コロニアから離れ、ブラ
ジル社会へのアピールを強く持たせた形で。
文協関係者の中には、それを“巻き返し”になぞらえる人までいる。
「リベルダーデには若者は集まらない。やっぱりヴィラ・レオポルジーナはUS
Pやピニェイロスにも近いから若者がいっぱいいる」。百周年祭典協会の上原理事長
は記者会見で、何度もそう語った。
五十年の歳月は長い。人も考えも変わるかもしれない。だが、意外と根本は変わ
っていないのかもしれない。山本会長らカリスマ的な指導者がみな鬼籍に入り、コ
ロニアのリーダーが小粒になったと言われる現在、ブラジル社会でエリートとして
の経歴をつんでもどってきた二世らの揺り返しはある意味、当然のことだろう。
少なくとも、思春期に日本語教育を禁止され、日系人であるがゆえにブラジル社
会で少なからず気をつかい、辛い思いをしながら人格形成した世代が、現在の文協、
そして百周年を支えていることは十分認識すべきことだろう。
文協派とピラチニンガ派、一世と二世――。この二つの流れは半世紀の伏流をへ
て、百周年を契機に再び表面化し始めた。“合流”なのか“巻き返し”なのか。まだ
まだ覇権争いは続くだろう。
■“改革”の行方■
〇三年まで文協副会長だった高橋信夫さんは、昨年の四月にそれまでの役づき理
事十六人全員を総辞職させ、総入れかえの形で新執行部を構成したことにも、百周
年の混乱の一因があると考えている。
「このような状況になったのは、現在の文協役員は民衆が求めているものが分か
らないことが原因。昨年、理事全員が交代させられたが、半分ぐらいは置いとくべ
きだった。じゃないと昔からのつながりが分からない」と次の役員選挙への要望を
述べた。
この総入れかえを指示したのは、一昨年後半から渡部氏が統括責任(コーディネ
ーター)を務めた文協改革準備委員会だった。渡部氏は当時の文協執行部らに請わ
れて同準備委員会を組織し、“改革”あり方を模索していた。もちろん、当時の執行
部が合意の上で大変革させたのであって、改革準備委員会が押し付けた訳ではない。
ただ、今思えば、すべての出発点はこの辺にあったのかもしれない。
この他、評議員会の大原毅現会長の擁立とか、来年援協会長辞任を表明している
和井武一氏を文協会長にするアイデア、県連の中沢会長が立候補するのではとの噂
まで流れている。
その一方、文協五十年の歴史で初めて、シャッパを二つ作って会員に賛否を問う、
という話まで聞こえてくる。現在の急激な“改革”路線に待ったをかけ、従来のや
り方との協調を図る路線が内部に生まれつつあるという。
前回までは評議員会が推薦した会長と副会長五人(現在は七人)を総会で信任し、
その後、会長らが三十四人の理事を指名するというやり方だった。しかし、改正民
法による定款修正により、前年までに会員になった人は誰でもシャッパ(三十六人)
を提出できることになった。
総会で会員が直接選挙する方法になったので、もしシャッパが二つ以上出た場合、
会員がこぞって投票に参加すれば、良くも悪くも、執行部の思惑とは違う結果にな
る可能性を秘めている訳だ。
やはり、コロニアの舵取りを任すべき二世リーダーは、ブラジル社会で成功した
人を基準にするのでなく、コロニア生え抜きの二世ではないか。“優秀な人”は顧
問や名誉会長的な存在として、幅広い視野でアドバイスをしてもらい、実権はコロ
ニア生え抜きに渡す。その方が、結果的に両者にとって納得できる世代交代になる
のでは――そんな可能性がささやかれる昨今のようだ。
【求められる資質とは】
文協と渾然一体となってしまった百周年祭典協会。日伯総合センター構想への「総
意」を巡って混乱の続く現在の状況を収めるには、文協内部から代案なり修正案が
出てくるのが理想的ではないか。コロニア五団体の身内である県連から百周年協会
が突きあげられている現状は尋常ではない。
次期文協会長に求められているのは、責任者が表面に立つ透明性の高い執行部を
組織し、代表五団体をまとめるリーダーシップを自ら発揮でき、必要とあれば資金
集めに奔走して頭を下げ、全伯日系団体への説得や根回しに労を惜しまない人材で
はないだろうか。
理想論はいくらでも出る。本当の問題は、そのような人材がいるかどうか――そ
の一点に尽きるようだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
《邦字紙用語解説》リベルダーデ=日本人移民が集住する地区、別名は東洋人街、
聖市=サンパウロ市、聖州=サンパウロ州、ポ語=ポルトガル語、日語=日本語、
コロニア=移民一世を中心とした日系社会の一部、伯国=ブラジル、伯人=ブラジ
ル人、南大河州=リオ・グランデ・ド・スル州、亜国=アルゼンチン、R$=ブラ
ジル通貨単位レアル。
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