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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 日本プロ野球史:東京ヤクルトスワローズ(8)

発行日:11/3

 読者の皆様こんばんは。
 今日、ワールドシリーズでシカゴ・カブスが1908年以来のワールドチャンプに
なりました。

 そこで、この108年ぶりの優勝について騒ぐメディアが多いのですが、私はそ
のことよりも、まだワールドシリーズに勝ったことのないチームについても取り
上げるのがフェアなんじゃないか、と考えています。

 2016年シーズン終了後現在、ワールドシリーズで勝ってないチームは8チーム
あります(メジャーリーグ加入順)。

●テキサス・レンジャーズ
●ヒューストン・アストロズ
●ミルウォーキー・ブリュワーズ
●サンディエゴ・パドレス
●ワシントン・ナショナルズ(旧モントリオール・エクスポズ)
●シアトル・マリナーズ
●コロラド・ロッキーズ
●タンパベイ・レイズ

 いずれも、カブスのように旧くからメジャーリーグに加入していた球団ではな
いので、あまり話題には上っていませんが、これらのうち、ナショナルズとマリ
ナーズはワールドシリーズにさえ出ていません。
 特にマリナーズは、イチロー選手がメジャーリーグにデビューした2001年が最
大のチャンスでしたが、アメリカン・リーグの優勝決定戦でヤンキースに敗れて、
出場を逃しています。ナショナルズはここ数年強いので、いずれ出てくると思い
ますが、現在のマリナーズはビミョーな状況です。

 また、パドレスはメジャーリーグに参加した年こそ1969年とそれほど旧くない
ですが、最強のマイナーリーグのひとつと言われた、太平洋のパシフィック・コ
ースト・リーグの名門球団で、ボストン・レッドソックスのアイコンとして活躍
したテッド・ウィリアムスを輩出した球団で、創設は1936年と旧いのです。だか
ら、カブスほどではないにしろ、ワールドシリーズに”勝ってない”という意味
では、クリーヴランド・インディアンスの68年と比較して語られてもいい球団な
のです。

 私は今回のワールドシリーズはここ20年でも最も面白いワールドシリーズだ
ったのではないか、と思いましたが、カブスの108年やインディアンスの68年ば
かりが話題になるのは片手落ちのような気がして、こういううるさいことを言い
たくなってしまいました。
 お許しください。

 しかし、こういうイチャモンをつけられる、というのが、アメリカの野球史の
凄いところでもあります。
 だから私は、メジャーリーグに魅了されているのだと改めて気づいた次第です。

 ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 編集長
                    Thomas "Gwynn" Mountainbook

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

  ☆ お品書き

 ●Team Chronicles
 〜The History of Nippon Professional Baseball Teams〜
                Series 3:東京ヤクルトスワローズ 第8回

                    by アトムフライヤー

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

【第8回】

 前回は“おとぼけウーやん”こと宇野光雄がスワローズの監督に就任、金田と
の強力なコンビが誕生するところまでを紹介しましたが、今回はその翌シーズン
オフの話です。

 宇野監督の1年目であった1956シーズン、スワローズは投手陣の躍進で、
Aクラス目前の4位に終わりました。しかし投手力は確立しましたが、宇野監督
自身以後、打線で核になる打者がいません。宇野監督自身もスワローズに移籍し
てからは戦力補強をたびたび球団に訴えてきましたが、公共企業体である国鉄は、
補強予算の制約でなかなか強化ができなかったのです。

 しかしこの年のシーズンオフは、スワローズに朗報が入ります。パ・リーグの
強豪、南海ホークスの主力選手である*12飯田徳治が*13十年選手の権利を行使し、
他球団への移籍を宣言したのです。

 もともとホークスの鶴岡監督は飯田の放出に反対でしたし、飯田自身もホーク
ス残留を望んでいたのですが、当時のホークスは台頭著しい西鉄ライオンズに対
抗して打線の大型化を図っていたため、長打力が落ちて衰えが見え始めたかつて
の主砲に再契約金を支払う代わりに、放出することでトレードマネーを獲得して、
それを有力新人の獲得費用に充てようとしていたのでした。

*12 飯田徳治
1947年に東京鉄道管理局から南海ホークスに入団。1951年−1955年
の南海ホークス黄金時代に、一塁手で四番をつとめた。
走攻守と三拍子そろった好選手で、特に一塁へのワンバウンド送球をすくいあげ
る技術は絶賛され、戦前の名一塁手・中河美芳の跡を継ぐ「タコ足二世」と呼ば
れた。
1958年の甲子園での対阪神タイガースの試合中にアキレス腱を切断するまで、
1246試合連続試合出場を記録。これは衣笠(広島カープ)に破られるまでの
日本記録だった。
通算1988安打、183本塁打、390盗塁を記録。打点王2回、盗塁王1回、リーグ最
高殊勲選手を1回獲得。1963年に引退。その後、国鉄スワローズコーチ、サ
ンケイアトムズ監督、南海ホークス監督をつとめた。2000年に死去。殿堂入
り。温厚な人柄から、仏のトクさんと呼ばれた。

*13 十年選手の権利

もともと1936年の日本職業野球連盟設立時に、自由選手になるための保有期
間は十年と規定されていたことから、1947年に制定された選手自由憲章の
「経営者と選手は対等の立場に立つ」観点に基づき、球団側と選手会の話し合い
の結果、導入された制度。導入時は選手の保留権についての規程しか存在しなか
ったが、1952年12月の日本プロフェッショナル野球協約の大幅改正で、同
一球団に10シーズン在籍した選手は球団との再契約金(ボーナス)又は移籍の
自由等を得ることができ(A級選手)、複数の球団に10シーズン在籍した選手
はボーナス等を得ることができる(B級選手)、となった。
ボーナス制度の導入は、当時、入団時の契約金が年々加速度的に値上がりしたた
め、入団年時による契約金の格差の問題を補填する形での導入だった。ボーナス
の金額は当初、無制限だったが、1959年3月の改定で、A級選手に限り、移
籍の場合は年俸の1.5倍、残留なら2倍までとなった。
移籍先の球団は、選手を獲得した場合元の球団に移籍金を支払うか保留権を解除
した選手を獲得できた。
契約金の高騰から1960年に改訂され、1952年以前の入団、又は、195
2年入団で一定以上の試合に出場した選手は、従来とおりだが、1952年入団
で一定以上の試合に出場していない者又は、1953年以降に入団した選手は、
A級選手でもボーナス獲得の権利のみで、移籍の自由はなくなり、契約が折り合
わなかった場合のみ球団主導で移籍することができた。1952年以前の入団、
又は、1952年入団で一定以上の試合に出場した選手は、権利取得後3年ごと
に契約が折り合わなければ保留権解除の権利を得られた。ただし、移籍は、日本
シリーズで敗れたリーグの下位球団からのウエーバー方式で、選手の拒否権は2
回までとした。
だが、さらなる契約金の高騰とボーナスの支給による各球団の経営悪化から契約
金の低い時期に入団した選手ほぼ全員に権利の行使がされたと判断した球団側か
らの要望で、1961年8月以降に入団した選手には適用しないことになった。
また制度導入後は、移籍の自由よりもボーナスを選ぶ選手が多く、移籍を理由に
年俸のつり上げを図る選手もいたことから、入団時の高額の契約金の支給による
経営悪化を理由に、日本プロ野球実行委員会側から一方的に制度の廃止がなされ、
それと同時に「選手の球団保有権の解除」も廃止、その復活は1993年の「フ
リーエージェント制度」の導入まで待たなければならなかった。 

 そこでスワローズは補強の予算を用意し、飯田徳治の獲得に参戦。他にも5球
団がその争奪戦に参加したのですが、それらを押しのけて、飯田の獲得に成功し
ました。
 というのも、飯田はもともと東京鉄道管理局野球部の出身で、1947年にこ
そホークスに入団していますが、当時国鉄がプロ野球球団を所持していればその
まま入団していた、と言われていたからでした。また、1949年のシーズンオ
フのスワローズ結成時も、国鉄出身の小原英一郎球団社長が同期入省の加賀山之
雄国鉄総裁から飯田の移籍を要請されたら断れなくなる、と考えた球団フロント
が、飯田を地方に隠して移籍を阻止した、というエピソードが残っているほど、
飯田とスワローズの縁は深かったのです。
 したがって飯田にとっては、スワローズのフロントや選手には社会人野球時代
の仲間がたくさんおり、しかもスワローズをカンパで支える国鉄職員は昔の仲間
でしたから、ある意味願ったりかなったりの移籍だったのです。そして飯田自身
もスワローズの入団時に、「まるで故郷に帰ってきた気持ちになった。心機一転
スワローズでがんばりたい」とコメントしたのでした。
 のちに飯田は、スワローズ入団のいきさつについてこう語っています。

 「私は、ホークス在籍時に球団の用意した社宅に住んでいました。しかしその
建物は老朽化が進んでいたので、子供が生まれたのをきっかけに建て直しをお願
いしたのですが、球団側はなかなか実行してくれない。それで自分で家を建てよ
うと思ったのですが、将来大阪にずっと住むかどうかわからないし、両親がいる
こともあったので、出身地の横浜に1956年のシーズン中、家を買ったのです。
また、横浜に家を買ったことについては、球団に、野球をやめたら横浜に帰って
両親の面倒をみるつもりだ、と言ったところ、あっさり移籍を認めてくれました。
 移籍宣言をしたときは、阪急ブレーブス、広島カープ、大映スターズ、高橋ユ
ニオンズ、中日ドラゴンズから引き合いがありました。そして、社会人野球の大
先輩だったブレーブスの*14藤本監督からは特に熱心に勧誘されましたが、私は、
横浜に家を建てたので、関西の球団に行く気はなかった。それでスターズ、ユニ
オンズ、スワローズを考えていたのですが、社会人野球時代の監督で自分をスカ
ウトしてくれた*15西垣徳雄さんがスワローズのフロントにいて、『スワローズ
に来てくれ』と言ったので、入団を決めました。もっとも、待遇はあまりよくあ
りませんでしたけれども。」

*14 藤本定義
1936年に読売ジャイアンツの監督に就任後、パシフィック、太陽ロビンス、
金星スターズ、大映スターズの監督を経て、当時は阪急ブレーブスの監督を務め
ていた。

*15 西垣徳雄
スワローズ結成時の監督(このシリーズの第5回を参照)。飯田が中学校を卒業
するときには東京鉄道管理局野球部の監督を務めており、そのときに彼をスカウ
トした。1946年に都市対抗野球に出場したときの飯田の活躍からプロ入りす
ることを勧め、旧知であったホークス鶴岡一人監督に、同僚の朝井昇とともに入
団の世話をした。このシリーズの第6回でも紹介したように、金田を獲得した人
物でもある。

 さらに、飯田は*16入団時にスワローズから移籍に伴う契約金をもらいました。
飯田は十年選手の権利で移籍したので契約金は受け取れないはずだったのですが、
ホークスの鶴岡一人監督がフロントに掛け合い、スワローズからホークスに支払
う移籍金を飯田に支払うことにしたのです。ホークスのフロントはせっかくのト
レードマネーがフイになってしまうことから渋い顔をしましたが、鶴岡監督は強
引に話を決めてしまいました。
 このことについて鶴岡監督は公式にコメントを出してはいませんが、鶴岡監督
としては、長年チームに貢献した功労者に満足なボーナスを出せなかったことか
ら、なんとかしようという温情があったと巷では言われています。

*16 移籍金の選手への支払
そもそも移籍金の支払は球団間の義務と権利となっていたため、選手にこれを支
払うことは日本プロフェッショナル野球協約では禁止されていたが、内密に選手
に支払う球団もあった。また、プロ野球機構側としては、たとえそのことに気が
つくときがあっても、選手の生活を考えて、あえて取締りを行わなかった。
そして飯田の移籍金については、本人、ホークス、スワローズが口外しなかった
ため、長らく世間に知られることはなかった。

 この飯田獲得は、スワローズにとって非常なプラスとなりました。というのも、
投手陣の核である「天皇」金田の向こうを張る、打撃陣の核ができたからです。
ホークスで5度の優勝を経験し、4番を務めた飯田は、このときのスワローズに
もっとも必要な選手だったのでした。
 投の核であった金田に加えて、打の核の飯田を得たスワローズ。
 そんなスワローズにとって、1957シーズンは、球団史上稀に見る記録ラッ
シュとなりました。

 まず、移籍した飯田が40盗塁を記録し、盗塁王に。
 続いて、先述したとおり、バンビこと佐藤孝夫が22本塁打を記録して本塁打
王に。
 そして圧巻は金田でした。防御率1.63、28勝を記録して最優秀防御率、最多勝
のタイトルを獲得。また、前年に続いて沢村賞に輝き、初のベストナインに選出
されたのです。8月21日には完全試合も達成。
 さらに、田所善治郎が初の二桁勝利となる15勝をあげています。

 次回は金田が、ある大物新人選手を自らのライバルとして開幕戦に迎えたとき
の話です。

(アトムフライヤー)

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ぼーる通信 編集部

ぼーる通信 編集部

http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

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