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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 日本プロ野球史:東京ヤクルトスワローズ(7)

発行日:4/4

【第7回】

 前回は金田投手の鮮烈な登場からその活躍、そしてチームに個性派選手が台頭し
てくる話をさせていただきましたが、今回はある大物選手が監督になってからのお
話です。

 宇野光雄。1954年にスワローズに移籍してきたこの選手は、長島茂雄の前の
巨人のスター選手といわれ、奇しくも同じポジション、三塁を守っていました。
 戦前は慶應義塾大学の野球部で活躍。肩を壊した関係でプロ入りは遅くなりまし
たが、この連載の第4回にも登場した藤倉電線の野球部に所属し、その後新東宝の
野球部に属したのち、巨人が1947年に一度入団させます。
翌年にはまた引退して新東宝に復帰しますが、ふたたび1949年に2軍監督を経
由して巨人の1軍に合流。1951年からはレギュラーとして本格的に復帰、3番
青田昇、4番川上哲治のあとの5番を打ち、111試合に出場、3割をマーク、
23盗塁を記録します。そして翌年も115試合に出場して2割9分をマークしま
した。同僚で二塁を守っていた千葉茂曰く、宇野は戦後3本の指に入るほどの守備
力を誇る三塁手で、のちに巨人ばかりでなく日本プロ野球の象徴となった長島茂雄
よりも守備力は上、というほどの華麗な守備を誇ったスターだったのです。
 しかしそんな宇野は、レギュラーを獲得したときにはすでに34歳。したがって、
レギュラー3年目に成績の落ちはじめた宇野を見た巨人は、これで宇野のピークは
終わりだと考え、世代交代や高年俸のこともあり、放出に踏み切りました。またフ
ロント側としては、水原監督の後釜として川上か千葉のどちらかを考えていたため、
宇野はその構想外にあったのです。

 一方、前回末尾にも書いたとおり、補強予算の使用に制限のあるスワローズは、
新人選手の補強で他球団に遅れを取っている状況が常態化し、戦力を強化できず、
Bクラスから抜けることができませんでした。そのため、森三郎球団代表は鈴木龍
二セ・リーグ会長に、「スワローズ強化のために何とか他球団から選手を回して欲
しい」と依頼していたのですが、簡単に主力選手を放出する球団はなかったのです。 
 そんな中、1953年のシーズンオフ、鈴木会長は巨人の安田庄司オーナーから、
スワローズに宇野光雄を移籍させる計画を持ちかけられます。 
 安田オーナーの考えは、「スワローズが弱すぎるからジャイアンツとの試合の前
から勝敗がわかってしまうので、観客が試合を観に来てくれない。だからスワロー
ズの戦力を強化してほかのチームと競えるようになれば、観客は増え、リーグ全体
が盛り上がるから、宇野をスワローズに移籍させた方がいい」ということでした。
 そこでこの移籍は、鈴木会長が仲介し、球団同士の話し合いで決まったのです。

 しかしながらここで、巨人の現場サイドからは大きな反発が起こりました。
 まずは水原監督が、大学の後輩である宇野を自分の跡継ぎ候補として考えていた
ため、これに異を唱えると、続いてチームメイトの放出と戦力ダウンに反発した川
上・千葉両選手が猛反対し、安田オーナーに撤回を迫りました。このとき水原監督
は、鈴木会長にも宇野の移籍工作をやめさせるように直訴しましたが、安田オーナ
ーは自分の考えを変えず、結局3人の意見は採り上げられることなく移籍が決定し
たのでした。しかもこの年、フロントが即戦力内野手の広岡達郎(早大)を獲得し
たことから、現場側としてはフロント側の方針に逆らいきれなかったのです。

 ところがこの移籍については、まず宇野本人に説明がなされていませんでした。
しかも弱小球団への移籍ということで宇野は猛反発し、難航。従ってこれが最終的
に決定したのは、明石の春期キャンプ中のことだったのです。
 ただ宇野によれば、最初は、

 「安田オーナーからリーグ繁栄のためにスワローズに移籍してチームを強化して
くれ、それに他球団を経験するのも良い経験になる、いずれはジャイアンツに戻し
てやる、と熱心に言われてしぶしぶ承知した」

 とのことだったのですが、スワローズ入団後は、自分を追い出したジャイアンツ
に闘志を燃やしてチームを引っ張ることで結果を出し、結局はスワローズに定着す
ることになったのです。宇野は練習前にはジャイアンツの選手に接触して心理面で
圧力をかけるなど積極的に働き、自身もジャイアンツ戦に4割近い成績を残すなど
バッティングで集中力を見せ、結果スワローズは、この年に対ジャイアンツ戦12
勝14敗と五分の成績を残し、ジャイアンツのリーグ優勝を阻んだのでした。
 また、スワローズに迎えられた宇野は、VIP待遇ともいえました。慶應義塾大学
時代からスターだった宇野は、巨人でも川上・青田・千葉を凌ぐ人気独り占めのス
ター扱いだったため、スワローズに来たときは、将来の監督の座を約束されていま
した。したがって宇野は、前回説明したとおり、自己最高の138安打を放って活躍
し、4番をつとめ、ベストナインに選ばれるほどの存在でありながら、初代監督だ
った西垣徳雄の後釜を引き受けていた初代スワローズ打線の4番、藤田宗一の助監
督として監督業を勉強していたのです。
 そして宇野は1955年限りでレギュラーを降りると、翌年監督に就任。まだ現
役として充分やれるじゃないか、という外野の声をよそに、「監督はスターになる
ものじゃない。スターを送り出す役目だ!」と言って三塁のポジションを箱田淳に
譲り、自分自身は代打のみの出場に留め、その1956年限りで現役引退しました。

 この1956年は、スワローズが投手王国として確立した年でもありました。
 まずは大脇照夫が5月3日、中日球場での対中日ドラゴンズ戦、ノーヒットノー
ランを達成。
 また、自身唯一のシーズン2ケタ勝利を記録した宮地惟友が9月19日、金沢球
場にて対広島カープ戦、完全試合を達成。
 しかもこの2つの快挙に加え、この年から金田が、3年連続で沢村賞を受賞する
ことになります。前年に続き防御率1点台の1.74、316三振を奪って奪三振王のタ
イトルを獲得、25勝をあげ、68登板で前年に引き続きセ・リーグ最多登板。
 一方打線は、町田の故障による不振は計算外でしたが、享栄商業で金田と同僚だ
った鵜飼勝美が自己最多の124安打を記録し、箱田とともにチームを支えました。
そしてチームとしての成績もはじめて、Aクラス目前の4位へと躍進。勝率5割に
迫る.485となったのです。

 が、宇野のしたたかさは、監督就任前から発揮されていました。
 それは1955年のことです。ある日、宇野は金田に向かって、とぼけた調子で
ぽつりと言います。

 「カネやん、君は惜しい投手だなぁ」

 当時の金田は、ようやくコントロールが安定し出し、エースとしての地位をチー
ムの中で不動にしていた時期でした。
 金田は入団以来、周りから受ける嫌がらせ、チームの中における倦怠感など、す
べてを反発心によって乗り越えてきていて、自らの課題であるノーコンも克服、よ
うやく選手として脂がのってきたところだったのです。そして、日本球界の押しも
押されぬエースとして君臨していました。
 しかし、チームの中でも人望があり、若手からは慕われ、近い将来監督として采
配を振るうであろうこの宇野の言葉が、どうしても心の中に引っかかったままにな
ってしまった金田は翌日、この件について思い切って尋ねてみます。すると、宇野
から返ってきた返事はこうでした。

 「君は確かに大投手だ。球も速い。身体もずば抜けている。でも惜しいことに
PRがヘタだ。プロの選手はもっと自分を売らなくちゃダメだよ」

 金田としてみれば、はっきり言ってわけがわかりませんでした。自分はもはや大
投手だし、マスコミは自分のことをどんどん記事にしてくれる。いまさらこれだけ、
プロ野球選手として顔の売れた自分が何する必要があるのか、と感じたのです。し
かし宇野は、畳み掛けるように金田に対して、こう言いました。

 「君を見ていると、どのチームにも勝とうとしている。ボクが君の立場なら、巨
人に勝つことだけを考えるな。いまのプロ野球は巨人でもっている、といっていい。
ファンは多いし、あそこには国鉄が逆立ちしてもかなわない伝統の力があるんだ。
その人気絶頂のチームをさんざん痛めつけたら君の名前はいま以上に売れるんだ。
どうだい?」

 これを聞いた金田は、本人が普段から言っているように、明るくてお調子者の部
分があったため、すっかり乗り気になり、調子に乗って自分に群がる大勢の報道陣
の姿をイメージしちゃうほど浮かれまくります。そしてそのイメージを実現すべく、
宇野が監督になった1956年からこれを実行。1955年は4勝6敗だった巨人
戦の対戦成績を7勝3敗1分まで改善し、1957年には8勝3敗まで伸ばしたの
です。
 金田本人がいうところの、企画・構成・演出:宇野光雄、主演:金田正一によっ
てスタートしたこのドラマは大当たり。観客は“ベビーフェイス”巨人をやっつけ
る“ヒール”金田がノックアウトされるのを見たさにスワローズの試合に足を運ぶ
こととなり、特に巨人対スワローズの対戦はドル箱カードとなりました。ふてぶて
しい態度で王様風を吹かせた金田も演技が卓越していたなら、“おとぼけウーやん”
のあだ名をもらうほど周囲を煙に巻くのが上手かった宇野も阿吽の呼吸で金田を起
用し、人前で持ち上げ、すっかりその気にさせたのです。2人の相性はばっちりで
した。

 次回は、ある大物選手の移籍の話です。

(アトムフライヤー)

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http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

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