トップ > スポーツ > 野球 > ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜

小学生の皆さんから社会人の皆さんまで、野球を中心に、一緒にスポーツを面白がろうという、チャンキースープのようなメールマガジンです。おもしろいメールマガジンにしていきますので、読者の皆さんの参加を、首をなが〜くしてお待ちしております。

RSS


メルマガの登録・解除

登録した方には、メルマ!からオフィシャルメルマガ(無料)をお届けします。



ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜

発行日:11/20

【第4回】

 さて、今回の話はスワローズの母体となった国有鉄道とはすこし離れますが、こ
の戦前から戦後にかけての時期の社会人野球が戦後のプロ野球チーム誕生の母体と
なっており、2リーグ分裂の前提となっているため、スワローズ創設に大きくかか
わってきますので、これについて概観していきましょう。

 戦局は次第に押し迫り、この時期には戦争に関連した重工業関連の会社の数々が
台頭します。
 その中でも戦前最高の技術力を誇った会社がありました。それが藤倉電線株式会
社(現・株式会社フジクラ:http://www.fujikura.co.jp/history/table.html)で
す。
 そして八幡製鉄野球部の全国都市対抗野球大会の優勝後、この藤倉電線野球部に
入ってきたのが、明治大学野球部のキャプテンだった吉田正男選手です。

 この吉田選手は、全国中等野球学校大会、つまり、現在の全国高等野球学校大会
における最高の選手との呼び声も高いひとでした。
 中京商業野球部に昭和4(1929)年、入部すると、エースとして3年連続夏の大
会における優勝に貢献。昭和8(1933)年における夏の大会での決勝戦、明石中学
との延長25回、336球の熱投は、伝説になりました。
 明治大学に進学後は投打の中心選手として活躍。昭和12(1937)年春から昭和13
(1938)年秋にかけての六大学リーグ4季連続優勝に貢献しますが、その昭和13年
に肩を痛めて、外野手に転向します。
 しかし、前年度第13回全国都市対抗野球大会優勝チームである藤倉電線入社後は、
投手に復帰。決勝戦で庄内田村駒商店に投げ勝ち、昭和14(1939)年第14回大会に
おける2連覇に貢献しています。

 しかしこの時代あたりから戦局は押し迫り、藤倉電線が2連覇を果たした第14回
大会では、強豪であった大連市代表と奉天市代表が抜け、第1回から第3回を制し
た強豪が参加しない、という状況になっていますし、軍に召集された野球選手も少
なくなく、チームの戦力図が大きく変わりました。
 そして翌1940年はなんとか行われたものの、その次の1941年第15回大会はついに、
中止。出場チームが決まっていたのに行われなかったのは集会禁止令が出たためで、
さらにその翌1942年こそ戦意高揚目的で第16回大会が行われますが、以後は戦局の
悪化もあって、1946年に第17回大会が開催されるまで、4年間のブランクを置くこ
とになりました。

 1946年第17回大会、戦後最初に優勝したのは、六大学野球の選手たちを集めた、
近鉄グループ傘下のゼネコン企業、大日本土木でした。
 大日本土木は、翌年も優勝し、2連覇を達成します。
 この当時の社会人野球は、戦後の状況を反映し、戦前から強かった紡績関係、
あるいは、戦後の建設請負業の隆盛を受け、全国都市対抗野球大会には紡績関係の
チームと建設関係のチームが進出、残りは鉄道局チームやクラブチーム、あるいは
戦後に売り上げがバカ当たりして急激に成長した企業、という編成になっていまし
た。強豪として名を馳せた別府星野組はその典型例で、アメリカ軍からの工事の受
注で伸びた星野組というゼネコン企業のチームだったのです。
 つまりこの当時は、経済の状況がそのまま、野球の隆盛に関わっていたのでした。

 それは、日本版*6フェデラル・リーグといわれる第2のプロ野球、国民リーグに
も同じことがいえました。
 このリーグは1946年、自動車のクラクション製造業が当たり、財をなした宇高産
業のオーナー、宇高勲が、自チームである宇高レッドソックスのプロ野球連盟加盟
を断った連盟会長の鈴木龍二に薦められて創設したリーグでしたが、ほかにも建築
資材販売の府中産業をスポンサーに迎えた結城ブレーブス、炭酸飲料のサイダーで
大儲けした唐崎産業の唐崎クラウン、コウモリ傘の製造・販売が大当たりした大塚
アスレチックスの4チームでリーグを形成していましたが、このリーグこそ戦後の
混乱期に勃興し、成功した企業の象徴だったのです。
 資金難から国民リーグは1年間で崩壊しましたが、成功した企業のオーナーたち
はこぞって、プロ野球のチームを創りたがり、日本野球連盟(当時のプロ野球連盟
の名称)への加盟を目指しました。

*6 フェデラル・リーグ
アメリカには過去、メジャーリーグと呼ばれた7つのリーグがあるが、20世紀以
降、これに挑戦したリーグが2つある。ひとつは1914年から1915年にかけ
てのフェデラル・リーグ、そしてもうひとつは1946年から1947年にかけて
のメキシカンリーグである。
フェデラル・リーグは4つの大都市と4つの広域をフランチャイズとし、新興産業
のオーナーたちをバックにつけ、400勝ピッチャーのウォルター・ジョンソンを引
き抜こうとするなど一時はメジャーリーグを大いに揺るがしたが、結局は、“2大
メジャーリーグの市場独占(有名選手の保留権による拘束)は独占禁止法違反にあ
たるのではないか”と訴えた民事裁判にて、のちにメジャーリーグの初代コミッシ
ョナーとなるケネソン・マウンテン・ランディス判事が“独占禁止法違反にはあた
らない”と裁定を下したことにより、以後失速、メジャーリーグのオーナーたちに
チームも選手も買収され、解消した。
この経緯は、上述の国民リーグの勃興と消滅プロセスの“先例”になっていると日
本国内ではされることが多い。

 一方で都市対抗全国野球大会は大日本土木の2連覇ののち、1948年の第19回大会
は西鉄クリッパースの母体となった西日本鉄道、翌1949年の第20回大会は西本幸雄
内野手や火の玉投手の荒巻淳投手を中心とする別府星野組が制し、前後しますが、
第18回大会にはアメリカからベーブ・ルースが祝辞を寄せ、天覧試合が行われ、閉
会式は片山首相が挨拶に立ち、観客席は毎試合超満員、絶大な人気を博すことにな
ります。
 全国都市対抗野球大会は戦後日本の復興の象徴となり、日本経済の先行きの明る
さを表すシンボルとなったのです。
 こうして全国都市対抗野球大会は、人気絶頂のときを迎えます。

 一方でプロ野球の周囲には、前述のとおり、成功した企業のオーナーたちがこぞ
って、プロ野球に自チームを加えさせたがっていました。
 この全国都市対抗野球大会における強豪チーム、たとえば大洋漁業、別府星野組、
西日本鉄道といった企業のチームがことごとくプロ野球連盟に加盟を申請しますが、
既存の8チームのうち、一部のオーナーたち、たとえば大陽ロビンスのオーナーだ
った田村駒次郎は、ようやく採算がとれるレベルにまでプロ野球が育ってきたのに、
いまさら多くのチームを入れたらふたたび慢性的な赤字経営に逆戻りだ、といって
反対します。
 また、球団創設当初から主体的な役割を担っていた巨人の親会社である読売新聞
は、GHQと結びついていた社長の正力松太郎が実質的なプロ野球のドンとして動き、
2リーグ制度を発足させるためにチームを段階的に増やしていくというやり方に真
っ向から反発、読売新聞のプロ野球界の中の地位を低下させかねないこの行為は認
められないとして、読売新聞の反正力派である安田副社長のもと、最後まで抵抗し
ます。
 しかし結局は1949年11月22日、毎日新聞の野球チームがプロ野球団として加盟が
認められる一連の動きを軸に、リーグは2つに分裂してセントラル・リーグとパシ
フィック・リーグになり、

[セントラル・リーグ]
・読売ジャイアンツ
・阪神タイガース
・中日ドラゴンズ
・大陽ロビンス
・大洋ホエールズ
・広島カープ
・西日本パイレーツ
・国鉄スワローズ

[パシフィック・リーグ]
・毎日オリオンズ
・南海ホークス
・西鉄クリッパース
・東急フライヤーズ
・阪急ブレーブス
・近鉄パールス
・大映スターズ

という体制になります。

が、こういったプロ野球再編・拡大・発展によって犠牲になったのが社会人チーム
です。
1947年の第18回大会には天覧試合が行われ、首相が閉会の辞を述べるほどに盛り上
がった全国都市対抗野球大会は、第20回大会優勝の別府星野組がアメリカ軍からの
工事の受注の減少による資金難からチームの維持が困難になり、主力選手の大半を
毎日オリオンズに身売りせざる得なくなったため、別府星野組が崩壊してしまう、
という状況に追い込まれ、権威が揺らぎます。
また一方で、全国都市対抗野球大会の盛り上げを大きく支えてきた鉄道局チームか
らも選手の引き抜きが横行し、各チームは大きく戦力低下します。
結局この時期、ノンプロといわれた社会人野球からプロ野球へと100人以上の選
手が移籍し、元6大学野球を中心とする選手の“アガリ”であった社会人野球とプ
ロ野球との力関係は逆転、社会人野球の盛り上がりはプロ野球に吸収されることと
なったのです。

次回は、そんな球界の大きな動きの中で結成された、スワローズ初期の話です。

(アトムフライヤー)

| 次の記事>> | 最新の記事

ブックマークに登録する

TwitterでつぶやくLismeトピックスに追加するdel.icio.usに追加Buzzurlにブックマークニフティクリップに追加Yahoo!ブックマークに登録記事をEvernoteへクリップ
My Yahoo!に追加Add to Google

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

登録した方には、メルマ!からオフィシャルメルマガ(無料)をお届けします。


この記事へのコメント

コメントを書く


上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。
コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  1. コメントはありません。

このメルマガもおすすめ

  1. 月刊アカシックレコード

    最終発行日:
    2017/03/11
    読者数:
    17038人

    02年W杯サッカー韓国戦の「誤審」を世界で唯一「前日」に誌上予測し、誤審報道を「常識化」した推理作家が、政官財界の分析にも進出し、宣伝費ゼロで読者19,000人を獲得。2009年9月から月刊化。

  2. ベースボールコラムス+ニュース

    最終発行日:
    2017/03/20
    読者数:
    282人

    プロ野球中心、高校、大学、ドラフト等についての意見をつづったメルマガ。試合結果等のニュースも速報でお届け。読者の意見も掲載します。「こんな意見もあるのか。」くらいの感覚で読んでいただければ幸いです

  3. 頂門の一針

    最終発行日:
    2017/04/27
    読者数:
    5539人

    急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

  4. 高校野球マガジン

    最終発行日:
    2016/12/06
    読者数:
    256人

    高校野球の甲子園の試合はもちろん秋や春の大会もお知らせ

  5. ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜

    最終発行日:
    2016/11/03
    読者数:
    32人

    スポーツ界のJMMを目指して一癖も二癖もある論客が立ち上げたメルマガも、好評の中、創刊2年近くになりました。そして、ついにMacky!に登場です。ウソのない面白さをお楽しみください。

発行者プロフィール

ぼーる通信 編集部

ぼーる通信 編集部

http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

過去の発行記事