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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜

発行日:11/24

【第2回】

 前回は、日本初の野球チーム=社会人チームの結成から国鉄野球大会開催までの
お話をしましたが、今回は都市対抗野球大会を巡る、戦前日本球界の隆盛の話です。

 明治から大正期にかけての日本球界をリードしたのは、何と言っても大学野球で
した。
 一高から早稲田・慶應義塾、そして6大学に至る流れとその熱狂は、19世紀末ご
ろから新聞を賑わせ、朝日新聞による野球害毒論キャンペーンを巻き起こし、1905
年に早稲田大学がアメリカ遠征を行う一方で1907年に慶應義塾大学がハワイ・セン
トルイスチームを初の外国人野球チームとして招くなど、日本野球の代表を一手に
引き受けていたのでした。

 

 しかしこれら野球選手は、大学卒業後は政府機関や一般企業に入り、飛田穂洲、
河野安通志、橋戸信といった、大学野球の指導者として残るか、あるいは新聞社の
ようなメディアに入るか、はたまた早稲田系のスター・クラブや慶應義塾系のダイ
ヤモンド・クラブのような同好クラブに参加するといったごくごく一部のひとたち
を除き、野球に関わらなくなる人も多かったのです。

 そこで政府機関や企業に入ってからも、野球を続けるための受け皿をつくるべく、
第1次世界大戦前後の未曾有の好景気を背景に、政府機関や大手企業に就職した大
学のスタープレイヤーたちが、さまざまなチームを結成します。
 国有鉄道の鉄道局チームの数々の結成も、その流れの中にありました。

 しかし国有鉄道のような国機関はそうでなくても、一般企業は、その財政が景気
に左右されます。
 そして、大正末期から次第に日本経済を侵食するようになってきた不景気の影響
もあって、企業中心の実業団チームは次々と解散していきました。
 また、いわゆる全国的規模で、産業別の壁もなく中等学校選抜野球大会のように
行う大規模な大会が、*3実業団野球大会、あるいは、この大会の流れを汲む*4大阪
美津濃が主催する全国実業団野球大会以外にはなかったこともあって、東京日日新
聞(現・毎日新聞)社の客員だった島崎新太郎が、

『各地にある実業団チーム、鉄道チーム、クラブチームなどが、それぞれの対抗戦
だけでなく、総合的な大会を開いたらどうだろうか』

 と提案し、これを同じ日日新聞社の客員をつとめていた橋戸信が強力にプッシュ
したのです。
 その結果昭和2(1927)年に誕生したのが、メジャーリーグの地域フランチャイ
ズにヒントを得て名称がつけられた、都市対抗野球大会です。
 参加したチームは、全部で12チーム。うち、鉄道局チームは5チーム、残りはす
べてクラブチームで、当時は日本の植民地であった大連市や京城市からも、満州鉄
道の面々を中心とした満州クラブ、竜山鉄道局といったチームが参加。これは日本
という枠を越え、ある意味では初の野球版アジア・クラブチャンピオンシップリー
グともいえる、未来を先取りした大会で、このときはのちにパ・リーグ会長となる
中沢不二雄が監督として率いていた満州クラブが、初優勝を遂げています。

*3、4 (全国)実業団野球大会

大正6年(1917)から行われた全国的社会人野球大会。全国の各地域から選抜され
た4チーム、元慶應義塾の桜井弥一郎投手が在籍する古河合名会社(東京代表)、
元早稲田の松田捨吉、加藤吉兵衛が在籍する増田屋商店(神戸代表)、元慶応義塾
の石川真良投手が在籍する阪神電鉄株式会社(大阪代表)、京都市役所(京都代表)
の4チームで鳴尾球場にてスタート、のちには京都市役所に代わって三菱造船が出
場している。地域的には、東京予選参加チームが36、神戸予選参加チームが12、大
阪予選参加チームが10チームとなっており、そのほか九州、横浜、名古屋、大連で
も予選が行われた。
大阪美津濃運動具店が主催し、全国という冠がついたのは大正9年(1920)から。
これが都市対抗野球大会の基礎となった。このときは東京のチームは参加できなか
ったものの、大丸呉服店(京都)、森村商事(名古屋)、呉火薬試験所(中国地方)、
門司鉄道局(九州)が参加している。
ちなみに都市対抗野球大会スタート時にはすでに数百という単位で実業団チームが
存在し、産業別のリーグが形成されていたが、お互いのリーグ間の交流は千差万別
で、統一性がなかった。

 一方都市対抗野球大会に先行すること7年の全国鉄道局野球大会も、都市対抗野
球と相まって、発展を遂げています。
 そしてこの大会は回を重ねるにつれ、参加チームが次々と創立されることで、規
模が大きくなっていきます。
 ちなみに昭和2年以降設立されたチームは、

昭和2(1927)年4月 水戸鉄道管理局、広島鉄道管理局、熊本鉄道管理局
昭和3(1928)年4月 旭川鉄道管理局
昭和4(1929)年3月 米子鉄道管理局
昭和5(1930)年4月 四国鉄道管理局
昭和11(1936)年9月 新潟鉄道管理局

 ですが、昭和9(1934)年に東京鉄道局チームが、主催者の東京日日新聞側の意向
を受け、都市対抗野球大会の予選地区を東京から関東へと変更したのを機に、本拠地
を国鉄の大宮工場へと移したので、以後は東鉄大宮とチーム名を改めています。
 ちなみに東鉄チームが東鉄大宮へとチーム名を変更した際、たまたま大阪鉄道局チ
ームの監督だった藤本定義が東京に転勤してきたので直ちに監督に迎えたのですが、
以後3年連続で都市対抗野球大会に出場し、翌年の昭和10(1935)年からは優勝候補
に挙げられるようになり、実際に昭和10年の第9回大会とその翌年の第10回大会に
は、準決勝まで進んでいるのです。

 また、藤本監督率いる東鉄大宮は、大日本東京軍、つまりいまの読売巨人軍創設期
に4度対戦して、2勝2敗の5分の成績に持ち込んでいます。
 大日本東京軍は昭和10年、アメリカ・カナダ遠征を行ってマイナーリーグのチーム
を相手に110試合を戦い、75勝34敗1分の成績を引っ提げて帰国しましたが、帰国後は
『巨人軍』と名乗り、高名な実業団チームと試合を続けていました。
 試合は連戦連勝、トータルで36勝3敗1分の成績を残しますが、このうちの2敗を喫
した相手が東鉄大宮だったのです。
 その後、プロ野球が始まり、対抗戦が行われましたが、巨人は学閥の争いから第1
回アメリカ・カナダ遠征時の監督三宅大輔を解雇したことに選手が反発。海外遠征を
鼻にかけた慢心もあり、参加した夏の大会では2勝5敗と惨敗し優勝できませんでし
た。
 すると巨人は、監督だった浅沼譽夫の解任後に藤本を監督として起用。藤本は監督
就任後、茂林寺の猛練習といわれる合宿を行い、巨人の基礎を創り上げた人物として、
後世にその名が残ることとなりました。

 次回は九州の社会人チームの名門であった門司鉄道局チーム、ならびに戦前の社会
人野球のお話です。

(アトムフライヤー)

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発行者プロフィール

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ぼーる通信 編集部

http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

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