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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 大阪近鉄バファローズ史その14

発行日:7/1

【第14回】

 前回は、選手としての評価は高くても、野茂退団のトラブルのスケープゴートに
なってしまったために監督としての評価は意外に低い鈴木啓示の実績を紹介し、監
督としても決して悪いわけではなかった事実を指摘しましたが、今回はその鈴木監
督の後釜に座ったある熱血監督の時代の話です。

 鈴木啓示の次の監督には、西本バファローズのもとでのパ・リーグ優勝メンバー、
佐々木恭介が就任します。
すると佐々木はこの1995年のドラフトに早速登場、当時有望株だった*53福留
孝介をくじで引当て、そのとき喜びのあまりに発したヨッシャーという掛け声とと
もにすっかり全国人気になりましたが、福留には、佐々木本人は尊敬しながらも自
分はパ・リーグ向きではないという理由で入団を断られるなど、多難な出発となり
ます。
 結局初めて指揮を執った1996年は最下位を脱出しますが、シーズンオフには、
かつての主砲であった*54石井浩郎の契約問題で悩まされることになります。

 石井は1990年からバファローズの主砲として活躍し、1995年には4番打
者の連続試合出場記録を達成しましたが、ケガのため1995年以降は低迷し、
1996年は故障でわずか2試合の出場にとどまっていました。
 そこでケガによる衰えからこの先、石井に大きな年俸を払えないと感じていたバ
ファローズのフロントは、成績の極端な低下を理由に、契約更改にて年俸50パー
セントダウンで出来高払い8500万円か、60パーセントダウンで出来高払い
1億円、という条件選択を提示しました。
 当時の日本プロフェッショナル野球協約における、

「年俸1億円以上の選手は翌年の年俸を30パーセント以上減額しない、ただし、
選手の同意があればこの限りではない」

 という条文の但書を利用、野茂のときと同様に、保留権のメリットを最大限駆使
し、バファローズ以外の日本の球団と契約できない状況に石井を追い込んだ上で、
年俸の大幅ダウンを石井に呑ませようとしたのです。というのも選手自身に減額条
件を呑ませれば、年俸の30パーセント以上の減額が可能になるからです。
つまりフロント側は、契約する側としての有利な条件を目一杯利用して、単なる一
契約社員にすぎない石井選手に、年俸のカットを呑むか呑まないかを迫ったのです。
 これは、条文上は野球協約やぶりにはなっていませんが、その法条文の存続意義
を冒すやり方で、事実上の脱法ともいえる悪質な行為でした。つまりバファローズ
のフロントは、事実上の最高決定機関である実行委員会や、名実ともに最高決定機
関であるオーナー会議の基礎をかたちづくる基礎中の基礎である野球協約を、ない
がしろにしたのです。
 またこれは、石井選手の“侠気”にある種甘えた、選手側の情実を計算に入れて
しまうという致命的なミスを最初から犯したやり方でもありました。

 しかし、フロント側のこの目算は、完全に外れました。
 というのも、石井選手はまさに、侠気があったからこそケガを押して出場し続け、
バファローズを支えてきたからです。そしてフロント側のこの行為は、石井選手の
目に、自分のいままでの侠気、あるいはチームに対する忠誠心をまったく認めてく
れないように映ったのです。
 そこでこのフロント側のこの不誠実なやり方に、石井は裏切られたと考え、激怒
し、この提示を突っぱねました。
 ところがフロント側も石井選手の足元を見て、そういう態度に出るならというこ
とで、トレードを通告。すると石井選手は、

 「この提示は戦力外ということだろう。ただ、トレードしか選択肢しかないのは
疑問。自由契約でいけないのか。」

 と主張。戦力外になるのなら、球団は事実上保留権を放棄したのとは同じではな
いかという主張をします。しかしこれに対し、フロント側は保留権を放棄したわけ
ではなく、石井選手を“使って”なんとかお金をかけずに新戦力を獲得しようと目
論んでいたため、

 「契約が決裂した以上、トレードしかない。金銭ではなく、交換トレードで考え
る。」

 とこれに対して答えました。減額については事実上の脱法をやっておきながら、
こちらの面ではしっかりと協約の条文を守り、最大限金銭面での損失が出ないよう
に画策したのです。

 するとこのバファローズのご都合主義の法解釈に基づいたえげつないやり方は、
各方面からの反響を呼ぶことになります。
 まず日本プロ野球選手会が、

 「球団が年俸の30パーセント以上の減額を提示し続けることは問題だ。それに
年俸の2倍もの出来高払いは球界の秩序を乱す行為で認められない。」

 とコメントを出します。
 というのも、実は額の違いはあれ、成績低下を理由に極端な減俸や無理な出来高
払いを強要される選手も過去にあり、この手のトラブルを以前から問題にしていた
からです。
 また、チームの功労者の石井に対するフロントの冷徹な扱いに対して、ファン、
そして、マスコミをはじめとする世間から球団に非難が集中し、フロント側は立場
が次第に悪くなっていきます。身から出た錆であるとはいえ、協約と石井選手の侠
気を甘く見た失敗のツケが回ってきたのです。

 結局この騒動の顛末については、事態を重く見たコミッショナー、セ・パ両リー
グ会長の三者会談が行われ、「減額は30パーセントまでという野球協約に基づい
た条件で交渉のやり直しを求める」ことで一致。原野パ・リーグ会長からもフロン
ト側にこの意向が伝えられ、球団も了承し、交渉は先へと進むことになったのです。

 その後、バファローズと石井選手の交渉は当然のごとく不調に終わり、決裂した
ため、球団はトレードを前提にして年俸の30パーセント減で契約更改、移籍先を
探すことになります。そしてヤクルトスワローズ、横浜ベイスターズ、西武ライオ
ンズ等多くの球団がその獲得に名乗りをあげましたが、戦力強化のため選手を集め
ている巨人が、石毛博史と吉岡雄二を交換要員にして、トレードが成立させました。
 その後石井はレギュラーにこそなれなかったものの、巨人にて代打、あるいは準
レギュラーとして活躍し、3年間巨人に在籍してのち、千葉ロッテマリーンズにて
3年間、横浜ベイスターズにて1年間同様の活躍をしてから現役生活を終えました
が、後に、バファローズというチームには愛着があるが、フロント側には言いたい
ことが山ほどあると語っています。
 実際石井は、野球協約に移籍選手の年俸は据え置きとするという条文があったに
もかかわらず、巨人入団時には年俸の30%の減額という内容のバファローズとの
契約を破棄し、前年50パーセント減の年俸で契約を行う、と宣言しているのです。
 やはり、野球選手のチームに対する熱い想いをないがしろにし、日本一の私鉄で
あるというエリート意識でもって居丈高な態度で契約交渉に臨んだバファローズの
フロント、いや、近鉄グループ本体の認識の甘さが、またしても問題となってしま
ったのです。
 こうやってバファローズはフロントの不手際で、関根、野茂といった選手のとき
と同じく、またもや貴重な生え抜き選手を失ってしまいました。

 幸い、このときに移籍してきた吉岡は、元ドラフト1位であったその野球選手と
しての豊かな素質を如何なく発揮、主力として活躍し、佐々木バファローズは
1997年、3位とAクラス入りに成功します。
 しかし残念ながら、以後は5位、6位と低迷し、1999年でもって佐々木は監
督を辞任したのでした。ただし佐々木は、野手を育てるのは上手かったので、この
時代に3塁手として中村紀洋、外野手として磯部公一らが育っています。

*54 福留孝介
 PL学園時代から活躍、バファローズの入団を断ってからは社会人の日本生命に
進み、1996年当時史上最年少でアトランタオリンピックの代表チームに選ばれ、
銀メダル獲得に貢献。代表チームの調整試合として行われたミネソタ・ツインズ戦
で、ツインズの本拠地であるメトロドームにてホームランをかっ飛ばし、そのこと
が話題になった。
 日本のプロでは1998年、中日ドラゴンズに逆指名で入団。2002年から外
野に転向して素質が開花、2002年と2006年には首位打者のタイトルを獲得、
2007年オフにはシカゴ・カブスと4年、総額4,800万ドル(約53億円)で契
約。2008年よりメジャーリーグに挑む。

*55 石井浩郎 
 プリンスホテルから1990年、近鉄バファローズに入団。肝炎と風疹で出遅れ
たが、後半は1軍に定着。規定打席不足ながら新人で22本塁打を記録した。
1991年にレギュラーとなり、一塁、三塁を守った。1994年には打点王を獲
得。パ・リーグを代表する打者になった。豪快な打撃とその威圧感あふれるフォー
ムは侍の異名を取り、バファローズのチームカラーにぴったりだった。四番打者の
連続試合出場記録を達成したがケガを押しての出場であり、その影響で試合出場が
減った。1995年以降はケガのため、低迷し、球団との確執で巨人に移籍。その
後千葉ロッテマリーンズ、横浜ベイスターズへ移籍したがケガのため、往年の豪快
な打撃は蘇らなかった。打点王を1回獲得。オールスター出場3回。ベストナイン
2回。2002年に引退。その後は西武ライオンズの2軍監督をつとめた。

 次回は最終回、いよいよバファローズがその歴史に幕を閉じて、継承球団ともい
える楽天イーグルスが誕生したときの話です。

(アトムフライヤー)

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http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

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