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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 大阪近鉄バファローズ史その13

発行日:1/7

【第13回】

 仰木バファローズのもとではさまざまな個性あふれる選手の才能が花開きましたが、
このひとほどの特徴を持ったピッチャーはいなかったでしょう。
 それが野茂英雄。日米通算で200勝をマークし、2008年2月現在もカンサス
シティ・ロイヤルズとマイナー契約とはいうものの、実質的には先発投手の一角を期
待されている、日本球史でもっとも偉大なピッチャーのひとり。文字通りの“英雄”
です。

 1989年のドラフトのことでした。
 この日は、当時の日本プロ野球史上もっとも多くの球団から指名を受けた野茂投手
に、全国から注目が集まりました。
 野茂投手は日本のエースとしてソウルオリンピックで大活躍。ドスンとくるストレ
ートと切れのあるフォークボールが武器で、一度打者に対して背中を向け、身体をひ
ねって投げる投げ方は、トルネード投法と呼ばれていました。
 そして8球団それぞれの監督がくじを引く中、これを当てたのは仰木彬監督。満面
の笑顔でくじの紙を高々と上げる仰木監督と、まだ初々しい若者であった野茂投手の
テレビ前で結果を確認したときのはにかんだ笑顔が、その日のスポーツニュースの視
聴者の脳裏に焼きついたのです。
 野茂は、“トルネード投法はいじらない”という契約の下、無事バファローズに入
団しました。

 翌1990年。
 プロの壁はそれほど甘くなく、オープン戦で打たれまくった野茂は、コンディショ
ニングコーチの立花龍司から自らのトルネード投法の問題点を指摘されると、コレを
進化させるべく開幕前にきっちり調整、シーズンを通じて235イニングを投げ、
18勝8敗、防御率2.91、287奪三振というとてつもない数字を残し、最多勝、防
御率1位、奪三振王となり、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞します。
 そしてこの1990年から調子を崩してしまった阿波野秀幸に代わり、以後4年間、
バファローズの絶対的なエースとして君臨。4年連続で最多勝と奪三振王のタイトル
を手にします。
 しかしながらこの野茂の奮闘があったにもかかわらず、バファローズはAクラスの
常連として奮闘はするものの、工藤・渡邊・郭・石井の4枚看板と鹿取・潮崎・杉山
の鉄壁のリリーフ陣、そして秋山・清原・デストラーデの3枚の大砲を擁する西武ラ
イオンズの絶対的な強さの前に屈し、パ・リーグを制覇することはできませんでした。

 また野茂にとって不幸だったのは、自分の理解者であった仰木彬が、1992シー
ズンで監督を辞してしまったことでした。
 その結果、1993年からは鈴木啓示が監督に就任。バファローズの大エースとし
て長年君臨してきた鈴木は、トルネード投法には大きな問題点があると考えており、
野茂にこれを捨てさせようとしました。
 評論家時代から野茂をじっくりと観察してきた上で鈴木新監督が考えていたトルネ
ード投法の大きな問題点は、

・身体に非常に負担がかかる
・コントロールが安定しない
・故障の原因となるから投手寿命が短くなる
・投球数が多くなり、野手の守備のリズムが悪くなる

でした。そこで鈴木監督は野茂に、投手寿命を延ばすためにトルネード投法を止める
よう、指示したのです。
 またこれは、野茂のある種“唯我独尊的”ピッチングはおそらく、野手のリズムを
崩してチームが勝てなくなる原因になるだろう、との鈴木新監督の野手に対する配慮
でもありました。

 しかし、入団時にトルネード投法にあくまでこだわり、それを捨てたら自分の投手
としてのアイデンティティは失われる、と危機感を持っていた野茂は、「これまでト
ルネード投法でやってきた、自分のことは自分で責任を持つ」と言って鈴木監督の指
示を拒否しました。
 そこで鈴木監督は、トルネード投法を続けるなら仕方がないが、あの投法ではコン
トロールが安定しない、続けるならもっと下半身を強化する必要がある、現在のトレ
ーニングは現状維持なら問題ないが、下半身の鍛え方が足りない、年齢を重ねたとき
に鍛え方が足りないと必ず下半身の衰えが投球に影響が出る、だから、もっと走り込
み・投げ込みの量を増やし、特に下半身を鍛えてコントロールを安定させる必要があ
る、と再指示を出しますが、これに対し野茂は、「下半身の強化はバイクこぎで充分
やっているし、今までトルネード投法で実績を築いてきた。トレーニング方法を変え
る必要はないし、もし必要なら実行する」と返答しました。自分が絶対的な信頼を置
いている立花コンディショニングコーチと2人3脚でやってきた経緯があったからで
す。
 ところが翌1994年、立花コンディショニングコーチが、科学と経験のミックス
によって総合的に選手のコンディションを個々に判断する自らの考え方が鈴木監督に
受け入れられず、辞任すると、走り込みをまずは行うことで身体の基礎をつくり、そ
れから選手の個々のコンディションを整えるという鈴木監督の考え方に沿った山下コ
ンディショニングコーチが新たに就任、野茂はこれに大きなショックを受けました。
そして、立花龍司という自分の考えに合わなかった人物が去ったことでチームを掌握
した鈴木監督自身は、チーム成績を前年の4位から2位へと大きく伸ばしますが、立
花という大きな理解者を失った野茂は、的確なトレーニングができないことから来る
無理がたたった上に、優勝争いに貢献して結果を残すんだ、と意地を張り通したこと
もあり、シーズンの半分を棒に振ってしまいます。この年の6月に苦しんでいた肩痛
を押して、7月1日の対西武ライオンズ戦、191球を投げぬいたためでした。

 この1994シーズンのオフは、バファローズにとっての、そして、日本プロ野球
にとっての波乱の幕開けでした。
 シーズンが終わって契約交渉の段になると、前年最多勝のタイトルを獲得したにも
かかわらず年俸アップが認められなかった野茂は、メジャーリーグですでに認められ
ていた代理人交渉と複数年契約を、バファローズのフロントに要求します。
 これは、選手を近鉄本社の契約社員扱いして見下す風潮があった、といわれるバフ
ァローズのフロントの上意下達式のサラリーマン感覚によって、自分がバファローズ
という組織の論理につぶされるのではないかという危機感が当時の野茂にあったから
だと推測されますが、あまりにも野茂が活躍するためにもはや野茂に大きな年俸を払
えないと感じていたバファローズのフロントは、この交渉の行き詰まりを年俸を下げ
るためのチャンスととらえ、このことを逆手にとり、保留権のメリットを最大限駆使
し、バファローズ以外の日本の球団と契約できない状況に野茂を追い込んだ上で野茂
を任意引退扱いにし、年俸の大幅ダウンを野茂に呑ませようとしました。
 プレイする環境がなければ、野球選手は能力を発揮する機会を与えられません。バ
ファローズのフロントはこうやって、野茂を追い込み、会社自身にかかるコストを減
らそうとしていたのです。
 一見合理的に見えて実はピントがずれているという、スポーツビジネスという特殊
なビジネス形態に一般会社の論理と手法をあてはめる悪い癖が、またここでも出てし
まったのでした。

 しかし、このとき野茂を支えていたのは、代理人ビジネスに将来性を見込んで、そ
の分野に乗り込んでいこうとしていた団野村でした。
 団野村は、当時ヤクルトスワローズの監督だった野村克也の義理の息子で、野村監
督の2度目の結婚相手だった野村沙知代とアメリカ人の父との間に生まれており、ス
ワローズにて選手経験がある上に英語を使えたのですが、すでに兵庫県の滝川二高を
中退し、アメリカの独立リーグチーム、サリナス・スパーズにてプレイしていた鈴木
誠の代理人としての活動をはじめていました。
 そして団野村が、日本進出のビジネスチャンスとして目をつけたのが野茂。野茂と
団野村は、サラリーマン的“上意下達”の感覚から抜け切れず、法と個人の権利の意
識の甘い日本プロ野球界に旋風を巻き起こそうとしていたのです。

 野茂と団野村はこのバファローズフロントのやり方を受け、あることを決行します。
 それが、電撃的なロサンゼルス・ドジャースとの契約でした。
 当時の日本プロフェッショナル野球協約では、メジャーリーグにて日本人選手がプ
レイすることは想定されていなかったので、任意引退となれば、メジャーリーグのど
の球団と契約してもよいこととなっていたのです。
 団野村は、その“法の盲点”を突きました。
 しかし、村上雅則以来メジャーリーグでプレイした日本人選手はおらず、野茂が勝
ち取れたのはマイナー契約。年俸980万円からの出発でした。

 ですが野茂は翌1995年、選手生活の頂点を極めます。
 すぐマイナーからコールアップされ、5月2日にはサンフランシスコ・ジャイアン
ツの本拠地、キャンドルスティック・パークのマウンドに。
 この年驚異の防御率1点台を記録してサイ・ヤング賞に輝いた*52グレッグ・マダ
ックスがそのとき、たまたま故障者リストに入ってしまっていたという幸運もあり、
メジャーリーグのオールスターでも先発投手をつとめるという栄誉に輝き、13勝6
敗、防御率2.54、236奪三振を記録して、奪三振王、新人王に輝いたのです。
 これに加え、ロサンゼルス・ドジャースは野茂の活躍もあって地区優勝し、野茂自
身は日本人選手としてはじめて、プレーオフのディヴィジョンシリーズにて投げてい
ます。

*52 グレッグ・マダックス
メジャーリーグのシカゴ・カブスにてデビュー、1988年に18勝をマークすると、
以後はずっと15勝以上のハイレベルな勝ち星を2004年まで続ける。1992年
にフリーエージェントでアトランタ・ブレーブスに移籍してから数年間が絶頂期。
1994年、1995年は2年連続で防御率1点台を記録。以後ふたたびカブスに戻
り、ロサンゼルス・ドジャースに移籍後、2008年現在はサンディエゴ・パドレス
にて活躍中。2007シーズンも14勝を記録、その姿勢は若い投手の手本になって
いる。通算347勝214敗、防御率3.11、3273奪三振で記録は進行中。

 一方これとは対照的に、鈴木バファローズは最下位に低迷、8月9日からはヘッド
コーチの水谷実雄が代わりに指揮を執り、鈴木監督はこの年限りで退団しました。
 前年、1994年とで、鈴木と野茂の立場は逆転したのです。

 ただし後日談にはなりますが、野茂の持つ宿命、つまり、コントロールが安定しな
いで投球数が多くなり、野手のリズムが狂う、という問題は、メジャーリーグでも変
わりませんでした。
 トルネード投法は日本時代に比べると、はるかにコンパクトになり、進化しました
が、メジャー2年目からは落差のあるフォークボールに慣れられて投球数が多くなり、
投球数が多くなることでコントロールが乱れ、さらに投球数が多くなることで野手の
守備のリズムが崩れることから、当時ドジャーズのチームキャプテンだったエリック・
キャロス選手に“何とかしてくれ”と文句を言われたこともありました。
 やはり鈴木監督はさすがに大投手だっただけあって、慧眼だということはいえます
し、鈴木監督自身ものちに、

「三原、西本という大監督の下でプレーしながらそれを生せかなかったのは自分が悪
かった。伝え方が悪くて選手に自分の真意が伝えられなかった」

と言っているところからみると、つくづくお互いの感情的行き違いが2人の対立を生
んでしまったのが惜しまれてなりません。
 これは、当時の日本プロ野球において、監督、コーチ、選手の間の三者間でのコミ
ュニケーションがおざなりになっていたからで、野茂自身はメジャー1年目に、こう
言っています。

 「僕は近鉄のことしか知らないですけど、おしなべて日本では、まだまだ首脳陣と
選手がフランクに話し合えない雰囲気があると思います。事実、近鉄にいた2年間で
鈴木監督と話した時間よりも、この数ヶ月でラソーダ監督と話した時間の方が長いん
ですから」
 
 しかしこれは鈴木監督に限らず、当時の日本のどの球団にもあったことだったので、
この点で鈴木監督だけが悪かったのかといえば、必ずしもそういうわけではありませ
んでした。
 当時の日本プロ野球そのものが抱えていた、非常に致命的な問題だったのです。

 ちなみに鈴木監督は退団後、NHK-BSの日本プロ野球中継において、選手時代のスタ
イルそのままに、武骨ではありますが、的確な解説を2008年3月現在に至るまで、
視聴者のみなさんに届け続けています。鈴木監督の人柄がにじみ出ている、なかなか
好感度の高い解説であることも付記しておきます。

 次回は、鈴木監督退任後の時代についてのお話です。

(アトムフライヤー)

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発行者プロフィール

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ぼーる通信 編集部

http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

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