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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜

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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 大阪近鉄バファローズ史その12

2011/08/17

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【第12回】

 前回は1980年代前半から後半にかけてのバファローズについてご紹介しまし
たが、今回はラルフ・ブライアントのお話からです。

 ブライアントはもともと、ロサンゼルス・ドジャースにてメジャーとマイナーを
行ったり来たりしていた選手でしたが、1987年以降ドジャーズと提携を結んで
いた中日ドラゴンズに、1988年入団。
 ですが当時のドラゴンズには3番を打つゲーリー(・レーシッチ)と抑えのエー
スである郭源治という絶対的な存在がおり、2人しかない1軍の外国人枠を使えな
かったドラゴンズとしては、ブライアントを2軍に置いておくほかありませんでし
た。ドラゴンズにとって、三振が多くて打撃の荒いブライアントは、この時点では
確実性のあるゲーリーを押しのけて1軍に上がるほどの選手でなかったため、細か
い配球のセ・リーグに対応させるため、2軍での調整を行わせていたのです。ドラ
ゴンズとしては、ゲーリー後のクリーンナップとして、まだ若くて20代の彼を
“育てて”いたのでした。

 ところが前回取り上げたデイビスが大麻所持事件によって突然逮捕。バファロー
ズとしては、デイビスの代役を探さなくてはならなくなったのです。

 そんな中、当時2軍で調整していた佐々木修投手の、イースタン・リーグにおけ
る対ドラゴンズ戦の登板にてどでかい一発を放ったブライアントに、バファローズ
のフロントは着目。西武ライオンズと優勝争いをしていた事情もあって、即金銭ト
レードをドラゴンズに申し込み、ブライアントのバファローズ移籍が決まります。

 移籍したブライアントは、いきなり長打力を見せつけます。
 74試合で34ホーマーを放ち、バファローズ躍進に大いに貢献。好不調の波は
ありましたが、1試合で複数本のホームランを放つ爆発力は、他球団の脅威となり
ました。

 また、この年からバファローズを率いたのが西鉄ライオンズの元名2塁手、仰木
彬です。
 仰木は引退後、三原脩のバファローズ監督就任中の1970年、守備走塁コーチ
になりますが、以後バファローズのコーチとして残り続け、1984年にはヘッド
コーチに昇格、この1988年からバファローズの監督になったのです。
 最初監督として知名度のなかった仰木は見事にチームを掌握、鉄壁の強さを誇っ
た森祇晶率いる西武ライオンズを向こうに回して三原譲りの豪快な西鉄ライオンズ
野武士野球を復活させ、優勝争いにからみます。
 シーズンを通じて終始2位につけ、9月の半ばの時点で6ゲーム差までライオン
ズに離されながら、そこから驚異的な巻き返しを見せ、ライオンズが全日程を終了
した時点で、対ロッテオリオンズ残り3試合を残してマジック3が点灯。それから
1試合勝ち、残りは2試合、ダブルヘッダーで行われることとなっていました。
 それがバファローズ史上最高の伝説とされている、例の10・19です。

 舞台は、2008年現在のいまとなってはなき川崎球場。普段は客が入らないこ
の球場に、この日は多くのバファローズファンが集まりました。
 パ・リーグ優勝がかかった試合なので、バファローズの優勝の瞬間を見よう、と
詰め掛けたのです。
 第1試合は9回で打ち切ることが決まっていたため、9回の表まで同点だったこ
の試合で、この日の現役引退を決めていた梨田昌孝が起死回生のタイムリーヒット
を放ち、なんとか4-3と勝ち越し。9回の裏にはリリーフエースの吉井理人からエー
スの阿波野秀幸へとつなぎ、2死満塁と追い詰められながらも、なんとか逃げ切り
ました。
 第2試合は3-3と来た8回の表にブライアントが1発を放って4-3とリードします
が、その裏にオリオンズは、この年首位打者のタイトルを争っていた高沢秀昭が、
第1試合に続いて投入したエース阿波野から同点ソロホームラン。これで4-4となり、
延長に入りますが、10回表を終わった時点で3時間57分、当時のパ・リーグは、
4時間を越えたら同点試合でも試合打ち切りで引き分けだったため、この試合は引
き分けに終わり、バファローズは勝率.002差で優勝を逸したのです。

 ですがこの試合における熱闘は、ギリギリのプレー、一進一退の攻防の熱さとい
うこともあって、多くの感動を呼びました。
 そのこともあってか、この時代は熱パと呼ばれ、パ・リーグは熱心なファンを獲
得するのに成功しています。
 また、この試合を緊急に放送した朝日系列の地上波放送は、近畿地区でも46.7%、
関東地区でも30.9%という高い数値を記録。2008年現在のように、BS放送や
CS放送、あるいはインターネットというメディアが増えている状況と比べ、当時
はテレビの地上波の持つ影響力が絶大でしたので、この10・19の持つインパク
トは大きかったのです。

 そしてこの1988年、仰木彬は、名将としての評価を勝ち取り、一気にスター
ダムにのし上がりました。

 翌1989年は、阪急ブレーブスが身売りした結果生まれたオリックス・ブレー
ブスが、開幕から首位を独走しました。
 しかし途中からバファローズが、そして9月に入ってからはライオンズが猛チャ
ージをかけ、途中では0.5ゲーム差の中に3チームがひしめくという大混戦に。そ
してバファローズは首位ライオンズに2ゲーム差をつけられた時点で、残り対ライ
オンズ4試合のうちの2敗でもすれば優勝の可能性が消えてなくなるという状況の
中、10月10日の対ライオンズ戦に勝ち、11日の試合が雨で流れた時点で、
10月12日、西武球場での対ライオンズダブルヘッダーを迎えます。

 この2連戦はパ・リーグの優勝がかかっている上に、パ・リーグの中ではスマー
トな秋山・清原のAK砲に加え、渡邊久信、郭泰源、工藤公康といった全国区の人
気ピッチャーを擁する西武ライオンズの本拠地ということもあり、フジテレビ系列
にて、ゴールデンタイムに中継されることとなったのです。
 そしてこのダブルヘッダーで最高の輝きを放ったのは、ラルフ・ブライアントで
した。バファローズは1敗でもしたら追い詰められるという状況の中、第1試合、
ブライアントは4回表、0-4のビハインドからソロホームランを放ち、続く打席も
打球をスタンドに放り込んで5-5に追いつく同点満塁ホームラン、続く打席も打球
をライトスタンドに叩き込んで3打席連続ホームランで勝ち越し、第1試合はバフ
ァローズが6-5で快勝、完全に流れをバファローズに引き寄せました。

 続くダブルヘッダー第2試合は、第1打席こそフォアボールで敬遠されましたが、
第2打席は打球を再びスタンドに叩き込み、奇跡の4連発を放ったのです。この試
合ライオンズは14-4とバファローズの勢いに押され、息の根を止められる敗北を喫
する一方、ブライアントはバファローズの伝説となったのです。

 なおこの年は、日本シリーズで巨人と対戦しましたが、第3戦の先発投手をつと
めた加藤哲郎投手がヒーローインタビューで、優勝決定までの道のりがきつかった
ことを踏まえ、

「今の巨人よりディアズ1人をマークしなければならないロッテの方が怖い」
「こんなチームに負けたら、(ペナントレースで死闘を繰り広げた)西武やオリッ
クスに申し訳ない」

 と発言したこともあったわけですが、当時の加藤投手のこの発言は、いかに当時
のパ・リーグのペナントレースが充実していたかを物語るもので、巨人ファンの方
々やセ・リーグに思い入れのある方々に対しては失礼かもしれませんが、この年パ・
リーグにいた選手のみなさんの素直な気持ちだったのかもしれません。
 いずれにしてもこの年の日本球界は、パ・リーグ、そしてバファローズを中心に
回っていたことは間違いないでしょう。バファローズ至福の年だったといえます。

 そしてこの年のドラフトで、日本のプロ野球を変え、日本球界の歴史に新たな金
字塔を残した、日本球史上もっとも偉大なピッチャーのひとりが、バファローズに
入団します。
 そのひとの話は、次回で。

(アトムフライヤー)

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