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ぼーる通信 〜Voice from the Dreamfield〜 大阪近鉄バファローズ特集号 その6

発行日:8/16

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 ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜
     日本プロ野球史:大阪近鉄バファローズ(6)

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 ☆ お品書き

 ●Team Chronicles
 〜The History of Nippon Professional Baseball Teams〜
  Series 2:大阪近鉄バファローズ 第6回

            by アトムフライヤー

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【第6回】

永江社長時代、チーム成績にはなかなか結びつかないものの、
着実に選手を補強して力をつけてきたバファローズ。
 ですが1964年シーズンオフのゴタゴタ以来、チームは
パッとしません。別当監督の後任には1963年までコーチ
をつとめていた、元太陽ロビンス(現・横浜ベイスターズ)
の名選手で、東映フライヤーズ監督時代にはチームをAクラス
入りさせ、張本勲を抜擢した岩本義行が就任しますが、岩本
監督は*23鈴木啓示を抜擢するなどの仕事はしたものの、チー
ム成績は低迷、最下位が指定席となってしまいます。
 また1966年後半、永江球団社長が病気で倒れ、球団社
長職にドクターストップがかかった結果、佐伯オーナーは永
江球団社長の既定方針であったチームの若手への切替を行う
ためのピンチヒッターとして、前監督の芥田武夫を球団社長
に迎えることにし、そのときは法事で忙しかった自分の代理
である泉近鉄副社長、病院から抜け出してきた永江球団社長
との三者会談を開いて、本人から了解を取り付けます。

*23 鈴木啓示

 兵庫県育英高校から1966年、近鉄バファローズに入団。
1年目から10勝を記録した。150km/h前後の豪速球で三振
の山を築き、1967年からは5年連続を含め20勝以上を
8回、ノーヒット・ノーランを2回記録。通算317勝、
3061奪三振はバファローズ史上最多で、当然のことなが
ら日本プロ野球史にも残る選手のひとりである。
 私生活もまじめそのもので、就任直後の西本監督がチーム
の甘えを断ち切るため、あまりにも鈴木に頼る投手陣を見て
放出を考えたが、鈴木の素行に問題がないために球団が承知
せず、残留になった。また、あまり器用ではなかったが、努
力で変化球を覚え、速球投手から変化球投手への変身に成功
している。
 オールスター出場15回、ベストナイン3回。1967年
から1969年はファン投票でオールスターに選ばれている。
 先発完投にこだわり、それができなくなった1985年シ
ーズン中に引退。監督時代の話については後述。

 すると芥田は、永江前球団社長の意向を受け、チーム改革
の実行にかかります。

 まず、球団創設時からの大物スカウトであった大西利邑を
解任。1966年からドラフト制度がはじまっていたことも
あり、スカウティングのあり方そのものにも変化をもたらさ
なければならないと芥田自身が考えていたのと、永江球団社
長時代に、隠密活動ばかりが先行して、フロントのトップで
あるはずの球団社長に対してすらその活動が隠密になり、選
手獲得にかかる費用が把握しきれず、コントロールしにくか
ったため、体制を一新すべく、大西スカウトをはじめとした
当時のスカウトたちに引退してもらうことにしたのでした。

 また、球団社長就任と同時に、近鉄本社サイドからすでに
フリーハンドで人材招聘のGOサインをもらっていたため、自
分の監督時代からの盟友で“近鉄ピストル打線”の命名者で
あるデイリースポーツ編集総務の須古治を、球団部長として
招聘。
 そして、新たにスカウトとして、毎日新聞西部本社運動部
員だった同じく盟友の中島正明を招聘します。

 続いて芥田は、コーチ一新に取り掛かります。
 古株だった3人のコーチ、200勝投手だった野口二郎、ホー
クス時代には4度の盗塁王に輝いた俊足と鉄砲肩のショート
守備で活躍した木塚忠助、関根の盟友で芥田自身も指導者と
して非常に買っていた根本陸雄の解雇に踏み切りました。
 このうち根本については、その面倒見のよさからチームに
とってはプラス面が多いと芥田は考えていましたが、いちお
う人心一新ということで、根本自身とはバファローズに将来
戻ってもらう口約束をした上で、一度辞めてもらうことにし
たのです。

 一方芥田は、永江前球団社長の原案にのっとり、岩本監督
辞任後、生え抜きの小玉明利を監督へと昇格させます。当時
小玉は31歳。西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が
名将・三原脩の後に川崎徳次を経て、青年監督として28歳の
中西太をプレイングマネジャーに据えるような時代であった
とはいえ、選手としては経験豊富でも、指導者としては力量
が未知数の小玉を選択せざるを得なかったという、バファロ
ーズの苦しい事情がありました。また、小玉本人も最初はこ
れを非常に嫌がりましたが、ほかに選択肢のない芥田は、自
らが育てた傑作選手であった小玉に、監督業を押し付けるし
かなかったのです。
 コーチにはベテラン選手たちやファームコーチたちを、コ
ーチ資格選定テストという意味で抜擢。3人の有力なコーチ
を体裁上辞めさせたまではよかったのですが、誰がその後任
として適任かが不明な中、とりあえず前に進むしかないとい
う苦渋の選択でした。その布陣は、専任コーチが沢藤光郎
(47歳)、保井浩(46歳)、江田孝(44歳)、今久留主功
(41歳)、小森光生(34歳)の5名、選手兼任コーチが吉沢
岳男(33歳)、伊香輝男(32歳)、島田光二(30歳)の3名。
 この陣容で小玉バファローズは始動しました。

 ですがこの苦肉の策は、うまくいかないどころか、小玉の
選手寿命さえも縮めてしまいました。
 結局1967シーズン、チームは最下位。勝率こそ前年の
.369から.454へと大幅にアップしますが、小玉は監督業の難
しさからくるプレッシャーにより疲弊、試合出場数も121試合
から102試合へと激減し、打席数は428打席から310打席へと
3/4に減少、この年限りでバファローズを去って阪神タイガー
スに移籍、選手専任に戻りますが、1969シーズン、34
歳という若さで引退してしまいました。
 バファローズはこうして、チームの顔を失ってしまったの
です。

 しかし一方で、芥田はさまざまな若手選手について、各コ
ーチにマンツーマン指導を依頼し、次代の中心選手の育成・
テコ入れに取り掛かります。

 たとえば投手コーチの沢藤には、1961年に新人王を獲得し
た徳久利明、若手でなかなか出場機会のなかった*24坂東里
視の2名を預けます。
 徳久は毎年、安定して2ケタの勝ち星は上げるのですが、
たとえば新人王を獲得したときも15勝24敗という成績で、常
に勝ち星よりも負け数が大きく先行、勝ち越したのは1963シ
ーズンの20勝15敗のときだけだったので、芥田はこの徳久を、
なんとかチームの勝ち星の稼ぎ頭にしたいと考えたのです。
 しかしこの後徳久は練習に出てこなくなり、1967シー
ズンは1勝しかできずに翌年西鉄ライオンズへと去り、さら
に翌年、そのまま引退してしまいました。

 一方板東については、単調なピッチングがたたってなかな
か先発投手としてチームの柱になってもらえなかったので、
芥田はピッチングの幅を持たせるために、板東に横手投げに
一度挑戦することをアドバイスし、沢藤がこの面倒を見るこ
とになります。
 すると板東は最初こそ乗り気ではありませんでしたが、じ
きにこれをモノにしてときどき目くらましに使った結果、徐
々に出場機会が増える一方、軸足に重心を残すというピッチ
ングのコツを覚え、投球の幅を広げ、長寿投手になってバフ
ァローズを長く支え続けたのです。

*24 板東里視

徳島県鳴門高校から、1960年に近鉄バファローに入団。
1961年から一軍に定着。1968年に12勝を記録し、
バファローズ最下位脱出に貢献した。その後は低迷するが西
本監督の就任した1974年に復活し、10勝を記録した。
タイトル獲得もオールスター出場もなく、69年の首位争い、
75年の後期優勝、79年の優勝時に目立った成績を残して
いないため、存在感が薄いが、先発から中継、救援と万能に
その役をこなし、弱小時代から近鉄を支え続けた功労者のひ
とりである。1979年に引退。その後は、バファローズの
コーチ、二軍監督、スカウトをつとめた。1999年に死去。

 さらに芥田は、1965シーズンに打者に転向したばかり
の*25伊勢孝夫を育て上げるべく、小森コーチをつけます。
 すると伊勢は打撃のコツを覚え、レギュラーにこそなかな
かならなかったものの、代打の切り札として活躍、引退後も
高い技術やデータ力を持つ打撃コーチとして、さまざまな球
団で活躍し続けることになります。

*25 伊勢孝夫

兵庫件三田学園高校から1963年、近鉄バファローズに
入団。入団当初は投手だったがすぐに野手に転向。1968
年から一軍に定着する。シーズン三桁安打が0、通算570
安打。1971年に28本塁打を記録した以外目立つ記録は
なく、オールスター出場もないが、通算本塁打を90本記録
しており、勝負強さと長打力は定評のあるところで、ファン
から「伊勢大明神」と呼ばれ親しまれた。1977年、ヤク
ルトスワローズに移籍。勝負強さが期待されたが、バファロ
ーズ時代の輝きは戻らなかった。1980年に引退。その後
はヤクルトスワローズ、広島カープ、近鉄バファローズ、巨
人のコーチをつとめた。2008年現在は韓国のSKワイバー
ンズの打撃コーチ。

 このように芥田は着々と若手を育て、1967シーズン終
了後には小玉の後任監督として、ある名将をチームに迎える
段取りを整えることになります。
 そのひとの話は、次回で。

(アトムフライヤー)

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(c)2002-2009 ぼーる通信
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☆ぼーる通信編集部 編集長:Thomas Gwynn Mountainbook(アメリカ野球學曾日本支部曾員、野球文化學曾曾員、アフリカ野球友の会コアスタッフ[英語web担当]、三田文学曾曾員) 副編集長:高原成龍(SLUGGER、スポナビ、旅行ガイド誌等、台湾野球に関する記事執筆多数)

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