建築

建築所感

世界のあちこちで見てきた建築を勝手に書きつづります。第一回はビルバオグッゲンハイム。ネタのある限り続けます。

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建築所感 閑話休題

2002/12/04

建築所感 閑話休題

名称:枦宇土保育園
場所:熊本県本渡市枦宇土
設計:俺
建設年代:3年くらい前
用途:保育園

ついにネタが尽きたかオレ。
行ったことがあるとこや、見たことがあるとこはあるんだけど、
なんだか今書く気が起こらなくってさ。
自分の建物について書くのは御法度だよなあ、
なんて思っていたのだけど、
ついに手を出してしまった。
まあ、別に悪いことではないと思うが
(手を出す、というのを何か悪いことに結び付けるのはおいらだけか?)
ちこっと書きます。
閑話休題。

施主とのおつきあいは、わりと古い。
もともとおいらは熊本の天草で設計事務所を始めたんだけど、
始めたばっかしの時ってそりゃー暇で暇で、なーんもする事がなかった。
つうか、このまま何もなく終わるんかなあ、なんて思ってた。

でもせっかく設計事務所始めたんだから、それもなんだか悔しくって
勝手に都市計画を作った。規模は小さなもんだったけど。
当時、天草の海を埋め立てるとかいうつまんない話があって、
そんなにカネあるんだったらそのカネでこーした方がいいんじゃなーい、
なんて感じで図面書いて模型作って文章書いてそれをまとめて
知事に送った。
これで最初で最後になるか、まあ、いいか、なんて思ってた。
すばらしいタダ働きであった@自画自賛。

まあ、んなもん送ったって反応なんてないもの。
んだよなあ。
よくわかんないけどさ。

ただ、その時、たまたま友人だった新聞記者の人が
興味を持ってくれたようで、簡単にインタビューして
その模型も写真に撮ってくれた。
マスコミの事はよくわからなかったけど、
まあいいか、と思った。

それからしばらくしてその事が新聞に載ったのだけど、
扱いが大きくてびっくりした。
そうこうしてるうちに3か所くらいから、話をしに来てほしいという
依頼があった。
仕事来ればなあ、なんて下心はぜんぜんあったけど
来なかった。
人前でしゃべるのは恥ずかしい、というかおいらゴトキがしゃべっていいのか、
なんて思ったのだけど、未体験の事だったし、やってみるのもいいか、
と思って引き受けた。

しかし、人前でしゃべるのって、やっぱすんごく緊張した。
それとしゃべる前にけっこう準備がいるもんだな、と思った。
都市計画ともなると、わりといろんな事が複雑にからんでくるもの、
ウカツに変なことはしゃべれないよなあ、なんて
余計なまでに自分で自分を緊張させる環境を作り上げていた。

講演(?)もどおにか終わって再びヒマな日々。
天井だけを見てる日々。
腐りそう・・・
太陽が嫌いになりそうだった。
な時に電話が鳴った。

「あのー御会いしたいんですが、この前講演を聞いたのですけど」
これが今の施主だ。

保育園の改修とお店の改修という2つの仕事を
いっぺんに頼まれた。
飢えていた。無論断るはずがない。
計画は両方同時進行したのだが、
お店の方がはやばやと完成した。
保育園は設計は出来たのだが補助金が降りなかったのだ。
待つ事になった、が朗報はなかなか来なかった。

しかし、ただ待ってるのはやはりつらいものである。
一銭たりとも収入がない状況というのはかなり応える。
それでも想像力だけは落とすまいと必死になってコンペに
かじりつく。
佐世保ターミナル、四季崎岬トイレ、墓石設計コンペ、星野富広、
他にもやってたかもしれない。
全部、箸にもボーにもひっかからずに落ちる。
金も底が見えていた。

どうしようか迷ったが移動することを決めた。
ここにいてもどうしようもない、と思えるようになった。
自分で決めた場所だったんだけど。
博多か東京か、どこか設計関係のバイトが出来そうなとこに
移動しようと思った。

そんな最中、正月が近く名古屋に帰った。
ウチは来ていただければおわかりいただけるのだが
モノにあふれていて、人が家の中心でない。
それが原因かどうか、父が病気で倒れたりして、
こりゃあかん、と思って家具を整理しようと家族に伝えた。

そういう事を話すと出てくるものだ、
あーしたいこーしたいという話が。
台所の位置や居間の使い勝手、収納、風呂の老朽化、
通風、採光その他いろいろ。
改修がいいのかなあ、なんて話になった。
で、設計...
俺かあ?
まあ、仕方がないといえば仕方がないもの。
しかし家具の移動だけとは違い、
改修とまでいけば
けっこう現場を見なきゃならないもの。
博多から名古屋は遠い。
東京からでもカネがかかる。
名古屋ってつまんないんよなあ、と思ってた。
できれば行きたくない。
他の地域に行ったら、おそらく家の設計はあきらめることになるだろう。
どうしたもんか。

しかし最終的には名古屋に行くことにした。
名古屋でもバイトのクチを探すことになるんだろうけど、
自分で設計する自由がある分、まだマシかな、って思った。
そしていろんな思いがあった天草を
ほんとうに去ることにした。

荷物を全部まとめて名古屋に送った。
お世話になった方々をたずねて歩く。
もちろんこの保育園の施主のとこにも行った。
前に書いたが、設計としては出来ていたので
キリのいいところではあった。
今後のことについてその施主とも話をし、
納得をいただいた。
天草-名古屋。
1000キロくらいかな。すごく離れている。
もう、声がかかることはないだろうな、と思ってた。

名古屋に着いて荷物をほどく。
天草から移動してそれほど月日もたっていないある日、
その施主から電話がかかった。
聞けば、明日、名古屋に来るという。
それっていきなりすぎる。
しかし何でだ?
何か、ものすごくお怒りなんではなかろうか。
でも、話をさらに聞くとそうでもない様子。
兎に角、来るというので待つことにした。

来た。
補助金が降りたと言っていた。
はあ、おめでとうございますー。
気の抜けた返事をする私がいる。
そこで監理をお願いしたいのだが。
は?あっしですかあ?

おいらなんかでいいのかなあ?
それと交通費の事が気になったので伺った、が
出していただけるということだった。
動かすことにした。
いや、動かされたのか。

設計が終わった時点から少し時間がたってもい、
いくらか見直すところはあったが、ほとんどそのままの形で
進むことになった。
今年の夏に入札を終え、
9月から現場が始まった。
久々の現場だった。
緊張を崩すことはできないが
うれしいことだった。

工事は保育園を運営しながら続けるという前提だったので
小さな建物ではあるが工期は4期に分けることになっている。
常駐監理はできない状態だったので、現地の設計事務所の人に
お願いして現場の状況を報告してもらっている。
自分は月に一度、天草に行っている。
いろいろな方々の多大な御協力があって
現場は進行している。
私の力なんて、ほんとに微々たるものだ。
感謝することに限りはない。

今は一期工事の部分が終わって
2期工事の真っ最中。
当たり前だが、まだ気は抜けない。
というか、出来上がってからも気は抜けるものではない。
建築は、始まりこそあるけれど、
完全にぶっ壊されることがない限り、
終わりはないような気がしている。
それが存在しているうちは目が放せないと思うのだけど
そんなふうに考えるのはおいらだけかなあ。

続きはまたいつか。
そんじゃーまた。


                     02.12.05  竹中アシュ

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創刊日:2002-01-27  
最終発行日:  
発行周期:ときどき  
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