建築

建築所感

世界のあちこちで見てきた建築を勝手に書きつづります。第一回はビルバオグッゲンハイム。ネタのある限り続けます。

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建築所感29<嘆きの壁>

2002/09/07

建築所感29<嘆きの壁>

名称:嘆きの壁
場所:JERUSALEM ISRAEL
設計:-
建設年代:-
用途:聖地


イスラエルとパレスチナの争いの様子がよくテレビに出ていると思う。
そして、たいていそれを見る度に憂鬱な気分になる。

イスラエル側にもパレスチナ側にも負傷者や死者が出て、
その数が伝えられる。
思いだすのは、かつてイスラエルのハイファで会ったユダヤの友の言葉。
「バラガン」
意味は、なんてことだ、どうしたらいいのだ、というような
混迷を指すという。
イスラエルでは兵役の義務があり、
いたるところで武装した20才くらいの男女を見た。
いちおう断っておくが、女の人にも兵役の義務がある。
街のあちこちを、カーキや紺色の軍服をまとい、
何ごともないかのようにピストルやマシンガンを背負う。
まだ若い彼らは、そのほとんどが最前線に向かうことになり、
そして犠牲になることが多いのだと言う。
私の友は年はその時21であったが、もうすぐ軍に加わると
言っていた。

私がイスラエルを訪れたのはおよそ3年程前だ。
おそらくであるが、現在の方がその当時よりあらゆる状況が
悪化していると思う。

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イスラエルにはエジプトからバスで向かった。
エジプトを日の出前に出発し、
夕方過ぎにイスラエルに着くというのがある。
エジプトと言うと、灼熱の国を連想させるが、
早朝はものすごく寒い。
バスには暖房設備などついておらず、
ガチガチ震えながらバスに揺られる。
しかしその寒さのためもあってだろうか、
地平から登る朝日はこの上なく美しかった。

日が登るにつれて寒さも遠のいてきて、
逆にバスには冷房がかかるくらいの暑さになってきた。
まわりは石ころと砂の混じる砂漠で草木はほとんど見ない。
そんな中を道路が続くわけだが、どういうことか人がフラフラ歩いているのを
よく見かけた。
昼も近く、外はおそらくすごい気温になってるはずなのだが、
私のようなヤワな人間とは体の作りが違うようだ。

延々とバスは走り、イスラエルとの国境付近に来た。
この国境超えが、かつて体験したことがないチェックの厳しいものだった。
乗っていたバスは途中2回強制的に降ろされ、
パスポートなどのチェックを受ける。
そしてその後に検問があったのだが、これが2回行われた。
そしてその2回の内容に違いがないか確認を受け、
その上で通されるというもの。
行き先、目的、その他諸々のことを説明した上で
ようやくイスラエル側に入れるというものだった。
私の英語はサバイバルであるため、時に話が通じない。
止むを得なかったのか、荷物や身体のチェックも受けた。
ものものしいと言えばいいのだろうか、
簡単には通さないぞという雰囲気がそこにはあった。
なお、国と国との条約によってか、イスラエルに入ると
他の国にはパスポートを変えない限り入国を許可されないというところもある。
おそらく私は今、そのことでシリアやレバノン、そしてエジプトへの
再入国も出来ないはずである。

検問から解放され、晴れてイスラエルの地を踏む。
なぜか自由を得たような気分になる。
イスラエル側で待機していたバスに乗り込むと
すぐに出発した。
それまでのエジプトの砂と石コロの砂漠一面であった風景が
その国境を境に緑にガラリと変わった。作物が植えてあるようだ。
国力の差だろうが、同じような気候の地であっても
その活用の差は驚きであった。
明らかに”違う国に来た”という気分だった。

国境からエルサレムまで近くはなかった。
窓の外はしばらくはのどかな景色であったが、
エルサレムに近付くにつれ、ふたたび石だらけの荒涼とした風景
になってきた。
えんえんと石の丘が続く。木がほとんどない。
たまに誰かが植えて育てているであろうオリーブの木が
ぽつりぽつりとある程度である。
たまに人の集落を発見するが、
建物もそれと同じ石で出来ているようだ。
何を食べて生きているのだろう、不思議に思った。


道路標識は英語もあるけれどヘブライ語が主流だ。
文字は読めないが美しい。
ヒッチハイクをしている人間をよく見かける。
こちらでは人の車に乗せてもらうのは普通のことみたいだ。

エルサレムに着く。予定通りすでに夕方だ。
着いた場所が、最初はよくわからなかったが、どうやら旧市街の
城壁のすぐ近くであったようだ。
ほとんどの建物が石でできている。
同じ肌色の石でできている。
しかし感慨に耽る間もなく重要なのは宿さがしである。


ガイドブックを片手に、なにやらあやしげな旧市街をさまよう。
通りは広くない。
場所にもよるが2メートルから4メートルぐらいの巾が主流であろうか。
もちろん車は通らない。
その両側をさまざまな店が取り囲む。
場所にもよるがアラブ系の人が多いようだ。
宿さがしは難航した。探すのは朝が基本であり、
今回は止むを得ないところだ。
多少お金がかかっても仕方がない。
しかしどうにかこうにか3、4軒あたったところで
どうにかドミトリーを確保できた。
ほっとはするが、すぐに考えるのはメシの事だ。
来たばかりのこの街を人の流れの中にさまよってみる。

エルサレムの旧市街は、他の旧市街でもよくあるように
迷路のような構造になっている。
ただ、ここではその迷路が2層3層にもなっていて立体的だ。
建物の屋根が石のドームでできているところが多く、
そしてその付近がそのまま通路になっていたりする。
雨、降っても大丈夫なのかなあ、と思ったけど、
おそらくあまり降ることがないのだろうな。
メシ探しも後まわしでいそいそとスケッチを始める。
と、その時、向こうの方から真っ黒な人が歩いてきた。
全身真っ黒な衣装で帽子もかぶっててこれも真っ黒。
あと、なぜかもみあげのあたりをのばしていて、
しかもカーリーになっている。
なんだこいつは?
その姿にはかなりのインパクトがあった。
何者かその時はわからなかったが
後にどういう人物なのか知ることになる。


次の日。
街の地図をたよりにさらに歩く。
旧市街の中はそれほどは広くない。
自動車が通れるようなところではないので、
ほとんど徒歩で移動可能である。
いくつかの目的地があったが、
まずユダヤ教の聖地、嘆きの壁に向かった。
アーケードをくぐり、細い道を抜け、
地図通りに行くとそこにはふたたび検問所があった。
警官らしき人も付近ではよく見かけた。
ボディーチェックを受けたがそこは難なくパスできた。
ふたたび狭い路地を抜けると
広く抜けた広場のようなところのその向こうに
写真で見たことのある嘆きの壁が見えてきた。
石を積んでできた、大きな壁。


壁に近付いていこうとするとさらに関所があり、帽子をかぶらないと
近付いてはいけないという。
その帽子とは丸いちいさなものでキッパといった。
ユダヤ教徒の人がかぶるものだ。
その場では仮にでもユダヤ教徒でなければならないらしい。
あたまにそれを乗せて壁に向かう。
と、そこには昨夜見た真っ黒の衣装の人物が見えた。
何かを唱えながら一生懸命体を振っている。
嘆きの壁に触れられるところまで近付いた。
大小さまざまな石より成るが、
その石同士の隙間に何やら紙が詰まっている。
どれもヘブライ語らしき文字で何かが手書きで書かれている。
後に知るのだが、ユダヤの聖地復活のためのことがそこには
記してあるとのことだった。

祈りの場である。
私ごとき観光人がこんなとこまで来てしまっていいのだろうか、
と少しためらいもあった。
見ていてわかるのだが、祈る彼らは真剣そのものである。
壁の片端は建物の内部の方へと続いていた。
少し暗がりのそちらに移動する。

内部は黒い服の人が多数を占めていた。
それほど広いとも思えないような空間であったが、
どう言えばいいのだろう、ものすごく雰囲気が濃い。
その黒い服のだれもが一生懸命に言葉を唱え、激しく身体を振っている。
身体全身が痙攣しているというか、何故そこまでして身体を痛めつけてまで
祈るのかというくらいに。
黒い服もどこか外の人たちよりもグレードアップしているようで、
もしかすると位みたいなものがあるのかもしれない。
石でできたその空間に彼らの声がどこまでも反響する。
ここで私は確実な異邦人であり、異教徒である。
こちらにまなざしが向けられたらどうしようかとも思ったが
そういうことはなかった。
彼らは彼ら自身で、個人個人で祈りを捧げ、一心不乱であった。
他者は関係がない、というか入り込む余地を残さない、
あるいは余地をのこさないために身体を痛めつけるようにさえ、思えた。

外に出る。
暗がりに長くいたからだろう、日ざしがとてもきつく感じる。
青すぎる空に石は白く照り返す。
まわりは全て乾いている。
嘆きの壁が、最初に見た時と少し違って見えた。
この壁はかつては何だったのだろう。
今とは違うかつてのその時間を想像した。

日本に戻ってきてからはそれまであまり興味がなかった
イスラエル近辺の事件が妙に気になるようになった。
イスラエルとパレスチナの混迷は溶けていないように思える。
どこに希望を見い出すべきなのだろうか。
宗教は、本来は人を救うべきものであると思う。
しかし、契約によって成り立つ関係は、時に他者の存在を
激しく否定せねばならない時があるようだ。
寛容とは、ほど遠いものなのだろうか。
かつての偉人は現在をどう見ているのだろうか。
それとも現在に至るまでに、彼らの言葉は
変えられてしまったのか。

嘆きの壁はいつの日か、融和の壁に変わることはないのだろうか。



                     02.09.07 竹中アシュ

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創刊日:2002-01-27  
最終発行日:  
発行周期:ときどき  
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