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建築所感

世界のあちこちで見てきた建築を勝手に書きつづります。第一回はビルバオグッゲンハイム。ネタのある限り続けます。

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建築所感19<システィーナ礼拝堂>

2002/05/17

建築所感19<システィーナ礼拝堂>

名称:Cappella Sistina
場所:イタリア バチカン市内
   Citta del Vaticano Italia 
設計:ミケランジェロ ボナロッティ(天井画および壁画)他
   Michelangelo Buonarroti
建設年代:1508-1512(ミケランジェロの絵画作成時期)
用途:礼拝堂


ミケランジェロ。
さあ、どうやって書こか。


初めてシスティーナ礼拝堂に入った時の驚きは忘れられない。
入ったとたんに天井を埋め尽くす絵、絵、絵。
これを1人で書いたのか?
どうやってそこまで出来るんだ?
いつだ?500年も昔?コピー機なんてあるわけじゃないよなあ。
どうやってあんなでかい人物を書くことが出来るんだ?
しかも天井だろ?紙か何かを貼ってあるんじゃないし、
ぞれだったらずっと天井を見て書いてたのか?マジかよ。
だいたいここ広いよ。どんくらいあんのかなあ。
しかしよお、礼拝堂の一番大切であろう正面の真ん真上に
でかいコカンを持って来るってのは大胆だよな。
けっこうユーモアってゆうか内面の反抗心あったのかもしれないな、このオヤジ。


外っかわの人たちはみんな本か巻き物を持ってるな、聖書かな。
よくこれだけのポーズを考え付いて書き上げたもんだ。
よく見れば、なんだか見たことのあるようなのもあるな。
あの人さし指と指をつなげようとしてるのはETでもあったじゃん。
みんなこういうとこからパクッてるのかなあ。
いやあ、見てるだけでも疲れてくるよ。
立ちっぱなしでずっと上を見てるのってけっこう疲れる。
縁の方に行くと椅子があるんだけど、みんな座ってて空いてるとこって
ないなあ。
壁の方にも絵があるけど、これはミケランジェロじゃないだろうな。
なんか、雰囲気がぜんぜん違う。
もちろん、けっこう有名だったりする人なんだろうけど、
なんてゆうか、差があるなあ。
色もあざやかじゃん、昔の絵なのに陰気くさい気がしない。
原色って、人を生き生きとさせるのかもなあ。
あの女の人の表情いいなあ。
そう、表情だよな。
ことばはここにはないのだけど感情みたいなものが
こちらまで伝わってくる。
驚きとか、以心伝心とか、考えとか、余裕とか。
みんな動いてるなあ、腰のあたりひねってる。
しかし、なんでイタリアはどこもかしこも修理中なんだろね。
まあ、天井だけでも拝めただけでいいか。


しかしどういうふうに修理してんのかな?
わかんないけど神経使うだろうなあ。
1つしかないものだし、すんごい古いものだし。
イタリア人って気が長いのかもなあ。
地道な作業だと思うけど、それが認められるのっていいじゃん。
あの防護幕の向こうの”最後の審判”が見られるのは
いつなんだろ。何年かかってるのかなあ。
実際の絵を書いてた時間の方が、もしかして短いんじゃないかな?
いや、きっとそうだろう。
でも現代の人でここまで出来る人っているだろうか?
現代美術ってみんななんだか感情そのままなのか、
ぐちゃぐちゃだったり線と面だったりコピーだったりじゃん。
ここまで人のからだかたちを組み合わせに組み合わせて描ききれる能力の
ある人っているかなあ。
でも、それも違うかな、もしもこの人が現代にいたら全然違う方法で
表現してたかもしれないな。
たぶんその時代の中で自分の出来得る限りのことをやったんだろう。
苦痛だったのかもしれない、いや大苦痛、大労働だっただろう。
でもそれだけでここまで描いた訳でもないだろうな。
わかんないけど”ちくしょう、見てろよー”みたいな感情が
どこかにあったんじゃないかな。それとも宗教心かなあ。
しかし観光客、多いよなあ、でもわかるわ、こんだけ人が集まるのも。


というのが第一回目のごたいめんであった。
これを見るまでミケランジェロという名前は知っていても、
なんかよくわからないが現代の
ヨーロッパかどこかの建築家だろうと思っていた。
これを見てからあちこちにミケランジェロの作品を見に行くようになった。
建築に限らず、絵も彫刻も文章もスケッチも、全てが興味の対象になった。


違いって何だろうと思う。
このシスティーナでいえば天井のミケランジェロの絵と
壁に描かれた他の人が描いた絵だ。
どっちも平面に絵の具か塗料かを使って描かれたものだ。
天井か壁かという点は違うけど、物質的にはさほど異なることはない。
人物が描かれていることも共通する。
ただ、何かはよくわからないけど、人を魅了するという点で
大きな差が出ている。
壁の絵の方がずっといい、って言う人だっていると思う。
それはそれでいい。
私はその他大勢の大衆の中の1人である。
違いのわからない男であるが、最初の出会いは思いの他重大な
キーポイントであるような気がする。
前回のスカルパの時の出会いはささやかであった。
今回はその全く逆で圧倒である。
ただ、ささやかにしろ圧倒にしろ、
その後もおつきあいがあるかどうかで自分の中でも評価が違ってくる。
圧倒されてもそれ一回だけで終わっちゃったみたいなこともあったし。


再度システィーナに訪れた時は、正面の”最後の審判”も修復が終わっていた。
この時には多少の予備知識もあった。
もちろん天井の絵も見た。くまなく見た。
そこには前回の感動はなかったが、
さらにこの人が何を考えていたのか知りたいと思った。
追いつける訳ではないが、その天井を見上げて
スケッチブックにデッサンをした。
絵が、すごくていねいに見えた。
やさしさ、なんて言葉は使いたくないが、慈愛にあふれている。
筋肉は彼の主たる表現だが、力強さだけではないのだ。
ここには大きな足場があったであろう、人はほとんどいなかったであろう。
音はどうだったであろうか、鳥の鳴き声くらいは聞こえたか、
雨足は彼にどう聞こえただろう、絵の具の乾き具合が気になったであろうか。
天井の絵の具は何度も垂れてきて目に入ったのだという。
ずっと上を向いているという不自然な恰好のため、常に体が痛かったのだという。
足場からおっこちてしまったこともあるという。
文句をつけに来た奴もいたという。
幾多の無数の果てしない、想像を絶する困難があったのだと思う。
彼は人の驚く顔を知っていたのだろうか、
自分の、個の力を信じていたのだろうか。
そうあってほしい。
たったひとりの人間がここまでできるのか、
システィーナ礼拝堂が与える感動は神だけのものではない。


                  02.05.18 竹中アシュ

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創刊日:2002-01-27  
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