建築

建築所感

世界のあちこちで見てきた建築を勝手に書きつづります。第一回はビルバオグッゲンハイム。ネタのある限り続けます。

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建築所感017<結晶のいろ>

2002/04/30

建築所感017<結晶のいろ>

いつか書いたが、建築はどんなにすぐれたものでも
どんなに面白いものでも、
そんなこととはお構いなしに壊されてしまうことがある。
価値感は人それぞれだし、
仕方がないものなんだろうけど、
かたちあるものの運命といえば、ああそれまで。
高崎正治氏設計の<結晶のいろ>は一度も使われることなく
壊されることになった非運の建築である。

場所は原宿の表参道を少し入ったところ。
モリハナエビルとは反対の方向になる。
もちろん、今はない。
コンクリート造の3階建。
出来たその当初はかなりの話題の作であったと
同時に高崎さんの出世作でもあったと思う。
およそ今から14年くらい前の事だ。
他になぞらえることの難しい異色の作品であった。
その時の新建築では表紙扱いされていたが、
息を飲むような、わくわくとした建物であった。

角地に建つ建築であったが、目立ったのは大きなたまごであった。
大きさは正確にはわからないが、やはり階高にして3層分のたまごが
でーんと街角に鎮座し、周囲を圧倒していた。
ビルバオの街に対しての効果を以前に書いたが
それとも同じで、このたまごの存在で周囲の街のいろが
変わってしまうんじゃないかと思うくらい、
そのたまごの存在は大きかった。
そこからひらひらとしたラインが流れて、
それがデザインであると同時に窓を作ったり、
あるいはスラブの存在を忘れさせるような
見事なしくみになっていた。

これだけの建物である。当然外から見ているだけでは飽き足らず、
中を見たくなる。
場所も場所なので何度かその外観を見に行くことがあった。
しかし建築は疾に出来ていたようにもかかわらず、
一向にオープンする気配がない。
どうしたことだろうか?

その当時のうわさによれば、消防法にひっかかって、
せっかく出来上がったのに使用の許可が降りないということであった。
どうなるんだろう、という疑問とともに
なんとか中を見ることは出来ないだろうか、と考えていた。

そんな時に私の友達がひょいと言ったものである。”中、見たよ〜”
???
どーしてどーやって?誰か知り合いでもいたの?
いーなー、オレも見に行きたいんだけどさー。

友は言った。
”よじのぼったら、中、入れるんだよねー”

その一言で、その当時の仲間と不法進入を決行することに決めた。
昼は人目がはばかられるので、もちろん夜だ。

外の入口は全て閉まっていたのだが、よく観察すれば、確かに
よじ登れば入れそうなところがあった。
しーずかに、しーずかに行動する。
積もったホコリの感触が手にあった。
ズボンによごれが付きながら
使われていないという事をあらためて悟る。

内部に入って息を飲んだ。
そこには中庭があった。
植栽に埋もれた中庭を取り囲むようにして建築は在る。
外部のひらひらを連想させるようなその外壁はさらに深みを増して
建築という生き物の内部のようだ。
空には花の輪郭をかたちどったような鉄の枠が
植栽を取り囲んで浮いている。
しばしの絶句であった。
小声で”すごいねー””すごいよねー”

中庭の方からは開いている扉もあって、内部にも入ることが出来た。
扉がすごい。
なんだかすごい、というか、
普通のかっこをしていない。
何かの一部がそのまま扉になってしまったような、
扉であって扉でないシロモノであった。
中からは、中庭と外の道路との両方を伺うことができた。
それにしても一体何になる予定だったんだろう。
ブティックにしてはガラスの面積が少ないようだし、
オフィスかなあ。

内部を堪能して、外に出た。
再びよじ登って外に出た。
へー、これ、すっごいよ。
よく作ったよなー。
そうなのだ、ほとんどが曲線から出来たこの建物は
どうやって作ったんだろう、と言えるくらいのすごい建物だったのだ。
あんまりそこにいると怪しまれそうなので
その場はすぐにズラかった。

私はその後も何度かこの建物を訪れた。
ある時は昼に建物をよじ登って入ったが、
光がとても美しかった。
ひとりでそういう場所を占有しているというのが
惜しいくらい。
かたちで埋め尽くされているのだけど
かたちがうるさくない。
白と銀を中心にした色使いだからだろうか。
重くない。

オープンする動きというのはその後もなかった。
せっかくここまで作り上げたというのに何故なんだろう。
法規とはそんなに厳しいものなのか、
というか、どこかを補修するなりして使うことも出来ないんだろか?
それじゃあダメなのかなあ、ダメなんだろうなあ。
あるいは構造的に不可能な何かがあるのかな。
建築は使われることを待っていたかのようだったが、
決別の日は不意に訪れる。
私には事前に予告もなく(当り前だが)
解体は始まっていた。

でっかいショベルカーやら、ダンプやらがわらわらと集まって
その建物を壊してた。
建物を壊す機械って、なんだか恐い。
壊してる人だって仕事でやってる訳だし、申し訳ないんだけど、
やっぱり恐い。これはこの結晶のいろに限った事ではない。
と同時に私の個人的感覚である。

例の大きなたまごの前にはお線香とお花が添えられていた。
扱いはまるで生き物だ。
しかしそれだけの、それ以上の気合いが投げ込まれて
この建築が出来上がっていたのは私でもよくわかった。

建築とは人生そのものであると言ったのはFLライトであったか。
人生そのものであったからこそ、
手向けの花もあったのであろう。
存在とははかないものなのか、
あるいははかなく消えるものだからこそ
記憶に美しいのか。
設計した者の想像力は現実を超える。
結晶のいろはすでにまぼろしとなりながらも
その姿を見たものの記憶に根強く残っていると思う。

                  02.04.30 竹中アシュ


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創刊日:2002-01-27  
最終発行日:  
発行周期:ときどき  
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