文学

ほうれん草の記

ほうれん草、ゆであがりましたよ!みんなで楽しく食べましょう。世界の平和を守って。これは、私の小説です。

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洋子のエッセイ集

2002/12/26

      「ほうれん草の記」  第18回
     
      学歴
 
 現代は学歴社会などというけれど、私はそんなことはないと思う。
 戦前の学歴社会のものすごさに比べたら、勉強さえすれば誰でも大学に行ける現代は、自由でおおらかなものだと思う。
 タリバンの支配していた当時のアフガニスタンでは、女の子は学校へ行けなかった。
 しかし、戦前の日本は、タリバンの国ではないから、女子教育はされていた。
 当時、女子は大学に行けなかったことになっている。
 戦前の「女子大」は、大学ではない。
 しかし、それが、私が母に聞いたところでは、一つだけ抜け道があったらしい。
 高等師範というのは、中学校、女学校、師範学校の教師を養成するところで、男子校が東京と広島に1校ずつ、女子校が東京と奈良に1校ずつあった。
 もちろん、これらは大学ではない。
 その高等師範4校の卒業生達が進むことのできる大学、それが文理大学とか、文理科大学とかいうところだった。
 つまり、女子高等師範を出た女性は、入試に合格さえすれば、この大学に行くことができた。
 これが、抜け道。
 母の友人達の中には、この大学で知り合って、結婚し、ともに教師をしてきたカップルもいたようだ。
 戦後、文理大学は、教育大学になり、その後、筑波大学になる。
 私の母は、その東京女子高等師範(現お茶の水女子大学)を出ているが、もちろん、文理大学には行っていない。
 父は、京都帝国大学を出ている。「京都大学」ではない、戦前は「京都帝国大学」と言ったのだ。
 だいたい、この名の示す通り、これは大変な階級制の社会で、戦後の平等社会とは、根本的に違う。
 小学校の教師を養成する師範学校と、前述の高等師範、これは1ランク上というようなものではなく、天と地ほどの違いがあった。
 そして、高等師範と帝国大学、これも、天と地ほどの違い。
 階級社会であるから、誰でも学歴を身につけられるものではなく、特定の者しか行けない。
 戦後になったのに、学歴第一主義の母に苦しめられた私の人生の根が、そこにある。
 父の方は、比較的自由な考えの持ち主だった。
 京都帝国大学という名は恐ろしくても、そこには「大学の自治」というものがあった。
 戦後の学生運動の活動家達は、この「大学の自治」とは何なのか、何一つ理解していないが、「大学の自治」とは、いかに権力者が横暴でも、学生達には真実を教える、という教授達の抵抗であった。
 この自治は、高等師範などには、認められていない。
 そこから、父の真実を教えられた者の自由さと、そんなものは知らない母の頑固さが、由来する。
 母が、大学、大学と言うから、娘の私は、大学に行ったら、それも人のうらやむいわゆる「一流大学」へ行ったら、なにか良いことがあるかな、と思った。で、がんばって受験勉強して、合格した。
 そこはどこですか、と聞かれるなら、名前は、東京外国語大学、と言います。
 そこは、女子学生が多くて、半数は女子だった。
 しかし、やがて、私は、現実を知ってしまう。ここの大学を出ても、女子学生には、就職口がない。
 誰も知らないかもしれないが、ここは、「教養のある、賢い主婦」を作る大学だった。
 現実を知った私は、まだ20歳そこそこだった。若いのだ。
 こんな大学は止めよう、やめて、就職できる道を探そう、と思った私に襲いかかってきたのが、まるで洪水のような母の涙だった。
 母が、泣いて、泣いて、泣いて、泣きじゃくる。
「お願い。お願いだから、大学だけは出てちょうだい、ね、ね、お願い」
 泣きわめく母は、手の付けようがない。
「ママ、この大学を出たって、女は就職なんかできないのよ」
 いくら説明しても、
「そんなことはありません。ぜったいにそんなことはありません。ママくらいの年になれば、わかる。必ず、わかる。お願い、ママの一生の頼みを聞いてちょうだい」
 で、親孝行な娘は、あきらめるしかない。
「ママくらいの年になれば、きっとわかる」と言われて、私はその時の母よりも、もう少し年をとった。
 私は、自分の母親を、バカだと思っている。
 人は、東京外語を出てキャリアウーマンをしている女性を知っていますよ、などと言うかもしれない。
 しかし、それは、その人の、堅く閉ざされた扉を、自分一人の力でこじあけて、命がけで戦ってきた人生なのだ。
 戦前の学歴社会をひきずって生きてきた母の人生。そして、その母の言うことをよく聞く「良い子」の私。
 今はもうその母も亡く、私だって、この40年間弱、専業主婦ばかりをやってきたわけではないから、天国の母は、「ほら、わかったでしょ」などと言うかもしれない。
 それでも、私は、もう一度、人生をやり直したい。できることなら、もう一度、あの20歳の時に、帰りたい。

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創刊日:2002-01-27  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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