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AC通信 No.736

2019/04/24

AC通信:No.736 Andy Chang (2019/04/24)
AC論説 No.736 日本語は私と台湾の架け橋


 台中の喜早天海さんからメールが来て、今年一月の忘年会を最後に
「台日会」(台日交流聯誼会)を解散することになった、以後は食事
会だけとすることにしたとのことだった。「台日会」は1999年10月に
喜早天海さんが世話人となって立ち上げた「台中会」(台湾中部地区
聯誼会)を2005年に「台日会」に変えた日本語世代と日本人の聯誼会
である。つまり喜早さんはこの20年来、台湾中部における台湾人日本
語世代と在台日本人、及び在日湾生(台湾生まれ日本人)の聯誼会
の発起人、世話人である。20年にわたる台湾と日本の架け橋、まこと
にご苦労様でした。

1945年に太平洋戦争が終わってから74年たって台湾人の日本語世代が
少なくなり会員も減ってしまったので台日会の解散は当然の成り行き
だった。日本語世代とは戦争が終わるまで日本語教育を受けた人たち
のことである。戦争前に台湾に生まれ、ある程度の日本語教育を受け
た世代は昭和一桁までである。日本語を聞いてわかる、話せる、書け
るという三階段を自在にこなせる世代とは少なくとも終戦までに中学
3年ぐらいの日本語教育をうけた人達のことだから90歳前後で、今で
はほとんど居なくなった。

私は昭和9年、つまり昭和一桁最後の年に台湾嘉義市に生まれた。旭
小学校で四年まで日本語教育を受けたことになっているが実際には四
年に上がってまもなくアメリカの飛行機が毎日のように爆弾を落とす
ようになったので二学期が始まるとまもなく田舎に疎開した。つまり
私が正式に受けた日本語教育は小学校三年プラス一学期だけである。
戦争が終わって中学、大学と中国語の教育を受け、一年半の兵役のあ
と1959年に24歳でアメリカに留学し、博士号を取得した後就職してア
メリカに帰化した。それから2019年の今日まで60年余りアメリカで暮
らしている。台湾に生まれて24年、アメリカで60年、日本に住んだこ
とはない。それでも私の母語は日本語で、日本語のお蔭で台湾との繋
がりが続いている。

60年もアメリカに住んでアメリカで仕事をしていた約40年間は台湾の
父母が健在だったが、父母が亡くなり、アメリカの職を引いた後の20
年は個人的な台湾と繋がりである。アメリカに住んでいながら台湾と
の繋がりがあったのは、一つには台北俳句会に加入したこと、もう一
つは日本のメルマガでAC通信を立ち上げて日本語で記事を書き、日本
語世代の先達が記事をコピーして友人に送ったり、宮崎正弘さん、
渡邊亮次郎さん、金谷譲さんなどがそれぞれのブログに転載してくれ
たおかげで台湾と日本の読者や友人が増えた。つまり台北俳句会と
AC通信で書き続けたおかげ、日本語が私と台湾、私と日本の架け橋と
なったのである。アメリカで英語で暮らしている私が日本語の物書き
となったおかげで日本や台湾に友人知人がたくさん出来たのは誠に
不思議な縁と言える。

 台北俳句会に入会したのはひょんな出来事からだった。中学の先輩
で私と兄弟付き合いをしていた陳錫恭さんが台北俳句会で披講役をし
ていて、ときどき句会報を送ってくれるので、92年の夏に私が「台北
俳句、みんなうまくなった。以前はオレの方が…と思っていたのが、
やがてオレだって…となり、今ではオレよりも…となった」と冗談
メールを送ったところ、錫恭さんが「生意気なことを言うな。それな
ら自分でやってみろ」と言って無理やり入会させられ、アメリカから
台北俳句会にファックスで投句していたのである。

 それから間もなく母がボケて、父も白内障と難聴で日常生活が困難
になったので兄弟に助けを求めた。ところが日本の兄弟たちいろいろ
口実をつけて親の世話をしないので仕方なく私が引退してアメリカと
台湾を行き来して親の世話をすることになった。こうして俳句会に出
席する機会もあるようになり友人も増えた。俳句会で仲良くなった陳
蘭美さんは新竹高女の出身で、96年ごろに彼女の同窓生だった台中の
鄭順娘さんを紹介された。鄭さんは有名な台中県霧峰の林献堂氏の後
裔で、社会奉仕に熱心な方で画家でもある。順娘さんのお宅を訪問す
るようになったお陰で喜早さんと知り合ったのは98年ごろである。劉
丕さんとも仲良くなってときどき鄭順娘さんのところで一緒になって
いた。

 父母の世話をしていた頃はまだパソコンの日本語ソフトが普及して
いなかったので、ワープロで「フライディ・ランチクラブ」を書き、
1996年に日本の新風舎で出版した。このあと兄弟のあまりにもひどい
親不孝を書き綴った「不孝のカルテ」を1999年に東京図書出版会から
出版した。

 2000年になってパソコンでメールマガジンを発行するようになり、
メール通信で私の記事を読んだ神保隆見さんに誘われて、神保さんと
田中宇と私の三人でMicrosoft Magazineに「国際通信」を立ち上げた
が数か月で解散になったので、Melma!から私個人の「AC通信」を立ち
上げ今日で19年目になる。AC通信に登録した読者は今では805人だが、
「宮崎正弘の国際ニュース」と渡邊亮次郎氏のメイ ル・マガジン
「頂門の一針」が私の記事を転載してくれるので日本の読者は多い。
以前は金谷譲氏も転載していたが最近の事情は知らない。他にも二
三、転載許可を求めた来たブログがあったが転載は自由なので確かな
読者数は知らない。

 台湾の日本語世代はパソコンが出来ない人が多いので台北の「友愛
会」の張文芳主宰が「AC通信」をコピーして頒布していた。友愛会の
ほかに品川淳さんがパソコンを指導した台中一中の先輩たちと知り合い、
親しく付き合っていたが今ではみんな亡くなった。日本語世代は台湾
にもアメリカにもいるのでAC通信のお蔭で友人がずいぶん増えた。日本
語は私と台湾と日本の架け橋なのだ。日本語世代の人たちが記事をコ
ピーして友人に分けているので知らない読者も多い。

 AC通信を始めた2000年はちょうど陳水扁が台湾総統に当選して新政
権を始めたばかりだったが、国民党の陳水扁政権に対する迫害があま
りにも酷いので、台湾丸の沈没?」シリーズを書き始めた。このシリ
ーズが日本と台湾で非常に受
けて、読者から中国語で書けと言われるようになった。私には日本語
で書く方が早いし中国語のワープロが複雑で不便である。それでもな
んとか中国語の手書きワープロで翻訳して「台湾号会沈没?」を前衛
出版社から出したのが2002年。続けて日本語の記事「ガンバレ台湾丸」
を翻訳して2004年に「台湾号加油!」を発表した。日本語版に続けて
中国語版を作る作業は二重の労苦である。

 2004年に陳水扁の第二回総統選挙で狙撃事件が起きた。もちろん国
民党の陰謀だが、国民党はこれを陳水扁の自作自演の陰謀と言い張っ
て大々的なでっち上げ調査を行ったので、国民党の嘘を暴くためAC通
信で狙撃事件を追及し、2005年に前衛出版社から「連宋之乱的真相」
を出版した。これに続けて「台湾丸の難航」
(日本語)と「台湾号的難航」(中国語)を2005年、「台湾丸的航向
(台湾丸の針路)」を2009年に発行した。メルマガの「台湾丸」記事
を中国語に訳して台湾で発行する仕事は2009年限りで止めた。

 台湾丸シリーズの外に私が国民党の汚職の真相を追求した事件がラ
ファイェット事件である。1987年に台湾の海軍がフランスからラファ
イェット型巡洋艦を6隻購入する計画を立てたが、同じ巡洋艦6隻をシ
ンガポール海軍が12.5億ドルで購入したのに、台湾の中華民国海軍は
予算をどんどん追加して最終的に26億ドル余で契約し、おまけに18%
のリベートと言うとんでもない契約である。ところが契約を結んだ直
後に中国が抗議し反対したのでフランス政府は販売を一時中止し、
デュマ外相がラファイェットの設計図を中国に「進呈」したあと、
台湾の海軍は巡洋艦の武器系統全部を中国に献上し、空になった船の
武器装備のために新たに20億ドルの武器購買予算を組んだのである。
12.5億ドルから26億ドルに膨れ上がった予算のうち13億ドルを台湾海
軍、フランスと中国の三国で分けたのである。新しい武器購買のため
にフランスに赴いた尹清楓海軍大佐が台湾海軍のとんでもない汚職の
事実を発見し、告発しようとして93年12月に殺害された。これがラフ
ァイェット疑獄である。

 ラファイェット疑獄は海軍のチンパン(青幇)と竹聯幇が中国と繋
がっているので、調査が進むと台湾では尹清楓大佐の外に12人ほどの
関係者が不審死を遂げたし、フランスでも関係者12人ほどが不審死を
遂げている。私はAC通信で2005年12月年から2006年12月までラファイ
ェット疑獄を追及し、まとめて「拉法葉弊案的研究」を2006年に出版
した。続いて2008年にはラファイェット疑獄のスライドを作って台北
の楊基詮中心で台湾語で講演、友愛会で日本語の講演をしたあと日本
に赴き靖国会館で日本語、東京の外人記者クラブで英語の講演を行った。
日本での講演は宮崎正弘先生と東海子さんのお世話になった。

 日本と台湾の繋がりはアメリカでもいろいろな会合を作って行われた。
2003年ごろからロスアンゼルスの台湾人十数人と「南加州台湾会」を立
ち上げ、定期的に会合があった。当時の台湾問題についてスライドを
作り、年に3回ほど台湾に行き、台北の楊基詮中心、新竹や台中、嘉義
などで講演していた。また、台湾人の会合とは別にロス在住の日本人
と台湾人数人で「緑の会」を作り、台湾の現状
や独立問題について講演会を開いていたが2011年に解散した。

 台湾独立宣言については有名な1964年に有名な彭明敏の「台湾自救
運動宣言」がある。これは台湾独立運動の重要な文献で彭明敏、謝
聰敏、魏廷朝の三人がコピーを作成した時点で逮捕された。私はこの
独立宣言を読んだあと、2009年9月に南加州台湾会で「彭明敏の独立
宣言は台湾人に向けて書かれたものだが、台湾人が外国に向けて書い
た宣言ではない。よって我々が外国に向けた独立宣言を発表したら
どうだろう」と提案したところ全員が大賛成、我われの宣言を作るこ
とになった。これで12人が原稿作りを始めたが、10月に私が英語、
日本語、中国語の原稿を作成したが、もう一つの原稿は外国向けと
台湾向けの内容となり、私の「外国向け宣言」とその他の「外国と
台湾人民向け」の二つの原稿で論争が起きた。

 2010年4月に二つの原稿を台湾に持ち帰って鄭自才氏と二人で6箇所
ほどの団体を訪問して意見を聞いて回ったところ、台湾の諸団体は
みな「台湾向けの独立主張は我われがやっている」と言い、「外国
向け宣言」に賛成だった。この結果をアメリカに持ち帰って報告し
たが賛成を得ることが出来なかったので、やむなく私が一人で資金
を集め、2010年7月10日にニューヨークタイムスで「台湾人民独立
宣言」を発表した。この発表は親友の郭さん、林さん、呉さんの援
助で発表したのである。このように台湾人には独立願望があるにも
拘らず意見がなかなか纏まらないのが実情である。

 台湾独立は政府に頼ることが出来ない。今の台湾政府は中華民国
政府で台湾国政府ではない。人民団体は意見がまとまらず実践行動
が少ない。中国の金銭と武力外交によって台湾とが外交関係のある
国はどんどん減っていく。政府がやらないなら国民外交をやるべき
だが意見が一致しない。

 2011年に私が「東南アジア平和聯盟」(PASEA:Peace Assosiation
 of SouthEast Asia)を提案し、南加州台湾会では全員賛成だった。
PASEAはマハティールが提案したASEAN、2012年に安倍首相が提案し
たダイアモンド構想と同じだが、違うのは台湾の民間団体が主導し
て行うことである。ところが台湾で幾つかの民間団体にPASEAを説明
したら誰も賛成しなかった。台湾の民間団体は国民外交に興味が
なく政府もやらない。これでは国際的に孤立した台湾の状況を改善
できない。私の提案も机上の空論となった。

 思いつくままこの20年間の私と台湾の繋がりを書いてみた。この
20年のあいだAC通信を通じていろいろな人と知り合い、いろいろな
人に大変お世話になった。
感謝の心でいっぱいである。

 室生犀星は「ふるさとは遠くにありて思ふもの、そして悲しくうたふ
もの」と書き、「よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰ると
ころにあるまじや」
と続けた。そうだろうか?

 私にとって「骨は異郷に朽ちるとも、こころは故郷台湾に」である。
遠くカリフォルニアに居ても台湾を思うこころは変わらない。
私と台湾の架け橋は日本語であることにも変わりはない。
台北俳句会は続けるし、AC通信も可能な限り続ける。

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  • 名無しさん2019/04/25

    2002年以降、合計6年間台湾に駐在しその頃AC通信を愛読していましたが、その後は日本帰国、中国駐在を経てPCも何台も更新した所以か?いつの間にか勝手に?解除されてしまったようです。先月から登録復活しましたが、来月から台湾に住むことに決めたのと同時期でやはり何がしかのご縁があったのかと思っています。母と同年のAndy陳さんにはまだまだお元気でご活躍されることをお祈りしています。

  • 名無しさん2019/04/25

    台湾人の日本語世代の人達は段々少なくなっていきます。貴方の記事を読める人も少ないでしょう。Keep the good work!!

  • 名無しさん2019/04/25

    かれこれ10年くらい読ませて頂いております。ラファイエット事件は宮崎正弘さんのメルマガで知りましたが、アンディさんの元記事だったんですね。

    台湾の事情についての日本語での記事は少ないと思いますので、これからも期待しております。

  • 名無しさん2019/04/25

    頂門の一針、毎日楽しみにしています!

    AC論説 No.736 日本語は私と台湾の架け橋

    Andyさんと連絡したいがメールアドレスがしりたい。私のアドレスtosasa@hotmail.com

  • 名無しさん2019/04/24

    AC通信長く拝読しております。今回のメルマガは日本語教育世代のAndyさんの日本語愛が伝わってきて感銘を受けました。私は日本人ですが、いろんな国に住んできて、今はインドに住んでます。このメルマガをアメリカで、欧州で、中国で、シンガポールで愛読してきました。今後もお元気で続けていただけると嬉しいです。