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AC通信 No.192

2007/01/03

[AC通信:No.192] (2007/01/02)
[AC論説]No.192 歴史の曲がり角(1):
カイロ公報の法的拘束力 

安部政権が2006年10月訪中を契機にして日中の歴史共同研究が始ま
り、初会合が12月26−27日北京で開催された。日本側の委員は古代・
中近世史および近現代史の学者であるのに対し、中国側の委員はほとん
どが近代史の学者、または政府の研究所長など、北京共産党政権傘下
の者ばかりで、「真実追究」というより、近代史、ことにシナ事変以降の近
代史の解釈について日本に中国側の解釈を押し付けるようなものでしか
ない。

中国人は過去の歴史を研究するようなことはしない。歴史を見直すとは、
書き直すことだが、できるのは歴史を自国に有利なように書き直して他人
に押し付けることだけである。元来、事実は一つでもその解釈は国家・民
族等で異なるものであり、共通の認識はありえない。つまり、研究会と名づ
けても実際は日本側の「歴史を見直す」立場を離れて「見直せ」と強要す
るのが中国側の本意である。

たとえ学術的な立場から始めた歴史の討論でも政治的に利用されて「歴
史の曲がり角」を曲がってしまえば取り返しがつかなくなる。殊に相手が中
国では尚更のことで、中国人は4千年以来、政権を取れば歴史を改竄し
てきたのである。これが中国人の本来の姿なのに、なぜ好んで相手の術
中に陥るような研究会などをはじめるのか。

戦後の国際交渉でも日本は中国の勝手な主張を受け入れて、後で訂正
が難しくなった経緯がある。この際「歴史の曲がり角」を何回かに分けて書
いてみたい。冒頭に上げるものはカイロ宣言(公報)のことである。

●カイロ宣言とカイロ公報

12月12日に書いた「AC論説 No.189:中国は台湾主権の権原を持たな
い」でカイロ公報の公的拘束力について触れたが、シアトルの下井さんか
らメールがあり、「カイロ宣言は日本国国会図書館の文書に12月1日に
署名された、と書いてある」と伝えてきた。カイロ会議は27日に完了して、
12月1日に発表されたのは新聞報道に過ぎない。国会図書館が書き直
すべき箇所である。日本の外務省も同じ間違いを犯して中国側の主張を
受入れたのである。

日本の国立国会図書館の部分を引用する:
対日方針を協議するため1943(昭和18)年11月22日からエジプトのカイ
ロで開催された米英中首脳会談を受けて、同月27日、フランクリン・ルー
ズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石中国国民政
府主席が署名し、12月1日に発表された「カイロ宣言」。蒋は会談で、ル
ーズベルトの問いに答え、天皇制の存廃に関しては日本国民自身の決
定に委ねるべきだと論じた。米国が起草した宣言案を英国が修正し、日
本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由
と独立などを盛り込んだ宣言が出された。カイロ宣言の対日方針は、その
後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
(引用終わり)

国会図書館の文書には写真まで添えてあるが、この写真には「署名が入
っていない」。おまけに文書には「カイロコミュニケ(Cairo Communique)」と
文書名までつけてある。つまり、宣言ではなく公報だという証拠が歴然な
のである。更に、1943年のカイロ会談は三巨頭会議とも呼ばれるが、11月
21日から11月27日までの会議で、27日早朝にルーズベルト、チャーチ
ルはテヘランへ出発し、蒋介石と宋美齢は重慶に戻ったのだった。

●ウィキペディアの説明

(引用開始)
カイロ宣言(日本國に關する英、米、華三國宣言)1943年11月27日 カ
イロで署名http://list.room.ne.jp/~lawtext/1943Cairo.html

ポツダム宣言やサンフランシスコ条約に記載されている「カイロ宣言」は、
「公文書」としては存在していないようです。あるのは国際法的拘束力の無
い草案だけとのこと。(三者の合意に至らず採択されなかった)

読書ノートによれば、
http://hajime1940.blog.ocn.ne.jp/hajime/2005/08/30/index.html
「カイロ宣言」は国際条約などではなく、単なる米英中首脳によるプレスリリ
ースであり、「調印」などもされていない。
それゆえに、調印文書など、米英中はおろか、世界のどこを探しても見つ
からない。
調印日とされる昭和18年12月1日、調印当事者であるはずの蒋介石は、
すでにカイロから重慶に戻っていたことが、現存する宋美齢のルーズベル
ト宛の書簡で明らかになっている。
おそらく中国が世界中に流したデマが、一人歩きしたものと考えられる。
このプレスリリースに国際条約を思わせる「宣言」というタイトルはない。た
だ本文冒頭に「声明」とあるだけ。
「調印」したとされるチャーチル英首相は、「カイロ宣言に基づいて台湾を
中国に返還させるべきではないか」との国会での質問に対して、カイロ宣
言なるものは「一般的目的を述べた声明に過ぎない」と説明し、その法的
効果を否定している(昭和30年2月1日)。
カイロ宣言という国際条約は調印されなかった、というのが本当のところな
のである。

●カイロ公報の法的拘束力について

次にGooogleでカイロ宣言のところを調べといろいろな記事が出てくる。こ
の中で詳しいのは沈建徳の研究である。これを見るとカイロ公報が国際法
上、いかなる拘束力も持たないことがわかる。(以下部分引用):

「カイロ宣言は捏造、1972年の日中共同声明の再検証を」
http://www.taiwannation.com.tw/jcairo.htm
統一白書 1993 年8月31日一中白書 2000年2月21日中国總理談話 
2004年 3月14日 中国北京

(1)中国は、カイロ宣言によって台湾は中国に返還されたと強調してお
り、1972年に行われた日本、中国の国交回復に伴い発表された日中共
同声明でも、日本はこれを承認した。中国の主張は、上記の白書で詳細
に述べられている。要点は以下の通り。
 1. 1945年9月2日、日本が署名した降伏文書には、中国、アメリカ、イギ
リスの三カ国がポツダムで発表した宣言条款を受諾したことが明記されて
いる。これは、一般に「ポツダム宣言」と呼ばれている。英語の原稿での名
称は「Potsdam Proclamation」。
 2. ポツダム宣言第8項では、「カイロ宣言の条項は履行され、また、日本
国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小
島に局限される」と規定されている。
 3. カイロ宣言では「満州、台湾、澎湖は中華民国に返還される」ことを承
諾しており、日本はこれを黙認した。

(2)世界のどこにもカイロ宣言を見つけ出すことはできない。世界のどこを
探しても「カイロ宣言」と称する文書を見つけ出すことはできない。このため
ポツダム宣言第8項の「カイロ宣言の条項は履行される」という条文に含ま
れている意味を確定することはできない。 しかし中国は、1943年12月1
日にルーズベルト、チャーチル、蒋介石がカイロで発表したプレスコミュニ
ケがカイロ宣言であり、「満州、台湾、澎湖は中華民国に返還される」こと
を承諾していると指摘している。中国がカイロ宣言を示さない以上、ここ
で、中国が根拠とする偽のカイロ宣言であるプレスコミュニケを検証してみ
ることにする。

(3)偽のカイロ宣言にも、台湾を中国に返すとは述べていない。
1. ミュニケの内容:「満州、台湾、澎湖は中華民国に返還される」という字
句はあるが、標題にはカイロ宣言(the Cairo Declaration)とは書かれてお
らず、新聞公報(Press Communique)とあり、ポツダム宣言で指している
「カイロ宣言」とは一致しない。
2. プレスコミュニケには署名がない:コミュニケの原稿には「満州、台湾、
澎湖は中華民国に返還される」という字句はあるものの、ル ーズベルト、
チャーチル、蒋介石のうち、一人の署名もない。しかしルーズベルト、チャ
ーチル、スターリンはイランで の宣言でいずれも署名している。このことは
二人とも、台湾と澎湖が中華民国に返還されることに「同意していない」こ
とを証明している。
3. プレスコミュニケは三巨頭が発表したものではない:原稿には、その発
表時間、地点が記されていない。しかし中国は、1943 年 12 月1日にカ
イロで発表されたと指摘している。ところが当日、ルーズベルトとチャーチ
ルはテヘランでスターリンと会議を開いている。蒋介石はすでに中国の重
慶に戻っていた。このことは、1943年12月1日に三人の巨頭はいずれも
カイロにはいなかったことを証明している。また、カイロで発表されたプレス
コミュニケの原稿に署名されていないことから、このコミュニケは彼らが発表
したものではないことが証明できる。
4. チャーチルは、カイロ宣言で台湾、澎湖の中華民国への返還を承諾し
たことを否定している:1955年2月1日、チャーチルはイギリス国会での代
表質問に回答した際、カイロ宣言で台湾、澎湖の中華民国へ の返還を
承諾したことを否定した。
5. ルーズベルトとチャーチルは、満州(旅順、大連)の中華民国への返
還をカイロ宣言で承諾したことを否認している:1945年2月11日にルーズ
ベルトとチャーチルはヤルタで密約に署名し、旅順、大連をソ連に譲渡す
ることを承認しており、「カイロ宣言で満州、台湾、澎湖は中華民国に返還
されることを承諾した」という中国の主張を徹底的に否定した。

●二度も中国の詭弁に騙された日本外務省

中国はカイロ宣言を捏造して日本をだました。1972年9月29日に発表さ
れた日中共同声明第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民
共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府
は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣
言第8項に基く立場を堅持する」とある。
日本の外務省はこれにだまされ、「カイロ宣言で満州、台湾、澎湖は中華
民国に返還されたことを声明した。しかし1972年の日中国交回復以降
は、上述の中華民国は中国を指す」と宣言し、台湾は中国の一部である
ことを認定した。
外務省は直ちにこれを改正し、台湾は中国の内政ではなく、中国にへつ
らうために台湾の内政に干渉することをやめるべきである。
(部分引用終わり)

●中国式の歴史改竄

なぜ、すでにグーグルやウィキペディアに書かれているものを引用
するのかというと、戦後60年経ち、多くの人は歴史を知らないし、
パソコンを使って詳しく調べることもしないからである。

その次に大切なのは、日本が中国と合同で歴史を見直す会合を持つ
ことに対する警告である。中国人は歴史を見直すことよりも歴史を
捻じ曲げることに興味があるのだから、このような会合で彼らの手
玉に取られれば取り返しのつかないことになる。日本の学者が、た
とえば南京事件や盧溝橋事件などについていくら証拠を挙げても中
国側がこれを認める可能性は薄い。

その逆に、たとえば日本人の学者が一人でも中国側の主張に「理解を示
す」様なことがあれば、たちまち部分引用されて、ほかの学者にも承認を
強要することになる。他人の主張を勝手に解釈して、少しでも弱みを見せ
ればたちまち居丈高になることは中国人の慣用手段である。歴史の改竄
はこれまでいくらでもあった、毛沢東や蒋介石の過去についてもどれだけ
真実が書かれていただろうか。更に中国人がよく使う手段に「蓋棺論定」と
いう、人が死んでしまってからその人の言論や過去の歴史を勝手に書き
換えてこれを定論とする手法が使われる。このような相手に対して共同研
究をするのは百害あって一利なし、非常に危険である。

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