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AC通信 No.161

2005/12/31

[AC通信:No.161]
◆[AC論説]No. 161 ラファイエット事件(6)(2005/12/31)
           6.証拠隠滅、証人の死

ラファイエット事件とは浮浪者を風呂に入れるようなもので、こすればこするほど垢がでる。それでいて死臭は取れない、真相がわからない。尹清楓の死から海軍は一貫して証拠隠滅を図り、最近まで調査が難航していたのは度重なる国民党の妨害にある。

昨日(2005/12/30)検察総長呉英昭は、凍結された汪伝浦(Andrew Wang)の銀行帳簿から、スイス法廷に対し12月31日までにラファイエットのリベート払い戻しを提訴するのは時間的に不可能としてスイス法廷に延期を申し入れたと報じた。資料の翻訳が遅れているので提訴が遅れるという。なぜ遅れたのかというと、陳政権が選挙前に国民党の妨害に屈服して、スイスから郵送された資料を開封して翻訳作業に入ることを遅らせたからである。

このように、尹清楓が殺害されて以来、証拠隠滅、証人の不可解な死が多発している。この國際スキャンダルの恐ろしさは各国で証人が不可解な死を遂げていることである。國際スキャンダルはたくさんあるが、このような残虐な事件はおそらく類を見ないだろう。今回は証拠隠滅と証人の死を纏めて報道する。

●尹清楓の死から

1993年12月に尹清楓が殺害され、翌日から証拠隠滅は始まっていた。尹清楓の死体は蘇澳の地方検察署で「溺死」と鑑定されたが、その後の三軍總合病院の解剖では肺部に水がないこと、頸部に打撲痕があることから「他殺」に変更された。その後の捜査で尹清楓の居室の壁から資料が発見され、持ち去られたが、この資料が何処にあるかは不明である。尹清楓の秘密録音テープは部分的に消去された痕跡があるが、押収した海軍総局の誰かの仕業である。

また、尹清楓の死をめぐって海軍総局の電話記録を押収したところ、当日の電話記録だけが消去されていた。海軍は機密保持のため、外部からかかってきた会話は全部録音して、記録は30日間保存される規定だったが、「意外にも」消されていたのである。

尹清楓のオフイス、居室などが捜査され、資料が持ち去られた。現在監獄に入っている郭力恆は、調査で資料が押収される前の晩に二つの大きな袋に入った資料を八里海岸で焼却したと同居人の張秋錦が証言した。更に高雄に住む尹清楓の妻のオフイス、住所なども捜査された痕跡がある。

尹清楓の秘書官だった王萬瑩少尉は録音を聞いた証人の一人であるが、彼女は直ちに調査処、軍法局、軍法監獄などに転任させられ、社会面から消えた。彼女の安全保護のためというが、口封じかもしれない。彼女はすでに少佐に昇進したと言われている。

●易海軍中佐、李鎧海軍少将

1994年7月25日、尹清楓の死後、台湾から海外に逃亡した易という姓の海軍中佐は、その後帰国して調査部の尋問に応じるはずだったが、1994年7月25日に三軍総合病院で「マラリアで」急死した。外部では誰かが注射液に毒物を混入したと言う噂もあった。

同年(1994年11月10日)同じく関係者の一人として注目されていた李鎧海軍少将は、金門島の烏邱守備の指揮官寝室で拳銃自殺(?)を遂げた。

●楊以禮の死

1996年11月1日、カナダのモントリオールで楊以禮の死体が発見された。楊以禮は尹清楓の甥(尹の妹の息子)で、マックギル大学に留学中だったが、浴槽に頭を突っ込んだ形で浴槽には電気が入ったままの扇風機が落ちていた。調べでは頸部に打撲傷、右足にも打撲傷があったが、カナダ警察は事故死と判断した。

楊以禮は尹清楓と仲がよく、彼とパリで一緒になったこともあった。一説では尹清楓がラファイエット事件の資料を楊以禮に預けて隠していたとも言う。警察の調査では資料は見つかっていない。

同1996年の年末に台北のフランス銀行の路上で同銀行に勤務する柯姓職員の墜死体が発見された。これは前にも述べた。

●ティエリー・アンボー(Tierry Imbot)

2000年10月10日、パリの高級住宅区でティエリー・アンボーの墜死体が発見された。アンボーはフランス情報局に勤めていたが、1993年に引退した後はコンゴの同済会の仕事をしていたと言う。

アンボーは1991年にアメリカから台北に左遷されたので、喝采作戦の内幕を熟知していたが、1993年に情報局から引退した。2000年にはデュマ等の汚職裁判があって、アンボーは台湾で得た内幕資料を新聞記者に提供する筈だった。死因は「強風に煽られ窓から墜落した」というが、時刻は夜の11時すぎ、アパートには電灯がついていなかった。暗闇で窓を閉めるために窓から落ちたとは思えない。

もう一つの謎はアンボーが死の直前に、銀行に「もしも私が死亡したら、アフリカから送金される7500万アフリカフランの金額を私の帳簿に入金して下さい」と手紙を書いていた(2000年9月29日日付)のである。暗殺されるかも知れぬと知っていたらしい。

●アルベサール(Jean-Claude Albessard)

トムソンのアジア地区代表、アルベサールは尹清楓の死に関与していたと言われている。尹清楓の死の翌日10日、台湾から東京に戻り、その後は台湾を訪問していない。

2000年3月、アルベサールは日本で「癌のため」死亡したと報道された。台湾側の報道によると、オフイスの椅子の下から放射性物質が発見され、放射線の被曝で死亡したらしいという。日本警察の調査発表はなかった。

また、アルベサールとは別件だが、2000年に南アフリカでマネーローンだリングに関与した人物が自動車事故で死亡し、もう一人の関与人物も間もなく自動車事故で死亡したと台湾の新聞は報じた。

●ジャック・モリソン(Jaques Morisson)

2001年5月18日、パリ郊外にあるアパートの5階に住むジャック・モリソン(66歳)がアパートの中庭で墜死体となって発見された。モリソンは電子偵察技術の専門家で、1989年4月にトムソンのエグラン技術顧問と共にラファイエット艦の遊説で台湾を訪問したが、その後高雄に駐留してラファイエットの艤装を手伝っていた。

証言によると、モリソンは技術者で非常に慎重で沈黙寡言だったが、台北から帰国した後は極端な被害恐怖症にかかり、抗鬱剤を服用していたこともあったという。友人に「自分はラファイエット事件の最後の証人だから暗殺される可能性が高い、どこかに隠遁して名前も変えてしまいたい」と洩らしていたそうである。

また、モリソンと一緒に台湾の遊説をしたトムソンの總技術顧問、ピエール・エグラン(Pierre Aigrain)は、2002年10月30日にガルシェ病院(L‘Hopital de Garches)で死亡していたと判明した。死因は自然死となっていて、フランス法廷に喚問されなかった。

●シルバン(Alfred Sirven)

喝采作戦のC線を主宰していたシルバンは、トムソンを告訴したが、トムソンの逆告訴と、ジュネーブに設置した厖大なる違法資金の行方を追及されて1999年にフィリッピンに逃亡した。だが2001年に逮捕、送還されて2003年11月に5年の刑期を言い渡され、直ちに上訴して仮釈放された。報道によると今年2005年2月13日にノルマンディにある自宅で心臓麻痺のため死亡した。

シルバンは2001年に逮捕、送還されて法廷に立ったが、常に「真実を喋れば共和国(フランスのこと)を20回も転覆させる事が出来る」と豪語していた。しかし法廷に立たされた彼は殆ど真実を語らず、事件関係者の名前も出さなかった。

フランス側の調査が進んでいた2000年ごろ、アンボーとモリソンが墜落死体となって発見された事実はいかにも不気味である。フランスで竹聯幇の“見せしめ型”の死が起った、誰がやったのかは不明だが、墜落死、放射性の被曝死、自動車事故死に浴槽で感電死、そのスケールの大きさと台湾海軍、フランス政府などと「秘密組織」の密接な関連を匂わせるものがあり、不気味である。

●台湾側の証人喚問

台湾側の証人喚問はスイスから転送された汪伝浦(Andrew Wang)の銀行口座から黒い金の流れを追及し、それから始めて開始される。冒頭に述べたように資料の翻訳はまだ終っておらず、証人喚問がいつ始まるか不明である。陳政権はラファイエット事件の徹底調査を宣言したが、国民党側の反対圧力が強く、はたしてどれだけの調査結果が出るかはわからない。
(以下次号)■

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創刊日:2001-12-18  
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