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ワシントンAC通信、ガンバレ台湾丸

2002/11/03

[AC通信:No.63(2002/11/2)] Andy Chang (カリフォルニア在住)
◆[ガンバレ台湾丸] 第十五章 尖閣諸島の領有権問題について

10月9日に「尖閣諸島を放棄したのは蒋介石である」という一文を掲載して、
その次の日に台湾へ旅行した。これを書いた理由は李登輝氏が「尖閣諸島は日
本のものだから日本が主権を主張するべきである」と発言したことで李登輝氏
を売国者と攻撃した者がいたからである。続いて二十日、李登輝氏は群策会に
出席して「尖閣諸島は日本に属しており、漁業権は台湾に属しておる、歴史は
明らかにするべきである」と演説し、「売国者」攻撃は増幅した。

28日にアメリカに戻ってみるとインターネットの拙文に対して日本側から3
通の反響があり、このうちに多田恵氏から「香港の抗議船に派遣したのは自衛
隊の艦隻ではなく海上保安庁だった」というご指摘があった。これは筆者の間
違いで、ここに訂正いたします。

もう二通は永山永樹氏と酒井亨氏のもので、「尖閣諸島は台湾に属したことは
なく、琉球に属していた」というご指摘である。尖閣諸島の領有問題は「現在
は日本のもの」であることは明確であるが、昔のことは国の立場に食い違いが
あり、これが意見の相違になっているので、改めて筆者の意見を書いてみたい。
断っておくが筆者の興味は尖閣諸島の領有権が誰に属しているということでは
なく、中立的な立場で史実を検討することにある。

●立場の食い違い

尖閣諸島の問題点を簡単に書いてみると、李登輝の主張、筆者の主張、永山
、酒井氏の主張に違いがあると思われる。

第一は李登輝氏の主張する、「尖閣諸島は日本に属するから、日本は自己の領
有権を明確にして侵入者を処罰すべきだ」ということで、筆者も同意である。
ところが台湾では轟々たる批判の声があがり、李登輝氏を売国者呼ばわりする
ものもあり、さらに多くの台湾人は史実を知らないまま「尖閣諸島は台湾に属
していた」と思っているので李登輝を弁護することもなく、李登輝氏は孤立し
ている。

筆者は李登輝が攻撃されていることを不当と思うからこそ「李登輝の責任を
追及するなら、蒋介石の責任も追及するべきである」と主張しているのである。
これが第二の立場で、尖閣諸島が日本の領地であってもかまわない。しかし、
カイロ会議において蒋介石が尖閣諸島を台湾に編入する機会を与えられて、そ
れを拒絶したことが事実であれば、日本はもう少しのところで尖閣諸島を失う
ところだったのである。これを追求すれば蒋介石の方に焦点が移って李登輝は
攻撃されなくてすむ。

第三の立場は永山氏、酒井氏が主張する「尖閣諸島は『無主の地』だったか
ら、琉球が最初に領有権を主張すればそのまま琉球の土地となる」というもの。
だが後述するように、「琉球処分」と呼ばれる1872年から1896年までの政治
活動は国際的な立場からみて検討の余地もあると思われる。

●尖閣諸島の歴史的帰属

 琉球王国は1609年に島津氏に征服されたが、他方15世紀ごろから清国にも
朝貢していた。琉球国の中山王は降伏したのではなく中国大陸の福建に逃れ、
福州の琉球王府から清の皇帝に琉球王国の奪還を毎年上奏しつづけていたので
ある。これが18年も続いたが、琉球王の客死によって途絶えた。

琉球藩の設置をきめたのが1872年(明治5年)の廃藩置県である。この際、
尖閣諸島が琉球藩に入っていたかどうかは明らかでない。琉球藩は1879年に
沖縄県と改められた。尖閣諸島が正式に沖縄県に編入されたのは1896年の勅
令によるもので1895年ではない。

もともと無人島だった島々であるから、日本が正式に記録してあるといって
も、台湾側に同じような記録がないとも限らない。正確な測量技術を持たない
昔のことで、無人島だから記録があいまいなのは事実であろう。日本が1896
年正式に沖縄県に編入したからといって清朝が抗議するわけがない。なぜなら
清朝は下関条約(馬関条約)によって台湾を割譲したから、台湾と琉球が日本
の領地であれば抗議しようもない。しかし尖閣諸島の割譲が下関条約では明記
されていないことから日本がもともと琉球のものであったと主張してもおかし
くない。これが論点のひとつで、後述するように台湾側(そして中国側)は下
関条約の中に尖閣諸島が「内包」されていると主張しているのである。

宜蘭県誌が存在したかどうかについてアメリカに住んでいる筆者には確かめ
ることはできないが、宜嵐県誌は確かにある。宜蘭県だけではなく、台湾には
古くから各地方の「地方誌」があり、県誌のほかに府誌、「台湾通史」があった
ことも知られている。歴史上台湾は清朝に属していた、そして台湾に魚釣島の
記載があった、それだけの話である。酒井氏は「シナ人の文献を根拠に領土主
張するなら、台湾は独立する資格をうしなってしまう」というが、とんでもな
い暴論である。清朝は中華民国、中華人民共和国とは違う国であり、清朝を滅
ぼして作った中華民国に国境や主権の継承権などありえない、酒井氏の認識不
足である。

また、台湾の行政区域の改定はしばしばあったことで、当時台湾では行政区
を県と称し、その後府、廰、などと変更したこともある。古くは雍正元年(1723)
に行政区域の改正が行われたが、光諸13年(1887)に台湾省を設立して行政
区域の改正が行われたという記録がある。だから尖閣諸島が宜蘭県に所属して
いたという記録はあったかもしれない。琉球と台湾の両者が同時に記録してい
ても驚くこともないだろう。もともと「無主の地」だったから台湾が宜蘭に属
すると書いても、それを琉球王国に通達したわけではない。ただ、記録がある
とすれば日本(1972)に比べて台湾のほうが古い。

記録によると台湾が日本の統治下に入った1895年、台湾では唐景が独宣
言をしたが、新暦の5月30日に日本軍は北部海岸に上陸し、最後に台湾を平
定したのが新暦の10月19日である。明治34年(1901)11月になってからこ
れまでの行政区域であった県を廃止して台湾全土を20廰に分けたが、1909年
に再び行政区域の改正が行われた。筆者が「尖閣諸島を沖縄県の所属としたの
は1910か1911年ごろ」と書いたので酒井氏ははなはだ強烈な反応をしている
が、「沖縄県界」の石碑が建てられたのは明治44年(1911)年のことで、石碑
の写真に年代がある。写真は文芸春秋誌の記事に出ていたと記憶しているが、
日本の写真だから調べればすむことであり、いまでも魚釣島に残っていると思
われる。台湾の記録では1909年に行政区域の改定があったと書かれてあるか
ら、1911年に建立された石碑から、尖閣諸島の所属を台湾から沖縄に移したの
は1910から1911年ごろと推定しただけである。この推定は決して不合理では
ない。なぜなら琉球と台湾の両側に尖閣諸島の領域が記録されていれば、日本
政府としてはどちらかに所属をきめることになるのだ。

●征服された土地の帰属問題

人類の歴史とは征服と奪還の繰り返しである。琉球王国は島津氏に征服され
たが、島津氏は奄美大島を直轄地とし、琉球王国に貢納を課した。しかし中山
王はこれに不服で、福州で病死するまで清朝に奪還を願っていた。つまり琉球
王は日本に帰順していなかったのである。尖閣諸島を琉球の所属としたのは日
本であるが、日本は琉球の領有権でも問題があったのである。歴史はこの一連
の政治過程を「琉球処分」とよび、琉球が正式に滅びたのは1979年とされてい
る(大辞林による)。

その後日本は日清戦争によって台湾・澎湖を割譲された。1910年には日韓併
合、さらに1932年日本は張作霖の割拠する満州を満州事変によって占領して満
州国を作り上げた。これらの土地が問題になったのは日本が第2次大戦に負け
て戦後処理の際になってからである。戦後処理の問題を検討したのがカイロ会
議(1943)だった。大辞林から引用してみると「1943年、ルーズベルト・チャ
ーチル・蒋介石がエジプトのカイロで会談し、日本が侵略によって得た領土の
剥奪、返還、朝鮮の独立など降伏後の領土処理案を示し、日本が無条件降伏す
るまで戦う決意を表明したもの。この内容はポツダム宣言に引き継がれた」と
ある。1870年代から終戦までの日本の「進出」を「侵略」と呼ぶかどうかは異
議もあるだろうが、日本の大辞林にそう書いてある。

●カイロ会議とカイロ宣言

カイロ会議では日本が侵略したとされる土地の処理を討議したが、蒋介石が
在籍したにも拘らず、日本に侵略された土地の返還は「歴史に忠実、住民に忠
実」であったと思われる。すなわち、琉球は琉球王国に返還されるべきである
が、琉球王国はすでに存在しないから、アメリカがこれを一時期だけ信託統治
とし、その後の沖縄住民の意思が明確になってから1972年に日本返還が実現
した。つまり帰属するか独立するかは沖縄住民の意思だった。

似たようなケースは朝鮮王朝であるが、李王朝はもはや存在しないから朝鮮
の独立を認めた。その後国内の政権闘争によって南北朝鮮に分離された。

満州はもともと中華民国の土地であったし、張作霖の死後、後継者の張学良
も中華民国に帰属したから中国返還に異議はなかった。

台湾は清朝に返還すべきだが、清朝はもはや存在しない。蒋介石の中華民国
は清朝を倒して建国したが国境に「継承権」は存在しない。しかし「台湾と中
国大陸の密接な関係は認められる」ところから「日本は台湾の主権を放棄すべ
し」と書いたが、中華民国が台湾に進駐することに反対しなかった。その後サ
ンフランシスコ条約で正式に日本の主権放棄がなされた。

ここで読者の注意を喚起したい点は、蒋介石が在席したカイロ会議で彼は「清
国の土地はすなわち中華民国の土地」と主張していないことである。いまでも
中国人や台湾人は「中国大陸の国土は五千年来、朝代によって引き継がれた」
と教育され、そのように認識しているが、これは誤りであり、国際的には認め
られていない。このことからわかるように国際的見地からみれば、中華民国、
中華人民共和国は台湾の「当然の主権」を持たないのである。台湾の主権は台
湾人にある、それゆえ住民自決で独立を決めることができる。このため台湾の
「外省人」野党が必死になって公民投票法案を潰そうとしているのだ。

興味のあることは、ルーズベルトとチャーチルが蒋介石に尖閣諸島を台湾・
澎湖に入れるかと聞いて、蒋介石が「ノー」と答えたというエピソードである。
もし蒋介石が「イエス」と答えていたらカイロ宣言には「日本は台湾・澎湖・
尖閣諸島の主権を放棄すべし」と書いたかもしれない。蒋介石が「ノー」と答
えたため尖閣諸島は記入されなかった。真相はわからないがもし真剣に調査を
始めたら李登輝を売国奴呼ばわりする人間は一人もなくなる。

このような経緯もあったので、サンフランシスコ条約において日本は尖閣諸
島の主権を放棄していない。そうなれば尖閣諸島は1896年以来、沖縄に属する
土地であるから、アメリカが琉球を信託統治すればアメリカの統治下に置かれ
る、これが当然のことである。そして72年の沖縄返還によって日本は沖縄およ
び尖閣諸島をとりもどしたのである。沖縄住民が独立を決定していれば日本は
沖縄や尖閣諸島を取り戻せなかった。

蒋介石が原因かどうかは知らぬが台湾は65年ごろまで尖閣諸島の帰属を問
題にしていなかった。台湾政府が尖閣諸島について異議を申し立てたのは海底
石油のある可能性が浮上して、中国が煽動したからである。いまでも台湾と中
国政府は「尖閣諸島を台湾のもの、台湾のものだから中国のもの」といった態
度を崩していない。また両国の人民も正確な史実を知らぬまま煽動に踊らされ
ているので、1945年以後のことについて少し書いてみよう。以下は主にワシン
トンに滞在している王景弘記者の研究報告(台湾日報、10月10日)から抜粋
したものである。

●周書楷の覚え書き

日本は1953年のサンフランシスコ条約第3条でアメリカが信託統治する
島々の範囲を明確に決め、尖閣諸島もこの中に含まれている。中華民国は条約
に調印していないが、異議を申し立てたことはない。67年ごろになって沖縄住
民の意思が日本返還に傾いていることがわかり、アメリカは琉球(沖縄)を日
本に返還する準備をはじめ、やがて1969年11月21日にニクソン・佐藤栄作
コミュニケを発表して1972年に沖縄群島および南西諸島の返還をするとした。

台湾政府は66年から68年の間の交渉にいおいて沖縄返還は住民および関連
諸国の取り決めによって決定すべきであると主張していた。やがて返還が現実
となり、ついで海底石油の開発が可能になりつつあり、さらに中国が尖閣諸島
の領有権を主張するにいたった。

アメリカ国務院が解禁した機密文書によると、もっとも早期な関連文書は
1967年11月7日に国務省の中華民国課主任シュースミス(Thomas P. 
Shoesmith)より国務省副長官バンディ(William P. Bundy)にあてて提出し
たメモで、このなかで中華民国が最近の中国大陸の進出や琉球の地位問題につ
いて台湾の周書楷・駐米大使が意見の交換を申し込んだためだった。アメリカ
は周書楷大使に対して日本が琉球に「剰余主権」を有していると説明し、将来
の発展についてはいずれ台湾政府に照会すると約束した。

同67年9月、佐藤栄作は台湾を訪問して蒋介石に沖縄住民は日本に復帰す
る意思が強いことを説明したが、蒋介石は東南アジアの安全を維持する見地か
ら、沖縄の返還問題はもう少し先に延ばしたほうがよいとの見解を示した。

69年にニクソン・佐藤コミュニケが発表され、周書楷大使は1970年9月16
日になってアメリカ国務院の副長官でアジア・パシフィック主任のグリーン
(Marshall Green)に4ページの親書を渡した。これがいわゆる「周書楷覚え書
き」(アメリカ国務省文書、NDD0Q9038)である。

周書楷はこの覚え書きで、魚釣島は台湾から100海里のところにあり、古く
から台湾漁民の作業の地であり、漁船の台風避難地であることを述べ、下関条
約にある「その他の諸島」には尖閣諸島が含まれているとの見解を示した。

さらに周書楷は、アメリカが信託統治をするためこれが地域の安全につなが
るとの見地から、サンフランシスコ条約第3条に含まれている尖閣諸島のこと
で台湾が異議を申し立てなかったと述べ、日米コミュニケで沖縄を日本に返還
することに対して台湾政府と相談しなかったことは遺憾であり、台湾はこの決
定について保留意見(Reservation、つまり異議がある)と持つと述べた。沖
縄の将来は住民が決定すべきもので、両政府が勝手に取り決めるべきではない、
台湾政府はアメリカがこの決定について照会がなかったことは遺憾であると述
べた。

尖閣諸島の所属について周書楷覚え書きは、日本は尖閣諸島の領有は二つの
事実に基づくもの、ひとつは1896年の勅令と、もうひとつは日本政府が魚釣
島を古賀辰二郎(音訳)に30年貸与したことに拠っているが、1896年の勅令
は下関条約の一年後であり、すなわち日本が琉球諸島と台湾・澎湖をあわせて
領有したのちでであるから、勅令および島の貸与は無効であると述べた。

また1952年4月28日に調印した日華条約において日本は台湾・澎湖および
近辺諸島の主権を放棄したことが明記され、この「近辺諸島」には尖閣諸島が
含まれていると指摘し、カイロ宣言とポツダム宣言によれば「日本の主権は本
州、北海道、九州および四国に限られている」こと、その他の諸島は米、英、
中の三国によって取り決められると指摘した。

すこし説明を加えると、台湾および中国(中共)は、カイロ会議では日本の
琉球処分は侵略行為であったとみなしているから、日本側の領有権の主張は無
効であるという見解をもち、それゆえ台湾に領有権があるというのである。筆
者の主張ではないから、酒井氏のように感情的になっても仕方がない。

●中国の動き

このような国際交渉の中にあって中共は同年12月29日、人民日報の「評論
員」の記事で台湾および尖閣諸島を含む近海諸島の主権を主張し、海底資源は
中国のものであると書いて、米国各地の中国学生(おもに台湾からきた中国人)
を煽動して「保釣運動」を開始した。

中国がこの時期に煽動をはじめたのは台湾にとって不利であったと思われる。
シュースミスやグリーンなどを通じて国務院は周書楷覚え書きについて、「アメ
リカは日本から受け継いだものは日本に返還する」という原則を崩していない。
また、サンフランシスコ条約の第2条において日本は台湾・澎湖の主権を放棄
したが尖閣諸島は明記されていないこと、南西諸島(Bonin Islands)の範囲は
第3条に記されているとおりであり、これに尖閣諸島も入っているとしている。

この一連の国際交渉がまだ終わっていない1971年7月、キッシンジャーの秘
密訪問によりニクソンの中国訪問がきまり、尖閣諸島問題はニクソン・ショッ
クの影にかくれてしまった。そして同年12月30日、中国は「魚釣島は台湾に
附属する島嶼であるから日本に返還するのは完全に違法である」と声明を発表
した。こうして72年5月15日、沖縄返還が成立し、同年9月29日になると日
本は中国と国交回復をして同時に台湾と断交し、尖閣諸島問題は終息したので
ある。どうも中国はアメリカと国交を開始するため、尖閣問題を利用して自己
のプレゼンスを高めたのではないかと思われる。

●90年代の動き

だが問題はこれで終わったのではない。90年代になって中国は海底石油の探
測船を派遣したり、魚釣島近海で海底石油の試削を行ったりしているが、日本
の海上保安庁はヘリを飛ばして写真をとったり監視を続けたりしても中国に抗
議をしたことはない。アメリカも人工衛星で写真をとったりして監視を続けて
いたが、中国に抗議をしたとは聞いていない。日本の弱腰は尖閣諸島の領有権
問題が簡単に決まらないことに起因するのではないか。

尖閣問題になると中国、台湾、日本、いずれも感情的になって、抗議やらデ
モやら繰り返しているが、いずれも不毛の論争に終わっている。尖閣諸島の所
属がハッキリしているなら、日本はもっと強く主権を主張するべきでないか。
李登輝氏が言うとおり、日本のものであるのは確実だから、キッパリと中国に
抗議すべきである。日本政府の態度が煮え切らないから問題が長引いているの
である。

●酒井氏に一言

筆者は台湾に生まれて12歳まで日本の教育を受けたが、その後アメリカに留
学して帰化したアメリカ人である。これまで日本語、英語、中国語を使って学
術論文や小説、俳句、時事分析などを発表しているが、文責はすべて筆者個人
にあるから、記述に間違いや違った意見があればそれを指摘してくれればお答
えすることができる。間違いは訂正すればよいし、記述に間違いがあったから
人間の格が下がるとは思っていない。筆者は台湾を代表して発言しているので
はない。

違った意見がある人はたくさんいる。しかし、言論の自由とはおのれの意見
を発表する自由であるとともに、他人の言論を尊重することである。他人を尊
重してこそ自己の尊厳を得ることができるのである。

酒井氏の反論には、「チャン氏は中国人と同じだ」、「中国人と同罪である」、
「それだから台湾は独立は達成できないのだ」、「シナ人の文献を根拠に・・・」
など、中国人全体を蔑視したり、台湾人を侮辱するような言辞が散在している。
まるで自分がこれらの人種とは違った優越感をもっているようである。

台湾人がもっとも忌み嫌うことは、台湾に生存する「外省人」が強大な軍事
力を持つ中国の威を借りて、中国人は特権階級であり、台湾人は下等階級であ
るように振舞っていることである。

貴殿の感情に任せた反論はこのような特権意識を彷彿させるものがあり、そ
うなれば貴殿も自分が侮辱している「中国人」と同じであることに思い及ぶべ
きである。■
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