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AC通信、ガンバレ台湾丸

2002/10/03

[AC通信:No.62(2002/9/30)] Andy Chang (カリフォルニア在住)
◆[ガンバレ台湾丸] 第十五章 尖閣諸島を放棄したのは蒋介石である

九月二十八日、産経新聞の「主張」欄で李登輝が尖閣諸島の領有権問題を取
り上げたことを報道していた。日本で小さく報道されたこの問題が、台湾では
大きな波紋を呼び、李登輝を反逆者として告訴するとか、抗議のグループが李
登輝の家に卵を投げるといった嫌がらせが相次いでいる。

残念なことに民進党や政府の要員、おおかたの民衆も、尖閣諸島を放棄した
のは蒋介石であることを知らない。統一派の李登輝バッシングについて抗議を
するものもいない。筆者はこれをとても歯がゆく思う。なぜ台湾では尖閣諸島
を放棄した責任者を糾明しないのか。

筆者はこれまで尖閣諸島問題について三回ほど日本語と中国語の記事を書い
たが、この機会に1999年6月にMSNジャーナルに載せた記事をもう一度掲
載して読者の注意を促し、史実を正したいと思う。

歴史は歪曲できるものではない。蒋介石の責任を明らかにして今後のあらゆる交渉に正論をもって対することが大切である。この記事を読む読者が「尖閣
諸島の帰属問題」と糾明する運動に参加してもらいたいことを願う。

以下は筆者が1999年に書いた記事である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
                     誰も知らない尖閣諸島秘話
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 毎年夏になると香港から台北経由で抗議船が尖閣諸島にやってくる。目的は尖閣諸島の一番大きな島、釣魚島に上陸して中国の旗をあげることだが、いつ
も日本自衛隊の艦隻に阻止される。96年には泳いで島に上陸しようとした四人
が荒海に飛び込み、一人が溺死するという惨事まで起きた。

  尖閣諸島の領有権は日中台米と四つの国が関係しているにもかかわらず、どの政府もハッキリしたことを語らない。この問題に携わっている日本、中国、
台湾など三国の人民は詳しい事実を知らずにデモに参加しているのだ。釣魚島
がどこにあるか、尖閣諸島にいくつの島があるのかも知らない。これでは感情
に走って益無な争いを繰り返すのではないか。

 筆者は不思議な縁で尖閣諸島にまつわるいくつかのエピソードを調べて来た。
これを書くといろいろな方面から反応があるかもしれない。断っておくが、筆
者はどちらの味方でもない。目的は筆者の知った史実を多くの人に読んでもら
い、真実を知ってもらうことである。

●尖閣諸島はどこにあるか

 昭文社の「日本全図」、および国際地学会出版の「Just Now」最新日本地図
(1995)によると、尖閣諸島の位置は石垣島の北方約150キロのところにある。
一番大きな島は釣魚島で、台湾では釣魚台とよばれている。その東方には飛瀬、
北小島、南小島があり、その北方に沖ノ北岩、沖ノ南岩がある。さらに東北二
十キロはなれたところに黄尾嶼(日本名は久場島)がある。そして最後に釣魚
島の東方約100キロのところに赤尾嶼(日本名は大正島)がある。

 実際に地図をみると、沖縄県に属する石垣島および西表島は台湾、花蓮市の
東方約200キロのところにあり、尖閣諸島は台湾、基隆市の正東方約200キロ
のところにある。

●尖閣諸島の歴史的帰属

 尖閣諸島は古くから琉球に属しておらず、台湾に属していた。琉球王国は
1609年に島津氏に収められたが、他方清国にも朝貢していた。後年、薩摩藩に
よって琉球藩を設置したのが1872年のことである。その後1879年に沖縄県と
改められたが、尖閣諸島は沖縄県の範囲にはいっていない。

 1895年の日清戦争に敗北したあと、清朝は台湾および台湾に属する諸島を日
本に割譲した。この「所属の島々」には澎湖諸島と尖閣諸島が含まれていた。
尖閣諸島は台湾の宜蘭県に属していたという記録が「宜蘭県誌」に記載がある
と言われている。

 その後、日本政府が尖閣諸島を沖縄県に編入したのが1910年か、1911年ら
しい。「らしい」というのは又聞きだからである。詳しいことを知りたい人は沖
縄県誌を調べることをお勧めする。沖縄県に編入されてから1911年に釣魚島
に『沖縄県界』と彫った石碑が建てられた。

 1943年になって、カイロで四巨頭会議が行われ、カイロ宣言が発表されたが、
その中に「日本は台湾と澎湖諸島の領有権を放棄すべし」と書かれてあった。
同じくポツダム宣言にも同様な文句が盛り込まれていた。

 やがて日本はポツダム宣言を受諾、終戦となって、1972年のサンフランシス
コ条約で日本は「台湾および澎湖諸島の領有権を正式に放棄」したが、このな
かに尖閣諸島は含まれていない。つまり日本は尖閣諸島を放棄していないので
ある。当時沖縄はアメリカに占領されていたのでアメリカが領有していたこと
になる。

 余談だが、サンフランシスコ条約で日本は台湾および澎湖諸島の領有権を中
国に「返還」したと思っている人が多いが、これは事実ではない。日本は台湾
および澎湖諸島の領有権を「放棄」したが、「どこの国」に返還したと書いてい
ない。アメリカは今でも「台湾は中国の一部分」と承認せず、中国と台湾がこ
れを主張していると「認知」するに止まっている。これは別の機会に書くこと
にしたい。

 沖縄は1973年に日本に返還され、沖縄に属していた尖閣諸島も返還された。
この頃はまだ尖閣諸島の帰属が話題になっていなかったが外交上の話し合いは
あった。72年ごろ蒋経国が尖閣諸島の帰属問題で訪日、佐藤栄作、岸信介の二
人と会談している。だが台湾に戻った後、蒋経国は会談の結果を明らかにして
いないし、日本側も会談の結果を発表していない。

 中国が国連入りを果たした後、小平は日本を訪問して尖閣諸島問題につい
て討議をしている。報道によると小平は「尖閣諸島の領有権は短期間に解決
がつくものではないから、後代の人に任せて、ゆっくり解決したらどうか」と
発言し、日本外務省もこれに同調したと言う。

問題を先送りしたのではなく、尖閣諸島の帰属がまだ決まっていないことを
日本に認めさせた手腕はさすがである。

 現代週刊(月日不詳)によると、1973年諸島が日本に返還された後、埼玉県
の栗原和子とその家族が尖閣諸島の四大島を四十万ドル(四千六百三十万円)
で買い取ったと言う。栗原和子によると第二次大戦以前の所有者は甲賀家であ
ったという。また栗原和子は、1989年から右派団体「日本青年社」が釣魚島に
燈台を設置しはじめたが、栗原家の同意を得ていないと述べた。

●海底石油の採掘権

 なぜ人も住めない小さな島が大きな問題になるかといえば、それは領海の漁
業権(珊瑚なども含む)と海底石油の採掘権である。普通漁業水域は沿岸から
200海里である。排他的経済水域(鉱物権や石油、天然ガスなどもこれに入る)
も沿岸から200海里の領域を指す。

 60年代初期まで石油探鉱は陸地に限られていたが、60年代中期になって地
震探鉱技術とコンピューターの発達にともない、海底石油の探鉱は飛躍的な発
展を遂げた。それに伴い領海権が問題になってきた。

 当時の主な海底石油はメキシコ湾、つまりテキサス、ルイジアナ、アラバマ、
ミシシッピー、フロリダの沿岸であった。(このうちテキサスを除いて、その他
の州はイニシャルでMAFLAと呼ぶ。)その他、有望と見なされていた場所は
ベトナム沿岸、渤海湾、黄海流域などである。ベトナム戦争の本当の原因は海
底石油とアヘンにあった、とうがった見方をする人も多い。

 さて、筆者はあるアメリカの石油探鉱会社を代表して、69年に台湾の中国石
油探勘処を訪問したが、主目的は台湾にコンピューターと地震探鉱のデータプ
ロセスを導入することだった。

 そこで見せられたのが一枚の地図だった。台湾の関係者は東西の緯度に沿っ
て台湾の西部沿岸を五つの地区にわけ、外国の石油会社と合作で各区域の探鉱、
試削、採油をしたいと持ちかけていたのだった。

 その他の4区のことは省いて、第5区と呼ばれていた釣魚島沿岸はアメリカ
のConoco石油会社とOcean Exploration探鉱会社との合作を交渉していると
教えられた。試験的採掘を始めれば領有権争議のとき、これが既成事実として
交渉の切り札になるという考えだ。しかし尖閣諸島は領有権もハッキリしてい
ないうえ、当時の沖縄はアメリカの占領下にあったから、アメリカの石油会社
がそう簡単に乗ってくるわけがなく、この話は立ち消えとなった。

 同年9月、中国が「尖閣諸島は中国の領土の一部である」と声明を出し、沿
岸の探鉱や漁業など一切の活動は中国の許可なしに行ってはならぬと警告した。
当時の中国はまだ国連入りを果たして居らず、尖閣諸島は沖縄に属しており、
その沖縄はまだアメリカが占領中だったから、弱小国である中国の発言は非常
に先見性のあるものだったと思う。

 いまでもデモ船がくると日本は自衛隊の艦隻を動員してホンコン人の上陸を
阻止しているが、日本は本気で中国と対決したいわけではない。

 その証拠に97年ごろから中国は地震探測船を釣魚島沿岸に派遣し、98年に
は井戸の試削を行った。日本はそれを知っていながら(アメリカも)、中国の試
削井が天然ガス層を掘り当てて埋蔵量の見通しがつくまで黙って許していた模
様である。いわば中国がタダで海底石油の有無を調べてくれたわけである。

●尖閣諸島の返還を見送ったのは蒋介石だった

 70年代から約20年あまり目立つこともなかったが、90年代になって急にホ
ンコン系の中国人が活動をはじめた。船を仕立てて釣魚島に上陸し、中国の旗
を立てるのが目的である。不可解なのはホンコンの抗議船が台湾に寄港し、台
湾政府もこれを許可している。

 台湾は中国の一部ではなく自立した政府を持っている。歴史的に見ると尖閣
諸島は台湾の属領なので、台湾が日本に抗議するなら話はわかるが、台湾を領
有しない中国が抗議するのはおかしい。しかもホンコンがでしゃばる理由はど
こにもない。中国が一部の香港人を煽動してデモを行っているのは明白である。

 ホンコンの船が台湾で歓迎されるのはまったく不可解である。ホンコンの抗
議船は台湾のためにデモに行くのではない。彼らは「中国の五星旗」を島に揚
げるためにいくのであるから、台湾が彼らを応援する理由はまったくない。そ
れで台湾の一部の人たちもあわてて自前の抗議船をだすのである。

 デモが盛んになると世界中の華僑も尖閣諸島問題を討論するようになった。
ワシントンにある、チャンネル56のテレビで「時事対談」と言う中国語プロ
グラムがあって、92年の春にこの時事対談で尖閣諸島問題をとりあげた。この
対談は劉偉悌主宰のもとで、台湾からきた新聞記者を集めて主要ニュースの討
論、コメントをするもので、その晩の参加者は施克敏、冷若水、続伯雄ともう
一人、熊と言う姓の新聞記者だった。

 二三の発言があった後、中央日報社の施克敏記者が驚くべき発言をした。以
下は彼の話である。

 尖閣諸島の帰属問題は遠くカイロ会議にまでさかのぼることができる。1943
年のカイロ会談のとき、四国の首脳がカイロ宣言の内容を討論していたが、こ
の中に「日本は台湾および澎湖諸島の所有権を放棄すべし」と言う箇条があっ
た。その時の会談でルーズベルトが蒋介石に「尖閣諸島も宣言の中に入れるか」
と聞いたのである。

 蒋介石は尖閣諸島がどこにあるかも知らなかったので、背後に控えていた副
官の黄国書に相談したと言う。

 すると黄国書は、尖閣諸島は台湾の東北岸から遠く離れた所にある無人島で、
あんな小さな島々はたいしたことではない。台湾と澎湖さえ返して貰えればそ
れでよいではないかと蒋介石に建議した。それを聞いた蒋介石はルーズベルト
に「尖閣諸島は要らない」と返事をしたのだった。これがカイロ宣言の文書に
尖閣諸島を盛り込まれなかった原因である。

 施克敏記者は、この史実は黄国書が彼の回憶録のなかで、蒋介石でさえ彼の
建議を受け入れたのだと得意げに書いていたと述べた。このエピソードは誰も
聞いたことがなかったので、テレビ対談はシンとなってしまったのだった。蒋
介石の責任だったら時事対談で取り上げることも憚られる。蒋介石がそう言っ
たのなら、台湾が日本政府に抗議することは難しい。

●黄国書の回想録を探すこと

 黄国書は実在の人間だった。彼の回想録が発表されたのは50年代初期だっ
たと覚えている。まだ中学生だった筆者はこの本のことが新聞に報道されて、
父母が話し合っていたのを覚えているが、読んだことはない。

 筆者はまず、アメリカ側の記録にこの対話が残っているかを調べてみた。第
二次世界大戦末期、ことにカイロ会議やポツダム宣言あたりの研究はアメリカ
の学者、Harold Urayに負う事が多い。図書館で調べると、この時期に関する
電報や書簡、文書、会議の記録などはUrayの著書が80%ぐらいを占めている。
しかし尖閣諸島の記述は見当たらなかった。

 筆者は黄国書の回想録が台湾で出版されたことを覚えていたので、台湾に行
けば図書館で簡単に見つかると思った。まず地方の図書館でコンピューターフ
ァイルを探したが、コンピューターには80年代以後の書籍でないと登録され
ていないと言われ、次に古い登録カードを使って探したが、やはり見つからな
かった。知人に頼んで台湾の各大学の図書館を探し、最後に台湾の中央図書館
のファイルまで探したがやはり見つからなかった。

 次にアメリカの有名大学の東方図書館を捜してもなかった。それでアメリカ
の国会図書館を捜したが、ここにもやはりなかった。アメリカでは東方の文書
は国会図書館か、またはスタンフォードの東方図書館に行けば見つかるといわ
れている。友人がスタンフォードの目録から黄(Huang)の部分をフロッピー
にコピーして送ってきたが、これにもなかった。望みはなくなったのである。
これが95年のことで、この探索に約三年かかったわけである。

●黄国書は台湾人だった

 私事になるが、私は「フライデイ・ランチクラブ」と言う本を書いている(新
風舎)。この本を知人のLさんに差し上げたところ、今年(1999)の春になって
お返しに彼の追想録(自伝)を贈ってくれた。Lさんは中歴地方の人で、彼の追
想録には大戦中の台北のことが詳しく書かれている。Lさんの本の中で黄国書
は台湾人だったと書いてあったので筆者はびっくりして飛び上がった。

 Lさんの追想録よると、黄国書は中壢地方の北埔の人で、本名を葉炎生とい
う。台湾で淡水中学を卒業したあと中国に渡って国民党に参加し、大戦後台湾
に帰ってきたときは陸軍中将だった。しかし彼は自分の出自をあまり大切にし
なかったので、村人が親しみを込めて彼を本名で炎生哥(あにき)と呼ぶとイ
ヤな顔をしたものだと言う。それはともかく、彼が軍人だったことは事実なの
でカイロ会議で蒋介石の副官だったこともうなずける。

 やがて黄国書は中壢地方から選挙に打って出た。客家(ハッカ)の支持を得
て立法委員(アメリカの下院議員にあたる)に当選し、立法院副院長をつとめ
た。やがて院長が死んだので彼が院長に繰り上がった。特権を利用するのがう
まかった彼は、日本人の残した台湾無尽株式会社の財産を接収して「台湾合会
公司」と改名し、自分で会長を務めた。そのご「国光人寿保険会社」を創立し
たが事業に失敗、院長の職も失って失意のうちに没した。

 中壢のLさんに電話して、カイロ会談のエピソードを簡単に説明し、回想録
探しに協力を頼んだら、それは無理だよと言われた。黄国書は利権を追うあま
り、村の人をバカにしたので嫌われるようになり、失脚した後は誰も相手にせ
ず貧乏と失意のうちに死んだのだと言う。

 それでも熱心なLさんは葉炎生氏の甥に当たる人を探し出して黄国書の回想
録のことを尋ねてくれたが、この人もやはり彼のことをよく言わず、回想録の
ことも知らなかった。今年の五月のことである。

 黄国書の回想録は台湾の何処かに残っているかも知れない。あるいは日本に
台湾関係の資料を残している人が見つかるかもしれない。記者の施克敏氏はそ
の後中央日報社の社長に昇進したが、いまは何処にいるか知らない。彼ならこ
の本を持っているだろうと思う。

●尖閣諸島の将来

 ここで少し私見を述べてみたいとと思う。

 尖閣諸島が清国の領地だったことは明らかなので、やがて返還を要求される
可能性はあると思う。ただし、清国時代には台湾の領土だったので台湾が返還
を要求するのだったら意味があるが、台湾は日本と国交がないのでそれが出来
ない。また、中国が返還を要求しても日本は昔は台湾の属領だったから中国の
が要求するのは理不尽である。さらに、アメリカは沖縄返還のときに尖閣諸島
に関しては何も書いていないので、日本に「返還」したのかも曖昧である。

 割譲された土地は返さなくてもいいという理論は有力でない。ホンコンと九
龍は割譲された土地だったが、新界は99年の租借地だった。82年にサッチャ
ーが北京で交渉したが最終的には割譲したホンコンと九龍をも返還せざるを得
なかったことを思えばわかる。

 日本は台湾と澎湖諸島の領有権を「放棄」したが中国に返還したのではない。
台湾が自立した政府である限り尖閣諸島は「要求があれば」台湾に返還すべき
であると思う。

 蒋介石がカイロ宣言に尖閣諸島を書き入れなかったエピソードは興味のある
ことだが、返還の交渉ではあまり問題にならぬと思う。日本のハボマイ、シコ
タンなど四島にしても、現状はソ連に占領されていても返還の要求は続いてい
る。また、日本が四島の返還を要求しながら尖閣諸島の返還を拒否するのは理
屈に合わないだろうと思う。

 日本青年社が燈台を建てて、これを国際航海図に登記しても(これには石原慎
太郎が関与している)所有権の証明にはならない。同じように中国人が釣魚島に
上陸して旗を掲げても意味の無いことである。

 一部の台湾人が中国系のホンコン人を支援して抗議船に便宜を与えるのは全
くのナンセンスである。中国が日本から尖閣諸島を取り返しても台湾の領土に
なるわけではなく、むしろ尖閣諸島が中国の属領となれば台湾は戦略的に大き
な脅威を受けることになる。

歴史は正さねばならない。蒋介石が尖閣諸島を放棄したのが事実であれば、
尖閣諸島の帰属問題に於いてこれは重大なことであり、日本、中国、台湾の交
渉場面でキチンと討論されるべきである。■
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