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Fw: No54、中国の佛舎利と星雲和尚

2002/02/12

[AC通信:NoSubject: No54、中国の佛舎利と星雲和尚


[AC通信:No.54(2002/2/4)]   Andy Chang (ワシントン在住)



◆ [ガンバレ台湾丸] 第七章 中国の仏舎利と星雲和尚



台湾の妖僧・星雲のことは以前にも書いたことがあるが(melma00002570

jin@smn.co.jp)、その星雲和尚が、三月に中国大陸から仏舎利を台湾に持ち込ん

で巡回展覧することになった。前にも書いたとおり星雲は嘗てタイ国から「佛

牙」と称する仏舎利を買って台湾に持ち込んだ男で、今度の中国大陸の仏舎利

の話も疑問が多い。



●「佛牙」を台湾に持ち込んだ男



星雲はクリントン・ゴアに不正献金をした廉でアメリカの国会に喚問された

が、喚問に応ぜず台湾に逃げ帰った男である。アメリカに睨まれて台湾でも問

題になったら、佛光山のお寺を「封山」して官憲が近寄れないようにし、さら

にタイ国から「佛の牙」なる代物を買ったと称して、これに政界の人物二人が

奉迎に行事に参加したので、政府は星雲和尚を追及することが出来なくなった。

彼は宗教を隠れ蓑にして諜報活動を行っている男だと思われる。



星雲の「作り話」では、この佛牙はチベットから流出してタイ国に渡り、そ

れを星雲が金で買い取って台湾に持ち帰ったというのである。このような聖な

る品物が中国官憲の目をくぐってチベットからタイ国に渡り、さら仏教国であ

るタイ国から金銭売買で台湾にわたるなど、ほとんど不可能であり、佛牙の

真贋については疑問が多い。しかも星雲は佛牙を買った金額を公表していな

いし、購買した相手も不明である。詳しくは前の記事を参照されたい。



●中台禅寺と佛光山の確執?



今年の1月初旬に台湾の新聞は突然「台湾中部の埔里にある中台禅寺の住持、

惟覚和尚と台湾南部の佛光山の住持、星雲和尚が、来る三月に中国から佛指舎

利を台湾に奉迎して巡回展覧するため、台湾仏教界恭迎佛指舎利及び法門寺文

物委員会という委員会を作って第一回の会議を開いた」と報道した。報道によ

ると佛舎利は釈迦牟尼の指の骨であり、長さは三センチほどであるという。こ

の他にも西安の郊外にある法門寺で発掘された文物が展覧されると言う。



報道を読むと、佛舎利が中国で発見されたという異例なことよりも、佛舎利

を台湾で展覧に供してその「アガリ」をどのように分配するか、誰が主催とな

るかで揉めているといった印象が強かった。



中国は文化革命で佛寺や仏像を破壊し、僧侶を追放した過去があるので、ど

れほどの文物が残っているかは大いなる疑問である。釈迦の指の舎利が残って

いたとは思えないし、かりにあったとしてもホンモノかどうかも疑問である。

中国政府は最近もキリスト教を邪教呼ばわりし、法輪功グループの活動を禁止

するほど宗教に無関心な国である。しかも佛舎利が真品であるとしたら、この

ような世界的に貴重な遺物を外国に貸すなど、考えられない。



中国大陸には四千年の歴史があり骨董品もたくさんあるが、ニセ物を作るこ

とにかけては世界的な定評がある。そのような中国で急に佛舎利が発掘され

ても、

まず真偽のほどを疑うのがあたりまえだろう。日本でさえ古跡のデッチ上げが

20年ほどもつづいたのである。



台湾の報道記事は、佛舎利の真贋論争よりも、誰が巡回展覧を主催するかと

いった主導権争いの匂いが強かった。つまり、ウマイ話を作ったのは中台禅寺

であり、それを佛光山の星雲が横取りしたみたいである。星雲に狙われたら

惟覚は反撃できないだろう。



この憶測を裏書するように、1月13日になると星雲和尚は仏教大学の卒業式

を大々的に行い、挨拶に上がった星雲和尚は、三月には仏舎利を台湾に持ち込

んで回覧すると述べた。つまり星雲が惟覚を無視して強引に主催と自称したの

である。彼の演説に中台禅寺や惟覚和尚の名前はなかった。



さらに三週間たつと、最終消息として佛舎利を台湾に持ち込む報道があった

が、この報道では星雲が主任委員であり、執行長に元法務部長の廖正豪の名を

あげていた。数年前に佛牙を持ち込んだ時も政治家を使ったことを思えば、

星雲が再び政治家を使って中台禅寺を閉め出したような印象を受ける。これを

裏付けるように報道には惟覚和尚の名前はなかった。そして宝物を台湾に持ち

込んだあと、台湾大学の体育館で展覧した後、各地のお寺にも巡回展覧して、

中台禅寺も「そのうちの一つ」となっている。



もともと真贋の決め手もない文物を回覧してお金を儲けようとしたのが中台

禅寺であっても、それを横取りされても真相を言うわけにはいかない。言えば

自分も傷つくから泣き寝入りするよりほかはないだろう。もうすこし穿った

憶測をすれば、贋物の仏舎利をデッチあげたのは中国側で、贋物をホンモノに

作り上げる作業の一環に台湾が選ばれ、星雲が惟覚を押しのけて話に乗ったの

ではないか?



●佛舎利についての疑問



釈迦の舎利については不明な点も多いが、これが中国で新しく発見されるこ

とはありえない。むしろ贋物をデッチ上げて巡回展覧を行い、既成事実を認め

させるといった、中国人の考えそうな手法でないだろうか。ウソも百万遍繰り

返せばホントウになるのである。しかも台湾という「外国でない外国」で星雲

の手を借りて宣伝すれば,信者が多数いるので否定することは難しくなる。ここ

で佛舎利についての疑問点を要約してみよう:



1.釈迦の舎利が残っていたことは文献にあるが、中国に持ち込んだ記録はない。

2.アショカ王が仏塔を再建して舎利を分骨したのは紀元前三世紀、釈迦の死後

二百年。

3.唐の玄奘法師(三蔵、600-664)がインドを訪れたのは7世紀、アショカの

800年後。

4.法顕や玄奘が仏舎利を持ち帰った記録はインド、中国両側の記録にない。

5.他の僧が仏舎利を持ち帰った記録もない。

6.お釈迦様の骨灰で、骨の形をしたものは9個しかないが、中指の骨はない。



 仏舎利についてはこのように疑問が多いのである。贋物の仏舎利ストーリーを

デッチ上げ、無知な信者を使って真正な霊骨と「記録に残す」つもりではないだ

ろうか?



●台湾の報道



さて、予備知識はこれぐらいにして、台湾の記事をみると1月30日に星雲と

中国側の「中国仏教会」がホンコンで契約を交わして、2月23日には総勢百人

ほどの団体がチャーター機二台に分乗してホンコンから中国の陝西省扶風県に

ある法門寺に赴いて、舎利を捧持して台湾に戻り、約一ヶ月の巡回展覧の後、

同様のルートで中国に戻すのである。



 報道によると紀元前272年にインドのアショカ王が中国に佛舎利を安置して

舎利塔を建立し、仏舎利を地下宮に安置し、中国の聖地の一つとなったという。

だがこの記事は信憑性がまったくないもので、中国に仏教が渡来したのは唐代

になってからである。法顕法師や有名な玄奘法師(600-664)が西域(インド)

に渡ったのは629-645年のことで、アショカ王の時代から800年もたってから

である。



 さらに中国側の説明によると、法門寺は唐代に30年ごとに地下宮を解放して

いたが、当時の文人・韓愈(768−824)などの反対にあって没落し、法門寺は1981

年になると壁だけ残った状態であった。これが1987年に再発掘されて遂にこの

「世界

の第9奇蹟」が発見されたと言う。たしかに韓愈は「論佛骨表」を書いて左遷さ

れたが、これとアショカ王が仏舎利を分骨したことを結び付けるのは無理であろ

う。韓愈は玄奘法師よりも後代の人物で、漢の時代に仏舎利が中国に渡来したこ

ととは関係がない。



 台湾の記事では、釈迦牟尼の死後200年あまりたってから、アショカ王がお

釈迦様の舎利を探し出して佛舎利を8万4千個にわけ、佛塔を建てたという。

これはインドの記録に残っている事実だが、アショカ王が中国に佛舎利を分骨し

たという記録はどこにもない。つまりペテン師がよくやるような事実とウソを混

同させた記事である。



 報道では中国が1987年に行った発掘で「四枚の佛舎利が見つかったが、佛教

学者の趙樸初が鑑定したところ、このうちの第三枚が真品で、あとの三枚は真品

を保護するための“模倣影骨”である」と言うのだった。つまり唐代の昔から

“影武者”を作ってホンモノを保護する文化が中国にはあったということだろう

か?法門寺が没落したことは佛舎利が大事にされなかったことであろう。しかも、

埋没して千百年あまりもたってから“発掘”されて、ついでに影武者まであった

とか、鑑定によれば第三枚目が真品で、残りは贋物であると、どのようにして

判断できたのだろう?



 報道では唐代の874年に地下宮が封鎖されたそうだが、文化革命で破壊が行

われた後になって、奇しくも1987年に遺跡が発見され、多くの歴史的文物が

掘り出された、というのはどうも胡散臭い。その中にアショカ王が分骨した佛

舎利があったとなると、かなり大掛かりな贋物を作り上げた疑いが濃いのであ

る。しかも釈迦の中指という記録にない舎利が見つかって、影武者まで作って

あったなど、現代的な考えで作った贋物ではないか。一千年前の佛舎利に影武

者を作る必要があったとは思えない。



 報道によると第一枚目の影舎利は地下宮の北側に安置され、「八重の函」に

収めていたと言う。そして真正の佛舎利は地下宮の西側に安置され、「五重の

函」に収まって、外側は錦糸の布で包んで鉄の箱に入れられていたと言う。

舎利は中指の骨で、長さ40.3ミリ、幅は上側17.55ミリ、下側20.11ミリ、

重量は16.2グラムであったと言う。発見された1987年の時点でこれだけ詳

しい研究がなされたのに、年代鑑定はしていないのは変である。



●記録にある佛教の中国渡来



佛教はおもに紀元前三世紀頃からフン族(胡族)によって中国に持ち込まれ、

フン族の王が政治的な意図をもって布教し、中国の道教と対立していた。ブリ

タニカによると、佛教が中国に渡ったのは紀元前三世紀ごろ、つまりアショカ

王の生存していた時代だが、中国では道教と混同されたようなものだったと言

う。



その後、漢の明帝(58-76)が「金色の仏陀」を夢にみてから、初めて詔書

を発して正式に佛教の名称をつくった。また、人を派遣して42部のお経を持

ち帰り、洛陽の郊外に寺を建てたのが始まりであると言う。



中国で佛教が盛んになったのは中央アジアから来た佛図澄(Fu-tu-teng)と

言う人物のお蔭で、彼には雨を呼び、風を起す能力があり、預言者でもあった

ので、当時の羯(ケツ)族の王・石勒(後趙の始祖、274-333)は佛教信者と

なった。佛図澄の弟子は石虎と言い、そのまた弟子を道安という。この三人が

中国で布教に努めたお蔭で中国に佛教が定着したのである。



4世紀になってチベットの僧クマラジーバ(鳩摩羅什)が経典を漢語に訳し

たのが経典翻訳の始まりで、6世紀にようやく佛教の隆盛を見るようになった。

その後法顕や玄奘などもインドに渡り、経典を持ち帰って翻訳に努めた。



「アショカ王が紀元前三世紀に佛舎利を中国に持ち込んで法門寺を建てた」

と言うのは事実に反するわけである。



●スマナサラ長老のコメント



台湾と中国がグルになって佛舎利を利用して金儲けをするらしいが、日本の

佛教界ではこれをどう見るかと思って、筆者の友人辻村さんに頼んで調べても

らった。辻村さんは仏教徒であるから手がかりが得られるかも知れないと思っ

たのである。すると辻村さんがこの疑問を座禅会の掲示板に投稿して、やがて

スマナサラ長老からお返事があった。スマナサラ長老はスリランカ上座佛教

(テーラワーダム佛教の長老で、日本語も達者でNHKテレビにも三回出演

なさったし、著書もたくさんあるお方である。長老のご教示を要約すると以下

のようになる:



1.紀元前三世紀にアショカ王が壊れた佛塔を修理した際、仏陀の舎利が出て

きたので、これを八つのTumba(Pali語で穀物計る容器)に分けた。

2.その後さらにこの八個の容器に入った佛舎利を法門に合わせて84000

に分けて、それぞれ佛塔を建てた。

3.当然ながら一つの佛塔にある舎利は芥子粒ぐらいの大きさである。

4.仏舎利のうちで粒にならなかったものは記録に拠ると、4つの犬歯、顎

の一部、胸の前の骨二つ、額と咽喉仏である。

5.しかも骨の舎利が、どこの佛塔に安置してあるかは記録に残っている。

6.すべての骨は一箇所に集まることはない。

7.アショカ王のことは学問的に確証がある。

8.釈迦民族では仏陀の舎利も仏舎利というが、別に阿羅漢の舎利も佛舎利

とよぶので、どちらであるかはわからない。

9.贋物である疑いがあれば調べるべきである。ことに中国に仏舎利がある

とは信じがたい。



 以上、スマナサラ長老の回答を見るとわかるように、仏陀の中指の舎利は

記録に残っていないし、佛舎利が中国に分骨されたと言う記録もない。また、

中国の歴史には法門寺がどの時代に建てられたか、ここに仏舎利を奉じていた

という記録はない。



●仏舎利の鑑定を希望する



以上の諸点から、巡回展覧の佛舎利は贋物である可能性が強い。疑いを持た

ない信者に叱られるかも知れぬが、星雲和尚とはもともと胡散臭い人物である

し、これが中国側の「奇蹟のデッチ上げ」である可能性もつよいのである。

以下は筆者の憶測である。



西安の付近に法門寺というお寺があったが、いつしか没落して廃墟になって

しまった。その後1987年になってお寺の遺跡が見つかり発掘されたが、この

ときに遺跡から十個ほどの佛教に関連のある遺物がみつかった。そこへ「誰か」

が発掘に便乗して佛舎利をデッチ上げ、これを真品に見せかけるため三個の

「影の佛舎利」を作り、まことしやかに鑑定などを行った。だが科学的な年代

鑑定は行っていない。



それでも疑う人がいるので、アショカ王の分骨伝説をつくった。これも信用

できないので、台湾の惟覚和尚に巡回展覧の話を持ちかけた。台湾で巡回展覧

をして多数の信者が礼拝したと言う記録を残せば、舎利の年代鑑定などもって

のほか、ということになる。



台湾には無知な信者が多いから、巡回展覧はお金もうけになる。中国側が惟覚

に持ちかけたウマイ話を嗅ぎつけて、星雲和尚が惟覚和尚から横取りして頭の

悪い政治家を巻き込み、巡回展覧を実現させた……。政治家絡みになれば真贋

鑑定はできなくなる。



だがここに列挙したように、歴史を調べればこれがウソであることがわかる。

読者が友人や新聞記者や学会などに働きかけ、これが契機となって台湾の佛教

界(日本やインドも)が真相の調査に乗り出すことを希望する次第である。■





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