文学

本格派小説家のエッセー

「第三章へ」「コザが燃えた夜」「桐の小箱」を上梓した小説家が  出版前に送る珠玉のエッセー。

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小説家のエッセー

2004/03/01

       
            忘れられない人々
        わたしのメメント・モーリ
  
    2    山村徳太郎氏

  沖縄の施政権が日本政府に返還された昭和47年の6月、2年半の単身赴
  任生活を終えて、わたしはサントリー本社に帰任した。
  「華の一課」とされている洋酒販売部第一課で一年。通勤途中で見初めた
  財閥系商社の経理部に勤めている女性と電撃的に結婚。夙川にある瀟洒な
  一戸建てを代用社宅にして新婚生活をはじめた。
  同じオフィスの同じフロアーにある市場開発部に転属。酒類流通市場以外
  の場での商品需要を喚起すべく、酒問屋、酒販店、料理飲食店以外を担当
  することになった。併行して、資材、原料、ガラス瓶などを納入している
  会社で組織されている「大阪サントリー会」への営業窓口にも登用された。
  山村徳太郎氏は業務用瓶の大手メーカー・山村硝子の社長であり、大阪サ
  ントリー会の会長を兼務されていた。毎月、同会の世話人会が堂島にある
  本社の一室で行われたが、山村会長は毎回、出席されたので、しぜんと、
  なにくれとなく、相談するようになっていった。課長代理にもなつていな
  いわたしだったが、氏は気軽に、ときには親身になって応えてくださった。
   1年半後、わたしはサントリーを自己都合退職。「長男の御旗」をたな
  びかせて父の経営する生コン会社へと転進。むずがる父を連れて山村氏を
  西宮の本社工場に訪ねた。それまでのご好意をあらためて謝すためであ
  り、大阪サントリー会の一員に取り上げてもらうためでもあった。
   山村氏は父に微笑みながら「息子さんとは気が合いましてねえ」と言わ
  れ、「帝王学を学んでるんですね」と、確かめるような口調でわたしに。
  「いいえ。生コン工場には次男がおりますので::」と父が答えた。
   そのときの山村氏の表情が忘れられない。(この父親が興した会社を継
  ぐべく、あの会社を辞めたはずなのに::。ひょっとして、稲川さん、思
  いもよらなかった肉親間の苦労をしてるんではありませんか)
   その通りだった。大企業ならいざ知らず、50名程度の町工場のこと、
  わたしは息の詰まる思いのし通しだった。
  「頑張ってくださいね」との山村氏の声に背中を押されて玄関を後にした。
   しばらくの後、わたしが興した建設資材卸が、サントリー会の一員に加
  えられた。大勢の人のバックアップがあったが、山村徳太郎氏の後押しが
  あってのことと信じて疑わない。

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創刊日:2001-09-20  
最終発行日:  
発行周期:随時。  
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