文学

本格派小説家のエッセー

「第三章へ」「コザが燃えた夜」「桐の小箱」を上梓した小説家が  出版前に送る珠玉のエッセー。

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小説家のエッセー

2004/02/13

     
   忘れられない人々
    わたしのメメント・モーリ

  1 佐治敬三氏

 「オーケストラがやってきた」でおなじみの髭の指揮者・山本直純さん
 が、年末恒例になっている大阪城ホールでの「第九」のリハーサルで、
 背もたれのある椅子に上半身をもたせかけながら棒を振った。病魔のせ
 いで、立っているのがやっとという状態であったのだろう。
  翌日、引退したばかりの小錦をスペシャルゲストに迎え、本番が開始さ
 れようとしている際、余興で、サントリーの会長である佐治敬三氏が、い
 つもの通りに「オー フロイデー」と、歓喜の序曲を熱唱。一万人の合唱
 団が拍手喝采した。本番では山本直純さんが眼鏡を飛ばす勢いで指揮した。
  その年も大盛況のままに幕が閉じられた。
  だが、翌年の「第九」に、お二人の姿がなかった。
  昭和42年、わたしはサントリーに入社した。
  佐治敬三社長は日本を代表する青年実業家の一人として大活躍されていて、
 文字通り、椅子が温まることはないほど精力的に国内はもとより世界各国を
 飛び回られていたので、いち新入社員がじかに話せる機会など皆無だった。
 後に秘書課の誰かに教えられ、あらためて親密感を抱いたのだが、そんな多
 忙な佐治社長ではあるが、たまに暇な時間ができると、一人、社長室で椅子
 に座り、社員の顔写真を、一人一人、見入っておられたという。
  8年後、私は自己都合したが、サントリーとの縁はきれなかった。資材、
 原料、香料、運輸、印刷、ガラス瓶をはじめ大手ゼネコンで組織されている
 大阪サントリー会の一員に、わたしが興した資材販売卸会社も加入すること
 が叶ったのである。
  その大阪サントリー会の新年互礼会が市内のホテルで催された。
  わたしは気乗りしない様子の父を連れて参加した。
  参加者400名。その日も佐治社長の「スコール!」の音頭で開宴。
  歓談がはじまった。
  例の笑顔で佐治社長がわたしたち親子のいるテーブルに歩んでこられた。
 「おやじに使われてます」とわたし。「そうらしいな。役に立っとりまっか、
 こいつ、お父さん」と、佐治社長がわたしと4000名。顔も名前も覚えて
 くれてはいないものとばかり思っていたわたしは、気持ちが激してくるのを
 禁じ得なくなった。
  ビール販売に苦戦しておられるためなのであろう、舞台に立ち、スリッパ
 を片手にして「ローハイド」を歌われている佐治社長を眺めながら、父は
 「人情の機微を備えられてる、立派な社長さんや」と、感嘆することしきり
 であった。
  わたしが経営しているマンションの館長室兼書斎の壁に「挑戦」との文字が
 書かれている額がある。退職する際に佐治社長にはなむけとして揮毫していた
 だいた額である。(やってみなはれ。やらんとわかりまへんで)との、穏やか
 で、かつ、けじめをわすれないようにとの厳しさが込められている言葉で語り
 かけてこられると思えるその二文字に、もの書きの端くれとして、わたしはど
 れだけ励まされてきたことだろうか。                          

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創刊日:2001-09-20  
最終発行日:  
発行周期:随時。  
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