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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<シエラレオネでも「反中」の政治家が大統領に当選して、

2018/10/19

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)10月20日(土曜日)
        通巻第5865号   <前日発行>
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▼(休刊予告)海外取材のため10月21日から26日まで休刊です  
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 シエラレオネでも「反中」の政治家が大統領に当選して、
  中国支援の「空港」建設プロジェクトをキャンセル
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 シエラレオネ、って何処にあるか? アフリカ西海岸。元英国植民地。特産はダイヤモンドとココア。世界に悪名が拡がったのはエボラ熱災禍。
 となりのリベリアと並んでダイヤモンドを産出し、なかよくエボラ熱パニックに襲われ、同国だけでおよそ4000名が死んだ。

 ひとりあたりのGDPが僅か470ドル(2016年、世銀)しかない最貧地域で、それなのに軍事クーデターが頻発するという特色もある。なにしろシエラレオネという国の名前は「獅子の山」という意味だそうな。

 五月に大統領選挙があって、野党ANPのジュリアス・マーダ・ビオが与党候補を破って大統領に当選した。かれが掲げたのは「中国が支援する空港建設プロジェクトはインチキ、中止する」と唱えて選挙戦を勝った。つまり「反中」が票に結びついたのだ。
 
 選挙に中国を批判すると当選する。スリランカで、マレーシアで、パキスタンで、そしてモルディブで、現職が落選したのも、共通する。
 中国の掲げた「シルクロード」、じつは50%がキャンセルの憂き目をみており、この無駄なプロジェクトに投下されたカネは300億ドルに達する。
      ▽◎◇◎み◇◇▽◎や◇◎◇◇ざ◇◎◇◇き◎◇◇◇
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(休刊予告)小誌、海外取材のため10月21日―26日が休刊です  
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1806回】         
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(31)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
 
          △
 当時の日本における支那認識の実態と時代の風潮に関しての総合的評価を下すのは別の機会に譲ることとするが、徳富の考えから判断するかぎり、やはり視野狭窄の誹りは免れないだろう。現在にも通じることだが、両国関係を両国関係から判断する限り、ニッチモサッチモいかない雪隠詰め状況から抜け出すことはできないと強く思う。
 
■「(五一)新學の流行」

「近頃は、支那にも新學流行し、權利思想をのみ鼓吹し、道義の念、地を拂はんとす」る勢いだ。この動きが「看過す可き事なる乎」どうかは不明だが、「權利思想の鼓吹は、紛れもなき事實」といえる。
 
そもそも「支那には家族ありて、國家なし。國家對個人の關係は、單に之を權力關係と云ふ」のみであり、「個人が國家に對して、納税の義務あるは、義務と云はんよりも、弱者たるが故に、強者に向て、犠牲を拂ふ可く、餘儀なくせしむるのみ」。つまり支那における納税は、いわば一種の“みかじめ料”ということになる。だから政府が弱体化すれば、弱い政府ではなく他の強者に庇護を求めて税金、つまり“みかじめ料”を差し出すわけだ。
 
「支那人に、忠君愛國の心なしと云ふも、支那に於ては、本來國家を認めず、君主を認めざれば、斯る心の出で來る可き樣」があるわけがない。
 
■「(五二)政治屋の看板」

たしかに古くから孔子が尊ばれ儒教が広まってはいるが、「所謂る孔子の?旨は、支那人の門前を、素通りしたる迄にして、實際の生活とは殆んど没交渉」、つまり無関係である。 「今日道義地を拂へりと云ふ」が、「支那の?史に於て、何の世、何の代か、果して道義が支那の社會を支配したる乎」。道義が支配したことなどありはしない。
 
「支那人は本來家長以外に、我が頭を壓」する者を好まないものだ。「彼等が賢君、明主」に従うのは、「逆主、暗君」よりマシであるからに過ぎない。むしろ「彼等の本意は、賢主、名君よりも、寧ろ無主、無君にあり」である。
 
「孔夫子は、支那人に取りては、餘りに規帳面」であり「餘りに組織的」である。つまり古来、「孔夫子は、陽尊陰排せられ、隨處に文廟宏大なるも、其の繁盛は、却て關帝廟や、娘々廟の什が一だにも及ば」ない。
 
「惟ふに儒?主義の流行したるは、?代の治者が、治具として、儒?を利用したるが爲め」ということだ。「?代の治者が、其の治術を襲うたるに拘らず、態と儒?を以て、之を上塗りしたるのみ」である。とどのつまり「孔夫子は、?代治者の商標となり了りぬ」。その様は「宛も達磨が煙草屋の看板の如く、孔子も政治屋の看板となり了りぬ」。
 
■「(五三)新學は則ち舊學のみ」

西洋由来の「新學」が流行っているようだが、「其の實は舊學」でしかない。いわば「數千年來、支那人を支配しつゝある、地下の暗流が、此頃に至りて、地上に露出」したに過ぎない。じつは「個人主義の極致は老荘にあり、權力主義の極致は、商鞅、韓非にあり」。だから「吾人は所謂、新學の新なる所以を知らざる也」。
 
 古来、王道政治とはいうものの、その実態は「覇道にして、其の外形を王道にした」に過ぎず、理想的な政権移譲の形と伝えられる「禪讓の如きも、後世の文飾にして、其實は體裁の善き」権力奪取でしかない。
いわば王道にせよ禅譲にせよ、血腥い権力闘争における勝者による誤魔化しということだ。「權力崇拝、權力即正義の觀念は、支那の廿四朝(=歴代正統王朝)を一貫したる、一大動力」ということ。「憐れむ可し大聖孔子の?旨も、奸雄が天下の人心を籠絡する、一種の假面以上の、効能あらざりしことを」。

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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1) 私は何通目か前の投稿で、「人権」について次のように書いておきました。
「本物の学者であるヘーゲルによって、その珍説は、直ちに否定され、論破されているのです。
このように本物の学者によって学問的に否定されたものが、どういうわけか現在に至るも堂々とまかり通って、人類を、国家を苦しめているのが偽らざる実態に他なりません。」
 ヘーゲルは、この「人権」について「歴史哲学」の中で、次のように批判しています。

「 自然 状態 は , い っ た ん フ ィ ク シ ョ ン として 立 て られ た後 で,そ れ に 付 随 して い る 諸 悪のた め に 放棄 され る 。 と い うこ とはほ か で も な い ,到 達 目標 が 前 提 され て い る と い うこ と ,つ まり混沌 た る抗 争状 態 を脱 した 調 和 が 善 で あ る とい うこと,言い 換え る とそ れ こ そ が 目指 さ れ る べ き もので あ る と い うこ とが 前提さ れ て い る とい うこ とを意 味す る 。 ( 中 略 )  
自然 状 態 とか …,また 諸 主 体 が か の 最 高 権 力 のも と に 絶対 服従せ し め ら れ る 関係 とい っ た ものは ,有 機 的 人 倫 を な す は ず の諸 契機 が ば らば らに 分裂 して そ の 一つ ひ と つ が そ れ ぞ れ 特別 の本 質的 な もの と して 固定 され ,ま さ に その た め に ,理念 と 同様 に見 当 ちが い の つ か まれ 方 を した場合 に と る 形 式 な の で あ る 。…
  こ れ に 対 して 人 倫の 絶 対的理 念 は , 自然状 態 と 法的状態 の 尊厳と を端 的 に 同一の もの と して 含 んで い る 。」

 ここに何が書かれているかと云いますと、ヘーゲルは、この中で「自然法」や「王権神授説」というフィクションに基づく「人権」(即自の自然状態)や「絶対王政」(対自の最高権力への絶対服従)は、国家の「有機的人倫をなすはずの諸契機」が、バラバラに分解され、その一つが独立した本質的なものとして固定化されたものであって、国家の形式としては誤ったものである、と批判しているのです。
つまり民主主義や独裁政治は国家の形式としては、形而上学的に一方に偏り歪んでいて、弁証法的でなく、間違いであると批判しているのです。

 そして、それに対置する形で、本来あるべき人倫国家の形式は、即自の「自然状態」すなわち国民と、対自の「法的状態の尊厳」すなわち国家とが、直接的かつ実体的同一性として存在するものである、つまり一体となるべきだとしているのです。
 このヘーゲルの学問的国家論は、当時の西洋社会においては、国家を神聖視した現実離れした理想主義として受け入れられませんでした。
というより理解され浸透する間もなく、当時熱病のように猛威を振るっていた唯物論によって、マルクスによって葬り去られてしまったために、当時の評価が、現在に至るも定着したまま、顧みられることがなくなってしまっている現実があります。

 その受け入れられなかった大きな要因として、日本以外の西洋をはじめとする諸外国のほとんどは、自己中心的皆殺し・奴隷主義の土壌の上に国家間の興亡が繰り返され・発展してきた経緯があり、自然科学の力によっていち早く近代化できた西洋諸国が、ヘーゲルが、上記の論稿の前段において分析し批判した現実だったことが挙げられます。つまり、そういう西洋諸国の常識からは、ヘーゲルの学問的国家論は、あまりにも現実とかけ離れていて、理解不能だった、ということです。

 ところが、ヘーゲルのこの学問的国家論は、決して現実離れした理想主義でも、空想でもありませんでした。
なぜなら、それを現実に実現した国家が存在したからです。それが日本です。
日本は奇跡的にも、諸外国と違って、共存共栄の土壌の上に国創りができたからに他なりません。そのことは、言語の構造に歴然と残されています。日本以外の外国の言語は、自己中心的構造を基本としていますが、日本語の構造だけは、そうではないからです。具体的に云いますと、日本語は、自分と相手とを統体止揚できる、自分の立場と相手の立場とを、「てにをは」を介して簡単かつ自由に変換・行き来でき、しかも言語構造としても表意文字と表音文字とを統体止揚した、画期的な弁証法的構造を持った、世界の言語の中で唯一無二の最も優れた言語だからです。

 その違いは、憲法にも表れています。日本の世界最古の17条憲法は、「和を以て尊しとなす」という人類の普遍性となるべき、国民全体の心となるべき、人倫的国家理念そのものでした。
これはまさにヘーゲルが「法の哲学」の中で説いた憲法そのままなのです。これに対して、西洋の憲法は、日本から遅れること六百年にようやく王権を制限するものとして生まれました。日本の憲法学者のほとんどは、こちらの憲法を本来の憲法だと勘違いしているようですが、自分たちが事実に誤魔化されていることに気づいていないのです。しかし、その根本的な原因は、学問的な国家論がないことです。学問的な国家論が無くて、どうして憲法が論じられるのか不思議ですが、おそらくヘーゲルを真面目に勉強していないのだと思います。

 最後に、ヘーゲルはこの「歴史哲学」の中でとても大事なことを述べています。
長くなりますので、私が多少手を加えて分かり易くしたものを以下に提示します。

「・・・、絶対精神が概念化して誕生した人間の精神は、自分自身について知ろうとし、知りうるものだからである。すなわち、精神は自分自身の本性の評価であり、したがって同時に自分自身を知ってその自分自身に還ろうとする活動性をもったものであり、その意味で本来の自分自身を目的意識的に産み出して本来の自分に戻ろうとする活動性だからである。そこでこのような抽象的な規定からして、世界史について云うことができる。世界史とは、世界の本流たる精神が、自分自身が本来持っている本質性・体系的な学問性を、精神自身で獲得していく過程の叙述である」

 念のため、補足しておきますと、ヘーゲルが「精神」というとき、人間の精神と世界の本質としての精神(絶対精神)との二重の意味が存在しますので、その点を注意しながら読んでいただきたいと思います。
さて、ここから導き出される人間の本質は、学問を創り上げることによって己自身について知り、己自身の本流としての歴史的使命を自覚して、学問を用いて主体的・目的意志的に世界創造を行っていく存在である、ということです。
この場合の人間とは客観精神としての国家を指します。あくまでも個人は、その一部・一員だということです。

 ですから世界の中で、その人間としての本質を体現できる国家は、日本しかない、と断言できます。
なぜなら、ヘーゲルの学問的国家を実現できた世界で唯一の国だからです。日本は、是非自らのもつ歴史的使命に、一日も早く気づき、自覚して国家としての主体性を回復しなければならないと思います。そういう観点から憲法談義をすべきです。その方が日本国民の心に響くのではないか、政局ばかりでなく、是非とも根本的・本質的問題からの憲法談義を望みたいものです。 
   (稲村生)



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(読者の声2)三島由紀夫研究会の10月公開講座は、憂国忌発起人で元朝日新聞記者・編集委員の井川一久氏をお招きします。
 講演テーマのクァンガイ陸軍中学とは戦後残留した日本人将兵が教官としてヴェトナム青少年を教育して精強なヴェトミン軍、ヴェトナム軍の指揮官、将校を育成した陸軍士官学校である。昭和29年ディエンビエンフーで仏軍を撃滅した戦いも、昭和50年サイゴンを陥落させて米軍を撃退した戦いも正にこの学校で鍛えられた日本精神を発揮したが故の勝利であった。井川氏がこの歴史と経緯を熱く語ります。

日時  10月25日(木)午後6時半開会(午後6時開場)
会場  アルカディア市ヶ谷(JR・地下鉄「市ヶ谷」徒歩2分)
講師  井川一久氏(元朝日新聞記者、編集委員、憂国忌発起人)
演題  ヴェトナム独立戦争に挺身した日本人たち
       〜典型としてのクァンガイ陸軍中学教官団
会場分担金 2000円(会員と学生は千円)。
    (講師略歴 昭和9年生れ。愛媛県出身。早稲田大学政経学部卒後朝日新聞入社、以降、外報部で活躍。ハノイ初代支局長をはじめ長年インドシナ情勢を取材。現在も大東亜戦争終結後ヴェトナムに残留し、インドシナ戦争(対仏独立戦争)やヴェトナム戦争(対米戦争)で戦った日本人将兵の記録に取り組んでいる。
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宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
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(C)有限会社・宮崎正弘事務所 2018 ◎転送自由。転載の場合、出典明示
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  • 名無しさん2018/10/19

     選挙に中国を批判すると当選する。スリランカで、マレーシアで、パキスタンで、そしてモルディブで、現職が落選したのも、共通する。

     中国の掲げた「シルクロード」、じつは50%がキャンセルの憂き目をみており、この無駄なプロジェクトに投下されたカネは300億ドルに達する。

  • 名無しさん2018/10/19

    癌治療を受けなければ4倍長生きする!



    (治療は殺す)



     「癌治療を受けた患者の平均寿命はわずか3年である。これに対して、受けなかった患者は12年6か月生きた」 これは、米ワシントン大学ハーディ・ジェームズ博士の衝撃報告である。彼は断言する。「癌治療を受けなければ、4倍以上生きるのです」 このジェームズ報告が、癌治療の正体を暴く。つまり、癌治療とは、癌患者を治すためではなく、殺すために存在する。



     抗癌剤、放射線、手術の3大治療こそが、まさに患者の生命を侵し、蝕み、殺しているのである。それを同報告は証明している。癌治療を受けなければ4倍以上も生きるなら、病院に行かなければいいのである。しかし、多くの患者は病院に行く。まさに、洗脳の恐ろしさを示している。普通の頭なら、直感で生命の危機を感じて、後ずさりするはずである。しかし、洗脳された人間は夢遊病者の様に病院の門をくぐるのである。



    (アメリカで死因第1位は医原病である)



     「医学不要論」で有名な内海聡医師は「医学は生かすためではなく、殺すために存在する」と断言している。「医療を、病気を金に変える悪魔の錬金術」と断罪している。また、「現代メディカル・システムはマフィアが支配する」証拠として、全米の死因第1位は医原病(医者や病院が原因とする病気)と言う事実を告発している。



     最新データによれば、医原病の死者数は年間78万3936人で第1位である。第2位は心臓疾患が69万9697人であり、第3位は癌で55万3251人だ。これは、日本を含めた先進諸国でも同様な結果となるはずである。イスラエル全土で病院がストをしたら、同国死亡率が半減した。再開したら死亡率は元に戻った。人類の半分は病院で殺されていることを示している。



    (「余命」は巧妙詐欺であり、悪質な死刑宣告である)



     「癌医者は、癌を放置した場合の「余命」を知らない」と近藤誠医師は著書「癌患者よ、近藤を疑え」で批判している。癌で医者にかかるとき、患者や家族が、必ず医者に尋ねることがある。「先生、このままだと、あと何年生きられるのでしょうか?」 これに対して、医者は難しい顔をして答える。「余命は、あと半年ですね・・・」 「ハア・・・・半年ですか」



     患者も家族も、ため息交じりにうなだれる。ところが近藤誠医師は「それは嘘」と、その余命宣告を否定する。患者はできたら抗癌剤も手術も受けたくない。できれば、何もせず、このまま様子を見たい。すると、「何年生きられるのか?」と医者に尋ねる。すると、医者は「半年ですね」と答える。その余命宣告が出鱈目なのである。



    (「余命半年」「余命3か月」を連発する)



     「とにかく癌医者らは、あの手この手で患者を不安に陥れ、何とか手術や治療に持ち込もうとする」「癌医者らのやり方が「恫喝産業」と称されるゆえんです」と注意を促す。(同書)



    近藤医師の慶応病院時代の思い出は、喜劇チックである。



     患者から助けを求める電話が相次いだ。「早期がんなのですが、手術をしなかったら「余命半年」だと言われました」。翌日は別の患者さんから電話。「進行性癌と診断され、手術をしなかったら「余命半年」と告げられました」。近藤先生曰く。



    「要するに、早期癌でも、進行性癌でも「余命半年」。その当時、これと並んで多かったのが「余命3か月」で、どんな種類のどんな進行段階の癌に対しても、癌医者らは、「余命半年」「余命3か月」などの脅し文句を連発していたのです」



    (それは巧妙な死刑宣告である)



     脅し文句に根拠はない。医者は、すぐ患者を手術・抗癌剤治療に引きずり込む。放置したらどうなるのか? それは全く分からない。だから余命「半年」とは抗癌剤・手術治療をしたらの話である。患者は「放置したら半年で死ぬ」と思い込む。それで治療をお願いすると、本当に「半年」で殺される。だから、「余命」宣告は治療に引きずり込む悪質な詐欺であり、巧妙な死刑宣告でもある。



    (放置療法の方がはるかに長生きする)



     「癌治療を受けずに放置したら、12年6か月生きた。治療した患者の余命は3年だった」と言うジェームズ報告を思い出してほしい。癌は、放置すれば治療した場合より、4倍以上も生きれるのである。→癌治療自体が恐ろしい殺人医療であることがはっきり分かる。



     だから、近藤先生も、「癌は何もしないで放置しておきなさい」と「放置療法」を勧めている。つまり、放置しても癌が転移せず、大きくもならない人が大勢いるのである。近藤先生は、「貴重な余命を治療苦で台無しにするな」と呼びかけている。治療苦とは抗癌剤や放射線、手術による苦しみである。それは生き地獄の苦しみである。一方、放置組は、全くその苦しみはない。手術や抗がん剤治療を受けさせられると、その瞬間から、患者は後遺症や毒性などに苦しめられる。そのために急死する患者もいる。



    (治療を信じきっていた大橋巨泉氏の嘆き)



     大橋巨泉ほど現代医学を信じきった人はいない。手術や薬物療法を心底信じきって、抗癌剤などの癌治療を、素直に受けてこられた。しかし、癌症状は日に日に悪化する。ついに、体重は40キロ台にまでやせ細り、「週刊現代」の連載「今週の遺書」も2016年7月9日号で、最終回となった。そこには「大橋巨泉さんもひどい目に遭いました」とある。「巨泉さんも薬を投与された結果、体調を大きく崩してしまった」と編集部。それは鎮痛剤の重大副作用だった。「たった5日間で意識も薄れ、歩行もままならぬ体になったのだから恐ろしい」「なぜだか、(薬を)大量に渡されたのである。何しろ九死に一生を得たのだが、82歳の老人には、大打撃であった。結局、即入院となった」(「週刊現代)



     大橋巨泉は近藤先生の勧める放置療法をしていたら、4倍以上は生きただろう。結局、抗癌剤や薬漬けで衰弱し、ゴルフができない。ワインも飲めない。原稿も書けないなら、生きていても仕方がない・・・」嘆きの遺言となってしまった。



    (治療を信じる患者、信じない医者)



    大橋巨泉は主治医を信じきっており、治療を信じて、ついに最期を迎えた。巨泉は「無治療で放置すれば治療した人の4倍以上生きる」と言うジェームズ報告を知らなかった。無知の悲劇がある。近藤先生も外科医をしていた時は、「手術も抗癌剤も無駄だ」とは言えなかったという。東大の医師たちも自分が癌になったら、「治療しない」というのが本音である。東大病院の医師たちは「治らない癌」には何をやっても無駄であることを知っているので、自分は治療を受けない。つまり、現場の医師や看護師たちは、癌治療が全く効果がないことを知っている。だから、癌と闘わない道を選択する。医師や看護師たちは自らがやっている治療が詐欺であることを患者には言えない。患者に本当のことを話せば、治療を受ける患者は激減してしまう。無から有を生み出す錬金術を手放すことはしないのである。