国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2017/11/27

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成29年(2017)11月27日(月曜日)
       通巻第1215号  
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(読者から その1)星稜会館での憂国忌に参加し、開演前の様子や47年前の当日の父の想い出をFBに書き込みをした。帰宅後、昨日の憂国忌で戴いた資料を改めて熟読した。
三島由紀夫先生の辞世、森田必勝烈士の辞世、涙が止まらない。

また檄文についても同じである。
この内容を理解出来ない、時の防衛庁長官は似非愛国者だったことが見えてくる。
単なる自分都合の政治屋だったのだと。自衛官に呼応者がいなかったのも頷ける。当時は、今以上に日教組教育に塗れていた時代だった。悲しいことだが、三島先生は悔しかったに違いない。昨日の書き込みに、当日父が興奮して三島先生の決起を讃え、自分に激しく語っていたのだが、社会は真逆の受け取りだった。今の日本の取り巻く環境を考えると、もう時間は無い。日本人は覚醒しなければならない。

 昭和45年11月25日は忘れられない日で、今でも鮮明に憶えています。
夕方、学校から帰ると寡黙だった父が興奮しながら「三島由紀夫が切腹した。凄い奴がまだ日本にはいた。」「日本人は三島に見習わなければならない!」と懇々と諭された。47年が経過したが、あの日の出来事は忘れられない。
父は陸軍士官学校54期生、落下傘部隊の英雄から終戦間際に本土防衛軍に組み入れられ、静岡197連隊の大隊長で終戦を迎えた。
戦後は公職追放になり悶々としながら天職だった軍人とは違う人生を歩んでいた。
そんな気持ちを払拭してくれたのが三島の蜂起だったと思う。だから自分に力説したのだろう。

残念ながら自衛隊が呼応せず、潔い対応をされたが、非常に残念な事件だったが、本当に三島先生の死が惜しまれる。今から憂国忌の式典が始まる。三島由紀夫先生の偉大さを改めて学ぶ時間となりそうだ。
  (深井貴子)
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  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
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