国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

全て表示する >

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2010/02/05


★書評特集『趙紫陽極秘回想録』を読む、ほか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成22年(2010年)2月6日(土曜日)
       通巻2865号 
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
****************************************

 (本号はニュース解説がありません。書評特集号)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●◎ブックレビュー◎●BOOK REVIEW◎●書評◎●ブックレビュー◎●
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 幽閉時代の十六年間、趙紫陽は何を考えていたのか
  守旧派のとの熾烈な権力闘争になぜ敗れたのかが了解できる

 ♪
趙紫陽著、河野純治訳『趙紫陽極秘回想録』(光文社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 「天安門事件」で学生への対策が生ぬるいとして長老達から糾弾され、突如、失脚させられた趙紫陽・総書記は世界のマスコミ、民主派の学生、知識人からいまも名声が高い。
過大評価のきらいさえある。葬儀には出身地の河南省から数千の庶民が集まり、北京の斎場を遠巻きにした。
あのとき趙紫陽が権力闘争で積極的に守旧派を追い込み、ぼんくらの代表格だった李鵬などを追い落としておけば、中国の民主化は間違いなく達成されていたという夢の物語が語り継がれる。
私見をさきに述べておけば中国の民主化は幻像でしかない。

ともかく失脚してからの趙紫陽は十六年間にわたって北京の自宅に幽閉され、外部へは一切の動静が伝えられず、まるで「現代版・張学良」のごとしだった。だが、そうは言っても政治的失脚のなかでは座敷牢に押しこめられたわけでもなく広東へしばしば旅行したり、来客もあり、ときに大好きなゴルフへ出かけている。かなりのびやかな幽閉である。

 総書記時代のセキュリティ・サービス要員らが、そのまま趙紫陽の監視員となり、二十四時間、三百六十五日x16年間、いったい何の目的か具体的には分からないままに動静を見張った。
ところが趙紫陽は監視の目を盗んで回想録を膨大なデータと共に録音していた。それは孫たちの玩具箱などに印をつけて隠匿され、信用できる友人等を通じて香港へ持ち出され、あるいは米国へ持ち出された。


▲本書は英訳のほうが原文という魔か不可思議な書物である

 本書は英訳版からの翻訳で、中国の翻訳もでた。不思議である。趙紫陽は中国語で吹き込んだのに? 
 つまり趙紫陽ブレーンや理解者らはアメリカで先に英語にして、その中国語訳(もともと吹き込みだから原文はない)を逆輸入させると効果的であることを知っていた。従って英語の現代は「国家の虜囚」(PRISONER OF THE STATE)である。NYの老舗名門出版社サイモン&シェスター社から2009年に出版された。

 本書を手にとって、そのボリュームをみて読み終えるには二日はかかりそうだと踏んだ。
そこで鹿児島へ行く旅行鞄へいれて、飛行機、汽車、バスの中、そして宿舎で読み継いだが、三日間では読み終わらず、四日目。羽田からモノレールの帰路、ようやく読了した。
なぜなら一行一行に歴史の回想場面の印象的なコマが割り込んできて、あの天安門事件前後の中国の情景が、ひとびとの心境や政治の空気が行間にぎっしりと埋め込まれていてとばし読みが出来ないからだった。

 本書の一番面白い意義とは中南海の権力闘争の実態である。
 趙紫陽は最初のころ、堅物の社会主義者で革命元勲のひとり、陳雲と親しく、トウ小平とは直通の連絡回路がなかった。
趙紫陽は自分の秘書に手紙を託して届けさせたり、有力者を通じて伝言させたりという複雑な通信回路をへて、幹部同士が意思を連絡しあい、しかも最終の決定機関は政治局常務委員会ではなく、トウ小平の自宅でなされたこと。長期的な戦略決定は北戴河の別荘でおこなわれていたことが確認できる。
いかに超法規の国!

 広東からあがってきたばかりの趙紫陽には、こうした最高幹部間の意思疏通コネクションの要領が飲み込めず、また彼には北京でも友人が少なかった。
 胡燿邦とはライバル関係と言われたが、もつれたことはほとんどなく、思想的には二人は通底していたと弁解めいた文章が長々と続く。

 ややもすれば弁明が多いと思われるのは『私はその場にいなかった』『私はそのことを知らなかった』「それは後で知らされた」など。逆に言うと権力闘争の渦中にいながら、情報に疎く陰謀をはりめぐらせない素直すぎる性格、あるいは優柔不断。
いや、趙紫陽は河南省出身らしく謀略渦巻く世界には不適当な指導者。むしろ趙紫陽は理論的テクノクラートだったのである(河南省人の性格に関しては拙著『出身地で分かる中国人』(PHP新書参照)。


▲趙紫陽は決断力にかけ、優柔不断さが逆に改革を日干しにしたのでは?

そして彼の優柔不断が災いして『改革派』の胡啓立も田紀雲も守旧派の讒言と陰謀によって足下を掬われ、李鵬などというぼんくらが主流派を形成してゆくのを許した。
 学生デモは「李鵬下台(やめろ)」というプラカードを堂々と掲げていた。当時ジョルダーノ(中国圏ではユニクロより有名)の経営者だったジミー・ライは「李鵬の頭は亀の卵」と言った。直後に彼のチェーン店は放火され、ジミーは「リンゴ日報」の経営に専念するためにジョルダーノを売却せざるを得なかった。

 1989年四月の段階で趙紫陽は北朝鮮へ行く。
この間、北京の天安門前広場を中心に学生デモが燃え広がり、座り込みが世界のテレビで報道された。4月26日に人民日報は社説を掲げて民主化に反対した。この社説は趙紫陽の留守を狙って李鵬らが書かせた。
 趙紫陽は回想する。
 「桃依林と李鵬は結託し、なんとかして私に(人民日報の)社説を支持させようと画策した」「トウ小平は自身の強硬発言が知れ渡り、若者達の自分に対するイメージが傷ついたとかんがえ、「若者達を愛する庇護者であるという言葉を必ず演説のなかに入れるよう(娘を通じて)求めてきた」。

 趙紫陽は「主流派の支持を得ることが大切だということも強調した。トウ小平は態度を曲げず、このままでは李鵬や桃依林ら党の強硬派の態度を変えさせるのは不可能だった」。
 「なんとしてもトウ小平と話して支持を得ようと思った。そこでトウの秘書の王瑞林に電話をかけて、面会を求めたが体調不良を理由に断られた」。

 ついで趙紫陽は楊尚昆に連絡して貰おうと楊尚昆の自宅を訪ねたが曖昧な態度だった。
 こうして誰と誰が、その日は趙紫陽に賛成し、翌日は態度がかわり、その次の日は曖昧となりといった具合で、中国共産党の最高権力層にしてからが二転三転右往左往していた様子が手に取れる。楊は強硬派の代表のように日本のマスコミが伝えたが、実態は趙紫陽に近い改革派の側面を兼ねていた。

 評者(宮崎)はもっと頑迷で暗鬱な権力闘争の場面を想定していたので、もし、この記述が真相に近い実態であったとするなら拍子抜けである。


 ▲「市場経済」「自由競争」っていったい何だ。

 市場経済を導入するにあたっても「自由な経営」と「損益に責任を持つ」という発想を共産党上層部のゲンクンどもに理解させることは並大抵の作業ではなく、そもそも土地を外国企業に貸すことが外国の侵略ではないかと反発する、幼稚で馬鹿げたナショナリズムが存在していた。
 社会主義統制経済を、過渡的に一部分一部分と改革を進めるには共産党の上層部の固い頭を解きほぐすという徒労がまっていた。

 とくにトウ小平は言った。
「三権分立は絶対に受け付けられないし」政治報告書には「議会政治」とか「抑制と均衡」とかの文言を消せと介入してきた。
 1987年から二年間総書記にあった趙紫陽を露骨に中傷し反対し妨害したのは李鵬と考えられがちだが、黒幕は陳雲、王震、李先念。そして理論畑のトウ力群という強硬左派をこれら守旧派で頑迷な長老たちが支えていた。

 記憶がどろどろした権力闘争の日常を濾過し、自分を軸に回想する特質があるため、ときとして客観的記述が疑わしい場面もあるが、本書が第一級史料であることに間違いはない。

 (注 桃依林の「桃」は女扁)
     ◇◇○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 簡潔紹介 SHORT REVIEW OF THE BOOKS
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
田中秀雄『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(草思社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 台湾の八田與一はあまりにも有名である。李登輝総統がある日突如として、八田を持ち上げ始めてから誰もがしるところとなった。
それまでは歴史の砂の中に埋もれていた人物だった。
八田の伝記はアニメにもなり、台湾現地では記念館もできて出身地の金沢からは毎年、飛行機をチャーターしての旅行団が夥しい。とくに哀切なのは八田が戦死した報を聞いて、ダムに身を投じて夫に殉じた八田夫人の物語は見学する日本人の涙を誘う。ダムの入り口には銅像も建つ(余談だが小生も、この銅像まえで記念写真を撮りました)。
 歴史に埋もれた史実を掘り起こし、とりわけ米国人ジャーナリスト、外交官が書き残した日本礼讃本を丁寧に翻訳し、他方では石原莞爾と小沢開作の物語も世に問うてきた田中氏、こんどは「朝鮮における八田與一」を発見した。
 その男の名は重松まさなお。本書の主人公である。
重松は、愛媛の人。松山中学に学んだ。郷土の英雄=秋山好古、真之、正岡子規らの母校でもある。
上京し、拓殖大学の前身を卒業し大陸雄飛の国策に従って朝鮮半島へ渡河し、平壌で朝鮮金融組合理事となり、万歳橋事件のときに足に被弾、右足が不自由となった。
艱難辛苦にめげず、いかなる労苦にもくじけず、重松は私財を投じて付近の農民に働きかけ、「朝鮮を立派にしよう」と寒村に副業を奨励し、卵の代金を貯金させ、それを元手に次は牛を飼いうというシステム、近代農業を朝鮮半島に根付かせたのだ。
 重松は終戦まで三十一年を朝鮮半島にあって農民と喜怒哀楽をともにし、熱血の人生を送った。著作には『朝鮮農村物語』正続二巻があり、活躍した時代を回想するテープを残した。
 戦後は愛媛に逼塞しながらも牧場を経営した。
昭和二十六年、松山の視察におみえになった高松宮としばし懇談したこともある。朝鮮での功績を認められ勲章に匹敵する記念品を貰ったとき(昭和七年)に高松宮が下賜されたという因縁があった。
読み終えて評者(宮崎)が感じたのは、これは朝鮮版杉原千畝物語に酷似していることだった。
 こういう無私の精神に生きた日本人がいたことが分かっただけでも欣快である。
 ●



  ♪
中村彰彦『慈悲の名君 保科正之』(角川選書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 明治維新は薩長の田舎侍による秩序破壊という解釈も可能だが、もとより国体を替えたのではないから「革命」ではなく、「変革」でもなく、強いて言えば「軍事力による政体の変更」ということになる。
明治維新とは、つまり変形のクーデタだった。だが維新政府は絶対的権力を手にした。江戸時代の思想体系、歴史観のなかでも都合の悪い歴史には蓋をした。抹殺された名君がいた。家康は狸爺となり、秀吉が持て囃され、明智光秀は逆賊となる。
 二代将軍秀忠の側室の子として生まれたという数奇の宿命を背負って、暗殺の恐怖と闘いながら、武田遺臣らに守られて保科正之は育った。やがて信州高遠城の養子となったのが家光の異母弟・保科正之である。
 かれが将軍の補佐として、四半世紀に亘って、我が国の事実上の『総理大臣』だった。じつはこれほどの長期政権は独裁を除けば例がないだろう。わずかに英国のピム政権くらいだろうか。
正之は在任中おきた大火のあと、江戸城の天守を不要とし、神田川を開墾して用水路を敷き、あらゆる幕政改革の礎と築き、当時「名君」の誉を独占、その政治手法を加賀藩が真似たり、あるいは境遇が同じくして白河に養子入りした松平定信が固く保科正之を模範として仰ぎみる存在だった。
 近代日本は、この名君の名を忘れた。明治維新政府の歴史改竄によってである。
 ようやく蘇るのは1995年、中村彰彦の『保科正之』(中公新書)。この本は読書界にひとつの衝撃を与えた。
 本書は過去の正之論を敷衍した部分を基礎にしながらも加賀藩が正之を改革の師と仰ぎ、その諸改革の何を如何に学んだかを補遺的に書き足された新角度からの論考と、もう一つは吉川神道の信者としての正之の思想的バックグラウンドが述べられている。
会津松平藩初代君主は、会津の松平廟所にお墓がなく、なぜか保科正之は土津(ハニツ)神社として猪苗代の奧津城跡に奉られている。なぜなら正之の信念は、吉川神道の思想が源流だったことが了解できる。
 ●



  ♪
!)橋安美『軍神 広瀬武夫の生涯』(新人物文庫)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 「軍神」という語彙は明治後期に登場した。
おそらく広瀬に初めて冠せられたらしい。♪「杉野は何処、杉野はいずや」で有名な軍歌にも歌われた軍神・広瀬武夫は旅順港開口作戦中に戦死した。直前、海に落ちたが、生きていた杉野は恥ずかしくて日露戦争後も日本に帰れず、大連で饅頭屋をやっていたという奇譚も残る。後者の真偽のほどは分からない。
 広瀬は若き日に頭角を現し、才能を買われてロシアへ留学した。同時期に秋山真之は米国へ留学した。
広瀬は留学後、そのまま駐在武官として合計四年半をロシアで暮らした。ロシア語に堪能で、ペテルブルグにおいて二人の情熱的なロシア女性と大恋愛を経験した。ロンドン留学で神経衰弱になった夏目漱石と神経の「出来」が違うとも言える。剛気が必要だった時代である。
本書ではじめて知ったが、広瀬の家系は菊池一族、尊皇の伝統をひく、剛気な武士の末裔である。
評者(宮!))にとって一番興味が惹かれた箇所は、じつは帰国命令をうけてシベリアを横断する、零下二十度の極限状況での日本への帰国の旅である。
鉄道はモスクワからイルクーツクまでしか敷設されていない。それから橇を雪原に疾駆させ、エスキモーと思われる馬丁らを籠絡して乗り換えの橇を調達し、ようやくにしてウラジオストックへと至る、長い長い道のり。
いまの時代、評者はこれらの距離を鉄道とバスと飛行機を乗り継いでバイカル湖では湖水に生息する小魚を肴にウォッカを仰ぎ、イルクーツク、ハバロフスクではぶらぶらと町を散歩し、ロシア人マフィアから怪しげなたばこを買わされたり、満州里では反日一色の銀盤の版画でロシアを礼讃する公園があったり、ウラジオストックには日本レストラン「七人のサムライ」という、刺身もどきの料理を出す店でビールを飲んだり。
とてもとても広瀬武夫の冒険と艱難辛苦を偲べるたびとはならなかったのだが。。。。ともかく大分県竹田市にある広瀬神社に二回詣でた経験のある評者としては、広瀬と名がつく伝記は殆ど自動的に読む。
本書はNHK大河ドラマに合わせて復刻され文庫となった。
  ●



  ♪
ダニエル・グロス、池村千秋訳『馬鹿マネー』(阪急コミュニケーションズ)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 著者のダニエル・グロスは辛口のコラムニストとしてNEWSWEEK誌で活躍し、FRB議長のバーナンキや前の議長のグリーンスパンのところへ単独インタビューに行って面白い話を聞いてくる名人。
 ポールソン前財務長官やルービン元財務長官などウォール街からワシントンへやってきた強欲な財務官僚どもの貧弱な政策のヘマをこっぴどく批判している。
 この本は要するに投機マネーが踊りだし、乱舞したあげく忽ちにして消えてしまった過程を活写しつつ、人間の持つおぞましさと哀しき性(さが)をえぐり出すスピーディな経済評論である。
 『音楽がなっている間はダンスを止めない』とAIGのトップは最後まで言い続け、世界最大の生保は一晩で政府管理となった。
 著者は言う。
 『トランプが(自分の不動産投機の失敗を)「不可抗力」を主張しようと、ロバート・ルービンが避けられなかったと抗弁しようと、アラン・グリーンスパンが自分の理論に不都合を一つ見つけたと言おうと、今回の危機は、空から勝手に降ってきた百年に一度の自然災害ではない。人間の造りだしたものが、途方もない被害をもたらしたのだという事実を、決して忘れてはならない』
と結論するあたりだけでも読む価値がある。
   ☆
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声◇どくしゃのこえ☆ ☆DOKUSHANOKOE◆ 読者の声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声1)貴誌前号「(読者の声3)第二次大戦記念館へ行き、沖縄戦を勉強してきました。戦史家と話しができて、「82日間の沖縄戦が台風の影響と、日本軍の縦型塹壕作戦で、戦死者1万人を出し米軍はほとんど戦意が尽きていた〜日本本土上陸は無理と判断した〜原爆投下を決定した」と。「沖縄戦が太平洋で民間人を含む始めての地上戦だった」と。「さらに、ドイツ降伏後の戦死者の統計が届いて、トルーマンは、これ以上の地上戦は不可能だと悟った(伊勢ルイジアナ)」
<引用終わり>

戦前、米国では1940年8月にフリードマンが日本暗号パープルを解読したので、米政府はマジック情報と称して日本の外交方策を知っていました。これは議会の真珠湾調査委員会で明らかになっています。
さらにこの暗号解読により、米政府は戦争末期の日本の降伏方針を知っていたので、何故二発も立て続けに原爆を投下したのかが問題になるわけです。それは明らかに満洲を攻撃するソ連へのヤルタ協定遵守の威嚇でした。
ヤルタ協定ではソ連が満洲を代理占領して蒋介石に渡すはずになっていました。だからこそ米国は帝政ロシア利権、日本領土の割譲、90万トンに上る兵器弾薬をソ連に与えたのです。
しかし欧州をみるとソ連が約束を守るかは疑問になってきました。
日米戦はソ連にとっては支那事変と並ぶ独ソ戦の東部国境工作の一つであり、米国にとっては支那満州獲得に邪魔な日本を滅ぼす西進植民地政策でした。これによりスターリンは西部戦線に専心することができました。
こののちスターリンは原爆の示威にめげず、ヤルタ協定を違約して満洲を蒋介石に渡さず共産化してしまいます。
彼は地上戦の損耗をおそれる米政府の内情を知っていました。
そして1949年に支那が全土共産化すると米国の長年の満洲獲得の極東政策は失敗に終わり、マッカーサーは「支那の喪失と共産化は米国太平洋政策百年の最大の失敗」と総括します。
米国の太平洋戦争は日本の占領が目的ではなかったのです。
そして1950年の朝鮮戦争の勃発とともに、米国は180度転換し支那の喪失でもはや邪魔でなくなった日本に自衛独立を要請し今日に至るのです。
なお第二次大戦の米国の戦死者は33万人、対日戦では17万人と言われています。
   (東海子)


(宮崎正弘のコメント)WHO LOST CHINAですね。



  ♪
(読者の声2) きたる2月14日(日)に拉致問題講演会を開催いたします。
「拉致問題を考える栃木県民の集い」

日時:2月14日(日) 13:30 開演 14:00 開始  16:00 終了予定
場所:護国会館 (栃木県護国神社) 栃木県宇都宮市陽西町1-37
講演者: 飯塚繁雄氏(家族会代表)、増元照明氏(家族会事務局長)、西岡力氏(救う会会長代行)、 
会費:1000円。高校生以下無料。
連絡先:028-622-3180 (護国神社)
Ch桜 栃木県支部のホームページ: http://www11.ocn.ne.jp/~chsakura
護国神社のホームページ: http://www.gokoku.gr.jp/index.html
 ◆バスでのアクセス - JR宇都宮駅よりバス15分・作新学院前下車徒歩1分。
  宇都宮駅から作新学院までの運賃は200円となります。1・2・4・6・7番のりばから作新へ行けますが、6・7番の方が本数が多めです。尚、作新学院行きバスは「作新学院経由」の表示があります。交通状況により乗車時間は変わりますので、余裕を持ってお越しください。東武宇都宮駅前停留所からもバスが出ております。
 ◆車でのアクセス - 東北自動車道 鹿沼インターより約15分・駐車場有り。
 当日のご来場を心よりお待ちしております。
   (TF生、栃木)
    □
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  @@@ 宮 @@@ 崎 @@@ @@@ 正 @@@ 弘 @@@@@
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 △
★絶賛発売中!
 宮崎正弘最新刊 
『中国のひとり勝ちと日本のひとり負けはなぜ起きたか』(徳間書店)
アマゾンから注文できます。送料無料
http://www.amazon.co.jp/dp/4198629013/
  上製256p。定価1680円
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ◎◎  ◎  ◎◎  ◎◎  ◎  ◎◎  ◎◎  ◎  ◎◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ♪
宮崎正弘 v 西部邁『日米安保、五十年』(海竜社)
 安保条約改定から半世紀。日本の防衛体制はこのままで良いのでしょうか?
ご注文は下記アマゾンからも出来ます。↓ 1680円 送料無料
http://www.amazon.co.jp/dp/4759311092/ 
  

宮崎正弘 v 石平『増長し、無限に乱れる「欲望大国」中国のいま』(ワック)
 発売中 ! 945円
http://bookweb.kinokuniya.jp/htm/4898316158.html
 中国の現実を知れば知るほどに抱腹絶倒、やがて哀しき虚勢の大国!

  ♪
< 宮崎正弘のロングセラー 絶賛発売中 >
宮崎正弘+内田良平研究会編
『シナ人とは何かー内田良平の『支那観』を読む』(展転社、定価1995円)
  ♪
『朝日新聞がなくなる日』(ワック、945円)
『中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
『人民元がドルを駆逐する』(KKベストセラーズ、1680円)
『絶望の大国、中国の真実』(石平氏との共著、980円。ワック文庫) 
『中国がたくらむ台湾・沖縄侵攻と日本支配』(KKベストセラーズ 1680円) 
『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
 http://miyazaki.xii.jp:80/saisinkan/index.html
      ★ ☆ ★ ☆
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◎宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)有)宮崎正弘事務所 2001−2010 ◎転送自由。ただし転載は出典明示。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-08-18  
最終発行日:  
発行周期:ほぼ日刊  
Score!: 99 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • 枚方の憂国士2010/02/07

    『中国のひとり勝ちと日本のひとり負けはなぜ起きたか」拝読しました。わが国の政治家 いや 政治屋達は小沢人民解放軍司令官の指揮のもと日本をシナ・朝鮮の属国にしようとしています。このまま民主党政権が続くとわが国はシナ「日本省」になるでしょう。この夏の参議選は「日本」創生か「日本」解体かの選択選挙となるでしょう。真正保守の政党の立ち上げを急望します。

  • 名無しさん2010/02/06

     市場経済を導入するにあたっても「自由な経営」と「損益に責任を持つ」という発想を共産党上層部のゲンクンどもに理解させることは並大抵の作業ではなく、そもそも土地を外国企業に貸すことが外国の侵略ではないかと反発する、幼稚で馬鹿げたナショナリズムが存在していた。

    <引用終わり>

    ということは、日本の土地を借りた購入したりして商売するのは、実は侵略しに来ているという事ですかね。

    (匿名)

  • 名無しさん2010/02/06

    昨日、ニュースで今度はスズキが中国で

    リコールの対象になったと報道されていました。

    何故?怪しい...と考えたのですが、

    インドで最も売れている車はスズキ。

    この事実を踏まえて私の考えが

    行き着いた先は、日印分断工作ではないか、

    ということです。

    昨今の日本に於けるインド重視論を受けて中国

    は面白く感じていなかったのではないかと

    私は思ったのです。

    それで、米国でのトヨタ問題を梃子に中国に

    おいては日本車バッシングではなく、

    日印分断の一環としてスズキを利用した

    リコール問題という巧妙??な作戦に出た

    のではないか、と考えています。

    ちなみにオバマ政権がチャーチルの像を

    イギリスに返還した、とありますがあれは

    中国が関与していたと視るべきでしょうか。

    そうだとすれば、やはり大西洋の分断?でしょうか。宮崎先生はどのようにお考えですか。

    (マシュリク)

  • 名無しさん2010/02/06

    大東亜戦争はホントにアメリカが負けたと考えています。本当の勝者は日本で有るはずなのです。

    中国市場だけに目のくらんだアメリカが同じ事を繰り返して居る、懲りない人達です。