国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2010/01/05

▲小誌愛読者15500名!
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  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成22年(2010年)1月5日(火曜日)
       通巻2827号  (今号も特大増ページ)
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 イエーメン、まるで戦争前夜の状態。フランス、ドイツも大使館を閉鎖
  在サヌア日本大使館、スペイン大使館は領事業務を中止へ
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 4日、ペトレアス米中央軍司令官は急遽、イエーメンの首都サヌアへ飛んで、サレハ大統領と軍事共同について会見した。とりわけ海賊が跋扈するソマリア海域からイエーメンに不法入国するアルカィーダをいかに取り締まるか、同国の治安当局は、「すでにイエーメン国内のアルカィーダは数百名の規模に成長している」という認識を示している。

 急な展開は12月24日におきたデトロイト空港における飛行起爆は未遂。犯人はナイジェリア人だが、イエーメンのアルカィーダ秘密訓練基地で四ヶ月間、みっちり特訓を受け、特殊爆薬を取得、アムステルダム経由でデトロイトへ入ったからだ。

英紙『テレグラフ』(1月3日)に依れば、米国はイエーメン政府への軍事援助のなかに特殊部隊による訓練を含めているとした。
また同紙は英国がイエーメンに一億ポンドの緊急援助のほか、特殊訓練部隊をイエーメンに派遣した、と過去形で伝えた。

 米国では順次、空港内の検査では旅客全員を全身X線装置に通すことに切り替え、各空港は大混乱、とくにNY空港では平均六時間の遅れがでる騒ぎとなった。
 米国の入国管理当局は、ソマリア、シリア、イラン、キューバから米国に入国する旅行者を厳重にチェックする体制に切り替えた(フィナンシャルタイムズ、1月5日)。

 まるで戦争前夜の状況と化したイエーメンで、日本大使館は領事業務を停止、フランスは英米に継いで大使館を閉鎖し、スペイン大使館も事実上の領事業務停止状態。

 NYタイムズ(1月5日、電子版)は、「フランス、ドイツ、日本が大使館を閉鎖」と伝えている。
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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――彼はバカをみた正直者でしかなかった・・・のか
    『一心為公的共産主義戦士蔡永祥』(解放軍文芸社 1967年)


 △ 
1966年10月9日午前、江西省吉安市第二中学の紅衛兵と革命的教師の一団は天安門広場で毛沢東の接見を受けるため、南昌発北京行きの汽車に乗車した。
「僕らの心は、もう北京に、毛主席の身辺に飛んでしまっていた」。
「汽車もまた飛ぶように奔る。二日目の深夜2時過ぎ、銭塘江辺りにさしかかると、汽車は鉄橋の上で急停車した。なんだろう。なにが起こったんだろう。数十分して、汽車は何事もなかったかのように動き出した」。

車掌の説明によれば、「銭塘江大橋手前数十メートルのところで線路を塞ぐ大木を発見したが、解放軍の戦士が我ら紅衛兵を毛主席の許へ送り届ける汽車を救ってくれ、英雄的犠牲になった」。

「この知らせを聞くや、列車に乗り合わせた誰もが深い悲しみを覚え、この真の毛主席の立派な戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手に惜しみない賞賛を送り、一斉に声を張り上げ『解放軍は紅衛兵をイチバン愛しむぞォーッ、我らは解放軍にシッカリと学ぶぞォーッ』とシュプレヒコール」。

やがて汽車は北京到着。かくて「10月18日のこの日は僕らの生涯で忘れ難い一日となった。この日午後2時19分53秒、僕らは偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥、偉大なる舵取りの毛主席との接見を果たしたのだ」。

以上は、この本に納められた「蔡永祥同志、我らは就いて行きます!」という題のある紅衛兵による追悼文の一部である。
この「蔡永祥同志」こそ、わが身を擲って列車転覆事故を未然に防いだと全国で報じられ、全人民に讃えられ熱く迎えられた「毛主席の真正の立派な戦士、プロレタリア文化大革命に身も心も捧げた守り手」である。

彼の“死“の真相を論じても無意味だ。
66年10月といえば文革開始直後。なにか1つ、ガツーンとインパクトのある話題が欲しかった文革派メディアにとって、願った以上の格好の宣伝材料であったに違いない。早速、“絵になる英雄的な死”が大々的に報じられる。

早速、『人民日報』が11月18日付けで「文化大革命の忠実な守り手」と題する社説を発表し、彼の英雄的行為を讃え、その犠牲を悼んだ。

解放軍の機関紙である『解放軍報』は、「一心を公に捧げた共産主義の戦士  ――身を捨てて紅衛兵専用列車を救った蔡永祥同志に」(10月30日)、「一瞬一秒を争う精神で世界観を改造せよ  ――再び一心を公に捧げた共産主義の戦士・蔡永祥同志を論ず」(11月18日)、「革命戦士の頭には私心という雑念が入り込む余地は全く無い  ――三たび一心を公に捧げた共産主義の戦士・蔡永祥同志を論ず」(12月1日)と3回にも及ぶ異例の大キャンペーンを張り、激しくアジテーションを繰り返し、全国各地で「蔡永祥同志」を顕彰し学習する運動を巻き起こそうとした。

この本は、上記の社説、ひたすら毛沢東への思慕の念と毛沢東思想学習の成果が綴られた蔡永祥の日記の一部、全国から寄せられた追悼文によって構成されている。

どの追悼文も、毛沢東思想を学び毛沢東の立派な兵士たらんと奮闘努力する「蔡永祥同志」を讃えるステレオタイプ。正直なところ読むほどに気恥ずかしさが募るといったところ。
当時の時代情況を考えれば致し方ないが、同時に当時の異常な時代精神を知る貴重な資料でもある。

ところで、「蔡永祥同志」に救われて「偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥、偉大なる舵取りの毛主席との接見を果たした」「僕ら」は、いまどうしている。
いったい何人が若き解放軍兵士の名前を記憶していないだろうか・・・。
「犬死」の2文字が頭を過ぎる。

《QED》
○○  ○○  ○○
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□読者の声▲□どくしゃのこえ◎◆DOKUSHA―NO―KOE◆◎読者の声◆
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(読者の声1)貴紙通巻2823号(特大号)コメントから「明治天皇の御製を繰り返します。『敷島の大和心の雄々しさは ことある時ぞ あらわれにけり』。近いうちに日本の政治の根幹を揺らす事件が起きるのではありませんか?」
とありました。

これは外国人参政権国会上程の件でしょうか?  
年末のこのコメントと年末最後の号外が非常に気になって各紙のここのあたりの報道を漁ってみましたが、どうやら貴紙以外は報じて”いないようです。
 しかし私はマスゴミがスルーでかつ貴紙での報道であるからこそ、もはや確実なのだと思っております。
 そこで質問なのですが、小沢の元秘書の石川代議士が特捜の聴取で色々”歌って”いる模様がリークされております。仮に小沢が国会開催前に”挙げられ”ても、外国人参政権は上程されるのでしょうか?
   (MU生)


(宮崎正弘のコメント)上程されるはずです。これで60年安保のような騒擾がおきると予測しています。



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(読者の声2)戦前の本で『日英必戦論』(石丸藤太 昭和8年 春秋社)、「英米の対日陰謀」(石丸藤太著・昭和14年2月 非凡閣)を今読んでいます。
著者は海軍の退役少佐でワシントン会議および九カ国条約を中心に英米の密約やダブルスタンダードをこれでもかというほど記しています。
アメリカによるコロンビアからのパナマの分離独立の策謀、さらに石油利権まで奪う強欲ぶり。ニカラグアやメキシコで選挙が行われ、反米的な候補が当選したとなると軍隊を派遣してでも潰してしまう。しかも1927年のニカラグア侵攻の指導者が不戦条約のケロッグ氏とは悪い冗談のようです。
同じ年には南京が国民党軍により占領・略奪され、英米が協同して砲撃を加えますが、1937年に日本軍が同市を砲撃すると、非道且つ無法の行為なりとして、アメリカの世論は囂々として日本を非難した。アメリカがやれば神の行為であるが、日本がやれば悪魔のしわざだというのである、とあります。
米軍のニカラグア撤退は1933年ですから筆者の言うことももっともです。1933年といえばアメリカがソ連を承認していますが、これは日本によるシベリア奪取を妨害するため先手を打ったのだとか。
現在はほぼ否定的な評価のシベリア出兵については次のように記しています。

「1917年9月、連合国最高軍事会議は日本が東部シベリアを占領し鉄道運輸を維持する代償として、日本にシベリアの一部を与えることを承認した。これに同意しなかったのはアメリカとロシアのみであった。・・・しかるに1918年の夏に至り、日本が独力を持って、東部シベリアを占領管理するかに見えたので、アメリカ政府はこれを妨害せんが
ため、表面はチェコ・スロバキア軍を救援する口実の下に軍隊をシベリアに派遣した」(引用止め)。

 日英同盟廃棄の経緯についてもイギリスにおける日英同盟賛成・反対派それぞれの意見を列記し、結局は英米で世界の覇権を二分することを選んだと見ています。
第一次世界大戦前、アメリカは債務国であり、イギリスだけでも35億ドルの資本を投下していたのが、戦後は一転してイギリスは90億ドルもの債務を抱えてしまう。現在のレートだと何十超円になるのでしょうか。しかもアメリカは戦債の棒引きの哀願にも応ずる気配はない。
戦後、発言力を強めたカナダや豪州などの自治領も日英同盟には反対の立場。
空軍力がまださほど戦力として認められない時代ですから海軍力が覇権の条件。第一次世界大戦で疲弊しアメリカに多額の債務を抱えたイギリスはそれまでの二国標準主義(二位と三位の合計を上回る海軍力)の方針を捨て、アメリカと同等の海軍力の保持まで条件を下げアメリカと交渉するもアメリカは日英同盟がある限り疑念は晴れない。
結局、日英同盟は空文化、のち廃棄となる。

 日英同盟廃棄反対派の意見としてはイギリス海軍の提督の発言を引き、「イギリス本国の安全にはドイツとの友好が、印度に至る交通路のの安全にはイタリアの好意を、極東の莫大な権益を擁護するためには日本との親善を必要とした」と。
イタリアは第二次大戦では弱かったように思いますが、1930年代には空軍力などで東地中海の覇権を握る勢いがあったのですね。そうなるとイラクの石油やスエズ運河の航行にも支障をきたしインドとの連絡も取れなくなる。
イギリスは現在でもジブラルタルとキプロスに英領として軍事基地を持っていますが地中海のシーレーン防御の重要性を認識してのことでしょうか。

 この本で驚いたのが1908年当時の様子。
「既に1908年の初夏には、日米戦争はすぐにも始まるものと、アメリカの政府部内では考えていた。当時の海軍次官ルーズベルト氏(現大統領)が告白するところによれば、『1908年の初夏十日間、アメリカでは日本から今にも最後通牒が来るかと興奮期待した。かようなことはワシントンの当局者以外には国内一般には知られてなかった』("The Asia" July 1922) とあります。
排日移民法が1924年ですから16年も前。当時のアメリカはアジアからの移民を制限する連邦移民・帰化法による移民全面停止(日本とは紳士協定で移民を制限)などアジア系排斥の動きがつよかったのですね。
排日移民法の時もフィリピンが攻められるではないか、と心配していたようですから、真珠湾以前にフィリピンあたりを攻撃していたら、ガス抜きになっていたかもしれません。当時メキシコに日本軍の秘密基地があるとの噂が広まっていたとか、今から見ると笑い話ですが、それだけ疑心暗鬼だったのでしょう。
日本に対する経済制裁については、豪州の新聞には羊毛の輸出の35%が日本向けであり、経済制裁には断固反対との記事もあります。
イギリスの日英同盟維持賛成派には金融・商工業者が多かったとも。支那事変前には中国への輸出額で日本は英国の3倍と圧倒、インド・エジプト・東アフリカでも日本が優勢。このため関税引き上げが相次ぎ対日非難の論調が高まるあたりは戦後の日米関係を彷彿させます。

 九国条約や国際連盟規約に基づく対日非難決議などは極東になんにかかわりもないポルトガルやボリビアのような小国まで動員する多数派工作ぶり。クジラ問題で反捕鯨国陣営に捕鯨と何ら関わりの無い国を動員しているのと同じですね。ロイター通信やタイムズ紙はもはや言論機関ではなく、イギリスの対外宣伝機関に成り下がっている。
武藤貞一の本によると第一次世界大戦ではロイター通信を中心にドイツの蛮行を宣伝しまくり(ユダヤ人の脂でバターを作っている等)、アメリカを参戦に引き込んでいます。
支那事変での日本軍の蛮行とされる写真など、捏造による宣伝だったことは近年の研究で明らかになっていますが、左翼にしろ反捕鯨団体にしろ何度でも繰り返し宣伝することで既成事実化しようとします。日本の宣伝下手にも困ったものです。

 満洲事変については第一次世界大戦前のドイツと日本の類似として軍事と外交の分離を取り上げています。「それにつけても想い出さるるのは我が満洲事件である。
日本の軍事首脳部に対して、独逸の軍閥に加えられたと同様の非難をもってするのは不当なるは明々白々ではあるが、然しながら我が為政者が無能であり、軍人が進み過ぎて、軍事と外交が調節を欠いたのは隠れもない事実である。日本が遂に全世界を敵とせねばならぬ破目に陥ったのは、この軍事と外交の調節が取れなかったのが主なる原因ではないか
。」
昭和8年(1933年)にこのような意見が堂々と書かれています。
武藤貞一も「英国を撃つ」のなかで、軍が10獲得しても外交で8を失う、と外交の拙劣を批判していました。

 本書ではインド・アフガン・中東・エジプトと多方面にわたりますが、1920年9月バクーで開かれた、トルコ、支那、印度、アルメニア、ペルシャ、アフガン等二十の民族が集まった東方民族大会について次のように記しています。
「議長たるジノヴィエフ氏は演説して云う、『我々はイギリスに対するあらゆる革命的闘争を援助する用意がある。ヨーロッパの帝国主義、特にイギリスに向って聖戦を布告せよ!』 
この会議に列席した人物中には、前トルコ将軍エンヴェル・パシャもあった。彼は打倒英国を畢生の目的として、モスクワから軍資金と武器の供給を受け、アフガニスタンにある印度の亡命志士を組織せんとしつつあった。こういう状況であるから、モスクワの共産党大学に於ける印度人学生の数は益々増加しつつある。」
 中東方面では「ペルシャとアフガニスタンは英露両国の衝突舞台となった。ペルシャは南に下って暖かき海へ出ようとするロシヤと、之を制止して自ら北に伸びようとする英国の衝突舞台であり、アフガニスタンは印度へと侵入せんとするロシヤの通路に当たるので、これ亦英露両国の争奪の巷となった。そして結局両国のために緩衝国となって、アフガニスタンは二十世紀の今日、鉄道も敷かれていないという有様である。
つまり鉄道を敷設することになると、之を軍事上に使用されては大変だというので、英露両国の何れもが之を好まぬからだ。」とあります。 

 地政学的には二十一世紀の今日も情勢は変わりませんね。
アフガンではウズベキからマザーリシャリフ(アフガニスタン北西)への鉄道が建設中のようですし、中国がパキスタン側から鉄道を建設する計画もあるとか。
中国の軍事力が強化されるなか、日本を含む欧米諸国がなぜミャンマー制裁を続けるのか以前より疑問に思っています。
ミャンマーにはすでに中国軍のレーダー基地がありますが、経済制裁はミャンマーを中国側へ押しやるだけで、本格的な海軍基地でもできたらインド洋は中国に完全に抑えられてしまいます。
インドはパキスタン・バングラデシュ・ミャンマーと東西から挟まれる形になり、いずれインドと中国の衝突は必至、となるとまるで陰謀論ですが、人権問題など建前でしょうから、ミャンマー制裁の真の理由は何なのでしょう?
本来であれば日本がシーレーン防御に当たるべきところを、インド洋の海上給油活動すら中止してしまう民主党。
ジョージ・オーウェルは「右であれ左であれ、わが祖国」のなかで社会主義者として英国への愛国心を表明していましたが、政治もマスコミも劣化が激しい日本、「右であれ左であれ売国奴」といった輩が多すぎますね。
  (PB生)


(宮崎正弘のコメント)ご指摘がいくつもあって、それぞれが重要です。
ミャンマーを制裁した米国は外交的失策を犯した。主因はマスコミの偏向と議会を席巻するリベラル左翼の批判が講じたため、つまり中国にモノを言えない分、八つ当たりでミャンマーを殴って自己満足したのが米国議会に巣くうリベラル派です。
しかし最近、米国は制裁の結果が、ヤンゴン政権をして、中国圏入りを選択させ、中国が軍事的橋頭堡としたことにようやく気がつき、姿勢を変化させました。
いまさら遅い、って。
 高山正之さんの『スーチー女史は善人か』(新潮社)に詳しく書かれています。
 http://www.shinchosha.co.jp/books/html/305872.html


 (読者の声欄は下段につづきます) ↓
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(読者の声3)日中歴史共同研究の報告書概要が明らかとなりましたが、予想通りの情けない内容、と言って済ませられない、国家自殺的なものであるというべきものです。
北岡座長に抗議の書簡を12月29日の下記の通り送りました。
これは公開すべき性質のものですので(書簡でもそう断った)、皆さんにお知らせする次第です。             茂木弘道 拝
                    平成21年12月29日
      
日中歴史共同研究委員会
座長 東京大学教授 北岡 伸一殿  

抗議の書簡
 このほど貴殿が日中歴史共同委員会日本側座長を務める共同研究の最終報告の内容が明らかにされました。
 日中戦争全般にわたり、疑問だらけの内容であると考えるものですが、今回は「南京事件」に絞ってその問題点を述べ、かような研究報告を出すことにした日本側委員、その代表である貴殿に対し厳重な抗議を行う次第です。
 「南京で大規模な虐殺があり、日本側にその責任がる」と貴殿らは認めたということですが、いったいどのような学問的な根拠があって、そのようなことが言えるのか、貴殿の学者としての良心を疑う者です。確かに、東京裁判でそのように断定され、また現在の日本の歴史学界の主流もそのような見解であります。
しかしその後南京事件についての研究は急速に進み、今やそのような俗説は全く成り立ちえなくなっていることを貴殿はご存じないのですか。
 一つの決定的な資料と言うべきものが、平成15年に東中野教授によって台北の国民党党史館で発見されました。極秘印の押された『中央宣伝部国際宣伝処工作概要 1938年〜1941年』です。内部向けの極秘資料ですから、宣伝目的の歪曲はほとんどないと考えられます。そこには、国際宣伝処が、南京戦を挟む約1年間(1937年12月1日〜38年10月24日)の間に漢口において、外国人記者を招いて300回の記者会見を開いたことが書かれています。参加記者は平均50名であったことも記されています。
ところが日本非難のためのこの記者会見において、ただの一度も南京で市民虐殺があっただとか、捕虜の殺害があっただとかが発表されていないのです。
さらにこの文書には南京での日本軍の暴行・略奪などの悪行批判は書かれているものの虐殺とは全く書いてないのです。
 これが決め手ではありますが、他にもそれを裏付ける資料が確認されています。
 その中心的なものとしては、安全区国際委員会の活動記録である、Documents of the Nanking Safety Zone があります。南京市民に最も近いところで、その活動を行っていた反日色の濃い外国人たちの英文記録で、1939年に国民党の外郭機関の監修の下、上海のイギリス系の出版社 Kelly & Walsh社から出版されました。
そこに南京の人口は11月末20万が、12月中ずっと20万、陥落(12月13日)から1ヶ月後の1月14日には25万人と記録されているのです。大量虐殺はおろか、100人単位の虐殺も全くうかがうことができないのが、この記録です。
当時日本軍とともに100名を超える記者・カメラマン等が南京に入ったのに、誰も虐殺など見た者がいないという事実と完全に符合します。
 すなわち、南京事件については既に決着が実質的についているのです。
 こうした背景の下、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明、事務局長:藤岡信勝)は、昨年5月に胡錦涛主席が来日した折に、公開質問状を提出しました。(中文を提出しましたが、日英文も含め同封します)。
ここに提起された5カ条で、南京問題の骨子は尽きているかと思います。そして、今に至るも胡主席からの返答はありません。答えられるはずがありません。まともな人間常識をもってすれば、これに回答することはまず不可能でしょう。
「史実を世界に発信する会」の英文サイトにこれは掲載されておりまして、これを見たアメリカの学者から、Holocaust Denier ではないか、という投書がありましたので、Denier は毛沢東であり、国民党だ。それよりあなたは、この質問に胡錦涛に代わって答えられますか、と反論したところ、全く答えにならない答えを言ってきました。日本側の資料だから、などとバカなことを言ってきましたが、御覧の通り5点中の4点は外国資料に基づくものです。
 海外から公開質問状についての反響が来つつありまして、Asianists’ Asia という小さなジャーナルから、これについてもう少し解説を書いてほしい、という依頼があり、私が書いたものが同封の Why PRC President Cannot Respond to Open  Questions Concerning the Nanking “Massacre” です。
 すなわち、歴史認識にかかわる重大問題について、古色蒼然たる学会の「誤った」通説をうのみにして、日本側の見解を出すなどということは、学者としての良心にもとる行為ではありませんか。最新の資料と研究成果を十分に取り入れた見解を出すのが、国を代表する学者としての務めではないかと考えますが、如何でしょうか。
 今回のこの報告書作成について、厳重な抗議と何らかの善後処置を要求するものです。
 私の個人的な書簡でありますが、内容は貴殿の個人的なことに関するものではありませんので、公開させていただくつもりですのでご承知おきください。
               敬具
          「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木 弘道 拝

<添付>(下記以外に書簡には、中文、英文のも及び、Asianists' Asia 誌への国論文のコピィも添付>

胡錦濤国家主席閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
 さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。
貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながら、このような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。
そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。
以下、重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も「南京虐殺」ということに言及さ
  れませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に
  延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日
  本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民
  虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起
  こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不 
  自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのように
  お考えになられますか?
二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に
  国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣
  伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から
  38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会
  見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されて
  います。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南
  京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないとい
  う事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大
  虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでし
  ょうか?
三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が
  『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題
  研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されていま
  す。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後
  ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。
  この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられま
  せんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行
  として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて
  26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と
  注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底
  両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多く
  の展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研
  究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) 
  によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明
  らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているので
  したら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させてい
  ただきたいと思います。

以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。
上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。
この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので「公開質問状」として提出させていただきます。
子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
平成20年5月
「南京事件の真実を検証する会」委員一同
(会長)加瀬英明(事務局長)藤岡信勝(監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦
 高山正之 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
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 (読者の声欄はさらに下段に続きます) ↓
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(読者の声4)貴誌2826号に掲載された以下のご意見に感想です。
<引用>「(読者の声1)昭和20年の終戦以来、64年余がたちましたが、あの戦争の是非はともあれ、日本はその後、戦争をしていないのです。日本が戦争に慎重であることは良いことです。だが冷戦時代からこのイスラムのテロまで、基本的にアメリカ一国が戦ってきた。つまり冷戦や中東の紛争で、日本が戦争に巻き込まれなかった大きな理由にアメリカの保護がある。いわゆる「軍国日本」はアメリカに滅ぼされたが、現在の民主主義日本の繁栄はアメリカのおかげと言える。・・・日本はハードパワー(技術力)で補い、世界でトップと言われる情報機関を構築するべきです。その情報とアメリカのハードパワーを交換すれば良い。(伊勢ルイジアナ)」<引用終わり>

感想です。
日本は戦後、武力戦争をしていませんが、日本に対する情報戦争は続いていました。まさにトロッキーが言ったように、「日本人が戦争を忘れても、戦争は日本人を忘れない」です。
日本は武装解除とともに洗脳され「心の武装」も解除しました。他方、ドイツは武装解除をうけましたが、心の武装は解いていなかった。だから戦後の対応が全く違ったのであり、その結果も今はっきりと分かれたわけです。 
彼らは国家情報局を持っています。徴兵もしています。自主憲法も作りました。しかし日本は「心の武装」がないので、独立に必要な法律も制度も組織もありません。 
「心の武装」をすると、今の日本の異常性、危険性が見えてきます。外国人参政権などありえないことが分かります。
国家情報機関は、国民の「心の武装」がないと機能しません。国家の情報活動はまず価値観であり、技術論はその次ですから。
  (東海子)


(宮崎正弘のコメント)日本を永久に独立させないためにGHQがなした占領政策は3s5dですが、占領憲法がその集大成。これが廃棄されない限り、日本人のこころの敗戦は終わらないと思います。4月28日は主権回復記念日。これが国民の祝日でさえないところに問題の本質が横たわっています。



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(読者の声5)「外国人地方参政権付与法」の法案提出問題は早くに察知していましたので、当地では早くから保守系の市・県議連中に働きかけていました。在所では市・県議会共『外国人地方参政権付与』には既に反対の決議をしています。
国民の危機管理に対する不勉強が原因である、とは云え日本国解体を目論む悪魔が潜む政党であるとも知らず、よくもまあ小澤率いる民主党などに政権を委ねたものだ、と躍起になって、その危険性を説いているのですが、国体を重んじる絶対的保守であると想っていた自民党の中にも『国家観』無き輩が潜んでいる現実を見せ付けられると、小市民が気付かないのも仕方の無い事かと想います。
 選挙区の市・県議会は逸早く反対決議をしていますが、油断はできませんので日々の行動の中で阻止運動を盛上げていきます。
  ところで、小林よりのりが指定した『売国奴政治家』6位の野中広務の講演が当地でも催されました。
  演題に立った野中広務氏は84歳とは思えない血色のよい顔艶でしたが顔相は、流石に『売国奴政治家』らしく老獪な顔付きでした。
 内容は南京大虐殺があったなどとデタラメ、「『人権擁護法案』に付いて福岡の気違婆さん(西川京子)が騒いでいるが、物事の本質が何も分っていない」等。よくもこんな出鱈目を言うものだ、と打ち震えていたら、「大変ためになる有意義な話を聞かせていただきました、有難う御座いました」、と主催の挨拶には金槌で頭を強打された気になって憤りを押さえる事ができませんでした。「流石に大物だ、話も分り易いし貫禄もある」、等と感心している民生委員達がいたのにも驚きました。後日保守系議員達に、貴方達が日本の近現代史を勉強していないからこんな体たらくなことになるのだ、保守なら保守らしき気概を見せて下さい、と言って叱咤しました。
  (北九州素浪人)


(宮崎正弘のコメント)自民党のなかに、こういう極左が跋扈し、いやそればかりか幹事長という要職にあったのですから、自民党を保守というのは政治学的に無理があります。政界再編は思想保守と民主党のなかの保守系が小沢失脚前後に、合同して新保守政党を組織化することでしょう。1955年の保守合同の再来が待たれます。



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(読者の声6)貴見の「維新の「維」は新しいという意味もあり、伝統回帰、復古。要するに温故知新でもあり、歴史をないがしろにする人たちが「維新」を言いつのるのは噴飯ものと言わざるを得ないでしょう」
とありました。
 宮崎先生は「維」の字義についてこのように書いておられますが、根拠があるのでしょうか。
(一読者)


(宮崎正弘のコメント)孔子『詩経』に曰く。「周は旧邦なれども、その命は“これまた”(維)新たなり」から「維新」の語源はきています。詳しくは西部邁さんの『昔、言葉は思想だった』(時事通信社)95pをご参照ください。
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(編集部より)投書がまだ溢れており、順次、掲載していきます。没になっているわけではありませんが、スペースの関係で縮約、割愛、編集することがあります。
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創刊日:2001-08-18  
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